steam and gunpowder smoke chronicles 作:張り子のキメラ
夕暮れ時のナツメッグ邸のダイニング。
俺とマルガリータとナツメッグ博士は、揃ってテーブルの真ん中に鍋を囲んでいた。
弱火にしたカセットコンロに掛けられたホーロー鍋では、白ワインで溶いた三種類のチーズが泡立っている。
そう、今日のメニューはチーズフォンデュだ。
「ほほう、美味そうじゃな」
「同じような料理はミームー村でもよく食べたけど……これは凄く豪華だね」
確かに、元々この手の調理法は固くなったパンをどうにかして少しでも美味しく食おうというものだからな。
しかし、当然ながらうちのフォンデュは一味違う。
ベースはオーソドックスにグリュイエール・チーズとエメンタール・チーズ、そこに青カビの風味が特徴的なブルー・デ・コース・チーズを加え、小麦粉を軽く塗した後に白ワインをたっぷり加えて火にかける。
焦がさないようじっくりと加熱してワインのアルコール臭さを飛ばした後、最後はブランデーを全体に掛け回して鍋ごと軽くフランベした。
当然、チーズは全てピジョン牧場産の厳選した品だ。
肝心の具材は、スイスの伝統に従ってパンだけとなると寂しいので、ソーセージやハム・ベーコン、軽くソテーした鶏肉に茹でたウズラの卵、ブロッコリーやパプリカにアスパラやジャガイモなどの温野菜、キノコ類も用意した。
もちろん、現代のチーズフォンデュにはシーフードも欠かせないので、スームスームから新鮮なエビとホタテを取り寄せている。
最近は冷蔵設備をバックパーツに搭載した輸送ビークルも普及してきたので、今までは海辺に住む人々の特権だった海産物も、こうして手に入れることができるわけだ。
「さ、チーズもいい感じに溶けたところで……二人とも召し上がれ」
「ああ。では、いただくとしよう」
「わっ、凄いトロトロっ。それにいい匂い……」
早速とばかりに料理に手を伸ばす二人を尻目に、俺は冷蔵庫の中からスパークリングワインを一本選んで栓を開けた。
ちょっとしたお祝い用に保管していたロゼ・シャンパンだが、濃厚なチーズと幅広い具材に合わせるためのチョイスだ。
薄ピンクに色づいた発泡ワインを三人分のグラスに注ぎながら、俺も柄の長い金属製のフォンデュフォークに手を伸ばす。
定番のソーセージをフォークで突き刺し、トロけるチーズを絡ませて口に運ぶと、濃厚な旨みと芳醇なチーズの香りが舌の上に広がっていく。
そこに程よく冷えたシャンパンを流し込めば……弾ける炭酸の感触と鼻に抜ける上品な風味が、何とも幸せなマリアージュを形成した。
「うむ、美味い。このエビはワインで洗って臭みを抜いて、軽くボイルしたのか。なかなかイケるぞ。酒との取り合わせも悪くないの」
「んぅ! 美味しぃ!」
どうやら、グルメな博士の舌も満足させられたようだ。
マルガリータも楽し気にソーセージや野菜をチーズに潜らせ、次々と口に運んでいる。
シャンパンを楽しみながらちまちまと摘まむ料理は食べるのに時間が掛かるものだが、弱火のコンロに掛けられたチーズソースは常にゆっくりと加熱されているので、時折木ベラでかき回してやれば途中で冷えて固まることも無い。
因みに、フォンデュを加熱するカセットコンロの小型ボンベには、石油から抽出した液化ガスを充填してある。
天然ガス由来のメタンと比べ、石油由来のガスはプロパンやブタンの割合が多く比重は重めだ。
所謂、
つい最近まで、灯油やビークルの燃料として使われるガソリン・軽油類はともかく、ナフサの抽出技術や石油精製の副産物として得られる可燃ガスの利用法はまともに研究されていなかったからな。
ガラガラ砂漠の油田に代表される石油採掘業者は、大量の石油資源をガスフレアにして無駄にしてしまっていたわけだ。
当然、俺やナツメッグ博士がそのようなことを何年も放置しておくはずがない。
既に、ガス燃料の製造と普及計画、軽質ナフサ由来のプラスチック製品の売り出しは始まっている。
ビークル技術だけでなく、色々と人々の生活の根幹にかかわる技術も向上しているわけだ。
あと、これはあまり表沙汰にはしていない話だが……ガス燃料ビジネスにはデザートホーネット団も一枚噛んでいる。
とはいっても、盗賊団である彼らが直接仕事の一部を担っているわけではなく、ましてや非合法なことをしているわけでもない。
まあ、単刀直入に言って……脱退した元団員やその身内が、ガス会社の従業員に収まっているという話だ。
新しい産業が、諸事情により堅気の世界では生き難い連中の受け皿となる。
どこにでもある話だ。
おまけにちょうど、彼らには優れた地下水の採掘・貯留技術があり、天然ガス田の開発に手を広げる話も上がっているので、彼らの存在は渡りに船だったわけだな。
当然だが、一連の事業の立ち上げに携わるとともに初期資金を提供した俺は、既に結構な額を儲けることが出来た。
精製プラントやガス会社の株式を上場するにあたり、当然俺にも初期株は譲渡されているので、新規公開分の確保のため一部を手放した売却益と手元に残した分の配当金で、俺の懐はかなり潤っている。
デザートホーネット団の頭領とは色々と因縁もあったが、今はこうしてビジネス・金銭的な繋がりが出来てしまったわけだ。
まあ、この件に関しては、結果がきちんと人々の生活の豊かさに還元される側面もあるので、博士もそれほど問題視はしていない。
もちろん、技術や利便性の向上が一部の職を奪うこと、時代の変革によって突如不幸の渦に呑まれる者が居ることは、いつの時代も変わらないが……。
「ま、そんなのは今さらか……」
「ん? 何じゃ?」
「いえ……博士、もう一杯どうです?」
「ああ、貰おう」
「マルガリータは?」
「うん、ありがと」
そうして、俺たちはしばし豪勢な酒と料理に舌鼓を打った。
時折、スパークリングワインの炭酸とスッキリした風味で舌を洗いながら、チーズフォンデュの具材を粗方平らげ……最後の方に残ったチーズはミルクで伸ばし、リガトーニを投入して黒コショウを挽き、ベーコンクリスプを散らしてカルボナーラ風のシメに仕上げた。
デザートには冷やしてカットした桃やマスカットを摘まみながら、残りのシャンパンを飲み干す。
若干、パーティメニュー寄りの献立だったが、濃厚な料理と贅沢な酒に三人とも大満足だ。
俺はくちくなった腹を摩りながらベルトを緩め、シャンパンのアルコールで頬を火照らせたマルガリータが肩にもたれ掛かってくるのを上機嫌で受け止める。
ナツメッグ博士も自宅では体面など気にしないとばかりに大きくゲップをした。
何はともあれ、今日の新作料理は大成功だったな。
このクオリティなら、うちのちょっとしたお祝いメニューの定番入りは決定だ。
同じフォンデュでもチーズの組み合わせは無限大なので、今度はミームー村産のトリュフ入りゴーダ・チーズでも試してみるとするか。
あとは、少しカロリーが上がってしまうが、シーフードをフライにしてもチーズソースと合うだろう……。
そんなことを考えていると、ふと玄関の呼び鈴が鳴った。
「ん? 誰じゃ、こんな時間に……」
既に夕食時も過ぎ、朝の早い牧場ではほとんど家が眠りについた時間帯。
博士の言う通り、普通なら来客がある時刻ではない。
俺は眠そうに肩にもたれ掛かるマルガリータをゆっくりと押し戻すと、億劫そうに立ち上がる博士を手で制止して玄関へ向かった。
右手には、先ほど部屋の隅のサイドボードに置いていた愛用のワルサーP38を握り、スライドを少し引いてチャンバーに弾薬が装填されていることを確かめる。
強盗や悪意のある来訪者の可能性が否定できないので念のためだ。
俺は拳銃を握ったまま慎重にドアを少しだけ開けて、隙間から外の様子を窺う。
「夜遅くに失礼。速達です」
どうやら、心配は杞憂だったようだ。
彼の顔には見覚えがある。
ネフロ周辺で運送依頼をよくこなしているビークル乗りだ。
とりわけ怪しい挙動も見られないので、俺は拳銃をズボンの腰に戻し、ドアを開けた。
「どうも。鉄道便か?」
「おう、グレイの旦那。そうだ。えーと……随分、遠方からみたいだな。ナツメッグ博士宛てだぜ」
運送依頼の書類に受け取りのサインをすると、ビークル乗りは軽く笑顔を浮かべて自分のビークルに戻り、坂を下りて行った。
こんな時間の速達依頼だ。
きっと配達料は割がいいのだろう。
受け取る側にしてみれば迷惑この上ないが……まあ、悪いのは送り主なので、彼に言っても仕方ないか。
「さて……」
受け取った小包を確認すると、確かに鉄道便の封がある。
最近は、鉄道に沿って電話線が設置されたことで、近隣の街との連絡では電話を使用することも増えている。
ステーションホテルに繋げば大抵フェンネルとコンタクトが取れるし、マジョラムの実家は電話注文を受け始めた。
電信線の配備も進んでいるので、各街の駅に併設された電信局に直接メッセージを送れば、その日のうちに本人へ連絡が届く。
鉄道便で手紙を送るのに比べて、汽車での輸送時間を丸々カットできるわけだ。
近頃は電報配達を専門とするビークル乗りも増えてきたこともあり、ゴールドーンのローズマリーにも割と気軽に連絡が取れるようになった。
とまあ、そんな具合に通信網は着々と整備されているわけだ。
もちろん、大きな荷物を送るには貨物列車と蒸気機関車の力が必要不可欠であり、そもそも電話の数自体がまだそれほど多く普及していないので、未だに伝書鳩や鉄道便は現役だが……。
「ん? 便箋だけ? 何でこんなものにわざわざガチガチの包装を……」
「グレイ、どうした?」
「ああ、博士。何か、変なのが来てたので、一応開けてみたのですが……マズかったですか?」
ちょうど、奥からナツメッグ博士がやって来たので、俺は便箋を博士に渡した。
送り先の都合を無視した速達に、わざわざコストを掛けた輸送手段に見合わないペラ紙の組み合わせ。
怪しさ満点だが、とりあえず危険物でないことはわかっている。
怪訝な表情で便箋を受け取ったナツメッグ博士は、中身にじっくりと目を通していたが……やがて、博士の表情は見る見るうちに険しくなっていく。
「ハァ……」
眼鏡を外し、頭痛を堪えるように眉間を揉んだ博士は、うんざりした表情で俺に向き直った。
「グレイ、旅支度と船の手配を。王都行きじゃ」
「王都?」
「ああ。まったく、面倒な……」
すっかり酔いが醒めた様子のナツメッグ博士は、再び不機嫌そうにため息をついた。