クソッタレな御伽噺を覆すために黒兎が頑張るそうです 作:天狼レイン
書き上げた頃には投稿日になってた駄目な作者は自分です。
少しゆっくりし過ぎましたね、あと少し内容が薄いかと。普段よりも二千文字足りてないんですよね。何とか後半で取り返すつもりです。日常回ですよーなんてTwitterにほざいておきながら、少しシリアス混じりというね。ホントどっちかにしろよと。
「これから鍛錬ですか? リィンさん」
そんな声が耳に届いたのは、ある日の早朝だった。まだ日の出を迎えていない薄暗い時間に、普段からの日課である早朝の鍛錬を行おうと外に出たリィンを迎えたのは、少し前にシュバルツァー男爵家に滞在することとなった客人のアルティナだった。まさか他に起きている人がいるとは思ってもいなかった彼は二度見どころか三度見する勢いで時計を確認する。もしかして時計が止まったり早まったりしていないだろうかと考え確認するが、どうにも間違っていないらしい。すると、彼女の部屋の時計だけズレているのではないかと考えた後———
「ああ、そのつもりなんだが———まだ日の出前なのにこんなに早く起きて大丈夫なのか、アルティナ。君ぐらいの年齢だと睡眠時間はかなり大事なものだと思うんだが……」
「まあ、
とはいえ、わたしにとってこの時間の起床はいつも通りですし、下手に二度寝すると流れを崩してしまうかと」
「そう言われたらぐうの音も出ないな……」
同じく習慣化しているリィンは、アルティナに習慣だからと言われてしまい下手に強く出れなくなる。説得しようとして早々に失敗した彼は肩を落としていたが、それからふと何故彼女がこの時間に起きているのかが気になった。よく見てみると、見覚えのある黒い二丁拳銃が仕舞われている。
「もしかしてアルティナも鍛錬なのか?」
「ええ、そのつもりです。ユミルは大自然に囲まれた土地なので、普段では行えない鍛錬が積めそうですし、せっかく一年ほど滞在するので、この地で出来ることはやり尽くす勢いで徹底的に行おうかと」
「はは……ほどほどに、な?」
「……分かりました。ご迷惑をおかけしないよう善処します」
こくりと頷いたアルティナに、リィンは苦笑いを浮かべた。妙に善処という言葉が引っかかったからだ。それを耳にすると、どうしてだろうか不思議と心配してしまう。そこにいる少女は半端者の自分よりも強い。それは分かっている。戦うまでもなく圧倒されることは想像に難くないし、いざ戦えば早い段階で地に膝をつかされることだろう。それほどまでの練度・実力の差をあの日出会った時から感じていた。なにせ彼女は、あの時渓谷道にいた魔獣———
しかし、自らを半端者と蔑むリィンですら、どういう訳かアルティナのことが心配で仕方がなかった。何処か危うさを感じるというのか、或いは———
そんな自らの気持ちに身体が応えるように、リィンはアルティナに声をかけていた。
「良ければ、一緒に鍛錬をしないか?」
「一緒にですか?」
「ああ、実は少し行き詰まっててさ。客観的な目線からアドバイスが欲しいんだ。……いや、ダメなら別にいいんだが———」
「構いませんよ。わたしも少し見てほしいものがあったのでちょうど良かったです」
そういうと心なしか嬉しそうなアルティナが「場所は渓谷道で構いませんか?」と訊ねてくるので、リィンは「ああ、そうしよう」と返事をすると、頷いた彼女はそちらに向けて歩き出した。その後を付いていく。二人が目指す目的地は渓谷道の中腹。以前魔獣を大量に駆逐したポイント付近だ。そこまで歩いて移動するため、少しばかり時間があった。いつもなら黙々と登るリィンだったが、せっかくアルティナがいるので軽く話をしたいと思い、声をかけてみる。
「あれから少し経ったけど、大分慣れてきたんじゃないか?」
「そうですね。最初は豪雪地帯だと聞いていたので不安もありましたが、エリゼさんから頂いたこの服装も暖かいですし、ルシアさんやテオさんにもよくしてもらっています。それにユミルの皆さんも優しい方ばかりでしたから、想定していたよりも早く慣れました」
「それは良かった。安心したよ。俺はあまりそういうことをしてあげられていないからな……」
「いえ、リィンさんには一番助けられてますよ」
「え……そうなのか?」
「ええ、あの時わたしに泊まる場所を与えようとしてくれたのは貴方です。恐らく他の人ではこうならなかったと思いますし、本当に出会えて良かったと思っています」
しれっと恥ずかしがることなく言い切ったアルティナに、リィンは頰を掻く。こうも至近距離で、それでいて少ししか一緒にいない誰かに善意を向けられることなどそうなかったせいか、妙な気恥ずかしさを覚える。それは普段自分がやっていることを真正面から返されているだけなのだが、当の本人には気付く様子はない。ちらりと一瞥したアルティナは心のうちで溜息を吐きながら「やはりリィンさんは不埒ですね」と少しズレたことを呟いた。
そうしている間に、二人は目的地へと辿り着く。足場も十分あって広く整ったその場所は、気が向いたら一戦仕合うことにも使えそうなほどだ。少しばかり雪ではなく氷になっているが、それは多少の誤差だろう。むしろ、この地の特徴・気候が及ぼす影響を如実に表していると言っても過言ではない。豪雪地帯ではこういうことは当たり前なのだと改めて実感させてくれる。実際に戦闘行動を取った場所が何の不自由もない平地だけであるはずもないことを知っているアルティナにはちょうど良かった。
「それでは鍛錬を始めましょう。
……ところで、リィンさんは普段どのようなことをしているのですか?」
「まず基本の素振りと《八葉》の技を一通りかな。毎日振っておかないと感覚を忘れてしまいかねないからな」
「なるほど。やはりその辺りが妥当ですね」
「アルティナは?」
「わたしは———」
そう言ってアルティナはユミルを訪れる前に普段行なっていた鍛錬の数々を口にする。武器を持ったまま走り込みを行なったりすることやプールで一定の距離を泳ぎ続けることなど、
しかし、それらを聞いてリィンが思ったのは、明らかに無茶だということだった。見ていられないと初めてそう思うくらいには。
「……本当に毎日そんなことをしていたのか?」
「ええ、最初のうちは動けなくなることもありましたし、今も筋肉痛に悩まされることはありますが。それでも、
迷うことなくアルティナは言い切る。そこに自分の身体を労わる気持ちなど微塵もないかのように。
だから、彼は真剣な表情で少女に向き直った。
「……アルティナ。悪いが君の鍛錬には無茶がありすぎると俺は思う」
「……そうですか?」
「……ああ、下手をしたら身体を壊しかねないくらいだ。俺でも流石にそのメニューは熟せない。もし老師が聞いていたら堪らずお怒りになってもおかしくない。どうしてそんなに無茶なことをするんだ?」
貴方を守りたいからです。
そう答える訳にもいかないアルティナは、守りたい人に真正面からそう言われてしまい、口を噤んだ。反論の余地なんてない。自分では無茶ではない、まだ出来るはずだと信じ続けていたが、いざ大切な人にこう言われて無視することなど彼女には出来はしない。直視しないようにしていた現実を叩きつけられたような錯覚を覚えながらも、何とか思い浮かんだ言葉を口にした。
「———守りたい人がいるからです」
決して嘘ではない言葉。誰を守りたいのかという点は言及していないが、それでもそれはここにいるアルティナ・オライオンという少女の目的や願い、覚悟を一言で表したものだった。あんな想いは二度としない。喪うのは懲り懲りだと。言外にそう示している。
「そのためにわたしは強くならなきゃいけないんです。例えそれが無茶だとしても、簡単に引き下がるつもりはありません」
あまりにも真っ直ぐに返されたその眼光にリィンは驚く。彼女ほどの齢の子供はユミルにもいるが、最早歳相応に考えることすら間違いだと思わされる。音として耳に届いた言葉には力強さがあり、決して引けないという覚悟が滲んでいる。自分にはない〝強さ〟が、目の前にいる少女にはあるのだと言外に示されている。眼光一つで全てを推し量れるほどリィンは世間を知っている訳ではないが、それが〝武人〟———戦う覚悟を持つ者が見せるそれであることだけは理解できた。敵わない、というのは分かっていたが、心構えからして負けていることを自覚する。恐らく、半端者の俺では彼女の決めたことに指図することなど出来ないだろうと思う。
けれど———誰かが無茶をして辛い目に遭うことだけは認められなかった。
「……分かった。君がそう言うのなら俺も納得する。
でも、これだけは言わせてもらうし、させてもらう」
「………………」
「その人だって君が無茶をして身体を壊すようなことになったら悲しむはずだ。それだけは間違いなくそうだと俺は思う。だから俺はその人の代わりに君が限度を超えて無茶をしようとしたら、否が応でも止めさせてもらうからな」
こればかりは譲らないぞと告げるリィンに、やはりリィンさんは変わりませんねとアルティナは納得する。恐らくまだ出会って少しであろうとも、家族の一員のような間柄となった自分が倒れた場合、彼は心配してくれるだろう。必死になるだろうし、手を尽くしてくれるのは間違いない。彼の義妹もそうだし、彼の家族も心配するはずだ。今のわたしが置かれている状況は、一人で生きていた〝あの頃〟とは全く違うのだともう一度再認識する。何より、彼を心配させることはもう二度としないと約束したのだから守りたいと思う。例え、その約束をした相手がそんなことがあったと知らなくとも———
目を伏せ、それから言葉を発する。
「……出会って間もないリィンさんにそこまで心配されるとは思いませんでした。そうですね……気にして頂けている状況で無視を貫くのもどうかと思いますし、無理をしない範囲に変更しましょう」
そうと決まれば、とアルティナは自分にとっての最優先が何かを再確認して目先のそれを捻じ曲げる。
「そもそも、ここでは以前と違い出来ないことがいくつかありましたし、変更は余儀なくされていたでしょうから。
リィンさん、鍛錬メニューの相談に乗ってもらえますか?」
「え……あ、ああ……それぐらいなら構わないけど……。……なあ、アルティナ?」
「どうかしましたか?」
「……あっさりと聞いてくれたが、不満はないのか?」
「ええ、特にありません。今回の場合、リィンさんの方が正しいことを言っていることは誰の目から見ても明らかでした。もし仮にわたしが倒れてしまうと、あなたに迷惑をかけてしまいますし」
クレアさんやレクターさんが心配していた理由が、つまるところリィンさんの言っていることなのだろうし、なによりもまず———
「今までのメニューではただ疲れるだけで効果があまり出ていないように感じたので、この辺りで一新するのも悪くないかと」
あれだけ熟して体力が足りないように感じるのなら、効果がそれほど出ていないということに違いないはずだからとアルティナは確信する。負荷がかかるほどヒトの身体はそれに耐えられるように成長するはずだが、もしかすると負荷がかかりすぎて成長が追いついていないのでは?と思考が及んだのだ。どうしてそれに気がつかなかったのかと思うところはあったが、きっとそれはわたし自身も未熟だから気付けなかったのでしょうと考えておくことにする。
「兎も角、今日は手探りの状態になると思うので、まずはリィンさんの鍛錬を観察していても良いですか?」
「ああ。何か悪いところがあったら教えてくれると助かるよ」
そう言ってリィンが離れる。周りに動きを阻害するものがない辺りに辿り着くと、腰に携えた鞘から使い慣れた太刀が引き抜かれた。〝あの未来〟に至るまでずっと使い続けてきた愛用の得物。クロウやミリアムと共にヴァリマールに連れられて大気圏外へと消えていったモノ。
「——————」
それを見てアルティナは息を呑む。見慣れたはずのモノなのに、久しぶりに目にしたような錯覚を覚える。思えば、こうしてまじまじと眺めたのは久しぶりかもしれない。綺麗だと思う。眩しいと思う。不思議と羨ましいとすら思う。
そこでふと気付く。道具であるそんなものにまで羨ましさを何処か覚えてしまった。果たしてどうしてだろうかと思考するも、やはりそれが何なのかはまだよく分からない。むすっとしたりすることは何度かあったし、モヤモヤしたことは両手の指の数では足りないくらいだ。それにとてもよく似ているような気もするが、ついには彼の鍛錬が一通り終わるまでそれが何なのか分からなかった。
———*———*———
二人が朝の鍛錬を終えたのは、沈んでいた日が昇った頃だった。朝ご飯に遅れまいと急いで帰宅すると、そこにはちょうど朝ご飯を作り終えた母親の姿があった。それを手伝う妹の姿があり、新聞片手に待っていた父親の姿がある。いつものように席に着き、他愛もない会話を交わす。質素な暮らしながらも愛情のこもった朝餉を口にする。有り触れていることではあるが、それでも十分すぎるぐらいの幸福を日々実感しながら、ふとリィンは少し前まで誰もいなかった場所に座る滞在人を見る。
アルティナ・オライオン。
渓谷道で出会った12歳だという少女。綺麗で透き通るような銀の長髪と若菜色の瞳を持つ、精巧な人形のような完璧なほどに整った容姿は、ユミル一の才女であり美少女とリィンが太鼓判を押しているエリゼでさえ敗北感を覚えたほどだった。もしも仮に血筋や生まれでそこまで整った容姿を持つのならば、きっと彼女の生まれはシュバルツァー男爵家を上回るような一族であるに違いないだろう。
しかし、そこで彼は違和感を覚えた。果たしてそうだと仮定して、何故彼女が自らの足で探し続けているのだろうかと。男爵以上の地位にある貴族であったならば、人捜しなど任せることが出来るはずだ。彼女ほどの容姿に傷をつける訳にはいかないという者だっていてもおかしくない。蝶よ花よと育てられても何ら不思議ではないはず。そんな少女が自らの手で足でここまでやってくるというのは、どれほどの深い事情があるのだろうかと思うことはある。義理の兄を探しにきたという言葉が嘘だとはリィンは欠片も思っていない。こんな小さな女の子を疑うほど、疑心暗鬼になったつもりはないからだ。
ご飯片手に少しばかり思考してみる。彼女は義理の兄を探していると言っていた。義理の兄。つまり、血は繋がっていないことになる。その兄は果たして貴族なのだろうか。昨今ではシュバルツァー男爵家のような貴族は珍しいという。ほとんどの貴族は平民との間に壁を設けている。それは物理的にでもあり、精神的にもである。我らは
「———さま、兄様」
「あ……すまない、エリゼ。少し考え事をしていたんだ」
「そうでしたか……。私はてっきり体調が悪いのではないかと思ってしまって」
「いや、問題ないよ。父さんも母さんもごめん、ご飯の途中に考え事なんかして」
「分かっているのならいい。考え事も大事だが、まずは母さんの料理が先決だということを忘れないようにな」
「次から気をつけてくださいね、リィン」
「ああ、気をつけるよ」
どうやら食事をすることが疎かになっていたらしい。そのことをリィンは自覚する。そうしている間にもアルティナはよく食べている。その小さな体躯には見合わないほどのご飯を胃の中へと収めながらも、数日前と比べてみるとその量は少なめだ。鍛錬メニューの一新に伴い、いつもよりも軽く身体を動かした程度だからだろうか、必要なエネルギーがそこまで多くなかったのだろう。一先ず考え事は後にしようとご飯を口に運んでいった。
朝食を食べ終えると、各々ここから先は自由な時間が待っていた。さて、これからどうしようかとリィンはその場で考え始める。まず特別急ぎでやらなければならないことはない。そうなると、今日一日は普段以上に自由な時間ということになる。山道の方には雪も積もっていることだろうし、スノーボードをするもことだって出来る。ヴェルナーさんの元で料理研究に励むのも良し渓谷道に出て釣りをしてくるのも良しという具合だ。さてどうしたものかと思っていると
「リィンさん」
自分の名前を呼ぶ声が耳に届いた。振り返ってみると、やはりそこにはアルティナがいた。真っ直ぐにこちらを見つめる若菜色の瞳と目が合う。それからふと、何やら背中の方に何かを隠し持っていることに気が付いたが、一先ず要件を聞くことにする。
「どうかしたのか、アルティナ」
「少し訊ねたいことがありまして。少々お時間頂いても構いませんか?」
「ああ、特に何かしようと考えていなかったから時間は有り余ってるけど……」
「そうでしたか。実は、この板の使い方を教えてほしいのですが……」
そう言って取り出されたのは、先程まで背中に隠されていた大きめの長細い板。表面と滑走面が一体となったものに、ブーツをボードに固定する為に使われるバインディングと呼ばれる留め具が直接取り付けられるようになっているそれはユミルの子供達に馴染みの深いものだった。
「俺のスノーボードじゃないか。よく見つけてきたな。ひょっとして遊び方を教えてほしいのか?」
「スノーボード……? それはどういった遊びなのですか?」
興味津々といった様子を見せるアルティナに、リィンは何処かエリゼに何かを教える時のような心地で説明する。
「ああ、その板の上に乗って雪の斜面を滑り降りる遊びなんだ。確かにこれは雪がよく降って積もるユミルならではの遊びだから知らなくても無理はないな」
「なるほど、興味深いですね。それはわたしにも出来ますか?」
期待の眼差しを向けるアルティナに、リィンは答える。
「ああ、少し練習したらある程度感覚は掴めるはずだ。慣れてきたら色々できるようになると思う。俺のものだと大きいだろうし、アルティナの身体に合ったサイズのものがいくつかあったはずだからそれを借りよう」
「そうですか。では少しだけ待っていて貰えるでしょうか? ルシアさんに話したいことがあるので」
「分かった。ゆっくり話してきてもいいからな」
「そこまで時間はかからないと思います」
そう言うとアルティナはルシアがいるキッチンの方へと向かっていった。その後ろ姿を見送ったリィンは何を話しにいったのだろうかと考えてみるが、特別これといったものは思いつかなかった。
少しほど経って、アルティナがキッチンの方から戻ってきた。心なしか嬉しそうにも見える。何を話してきたんだろうかとリィンは気になり、訊ねてみることにする。
「何を話してたんだ?」
「秘密です。夕方まで楽しみにしていてください」
「夕方まで……?」
はて、夕方に何か特別なことがあっただろうかと唸るリィンの手をアルティナが握る。
「昼食まで時間はありますが、午後からは少しやっておきたいことがあるので早速ですが山道の方へ行きましょう」
どうやら普段とは違い最低限の鍛錬しかしていなかったアルティナは元気が有り余っているらしい。グイッと引っ張る手に力強さを感じられる。そんなに楽しみなのかと期待した様子の少女の姿に、リィンは微笑ましそうに頰を緩めた。玄関の扉を開け、外へと出る。見慣れたユミルの里の光景が広がっている。日が沈んでいた早朝に比べると少しばかり暖かいが、それでも誤差だ。防寒対策は万全にしておかなければならない。特に元よりこの地に住んでいないアルティナは滞在を開始してから少ししか経っていないこともあり、ユミルの住民基準で下手に測ると風邪を引かせてしまうかもしれないと思ったリィンは、もう少し寒くなってから自分が愛用しているマフラーを手に取ると
「アルティナ、ちょっとこっちを向いてくれるか?」
振り向いた少女にそれを見せた上で手慣れた動きで首にマフラーを巻いていく。首元が寒くないように、けれど、首回りが苦しくないようにという絶妙な加減で。やや黒っぽいそのマフラーは、不思議とアルティナの銀髪と合っていて、とても似合っているようにも思えた。巻いてもらったそれを手に取り、アルティナは少しばかり見つめるとこちらを向いた。
「どうも、ありがとうございます。……これはリィンさんのものですよね?」
「驚いた……よく分かったな。……もしかして嫌だったか? それなら今からでもエリゼに頼んで借りて———」
慌てるように急ぎ行動へ移そうとするリィンの姿に、この人は相変わらずですねとアルティナは溜息を吐いた。
「いえ、その必要はありません。せっかくの厚意を無駄にするのもどうかと思いますし、それ以前に特に気にしてませんから」
「……そうなのか?」
「ええ、気にしてませんよ。むしろ、すぐに気遣ってくれたことの方が嬉しいですし」
まるで妹が兄の服の袖をギュッと掴むようにマフラーを握って優しく微笑むその姿に、リィンはホッとしたような気持ちになる。安堵を覚え、しかし何処か庇護欲を唆られるような複雑な何かが心の底から湧いてくる。遥かに自分よりも強いはずの少女が、本当は弱いのではないかという、杞憂に終わるに違いないことを考えてしまう。
その一方でアルティナは、首に巻かれたリィンのマフラーを嬉しそうに撫でた。なんだか彼の腕の中で包まれているような気がする。気持ちが落ち着いて、心がいつもよりとても安らいでいるというのに、心臓は少し五月蝿い。これが不埒な気持ちなら、悪くはないと思えるほどに身も心も暖かくて。
もう少しこうしておきたい気がしたが、先程時間は有限だと言ったばかりのアルティナは、いつもの調子を取り戻して声をかける。
「さて、それでは行きましょう。リィンさん」
「ああ、そうだな」
そうして二人は山道の方へと歩いていき———
「いやっほーう」
「「………………(パクパク)」」
教える立場であったはずのリィンが困惑する羽目となった。
山道について借り物のスノーボードを受け取ったアルティナは、当初の予定通り彼の説明を受けることになった。専門用語がいくつか飛び出したこともあり、逐一それが何なのかを訊ねることを繰り返すこと数分後。その頃には、アルティナは初心者とは思えない滑りを見せつけていた。一から全てを教える気でいた経験者リィンは勿論、冬を迎える度に山道の方を確認しに行きゴーサインを出す管理者のようなポジションにあるジェラルドですら、このまさかの光景に開いた口が塞がらない状態へと陥っていた。特に後者に関しては、ユミルの子供達を含む若い衆を長年見守ってきた大人であるため、過去に前例がなかったここまでの滑りに驚きを隠せないのだろう。無論、本当は初心者ではないのでは?という考えも浮かんでいないはずはない。
しかし、彼は長年見守ってきた立場である。アルティナが初心者かそうでないかの区別はつく。そもそも、最初はスノーボードに足を固定する方法もぎこちなかったのだから、これが初心者でないはずがない。スタートラインに着くまでの動きも慣れていないことがよく分かるものだった。間違いなく彼女は初心者だ。初心者であるはずなのだが……
「……なあ、リィンよ」
「……ジェラルドさん、初心者ってなんでしたか……?」
「……言うな。今必死に定義を思い出そうとしているところだ」
初心者とは何か、という定義がたった一度の滑りで根底からぶっ壊されてしまったような気持ちになった二人は、遠い目で一番下まで滑り降りていく少女の姿を見守ることしかできずにいた。本当に経験がないのかを問い質したくなるような心境にあったが、自分達の知っている初心者が取る行動という定義がそれを未然に防ぐ。第一、二人掛かりで小さな少女を質問責めというのは、第三者視点から考えてもかなり洒落にならない光景だろう。渓谷道のように目先の危険があるなら兎も角、ここは遊び場の一つだ。他の誰かが立ち寄るのは当たり前である。
……などとそんなことを思っていると、滑り終えたアルティナが戻ってきた。顔を見ただけで分かるほど、とても楽しそうである。
「これはなかなかの爽快感ですね、リィンさん。雪山を滑るというのは初めてでしたが、気に入りました」
「……あ、ああ……それは良かったな……」
「……なあ、嬢ちゃん。本当に……初心者か?」
「はい。スノーボードは間違いなく今回が初めてかと」
そう、それだけは間違いない。そもそもアルティナがユミルに訪れたのは、遡行前は後にも先にもたった一回だけだった。遡行を経て、今回で漸く二回目である以上、スノーボードという遊びの経験などこれが初である。
とはいえ、流石に何もかも知らないという訳ではなかった。
ですが、と区切り、言葉を付け加える。
「
つまり、そういうことである。
アルティナが内戦時において放っていた
いざそういう経験があると聞いたリィンとジェラルドは、なるほどな、といった顔をしてから心底安心したような様子を見せた。どうやら初心者とは何かという定義が粉々になる未来だけは阻止できたらしい。どうしてそんな顔をするのか分からないアルティナは首を傾げるばかりである。
「コホン」
何はともあれ、と咳払いをしたリィンがスノーボードを雪面に置く。
「それじゃあ、今度は俺の番だな」
「ええ、スノーボード経験者の実力を拝見させていただきます」
初心者(?)アルティナの滑りに触発された経験者リィンが、教える必要がないと分かったことで自分も思う存分楽しんでやると言わんばかりに意気込む。それはまるで負けず嫌いな子供のようにも思えて。
「———なんだか少し可愛らしいですね」
いざ男性が耳にしたら恥ずかしい思いをするようなそんなアルティナの一言は、ちょうど滑り降り始めたスノーボードの滑走音に呑まれていった。
次回は夕方からの話になります。
プロットに若干満足できていないので早めに手をつけます。
一週間に一度の更新だけど、早く次の話を仕上げられるようにしたいですね。旧第三話みたいなアホやらかさない程度にね!