あの丘の向こう側   作:トマトしるこ

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序章
01 プロローグ


「見えたぞー!」

 

整備士達の声が聞こえる。勿論肉声ではなく、ヘッドセットが拾った音を愛機が教えてくれているだけに過ぎない。

 

眼下には自分の家で在り、職場で在り、欧州で人が生きるため無くてはならない城壁の一つ、祖国ドイツの首都、ベルリンが営みの光を辛うじて灯している。その中心に鎮座するのは国会議事堂……ではなく、人類軍欧州本部。

 

その敷地内に点在する滑走路の一つに着陸するべく、首都上空を旋回しコースを取り、徐々に高度を下げていく。小回りが効いて地に降り立つことができるISで、こんなことをする必要はないが、帰還する前に全方位警戒をせよという指示が出ているため仕方なくだ。

 

ブースターの火を消してPICによる慣性飛行に切り替えて低空を滑り、ふわりと浮かせて音もなく着地する。自分の後にガシャンガシャンと着地する部下達を置いて、先に愛機をハンガーに固定し装甲から身を離して飛び降りた。

 

傍に控えていたよれよれの白衣を来た技師の男から、出撃前に預けていた軍服の上着を預かり袖を通す。ISスーツと軍服の襟にばっちり刻まれた大佐の階級章は、俺の数少ない自慢の一つだ。

 

「ご苦労様です」

「ただの偵察だ。苦労も何もない」

 

そんなもんですかね? と首を傾げた技師の男は、通り過ぎる俺を尻目に部下へと声をかけるのだろう。

 

「報告には俺が行く。貴様らは昼食に行け。午後からは訓練に参加するように」

『了解しました』『了解』

「シロー。すぐに戻ってくる。それまでにシックザールのメンテナンスを終わらせておけ」

「了解です、隊長殿」

 

技師――シロー少尉の邪魔をしないように、あらかじめ伝えるべきことを伝えてその場を後にした。

 

勝手知ったるなんとやら。すれ違う部下達へ簡易な敬礼で返事し、この基地を統括する将軍の元へ軍靴を響かせる。

 

目的の部屋は上階にある。そこに近づくにつれて人がだんだんと減っていき、ドアをノックする頃には視界から人が失せていた。

 

「入れ」

「失礼いたします」

 

重厚なドアには「大統領室」と金があしらわれたプレート。中でペンを執るのは将軍なのだが、ここが議事堂だった頃の名残が、こうして各所に残っている。例えば、この大統領室…もとい、執務室内の本棚に納められたどうでもいい資料とか、歴代の大統領の写真とか。

 

ブーツの踵を揃え敬礼。そして休め。

 

「シュヴァルツェ・ハーゼ大隊、偵察任務完了の報告に参りました」

「ご苦労。成果はどうか?」

「周辺に機影無し。また、鉄材や鉱石も一週間前から減っておりません」

「従来通りなら、あと一週間は猶予があるな」

「はい。決行するなら、この一週間以内が適しているかと」

「そうだな。マシンの調整次第になるが、予定より早く実行できるよう支度は済ませておけ」

「はっ」

 

 

 

 

 

 

西暦2027年。一人の幼い天才がとあるマシンを発表した。

 

インフィニット・ストラトスと呼ばれるそれは、従来のどんな戦闘機よりも速く、どんな重機よりも力強いマルチフォームスーツとして世に産まれた。開発者は齢十五…まだ日本の私立高校に通う女子高生。真に天才と言える頭脳と実績を持った彼女は、高らかに宣言し、そして怒りに身を震わせることになる。

 

どれだけ素晴らしいものであっても、所詮彼女はただの学生で、大人がそれを認めるかと言われれば、否。粋がった子供のおもちゃと切り捨てた。

 

それから数日して、五千に迫るミサイルが世界各国から日本へ向かって発射される未曾有の大事件が起きる。約三十年経過した今でも真相解明されていないそれは、これまた未曾有の大災害となる……筈だった。

 

そのミサイルを、件のインフィニット・ストラトスが単機で半分を撃墜して見せたのだ。日本の自衛隊が迎撃する中、突如現れたインフィニット・ストラトスは漫画のような剣と銃で、容易く大量のミサイルを爆散させたという。

 

後に白騎士事件と呼ばれるこの日を境に世界は変わった。インフィニット・ストラトスは女性しか扱えないという最大の欠点を孕みながらも、あっという間にお茶の間まで定着し、ISと呼ばれるようになる。

 

それからまぁ、いろいろとあったらしい。なにせ自分が産まれる前の話だ。

 

そして現在、西暦2053年。

 

一機のISが自我を持ち、ISを得ながらも女尊男卑という歪んだ社会を構成することしかできなかった人類に対して、二百のISが「我々こそが人類に相応しい」と人間達へ宣戦布告。“人化IS”と俺たちが呼ぶ敵と戦争をやって、13年。

 

人間は十億まで数を減らし、また467存在したISも僅か100を切ってしまった。

 

そんな、生きるか死ぬかの瀬戸際の世界だ。

 

 

 

 

 

 

「で、だ。ヴィル」

「何でしょう?」

 

将軍はくい、と壁に掛けられた時計を親指で指す。時刻はおよそ十二時五分。部下に昼食に行けと言ったように、今はお昼時だ。

 

意図を察した俺は休めの姿勢を崩した。砕けた俺を見て将軍はにこりとほほ笑む。

 

「で、だ。ヴィル」

「何?」

「今日は母さん特性のお弁当を食べないか?」

「勿論」

 

机の下から将軍が取り出したのは見慣れたハンカチ。その中にはもっと見慣れた弁当箱が入ってる事だろう。

 

上層部が襲撃時に丸ごと死亡して、新体制に入れ替わるという事件があったにせよ、一兵卒から将軍まで成り上がったこの人は本当に凄い。戦前から頭角を現し、開戦してからは誰よりも先に立って国と国民を守ってきた。部隊への教育には今でも顔を出して教鞭を振るうし、将軍としての書類整理や外交もそつなくこなす。今のドイツにおいて、将軍とは実質的な国のトップ。首相や大統領と同等の肩書となっていた。

 

そんな将軍も、家に帰れば普通の母親。友人に教わって覚えたという料理の腕前は食堂のおばちゃんより良い。いや、多分に息子としてのフィルターがかかってるので定かじゃないが、何にせよ母さんの飯は美味い。

 

応接用のソファに腰掛けた俺は、少しだけ軍服の襟を緩めた。母さんはそんな俺の隣に座って、同じように襟を緩める。

 

「今日はお前の好きなものを詰め込んでみたぞ」

「おおっ、これは…唐揚げ?」

「うむっ。さあさあ」

 

男性用の弁当を開封して見せた母さんが、流れるように唐揚げをフォークで刺して俺に差し出す。俗に言うあーんだが、家では当たり前の光景だ。

 

「美味い! ショーガの風味が良いね」

「だろう? まだあるからな、ゆっくり食べるんだぞ」

「うん」

 

流石に全部を食べさせてもらうわけにはいかないのでフォークと弁当を奪う。不服そうな母さんに、もう一つ唐揚げを食べて美味いと言うと、華のような笑顔を咲かせて、ようやく自分の分を開封した。

 

叩き上げ将軍も、ドイツを代表するエースの一人である俺も、今だけは普通の親子だ。

 

それも、あと数日で終わってしまうんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隊長、集合完了しました」

「ご苦労」

 

副隊長から報告を受けた俺は腰を上げる。場所はミーティングルーム。時間は定刻より少し早いが、まぁ、いいか。

 

「起立、敬礼!」

 

壇上に上がると同時に副隊長の号令が飛ぶ。昼前の将軍のように、今度は俺が敬礼を返す。着席の号令を待ち、全員が腰掛けてから口を開いた。

 

「午後の訓練を始める前に、少し早いが諸君らに“オリジンブレイカー”について仔細を話しておく」

 

正しくは、オペレーション・オリジンブレイカー。これを語るには、時代背景を抑えておく必要がある。

 

自我を持った一機のISがすべての始まりとされている。この機体がコアネットワークを介して他466のISへ何らかの指示もしくは信号を送り、それに賛同したISが人類に対して牙をむいた、というのが現代での通説だ。この自我を持った最初の一機を、人間は“オリジン”と呼称する。

 

で、このオリジンが二百のISを率いて主要都市や整備工場を襲撃してくるわけだが、その中でも一際大きな戦いが幾つかあった。そこで人類側も大きな代償を払ったが、オリジンも同様に深い傷を負った戦いがある。以降、姿を見せても修復の進んでいないオリジンの姿が数か所かつ長期間で見られた為、他の機体と違ってそこらの設備では修理できないことが分かった。

 

何とかして畳みかけたい人類側が、同時期に敵機の鹵獲に成功する。そのコアから得た情報の中に、オリジンが過去へ遡って修復する計画が進行しているというものがあった。具体的には黎明期の頃、世界で初の男性操縦者こと織斑一夏がIS学園で生活している時期で、まだ存命しておりどの組織にも属していない篠ノ之束を頼り修復を図ること。

 

これに対抗して立案されたのが、オリジンブレイカーだ。

 

「さて、おさらいになるが、本作戦の目的はオリジンの修復阻止になる。しかし、現状では連中の拠点を把握できていない為直接叩くことは不可能だ。また、我々の前に姿を現す場合も、オリジンを囲むように強個体が複数確認されており、撃破も現実的ではない。更に、神出鬼没であることから、予め他国支部との共同を図っても無意味となる。

 よって、負傷したオリジンが最も現れる可能性の高い過去へ我々も遡り、そこで過去の人々の協力を取り付け撃破する。ここまでは諸君らも知っている通りだろう」

 

手元には昼食後に将軍から受け取った作戦指示書がある。タブレットにインストールされたその指示書表紙にはオリジンブレイカーの文字。これを捲り、この内の確定事項と公開してもいい情報だけをピックアップする。

 

「マシンの調整次第になるが、これには我がシュヴァルツェ・ハーゼが実行部隊として抜擢された」

 

ざわ、とミーティングルーム内が騒がしくなった。基地運営に必要な最低人員だけを除いた全員が今この場に集まっている。シュヴァルツェ・ハーゼ(黒ウサギ隊)はもちろん、他IS部隊、通常戦力の小隊、俺の専用機であるシックザールを持ってきた技師のシロー少尉も。

 

普段ならこんな事はない筈なんだが、中身が突拍子も無さ過ぎてびっくりしているらしい。

 

オリジンブレイカーは人類軍がオリジンを倒すための起死回生の一手だ。選ばれるのは当然実力に長けたエリート集団となる。基地内の噂では各国のエース達から数名が選出されるというのが有力だっただけに、まさかウチから排出されるなんて思ってもいなかっただろう。

 

実は最初からシュヴァルツェ・ハーゼが実行部隊として作戦が組まれていったのだが、そんなことは知る由もない。ちなみにマシンがここにあるのは俺も今日知った。

 

よくある話。need to know だ。

 

「作戦参加するのは私を含めた計四人。副隊長は部隊指揮の為候補から除外し、実力並びに現地人とのコミュニケーションを図ることに長けた者を私が選択する。具体的な行動プランに関してはまだ開示されていないが、非常に危険かつ長期任務となることは間違いない。

 戦力は私のシックザールとヴァルキュリア(主力量産型第五世代)の計二機、バックアップとして整備班から一人、オペレータを一人だ。ヴァルキュリアの兵装はB型(支援兵装)とし、整備班には整備用タチコマを貸与する。これはまだ試作段階だがインドでかなりの成果を挙げている新型だな。

 人選については本日中に本人へ確認を取る。各自、自分の事と思って整理をつけておくよう。拒否権も認める為、自分では難しいと判断した場合は素直に申し出て構わない。

 また――」

 

今後の待遇や、帰還後の賞与、家族への対応などなど。他の通常作戦とも、大規模作戦とも違う今回は様々な制約と保証がつけられた。軍隊という強制力ある組織で拒否権が認められているのも、異例と言える。

 

憂いを断ち、十全に挑んでもらわなければならないのだ。後にも先にも見られない好待遇に、部下の反応も様々だった。

 

「すまない、遅れた」

 

よく通る声に全員が入口へ身体を向け最善の礼を尽くす。

 

「いえ、お待ちしておりました。将軍閣下」

「うむ。ご苦労だった大佐、掛けたまえ」

 

会議で遅れてやってきた将軍は壇上を譲り、後は副隊長に任せて俺も腰掛ける。俺に代わって指示書の内容を読み上げる母さんの表情はいつも通りに見えて、少し暗い。化粧でごまかしているが薄っすらと隈があったのをさっき見た。

 

先の昼食のような時間はもう残されていない。

 

きっと母さんが珍しく弁当を作ったのはそう言う事だ。昨晩の余り物を入れずに、わざわざ早起きして俺の好きな下味をつけた唐揚げなんて手間のかかるものを作ったのもそうだ。だから残された時間を有効に活用し、有意義に過ごしている。

 

そも、今作戦は俺が単独で行うのが当初の予定だったと聞いている。それに徹底的に噛み付いて何とか本部の腰を負ったのが母さんで、なんとか取り付けた条件が今回の四人編成とIS二機という破格の戦力。成功率を含めての判断だが、自分がどれだけ大切に思われているかを身に染みて感じた瞬間だったっけ。

 

ギリギリまで会議で奔走するのも実行部隊を確実に生還させるためだろう。休憩中とはいえ母の姿を今まで見せなかったのに今日は違ったのも、母親として接したいが為だろう。

 

いつになく部下達に対して誠実で真摯なのも、自分がそうあるように、対象者にも時間を大切にしてほしいという将軍の心遣いから、この時間が設けられていた。本来なら機密漏洩を防ぐためにギリギリまで隠さなければならないのだが…そんな将軍だからこそ誰もが尊敬し信頼している。勿論俺も。

 

「では――」

 

と、将軍の言葉が途切れる。

 

腹の底まで響くような轟音と頑丈な基地をこれでもかと揺さぶる振動が襲ってきた。

 

揺れを感知した瞬間の俺は早かった。

 

「管制塔、状況を館内放送にて報告せよ! こちらシュヴァルツェ・ハーゼ大隊長ヴィッヘ大佐である!」

『こちら管制塔! レーダー範囲外からの超長距離砲撃による襲撃を受けています! 更に人化ISのコア反応を確認! 数3! 機種不明!』

「閣下」

緊急出撃(スクランブル)! 私も出る! 待機中のシュヴァルツェ・メーヴェ(黒カモメ隊)を先行させろ! 市街地には破片も入れさせるな!」

「ヤー!」

 

母の号令に従って全軍が生き物のように動き出した。迷いなく自身のすべきことを成す様は、鍛えた甲斐があるもんだとその度に関心している。

 

「ヴィッヘ大佐」

「は」

「私と来い」

「どちらへ行かれるのですか?」

「マシンを使う」

「……」

 

やはりか、と嫌な予想が的中する。

 

「恐らく敵の狙いはオリジンブレイカーの阻止だ。直接的にマシンを破壊しに来たのだろう」

「ですが……タイミングが良すぎます。マシンがここにしかない事を知っているのは本部上層部と、開発担当した日本支部の一部、そして先ほど情報公開したドイツ基地のみではなかったのですか?」

「そうだ。故に、例の仮説が実証されたわけだな」

「……ISコアネットワークはステルスモードでもオフラインになることはなく、その情報は人化へ流れている。という説ですね」

「ああ。私はこの計画が立案されてからISを装着していないし触れてもいない。関わった本部と日本支部の人間もISには触れていないのだ。よって、貴様と副隊長の二人が身に着けていた専用機から初めて連中に情報が飛び、即座に襲撃に来たと考えられる。

 それに、ここ数か月の攻撃が苛烈になったのは、作戦参加が確定している貴様がここドイツ支部に所属していることで説明がつく。マシンの場所は分からなくとも、過去に飛ぶ人間を叩けばこちらの計画を十分に妨害できるのだからな。おかげで物資を工面してもらいメーヴェ隊を新設出来たわけだが……喜んでいいものやら」

 

成程と今まで腑に落ちない部分がスッキリと解消されていく。明かされてもおかしくない程度の情報がなぜか回ってこない事に違和感を覚えていたんだが、そう言う事だったか。

 

「すまない。当事者の貴様を騙すような真似をしてしまった。本来なら、実物を見せるなりしたかったのだが」

「とんでもございません。お心遣い、感謝します」

「そう言ってくれると助かるよ、ヴィル」

「……今は緊急時です」

「そう言うな。私はこれから最愛の一人息子を世界で最も過酷な戦場へ放り出さねばならんのだ……」

「……」

 

先を歩く将軍…母さんの肩が震える。握り拳は力を込めすぎて赤い液体が滴っていた。

 

母さんは遺伝子強化素体と呼ばれる、いわゆるデザインベビーだ。人造人間と言い換えてもいい。著名な人物で例えるなら、織斑一夏と懇意にあったラウラ・ボーデヴィッヒや、篠ノ之博士の娘であるクロエ・クロニクルか。思考の安定化や成長に欠かせない機能の為、生殖機能が残された形になるが、子供が作れるかと言われると限りなくゼロに近いそうだ。というわけで好きな男性がいるにもかかわらず、母さんは今以上言い寄らない。

 

かくいう俺も同じくデザインベビー。拾われただけで血のつながっていない息子だ。母さんの後発型遺伝子強化素体だった俺を預かって、本当の子供のように育ててくれた。だからこそか、普通の家庭以上にスキンシップが多いし仲良しになった。昼間のあーんなんていい例だ。

 

俺だって、どん底にいた自分を救い上げてくれた母さんに感謝しているし、本当の母親のように思っている。

 

親子の絆はそんじょそこらの家庭よりは固く、太い。軍人よりも母親が勝るほどに。

 

だから、今生の別れになるかもしれないこの瞬間が、たまらなく恐ろしいんだ。

 

「ここだ」

「食堂なんだけど…」

「ああ。奥の冷蔵庫が入口になっている」

「マジかよ」

 

母さんの言う通り、そこを開ければ本来ならあるはずの食材が無く、代わりに地下へと続く武骨なはしごが存在していた。先導する母さんに続いて俺も足をかけ、冷蔵庫のドアを閉じる。

 

非常灯で照らされた縦穴は、反響する音と底が見えない暗さが、それなりに深いことを教えてくれた。

 

「ヴィル」

「何、母さん」

「ふっ、非常時じゃなかったのか?」

「あれ? 親子の時間じゃなかったっけ」

「はっはっは。そうだな」

 

カラカラと笑っている顔が目に浮かぶ。

 

「ヴィル、お前は自慢の息子であり部下だ。だから、私はお前がこの任務を与えられたことを母として誇りに思う。

 この十数年で世界は大きく変わってしまった。こんな荒れ果てた世界しか見たことのないお前にとって、まだ産まれてもない頃の、今からお前が向かう先はもはや別の地球のようなものだ。不安しかないだろうな。

 だが、それを忘れてはいけない。それが…そんな気の迷いこそが人間だからだ。感情を持たず、人を愛し慈しむ心を持たない機械では理解しきれないような、決められたルーティンを淡々とこなすマシーンにとってエラーでしかないその気持ちが、人を人たらしめているものだと、私は思う。

 だから、その気持ちを忘れてはいけない。私達が銃を向ける人化には無いであろう、我々こそが人間である証なんだ」

 

オリジンとその身辺を守る強個体と呼ばれる一部を除いて、人化にはおよそ感情と呼べるものが無い。機械的に判断して、攻撃して、避ける。プレッシャーをかけたところで物怖じしないのだからやりづらいことこの上ない。

 

そんな連中が人を名乗るなど片腹痛いわ、というのが母さんの持論だった。いま零しているのはそんな持論の内に秘めたものだろう。

 

「お前が任官する日の朝に言ったことを覚えているか?」

「覚えてるよ」

 

ハーゼ隊配属に伴って、少尉に昇進した時だ。士官に昇格したことで軍服もちょっぴり立派になって、玄関で母さんがネクタイを締めてくれた。

 

「『逃げるのも勇気だ、だから怖くなったり辛くなったら逃げてもいい。だが、自分の責任からは絶対に目を背けるな』」

「そうだ。責任ある立場になればなるほど、その言葉は深く心に刺さったろう?」

「うん」

「それは半分忘れろ」

「?」

 

何か言葉を返そうかと思案するうちにはしごが途切れた。非常灯で照らされた横穴を早足に歩き去る。

 

「ついたぞ」

 

母さんが開けたシェルターのようなドアの向こう。そこには大型の機械に接続された球体が鎮座していた。広い空間の八割を占めるスパコンに埋もれているそれが、どうやら今からお世話になるタイムマシンらしい。周囲を忙しなく白衣を着た技術者達が走り、激を飛ばしている。

 

「……」

 

これから、という時になってぶわっと感情の波が押し寄せてくる。これから二度と会えなくなるかもしれないのだと思うと、悲しいような、苦しいような、泣き叫びたくなるし逃げたくなる。今日の昼にはふざけながら弁当食べてたんだぜ? 気持ちの整理なんてまだ出来てないっての…。

 

「中に入ったらこちらから鍵を閉める。無事にたどり着けば身一つで立っているはずだ」

「場所は?」

「まだ最終調整が終わっていないからな、一先ず対象の時間にこのマシンが当時存在した場所に出現するようにセットする」

「いやいや待ってここ地下なんですけど!」

「心配するな。この基地はこの地下空間の上にわざと建てられた場所だ。土に埋もれてお陀仏にはならん」

「本当かよ……」

 

ふざけながらも、心をかき乱す何かは膨らむ一方だった。

 

……ああ、くそ、こんなことじゃなくて、もっとこう、何か言いたい。母さんに伝えたいし、もっと聞かせてほしいのに。

 

母さん。母さんは、どう思ってるんだろ。

 

マシンの調整をしているのか、コンソールに向かってこちらに背を向けている母さんの表情は隠れている。いつもなら背中越しでも分かる感情も、いまはさっぱりだ。

 

「よし、終わったぞ。鍵を開ける」

 

そのまますたすたと俺の方を見ないでマシンの前に立ち、電子錠を解除していく。ピー、と音を立てたマシンはゆっくりと、ガラスで出来た唯一の面がスライドして口を開ける。

 

「入れ。私も上の部隊に合流せねばならん。時間がない」

「分かった」

 

そう、母さんの言う通りだ。この時間を守るために必死になってメーヴェ隊とハーゼ隊が、基地の皆が戦っている。母さんは将軍で、将軍は部下の為に戦わなければならない。

 

だからこんなところで時間を浪費してはいけない。たとえそれが息子であっても、だからこそかもしれないけど。

 

タールに浸ったように重たい脚を動かす。電源無しで動かすISよりも脚が重たくて、ゆっくりと、けが人のようにズルズルと引きずるように歩を進める。

 

マシンに手を添える。くぐるように身をかがめて……背後からの衝撃に足を止めた。

 

「嫌だ…」

「かあ、さん?」

「嫌だ! 私は嫌だ、嫌だ!」

「ちょ、ちょっと……」

 

みし、と身体がきしむほど俺の身体に回された母さんの腕に力が篭る。背中越しに感じる母さんの鼓動が、薄める顔が、軍服が濡れていくのが嫌でも分かった。

 

「なんで、なんでヴィルなんだ!? 誰でも、私でも良かったじゃないか…! 他の支部にだって優秀な奴が転がっているのに、どうして、私の、お前が、お前なんだ…! 私の子が、行かねばならんのだ……」

 

一度俺が死にかけた時のように、普段の威厳もなく泣きわめく母親が、そこにいた。もしかしたら……なんて思っていた数分前の自分をぶん殴ってやりたいぐらい、俺は嬉しかった。

 

俺もつられてボロボロとしょっからいものが溢れてくる。

 

「いやだ、行くな、行かないで……。私のヴィル、ヴィルヘルム…。母さんを一人にしないで…」

「…母さん」

 

だんだんと強くなる腕に、そっと手を添える。一瞬だけ震えた母さんの手は、力を緩めて俺の手を握り返す。

 

「…おかあさん」

 

そっと抱きしめてくれる腕を解いて、向かい合わせになる。重かった脚は驚くほど軽くて、ひた隠し続けていた母さんの顔は涙で酷いことになってた。

 

「母さん」

「……なんだ」

「今さ、もう一個だけ弁当持ってるでしょ、腹減ったから頂戴」

「……はぁ」

 

毒気を抜かれたような、呆れた表情の母さんはハンカチで顔を拭いてどこからか弁当を出した。かすかに鼻をくすぐる揚げ物とショーガの臭いがしたからすぐに分かった。

 

「まったくお前は、こんな時まで食いっ気とは…」

「いいじゃん別に。どうせ俺が腹減るのわかってて持ってきたんでしょ」

「貴様ぁ……母親に向かってなんだその口の利き方は!!」

「出たよ母さんの日本かぶれ。ほら、手を出して」

「全く……非常時且つ重要な任務だと本当に分かっているのか? 帰ったら二度と頭が上がらないように叩き直してやる」

「はいはい」

 

口では物騒なことを言いつつも、手に持った弁当を突き出している母さんは年不相応に可愛かった。うさぎ柄のハンカチに包まれたそれを受け取る。

 

「現地ですぐに食料を調達するのが難しいだろうから用意したんだ。あと、それは予備の弁当箱なんだからな、ちゃんと洗って返せ」

「うん、わかった。ありがとう」

 

量子化してシックザールにしまう。鮮度までは保てないのですぐに食べる必要があるが、荷物にならないだけで十分便利になった。出る先が水浸しとも限らないしな。

 

ずぅん、と一際強い揺れが地下まで伝わってきた。ハラハラと眺めていた技術者達も、我に返ったように作業へ戻っていく。シックザールから送られる情報では、戦線は指示通り市街地の外を維持しているようだが、先の超長距離砲撃は防ぎようがないらしい。

 

被害を抑えるためにも、母さんの力が必要な状況だ。

 

「……すまん、取り乱した」

「ううん。嬉しかったよ、ありがとう」

「む、礼を言われるとは思わなかったな。むずかゆい」

「ははは」

 

ごほん、と母さんが咳払いをして早くいけと急かす。踵を返した俺は軽い足取りでマシンの中へ入った。母さんも体半分を乗り出して、俺にうさぎの刺繍が入った愛用のナップザックを押し付けてきた。

 

「向こうについたら中を確認しろ。当時使用していた通貨と地図が入っている。あと、私のお古だがタクティカルナイフと自動拳銃も入れておいた。銃弾の規格は変わっていないから昔のでも問題なく使える」

「え、いいの? 部屋に置いてたやつじゃないっけ」

「武器は使うためにあるものだ。装飾品の類もあるが、生憎とそれは違う。私の代わりに、そいつを持っていけ」

「分かった」

 

口を緩めてナイフだけ取り出して、ホルスターを腰に固定する。そう重たくはないはずだが、それはずっしりと存在感を与えて、どこか暖かい。

 

身体を引いた母さんが合図して技術者が捜査したのか、ドアが閉まる。振動はないが、球体が音を立て始めた。

 

形容しがたい、甲高く響く音がタイムトラベルなんてSFチックなものが現実なんだと教えてくれる。かの鳳凰院凶真もこんな音を聞いていたのだろうか。

 

「お前は私達の希望だ。そしてこれは最重要任務である。だが、同時にお前の人生でもある。

 生きろ、生きて、生きて生きて生き抜け。

 迷え、悩め、苦しむだろう、だがお前の人生だ。辛くなったら逃げても良い、責任に目を背けるのも時には良いだろう。

 どんな人生を歩もうとも、どうか幸せになってくれ。自分の中にある正しさを信じろ。

 私達は軍人だ、任務を果たすのが務めだ。だが、それだけは決して捨ててはならない、失ってもならない。それだけは何があっても失くすな、それこそが希望なんだ。迷う事があれば、それに、自分の正しさに従って、感情のままに生き抜け。

 それからでいい、私にお前の武勇伝を聞かせておくれ」

 

音が段々と大きくなって、酷くなって、少しずつ聴き取れなくなっていく。口の動きで何となくわかるとはいえ、たった一音でも聞き漏らすまいと耳を澄ませて、ガラスに張り付いて必死に見つめた。

 

「母さん!」

「ヴィル。愛しのヴィル。私の、ヴィルヘルム」

 

――愛してるよ。

 

そう最後に聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眩しい光に包まれたと思ったら、ぐわんぐわんと頭の中が揺れて、ぴたりと収まる。耳鳴りもひどい。

 

「おえ」

 

五感は狂ったままだが、どうやら地に足がつく場所で酸素もあることだけは教えてくれた。あと明かりもそこそこ。本当にこんな地下で生活している奴が居たのかとびっくりする。

 

頭を抱えてじっとその場で回復するのを待つ。

 

立ち眩みが収まってきたころには、他の機能も正常に戻りつつあった。鼻がしけった場所にいる事、耳は衣擦れの音を拾って自分以外の誰かが近くにいる事を教えてくれる。

 

「あんた、誰? どうやって入ってきた?」

 

目を開けると、まるで俺が目を開くのを待っていたかのように問いかける少女がいた。俺と同じくらいの、ピンクというか紫というか、そんな感じの奇抜な髪色をした、やけにグラマーな少女が。自分も数度目にしたことのあるあの女性をそのまま幼くしたらこうなるだろうな、という例えがぴったり似合う。

 

すっと、頭が切り替わる。母さんにあれだけ背中を押されたんだ、きっちりやり遂げて見せる。

 

「お初お目にかかります。篠ノ之束博士」

「……ふぅん、私のこと知ってるんだね。博士って言い方が気にくわないけど」

「これは失礼しました。ですが、インフィニット・ストラトスの生みの親である貴女を博士と言わずして誰をそう呼びましょうか」

「くさいセリフは要らない。あんた、誰」

 

口を尖らせながら、俺を見定める目が細くなる。あれは面白半分警戒半分って言ってたな。

 

掴みは上々。

 

「私は人類軍欧州方面ドイツ支部ベルリン基地所属、シュヴァルツェ・ハーゼ大隊長、ヴィルヘルム・フォン・ヴィッヘ大佐。25年後の未来を救う為に、貴女へ助力を乞うためにやってきた未来人です」

 

優雅に、高貴な女性へ対する一礼。

 

篠ノ之束はげげんな表情で、俺を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オペレーション・オリジンブレイカーの目的は、オリジンの修復を阻止すること。もっと言えば破壊することだ。

 

とはいえ、手負いであっても彼奴は強い。修復を阻止すると言っても、真っ向から「やらせねぇ!」と向かい合っては過去まで飛んできた意味がない。

 

だから、修復するのを邪魔するのではなく、できないようにするのが本来の目的である。

 

 

それは、篠ノ之束を暗殺し修復できる技術者を消す、ということだ。

 

 




トマトしるこ、です。
一話から情報過多で攻める新スタイルに自分でも引いてます。
三作目になるコレはかなり長くなりそうな予感が。

ご挨拶は、活動報告にて。

この作品をどれくらいの長さで読みたい?

  • 小(原作前終了)
  • 中(原作3巻。俺達の戦いはこれからだ)
  • 大(~CBF+オリジナル。最後まで)
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