静か過ぎる夜の空気にサイレンがけたたましく鳴り響く。一つではなく幾つも連なるようにドップラー効果を引き連れて夜の街を騒がす音源は何台もの数で走る消防車両と救急車両、警察車両といった緊急車両の車列だ。
人気が無く、車の通りもほとんどない道路を車列は猛スピードで走っていく。残業や夜勤で街にいる人々が何事かと窓から様子を伺っているのが見えたが、それもごく僅かな数に留まっている。大多数の人にしてみると所詮は他人事で、無視しても問題の無い出来事だからだ。
そういった都市の無関心さに守られて白羽は現場を悠々と離脱していた。目撃者無し、監視カメラの位置も把握して離脱ルートはクリア。仮にキャスターのマスター殺害で警察が捜査に動いても白羽に繋がる証拠は出てこない。それ以前に聖杯戦争を監督する聖堂教会が介入して不幸な事故として処理されるだろう。
聖堂教会の旗振り役であり監督役の神父、言峰綺礼が不在でも教会は問題なく機能する。キャスターのマスター、アトラム・ガリアスタの遺体を始め、工房施設、一族の遺体、その他魔術に関わる神秘の痕跡を完璧に消してくれる。
今回は死体処理の必要が無くて楽だな、と白羽は歩きながら思う。時として死体を隠匿したり、焼却処理、薬品で溶解処理、信頼できる
ふと後ろを振り返り、自分が歩いてきた新都のビル郡を見やる。墓標のように林立するビルの中、一つのビルから一筋の煙が立ち昇っているのが見える。アトラムの工房から出火した火災は、本格的に建物内部を燃やし始めたようだ。先程すれ違った緊急車両の車列はその火災現場へ向かっている。
あのビルはアトラムが石油王の財を使って一棟丸々買い上げた建物だった。内装を変えて魔術的な工房へと仕立てており、その際に不審物などは徹底的に除去されている。白羽はあのビルにも買い上げられる前に爆薬を仕掛けており、魔術師が陣取ったらビルごと爆破できる仕掛けを施していたが見事に対処されていた。予備策として空調にも仕掛けがあり、ビル丸ごとガス室にするトラップもあったがこれも同様だった。
罠が解除された時は攻略に手間がかかるな、と考えていたのだが終わってみれば相手の自爆というあっけない幕切れだった。肩から提げたドラムバッグに詰め込まれた武器の数々もほとんど使うことなく、幾らかの魔力と数発の弾薬を消費しただけで終わってしまった。
サーヴァントという規格外の霊体で内側から強引に破壊された結界は侵入するのに容易く、行く手を阻むはずの数々の魔術的トラップも機能不全、敵マスターもサーヴァントに裏切られて虫の息、例えあの場に白羽が居なくても火に巻かれて死ぬか、別のマスターに襲われて死ぬ未来しかアトラムには残されていなかっただろう。
準備は入念にやっていたようだが、肝心のサーヴァントに裏切られては話にならない。白羽としても他人事ではないので教訓として受け入れ、顔見知りであったアトラムの死を糧とした。
夜半から降り始めた雨は止むことなく、しかし強まることもなく静かに降り続けている。手がふさがるのを嫌って傘を差さずに歩いている白羽の体はすでに全身しっとりと塗れていた。冬の冷たい雨は体を芯から冷やしていく。けれど彼女は顔色ひとつ変えずに夜の新都を誰の目にも留まらず歩いていく。程なく新都の一画にあるコインパーキングに着き、移動に使ったデミオに戻ってきた。
デミオの後部座席にドラムバッグを入れて運転席に入ろうとする前、白羽は何気なく動きを止めた。自然と口から溜め息が漏れ出る。冬の冷たい大気の中で溜め息は白く染まり、暗い空へと昇って消えていく。その様子を立香は何となく見詰めた。
「――まずは一人、か」
召喚初日にマスターを一人仕留められたのは僥倖で、幸先の良いスタートと言える。その事に何か思う部分があるのか白羽の口から言葉が漏れる。が、続く言葉は発せられることはなく言葉は白い吐息と一緒に消えた。
白羽はビルで区切られた新都の狭い空を見上げたまま、手をジャケットのポケットに入れてオイルライターを取り出した。ハチドリの刻印があるシンプルで飾り気の無いデザインで、使い込まれているのが一目で分かる古びたライターだ。反対の手もジャケットの別のポケットをまさぐるが、求めていた物の手ごたえが無い事で止まる。
「そういえば日本に来る前に吸い尽くしていたんだった……どうしたものか」
白羽は養父切嗣の影響、その後に師事した人物の影響もあって喫煙者である。といっても影響を与えた人物達ほどに吸う本数も頻度も多くはない。魔術的な呪具として使う時、独りでくつろぎたい時、そして今のように『仕事』で一区切りをつけた時に一服つけるのが彼女のスタイルだ。それはもしかすれば、古いタバコのキャッチフレーズにあるように人生に句読点をつける意味合いからかもしれない。
白羽がこれまでの人生全てをかけて挑む聖杯戦争であってもこのスタイルは変えるつもりはなかった。しかし冬木に来る前にタバコを切らしていたのをすっかり忘れていた。元々吸う頻度が低い事と、準備に追われていつの間にか忘れていたのだ。
タバコの銘柄に強いこだわりはない。何なら近場のコンビニで買ってきても良いが、白羽は日本の法律では未成年で間違いなく断られる。偽造した運転免許証を提示するか、簡単な暗示の魔術で誤魔化すという手段も取れるがタバコを買うためだけに危険な橋を渡るのは間抜けだ。しかし長年染み付いたスタイルを崩すのも座りが悪かった。
思わず口に出るくらいに困った白羽は手を未練がましく胸ポケットの辺りに持っていく。すると手ごたえがあった。取り出してみると求めていたタバコが出てきた。日本では馴染みの無いデザインのパッケージで、大きく『煙龍』と銘柄が表示されている。白羽には買った覚えのない物だ。
「……あー……そういえば、貰ったなあの人形師から」
白羽は聖杯戦争に向けて己を強化、鍛錬するため有用な魔道技術を求めてつい最近まで世界を飛び回っていた。その中でルーンにまつわる技術を求めた際にさる魔術師と接触し、対価としてある古刀の修復を手がけ大変喜ばれた記憶がある。人形師としても高名なその魔術師が去り際にサービスとして寄越した物がこのタバコだった。
何でも台湾製で職人が気まぐれで作った物らしい。その時は手持ちのストックがあったので吸う事なく、いつも着ているジャケットにしまいそのまま現在に至っている。その事を白羽は思い出したのだ。
せっかくだし、という気持ちで『煙龍』の封を切ってオイルライターで火をつけて一服つける事にした。
――不味い。タバコの銘柄にこだわりが無い白羽でも積極的に吸いたいとは思わない風味が彼女の肺腑に広がる。工場で製造される安定した品質の銘柄に慣れた身では職人の手作業で作られた物は厳しかったようだ。
別の世界線でとある死霊術師が吸うたびに世界への無常感を抱いてしまうと評したタバコの風味が白羽の肺腑を汚す。紫煙が加わり、より濃く白くなった吐息はゆっくりと空へと昇る。不味くても吸うのを止めない彼女は、デミオに背を預けて一時だけ気を緩めた。
これまで築き上げてきた聖杯戦争への準備、敵である他の陣営の動き、用意した各種武器のストック、考えるべき事柄は山のようにあってしかも制限時間つきだ。けれど、この一時だけは全てを忘れて肺に入る紫煙と顔に当たる雨の感触だけに身を任せる。火に包まれていた工房から出てきたので冷たい雨が心地よく感じられた。
「風邪ひいちまうぜマスター」
不意にすぐ傍からかけられた声に白羽は驚くことなく、首だけを動かして横を見た。いつの間にか居た緑衣のアーチャーが彼女のすぐ横に現れており、白羽と並ぶようにデミオに背をもたれかけている。アーチャーは身に纏っている深緑のマントに付属しているフードをかぶっており、表情はいまひとつ窺えない。けれど確かに視線は感じられ、それは彼女に向けられている。より正確には彼女の手元に集中していた。
思ったより早かったな、などと予想より早い帰還に内心感心しつつ、しかし表には一切出さずに口を開いた。
「報告して。仕留めた?」
「ああ、きっちり後腐れなくな。首とか耳とか証明出来るものがあったら良かったんだろうが、生憎とサーヴァントだと死体も綺麗さっぱり消えちまうから信じてもらう他はないんすけどね」
問題なくサーヴァントを仕留めてきたと言うアーチャーの報告を白羽は信用する。召喚初日のこの時点でマスターを裏切る意味など無いし、キャスター側から何らかの交渉を持ちかけられた可能性もアーチャーの戦闘スタイルを考えれば薄い。アトラムの工房に突入するのに集中して視覚共有で状況確認は出来なかったが、アーチャーの言動は問題ないと判断した。
「分かった信じる。こちらもマスターに止めを刺してきたし、初日から陣営を一つ潰せるのは幸先が良い。……ところで、吸う?」
「お、いいのかい」
「さっきから物欲しそうな目をしていた。それとも気のせい?」
「いいや、気のせいじゃないさ。そんなにバレバレな目をしてたのかオレ」
白羽が『煙龍』のパッケージを向けて勧めてみると、アーチャーはどこか嬉しそうに一本抜き取って口に咥える。そこに白羽がオイルライターで火が点けた。
オイルライターのレバーが引かれると本体のカバーが上がって、レバーが内蔵されたバネの力で勢い良く戻ればヤスリがフリントを削って火花が散る。着火した火にアーチャーは一瞬だけ目を白黒させたが、結局はそういう便利な道具だとすぐさま理解して咥えたタバコに火を点けた。
程なく空へ立ち昇る紫煙が二本になった。
「お、悪くないな」
「……本気? これ、現代の基準だと不味い分類なんだけど」
「そうかい? ドルイドが焚く香の類に比べればずっとマシだぜ」
アーチャー曰く、生前の育ての親がドルイド僧で魔術方面も齧っていたという。そのため薬用や祭事で乾燥させたハーブ類を焚き染めたり、煙を吸引したりする事もあったそうで、その時の物と比べれば『煙龍』の不味さは気になるレベルではないそうだ。
美味そうに『煙龍』を吸うアーチャーを見ていると、不味そうに吸っている自分が酷く損をしている気分になる白羽だった。その不味そうにしている顔を見られるのが何となく嫌だったので、アーチャーからを顔を逸らしつつ不意に思い浮かんだ事を口にした。
「アーチャー、貴方はなぜ聖杯を求めるの?」
「ん? 今聞くんすか、それ」
「今急ぎの用件は無いし、聞く時間はある。マスターとサーヴァントは必ずしも協力する必要は無いけど、協力したほうが勝率が上がるならコミュニケーションの意義はあると思う。後は利害の確認かな」
「勝つため、利害の確認のためっすか。徹底してるねぇマスターは」
実利一点張りの質問に呆れ半分で苦笑するアーチャー。それでも答える気はあるらしく、「そうっすね……」と呟きながら空を仰ぐ。釣られるようにして白羽も空を見上げる。新都の高層ビルで狭められた空は重苦しく閉塞感を覚え、低く垂れ込んだ雨雲もそれを助長させている。
空を二人して見上げてしばらく、白羽の咥えたタバコが若干短くなった頃にアーチャーは言葉を紫煙と一緒に口から漏らした。
「実のところ、どんな願いも叶える万能の願望器って物には疑いをもっているんすよ。世の中美味い話には裏があるって良く言うでしょ? ……ただ、万能とはいかずともちょっとでも願いが叶うならオレもおこぼれに預かりたいもんだ、って程度の気持ちで参加したわけですよ。――それで、マスターとしてはどうなんすか? 自分のサーヴァントがこの位の気持ちで聖杯戦争に参加しているってのは」
自らの発言を茶化すようにした回答をよこすアーチャーに、白羽は問題なしと判断を下した。
聖杯戦争に招かれる英霊は様々な願望を抱えて現世にやって来る。強者との戦い、誓いを果たすため、存在意義のため、等々動機や理由は英霊によって様々だ。このロビンフッドの名を襲名した青年の場合だと、万能の願望器には疑いを持っているが、わずかでもご利益があるならマスターのおこぼれに預かって懐を暖められればラッキーといった程度だという。
聖杯を心から望む真っ当な英霊が聞いたら怒りだしそうな動機だ。良くも悪くも小市民的な感覚で彼はアーチャーのクラスに収まったらしい。
このアーチャーの参加理由なら利害がぶつかる事はないだろう。もし違った場合でもその時に対応すれば良い。そのための令呪だ。聖杯を前にして主従が対立する可能性は減ったと判断した白羽は、デミオのドアを開けながらアーチャーに答えた。
「問題ない。利害がぶつからず、僕が求める戦力になるんだったらどんな動機でもね。さっきも言ったけど僕が確認したかったのはアーチャーと僕の利害が衝突しないかどうかだったの。乗って、ホテルに戻る」
「……りょーかいりょーかい、色々と素っ気ないねえマスターは。せっかくの美人さんなのに、そんなんじゃ男が寄り付かないぜ」
「それも問題ない。色恋を覚える事より戦闘技術を習得する方に意義を見出す人間だよ、僕は」
「そんなもんですか。もったいねえな」
白羽の答えに釈然としないままアーチャーはデミオに乗り込み、それを見計らって車は発進してコインパーキングを後にする。
新都に響くサイレンの音はまだ鳴り止まず、深く静かな夜に溶けていった。
Re:Fate/stay night ――雨と紫煙 了
今回の投稿はここまで。次回は未定ですが、本年中の投稿はないでしょう。
またストックが溜まり次第投稿いたしますので、どうかよろしく。