クソッタレな御伽噺を覆すために黒兎が頑張るそうです   作:天狼レイン

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 えー皆さん。お久しぶりです。
 こちらのアカウント、復帰しました。
 深夜にパッとパスワードかもしれないものを打ち込んだところ、
 見事に復活させることに成功しました。マジで予想外です。
 色々とお騒がせしました。《灰兎》√はいずれやりたいと思います。
 こちらの垢ではすごく久しぶりの投稿ですが、またよろしくお願いします。




8.確かな燈

 

 

 

 

 

 

 七耀歴1203年 11月7日 A.M.8:00————

 

 

 

「お久しぶりですね、レクターさん」

 

『久しぶりだなァ、チビッコ。ホントに久しぶりじゃねぇか? そんなに忙しかったのかよ。大変そうだなァ。元気にしてるかー?』

 

「はい、色々ありましたが以前よりも元気です。お世話になっている方々は皆良い人ですし、余計な仕事を増やす同僚がいた頃に比べれば、快適に過ごせていると言っても過言ではありませんね」

 

『お、おうよ。さらっとオレに毒を吐く辺り、マジで元気そうだな……』

 

 少しずつ冷たい空気に晒され始める初冬間際の頃。

 だいたい一年振りくらいになる声を耳にしながら、小型通信機器を通してアルティナは軽い挨拶を交わす。

 

 シュバルツァー男爵家邸宅の一室。今ではアルティナの自室となったその部屋で、彼女は窓の外を眺めながら通信機に声を掛けていた。

 通信の相手は〝父〟を同じくする《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》の《かかし男(スケアクロウ)》レクター・アランドール。いつぞやミリアムに変なことを教え、主に同僚のクレアに折檻されていたあの人である。

 そんな彼の飄々とした声音は久しぶりに聞いても相変わらずだった。

 

「にしても、お前さんが用意させたこの通信機は気が楽だわ。前の奴じゃここまで気を許せなかったもんなァ。オマケに使い心地も良いと来た」

 

「そうですね。これに慣れすぎるのもいざという時に危険ではありますが、それでも以前に比べて、より安心感は違っていると思います」

 

 そう言って、視線を通信機へ落とす。

 その手に握られているのは、既に《鉄血宰相》ギリアス・オズボーンが掌握した《黒の工房》、彼女の発想を基に設計され、オーダーメイドで作られた小型遠距離通信機器。その通信性能は機密性・完全性・可用性に比重を置いており、通信可能距離こそ《ARUCSII》に辛うじて及ばないものの、《ARUCS》を上回るほどの通信領域の拡大といくら盗聴されようと直接通信した相手を除いて通信内容を自動で秘匿し、盗聴に使われた機器を逆に混乱させると言った、対盗聴にも適応した機能を様々に重ね持つ高性能さである。通信後の音声データも当事者であっても一人では確認できないよう、互いに開示コードを取り決め、片方ずつ管理する為、普段ならコードネーム必須な会話もこの端末があるお蔭でこうして本名で呼ぶことが出来ていた。

 

 詳しい原理こそ、黒い戦術殻《クラウ=ソラス》をそばに控えているアルティナだから解るものだが、その手の知識が有ろうが無かろうが首を傾げざるを得ないものとも言えた。特にアリサやティオ、ティータ辺りの技術者の面々ならば、嬉々として解析させてほしいと言うだろう。

 無論、今のアルティナにとって《黒の工房》——強いては《黒》のアルベリヒは決して隙を見せてはならない相手である以上、細工が施されていないか穴が開くほど確認済みである。

 

『あ、そうだそうだ。ガキンチョが寂しがってたぜ? 「アーちゃんはいつ帰ってくるのさー!」ってな。ククッ、懐かれてるなァお前』

 

「まあ、姉妹ですから。

 ところで、先日贈ったぬいぐるみは届きましたか?」

 

「おうよ、ちゃんと届いてるぜ。いやぁ、しっかし驚いた。お前さん、裁縫も出来たのかよ。それに、デフォルメされてるとはいえ、()()()()()()()ぬいぐるみってのは勇気が必要だったんじゃねぇか?』

 

「ええ、それはまあ。ミリアムさんのためとは言え、少しばかり恥ずかしいですし……色々と複雑な気持ちではあります」

 

 シュバルツァー男爵家の夕食を初めて作った日に調理の片手間に思考し、作って贈ることにしたぬいぐるみ。それはミリアムが寂しさを少しでも和らげることができるようにとアルティナが手ずから製作した、デフォルメされた自分自身というものだった。

 いくらプレゼントとは言え、アルティナが自分を模したぬいぐるみを作っている心境など恥ずかしさも相まって複雑なものに違いない。何せ、滞在しているこの家には不埒な人が居るのだ。何かの偶然で見られたら……という心配もある。咄嗟に説明をすれば良いのだが、その瞬間、家族関係などを詳しく言っていないため、逆に下手なことを言うと怪しまれるのは間違いない。それどころか足が着くのは明白だ。隠せる範囲は自然に隠しておきたいのが本音と言えよう。

 それにミリアムが寂しそうにしている姿を思うと、それくらいの恥ずかしさなら我慢しようと思う自分もいたのだ。決してシスコンという訳ではない。単純に任務を頑張る姉へのご褒美みたいなものなのである。

 

 通信の向こう側でアルティナが自らにそのように理屈詰めをしていると、楽しそうに笑い声を洩らすレクターの声が耳に届いた。

 

『この間会った時なんかガキンチョのヤツ、肌身離さず持ってやがったぜ? 見たところオッサンからのプレゼント以上じゃねぇか?』

 

「作り手としてはとてもありがたい反応ですが……帰投した時が怖いですね。暫く自由にして貰えない気がします」

 

『ククッ、まあしゃあねぇわなァ。

 ——で、そっちどんな感じだ。一年間休暇取ったようなもんだろ?』

 

 こちら側の様子をある程度話し終わった辺りでレクターは、今度はそっちの番だぜ?と言わんばかりにアルティナへと訊ねる。あまりにも自然な話題転換に流石の一言を飲み込みながら腹の中では警戒を引き上げる。

 

「宰相閣下から直々の〝要請(オーダー)〟なのですが……」

 

『悪い悪い。でも実際のとこ、護衛しなきゃなんねぇようなトンデモ魔獣とか一線級の猟兵が紛れ込んだワケじゃねぇんだろ? お前さんの実力なら余裕すぎねぇのかって思ってな』

 

 現時点でアルティナの実力は未だ全盛期には届いていない。体力もまだ足りず、練度も劣り、意志に身体が追い付いていない不安定な状態にある。

 だからといって、木っ端に過ぎないそこらの猟兵に劣ってしまう訳ではない。己の身一つで集団と殺り合う方法や技術、経験を持っている以上は数の差に押し負けるなどという情けない体たらくを見せることもないと断言できる。

 その点からしてみれば、レクターの言う通り一線級の猟兵——具体例を挙げれば、《西風の旅団》と《赤い星座》。この二つのような名を轟かせる団の主だった実力者とさえ相対しなければ、押し負けてしまうという問題などこれっぽっちもないだろう。

 もし仮に、このユミルの地で遭遇し彼らが足を踏み入れ、尚且つ焼き討ちでもしようと試みている場合。それはほぼ間違いなく裏で多額のミラが動いていることと同義である。そう言ったものは、余程隠蔽工作が綿密に行なわれていない限り、《帝国政府》——《情報局》か、この男が気付かないはずはない。

 

「……確かにそうかもしれませんね。強敵と相見える環境としては少し不足を感じることもあります。

 とはいえ、一年間の休暇というのは甚だ遺憾ですね。〝要請(オーダー)〟である護衛は確かに全うしていますし、一度でも定期連絡を怠ったことはありません。それに強敵と相見えることが出来なくとも、体力面や技術面を磨くことはできます」

 

 この地に来てから一年が経とうとしているが、体力面や技術面は訪れる前よりも格段に向上しているのは事実だ。冬は雪や氷に辺り一帯を覆われ、春を迎えれば環境が一変し、夏は帝国内でも涼しく過ごしやすく、秋もまた思わぬところで自然の中にあることを実感させられるユミルは、ヘイムダルでは体験することのできない得難い経験を培うことができる。その推測は正にアルティナの予想通りであった。

 加えて、あれから身体に負担を掛け過ぎることは激減したこともあって、僅かばかり身長の方も伸びていたりもする。ただこれは、次に再会した時のお楽しみとするため口にはしていないでおくことにしていた。

 

 そうして、やや不機嫌そうに言い返すと、向こう側では意地悪な物言いをした元凶が少しばかり沈黙した後、面白可笑しそうにくつくつと笑うのが聞こえた。

 

『驚いた驚いた。別に馬鹿にしてる訳じゃないぜ? お前さんがムキになって返してくるとは思ってなかったんだわ。電話越しでどんな顔してやがんのか見れねぇのが残念だ』

 

「…………全く。あれからまたクレアさんに折檻されたと聞いて多少変わったのではないかと思っていましたが相変わらずで呆れました」

 

『おうよ、あの程度でどうにかなるほど俺はチョロくねぇぜ?』

 

「今の話念のため録音したので、後で《鉄道憲兵隊(TMP)》宛に送っておきますね」

 

『おいちょっと待て。それだけはマジで勘弁してくれ』

 

 何回かお灸を据えて貰った方がこの人の為になるのでは?という考えを頭の中で過ぎらせる一方で、逆に綺麗なレクター・アランドールが出来た場合を想像して、即刻アルティナはその考えを無かったことにする。決して綺麗なレクターが気持ち悪かったとかそういうことではない。

 

 軽く咳払いをし、それから一通り決まった定期連絡を伝え終えると、アルティナは()()()あることを確認することにした。

 

「そういえば、あれからリベール方面では何かあったようですね。わたしがこちらに来てから帝国南部でも導力が停止する謎の現象が起きていたみたいですし、国内はリベールの新兵器ではないかと不安に満ちていましたが」

 

 暫く耳にしていなかった国外の情勢。その情報を、恐らく現場に近い場所周辺に構えていたであろう同僚に訊ねる。彼女が知る歴史通りならば、同年の2月から3月にかけてリベールを中心に帝国南部でも『導力停止現象』が『リベル=アーク』出現に伴い、引き起こされていたはずだ。ここしばらくの帝国南部リベール方面についてで、それらしい噂や情報こそ行き交っていたが、外交関係に長けたレクターにそれを確かめておきたかったのだ。

 

『おっと、相変わらず鋭いな』

 

「と、いうことはやはり?」

 

『ああ、()()()()()()()()()()が起きてたぜ?』

 

 レクターの口から伝えられたのは、アルティナの想定していた通りのの出来事だった。無論、時間遡行による()()を下地に、少しばかりの拡大縮小を推定したものだったが、結社《身喰らう蛇》の暗躍とそれを阻止せんと動いたリベールの遊撃士たち。オリヴァルト皇子ほか、リベールに集った猛者。彼らの活躍によって、『リベル=アーク』は崩壊。《幻惑の鈴(No.6)》は生死不明となり、《剣帝(No.2)》と《白面(第三柱)》は死亡した——何一つズレのない残酷な筋書き(うんめい)であった。

 

 それを耳にしてアルティナは内心で安堵を覚えた。

 今にして思えば、リィンさんの護衛・監視、並びにユミルへの一年間に及ぶ滞在は余りにも大きな一手だった。〝前〟の歴史では起こり得なかった縁。内戦以前に彼との出会いを経るという大きすぎる違いが、後の流れに多大な影響を与えてしまうのではないか、と。この一手だけで歴史が変わってしまうのではないか、と不安な日々が続いた程だった。

 無論、ずっと不安だった訳ではなく、リィンさんと一年間を過ごせることがついつい嬉しくて、時折忘れかけてしまうところではあったが。

 何れにせよ、安堵を覚えたのはあの一手では大きな違いは起きていないのだと、その不安が今漸く杞憂に終わったのだと解ったからだった。

 

 思わず通信機越しにガッツポーズを取り掛けた自身の早る気持ちを抑え、そうしていつもと変わらない口調と声音で返事をする。きっとレクターさんには見抜かれてしまうだろうが、何処に喜んでいるのかだけは伝わらない——()()()()()()()()()以上は、きっと勘違いしてくれるだろうと。

 

「そうですか。こちらに大きな被害が出なかったのは幸いでした」

 

『だなァ。あの結社を相手にして誰も死んでねぇのは大戦果だろうよ。まー、その後の事後処理が大変だったんだがなァ』

 

「そこは仕方ないかと。そちらはレクターさんや宰相閣下の領分ですし」

 

『まぁな。手腕の見せ所って奴なんだろうよ。現にオッサンは相変わらずだったぜ?』

 

「流石としか言えませんね。そちらはある程度伝え聞いています」

 

『リベール方面での大きな話はこんなところだ。後はいくつか気になることがあるにはあるが、そこは、まー、今はこんなもんだろうよ』

 

「ええ、助かりました。また何かあれば教えてください。《鉄血の子供たち(アイアンブリード)》として適した行動をするためにも必要ですから」

 

 聞きたいことも聞くことが出来た、そう判断したアルティナは安心したように息を吐く。そのまま定期連絡を終わりにしようと別れの挨拶に続ける——

 

『ああ、待て待て。まだ通信切るなよ?』

 

 慌てて制止するレクターの声に、通信を切る寸前だったアルティナは小首を傾げる。はて、何かまだあっただろうか? 定期報告はこれで終わったはず……と思考を巡らせながら、次の言葉を待つ。

 

『実はな、オッサンから伝言を預かってるんだが……』

 

「宰相閣下からの伝言ですか? 拝聴します」

 

『ちゃんと聞いてろよー? オレだって仕事の合間なんだからなー』

 

 茶化すようにそう言ってから、レクターは軽く咳払いをする。

 

『そろそろ一年間の監視・護衛任務が終了だろ? だから、一旦帰投しろってさ。オレたちとの土産話もそうだが、オッサンとしては任務だけでなく、お前さんの成長とかも確認しておきたいんだろうよ』

 

 そう、もうすぐ終わりを迎えるのだ。

 一年間に及んだ、このユミルでの——リィンさんと過ごした日々は。

 予定が所狭しと記入されたカレンダーを反射的に確認してしまう。そこには11月7日と、確かにこの任務の終わりが近付いていることを示している。それはまるで伝言を頼まれたレクターの言葉を通して、オズボーン宰相から突き付けられたようにも感じられた。

 

「……そうでしたね。もう一年ですか」

 

 胸の奥に寂寥感が去来する。満たされていた日々が過ぎ去っていく。

 研鑽と思い出に満ちた一年間が終わりを迎えようとしている。

 けれど、アルティナの口許は優しく綻んでいた。

 

「(とても充実した日々でした。ええ、とても楽しかったです)」

 

 冬山での再会を皮切りにシュバルツァー家へお邪魔した日々。

 大切な人との混浴に修行。スノーボードや釣り、内緒話……。

 もう一つの居場所を与えてくれたシュバルツァー家の人々。

 見知らぬ旅人のようなアルティナが相手でも、同じ地に住む同郷の者として接してくれたユミルの人々。

 どれを取っても暖かく優しい日常。心の底から求めていたもの。

 そして、何より——リィン・シュバルツァーと過ごせなかった多くの日々がここにはあった。

 もっとユミルで過ごしていたい。

 もっと皆の元で甘えていたい。

 もっと彼の傍で安らいでいたい。

 そんな気持ちが欠片もないはずがなかった。

 それでも——

 

「(今は……これだけで十分頑張れますね)」

 

 胸の奥に火が灯る。より良い明日(みらい)へと進む為の燈。

 〝これ〟があればきっと大丈夫、そう信じられると微笑を浮かべた。

 欲しかった思い出の一部を胸に秘め、アルティナは力強く返答する。

 

「了解しました。では、三日後に帝都へ帰投します。わたしも宰相閣下に直接お話ししたいことがあるので、可能であればレクターさんからその旨を先にお伝え頂けますか?」

 

『ったく、オレを顎で使おうとは良い度胸だチビッコ。ま、良いぜ。キチンと伝えておいてやるよ。どうせオッサンもお前さんがそうしてくるんじゃねぇかって日程の準備くらいしてそうだしなァ』

 

 レクターの呆れた様子が通信機を通して伝わってくる。果たして何処に呆れたのかはさておき、アルティナもまた同意する。オズボーン宰相の手際の良さか、或いは、そんな彼に利用されるばかりの駒にならないよう動かんとしている自分自身の無謀さか——

 

「では、次は直接顔を合わせてお話ししましょう、レクターさん」

 

『おう。あともう少しだからって最後まで気を抜くんじゃねぇぞ、アルティナ。締めをミスるとかちっとも笑えねぇからなァ』

 

 そう軽く別れの挨拶の後、通信機は短い音を鳴らして通信を終える。

 

「そろそろわたしも動き出す必要がありますね。まずは——」

 

 通信機をポケットに仕舞い込む。

 ぐーっと体を伸ばし、今後の予定を脳裏に巡らせる。

 ここからが大切な準備期間なのだと意識を切り替えていく。

 ふと窓の外を見ると、慣れ親しんだ景色に大切な人の姿があった。

 朝の鍛錬を終えたばかりの彼は、郷の人々に挨拶を返している。

 僅かにでも悩みが晴れたその姿は遠目から見ても幸せそうに見えた。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 同日 P.M.9:00———

 

 

 

 レクターとの連絡を終えてから半日以上が経過した頃。

 シュバルツァー家邸宅の一室では、荷造りを行なうアルティナの姿があった。纏められた荷物は全て一度ベッドの上に置かれ、状態が確認しやすいよう整えられていた。

 

「これでほとんど片付きましたね。あとは念入りに掃除をしておきたいところですが……」

 

 鞄を閉じ、一仕事終えたアルティナはぐーっと体を伸ばす。大小様々なものを効率よく詰め込むという作業は頭を使う。一種のパズルゲームを思わせる感覚のようだが、その感覚で楽しいのは最初だけであった。

 無論、アルティナはそうならない為にも一回で効率よく済むよう思考を巡らせていた訳なのだが、当然その弊害が一切出てこないという道理はなかった。

 

「……猛烈に甘いものが食べたくなってきました……」

 

 ジトーっと半目のまま、溜息交じりに一人呟く。糖分補給がしたくて堪らないのだと体が訴えかけてくる感覚に、解っていたが困った様子でアルティナは時計と睨めっこを始める。

 時刻は21(フタヒト):05(マルゴ)。紛うことなき夜である。夕食を済ませてから、一時間以上が経過しているものの、お風呂に入る前というこのタイミング。そもそも健康の上で夜食を摂って良いものなのかと理性的に思考する。

 その一方で、甘いものを食べたいという欲求に負けそうな自分がいるのも事実であった。脳裏に甘くて美味しいパンケーキが踊るように群れを為し何処かへ歩き去っていく珍妙な光景が浮かんでもいたのだ。

 

「………………流石に我慢しましょう。ええ、我慢します……」

 

 危うく甘いものを夜食として食べる方向に傾きそうになった自らを理性で抑え込むことに成功したアルティナは、緩くなった口許に気を付けながら、纏めた荷物を全て部屋の隅に移動させてベッドに寝転んだ。

 慣れ親しんだ少し硬めのベッドが返してくる弾力。これがもう暫くもしないうちに遠いものになる。そう思うと、何だか寂しさがまた込み上げてくる。民に寄り添い、共に冬を乗り越え、日々を共にするシュバルツァー家の質素な在り方が恋しく感じていたのだ。すっかり身も心もユミル色である。

 

「……む、今のは何だか不埒でしたね」

 

 脳裏に平然と「アルティナもすっかり家族だな」と、とんでもないことを言ってくるリィンさんの顔と姿が浮かび上がったアルティナは、〝前〟での経験もあってか動揺した様子はなかった。それでも恋人関係にまで発展したこともあって、()()()()()()に咀嚼した頭のせいで頬は僅かに赤らめていた。

 

「…………何故か腹が立ってきました」

 

 頬に触れた手がほんのりと熱さを感じ取る。恥ずかしさを感じているのだと理解すると、自然と負けたような気がして悔しくなった。これだからリィンさんは不埒なんです、と枕で口元を隠しながら愚痴を零して、アルティナはベッドの上でパタパタと足を動かした。

 

 一頻り発散し終えた頃、部屋の扉をノックする者がいた。

 音に続く声はそれこそ聞き慣れた人のもの。聞いていると安心させてくれるあの人の、アルティナを訊ねる声だった。

 

「アルティナ、少し話をしたいんだが、入っても良いだろうか?」

 

「見られて困るものは広げていないので大丈夫ですよ、リィンさん」

 

 部屋主の許可を得た後、扉が開く。廊下からリィンが部屋へと入ってくる。その表情には寂しさの色が浮かんでいた。これから彼が口にする第一声の予測など容易く出来てしまうほどに。

 そうして、予想通りの言葉が紡がれた。

 

「実家の方に帰るんだよな……」

 

「はい、大事な用事が出来てしまいましたから」

 

 アルティナの帰郷が伝えられたのは夕食が済んだ頃だった。

 突然、ユミルを離れることを伝えられたのである。幸いすぐにこの地を去る訳ではなく、明後日の早朝だった為、見送りを行なえる余地があった。それでも、一年間を共に過ごした家族の姿が、このユミルの何処にも見られなくなるのは、寂しいと感じて当然というものだろう。

 無論、何故ユミルを離れるのかという正確な事情をアルティナは自らの口で全て話してはいない。ただ最初に訪れた際の話から彼らがそう解釈しているのだ。都合が良いのは間違いないが、所属と事情が難しい《黒兎(ブラックラビット)》としては心を鬼にしてそれを利用するしかなかった。

 

「一年間の滞在という約束もありましたし、そろそろ頃合いだったのだと思います。寂しくない、遣る瀬ない……と言えば嘘にはなりますが」

 

「そう、だよな……探しに来てたんだもんな、アルティナは」

 

 こくりとアルティナが頷く。表向きの名目上はそういうことなのだ。

 リィン・シュバルツァーとは異なる義理の兄リィンを探し求め、その人がユミルに立ち寄る瞬間を待つべく一年間もこの地に滞在した。それが小さな捜索者アルティナ・オライオンの設定である。

 そんな彼女に遣る瀬ないと感じたことがあるとすれば、目的半ばで実家に戻るしかないことしかリィンには思いつかないのだ。

 

 だからこそ、なのだろう。何よりも他人を大事にし、思い遣る気持ちに溢れたリィン・シュバルツァーが取る行動は一つしかなかった。

 

「アルティナが良ければ、オレにその人探しの代わりをさせてくれないか?」

 

「えっ……と……」

 

 そこでアルティナは自らの失態に気付く。考えてみれば当然のことだ。世話焼きなリィンがここでその申し出を願い出ない訳がなかったのだ。こうなってしまうと、正当な理由がない限り、彼はなかなか引き下がってくれない。余計なお世話だとしても、相手を思う気持ち一つで行動してしまうことがあるのだから。

 

「あ、その……です、ね……リィンさん」

 

「俺もそんなに長くは出来ないけど、遠慮しないで頼ってくれても良いからな」

 

「いえ、その……そうではなくてですね」

 

「そうじゃない……?」

 

 頭に疑問符を浮かべるリィンの姿にアルティナは心を痛める。全てを話してしまいたい。弱音を吐き出し楽になりたいという弱い自分が大きくなっていくように感じる。表情を何とか偽りながらも、その裏には今にも彼の優しさに溺れてしまいそうになっている。

 けれど、そうもいかない理由がアルティナにはいくつもあった。

 

 その一つが時間遡行を果たした目的である、あの結末を覆すこと。覆す為の手は〝前〟のうちにいくつか考えついているが、あくまでもそれに繋がる布石は未だ不足していて余裕は全くと言って良いほどない。その為、これ以上の余裕を失わないように可能な限り同じ道を辿らなければならなかった。下手に動いて大きく未来が変わってしまえば想定しておいた対応や対策では間に合わなくなってしまうからだ。

 加えて何よりも、今のリィン・シュバルツァーに自分と向き合うことやVII組としての悩み以上に大きな負担を与えたくなかったからだ。秘密主義によって後手に回り続けた結果、出遅れることになった魔女たちとは違う理由でアルティナはどうしても動くに動かなかったのである。

 

 眼前には続く言葉を待つリィンの姿。いくつもの不幸に見舞われ、大人に成らざるを得なかった頃とは違う、悩み多き少年の頃。

 これから学生となるリィンさんの邪魔をしたくない。少なくともその道から続く出会いを、VII組としての日々を守ってあげたい。

 そして、何よりもこの人の結末を変えてあげたい。幸せに生きる明日がないなんて、あんな最期はあまりにも酷すぎるから——

 どうすれば良いのだろう。どうすれば正解なのだろう。いったいどうすれば、この人を——リィン・シュバルツァーを救えるのだろう。

 

「(孤独(ひとり)の戦いがこんなにも心細いなんて、全く想定していませんでした……)」

 

 決して一人で戦うことは初めてではない。

 例えば、貴族連合——ルーファス・アルバレアに貸与され、()()()()()()内部工作を行なったように。

 

 しかし、それらは全て誰かが背後に控えていたり、仲間たちが何処かで戦っていた。つまり、何らかの形で繋がりがある状態に過ぎない。

 本当の意味でアルティナが孤軍奮闘せざるを得ない状況に陥ったのは、正真正銘これが初めてだったのだ。よりにもよって、大切な人の未来が懸かった、失敗の許されない一発勝負の今である。

 当然、これから先、信頼のおける仲間たちと再会することだろう。二度目の初対面を経て、共に日々を過ごしながら一つ一つを積み重ねて。

 

 だが、それはあくまでもこの先であった。

 今を失敗すれば到達できない過去(みらい)に過ぎない。

 だからこそ、ありふれた一手が首を絞める危険性は計り知れない。

 ここで目の前の大事な人に全てを吐き出してしまえば、何かの拍子にどうしようもない事態に繋がってしまうかもしれない。

 それは同時にリィン・シュバルツァーを信用していないことの裏返しのようで、その痛みがアルティナの心を苛んだ。身を引き裂かれるような痛みが蓄積していくのに、和らげることは決して出来なかった。

 

「————アルティナ」

 

 優しい声が耳朶を震わせた。

 一瞬だけ胸の痛みが何処かへと消える。

 反射的に見上げた先には、大事な人の心配する顔があった。

 

「何か任せられない事情があるんだな?」

 

 胸の奥を見透かされたような気がした。

 その瞬間だけ、リィンに誰かの姿が重なった。

 この感覚をわたしは覚えている。あの時と同じだと思った。

 けれど、宰相閣下に問われた時と違うのは、まだそこに相手を思い遣る気持ちが強く籠っているからなのだろう。

 だからだろうか。アルティナは自然と首を縦に振った。

 

「そうか……それなら良いんだ。あれから少しは成長したとはいえ、まだまだ半端者の俺には任せられないってことなんじゃないかと思ってしまってさ」

 

「い、いえ、そうではなくてですね……」

 

「大丈夫だ、言わなくても良いから。今は話せないことなんだろう?」

 

「はい……今はまだお話し出来ません」

 

「それだけ解れば十分だ。父さんたちにも俺から話をしておくから」

 

「あ…………」

 

 ああ、なんてこの人はずるいのだろう。

 あまりにも優しい。優しくて隙だらけすぎる。

 だからこそ、心から信じたくなって甘えてしまう。

 あの親にしてこの子あり、とでも言うべきか。無意識に相手を絆してくる。まったくこれだから、この朴念仁さんは、とある種感心する。

 

「アルティナ?」

 

 どうしたんだ? とリィンが声をかけてくる。若干心配そうな声だ。

 安心させるようにアルティナは、大丈夫です、と返事をする。

 

「ちょっと考え事をしていました。そうですね。

 もうリィンさんたちに隠す必要はありませんね」

 

「隠す? 何か言えないことでもあったのか?」

 

「ええ、ちょっとだけ言いづらいことがありました。

 でも、問題ありません。今から話したくなったので」

 

 そう言って、ベッドから立ち上がる。浮んでいるのは優しい笑み。

 信頼と安心感に満ちたその表情は、見ていて可愛らしいものがあった。

 それを見て、リィンは不思議な高鳴りを覚える。

 

「リィンさん、皆さんを呼ぶのを手伝ってもらっていいですか?

 話せる限りの、大事な話をしたいと思っているので」

 

「あ、ああ……解った。ちゃんと聞かせてもらうよ」

 

 大切な人たちに誠実でありたい。アルティナの弱さは強さでもあった。

 これも全て彼から貰ったもの。貰ったもので今度は助けたい。

 確かにイシュメルガのことは絶対に許せない。

 それでも、その気持ちだけに囚われて、何事にも盲目にはなる訳にはいかない。

 だから、この気持ち(おもい)がある限り、前を向いて進もう。

 アルティナはその想いを胸に抱きながら、彼らに話せるだけの話をするのだった。

 

 

 

 

 






 隠し事がかなり無くなりました。
 具体的にはアレですね。逆行者とか目的とかそういうのは伏せてます。
 話せたのは、ある人からリィンを見守っててほしいということ。
 リィンという名のとある人はちょっとした嘘だったこと。
 それでも、何から何まで嘘ではなく大切な人を失った経験はあること。
 などなどですね。その為、エリゼからの印象も変わってないです。
 一度帝都に戻る流れですが、話をトールズまで飛ばすかもしれません。
 不定期ですが、今後もよろしくお願いします。

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