無免ヒーローの日常   作:新梁

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感想欄での宣言通り芦戸と心操の関係が若干進みます。あと次回で秋冬編が終わります。焼き芋やるとか言ってたけどごめんよ、焼き芋やれなかったわ……覚えてたら来年やるから……覚えてっかな……

今回のあらすじ
心操「あれ、またオレ何かやっちゃいました?こんくらい無免達では割と初歩なんですけど」

リア10爆発46さん、誤字報告ありがとうございます。


第二十一話。二月下旬。恋する乙女(仮)

 結田府市。裏路地。

 

 

 

 少女は、自覚が薄かった。

 

 中学二年生のその少女は、その日塾に行っていた。その塾で高校受験の為の勉強を行っていた。彼女は学生達に人気のあるヒーロー科ではなく普通科を受験するつもりであったが、しかし少女は自分の夢の為にかなりレベルの高い高校を受験するつもりでいた。だから少女はその日遅くまで勉強をしていた。そして塾が終わった後には、同じ場所で勉学に励む同級生達と談笑などをして、十数分後に笑顔で手を振って別れた。

 

 少女には、己が弱い事への意識が無かった。

 

 否、そんな意識を持っている人間など治安の悪いこの超人社会とて多くはないだろう。皆が皆、自分は大丈夫だと考えて、いや、そんな事を考えてすらいない。となれば意識的な条件は同じと言える。

 

 だからこそ、この状況を語るべき言葉は。

 

「──よぉ、オジョーチャン。こんな夜に何してんだい?」

「っひっ……だ、誰っ……」

 

 ……少女には、運が、無かった。

 

「もう十時過ぎてるよぉ? あんまり夜遅くに出歩くのは良くないねえ」

 

 路地裏から聞こえてきた声に少女は悲鳴混じりで誰何するも、それとほぼ同時に後ろから肩に手を置かれる。それを振り払いながらパッと振り返ると、そこにはニタニタした嗤いを隠さない犬面の男が居た。

 

 本来愛嬌を感じるはずのその顔は、生臭い口臭と目に溜まった不潔なヤニにより不快感しか感じないものになっている。

 

 少女は再び肩に置かれそうになった手を悲鳴を上げながら避けて走り出す……が、

 

「お、っとぉ? 何だよ。胸に飛び込んでくるとは、俺みたいのがお好みかぁ?」

「ひっ……」

 

 少女が逃げようとした先にもまた、大柄な男が居た。そこで少女は自分の周囲を見回し、自分が四人の男に囲まれている事を知った。否、路地裏にいる者を含めれば五人か。

 

 少女は大柄な男から離れるがそれを許さないとばかりに力強く肩を掴まれ、その痛みに軽く呻いて身をよじらせるがその手は離れない。どころかますます肩に指を食い込ませる力は強くなるばかりだ。

 

「い、やっ、離……し、てっ!」

「んー、ごめんねぇ。ちょっとオジサン達の相手してくれたら離してあげるからねえ」

「記念写真は撮らせてもらうけどな」

「嫌……っ! 離して! 離しっ!?」

 

 考えうる限りの『最悪』を眼前の男達に見た少女は抵抗を続けるが、不意に身を竦ませる。もがく自分の眼の前に立っていた先程の犬面が突きつけてきた掌から紫電が迸ったのだ。

 

 その明確な暴力の気配に思わず抵抗をやめてしまった少女を見て、犬面はゲラゲラと嘲り嗤う。その間にも少女はズルズルと路地の奥へと引きずられていく。

 

「そうそう、オジサン達もね、ボーリョク嫌いだからね。大人しーくしてくれてたら痛い思いはあんまりしないで済むからね」

「ホップ」

「そうそう。折角なんだしお互い気持ちよくやらなきゃな! ギャハハハ!」

「ステップ」

「あーさてさて! では恒例のかばんチェーック!! スマホはっけーん! はいぼっしゅー! 後で暗証番号教えてねーっと」

「ジャンプッ!!!」

「あ? 何ヘボブッ!?」

 

 ………………少女の運は、尽きてはいなかった。

 

 少女を拘束する男の頭上を通り過ぎ、少女のカバンをチェックしていた男に強かに飛び蹴りをかました、ジャージ姿の少年。少女はその顔に見覚えがあった。

 

「し、んそう……くん?」

 

 心操人使。少女の通う結田府中学校において色々と悪名高い同級生。

 

 曰く、個性の『洗脳』を使い様々な犯罪を行なっている。

 

 曰く、その犯罪で得た金で一人暮らしをしている。

 

 曰く、心操のあまりの悪辣さに両親は逃げ出した。

 

 曰く、学校一の人気を誇る元気系美少女、芦戸三奈を洗脳でモノにした。

 

 ……等、嘘か本当かもハッキリしない噂が立っては消える、間違っても少女のような普通の人間は決して近づかない方が良い男だ。

 

「って、テメェっ! 何しやがんだ!」

「何って……『性犯罪撲滅チョップ』に決まってるだろ。さっき技名言ったのに聞いてなかったのか?」

 

 絶対言ってなかったし絶対チョップじゃなかった。少女はそう思ったが彼女にとっては心操も男達も怖すぎて何も言えなかった。

 

「……ッハ、もしかしてあれか? カレシくんってやつか? さっき名前言ってたもんなぁ? ……まあ黙って見てろよ。全部終わったら返してやるから。あ、それとも一緒にやるか? ハッハ!」

「その子とは初対面だしお前は一回死んどけパンチッ!」

「ハッハボロブッオフッ!!!」

 

 倒れた男の横に居た笑う男、その側頭部に回し蹴りが叩き込まれる。ズパァン! と少女が聞いたこともないような音が裏路地に響き、遂に現状を認識した男達は少女を放り出して心操に襲いかかった。

 

「テメェ! いきなり出て来て何勝手してんだゴラァ!」

「困ってる人を見捨てないのが心操流だから……なッ!」

 

 心操は一人目の男が個性を発動して肥大化させた腕で放ってきた大振りのパンチを顔だけ反らして避け、どう考えても架空の流派名を高らかに叫びながら伸び切ったその腕を捕らえて思い切り関節と逆方向に曲げた。

 

 バキン! と痛ましい音が周囲に響き、同時に発せられた男の絶叫に少女は思わず耳を塞ぐ。心操は地面を転げ回る男を見もせずに顎を正確に蹴り抜き意識を奪った。

 

 心操が見せた鮮やかな、しかし凄惨な技に思わずたたらを踏んだ二人目の男。心操はその男の腕から刃物が生えているのをチラリと見た後で男の脚に蹴りを入れ、男がバランスを崩した瞬間刃物の生えていない襟首を掴んで壁に叩きつけた。顔面から建物の壁に突っ込んだ男は鼻口からおびただしい血を吹き出してそのまま倒れ込む。

 

 三人目、最後に残った犬面は、このバケモノに対し自分達では敵わないとようやく悟り、地面にへたり込んでいた少女を乱暴に掴む。

 

「ヒッ!?」

「……っお、オイッ! おま、お前っ! それ以上近付くな! 良いか! それ以上近づいたらこの女が、どうなるかっ! 分かったらっ、手を上げろ!」

 

 そう言って掌に電気を走らせる犬面。息一つ乱していない心操は犬面を殺さんばかりの目でギロリと睨みつけながら、しかしその場で立ち止まり、腕を上に挙げた。その代わりのように、口を開く。

 

「……これで良いだろ。その子を離せ」

「……は、ハハッ! ホントに止まりやがった! 馬鹿じゃねえの!? ビビってっ………………」

 

 勝ち誇ったような顔をした犬面が一転、何も考えていないような間抜け顔に変わる。少女はそれを見て、察した。これが彼の『個性(洗脳)』だと。そして同時に戦慄した。彼は本当に個性を一切使わずにこの五人の男達のうち四人を倒してしまったのだと気が付いたのだ。それも少女が居なければ、五人とも倒せていた事は想像に難くない。

 

「……その子を、離せ」

 

 二度目の命令。今度は犬面はなんの口答えもせず、感情の抜け落ちた顔で静かに少女から手を離した。心操はそれを確認してから路地の端を指差して「そこで腹筋でもしてろ」と命令し、他の四人の四肢を拘束し始めた。

 

 モノが違う。レベルが違う。立っている場所(ステージ)が違う。武道どころか誰かを殴った事さえ無い少女ですらそう思うほど、この裏路地において心操は強大で、圧倒的だった。

 

 やがて洗脳にかかった男を含めて5人全員の拘束が終わり、心操は少女の方をチラリと見た。

 

「……えっと、あー、答えにくかったら、頷くとかで伝えてくれ。今からこいつら警察に突き出すけど、良いよな?」

「あ、はい、良いです……」

 

 何も考えずに返事をしてから少女は気が付いた。彼はどうやら自分の個性を考えて気を使ってくれたらしいと。それが何だかおかしくて、気がほぐれた少女は「た、助けてくれてありがとうございます!」と頭を下げた。心操はそれを見て、驚きつつも別に大した事じゃない、と言った。驚きで少し見開かれた三白眼が、少女にはとても新鮮に見えた。

 

「────ええ、はい、二丁目三番の五号で、はい、塾の通りの、はい。お願いします。分かりました……はい……」

 

 心操は警察に経緯を伝えた後、路地の端に落ちていた少女のカバンを取って少女に渡した。

 

「あ、ありがとうございます……」

「ああうん、いや……家に電話したら? もう結構時間経ってるし、家どこか知らないけど心配してるんじゃないか?」

 

 そう言われ、少女は携帯を取り出して液晶を見る。携帯の通知欄には家族から大量のメッセージと留守電が入っており、少女は泡を食って電話をかけ直した。電話が繋がってすぐは怒りを滲ませていた両親も、少女の話を聞くとすぐに不安げな声に変わり、この現場に急行する事となった。

 

「……えっと……」

「こっちまで聞こえたよ。良い人だな、アンタの親は」

「あ、ありがとう……」

 

 それから警察が来て少女の両親が来て、てんやわんやの大騒ぎとなった。そしてその間心操は先程までの気迫はどこに行ったかと言う程に力の抜けた、ボケっとした顔で毒にも薬にもならないような話を少女とし続けた。

 

 それが、自分にあの男達の悪意を思い出させないための気遣いであった事を少女が知ったのは風呂に入って一人きりになった時。

 

 

 

 心操宅。人口過密。

 

 

 

「はえー、そんで休学二日な訳か。成程な!」

「学校もう大騒ぎだよ! 『心操停学!? ついに足が付いたか!』って話も聞かずに騒いでる奴等と、『暴漢撃退? 心操って良いやつだったの?』ってちゃんと話聞いた奴等が朝から放課後までずっとウワサ振りまいてる!」

「マジかよ……学校行きたくねえ……! 絶対今の俺パンダじゃねえか!」

 

 結田府中学校の同級生、切島と芦戸の学内情報に心操は頭を抱える。

 

 心操は警察に事情を説明し、少女も被害者サイドから心操の擁護をしてくれたお陰で過剰防衛等の疑いは晴れていた。しかし学校からは学内の混乱を防ぐためという事で一日ないし二日の休学を願われ、心操自身も自分の学内での立ち位置など嫌というほど分かっているのでこれ幸いと二日の休暇を満喫していた。

 

「しーっかし人使、お前……期せずして大金星だな」

「ほーんと。アンタがブチのめしたグループの持ち物検査したら色々出てきまくってるって! アイツらはまあ端っこなんだけど、根っこを追えば追うほど出てくる出てくる。脅迫、強請り、集り、売春斡旋、何でもありの社会の癌ね……警察は尻尾切りされる前に根絶やしにするみたいよ。だからほら、ニュースにもなってないじゃない?」

「勘弁してくださいよ二人共……俺はただロードワークの最中に襲われてる女の子助けただけですって」

 

 自分達の街でこんな無法が起きていた事が許せないのだろう、苦い顔をしたデステゴロと岳山が他のヒーローと協力してパトロールを強化すると気炎を上げていた。そして謙遜……というか本気で面倒臭がっている心操に対し、爆豪、発目、シュタインが冷蔵庫を荒らし回りながら声をかける。

 

「自分のやった事を低く見んな。正当に評価して正当に称賛されりゃいいだろが。何が嫌なんだ……チッ、そのまま食えそうなのはチーズと塩辛だけかよ。シケてんな」

「そーですよ人使さん! あ、アイス発見! んもぐ、ふふふんふーふむんむんんむふあむんむ! まんむむんんむま!」

「人使の思ってる以上に事態が大きくなったのは確かですけど……あ、デッドチキン発見♪ 出久、これも焼いて下さい……あれ、何の話でしたっけ」

「うん、お前らだけは本ッッ当に何なのお前ら? 山賊? 山賊なの?」

 

 心操のごく真っ当な文句を聞き流す三人。台所から身体を出してシュタインからチキンを受け取った出久は「でも本当に無事で良かったよ」と言ってから心操に一つ尋ねた。

 

「……ちなみにお父さんお母さんは、なんて?」

「うん? ああ……まあ、『無事で良かった』とだけはまあ、メールで」

「そっか。本当にそうだよね……良かったよ。せめて今回だけでも、人使君もその子も、罪の無い人が誰も傷つかなくてさ……今まで被害にあった人には申し訳ないけれど」

 

 そう言う緑谷に、デステゴロと岳山がツッコむ。

 

「おい出久、その心は立派だが、お前が申し訳なく感じる必要は無いぞ。背負わなくていい責任まで無理に背負うな。そいつは俺達のモンだ」

「そう! 出久だけじゃないわよ。アンタ達も全員! こんな事があったからって深夜のロードワークを増やそうとか怪しい廃墟にちょっと入ってみようとか、そういう事は考えないように! ……私達の不甲斐なさを棚に上げて何言ってんだ、って思うかもしれないけど……アンタ達はまだ守られて良い立場で、守られるべき立場なんだからね!」

 

 無免達六人が返事をしたのを確認して、現役のヒーロー二人はコクリと頷く。

 

「人使、とにかく今回はお疲れ様だ。俺達もパトロールルートの見直しとか活動時間の調整とか出来る事はやるから、お前もちゃんと日常に戻れよ。最近はクラスに馴染めてきてるんだろ?」

「ばっ、おま、何でそれを!?」

「ふっふん、女の子の情報網は凄いのよ! ……あ、それと! もうこの場で言っとくわ! 私次の四月から独立ヒーローとしてデビューするから!」

 

 ババン! と胸を張ってそう宣言した岳山に、(爆豪除く)全員から拍手が送られる。

 

「へえ! おめでとうございます岳山さん!」

「巨大化ヒーロー岳山かぁ。超馴染む名前ッスね!」

「スゴーイ! ヒーローコス今度見せてくださいよ!」

「巨大化ヒーロー岳山……いい名前です!」

「いやヒーロー名岳山じゃないから! 今はまだ内緒だけど!」

 

 何度も「違うからね!」と言う岳山をからかいつつ無免達は緑谷の指示でテーブルを片付けて中心にガスコンロを二つ置き、そこに緑谷が家から持ってきた大きな二つの土鍋を置く。シュタインの前には酒と良い加減で焼色のついたデッドチキンが置かれている。

 

「……じゃあ先生、お願いします」

「はいはい……じゃーまあ、人使お手柄って事で。頂きます」

『頂きますっ!』

 

 そう言って開かれた土鍋。そのくつくつと煮える中身は、鶏肉と大根、タラに白菜、人参に豆腐、もやしにしらたきと定番の具材がちょっとだけピリ辛のスープで煮込まれた、緑谷特製の具材たっぷり旨辛寄せ鍋である。蓋を開いた瞬間フワリと部屋に広がる食材の香りにその場に居る全員の顔が綻んだ。ちなみに鍋は二つとも同じ内容である。なぜ二つあるのか? 大人(食事)用と子供(戦争)用です。

 

「……っくう……! 美味そうだな……!」

「人使君、器貸して。今日の主役だし一番に入れてあげるよ」

「ん? おお、悪いな……」

 

 緑谷は心操から器を受け取り、しらたきと豆腐と大根ともやしを入れて心操に渡した。そしてすぐに自分の器をとってタラと大根と人参と鶏肉を入れる。

 

「…………なぁ」

「ま、お疲れさん。結田府の事は俺ら二人に任せて、とりあえずゆっくりしてろよ」

 

 そう言って切島が心操の器に豆腐を追加する。

 

「ちょっ、と」

「心操の勇気と行動にカンパーイ♪」

 

 芦戸がさらに豆腐を心操の器に投入した。心操の器は大量の……いわゆる脇役で山盛りになっている

 

「お前ら……!」

「それ食い終わるまでおかわり禁止だかんな」

「やってやんよこの野郎おおおおおっ!!!! あっ! あっつ! 豆腐あっつ! 畜生!」

 

 爆豪の一言で奮起し腹に溜まりにくい豆腐類が山盛りにされた器に挑みかかる心操。それを見ながら残りの五人は優雅に(ここでの優雅は流血沙汰にはなっていない事を意味する)鍋をつつく。

 

 ここでも当然のように3つ用意された玉じゃくしで鍋の中身を取り合いつつ、彼らは雑談に興じる。

 

「けどホント、結田府中は折寺とは違うよね。そういう事件がいちいち話題になるところとか」

 

 緑谷は芦戸の取ろうとしていたタラを横からおたまで掻っ攫いながら芦戸に向かってそう言う。そのおたまを芦戸が自分のおたまで押さえつけ、その隙にタラを菜箸で華麗に盗み取った切島が緑谷に殴られた。

 

 しかし修行の結果が出たか、ガツン! と硬質な音はするものの緑谷の打撃に身じろぎもしない切島だったが、そこから魂の波長を叩き込まれて、バヂン! という音と共に机の後方に弾き飛ばされた。緑谷は菜箸から離れ空中を飛んだタラを器でキャッチし、再びおたまを持とうとしたがおたまは発目に盗まれていた。

 

「……ってて、いやそれアレだぞお前、折寺が異常なだけで俺らの中学は普通だぞ。なあ芦戸?」

「……普通だよ。普通だけど、もうちょっと他人に理解があってもいいと思う」

 

 爆豪と発目が鶏肉を巡って熾烈な争いを繰り広げる中端の方であぶれた具材を取る芦戸はついに豆腐を食べきって鍋戦争に参戦する心操をボヤッと見ながら溜息を吐いた。

 

「……だって、心操は学校の中でも外でも、本当に悪いことなんてしてないんだから、っ、なのに、誰も心操に近づかないんだからっ!」

「ああ、そう思ってくれるのはっ、ありがたいん、だ、けどっ、それより肉を寄越せっ!」

「いや!」

「俺まだ一欠片も肉食ってないからッ!」

「切島の取ればいいじゃん!」

「えっ何で俺?」

 

 菜箸でカツカツと鶏肉を取り合う芦戸と心操。芦戸は心操を慮るような言葉を言うものの肉を譲る気は一切無いらしい。芦戸に視線を誘導された心操の頭がグリンっ、と切島の方を向く。そのなんかヤバげな動きに切島は普通にビビった。

 

「……切島ぁ」

「……なっ、何?」

「肉を寄越せ……!」

「渡すかクッソオオオオオッ!!!」

 

 切島と心操のガチ殴り合いが勃発する。硬化で防御は固めるがまだまだ一撃一撃が甘い切島と立ち回りにおいて圧倒的に上だが切島の防御を抜けられない心操の何も得られない哀しき戦いだ。

 

 それを見ながら出汁の染み込んだ、噛めば身がホロリと崩れるタラを貪っていた緑谷は今日は発目がやけに大人しい事に気が付いた。チラリと辺りを見回すと……

 

「なぁ、出久がせっかく大人用の鍋と子供用の鍋に分けてくれたんだからお前はあっちに参加するべきじゃないのか? なんで俺達の鍋の中身半分をお前が食べてる?」

「まあまあ……んまぐ、私、白菜好きなんですよね……甘くて美味しいしどんな鍋にも合いますし!」

「そうか。戻れ」

「デステゴロ、私みたいなか弱い女の子にあの戦場に戻れっていうんですか?」

「そうだな戻れ」

「おじさん」

「明、これも食べるかい?」

「おいこらメガネお前」

 

 緑谷は黙って見なかった事にした。

 

 色々と気が抜けてしまった緑谷は、ため息を一つ吐いてから食卓に向き直って殴り合いになっている切島と心操の顔面に食卓越しの掌底を叩き込み、床に沈んだ二人のおたまと菜箸を強奪する。

 

 その隙を見逃さずに鍋の中身を軒並み掻っ攫おうとした芦戸の顎を摘んでガクリと大きく揺さぶり、脳を揺らして静かに意識を刈り取り二人と同じく床に沈める。一人残った爆豪と見つめ合い、鍋の残りを見て、二人は視線だけで停戦協定を結んだ。爆豪も発目が今どこに居るのかは把握していたが、シュタインに挑めば負けて飯を食えなくなるのは間違いないので今は静かに鍋をつついていた。

 

「……ふぅ」

「デク、シメは」

「うん? おじやにしよっかなって思ってるよ」

「出久さん、こっちもお願いしますー」

「本当にこの土鍋の半分食べたわね……」

 

 そんな訳で心操お手柄鍋パーティーはつつがなく終了し、緑谷に気絶させられた心操を放り出して無免プラス本職ヒーロー達はきれいに後片付けをして家に帰っていった。デステゴロと岳山は腹をさすりながら張り切ってパトロールへと出掛ける。

 

 

 

 そんな思いやりにあふれた鍋パーティーから数週間が立った頃の放課後。芦戸は帰りにばったり会った一人の少女に呼び止められていた。

 

 

 

「私に話って、何?」

「……」

 

 芦戸の目の前に居るのは、心操が助けたという少女だ。見てみると小柄で儚くて大人しそうで、芦戸とは真反対を行くような少々地味だが正統派な可愛い系美少女であった。

 

 芦戸の言葉に返答がないので、それを待つついでに芦戸は少女の観察を続ける。透けるような白い肌、華奢な手足、手触りの良さそうな髪。芦戸は例の暴漢事件について、学内で未だに心操黒幕説が根強く残っている理由を何となく察した。

 

 きっとこの少女は学内で人気の娘なのだ。それを心操が劇的に救ったから……つまりは、心操に対する嫉妬から出た噂だ。芦戸は心の中で得たその結論に軽く鼻から息を吐いた。

 

(……けどまー、見れば見るほど私と正反対だ……)

 

 芦戸は自分の身体を見る。

 

 透けるどころかインクでも溶かしたかのようなピンク色の肌。

 

 ここ最近の地獄じみた特訓でついに筋がくっきりと浮かぶようになってしまった手足。服の下にはカサブタが万遍なくついており、服から出ている指先なんて爪から泥が落ちなくなってしまった。足も同様。

 

 髪はそう手入れを欠かしては居ないので荒れてはいないが、そもそも天然のウェーブはどうしようもない。枝毛は無いが、指通りは、まあ普通に、悪い。

 

 芦戸はやたら筋密度の増した自分の腕を何となしに触りつつ少女の言葉を待った。しかし少女からは、何も聞こえない。

 

「……えー、っと……何も無いなら、また今度〜……じゃ、ダメ?」

「……」

「……えと、私、帰っていい? あんまり遅くなるのも……ホラ、さ。ね?」

 

 目の前の少女が巻き込まれた事件を引き合いに出す事も流石に出来ず、言葉を濁しながら曖昧に笑う。そうして遠慮気味に立ち去ろうとした芦戸に、少女がついに口を開いた。

 

「……っ芦戸……さんは、心操君とっ……つ、付き合ってるんですか」

「ゴホッ!?」

 

 芦戸は全く意図していなかった話題に思い切りむせる。

 

「……やっぱり、付き合ってるんですね」

「ゲッホ! ゴホ、え、ゴホッ、いや付き合ってないよ!?」

「……本当ですか!?」

「うん、本当……」

「なっ、なら……!」

 

 少女の口から出た────心操君って付き合ってる人とか居るんですか。その質問に、そしてそれを聞いてきた少女の頬を染めた表情に、芦戸の身体はギシリと動作不良を起こす。えっ、とかあっ、とか、変な音を数度出した芦戸の口から出た言葉は……

 

「…………し……心操とはそんな話したことない……から……ごめん、分かんないや」

 

 芦戸のその言葉は間違っていない。まるで間違っていない。芦戸と心操の間ではそのような話題など一度も出た事は無かったし、芦戸はそういった人物を見た事も無い。だから芦戸の言葉は間違っていなかった。しかし……

 

「……そう、ですか」

「ご、ごめんね? 役に立てなくて……んじゃね」

 

 ……あの。あの心操に。気の毒になるほどに周囲と関わりを持たないキングオブロンリーな心操人使に彼女などまかり間違ってもいる訳が無い事を芦戸は伝えなかった。

 

 芦戸は少女に呼び止められる前にと足早にそこを立ち去る。そして荷物を背負い直し、下駄箱で靴を履き替え、校門から外に出る頃には芦戸は駆け足になっていた。

 

 心操の事を聞いてきた少女の顔が何故か頭から離れない。

 

 こんな時でも以前に増して鍛えられた体幹はブレず、呼吸の乱れも少ない。芦戸は走って帰ってきた自宅の玄関にカバンと上着だけを放り出し、制服のまま再び街を走り出した。

 

 何故こんなにも動揺しているのか。何故こんなにも自分は焦っているのか。芦戸にはよく分からなかった。

 

 街中を尋常ではないスピードで駆け抜ける芦戸。その心の中では絶えず自問を続けていた。なんで、なんで、なんで。明確な意味を持たないそんな言葉だけが脳裏を去来して、答えはどこからも聞こえない。

 

『アシミナさあ、心操の事好きなんじゃん?』

 

 親友の言葉が胸をよぎる。

 

 その言葉に、どうしても実感が湧かない。

 

 

 

「……はっ、はっ……はぁっ、はぁー……っ……」

 

 

 

 数十分の間走り続け、限界まで上がった息を抑えつけるように膝に手を当てて肩を上下させる。いつの間にやら折寺方面の海岸に来ていた芦戸は、もうほぼ見えなくなってしまった夕日を見ながら二月の寒風に肩を震わせる。

 

 私何やってんだろ。そんな思いと共に正気に戻った芦戸は震えを抑えるように肩を抱えながら来た道を戻ろうとして────

 

「……おうい、何してんだお前。そんな格好で」

「……んあ、デステゴロ……」

 

 パトロール中だったデステゴロがその肩に自分の上着をかけた。

 

 

 

 コンビニ。七時前。

 

 

 

 すっかり暗くなってしまった中、芦戸はデステゴロに付き添われて帰り道を歩き、途中にあったコンビニに寄っていた。あんな事件があったから気を使わせてしまったな。芦戸がそう思うと同時にあの少女の顔が脳裏に浮かび、芦戸はため息を一つ吐いた。散々走っても迷いが一つも晴れなかった彼女はもうその幻影を振り払う気にもなれなかった。

 

 デステゴロに渡されたタオルで汗自体はかなり拭ったもののやはりびしゃびしゃに濡れてしまった服だけはどうしようもなく、芦戸の身体から容赦なく体温を奪っていく。そんな芦戸に、温かいカフェオレと肉まんが手渡された。見ると、自分でも肉まんを齧っているデステゴロが手渡してきたものだった。

 

「……あっ、ごめんなさい! お代払……あ」

「まさかとは思ったがやっぱお前財布も持ってなかったのか……もしかして携帯もか?」

「め、面目ないっす……」

 

 落ちこむ芦戸にデステゴロは、別に良いと手を振った。

 

「……デステゴロ」

「あん? どした?」

「……デステゴロって、恋とかした事あります?」

「……何か悩みだろうとは思ったが……そっち方面かよ……」

 

 

 コンビニから出て歩いている中、参ったとばかりに何度か頭を掻きむしったデステゴロは、芦戸の方を見ずに「……人並み程度にはな」と、言った。

 

「……デステゴロは、恋に落ちる時って……どんなんでした?」

「……………………何でんな事を?」

 

 デステゴロにそう聞かれた芦戸は、今日の出来事を話した。

 

 心操が助けた少女と話をした事。

 

 その少女がどうやら心操に恋をしているらしい事。

 

 その事を悟った芦戸は、何故か物凄く、物凄くそれに拒否感を抱いた事。

 

 …………自分が、心操に恋をしているのか、分からない事。

 

「……だって、恋って、もっとなんか、ドキドキするとか……ずっと相手の事考えちゃうとか……そんなんって聞いてて……私、心操の事ずっと考えてる訳じゃないし、話してても別にドキドキとかしないし……そりゃ面白いやつだって思ってるけど……」

「んで、他人のサンプルを聞こうってか」

「……私の友達は皆、私が心操の事好きだって言うけど……実感湧かないっていうか、いや好きじゃないけど? って照れ隠しとかじゃなく普通に言えちゃうっていうか……私、自分の気持が分かんなくて……」

 

 肉まんを食べながらの独白に、デステゴロは二つ目の肉まんを食べきってから「それ、何か悪いのか?」と、聞いた。

 

「……悪い? って?」

「お前が心操を好きかどうか分からんっつってんのが。好きかどうか分からんなら分からんで良いんじゃねえのか?」

「え、でも普通は恋ってもっと……」

「そこまで気にしなくても良いと、俺は思うがねぇ。大体、心なんて個性と同じだ。一般の型なんて有って無いようなもんだろ。お前にゃ明がいっつもときめきながら出久と話してるように見えるか? 出久は明の事大事にしてるが、アレが一般的な恋心か?」

 

 芦戸は黙って首を振った。即答であった。デステゴロはその頭を大きな手でワシワシと撫で回し、「あんな普通じゃない奴らが居るんだから、お前がどんな結論に辿り着いてもそりゃ誤差みたいなもんだろ」と笑った。

 

「デステゴロ……」

「普通とか一般とか常識とか、当てはまらん奴なんていくらでも居るさ。だからまずはお前自身の中にある『普通の恋心』って奴を見つけりゃ良いだろ。なっ?」

 

 デステゴロのその言葉を聞いて、内容を噛んで砕いて。芦戸は頷く。

 

 人の個性は十人十色。

 

『人としての個性』だって、もちろん十人十色。

 

 ……なら、恋心だけが一律では無い筈だ。

 

「……ん! そだね! 私、がんばります!」

「おう頑張れ頑張れ」

「で? デステゴロはどんな人を好きになったの? 良い感じの話したって誤魔化されないよ!」

「おまっ、良い感じの話してやったんだから誤魔化されろ!」

「デースーテーゴーロー!」

 

 いつからかは分からない。もしかしたら初めて話しかけたあの日なのかもしれないし、反対に今日この日が始めだったのかもしれない。それまで意識すらしていなかった芦戸にはいつからかはもう分からない。

 

 だから芦戸はこの日からと自分で決めた。

 

 今日から芦戸三奈は、恋する乙女(仮)だ。

 

 

 

 ちなみに、この決心がもう既に心操が好きだと認めてるようなもんだと彼女が気がつくのは結構先の話である。

 




恋に恋する芦戸三奈が恋愛オンチとか何それ可愛い!女の趣味こじらせ過ぎ?うるせー!

散々心操主人公じゃないとか言ってましたけど最近はなんか緑谷と心操のダブル主人公な様相を呈してきたな……って思うこの頃(この先のプロットを確認しながら)。

後、原作に比べて心操の口数がやたら多いのは戦い始めてからいきなり話し出すとか怪しすぎるので普段から多弁を心掛けているからという理由があります。実は。

……いや別に作者が心操のキャラを作る時に心操人使と人吉善吉と古市貴之を足して三で割ったとかそんな事は無いですよ?いやホントに。

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