作:なっとう


オリジナルSF/日常
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彼女と僕は他人だった。「鳥になりたい」と彼女は言った。けれど、この世界に魔法はなかった。そんな世界で、彼女は僕にもう一つの夢を語った。

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「夢があるの」




 

 

 彼女と僕は、他人だった。たまたま入院中に病院内の庭を散歩していた時、僕は彼女に出会った。

 出会ったと言っても、僕が一方的に彼女の存在を知っただけの話で、彼女はまだ僕の存在に気づいてはいなかっただろう。

 

 車椅子に座り、点滴に繋がれた彼女は、僕と大差ない歳に見えた。父親らしき人物が車椅子を押していて、晴れ渡った空を見上げて楽しげに言葉を交わしているのを、足を止め、僕はぼんやりと眺めていた。

 

 綺麗な人だな、と思った。それ以上のことはなにも思わなかった。ただしばらく、その日から、僕は彼女をたびたび見かけるようになる。

 

 ある日のことだ。庭に出ていた彼女は一人だった。いつもは父親か母親か、それらしき人物の片方が同伴していたのに、珍しいこともあるもんだな、と僕は思った。代わりに車椅子のハンドルを握っていたのは、白くつるりとしたボディーの、頭部に三角形に配置された真ん丸の黒いレンズが特徴的な、介護用人型ロボットだった。

 

 鳥の群れが青い中を羽ばたいていくと、彼女は無邪気に笑顔を咲かせ、去っていく鳥の背中を指さした。周りには誰もいない。

 ただ、僕には彼女が「ああ、いいなあ」と言ったのが聞こえた。

 

 「鳥になりたい?」

 

 気づけば僕は彼女に近づき、そう問いかけていた。車椅子の隣に立ち、彼女と同じに遠くに去って行く鳥を見上げた。

 

 急に見知らぬ人に脈略のない声をかけられて、彼女がどんな反応をしたのか、それは分からない。僕は空を見上げていたし、車椅子は音を立てなかった。介護用ロボットも沈黙していた。

 

 一拍置いて、彼女はぽつりと言った。

 

 「そうね、鳥になりたいのかもしれない。わたし、鳥になれると思う?」

 

 視線を下ろすと、彼女の澄んだ瞳が真っ直ぐに僕を見つめていた。

 

 こういう場合、どう返事をするのがいいのか分からなかったが、僕は頷いた。

 

 「きっとなれるよ。君は綺麗な声をしているから、美しい歌を唄うだろうね。僕はそう思うな」

 

 「あら、そう? そんなこと言う人、初めて」

 

 彼女はくすりと笑った。

 

 その後しばらく、僕と彼女は会話を楽しんだ。

 

 大したことはなにも話していない。お互いがどうして病院にいるのかも、どうして今日は彼女一人で庭に出ているのかも、今まではどんな暮らしをしていたのかも、なにも。お互いの名前さえ、僕と彼女は伝え合わなかった。

 

 空を流れる雲について話したり、風にくるくる回って地面を踊る落ち葉について話したり……そういったことしか話していない。

 

 僕らの会話に、今流行りの芸人や歌手、俳優の話なんかも出なかった。小説も、音楽も、絵画も、映画も、僕と彼女の話題に上がることはなかった。

 

 ただ、それでも僕と彼女は楽しいひとときを過ごした。

 午後の日差しのように暖かな彼女の笑顔に、つられて僕も笑顔になった。自分たちが病院にいるということを忘れ、僕と彼女は笑い合った。

 

 「オ時間デス。散歩カラ帰リマショウ」

 

 不完全な、人間に似た音声で告げられた介護用ロボットの言葉で、僕と彼女のそんなひとときは終わりを迎えた。

 

 別れ際、彼女はこちらを見て微笑んだ。

 

 「明日、午後二時三十分。わたしはここに来る予定なの」

 

 返す言葉は決まっていた。

 

 「僕もその時間にここに来るつもりなんだ。じゃあ、明日も会えるかもね」

 

 「もし会えたら、きっとまたいろんな話をしましょう」

 

 そう言い残し、車椅子に座った彼女は介護用ロボットに押されて行った。

 

 それからは天候が許す限り、僕と彼女は決まって午後二時三十分に会い続けた。庭を眺め、風の音に耳を澄まして、蟻の行進を見守った。

 

 やはり彼女はいつも一人で、黒い三つ目の白いつるりとした介護用人型ロボットが同伴していた。父親らしき人物や母親らしき人物の姿を見かけることはなくなった。

 

 彼女もまた、両親らしき人物についての話はしなかった。

 

 恐らく、彼女の両親は、彼女が初めて庭へ介護用ロボットを伴って来た日には、既に亡くなっていたのだろう。

 もしかしたら多忙だとか、転勤したとかで、ここに来れなくなったのかもしれない、という考えは、半年を過ぎた頃には抱かなくなった。

 

 半年が経つ頃、彼女は自分の二本の足で立って歩き、車椅子を必要としなくなった。同時に、いつも彼女の傍らにあった点滴も見ることがなくなった。

 

 「歩けるようになったんだね」と言うと、彼女は苦笑いして、「治療の関係で、安静にしていなきゃいけなかっただけなの。だから、歩こうと思えば歩けたのよ」と言った。

 

 介護用ロボットは相変わらず彼女の散歩に同伴していたが、僕と彼女の会話の終わりを知らせる役割だけを淡々とこなしていた。

 もはや彼女に介護用ロボットは必要ないように思えたが、介護用ロボットを伴っている理由を彼女に尋ねるようなことはしなかった。

 

 「オ時間デス。散歩カラ帰リマショウ」

 

 その言葉を繰り返すだけだった。

 

 僕らはまた明日と約束して、それぞれの病室へ戻った。

 

 そうして気づけば、一年が経っていた。

 

 

 

 「わたしね、あと一年くらいで、死んでしまうらしいの」

 

 とある晴れた日、いつもと変わらず元気そうな彼女はそう言って、小さな一輪のたんぽぽを摘んだ。ふうっ、と息を吹く。白い綿毛が飛んでいった。

 

 沈黙が落ちた。裸になったたんぽぽを捨てた彼女の眼差しが、真っ直ぐに僕を捉えていた。

 綺麗な瞳だ。こんな時だと言うのに、僕は頭の片隅でそんなことを思った。

 もしかしたら、彼女の告白を、脳が拒絶しようとしていたのかもしれない。

 

 だけれど、彼女はそれを許してはくれなかった。

 

 「わたしね、病気なの。不治の病、というのかしら」

 

 初めて聞く話だった。それも、当然だ。今まで僕と彼女の間に、お互いのことに関する話題なんて一度として出たことはなかったのだから。

 名前さえも知らない彼女から初めて聞かされた彼女自身のことが、余命一年だということなのは、ああ、あまりにも受け入れ難いことだった。

 

 僕はまだ、君のことを何も知らないのに。

 

 何を言えばいいか分からない。胸の思いを言葉に出来ない。

 僕は無様にも固まってしまっていた。

 

 「急にこんな話をして、ごめんなさい」

 

 目を伏せて、彼女が言う。僕は慌てて、謝らなくていいよ、とだけなんとか言った。

 

 「ありがとう」と彼女は笑う。その笑顔を見て、本当にあと一年で死んでしまうのだろうか、と思わずにはいられなかった。けれど同時に、その笑顔に「ああ、本当に死んでしまうのだ」と確信めいた予感を抱く僕がいた。

 

 信じたくなかった。それでも否定することは出来なかった。

 彼女がそう言っているのなら、僕はそれを受け入れるしかない。

 

 そこに至ってようやく、僕は平静を取り戻した。彼女の瞳に、強い意志が宿っていることに気がついたからだ。そして、きっとそれは彼女が僕に望むもの。彼女が僕に告白した理由。今僕がすべきことは、その意志を聞くことだ。そう感じて、そう信じた。

 

 「夢があるの」

 

 「夢?」

 

 「そう。夢」

 

 語り始めた彼女は、出会ったあの日と同じように、空を見上げた。鳥の姿はない。青がどこまでも続いていた。

 

 「一つの夢は、鳥になること。でも、これは無理ね。だってわたしは魔女じゃないから。この世界に魔法はないから。だから、これから話すのはもう一つの夢。聞いてくれる?」

 

 「うん。聞かせて欲しい」

 

 「ありがとう」

 

 微笑み、彼女は僕に教えてくれた。もう一つの夢を。

 

 それは、彼女の望む死の形の夢だった。

 

 「木の根もとに埋めて欲しい」と彼女は言った。「その木はわたしを食べる。わたしはその木の一部になる。死ぬけれど、消えはしない。これって、とても素敵じゃない?」

 

 ああ、素敵だ。僕は答えた。きっと約束する。君が死んだら、とびきり大きな木の根もとに埋めよう。

 

 ありがとう、と彼女は笑った。

 

 「オ時間デス。散歩カラ帰リマショウ」と介護ロボットが告げる。

 

 

 

 あれから数ヶ月後。僕は既に退院していたが、できる限り彼女の見舞いに行っていた。

 そして今日は、彼女が退院する日だ。本当なら病院で安静にしていた方がいいらしいのだけれど、彼女の希望で、治療は打ち切りになった。残り数ヶ月の余命が縮むかもしれない、と医師は硬い表情で言っていたが、彼女は気にしていない風だった。

 

 これから彼女と僕は旅に出かける。

 とびきり大きな木を探す旅に。

 

 「お待たせ」

 

 「うん。じゃあ、行こうか」

 

 「ええ」

 

 彼女が眠る木を探す旅に。

 

 

 彼女の夢を叶える旅に。

 

 

 

 




読んで下さりありがとうございました。感想・批評・評価、どのようなものであれ頂けると作者が血涙流して喜びます。よろしくお願いします、、、

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