クソッタレな御伽噺を覆すために黒兎が頑張るそうです   作:天狼レイン

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 投稿無茶苦茶遅れましたね、ホント申し訳ないです。
 指が進まなくて娯楽に走ってました、ゴメンナサイ。
 プロットと下書き4回くらい書き直しました。出来としてはそこそこが関の山ですが。




7.支える者の覚悟

 

 

 

 

 

 

 

 アルティナ・オライオンは、決してリィン・シュバルツァーの言うこと為すこと全てを肯定するだけの存在でいるつもりはない。

 

 確かに彼女は彼のことが何よりも大切だと即答できる。可能な限りは支えてあげたいし、その背中を守ってあげたいと思う。その想いの極端たるや、時間を遡行してまで救おうとするほどだ。実は愛が重いんじゃないのか?だとかそういう論点は一旦隅に置いておくとして。

 

 彼女にとって、リィン・シュバルツァーは〝初恋(はじまり)〟だ。ただの肉人形と言っても間違いなかった〝人造人間(ホムンクルス)〟の少女が、心と感情を手に入れるキッカケを得、それを彼と過ごすことである程度育み、その過程で様々な人々との軌跡を経て、そして———最早ヒトと違わないほどにヒトであると断言できるほどにまで至った。そこに恩義を感じない訳はない。きっと彼は照れ臭そうに笑って自分だけが君を成長させた訳じゃないと言うだろうが、原点は間違いなく彼だ。感謝の想いはいつだって抱いている。貴方に会えて良かった。ずっとそう想っている。

 

 重ねて告げよう。リィン・シュバルツァーは、アルティナ・オライオンにとって掛け替えのない存在だ。彼女を今の彼女足らしめる唯一無二のヒトであり、必要不可欠と断言できるほどに大きくなり過ぎた大切な人だ。

 

 しかし、あくまでそれはそれだ。それを免罪符とばかりに何でもかんでも彼の言うこと為すことを肯定するようなイエスウーマンになるつもりもない。大切なのは決して変わらないし、強欲にもまた〝あの頃〟のように———と思うこともある。

 

 だからと言って、嫌われたくないからとご機嫌に頷き、与えられた命令を熟し、違えることなくキッチリと守り、ただ望まれたことを全て叶えて、報酬のように褒めてもらいたいとは決して思わない。

 今のアルティナにとって、ただ与えられたモノを達成して褒めてもらうと言う至極当たり前に過ぎないことは遠に過ぎ去った喜びだったし、彼が望んだのはそんな退屈なことではない。彼女自身が自ら考え、自分から行動し実行することこそ、何よりも喜んでくれたし褒めてくれたのだ。

 

 ありとあらゆる行動の中に〝アルティナ・オライオンが自分でそうすることを選んだ〟という事実が存在するということ。それこそが、教官であったリィン・シュバルツァーが求めたことだからだ。

 

 そうして自分で何事も考えるうちにアルティナは理解した。

 イエスウーマンには絶対にならないと誓ったのも、そうしなければ、彼は道を踏み間違えてしまうと考え、確信したからだ。己を殺し、求められるままに生きる。偶像、或いはそんな傀儡のような人生を送ってほしくない。今だからこそ、彼女は〝かつて〟の自分自身と、《灰色の騎士》と呼ばれていた頃の彼の在り方を思い出してそう思う。

 だから、常に彼らしく在ってほしいとも願うのだ。

 

 そのためには決して力を惜しむつもりはない。支える時は支えるし、優しくしたい時は優しくする。特に傷付いている時は大抵そうしてあげたい。

 

 きっとこれからも、彼は迷うだろう。立ち止まるだろう。苦しい目に遭わされ、辛い思いをし、挫折と後悔に彩られながらも前を向こうと必死に足掻く。彼の人生は決して優しいものではない。悪意によって操られた運命が齎す絶望の連鎖。その応酬を受け続けることとなる。七耀歴1207年9月1日———〝あの時〟までそう長くはない。

 

 だから、アルティナは急ぐ。

 もう二度と喪ってなるものかと、あんな想いはもうごめんだと。そう言わんばかりの気持ちと、積み重ねてしまった罪業と共に———第一の試しを行うことにした。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 七耀歴1202年11月下旬。

 ある日の早朝。アルティナとリィン、二人の姿は渓谷道の最奥に在った。氷結した滝を目を引くその場所は、監視、及び護衛任務と称してここに派遣された彼女が最初に降り立った地。精霊信仰の名残だろう石碑と先程の滝、アイゼンガルド連邦へと向かう道を除けば他にこれと言ったものがない場所だが———

 

「ここなら広いですし、思う存分に動き回ることができると思います」

 

「そうだな。……まあ少し広すぎる気もしなくはないけどさ」

 

 辺りを見渡しながら、リィンが苦笑と共に頰を掻く。そう思うのも無理はない。実際その場所は、《灰の騎神》ヴァリマールが仰向けに寝転がったとしても、あと二、三体は同様のことが出来る程の広さがある。ヒトよりも遥かに大きな騎神でその結果になるのだから、手合わせ程度に使うにしては広すぎると言っても過言ではない。

 

「まあ、それに関しては手合わせをしていくうちに範囲を狭めたりしてみることにしましょう」

 

 実際に戦うことになれば、場所の良し悪しはほとんど選べない。広すぎるせいで遠距離攻撃が可能な武器を持つ相手に有利を取られることは無論、光源も少ない闇夜で一流の暗殺者と命の取り合いに応じなければならないような状況に陥る可能性が決してないと果たして誰が断言できよう。……尤も、確率とはしてはかなり低いことに間違いない上に、この頃のリィンやアルティナが狙われる理由などありはしないのだが。

 

 一先ず遠距離武器の脅威を知ってもらうことにしようと、アルティナは黒塗りの二丁拳銃を手にする。装填されているマガジンを取り出すと、中に入っている実弾を全て抜いて、その代わりに非殺傷用のゴムで出来た弾丸をマガジンの中に込め直して、それを装填する。持ってきたマガジンにも同様のものが入っていることをもう一度念入りに確認し、最後にポケットに入れた〝ある物〟を起動して、手合わせ前の準備を完全に終えた。

 

「リィンさん、そちらの準備は良いですか?」

 

「ああ、問題ないよ」

 

「まずは制限無しで手合わせをしてみましょう。装填されているのはゴム弾ですが、当たると痛いのは言うまでもありませんし、可能な限り実弾だと思って対処してください。飛んでくる銃弾を真っ二つに切れ、なんて無茶なことは言いませんから」

 

「ああ、そうしてもらえると助かるよ。……というか、その言い方だと、まるで飛んでくる銃弾を切ることが出来る人がいるって聞こえるんだが……」

 

「……気にしないでください」

 

「……いや、それは無茶じゃないか……?」

 

 少しずつ教官だった頃のリィンに近い口調が垣間見えたアルティナはそれを懐かしみつつも意識を切り替える。これから行うのは殺し合いではないが手合わせだ。気持ち的にも軽く行う程度のもの。やり過ぎは御法度だ。

 とはいえ、忘れてはならないことがある。いくら手合わせとはいえ、これは互いに武器を握って交える戦いの一種だ。戦闘である以上は気の緩みなど許されない。目の前のことに集中していなければ想定以上の怪我をすることだってある。それを念頭に置いておかなければならない。

 

「それでは始めましょう、リィンさん。勝敗は?」

 

「〝得物を失う〟か〝急所に攻撃を当てられる〟、あとは〝気絶する〟のどれかが起きた時点で負けにしよう」

 

「了解です。開始はリィンさんに任せます」

 

「分かった」

 

 勝敗の基準を決め、両者は互いに離れていく。その間隔は凡そ八アージュほど。初期位置としては少し広すぎるくらいの場所に着くと、向き合って一礼をしてから得物を構えた。

 

 はらりはらりと新雪が舞い、静寂が訪れる。刺すような冷たさを他人事のように感じながら、目の前に立つ相手だけに集中して、手に握る得物の感触を確かめる。刀と拳銃。片や近距離戦特化遠距離不利、片や中遠距離戦特化近距離不利。どちらにも分があり、どちらにも苦手とするものがある。この手合わせに《クラウ=ソラス》を参戦させていない以上、アルティナに絶対の盾はない。

 あくまでこの手合わせはリィンに遠距離武器との対処法、対人戦の経験を積ませるもの。一方でアルティナは、当時の彼の実力と対人戦の経験を身体に定着させるための一戦となる。それ以上でもそれ以下でもない。互いに深呼吸をし、一度目を伏せて———

 

「———行くぞ、アルティナ!」

 

 彼の口から開始が告げられた。

 まずは素人が遠距離武器を扱う時の典型的な例としての動きを再現するかのように、アルティナは淡々とトリガーを引き続ける。その中をリィンは何とか潜り抜けようと必死に動く。無論、素人の動きなど見ていれば何処に隙が生じているかなど一目瞭然だろう。銃弾が魔弾の如く異常な角度に傾いてくる訳でもないのだから、拳銃が向いている方向にしか銃弾は放たれるはずもない。

 果たして、そこに彼が気付けるかどうか———

 

「ッ! 弐の型《疾風》!」

 

 ()()()()()()()()()()()。嬉しさに口角が上がる。迫る白刃に恐れることなく、何処から攻撃が来るかを素早く想定し、確実に対応する。一撃離脱を重んじる弐の型《疾風》。発展形として《裏疾風》という戦技が存在するその型は、七耀歴1202年現在クロスベルに名を轟かせる《理》到達者。リィンの兄弟子にも当たるアリオス・マクレインが最も得意とする型であり、彼はその型を修めた剣聖でもある。その絶技を()()()()()()()()()()()他、同じく《理》に至ったリィンのその技をそばで見てきたこともあってか、攻撃範囲と攻撃開始タイミングを含めた全てを完全に見切っていた。

 

「な———」

 

「まだまだ速度が足りませんよ、リィンさん。少しずつで構いませんので確実に早めていきましょう」

 

 そう言って、明らかに体躯に差があるはずのアルティナが、全身全霊で振り切られたリィンの太刀を真っ向から二丁拳銃を交差することで受け止めた後、いとも容易く弾き返す。

 

「……はは、驚いたな。見切られていたのも正直びっくりさせられたんだが、どうやって弾き返したんだ……?」

 

「特別大したことではありませんよ。〝氣〟はご存知ですか?」

 

「確か《泰斗流》の基本だったよな。……まさかその歳で修めているのか?」

 

「いえ、そういう訳ではありません。わたしの場合は、あくまでも触りだけです。ちょうどその時は時間もありませんでしたので、一番基本的な〝氣〟の制御を覚えるのが精一杯でした」

 

 とはいえ———

 

「瞬間的になら、リィンさんにも負けない程度に筋力を底上げすることもできます。それに、もしもの心配はしなくても結構ですよ。()()()()()()()()()()()()()方法は用意してきていますから」

 

 まだ幾分か剣に迷いがあったのを感じ取ったアルティナが諭すようにそう告げると、少しだけギアを上げるかのように空気に緊張感が走った。それを受け、リィンもまた太刀を握り直して構える。

 

「今度はこちらから行きますね。油断しないようにお願いします」

 

 告げるや否や、お手本を見せるとばかりに致死の風が吹き荒んだ。

 

「———『ノワールバレット』」

 

 対峙していた少女の姿が一瞬でリィンの視界内から搔き消える。言霊のように発された音もすぐさま静寂に呑まれて消え、あまりにも達者な〝気配遮断〟とその動きに瞠目した。何よりも驚いたのは、その挙動が弐の型《疾風》と恐ろしく酷似していたことで———

 

「わたしは目の前にいますよ、リィンさん」

 

 次に彼女の言葉を耳にした時、不思議とそれは死神が得物を獲物の素っ首に振り下ろす直前にも思えた。ぞわりと背中が寒気立つと共に、全身が急激に硬直した気持ち悪さを味わいながらも、即座に対応せんとリィンは太刀を振るうが間に合わない。直後には、装填されたゴム弾が数発ほどガラ空きの胴体に叩き込まれたのではないかと錯覚した。

 

「ぐっ———」

 

 直撃したのは間違いない。

 しかし、彼が幸運だったのは当たった場所だ。急激に身体が硬直した後に無理矢理対処しようとしたことで大きく態勢を崩しており、そのせいかゴム弾は脇腹の方を掠めていた。実弾であったとしても、これなら致命傷からは遠い。このまま戦闘続行も可能だろう。手合わせだったこともあってか、そこから意地の悪い追撃は入らず、一旦アルティナは距離を取る。荒くなった呼吸を整えながら、リィンは起き上がりながら今目にしたものに対する疑問を口にした。

 

「……今のは、まさか……弐の型《疾風》なのか……?」

 

「はい、あくまで()()()()()()()。残念ながら、わたしは師事したことがないのでせいぜい上手く真似をしただけの紛い物ですが」

 

 大切な人を喪って二丁拳銃を手にするようになって、アルティナが真っ先に身につけようとしたのはこの戦技(クラフト)だった。モデルとなったのは言わずもがな弐の型《疾風》。これと同様に、敵対象単体に一瞬で接敵し、ガラ空きの胴体に銃弾を叩き込んで離脱するというその技は、遡行以前最も使い慣れていたこともあり、奇襲としても有能なものへとなっていた。最盛期よりもまだ遅いが、それでも今のリィンには見切れる道理はない。例え彼でなくとも意表を突かれるだろう。中遠距離用の武器で近距離に殴り込んでくるのだ、正しく初見殺しの戦技(クラフト)とも言えよう。無論、初見殺しの戦技(クラフト)という訳ではないが。

 

 ほんの少しだけ脱力し、それからアルティナは口を開く。

 

「絶対に勝つ———そのつもりでかかってきてください、リィンさん」

 

 迷いを捨てろ。武器を執れ。己の中にある〝ナニカ〟に恐れるな。貴方はただ真っ直ぐに敵を見て、ただ勝つために必死で諍ってほしい。つまるところ、そういう類いの意味合い全てが言外に含まれている言葉だとリィンは悟った。何とかなく分かっていた漠然とした観測が、疑いようのない確信へと移り変わる。

 

 この手合わせは、根幹のところ、リィンが対人戦の経験に乏しいからやってみようとなったものではない。あれはあくまでも建前に過ぎず、実際には腰が引けた情けない状態に幕を引こうと尻を蹴り上げにきたようなものに近い。要は、荒療治だ。それも物理的にである。

 

 聞いていると何とも脳筋的思考に思われるだろうが、ひたすら言葉だけでとやかく言っても変わることができない相手には、まず言葉を述べた上で自分からそのことを挑み乗り越えるチャンスを与えてみるしかない。そこにはただ強引で無茶苦茶な、これといった打算がない訳では決してなく———むしろ、自尊心が低くなっているリィンのために用意した方法・対応であり、流石に何から何まで最適解という訳ではないだろうが、それでも今の彼には必要な処置と言えるだろう。

 

 当然、それを察することができないほどリィンは鈍くなかった。他者からの好意などには滅法鈍いという朴念仁極まる有様ではあるが、流石にそればかりは気付いていた。歳下の少女にこうも言われて、それでも情けない姿を晒し続けることができるほど自尊心を捨ててはいない。何とか呼吸を整えて、しっかりと太刀を構える。

 

「———ああ、流石に押されっぱなしじゃいられないからな!」

 

 死人めいた諦めの色は薄れていた。ただ真っ直ぐにこちらを見て、その動きから次の行動を見抜こうとしている。見切れなくとも、何かしらのヒントを得よう。そこから次に活かすための経験を積もう。少しずつ前に進まなければ成長なんて出来るはずもないのだと。そこには確かにそういった考えが巡らされた様子があった。

 

 それを見て、アルティナは安心する。向上心は間違いなく回復したらしい。その場でひたすら足踏みして、ほとんど進もうとしなかった昨日までの彼はそこにはもういないのだと確認しながら、ならばこちらも彼の成長に繋がるために全力を尽くそうと二丁拳銃を構え直した。

 

 最早これ以上言葉は必要ない。己に出来る全てを発揮して勝ちにいく、たったそれだけなのだから。

 

 ゴム弾が飛び交う中を少年と白刃が閃光と迸り、しかして、少女は接近を許さない。壁は高い。齢など関係なく聳える歴然とした実力差。リィンはそれを痛感する。立ち止まっている間に彼女は研鑽を積み重ねたのだろうと思った。事実それは間違っていない。一年にも満たない僅かな時間、それだけの期間にアルティナは自己を苛め抜いていた。〝氣〟の制御は無論、二丁拳銃の扱い、体力の増強など、〝かつて〟に及ばずとも今の実力に至るまで、その全てが現時点の肉体の限界を超えて培われたものだった。

 それを知ることになるのは、果たしていつになるだろう。分からないがしかし、それでも今だけは忘れられたことがある。

 

 

 リィン・シュバルツァーは、己が半端な未熟者であることを。

 

 

 アルティナ・オライオンは、その身に絡み付いた罪業と願いを。

 

 

 互いが自由に、自在に、自分自身を曝け出していた。

 だからこそだろうか、リィンは油断していた。目の前にいる彼女ではなく、自身の奥底に眠る〝ナニカ〟を抑えることを忘れ、明確な〝前兆〟を感じることもなく———途中からその意識を失っていた。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 次に意識を取り戻した時、まずリィンの目に映ったのは見慣れた天井だった。ユミルを治めるシュバルツァー男爵家の自身の部屋。早朝に目覚め、夜に寝付く前にもう一度見る天井。それが視界に入った。

 

 おかしい。そんなはずはない。もう一日経っている訳がない。目覚めたばかりだというのに、しっかりと覚醒していた意識と脳がそう告げる。どういうことだと家族に事情を訊ねようと起き上がろうとするも、突然全身が鋭い痛みを発し、顔が痛みに歪んだ。苦悶の声をあげることしかできない。自力で無理矢理起き上がろうものなら、この激痛と格闘することになるのは明らかだ。

 

 困ったなと思いながら、リィンはまず記憶を遡ることにした。

 

 始めに今朝のことだ。早朝、鍛錬の代わりに行うことになった模擬戦のために起きたことは覚えている。アルティナと一緒に渓谷道を歩いたことも忘れていない。最奥部で言葉を交わし、ルールを決め、得物を構えて戦ったことも間違いない。《疾風》の動きや足運びを基礎にした戦技(クラフト)を目の当たりにして驚いたことも、絶対に勝つつもりで来てくださいと言われたことも思い出した。その後、果たして軍配はどちらに上がったのか。それを思い出そうとして———

 

「———どっちが勝ったんだ……?」

 

 思い出せなかった。より正確に言えば、途中からその記憶がない。恐らく戦っていたのは間違いないが、どちらが勝って負けたのかということがこれっぽっちも思い出せない。アルティナが新雪の上で膝をついた姿も見たことがなく、リィン自身が雪の上に大の字で転がされた覚えもない。全く覚えていないのだ。何があったのか。何があって、今ここで目覚めたのかすら。

 

「………………」

 

 頭に手を遣りながら、もう一度思い出そうと頑張ってみる。眉間に皺を寄せながら、必死に記憶の連続性の繋がりを探す。何処かで繋がりが切れてしまっているのかもしれないと信じて丹念に探し続ける。何処かにあるはずだ。間違いない。そうでなければならないんだと繰り返す。

 

 リィンの経験上、記憶がない時があったという例がある場合は、かなりの緊急事態が起きていたことを意味している。

 最初に記憶の欠落が起きていたのは、シュバルツァー男爵家に拾われた時だ。拾われる以前の記憶が全くと言っていいほどないのが疑いようのない記憶喪失の例と言えよう。とはいえ、これが再び起きていたのなら今頃こうしている暇もなかっただろうが。

 次に記憶の欠落が起きていたのは、エリゼを守ろうとして〝ナニカ〟に身を任せてしまい、巨大なクマの魔獣を鉈で解体し尽くした時だ。具体的に何をしたのかどうやって殺したのか、といった一部始終を覚えていないことが記憶の欠落を明らかにしていた。彼が必死に思い出そうとしている理由はこの後者が起因していた。

 

 また暴走したのか? それも〝かつて〟のように呑まれて、その勢いのまま———と、そんな自分がまた姿を見せてしまったのではないかという恐怖が込み上げていた。同時に、あの場に一緒にいた一人の少女の姿をまだ見ていないことがより不安を強めた。まさか傷付けてしまったのか。まさか大怪我を負わせてしまったのではないか。まさか、まさか、まさか、まさかまさかまさか————

 

 

 

 

 

「———目が覚めたみたいですね、良かったです」

 

 再び自己嫌悪の闇にその身を投げようとしかけた直後、自室の扉が開き、そこから聞き覚えのある声が耳朶を響かせた。脊髄反射よろしくと言った速度でそちらを振り向こうとして、身体が悲鳴をあげるのも気付かないほどにリィンは縋るような思いでそちらを向いて———心から安堵した。

 

「……ぁ…………」

 

 透き通るような長い銀髪。こちらをしっかりと見つめる若菜色の瞳。齢以上に落ち着いた雰囲気と礼節正しい言葉遣い。間違いない。アルティナ・オライオン、彼女本人だ。その手には、簡単に食べられるものがあった。

 一気に緊張が解ける。全身の痛みを改めて実感し、顔を歪めながらも辛うじて優しく笑ってみせる。良かった、本当に良かったと何度も内心では連呼しながら、心の隅々まで安心感を行き渡らせていく。無理にでも起き上がった姿を目視していたアルティナは溜息交じりにジト目で告げた。

 

「……そこまで安心してくれたのは嬉しいですが、リィンさんはじっとしていてください。目立った外傷はないとはいえ()()()なのですから」

 

 心の中を見抜いたようにこちらの内心を読み取り答えたアルティナに、リィンは驚きながらも頷いた。それから首を傾げる。

 

「やっぱりこの痛みは……」

 

「大半が筋肉痛でしょう。あんな無茶苦茶な動きをしていましたし、無理はないかと。……あと、お腹の方は痛くありませんか?」

 

「……いや、それ以前に全身が痛くて確認できないんだが……」

 

「……それもそうですね」

 

 アルティナはその手に持っていた軽食をベッドの隣に置くと、リィンの方へと向き直る。

 

「聞きたいことがあるのではありませんか?」

 

 どきりと心臓が跳ねる———と同時に再び恐怖が押し寄せた。アルティナは無事だ。しかし、安否を確認できただけで安心できるのかと問われれば否だ。〝正体不明の力(アレ)〟を見たのか見ていないのか。更には見て怖い目に合わせたのではないか。本当はここにいるのも辛いのではないのか。それらの不安が確かにあった。

 ちらりとアルティナの様子を窺うように見ようとし———あることに気付く。早朝には無かった絆創膏が左頬に貼られている。意識を失うまでの間のリィンの記憶にはあんな傷をつけた覚えは全くない。極々自然に無理もなく話せている辺り、傷自体に大事はなさそうだが、恐らくその傷が誰に付けられたものなのかは考えずとも分かった。

 リィンは恐る恐るアルティナに聞いてみる。

 

「アルティナは……その……()()を……見たのか? それに……その傷は……」

 

「はい、確かにこの目で。普段のリィンさんとはまるで別人のようでしたので驚きましたが。頰の傷に関してはほんの少し動きに遅れた結果ですね」

 

 〝鬼の力〟。その本流は、この地に蔓延る〝呪い〟そのもの。真実、鬼と呼ばれる本物(オリジナル)とは一切関係ないが、そう称するに値するほどに獰猛さと苛烈さ、その他諸々を兼ね備えるそれをアルティナは知っている。完全に暴走した姿を見たのは、これで三度目だろうか。最初はミリアムが死んだ直後。二度目は救出作戦の際に。そして今回。どれもこれも何も知らない一般人には理解し難いものがあるだろう。規模や危険性で言えば最弱だろうが。

 頰に付けられた小さな切り傷に関しては、斬撃による剣風が掠った結果ついたものだった。決して油断していた訳ではないが、少し甘く見ていたのかもしれないとアルティナは痛感していた。

 

 暴走したことを肯定され、リィンは項垂れる。

 

「……そう……だよな……ごめん……怖がらせた……よな……」

 

 そう言うリィンの姿は、呼吸をする度に謝罪をしそうなほどに弱々しく見えた。あまりにも記憶にある彼の姿とは差異が大きすぎて〝似ていない〟とすら思えてしまう。恐らく、〝かつて〟の彼もこのような時期があったはずなのだから、トールズに入学し内戦が始まるまでの数ヶ月間にあれほどまでに変わることができたのだろう。未来を知るが故に、下手なことをしなければよかった———そう思う自分がいて、しかし、同時にだからこそ少しでも早く今から変わることができるようにしてあげたいと思う自分がいることにアルティナは気付いた。気付いたとあれば、行動に移さなければならないと口が開く。

 

「怖くはなかった———というのは確かに嘘になりますね」

 

 何かを恐れる心は必ず存在する。恐怖がなかった、というのはヒトである以上嘘である。故に恐怖心そのものを抹消することなど出来はしない。だからといって怯えるばかりがヒトではない。克服することぐらいはできる。アルティナの取った行動が正しくそうだ。暴走直後から沈静化させるまでの間、恐怖を克服し続けながら対処し続けることで、被害を()()()にとどめていた。

 

「———ですが、恐怖は何も悪いことばかりではありません」

 

 確かに恐怖は判断を鈍らせてしまうことが多い。立ち向かう勇気を挫くこともまたある。

 けれど、恐怖から来る臆病さは悪いことばかりではない。引き際を正しく弁えることができ、臆病な自分に打ち勝ちたいと言うキッカケにもなる。無謀を否とし、生き残ることを最善とする。ヒトがヒトである以上、自分の生死を大事にしない輩を埒外と切り捨てて考えれば、酷く当たり前の生存本能に過ぎない。

 

「お蔭でわたしはまた一つ土壇場に強くなれましたし、それに———」

 

 アルティナにとっては、最も知りたかったことを知ることができた。

 

「例えリィンさんがその得体の知れない〝ナニカ〟に呑まれたとしても、()()()()()なら止めることができると分かりましたから」

 

 〝かつて〟とは混じっている度合いが明らかに違うとはいえ、《北方戦役》の時のように暴走した後の被害に恐れ続けた彼に、例え暴走したとしても、今度こそわたしなら止めることができますと言えるかもしれないと、きっと少しだけでも彼を安心させることができるかもしれないとそう思えた。そして、それは完全に呑まれて名前すら失ってしまった時の彼が相手だったとしても、今度は一人で止められるようになれるかもしれないとすら思えるほどに。

 アルティナは、いつものように優しく微笑みながら———

 

「例えまた暴走してしまったとしても、わたしは変わりませんよ。リィンさんの中にある〝ナニカ〟が怖いから避ける、なんてことは絶対にありませんし、事前にわたしは何か理由があるのではないか、というところまでは何となくですが察していましたから。

 だから———」

 

 筋肉痛とその他諸々に陥って痛みを発している彼の身体を、痛みを感じない程度に優しく抱き締めて、それから、いつも彼がしてくれるように頭を撫でた。

 

「リィンさんは自分らしく在ってください。ただ怯えるばかりではなく、なりたい自分になれるように。そのためなら、わたしは出来る限り支え続けますから」

 

 今度は絶対に一人で逝かせはしないと心の奥に(ひそ)んだ〝モノ〟を言外に含ませながら、しかし、同時に〝かつて〟の自分と彼が置かれていた状況を思って、今度こそは〝らしく〟在れるようにという想いも込めていた。 齢12歳が願うには重すぎるものではあるが、それでも掛け替えのない人を喪った痛みをずっと強く感じている以上は仕方ないと言えた。真実を知っているか知らないかでその言葉の重みは歴然とした違いを感じさせるだろう。

 

 とはいえ、それ以上に気になることはあったが。

 色んな意味で鈍いリィンも流石にそれには気付いたのか、ぽかーんと口を開けた後に気を取り直して、未だに動揺しつつも訊ねた。先程まで自責の念に駆られていたことすら忘れて。

 

「…………な、なあ……アルティナ……?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「い、今の言葉って……」

 

 出来る限り支え続ける。そう告げた先程の言葉は、今のアルティナだからこそ口に出来た言葉であることは明白だ。〝感情〟を手に入れ、〝心〟を学び、それこそ一人のヒトとして立派に成長した彼女が出せる精一杯の励まし。しかし、悲しいかな。先程のそれはどういう訳かプロポーズとも取れるほどに天然タラシの殺し文句と酷似していて彼女自身そのことに気付いていない。誰のせいでそんな影響が出てしまったのかなど考えるまでもないのだが、ここに知っている者がいようものなら、即座にその原因たるお前が言うなと投げ返されることになるだろう。無論、そんな人物はこの場にいないどころかこの世界にいないのだが。

 

「今の言葉……? もしかして、わたしが何かおかしなことを言いましたか?」

 

「……いや、やっぱりなんでもない」

 

 気付いていないのならそっとしておいた方がいいかもしれないと、この時ばかりは気が利くのか利かないのか分からない様子を見せるリィンは改めて先程の言葉を反芻する。

 〝なりたい自分になれるように〟。つまるところ、それはリィン・シュバルツァーが心から思い描いた理想(ゆめ)を体現できるようになってほしいということ。心を見抜かれているような気がして、少しだけリィンはアルティナという少女にまた一つ興味を抱く。見抜かれた恐怖とは別に、湧き上がった好奇心と言うべきそれと共になった彼は思い出す。大切な人々を護れるようになりたい、それが《八葉》を学び始めた原風景。〝ナニカ〟を知り、エリゼを護る力すら無かった自分を戒め、護る術を手にしようとして〝ナニカ〟に怯えて挫折し修行を打ち切られたこと。あくまでのそれは今の自分自身に過ぎない。

 

 そこでリィンは自問自答する。

 なりたい自分はどういう自分なのか。

 それに見合う努力はしてきたのか。

 果たして今の自分はそれに値するのかと。

 繰り返し、繰り返し訊ねに訊ね、問いに問い、答えに答えて———その度に、励ましとして与えられた言葉が腑に落ちていく気がした。

 

 不思議な話だと思う。

 初めて会ったはずの少女がどうしてここまで腑に落ちる言葉をかけられるのだろうかと。以前感じた初めて出会った気がしないという直感は間違っていないのではないかと思い始める。

 そこで意識が明確に思考を加速させる———はずだった。

 

 急激に睡魔がリィンを襲った。全身が筋肉痛になるほどに暴走したことで体力をほとんど使い果たしていたことや、未だ起きてから何も口にしていないことによるエネルギー不足も相まってか、思っていた以上に疲労が溜まっていたことをうとうとしながら実感する。優しく抱き締められていたことも相乗効果になったのかもしれない。ヒトの熱を直に感じることで得られた暖かさやパンケーキのような甘い匂いに包まれていたことも疑いようのないほどに眠気を促進していた。

 

 疑念を抱いた思考は放棄され、生物の本能に従って、休息を身体が自然と取り始める。うつらうつらと船を漕いで、瞼が何度も落ちながら、再び意識を失う直前にリィンは「おやすみなさい、リィンさん」というアルティナの言葉を耳にした。

 

 

 

 

 

 

 





 暴走リィンとの戦闘描写を書かなかったのは、もう少しだけ伏せておきたいことがあったからです。今回だけでも逆行アルティナがどれだけ原作IIの時点よりも強くなっているのか、技術が多彩になっているのかがわかると思いますし、下手にこれ以上追加追加といくと、あとあとで淡白になってしまう気がしたので。ただただ無双シーン垂れ流すのもどうなんだろそれって話ですし。そんな感じで今回はカットしました。カットした部分はいずれ何処かの回想で使うかもしれませんね。


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