「時間を稼ぐのは良いですが、別に壊滅させても構わないのでしょう?」
「ダメ」
「ダメですか」
実はアニメ好きという隠れた趣味があってそれを知っていたから初会限定版DVDが忍ばせてあったんじゃないか、と思ってカマをかけてみたが駄目だった。いよいよアレの存在を疑い始めている。母さんに限ってゴミを持たせるなんてしない筈なんだが…。
冗談もほどほどにしてスイッチを切り替える。まずは現状の整理から。
大前提として篠ノ之博士は全世界から追われる身である。犯罪を犯したとかそういう理由ではなく、ISの開発者である彼女を要することが世界を制する事と同義だからだ。コアの数が増えれば所有できるISも増え世界最大の戦力が手に入り、ISに限らず技術の発展も止まることを知らないだろう。世界は常に争いを続けている。博士はそれらすべてをひっくり返せるジョーカーなのだ。
当然、自国に博士が居るとなれば何を置いてでも確保に乗り出す。別にドイツ軍に限った話ではなく、今まで身を隠してきたすべての国がそうだったと目の前の少女は口にした。
「喧嘩を売りたいわけじゃないし、そう勘違いされるのは面倒なんだ」
博士は自由にしたいだけで、戦争をしかけて相手をボコボコにしたり意に沿わない連中を軒並み支配下に置くとか、そういう事を望んではいない。むしろ明確な敵対の意思があると判断される方が危険である。もし、世界が博士に対する認識を“自由な研究の為に雲隠れしている天災科学者”ではなく“研究成果を好き勝手弄ばれた怒りを持って世界に反逆するテロリスト”と改められれば、世界平和の為に博士は排除されるだろう。抹殺という形で。
逃げる為に抵抗はする。しかしやり過ぎてはいけない。自衛が成立する程度にとどめて逃げるのが最良で、壊滅なんぞもってのほかなのだ。つまり殴るのはOKだけど殺しはNG。簡単なようで結構難しいオーダーである。
しかしやらねばならない。助手らしい事をしてこなかった今、本領である戦闘で実力を見せなくて何をするというのか。
気合十分。まずは作戦を練るところから。
「私は逃げる算段を付ける。タイサはそれまでの時間稼ぎ。ドイツ軍を奥に入れないことと連中の注目を集めて。足止めの場所はココ」
洞窟の中央から放射状に延びる通路の内、南に延びた先にある一点。だいたいこのリビングスペースから500m離れた地点は外との中間点で少し広めの空洞になっているらしい。部隊の中継地点には持ってこいの場所だ。ここまで入れてはいけない。
俺が待ち構えるのはそこから更に外へ200m近い地点。一本道になっているそこが迎え撃つに丁度いい。
「どうやって逃げるんですか」
「そこの扉の向こうに飛べるラボを隠している。動力に火を入れると向こうのセンサーに引っかかるから消してた」
「おお。飛行機みたいなものですか?」
「うん。これの立ち上げと、ここに広げた機材や設備の搬入作業があるから、30分はお願い」
「了解しました。で、どうやって合流すれば」
「この通路を飛んで逃げるから途中で拾う」
「マジか」
「マジ」
準備が終わったらまた声をかけて、5分以内にね。それだけを言い残して博士は踵を返し奥へと引っ込んでいった。注文は以上のようだ、早速だが俺も準備に取り掛かろう。
洞窟内に侵入してきたドイツ軍の解析データは既にISへ送信されている。一通り閲覧して、まぁ頭を抱えることになった。
博士に対抗するのだからISが部隊に複数混じっているのは当然予測していた。だが3機と支援車両を編成した一個小隊なんて聞いてない。
博士は口にしなかったけど、今の時代で俺の専用機を起動させるのはご法度のようなもの。遠い未来の俺の時代でもコアの数は増えていない。つまり、ここで起動させれば他ISへ情報が届き、同じコアが現時点で二つ存在するあり得ない不具合が出る。
今回の迎撃と時間稼ぎは専用機を使用しない、という大前提があり30分は一人で何とかしろと言っているのだ。この閉鎖空間で一機だけなら何とか出来るが……3機はちょっと。なんて言ってられないか。
服をISスーツへ着替え、身体を隠すために千切ったベッドシーツを外套のように羽織って結ぶ。口は部隊で配荷されていた耐汚染マスクがある、戦闘機用のゴーグルもつければ顔は隠せるか。髪はもういい。
「よし。博士」
『よろしく。まだ外でまごついてるから、急がなくていいよ。時間さえ稼げればそれでいいから』
「了解。流石に3機も相手に生身でドンパチとは思っちゃいない」
『……気をつけてね』
まさか心配されるとは思っていなかった。これは…
「がんばり甲斐がある」
これを幸運と呼ぶべきか、それとも不幸か。
ISを動員した演習中に怪しい人物が大量の食料品を買い込んで山間部へ移動したと通報があり、その調査へ駆り出されることになった。なぜそのような通報程度にIS3機まで参加する必要があるのかさっぱり分からないが、パイロットの少尉は私達の仕事ではないと不満たらたら。そういう意味では間違いなく不幸だ。
それも不審人物が入ったと思われる洞窟の入り口まで。衛星の解析画像に映っていたのが篠ノ之束とあれば話は別だ。利用したと思しきスーパーのカメラには映っていない事から、擬態のような機械を使っていたと推測される。よって、誰一人として通さない事、そして中にいる篠ノ之束の“保護”が我々の任務内容となった。世界に先駆けて彼女に接触できることは、幸運かもしれない。
何にせよ、私の様な下士官未満の一兵卒が考える事ではないし、それが誰でもどうだっていい。そういうのは上の仕事。落ちこぼれの私には縁が無い。篠ノ之束が関わっているなら、ISを自衛に使用してもおかしくない。対抗できるのはISのみなので、通常戦力の私達は出る幕が無いのだ。
せいぜいそれらしい人物が逃げないように網を張るくらいか。
ぼうっとした頭で部隊長へ報告に行く小隊長を眺める。二、三ほど会話を交わして帰ってきた。
「では、これより作戦を開始する」
部隊長がISへ搭乗し、外部スピーカーで号令をかける。
「目標は内部に居ると思われる篠ノ之束博士との接触、および“保護”である。彼女は外見の擬態が出来る手段を持っていると思われる、中から出ようとするものは全て彼女と思え。
私と少尉、A小隊が入る。副隊長と他はこの場で待機せよ。ボーデヴィッヒ上等兵」
「は、はっ」
「貴様の目、暗闇には適応しているか?」
「夜間の野外程度であればなんとか見える程度であります」
「内部の光量次第か。A小隊の装甲車のライトがあれば十分だろう。我々のフォローと漏れがないかをチェックしろ、無線は開いておけ」
「了解しました!」
びっくりした。名指しされるとは思っていなかった。
それもこれも、この目のせいだ。出自に文句を言うつもりは無いがこの手術だけは、どれだけ恨んでも足りない。ロクに使いこなせるビジョンは浮かばないのに、周囲はお構いなしに使い倒してくる。そのくせ使い物にならないとけなすのだ。勝手に植え付けて失敗しておきながら……と何度も恨んだ。今でもそう思っている。
その点、部隊長は他と違って理解のある方だと思う。身体を動かそうとすれば処理できずに動けなくなるが、見るだけなら何とかなる。今回のご指名も目を上手に使えという事だろう。それらしい人物が逃げるかもしれないし、迎撃にISが出てくるなら博士手製の強敵ということもある。
「行くぞ!」
50cmほど浮いたIS2機の後ろを小隊の装甲車がついて行く。仲間の肩を借りて車両の上に乗せてもらい、姿勢固定のバーを握って伏せる。
眼帯は外した。しかし目は開かない。
『落っこちてないかー?』
「問題ない」
『速度上げるぞ』
「どうぞ」
装甲車が少し速度を増す。決して手入れされるはずの無い道は凸凹で、がたがたと衝撃が押し寄せる。シートも何もない天板が特に顕著で、振り落とされるんじゃないかという勢いで私の身体が浮いては叩きつけられる。
音に驚いた隊長の横についている少尉殿からは指をさされて笑われるが、これはちょっとシャレにならない。ベルトで慌てて固定しなおした。
『―――――れ』
「なんだ?」
数秒ほど通信が乱れ、聞きなれない声が通信に割り込んでくる。加工された機械の様な声だ。
『立ち去れ』
「ッ 隊長」
『分かっている。速度落とせ、罠の可能性もある。警戒しながら進むぞ。少尉、私の横につけ。装甲車に速度を合わせるぞ』
『了解』
装甲車が砂埃を上げて急停止し、のろのろと動き出す。固定していたベルトを外して動けるように待機、スリングを手繰り寄せてライフルを掴み、左目を開く。
装甲車のライトと、少尉の機体に装着されたライトが洞窟を照らし、それを捕えた。
170cmほどの背丈の人間が棒立ちで待ち構えている。銀髪に黒のゴーグルと武骨なマスク、身体には外套を羽織っており、性別も装備も一切分からない。ただ、状況的に先程通信に割り込んだのが目の前の人物なのは、ほぼ間違いなかった。
隊長が左手を肩まで上げる。合図に合わせて少尉と装甲車は停止した。
『私はドイツ軍特務――』
『立ち去れ』
『……それはこちらの台詞だな。ここは我らドイツ国の領地であり、名前も明かさない不審者の土地ではない。両手を上げて頭の後ろで手を組み膝をつけ』
『……』
銀髪の……不審者は何も答えず、ぴくりとも動かない。
『聞こえなかったのか。両手を上げて頭の後ろで手を組み膝をつけ』
『こちらの台詞だな、今すぐ回れ右をして帰るんだな』
不審者は従わないどころか、こちらに対して警告を始めた。やたら挑発的に。
「どうかしている…」
『全くだ。IS2機に生身で喧嘩売るなんて、殺してくれって言ってるもんだ』
私の呟きに装甲車の仲間が返す。おそらくそれは隊長も含めて、この場に居る部隊員が考えている事だろう。通常兵器ではシールドエネルギーを多少削るばかりで撃墜できないのだ、人間が一人でどうにかなる相手ではない。そも、通常兵器では捉える事すら出来ない。
何が狙いなのか、というかこちらを挑発していったいどうするつもりなのか。
『……最後だ、従え。従わなければ撃つ』
『奇遇だな、隊長殿。俺もそう言おうと思っていた』
『正気か?』
『勿論。ISはさて置き……そこの装甲車と入口の歩兵がどうなっても良いのなら、撃ってみるといい』
隊長は罠の可能性がある、と言っていた。確かに要求を飲ませるならそれがベターだろう。仲間を人質に取るのは、常套手段と言える。
しかし、そんなことで屈する我々ではない。
『やってみるがいい。我ら――』
『我ら黒ウサギ隊、乗り越えられぬ困難は無い、かな』
『ッ!? 貴様――!』
『避けろ少尉!』
『うっ、ご、お……えっ…』
『小隊、少尉を回収し100m後退し援護射撃!』
「りょ、了解!」
隊長の怒号に身体が勝手に返事をして動き出していた。頭の中は何が起きたのか処理が追い付いていないし、現状把握もままならない。ただ隊長の指示に従うばかりである。
ライフルから手を放してバーを掴む。加速した装甲車に振り落とされないようにしがみついて、隊長と不審者の動きを目で追った。
それはあり得ない光景だ。
ISはライフルを使わずに機動で追い立てて捕獲しようと両手を広げ、振り回したり追い込んだりと不審者へ肉薄している。しかし、不審者はそれらを紙一重でひらひらと交わしている。水や風のようにまるで流れるように手から逃れていた。余裕すら感じる。
『停車!』
運転手の通信で我に返り、タイミングを合わせてバーから手を放し前転して着地。お腹を抑えた姿勢でうずくまる……気絶している少尉へ駆け寄った。
「少尉! しっかりしてください!」
「こっちだ、急げ!」
返事は無い。息はある。まだ生きてはいる様だ。ドアを開けて待機している装甲車へ運びこむ。こういう時、私の幼さや体格の小ささは良くない。半ば引きずるようにしながら装甲車へ。降りてきた仲間と二人で両肩を支える。
『そこで止まっていいのか?』
通信に割り込んだ不審者の声。明らかに私達宛の内容に眉を顰めるも、直ぐにその意味を思い知らされる。
装甲車の足元が爆発した。地雷でもしかけられていたのか、あるいは装甲車の向こう側で手榴弾でも投げていたのか、よく分からないが爆発は起きた。私の視界には爆発と爆風で右半分が浮いて、左のタイヤで辛うじてバランスを保っている装甲車でいっぱいだ。
ここで私の脳は完全に思考をストップした。隊長の激で辛うじて動いてただけだ、それも無ければ簡単に停止してしまう情けないもの。
ゆっくりと、こちらへ倒れるそれ。このままでは潰されたミンチになる未来しかないのだが……何かに引っ張られて何とか事なきを得た。
「棒立ちする奴が、あるか…」
「少尉殿!」
目を覚ました少尉が後ろへ飛ぶように蹴ったおかげで、私含めた三人は生きていた。
「う、おえぇ」
「大丈夫ですか。一体何が…」
「それは、後にしろ……」
ふらふらとよろけながら立ち上がろうとして……そのまま後ろへ倒れる少尉。手を出すも間に合わず背中を打ち付けた少尉は悶絶している。
「じょ、上等兵」
「は、はい」
「私のISを使って、装甲車を起こして後退を、支援だ」
「自分がでありますか!?」
「見ての通り私は、まだ立てない。くそ、なんて馬鹿力だ…急げ!」
「りょ、了解!」
待機形態のバンドを受け取り、少尉を仲間に任せて展開する。左目はこうなると邪魔なので眼帯を付けなおした。
機体調整で自分のプリセットを呼び出し、直ぐに装甲車へ駆けつけて中を確認する。
「無事か! 今から起こす!」
『ボーデヴィッヒ上等兵! 少尉は無事か!?』
「重度の脳震盪のような状態で立つことも出来ない状態です! 装甲車を起こして後退します!」
『それでいい! 私は手が、離せない!』
たった一人の不審者に、特殊部隊がなんというザマだ。眼下の装甲車は横転し、視界の隅では隊長でさえ生身の不審者を捕縛できず手を焼いている。
いや、余計な事を考えるな。任務に集中しろ。離れないと隊長も戦えない。
立て直した装甲車の中は大丈夫なようだ。警告して両手で抱え、安全かつ急ぐギリギリの速度で少尉が倒れているあたりまで飛んで後退。中から降りた仲間が倒れている少尉を担ぎ入れている所まで確認して、背後を見る。
『粘るな…』
隊長はもう機動を制限していなかった。IS相手の地上戦をしているかのような動きである。それもこれも、不審者が早すぎる。とても同じ人間とは思えない。人間離れしているがISに匹敵するほどではない、だが恐ろしく読みとフェイントが正確で、反応が早すぎるのだ。
立ち位置を激しく入れ替わることで誤射を狙っている。故に射撃武器が使えない。
軽々と3mは跳んでいるところを見るに、隙を見せれば取りつかれるだろう。見えなかったが、近づかれれば少尉の様に墜とされる。
空中に逃げれば、宣言通り装甲車を狙うのか。
なんという……恐ろしい。こんな事でISが武装を制限されて徒手で人間と格闘戦などと。
『頂いた!』
『し――』
私程度のレベルでは分からない隙を不審者が突く。
まるで姿を消したように素早く距離を詰めて、少尉は意識を刈り取られたんだ。
『案外、やれるものだな』
「た、隊長まで…」
そして隊長もその餌食になってしまった。パイロットが意識を失った事で強制解除され、頭を地面に叩きつけられるところを不審者に抱き留められ、捕えられた。
『あれだ……注意しろボーデヴィッヒ、上等兵。あのスピードをのせたパンチを腹に、その勢いで振り抜いたアッパーが、顎を掠めて、くる』
「そ、そんなことで」
『ISは生身の、人間のパンチとアッパーと、認識するぞ。絶対防御は働か、ない。しかし、その威力はIS装備を使用した場合と差は、なかった』
小脇に抱えた隊長をこちらへ放り投げる。辛うじて抱き留めて、正面を向いたまま装甲車まで後退する。
ISはやられた。今は自分しかいない。でも、私でどうにかなるのか?
勝てるわけがない!
「少尉、私はどうすれば…」
『落ち着けボーデヴィッヒ、上等兵。外に出さない事を、最優先しろ、増援を基地へ依頼している。到着までは時間を、稼ぐんだ。情けないが、すまない、私は、まだ意識がはっきりしない……』
『棒立ちか? そのまま帰ってくれるとありがたいんだが?』
こういうのは上官の役割だと日頃から思っていた。けど、その上官が行動不能で私を指名している。装甲車には軍曹だっているのに。
でも、やるしかない。
「黙れ、貴様の様な不審者をのさばらせたままにしておけるか」
『酷いな。そっちがしかけたんだろう?』
「我々は軍隊だ、国家の安全の為に存在している。順番の話をするなら貴様が不審者然として要求に応じない事が悪い。こんな山奥の洞窟をねぐらにしていることもな」
『よし、いいぞ…』
いいぞ? いいぞだって? 何も良くない! 私はまだ訓練で3回しかISに乗った事ないのに。実戦なんてこれが初めてなんだ。
下手をすると殺されるかもしれない。それだけのオーラを、あの小さな人間から感じるなんて。夢だと言ってくれ、いまならまだ信じられる。
でも、死にたくないし任務は遂行しなければ、私は今度こそお払い箱にされる。それだけは嫌だ。何を話しかけるか、どう返せばいいのか。それだけに絞って脳をフルに回転させた。
「何が目的だ。どうしてこんなところに居る?」
掠ったら負けのスリリングな体験だった。しかし、案外できなくもないらしい。以前の自分が訓練でそうされたように、絶対防御の抜け道を使った攻撃は十分に脅威足りうるものとして誤認識してくれた。将軍仕込みのえげつない訓練だったが、まさか意味を見出す日が来るなんて。
装甲車の中があわただしいのがガラス越しによく見える。増援依頼でもしたか? 露骨な時間稼ぎご苦労様。いいぞ、もっと頼む。俺も時間が欲しいんだ。
「家を追い出されたんだ。私のような人間は、行く宛がない」
「黒ウサギ隊の名を知る一般人なぞいるものか。言っておくが、今のお前はもはや再三の忠告を無視した不審者ではないぞ。何よりその力は危険すぎる。 地球上の何処にいようが、常に追われる身になるだろう。篠ノ之束博士がそうなっているようにな」
「それは困る」
その博士の助手なんだけどね。困るも何も、自分で選んだぐらいだが。
「だろう? 聞きたいことは山ほどあるが…場所を変えよう。我々の基地はいかがかな? 固めだがベッドとシャワーは約束できる」
「いいね、魅力的だ」
「食事もままならないんじゃないか? 食堂のカレーとケーキぐらいなら奢りでいいぞ」
「な、何!? カレーとケーキが食べられるのか!?」
食品に次いで不足しているのが香辛料や調味料だが、それらをアレンジして煮込むのがカレーという料理だと聞いたことがある。多種を少量ずつ、絶妙な配合で味付けするスパイシーな料理だ。その種類や量次第で味も変わるらしい。
必要なものが多い上にどれも希少なので母さんが作ったところは見たことがない。例によって周りが口にするのを聞いた程度だ。
辛いけどスプーンが止まらない、一度は体験したいと思っていた。
ケーキも食べてみたいし……。ああ、悪くない提案だ…。
この銀髪に眼帯の少女、階級章を見るに兵卒のようだが光るものがある。的確に俺の弱点を突いてくるじゃないか。部隊の教育が良いのか才覚があるのか。その容姿に黒ウサギ隊ときたら、あの人物が思い浮かぶ…わけだが…。
「やけに食いついたな、そんなに珍しいか?」
「………」
「な、なんだ。じろじろと見て…」
あれは、どう見ても、かの黒ウサギ隊隊長も務めたラウラ・ボーデヴィッヒご本人じゃないか? 公式に記録が残り始めるのが部隊特性故にIS学園入学後からで、目の前の本人とは雰囲気が少々違うけど、映像記録も見たこともあるし間違いない。
何というか、初々しいな。あの人にもこんな時代があったのか……。これが後にはドイツの冷氷と呼ばれ、学園で織斑一夏を始めとした仲間と触れ合う事で、名実共に世界的なエースの仲間入りを果たす、と。
『こら! カレーなんかに釣られないでよね!!』
(いや、流石に冗談です)
『カレーでもケーキでもここから逃げられればいつでも食べられるから! あと5分!』
これは朗報だ。あと5分らしい。手強そうな二人は片付けたし、あのラウラ・ボーデヴィッヒが残っているとはいえ、新兵同然の上等兵なら大して苦もない。幸い向こうも時間稼ぎがしたいようなので適当に合わせれば、5分なんてすぐだ。
(ドイツ軍も増援を依頼しています。その船、確実に逃げ切れるんでしょうね?)
『余裕でね。信じて付いてくるなら、カレーに新鮮なサラダもつけてあげる。勿論、ケーキも』
そこまで言われたらやるしかないな! 張り切って時間を稼ごうとも!
「いや、一兵卒の君にそんな権限があるのか、と思って」
「話を通すのは隊長だ。他でもない本人が貴様の実力を証明してくれる。ここに立っているのが隊長でも、きっとこうするだろう」
「随分と信頼があるんだな、いいチームじゃないか。まあ私には関係のない話だが」
「っ!」
なぜか踏み込みを読まれた俺は、動きを止めるための腹パンを失敗する。避けるだけで精いっぱいだったラウラ・ボーデヴィッヒはこの一瞬のやり取りだけで息を荒くしどっと汗をかいていた。左目を隠していた眼帯が俺の足元に落ちており、黄金の左目が露わになっているのが避けられた理由か。
「立ち去れ。次は避けれない、分かるだろう?」
「……」
「増援を呼ばれるのは流石に困る。加減もできない」
「私は軍人だ」
「そうか」
命令に従うのが仕事だものな。士官でもないし、選択権は無い。
なら、一思いにやらせてもらおう。
本日四度目の全力スタート、速度と体重をのせたストレートは吸い込まれるように幼い体躯の柔い腹部へ突き刺さった。体格を考慮せずにやり過ぎてしまったかもしれない、とちょっとだけ後悔したがそれもすぐに消える。
たたらを踏んだ一拍の間に無防備な顎を掠める一撃で終い……になるはずだった。
「少尉殿の言う通り、これは、ライフル弾の直撃と大差ない、な」
無我夢中だったのか、避けられないなら耐えればいいとこの少女は待っていた。そしてまんまと両手でしっかり捕まえられる俺。
これはマズイ。受け止めるかもしれない、とは考えたがまさか耐えるとは。しかもまだ成長期の小柄な少女がである。想像以上にタフだ。
ISの両手でしっかり捕まえられた俺は宙づりにされ、身じろぎ一つとれなくなった。足をバタつかせたって腕部装甲にかすりもしない。ラウラ・ボーデヴィッヒが緩めるか、何らかの方法で両手を弾かなければ逃げられないぞ。
このままじゃ博士が船でここを通過しても乗り移れない。
直ぐに逃げなければ。元気な装甲車で待機していた数名が武装して近づいてくる。
こうなれば、使うか。専用機を一瞬だけ、スキャンできない程の高速で展開と解除を行い弾くしかない。あとはタイミングを『お待たせ! 今発進した! 20秒後にすれ違う!』……待ってましたー!
「離さんぞ、大人しく――」
「それは出来ない相談、だ!」
「うわっ!」
意識を集中させ、ただの展開と解除に全神経を注ぐ。ラウラ・ボーデヴィッヒに油断は無かろうとも関係ない。握った両手の中でいきなり質量が増せば、それは爆発と同じこと。破裂するように両手は離れ、堪えるだけの体力も残っていないラウラ・ボーデヴィッヒは今度こそ膝をついた。
それと同時に身体を隠していたシーツが解けて宙を舞い、ISスーツを着用している姿を晒してしまう。
「な! お、男、なのか…? いや、その襟の…」
『上等兵逃げろ! 何かが突っ込んでくる!』
ゴーグル越しに視線が交わり、隠していた諸々を見てしまったラウラ・ボーデヴィッヒの表情が驚愕に染まる。ありえない、と。
男がISスーツを着用している事もそうだろうが、何より、襟に縫い付けられた黒ウサギ隊の部隊章と大佐の階級章が並んでいる事に。
割り込んだ通信が傍受した通り、博士がもう近い。洞窟内部にはごうごうとジェットの様な音が響き、高速で近づいてくる。俺が通せんぼをしていた道のその先に、強化された瞳は確かに捉えた。広い洞窟の横穴の6割を占める……長方形に翼を付けたような巨大な物体を。あれが船…いや、飛空艇か。
その飛空艇の左舷、こちらから向かって右側のデッキに紫の影が。
「ヴィルヘルムーーーー!」
デッキのバーを右手で握り、身体を前のめりに取り出して目いっぱいに左手を俺に伸ばす博士が居た。
交差は一瞬。タイミングは絶対に外せない。
「じゃあな」
「ま、待て!」
道を譲るラウラ・ボーデヴィッヒへ別れの挨拶と一瞥をくれて、1・2・3のリズムでジャンプ。
目いっぱいに伸ばした俺の左手は……博士の左手を掠めて、デッキのバーを掴んだ。
とりあえずは飛び乗れた(?)が、過ぎ去る景色からして落ちたらひとたまりもないし、デッキの軋みや風圧で握力が薄れていく。
「……っ、く、ぅ」
「ヴィルヘルム!」
バーを伝ってきた博士が俺の左手をしっかりと握りしめ、バーを掴もうと泳ぐ右手も捕まえてくれた。
「ううっ!」
噂に違わぬ力で俺をデッキへ一気に引っ張り上げる。博士しか支えの無い俺は引っ張られるように、押し倒す形で博士にしがみついてデッキへ倒れ込む。
「ありがとう博士。だが、この先にはドイツ軍の別部隊が待ち構えている。ISも」
「大丈夫。船体を覆うようにISのシールドエネルギーが張られている。大口径のライフルでもなきゃ進路変更はおろか減速だって出来ないよ」
その言葉通り、あっという間に横穴の終点…もとい入口である地点を過ぎ去ろうとしている。陣を構えていたドイツ軍は既に連絡を受けていたのか被害が無い様に中央を開けていた。ISが一機だけ迎撃している音が聞こえるが、エネルギ―に阻まれて振動すら俺達へ届かない。
障害にすらならないドイツ軍を置き去りにして、飛空艇は青空の下へと躍り出た。自動で設定されているのか、デッキの俺達が墜とされない程度にゆったりと上昇を始める。
長く洞窟暮らしだった俺は久しぶりにお日様の日差しを浴びているわけだが、久しぶり過ぎて眩しい。うずくまる様に顔を背けてたっぷりと5秒ほど。
それからゆっくりと顔を上げて、
「あ………」
言葉を失った。
緑の多くが失われた未来のドイツでは、野生の植物は全て死に絶えた。基地にほど近いひらけた農耕地に植樹された申し訳程度の樹木と、屋内の栽培区画のように人の手が無ければ植物でも生きていけないような世界なのだ。
こんな、こんな……緑で覆われた山も、森が生い茂る平野も、整備された街道と街路樹も、全部写真の向こうのおとぎ話だった。透き通る青い川が干上がる事も知らずに流れ、瓦礫の山なんて何処にも無くて、車は乗り捨てられずに気持ちよさそうに走って、遠くに見える町はとても賑わっているような、こんな。
これがあの未来の荒廃した世界と同じ地球なのか? 十数年前のドイツはこんなにも美しい国だったのか? なら作戦で訪れた世界の国々も、こんなに美しい景色が広がっているのか?
「綺麗だ…」
母さんたちが、この頃から生きてきた人達が戦う理由が今なら分かる。人間なら、もう一度と言わず、またこの景色を眺めたくなるに決まってる。産まれてきた子供たちへこの星を取り戻したいと、平和な世界に戻したいと願うのは争いを終わらせたいからだけじゃない。この緑と青と、自然が、この地球のあるべき姿を次代へ残したいと願っていたんだ。
それを知ってなお、宣戦布告したオリジンへの謎は深まるばかりだ。
まあそれは後にして。
「あのー」
今は浸っていたい。心から安らぐこの美しい景色と弾力を。
「感動して泣いてるところ悪いんだけど、そろそろどいてほしいな」
弾力を?
「え、あ?」
「んっ……ちょっと、聞いて、る?」
左に広がる雄大な自然から視線を正面へ戻すと、負けず劣らず立派な双房と、その持ち主のモデルが裸足で逃げだす美少女博士が。混じけのない日差しに照らされた博士はとても綺麗で、なぜかそれだけでなくちょっと朱が差して艶やかな気がする……。そして視線を下に動かすと、片方の御山に痕が付きそうなほど沈むのは俺の右手でして……身じろぎするたびに博士の声が途切れまして……。
「ぬおおおおおお!? ご、ごめんなさいごめんなさい!」
条件反射で慌てて飛び下がりずりずりと、しりもちをついたまま後ずさり。デッキのバーに背中がくっつくまで下がったところで、己がしでかしたことを理解し始める。
めっちゃ柔らかかった。今まで揉んだ中で一番だった……。というか、眩しくて顔を伏せた時、凄く柔らかかったような…おもいきり顔をうずめたような。あば、あばばばば。
博士はようやく上体を起こした。痕がついてそうな左胸を右手で隠しながら、頬を耳を真っ赤にして、しかもちょっと息が荒い。
「……えっち」
こんな時にときめく俺を誰か殺してくれ。
「何か言う事は?」
「申し訳ありませんでした。どんな罰も甘んじて受けます…」
「よろしい」
ふぅ、と一息ついた博士はバーを使って立ち上がる。速度はいつの間にか落ち着いており、自転車を漕ぐような速度なので立ち上がっても問題なさそうだ。ただ、高度はそれなりにあるので気をつけた方が良いだろう。ま、これくらいなら元々規格外の博士と強化されている俺は問題ないが。
それにしても、感動が台無しである。いや、全部俺が悪いんだけども。
右手をこすったり、左手でほほを撫でる。
「反省してんの?」
「はい! しています!」
「軍人って声と姿勢だけは良いよね」
即座に立ち上がり指先を伸ばして直立。兵卒を思い出すぜ。腕を組んで怪訝な視線を向ける博士は上官に見えなくもない。そんな博士はため息をつくと、ふっと笑った。
「いいよ、許してあげる。助けてくれたしね……ありがとう」
「それは……力になると約束したので」
「IS3機を相手にたった一人で、しかも生身で足止めしろなんて、死ねって言ってるようなものだよ? それを一つ返事で了承して、怪我も無く死人も出さずにしっかりとやり遂げてみせた。あのちーちゃんでもこうはいかないよ」
自分の中では、相手は旧式だし、人化じゃないし、狭いし飛んで距離も取られにくいからまぁ大丈夫だろうくらいの認識でいたが、確かに言われてみれば事実上の死刑宣告に聞こえなくもない。
遠い未来では生身の状態でもISから逃げる方法や時間を稼ぐ方法などの訓練は必須科目であり、これを疎かにする者や成績の悪いものはそもパイロットに任命されない。絶対防御の抜け道のうんちくもその一つ。自分は特に他よりも頑丈で力もある、何より訓練していたから疑問も無かった。
しかしそれを口にした博士はそんなこと知らないのだ。意図は分からないが、罪悪感はあったらしい。
博士は思った以上に年頃で人の子だな。
「許してあげるけど、条件。敬語は止める事」
「敬語?」
「助手は敬語じゃないとダメなんて決まって無いでしょ。そっちが年上だし、ちょっとむず痒い」
「わか……ったよ。それで許してくれるなら、止める」
言葉を崩すと、にっと博士は笑って右手を差し出した。俺も、にっと笑って握り返した。
この作品をどれくらいの長さで読みたい?
-
小(原作前終了)
-
中(原作3巻。俺達の戦いはこれからだ)
-
大(~CBF+オリジナル。最後まで)