steam and gunpowder smoke chronicles 作:張り子のキメラ
数日後のピジョン牧場のナツメッグ邸。
あっさりと王都を後にした俺たちは、再び『ジュニパーベリーⅡ世号』で波に揺られ、ピジョン牧場の我が家へ戻ってきた。
春の日差しと穏やかな風が牧草地を撫でるなか、俺たちはいつも通りの日常を過ごしている。
思い思いに研究や機械いじりをする博士に、それを補佐するマルガリータ。
俺もナツメッグ邸の家事をこなしながら、しばらく放置してしまったビジネスに精を出していた。
家電の製造にシャンプー・リンス類の販売、最近ではガス関連事業も規模が拡大し、色々と俺の仕事も増えているからな。
相変わらず忙しい日々だ。
「おっと、郵便が来ているな」
ちょうど午後の休憩中、ふと玄関前のポストをチェックすると、中に大型の封筒が入っていた。
俺宛てなので、中身はビークルバトル関係か株式を保有するビジネスに関するものだろうと当たりをつける。
封筒を持ってダイニングに戻った俺は、ペン立てから取り出したペーパーナイフで封を切り、中の書類を取り出した。
「手紙、何だって?」
テーブル上のクッキーを摘まみつつ書類に目を通していると、紅茶のカップを持ったマルガリータが俺の肩越しにひょっこりと顔を出した。
シトラスのシャンプーとマシンオイルの香りが仄かに鼻腔を擽る。
「――また出資の件だ。王都の方からまた何人か申し出があったらしい。例の水力発電所だ」
「王都から?」
「またか。しつこいの……」
書類を畳んだ俺が端的に告げると、首をかしげるマルガリータとは対照的に、博士は大きくため息をついた。
今スキトール湖では、大型の水力発電所を建設する計画が進んでいる。
ちょうど流域が狭まるイワツバメの滝方面で、ダム式の発電設備を運用する計画だ。
今後の電力需要の拡大に際し、俺が以前から進めてきた事業だが……さすがに工事の規模が桁違いなので、一朝一夕に済むものではない。
当然、俺一人で完結できる話ではないので、資金集めから資材・建設ビークルの手配と、セントジョーンズ卿はじめ多くの人間を巻き込み、数年がかりで準備を進め、最近ようやく完成の目処が立ってきたところだ。
それが、今になって資金提供や支援を申し出てくるとは……。
もちろん、既に建設計画は折り返し地点を過ぎているので、彼らが提案するのは主に初期株のまとめ買いと稼働後の運営資金の支援だ。
詰まるところ「何か、儲かりそうだからやっぱり出資する。新規公開株くれ」って話である。
「王都からってのは……まあ、営業であちこち顔は売ったからだな。目端の利く金の匂いに敏感な連中なら、この事業で期待される利益にもすぐに気づくだろう。もちろん、理由はそれだけではないかもしれませんが……」
俺が軽く視線を送ると、博士はうんざりとした表情で再び溜め息をついた。
この事業は俺が音頭を取っている以上、ナツメッグ博士の肝煎りということになる。
そうとなれば、博士の王都滞在中に望ましい結果を得られなかった諦めの悪い連中が、またしても何らかの妨害をしようと介入のチャンスを狙っている可能性もあるわけで……一部でも中央の介入を許す時点で、そのリスクは格段に上がる。
「……本来なら、喜ばしいことなんですけどね。新規事業への出資なんて、普通は望んでも得られるものではありません。それに、何だかんだ言って、初期資本が増えればそれだけ進捗が良くなるのも否定できない事実なわけで……」
何せ、人も資材の量も桁違いの一大事業だ。
作業に関わる全員分の差し入れを工面するだけでも、莫大な金額が掛かる。
もちろん、途中で資金が枯渇するような無計画なことはしていないが……投入資金が無視できない単位で増えれば……それこそ労働者に酒でも支給できる予算でも組めれば、作業効率は格段に上がるだろう。
何はともあれ、この件に関してはあまり申し出を突っぱねるわけにはいかない。
もちろん、下手に有象無象を関わらせると、支援どころか妨害に等しい干渉を受けることになるわけだが……多くの人間が俺の顔で出資を提案してくれている以上、そこに対してはある程度の配慮も必要だ。
まったく、人の柵というヤツは……。
「……村の皆が便利になるなら、あたしはいいと思うけどね。ミームー村の電力需要もこれでほぼ解決するんでしょ」
「ああ、それは間違いない」
色々と気にかかることはあるが、この事業の根本的な意義はメリットばかりだ。
水力発電自体は非常にクリーンなエネルギーで、且つ発電量が多めで、設備の運用コストもそれほど高くない。
それに、発電所の建設に伴いこの計画では送電設備の改修・延長も計画しているので、当然ながらその恩恵もある。
主にネフロ方面を中心とした送電線の再配備計画だが、当然その範囲にはミームー村も含まれているのだ。
今のミームー村では俺の後押しで余剰の魚介を使った缶詰工場も運営しており、製造業での電力需要を鑑みれば近場に大規模な発電所がある意味は大きい。
「だからこそ、この事業は絶対に成功させなければならない。……博士。どうせ何をしても、一定数のクズは寄ってくるわけですし……ここはうちのカミさんの故郷のためにも、一つお力添えを頼みますよ」
「お願いします、先生!」
「ハァァ……。仕方ないの……」
渋々頷いた博士に、俺は新しいお茶を注ぎつつ追加のクッキーを勧めた。
そして、数日後。
俺とナツメッグ博士とマルガリータは、スキトール湖とイワツバメの滝のちょうど境目あたりに訪れていた。
以前、ブラッディマンティスの『グランドフィナーレ』を落とした際に、ベルガモットを捕縛し牙を剥いたセイボリーと対峙したあの場所だ。
この国最大の滝へと至る水路の上流とはいえ、切り立った崖の麓には既に多くの資材やビークルが運び込まれている。
さすがに飛行ビークルで着陸できるほど開けたエリアではないので、俺たちはミームー村を経由してマルガリータお手製の船で現地へ向かった。
俺の【ジャガーノート】とマルガリータの【クラフトマンシップ】はミームー村に置きっぱなしだが、今回は作業現場の視察がメインなので、ビークルが無くても特に問題ないだろう。
現地でいきなり盗賊の襲撃でも遭わなければ……。
「あっ! 二人とも、見て!」
崖から続く岩場を回り込んだところで、マルガリータの声に応じて視線を上げると、水路沿いに広がる大規模な建設現場が目に入った。
陸側には、切り立った崖に埋まるようにして、頑健なコンクリート造りの建造物がいくつも設置されている。
既に、ダムの大枠も完成しているようで、コンクリートと石垣に側面を補強された水路がイワツバメの滝方面へ続いていた。
当然、新たに設置された水門付近に積み上げられているのは、夥しい量の建築資材と配電装置……あれがダムの発電設備の要か。
少し前まで土砂崩れ対策すら怪しい場所だったのに、また随分と様変わりしたな。
「ふむ、思っていたより大規模な工事になっておるの」
「うわぁ、凄いね!」
「王都の……中央の資金も入りましたからね。これからより一層、急ピッチで作業は進むでしょう」
その後、俺たちは工事の現場責任者など数名と面会し、各部署の進捗を確認した。
状況は……予想外に順調そのものだ。
中央から資金提供を受けることに決めた以上、少なからずネガティブな影響は出ているものと思ったが、作業に大きな遅れも無いし各部点検での異常も見られない。
どうやら、心配は杞憂だったようだな。
「とはいえ……全く問題が無いとは言えんの。元より、不安定な地盤を切り開いての大規模な工事じゃ。平地での建設とはわけが違うじゃろう」
「ええ、高架線の設置と送電線の改修作業は、少し遅れ気味なようです。稼働テストのスケジュールも押していますし、しばらくは俺もそちらに手を貸した方がよさそうですね」
「あたしも手伝うよ」
当然、マルガリータの手もありがたく借りる予定だ。
ビークルへの負荷の大きい土木作業ともなれば、腕利きの整備士は一人でも多く欲しい。
「そうじゃな……グレイ、マルガリータ。お前さんたちはピジョン牧場とネフロ方面を中心に見ておけ。あっちは線路沿いに既に設置された送電線の改修が主じゃが、その分工事の範囲が広く駆り出されるビークル乗りや作業員も多い。修理の手は慢性的に不足するじゃろう。荒くれをまとめるのは……グレイ、お前さんの得意分野じゃな」
俺とマルガリータは揃って博士の言葉に頷いた。
「わかりました。こっちはお願いできますか?」
「うむ、ミームー村の方はわしが引き受ける。向こうは新しく作る設備も多いが、工事自体は小規模じゃからな。細かい設計直しや微調整なら、わしが居た方が捗るじゃろうて」
そんなこんなで、我がナツメッグファミリーも水力発電所関連の事業に全面的に手を貸す運びとなったわけだ。
そして、さすがは稀代の天才ナツメッグ博士と言うべきか……ミームー村方面の工事は、断崖絶壁と山々に囲まれた厳しい立地条件をものともせず、サクッと終了した。
夏前には、山道沿いに立派な高架線が建設され、缶詰工場をフルで稼働させられたのだから、さすがと言うほかない。
もちろん、俺とマルガリータの方も仕事は概ね順調だ。
追加の資金と潤沢な資材・消耗品が投入された送電線工事は淀みなく進み、この調子なら秋を迎える前にネフロへ繋ぐラインも完成するだろう。
ただ、一つだけ問題を挙げるとするなら……。
「おう、整備士さん! ちとアームの調子が悪いんだがよっ」
「こっちもだ! エンジンの様子を見てくれ。じっくりな……ヒヒッ」
ピジョン牧場からワグテール渓谷へ至る線路沿いでは、作業ビークルが不自然な列を成していた。
元々、ビークルでネフロ~ピジョン牧場間を移動する人々のために、組合が出張修理所を出している場所だが、今回の送電線工事に際しビークルの待機エリアが拡張され、並行して数台のビークルの整備が進められるようプレハブ造りのドックが設置されているのだ。
いかにも荒くれ労働者っぽいビークル乗りと作業帽を被った整備士が怒鳴り合うなか、一部のビークル乗りたちが鼻の下を伸ばしているように見えるのは……決して見間違えではない。
「はいはい! ちょっと見せてみな……どこも悪くなっちゃいないよ。ちゃんと可動域を確かめたかい? そっちのあんたも、エンジンのせいにする前に無駄に吹かすのをどうにかしな!」
「ヘヘッ……すまねぇなぁ」
「……もちろんだ」
この男くさい掃き溜めにおいて、美人で快活なマルガリータはどうしても野郎どもの目を引く存在だ。
二つの整備ドックを行き来して作業ビークルの修理をこなすマルガリータは、今は作業着の上着を脱ぎ捨て、白のタンクトップだけを身に纏った姿で暑さを凌いでいる。
後ろで軽く縛った髪の間から覗く項には薄っすらと汗が浮き、照りつける陽光の煌めきは何とも神秘的だ。
あの絶世の美女が俺の妻であることは誇らしいが……そのせいで用も無いのに整備場に集まるクソビークル乗りどもの多さに関しては、閉口するしかない。
「ん? あれは……っ!」
そんなことを考えていると、不意にマルガリータの方へ近づく男が居た。
男は今まさに彼女がアームパーツを手入れしているビークルの持ち主らしく、自分の機体へやけにゆっくりした動作で乗り込むと、上から下卑た表情でマルガリータの胸元を覗き込む。
あの野郎……! 彼女が薄着なのをいいことに、ふざけた真似しやがって!
「ぬふ……うぎゃぉえ!」
「おっと、悪いね。危ないから下手に乗り出すんじゃないよ」
しかし、コクピットから身を乗り出そうとしたところで、ビークル乗りの男の口から間の抜けた悲鳴が上がった。
よく見ると、マルガリータの手に持ったシリコンスプレーが、男の顔にガッツリ噴射されていた。
様子を見るまでもなく、あれは痛そうだ。ザマぁ。
「よし、整備は終わりだね。ほら、行った行った!」
顔を押さえて悶えながら悪態をつく男に構わず、マルガリータはビークルを追い出した。
あれはわざとか天然か……。
どちらにせよ、俺がシメるまでもなかったな。
そんなことを考えていると……マルガリータの視線が僅かに俺の方を向き、一瞬だけ彼女の口角が上がった。
さすがはうちのカミさん。敵わないな。