クソッタレな御伽噺を覆すために黒兎が頑張るそうです   作:天狼レイン

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 一週間に一本投稿を破った作者です。ホント申し訳ない。色々と手間取りました。調べ事多かったですしね。何とか仕上がったのでこの通りです。次回に繋げるための回でもあったので、こういう感じになりました。





6.ある冬の日の出来事 後篇

 

 

 

 

 

 

 

 アルティナ・オライオンという少女が、自主的に料理をするようになったのは決して特別な理由があった訳ではない。とてもありふれた、それこそ陳腐というに値するものだ。自分の作った料理を食べてもらいたかった人がいたという、ただそれだけのことである。そして、その相手が誰であるかは語るに及ばないだろう。

 

 初めてそう思うようになったのは、〝彼〟が大気圏外へと旅立ち消えていった翌日のことだ。必ず帰ってくると約束したあの人が、自分達の元に帰ってきた時にはきっとお腹を空かせているだろうと思い、どうせなら手料理を食べさせてあげたいと考えたのがキッカケだった。

 

 料理というのは、自分で作れるようになるまで時間のかかるものだ。中にはどれだけ頑張っても上手く作らないという人もいるくらいで、文武同様どれほど極めても頂きに達することができないものである。齢14ほどの少女であったアルティナは、その齢では珍しく最低限作ることが出来るぐらいの技量こそ持ち合わせていたが、一口に得意と断言できたものはお菓子だけであった。

 

 ちょっとした間食が欲しいという時などに出すなら兎も角、かなりお腹を空かしている相手にお菓子を出すというのはなかなかに厳しいものがある。どうせならこれでもかというぐらいお腹一杯になるまで美味しいものを食べさせてあげたいと思うのが心情だ。そういう面からも、一先ずレシピにある料理を一通り作れるようになろうとした。

 

 その結果として、紆余曲折の末にアルティナが一般的に料理が出来るという者達よりも遥かに美味しいものを作ることができるようになったのは言うまでもないことだった。

 

 

 

 

 

 温泉郷ユミル。そこを治めるシュバルツァー男爵家の厨房では、珍しいことに常にそこに立ち続けていたルシア夫人以外の人物の姿があった。長い銀髪に若菜色の瞳を持つ少女。アルティナ・オライオン、彼女である。つい先程まで()()()()()を済ませていた彼女が、今はその厨房に立っていた。夫人にお願いして借りることができた少し大きめの三角巾とエプロンを身につけているその姿は、見た目通り小さな子供が頑張って背伸びをしているようでとても可愛らしい。もしここに可愛い女の子をこよなく愛する某先輩(アンゼリカ・ログナー)がいようものなら、その餌食になってもおかしくないだろうほどである。

 

「早速作りましょうか」

 

 そう言ってアルティナは右手に包丁を、左手にほっくりポテト二つを手に取ると、まな板の上でそれを四等分に切る。続けてしゃっきり玉ねぎ二つもくし形に切り、皇帝人参を乱切りに、ブロッコリーは小房に分けて下茹でにしていく。

 

「次はキジ肉の下味でしたね」

 

 ルシア夫人曰く「精のつくものだからとあの人(シュバルツァー男爵)が仕留めてきてくれた」というキジ肉を一口大に切る。それを粗挽き岩塩で下味をつけ、取り出したフライパンで軽く焼き色をつけてから一度取り出した。

 

「下味はこれで完了ですね。そろそろ鍋の方に取り掛かりましょうか」

 

 コンロの方に鍋を置かなきゃと仕舞ってある大きな鍋を手に取る。

 

「……少し重たいですね。完成した後はわたしだけでは運べそうにありませんね」

 

 流石に齢12の体躯では少し重く感じた鍋だったが、何とかコンロの上に乗せて調理を再開する。バターを大さじ一杯、魔獣の油脂を中火で熱し、先程切ったしゃっきり玉ねぎを入れてサッと炒める。そこに同じくほっくりポテトを加えて炒め合わせ、乱切りした皇帝人参も加え、全体に油が回るまで炒めていく。

 

「これぐらいでしょうか」

 

 全体に油が回るまで炒めると、一旦火を止めて小麦粉を振り入れ、全体を混ぜてから中火にかけて炒める。そこへ新鮮ミルクと水を2カップと半分ほど、香辛料各種を加えて煮立たせていく。

 それからポコポコ煮立つくらいの火加減にし———

 

「15〜20分ほどほっくりポテトに火が通るまで、ですね」

 

 あとは途中で底をかき混ぜることさえ忘れなければ問題ない辺りまで到達したアルティナはここで一息つく。

 

「……そういえば、ミリアムさんは元気でしょうか?」

 

 ふと今も国内各地で諜報活動をしているだろう姉のことを思い出してみる。水色の短髪に山吹色の瞳を持つ少女。実の姉妹というには些か無茶があるほど容姿・性格が共に似つかない二人だが、〝形式番号〟では一個違いであり、彼女の方が先に造られた以上は、必然的にアルティナはミリアムの妹という立ち位置であった。〝あの未来〟において、慣れないうちは妹扱いされることに抵抗があったが、今ではそれも慣れたものだ。

 とはいえ———

 

「やはり、〝アーちゃん〟というのは気恥ずかしいですね」

 

 〝アーちゃん〟の他にも〝アル〟や〝アル吉〟に〝チビ兎〟エトセトラエトセトラ……と呼ばれてきたアルティナだったが、やはり擽ったいような気もする。〝アル〟に関しては分校にいた頃は常に呼ばれてきたため慣れてしまったが、特にランディからの〝アル吉〟は何とも言えないものがあった。そういえば、渾名の付け方がかなり独特だという話でしたね、と思い出す。

 

「今度手作りのぬいぐるみでも送ってみましょうか」

 

 流石にシャロンさんほどではありませんがと呟きながら、アルティナは軽く鍋をかき混ぜる。

 

「どういったものなら貰って嬉しいでしょうか……」

 

 ミリアムさんならどういったぬいぐるみが欲しいでしょうかと相手の立場になって考えてみる。〝あの未来〟において、アルティナは彼女から貰いっぱなしだった。お揃いの兎型トイカメラはその例だ。

 ならば、兎のぬいぐるみはどうだろうか? 雪兎のように白い兎を模したそれなら一方的に覚えているだけにはなるがトイカメラのお返しになるだろう。聞くところによると、ギリアス・オズボーン宰相から任務達成のご褒美として大きなクマのぬいぐるみを買ってもらったという。白兎のぬいぐるみを貰っても喜んでくれるに違いない。

 違いないのだが———

 

「……何か違うような気がしますね」

 

 喜んでくれることには間違いないが、どうせならもっと喜んでもらえるものをあげたいという気持ちが胸に湧いてきた。どうしてそんな気持ちになったのか。かつてのアルティナならば、取り敢えず喜ばれるものを適当に用意して送っただろうが、今の彼女はミリアムという存在がまだ〝在る〟ことを心から喜んでいる。あの時伝え切れなかった言葉や感謝がたくさんある以上、こういった機会に伝え尽くすつもりでいたいと思ったのだ。

 底が焦げないように定期的に鍋をかき混ぜながら、考えること数分。漸く〝最適解〟を思いついたアルティナは、浮かんだアイデアに少し恥ずかしさを感じながらも決めた。

 

「仕方ありませんね……。()()()()()()()()()()、次に会うのは早くともノルドになるでしょうし」

 

 ミリアムが旧VII組と初めて接触したのが、ノルドでの特別実習を行っていた時期であることを情報局のデータベースで逐一確認して知っているアルティナは、それまで再会できないことを理解していた。名目上は宰相からの〝要請(オーダー)〟、本音は喜んでユミルに滞在している以上、こちらは何一つ不満などないのだが、ミリアムからすれば、妹に一年以上出会えないのだからきっと寂しいと思うことだろう。そう思うと、少し恥ずかしいくらいは我慢できる。明日棉と布を買い足しておこうと決めて、鍋をかき混ぜるのをやめた。

 

「そろそろ時間ですね。ほっくりポテトに火が通っているか確認しましょう」

 

 竹串を取り出し、それをほっくりポテトの中心辺りまで突き刺してみる。ゆっくりと引き抜いて先端付近を唇に当てると熱かった。ちゃんと中まで火が通っている証拠だ。

 

「ちゃんと火が通ってますね」

 

 ほっくりポテトに火が通っていることが確認できたアルティナは、下味をつけたキジ肉を鍋へと入れ、粗挽き岩塩を小さじ一杯と胡椒を少々加えて五分ほど煮ていく。

 

「あとはブロッコリーを入れ直して、バターと白ワインを大さじ一杯……」

 

 待ち時間の間に用意しようとして、そこでピタリと動きを止める。

 

「……白とはいえ、ワインを入れても大丈夫なんでしょうか……」

 

 料理の研鑽を積んできた過程で、アルティナは料理に使ったワインがどうなるかを知っている。強火で加熱することで殆どのアルコールが飛ぶことは料理をする者なら誰もが知っていることだ。それは強火でなくとも加熱することで多少時間はかかるものの、同様の効果を得られることも知識としてある。

 しかし、同時にいくら加熱してもアルコールの全てを飛ばすことができないことも知っていた。第II分校に所属していた頃ならリィンは成人していたが、今はシュバルツァー男爵とルシア夫人以外の三人が未成年だ。飲酒に当たるかもしれないと思うと入れてもいいのかと思ってしまう。仮に入れた場合、将来的にリィンは酒に弱い訳ではなかったので問題ないだろう。

 しかし、気になるのは———

 

「エリゼさんとわたしがお酒に弱すぎないかどうか……」

 

 ほんのちょっとしか残っていないアルコールで酔ってしまうほどならば、キジ肉のシチューを食べ終わる頃には出来上がってしまう可能性が高い。そうなった場合、色々と迷惑をかけてしまうかもしれない。世の中には泣き上戸や笑い上戸、抱き上戸に甘え上戸と、様々なパターンを見せる人がいると聞く。果たしてその中に自分が入っているのではないかと不安になっていた。

 とはいえ———

 

「……途中で火を止めてしまうのもどうかと思いますし……」

 

 質問をしに行くために火をつけたコンロをそのままにして厨房から離れるというのは、一料理人として安全管理を怠っていると言える。そのため、火を止めてから離れることが当然のことなのだが、困ったことにまだ仕上げ前の五分間を煮ていない。大事な仕上げ前の工程を崩してしまうとせっかくの料理が台無しになってしまう。料理とは、最初から最後まで完璧に工程を通す必要があるものだ。終わり良ければ全て良しなどという甘えは早々通じない。声をかけて呼んでみる、という方法も無くはないのだが———

 

「……なんというか、負けたような気分になりますね……」

 

 つまるところ、意地がそこにあってしまったということである。同じ料理を作る者として負けたくない。〝あの未来〟では叶わなかったことを今試してみたい。リィンとスノーボードをしに行く前に何とか話をつけて手に入れた、今日の夕食を一人で作るせっかくのチャンスを十全に活かしたいという様々な思いがあったのだ。そういう動機も相まって、アルティナが出した結論はというと

 

「———味見をして問題がないか確認しましょう」

 

 料理を完成させる上で大事なことの一つ、味見。それを以て判断するという答えを出した。

 

「……そもそも大さじ一杯程度の上に、この量のシチューに加える時点でそこまで気にする必要なさそうですし」

 

 よく考えてみれば、そのまま大さじ一杯を口にするのとは話が違う。シチューに溶けて混ざっていて、更には加熱するのだからそこまで深く考え過ぎる必要がないのだ。そこで漸く、流石に気にし過ぎでしたね、とアルティナは悩むのをやめて、ちょうど五分を過ぎた辺りでブロッコリーを入れ直した上で、少しずつバターと白ワインを鍋へと加えて、味見をすることにした。

 

「……あともう少し足りない気がしますね」

 

 ほんの少しだけ小皿に入れて口にしたシチューの味にそう評価を下すと、ほんの少しだけバターと白ワインを加え直して、少しほど待ってから再度確認する。

 

「これなら出せますね」

 

 口の中に広がった味に納得が出来たのか、アルティナは頰を緩める。

 

「お口に合うといいのですが……」

 

 少し不安はある。どうしてそう思うのか、それはあくまでアルティナ・オライオンという少女の味覚センスでしかないのだと分かっているからだ。もしかすると、質素倹約を心掛けるシュバルツァー男爵家のキジ肉のシチューの味というのがもう少し大人しいのではないだろうか?と考えてしまう。

 と、そこでふと教官だった頃のリィンの笑顔が思い浮かんで———

 

「……賭けというのはあまり好きではありませんが、仕方ありませんね」

 

 美味しいと言ってくれる彼の笑顔と、頑張った方じゃないか?と言ってくれる彼の顔。少なくとも彼女自身が不味いとは思わない味なのだから、どちらに転んでも勝ちではないのか?とアルティナの思考がそこに至った。

 コンロの火を止めて一先ず料理の完成を実感すると、まずは一言

 

「《クラウ=ソラス》」

 

『Х・VкёёГ』

 

 漆黒の戦術殻《クラウ=ソラス》を呼び出して

 

「今からシチューを運ぶので手伝ってください」

 

 と、命令なのかお願いなのか分からない言葉を告げた。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 シュバルツァー男爵家の食卓に、漆黒の戦術殻(クラウ=ソラス)がシチューの入った鍋を持って現れたことで大騒ぎになってから数時間後。何とか上手く誤魔化すことに成功した……はずと思うアルティナは、ルシア夫人の勧めでユミルの名物である温泉を満喫するため、着替えとタオルを持って『鳳翼館』へ足を運んでいた。

 

 聞けば、ここにも料理を作る人———というより本職の料理人の方がいるとのこと。その話を耳にした彼女は、先に話だけでも聞いておきたいと思う一方で、やはりせっかく勧められたものを先に満喫する方がいいのではないかと、揺れに揺れた末に露天風呂の方を優先することにした。バギンズという老紳士風の支配人に今使えるかどうかを確認し、使えるということなので場所は何処かを教えてもらいながら、右手奥にある脱衣所に向かうことにする。女性用の赤い暖簾を潜ると、そこには例に及ばず用意されている衣服などを入れる籠がある。その中に身につけていた服や下着を畳んで入れながら、着替えと身体を拭く用のタオルをその隣に置くと扉を開けた。

 

「これは……すごいですね」

 

 〝あの未来〟において、アルティナはユミルや人知れぬ秘境にある場合を除くほぼ全ての温泉を巡った経験を持っている。リィンの温泉マニアに感化されて目覚めた影響もあり、温泉を見る目も肥えていた。そういうこともあり、帝国屈指の温泉と太鼓判を押されるこの地の温泉には興味があったのだが、流石にこれほどとは予想していなかったと舌を巻いた。

 

 リベールのエルモ村にある『紅葉亭』のそれより大きく、エマやヴィータの故郷であるエリンの里、そこにある《妖精の湯》よりも東方の文化に影響されているのか、そちらの風情があった。自然を生かした造りとそれを支える風景。しかして、人工的らしさを極力感じさせないとなると、なるほど、これは確かにユミルが温泉郷と謳われる所以(ゆえん)だろう。

 

「リィンさんの話によると、確か万病に効くそうですね」

 

 かつて、教官であったリィンからユミルの温泉の効能などを耳にしていたアルティナは、(かね)てより興味が湧いていたこともあってか急かされるように早く入りたいと思うものの、〝まずは身体を洗ってから〟という自身の決め事に従って、先に身体を洗うことにした。

 

「石鹸も天然素材ですか。これはかなり徹底してますね……」

 

 やはり帝国屈指の温泉は格が違うという、若干リィンの故郷だからという色眼鏡も含めながらも、アルティナは初めて入ったユミルの風呂に感心する。身体に掛け湯をかけ、まずは長い銀色の髪から洗っていく。

 

「……髪の手入れはしておいた方が良いのでしょうか……」

 

 かつて、クラスメイトであったユウナが髪の手入れを行なっているという話をお風呂場で聞いたことがあったアルティナはふと思い出す。確かあの時は「アンタみたいに手入れもしないで髪も肌もツヤツヤな子とは違うの!」とのことだったと思う。とても羨ましそうな、同時に恨めしそうな顔をされたのをよく覚えている。その言葉や他の女性陣から考えるに、一人の女として髪や肌の手入れは必須なのかもしれない。

 

「……あとでエリゼさんやルシアさんに訊いてみましょうか」

 

 特に前者はその辺りを強く気にしているのではないかと考えたアルティナは訊ねる相手を定める。髪を洗い終わり、桶に入れた湯で汚れと共に泡を流すと、次は首へと移る。至極当たり前のことだが、身体は上から下へと洗うのが一番良い。下手に下から洗おうものなら流し切れなかった汚れが残ってしまうからだ。そうして、首から肩へ、肩から胸や脇、腕へと洗っていき、下半身を洗い終わる。後は先程と同じように洗い流せば、後はゆっくり温泉を堪能するだけ。

 

「そういえば———」

 

 チラリと女風呂の奥にある扉に目がいった。

 

「とても大きな露天風呂があるという話でしたね」

 

 祝賀会の時に耳にしたユミルについての話を思い出す。曰く「至福というか、まるで天国にいるような……」とのこと。その言葉を聞いて大いに興味を抱いたのをよく覚えている。内戦中にリィンがエリゼにそこで励ましてもらったという情報も知っていたアルティナは、何らかの効能の他にも勇気を出すことができるような未知の効能もあるのではないかと考える。

 

「……そちらに浸かってみるのも良いかもしれませんね」

 

 露天風呂である以上、混浴だというが今のアルティナはそんなことを気にすらしていなかった。思い立ったが吉日とでも言うかの如く、用意されていた湯着を身に纏い、ズレ落ちたりしないかだけを確認した後、奥の扉に手をかけた。

 

「……この気配は……」

 

 そこで扉の奥から覚えのある気配を感じ取った。遡行による昔の自分に戻ったことで発生した身体能力の低下の影響か、漠然としたものしか感じ取れないが、少なくともそれが誰なのかということだけは不思議と分かってしまっていた。アルティナにとって、その人の気配までもが強く印象に残りすぎていたせいだろうが。

 

「……まあ、今更ですね」

 

 最早こちらが覚えているだけでしかないが、散々エリンの里で一緒に温泉に浸かったのだから湯着を纏った身体くらいなら見られても特に問題などないだろうと思い至ったアルティナは、ごく自然にその扉を開けた。

 

 そこに広がっていたのは、先程までの風呂とは桁違いの大きな露天風呂だった。とても広く、そして、日が沈んだことでライトがついた灯りが見せる仄暗さはとても風情があった。幻想的と言うべきそれは、なるほど確かに美しいと言えよう。大自然が近い土地では、朝昼夜で様々な顔を見せるため、風景一つとっても侮れないものだというが、大陸各地の温泉を堪能してきたアルティナでも、改めてそれを再認識した。

 

「これは……確かに凄いですね。勧められた理由が分かります」

 

 どうせなら約束が叶ってほしかった。そう思うくらいには。

 ほろりと無意識に目尻にほんの少し涙が浮かび、それが零れた。叶わなかった約束は、それこそ内容は変わってしまったが、確かにアルティナはこの地にやってくることができた。残念ながらここに来ることが出来たのは彼女一人だけになってしまったが。

 

「その声……もしかしてアルティナか?」

 

 湯煙の中から、先程扉の前で感じ取った気配と同じものを感じた。耳にした声でやはりと確信しながら、アルティナは目尻を軽く拭ってから答える。

 

「はい。その声はリィンさんですか?」

 

「ああ……———って、アルティナ!?」

 

「……ええ、間違いなくアルティナですが……。やはりまだ声だけでは分かりませんでしたか」

 

「わ、悪い。そういうつもりじゃなかったんだ。ただ少しボーッとしててさ……」

 

 不機嫌そうな顔をしたアルティナに対して、リィンは失言を謝罪する。どうやら少し惚けていたのだという以上は、それなら仕方がないのかもしれないとすぐさま切り替える。

 

「せっかくルシアさんに勧められたので、露天風呂に入ってみようと思いまして」

 

「そうか、今回が初めての露天風呂なんだよな。一人でゆっくり浸かりたいだろうし、俺はすぐに出て行くから———」

 

「……はあ、別に出て行かなくてもいいですよ。個人的には一人で静かに入るよりも、誰かと話をしながらの方が楽しめますから」

 

「そう……なのか?」

 

「ええ、だから気にしなくて結構です」

 

 湯から上がろうとしたリィンを留めさせると、アルティナはゆっくりと湯の中に足先から沈めていく。問答の間に外気に当てられて冷え始めた身体には、露天風呂の熱めの湯が沁みるように感じた。徐々に慣らしながら肩まで身体を沈めると、自然と息が漏れる。

 

「……なるほど、確かにこれは勧める理由が分かりますね」

 

「はは、気に入ってくれて何よりだ。ここはユミルの名物だからな。自慢話になるが、『鳳翼館(ここ)』は時の皇帝陛下に恩賜されたくらいの施設でさ。俺達の誇りでもあるんだ」

 

「そうでしたか。それなら、納得ですね」

 

 少しずつ移動しながらアルティナは言葉を交わして、リィンの隣に落ち着く。彼は驚いたような顔をしたが、「顔を見て話していると安心するので」と言われてしまい、早々に諦めをつける。

 

「そういえば、今日の夕食はアルティナが作ってくれたみたいだな」

 

「はい。リィンさんとスノーボードをしに行く前にお願いをしてました。……その……味の方はどうでしたか?」

 

「ああ、とても美味しかったよ。本当に12歳なのかって驚いたくらいだ」

 

「そうでしたか。それは良かったです」

 

 そう言って、アルティナは嬉しそうに頰を緩めた。この状態が〝かつて〟と同じなら、きっとユウナさんやミュゼさん辺りに揶揄われるでしょうね、と頭の片隅で思いながらも、無意識に頰はまだ緩む。少しだけプイッと顔を背けて、気持ちが落ち着くまで意識を別のことに集中させる。例えばそれは、ミリアムに送る手作りのぬいぐるみの制作期間計画案だったり、或いは———

 

「リィンさんはいつから剣術———《八葉一刀流》を?」

 

 そこでふと、アルティナは今の彼のことが知りたくなった。

 

「……今から五年前になるな。

 というか、アルティナは《八葉一刀流》を知っているのか?」

 

「はい、ある程度は」

 

 貴方の技をそばで見てきましたから。

 本当は口に出したいくらいのその想いも、心の中でそっとそう呟いて我慢する。ここにいるリィンとアルティナの知っているリィンは厳密には違う。同じ世界の、それこそ彼女がこの時間軸に遡行せず同じ筋書きを辿れば、恐らく全く同じリィンになるだろうほどに誤差など存在しない。途中で何を選択するかで多少なりとも変わることはあるだろうが、それでも根幹は決して変わらないほどだ。故に、ここにいるリィンはアルティナの知っているリィンになる可能性を秘めた存在とも言えた。

 

「ユン・カーフェイ老師でしたか。リィンさんはその人の弟子で合っていますか?」

 

「……ああ、修行を打ち切られてしまった未熟者だけどさ」

 

「未熟者……ですか」

 

 記憶にあるリィンの姿をアルティナは思い浮かべる。最初に出会った時、隙だらけであった彼は確かに一線を張る武人として見れば未熟者だったのだろう。もしあそこで鎮圧しろと命令されていれば、人質に取った二人を盾に優位に立つこともできていたのは事実だった。命令こそ無かったから手を出さなかった程度の相手。

 

 その認識が崩れ始めたのは、二回目の出会いだった。ノルドの監視塔での戦い、そこで繰り広げた戦闘の末、一度でも膝をつかされたことは忘れることのできないことだ。仲間との絆と力があったからこそ。そういう見方もできるだろうが、それだけではないと断ずることすらできる強さの変容。間違いなく、あの時点でリィンは強くなっていた。

 

 そして、三回目。ここで認識は完全に覆された。戦闘前に色々と不埒な目に遭ったことはさておいても、〝鬼の力〟を制御することができるようになったことで、彼の実力は跳ね上がった。直前の〝お姫様抱っこ〟からの〝アレ〟で僅かに隙が生じたとはいえ、《クラウ=ソラス》共々刀一つで弾き飛ばされた経験などある訳がない。色々と評価を改める必要があることに気付けたのはそれがキッカケだった。

 

 そうして出会う度に、共に肩を並べる度に、共に過ごす度に、リィンは更に強くなっていった。ついには《理》にすら至るまでになってみせた〝未来〟を知っているアルティナからすれば驚かざるを得なかった。しかし、その反面、納得もいった。誰しもが最初から強かった訳ではない。誰しもが迷わなかった訳ではないのだと、改めて理解したからだ。

 

「(わたしはこの頃のリィンさんをよく知らない……)」

 

 今ここにいるのは〝かつて〟のリィン・シュバルツァー。自らを未熟者と卑下する頃の、原点たる姿。教官だった頃とは真逆の、或いは教え子だったアルティナとほとんど同じ位置に立っている頃なのだと。むしろ、今に至ってはわたしの方が彼よりも先にいる立場なのだと認識する。

 

 だからだろうか。———少しだけ欲が出た。

 

「(わたしが、リィンさんが一歩でも進むためのキッカケを作ってみたい……)」

 

 それは一種の好奇心のようでもあり、一種の想いでもあった。

 しかし、その行動が少しだけ〝未来〟を変えてしまうことを薄々分かっていた。分かっておきながら———それでも、アルティナは

 

「———それでは、明日の鍛錬からわたしと戦ってみませんか?」

 

 その小さな手を差し出さずにはいられない。共にほとんど同じ場所から強くなっていくことができると思った時には、そういう未来も悪くないと感じていた。今度はきっと置いていかれずに済むはずだからと。

 

「模擬戦……ということなのか?」

 

「はい。恐らくですが、リィンさんは対人戦の経験が乏しいと考えられます。わたしも大して強くはありませんので、互いに悪くない話だと思われますが……」

 

 実際のところ、アルティナは身体に対人戦の感覚が染み付いていない状態にある。〝あの未来〟においては、これでもかというほど対人戦の経験が確かにあったが、遡行した以上はその感覚も漠然としたものになっている。経験と定着が乖離しているのだ。それは、頭はそう念じていても身体が追い付いていない状態と言える。何事も気合でどうにかできるほどヒトは強くはない。想いだけでは為せないことがある。それを身を以て知ったアルティナは、物は試しとリィンにも示してみる。無論、手合わせをするという方言の中に消えてはいるが。

 

 一先ず思考はそこまでに留め、ちらりと彼の方を見る。悩んでいた。果たしてそれは、〝かつて〟ほど自信がないが故なのか。自信を未熟者と卑下する今の彼には少し重い提案だったのかとアルティナは思う。が、しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()。強く在ってほしいと思うし、優しく在ってほしいとも思う。

 

 だから、少しだけ意地悪をする。

 

「———リィンさんは、どうして剣を執るのですか?」

 

 それは、一人の少女としての言葉。疑問から生じたもの。アルティナはこの頃のリィンを知らない。武人としての芯が通っていない、あまりにも不安定なその姿を今こうして目にしたばかりだ。彼のことは情報局のデータベースで大方調べ尽くしたことだってあった。

 けれど、やはり情報は所詮、情報。そういうことがあった程度しか分からず、それ以上のことは決して分からない。東方には〝百聞は一見に如かず〟ということわざがある。これはまさにその通りだろう。

 

「それは……」

 

 答えを出せずにリィンは言い噤む。それは答えがわかっているのに言えないのか、答えがわからなくて言えないのか。

 恐らく、彼は前者だろう。幼少期に発顕した〝鬼の力〟。いっときの強い感情で自我を失い、しかし、その力は凄まじく鉈で魔獣と思われる巨大なクマを一方的に惨殺したほどだという。剣術も何も学んでいなかったはずの子供がそれを成したというのだから、なまじ剣術を学んだ今暴走したらどうなるのか。彼はきっとそれを恐れている。

 何度も暴走しかけた、或いは暴走した姿を見てきたアルティナは、どうして彼が自らに枷を嵌めてしまうのかということにも理解があった。

 

「リィンさんのことですから、成り行きで———ということは無いでしょうし、そこに理由やキッカケがあるのは分かっています」

 

 それは例え〝未来〟を知っているからというアドバンテージがあるかないかではなく、何らかの直感が優れている者なら何かがあることを見抜いてしまえるくらいには。

 

「出会って少ししか経っていない赤の他人にこれ以上内情を探られるのも気分が良くないとは思うので、話を変えますが———」

 

 目を伏せ、そして告げる。

 

 

 

「———リィンさんは、悔しくないのですか?」

 

 

 

 それはあまりにも実直で、真っ直ぐで、婉曲や回りくどさも全くない。むしろ、分かり易いにも程があると言えるくらい明確な問いだった。単純であるが故に答え易く、そして、同時に本音も言い易い。理屈なんて何処かに置いて、貴方の気持ちはどうなのですか?と真正面から問われているような気すらするだろう。それを証拠に、これまでとは違う反応をリィンが見せた。

 

「……ああ、悔しいさ……。……すごく……悔しいよ……」

 

 それはよく分からない〝ナニカ〟に屈してしまっている今の自分の情けなさに向けられたものでもあり、今こうして赤の他人に見抜かれ問われるまで自分自身にすら本音を偽ってしまっていたことにも向けられていた。

 

 リィン・シュバルツァーは、いつの日かまたその〝ナニカ〟に呑まれ自我を失い暴れてしまった時、今の関係が壊れてしまうのではないかと恐れていた。あの時を境にエリゼを———みんなを護りたいと願い、その為に学び始めた《八葉一刀流》。これを修めることができたなら、その時はきっとみんなを護ることが出来ると信じていた。師ユン・カーフェイ。彼が生み出したその流派は、どれか一つを取っても全てが超一流と言える。大陸最高峰の剣術と謳われるのは決して伊達ではない。

 

 だからこそ、リィンはある時ふと気が付いた。もしもこの剣を学んだ上でまた自我を失い暴れてしまったら———と。そう、それが今の彼を作った。護る為の剣は、いつしか己を抑え込む〝枷〟へと姿を変えてしまった。そうとしか見ることができなくなり、ひたすら本当にこのままで良いのだろうかという迷いに囚われ続けた。それが原因で修行を打ち切られたことを、彼自身理解している。《八葉》の名を汚す愚か者だと自らを責め立てて、それでも剣を捨てることができない。故に未熟者であると。

 

 また深く、昏い、自責の底へと沈みかける。

 

「そうですか———それなら、安心しました。悔しいと思うことが出来るだけ、リィンさんはまだ這い上がれますよ。本当に諦めてしまった人は、悔しいと思うことすらできませんから」

 

 そこへ優しく手が差し伸べられた。

 いつの間にか俯いていたらしいリィンが、アルティナの方へと顔を上げる。少女の心から安堵したような表情が彼の目に映った。どうしてそこまで心配してくれるのだろうと思う。俺と君は少し前に()()()()()()()()()()()()———と。

 疑問は確かにあった。それでも、今は彼女に告げられた言葉の方が腑に落ちたのが早かった。

 

「……そうか……ああ、そうだよな」

 

 ほんの少しだけ、靄が晴れたような気がした。全てではない。

 だが、以前よりも向上心を持ち続けていようと思えるくらいには、迷いが無くなった気がした。

 目を伏せて、そっとリィンは呟いた。

 

「……確かに、今まで銃を持った相手と戦ったことがなかったから、ちょうど良かったかもしれない。それに……思っていた以上に腑抜けていたのかもしれないな」

 

「では———」

 

「ああ、明日の鍛錬からだったな。お手柔らかに頼むよ」

 

 リィンの了承を得られたことで、アルティナはコクリと頷く。頷いて———そっと一言だけ洩らす。

 

「まあ、少しやり過ぎてしまうかもしれませんが」

 

「え゛」

 

 

 

 

 

 

 

 






 と、いうわけで次回から対人戦となります。
 まあ、ここまで来るとアルティナが何をしでかすかは分かるんじゃないかと。というか一番謙遜してるの君だよね……? 間違いなーく、君だよね? 《クラウ=ソラス》と二丁拳銃、アーツまで並行処理できるようになったら、余裕でIVの時よりもスペック高いからな!? ぶっちゃけた話、このまま原作よりも強いアルティナを推して、とんでも試練にぶち当たるまで放置してもいいのか悩みどころではありますが。


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