なお,女性の主人公に佐為とヒカルがからむのですが,恋愛シーンは期待しないでください。
こんな作品でよろしければ,読んでください。
Pixivにも投稿しています。
なお,これまでの方式を踏襲して,
声に出して語られるせりふは「 」
佐為とルミの声に出さない会話は《 》
心の中のせりふは〔 〕
で表示しています。
「囲碁って、つまんないの!」
と、幼い女の子がつぶやく。客と碁を打っている祖父がにこやかな顔で、
「じゃあ、ルミちゃんはどうしていつも、そんなに熱心に碁を眺めているんだい?」
と問い返す。すると、女の子はふくれっ面してフンと横を向き、おかっぱ頭を揺らせながらその場を立ち去る。もう何十回も繰り返された光景。祖父も客も、すっかり見慣れてしまった。
「ルミは、この黒白模様を眺めるのが好きらしいんです。あの子には独特の美意識があって、せっかく黒石と白石がきれいない模様をなして並べてあるのに、囲われた石を、1個や2個ならともかく、5個も10個も剥がしてその模様に穴を開けるのが許せないらしいんですよ。だから、こうやって黒であれ白であれ、大石を剥がす場面になると、あの決まり文句を吐くんですな」
「おもしろいお嬢ちゃんですね。でも、見どころがありますよ。囲碁を教えないんですか? まだ、あの年では早すぎますか?」
「一度、教えようとしたんだが、まったく聞く耳持たんようで、無理強いして嫌いにさせては元も子もないと思って、それっきりです。まあ、機会を見てまた教えようかと思っていますよ」
この会話も、何度か繰り返されたものだ。
ある日、いつものようにルミが祖父と客の碁を眺めていて、いつものように石が剥がされる場面に立ち至った。この時、ルミは石が剥がされて穴の空いた黒白模様をじっと眺めている。
「ルミちゃん、今日はどうしたんだね?」
碁盤をじっと眺めているルミは
「こっちの方がきれい」
とつぶやいた。祖父と客は顔を見あわせ、ほほえんだ。やがて局面が進行し、また石が剥がされる場面に至ったが、この時はルミはいつもの決まり文句を吐いて去って行った。たった一度きりのできごと。
やがてルミが小学校にあがる頃、祖父は病に伏せるようになり、もはや碁盤が出されることはなくなった。それから1年ほどして祖父は亡くなり、碁盤の存在さえ忘れられるようになった。そして、何十回と繰り返された場面の記憶も失われた・・・・いや、失われたわけではない。この記憶の上に、小学時代、中学時代の雑多な経験が積み重なり、見えなくなっただけ。
ルミは美術が得意ではない。下手ではないけど苦手意識があった。同級生に絵のうまい子がいたせいかもしれない。その子は風景でも人物でも、実物そっくりに描ける。広々とした筑後川の河原と、その向こうに広がる平野、さらにその向こうに低く連なる山並み。あるいは同級生や教師、家族の肖像など。そんな同級生をうらやましく思う一方、
〔どんなにうまく描いても、絵よりも実物の風景の方がきれい。それなら、絵を描くより風景を眺めている方が楽しいじゃない。どんなにうまく描いても、絵よりもほんものの人の方がきれい。だったら、絵を描くよりその人と会う方が素敵じゃない〕
とも思う。それは、絵をうまく描けないことの負け惜しみかもしれないけれど。
そんなルミが高校で芸術科目として美術を選んだのは、書道はまったく経験がなく、音楽は歌も下手なら楽器は何一つ演奏できないと自覚していたための消去法の選択だった。
1年の3学期、美術教師は何コマかを使って美術史の授業をした。古代ギリシアから始まって現代まで駆け足で解説していくが、最後の現代美術でダリやピカソなどとともにモンドリアンを紹介した。ルミは『構成』(Composition)と題された連作、縦横の不等間隔の直線で区切られた大小不同の格子を赤、青、黄、黒などごく限られた色で塗り分けた絵を見て、〔これも「絵」なんだ〕と思った。それまでルミにとって絵とは、風景であれ人物であれ果物であれ、現実にあるものを描写するものだった。〔現実にない、色と形を組み合わせただけのものも絵なんだ〕。
2年生になるとルミは、モンドリアン風に色の格子を組み合わせた「絵」を課題として提出するようになった。教師は特にとがめなかった。一応「進学校」とされているルミの高校、芸術科目は生徒だけでなく教師も息抜きの時間と見なしており、授業中騒いだりサボったりしなければ、かなりのことは大目に見た。ただ、
「これは絵というよりデザインだね。まあ、それはそれで構わないけど」
と教師はルミに語った。
1学期の終わり頃、期末試験も終わりいささか弛緩した雰囲気の中で、美術の教師は授業の開始時に
「今日はいろんな色の色画用紙を持ってきました。各自、好きな色の画用紙を選んでください。それに、何でも好きなものを描いていいです」
と言った。ルミは褐色あるいはオークルというような色合いの画用紙を選んだ。いつものような「構成」、教師に言わせれば「デザイン」を描こうと思い、どんなふうに画用紙の空間を区切るか考えたけど、うまいアイデアが思い浮かばない。それで、定規で縦横の格子線を等間隔に何本も引いた。こうしてできたマス目に色を塗っていこうと思ったが、なぜかふと思いついて、格子線の交点に白か黒の円を描き始めた。生徒たちの間を歩いて監督していた教師がルミの脇に立ち止まった。
「君はずいぶんおもしろいことをしているね。たいてい、そういう場合はマス目を塗りつぶしていくものだし、今までの君の課題作品もそうだった、今日は交点に色を塗ってるね」
そして一呼吸おいて、
「まるで碁盤に碁石を並べているみたいだ」
それまで画用紙を見つめて熱心に色を塗っていたルミは、その声を聞いてふと顔を上げ、しばらくボーッとしたように考え込んでいた。そして、突然、ひとかたまりの記憶がよみがえった。
お客を相手に碁を打つ祖父の姿。夏は縁側で、冬は障子を閉め切った居間で、碁盤に黒石と白石が置かれてできあがっていく黒白模様。そうやってせっかくできあがった黒白模様に無残な穴があけられる。そして、「囲碁って、つまんないの!」という幼い自分の声。何十回となく繰り返された場面。どうして、今まで忘れていたんだろう、忘れていることができたんだろう?
それからまた画用紙に向かったルミは思い当たった〔この画用紙、碁盤の色だ〕
2学期になると、ルミは美術の時間に、画用紙に碁盤のような等間隔の格子線を描き、その交点に小円を描くことを始めた。ただ、困ったことに、白の画用紙に白丸は描けない。その日は黒と薄い黄色を塗ってみた。その後、赤と青、黒と青、黒と薄いピンクなどいろんな組み合わせを試したが、どれも今ひとつピンとこない。
〔やっぱり、木の色を背景に黒と白の模様を作りたいなあ〕
そんなことを考えているうちに2年生は終わり、3年生になると芸術科目の時間はなくなったが、ルミは木地色の色画用紙を何枚か買い込み、暇な時に碁盤の目の格子線を引き、黒白の小円を描いてみた。楽しかった。
夏休み前、進路を話し合う三者面談でルミが「美術・デザイン系の専門学校に進学したい」という希望を述べた時、親も教師も驚いた。ルミが美術に興味があるとは思っていなかったから。実際、ルミはむしろ文学少女と思われていた。本を読むのが好きだったし、部活も文芸部。だけどさほど熱心な部員ではない。部員の中には、詩や小説を書き、年1回発行される文芸部の雑誌に掲載されている者や、将来は詩人や小説家になることを夢見ている者もいるが、ルミはそんな野心を持たず、人の書いたものを読むだけで満足していた。自分には詩人や小説家になるほどの才能がない、ただ本を読むのが好きなだけと信じ、そんな自分の状況を静かに受け入れていた。暇な時間には自分の部屋で本を読んでいる物静かな女の子、それが親も教師もルミに抱いているイメージだったし、ルミの自己認識も同じようなもの。ただ、3年生になって、たまに、1週間か2週間に1回くらい、木地色の画用紙に格子線を引き、黒白模様を描くようになった。それが、ルミにとって生活の一部、不可欠の一部になっていた。
「絵を描きたいんじゃないんです。デザインを本格的に勉強したいんです」
親と教師は顔を見あわせた。
「わたし、東大や九大に入れるほど頭が良くないことは分ってます。まあ、二流、三流の大学なら現役合格できると思うけど、今時、そんなレベルの大学を出たって、どうしようもないでしょう。だったら、自分がやってみたいことにチャレンジしたいです」
三者面談の前日、心の中でリハーサルしておいたせりふ。ルミは自分でも驚くほど、断固とした口調、態度で言い切った。親は以前から「ルミが勉強したいことがあるのなら、学生であるうちは学費と最低限の生活費は仕送りしてあげる」と言ってくれている。今の時代、学費だけでなく「最低限」であれ生活費も仕送りしてもらえるのは、恵まれた部類だろう。その恵まれた環境をルミは素直に享受したいと思う。
〔でも、何か学校に行って勉強したいと思うものがあるかな?〕
本を読むのに学校で勉強する必要はない。図書館のそばに住んで、好きな本を借りて読めばいいだけのこと。
〔勉強したいことって・・・・〕
その時、ルミの心に浮かんだ、黒白模様を描く時間の楽しさ。一度忘れ、再び見つけ出した幼年時代の思い出に連なる黒白模様を描く時の充実感。
〔これは絵じゃなくてデザインだって美術の先生は言った。デザインなんて、きちんと勉強したことがない。勉強してみようかな?〕
プロのデザイナーになれるあてはない。なれるかもしれない、なれないかもしれない。なれないなら、なれないで仕方ない。ただ、せっかく親が勉強する時間を与えてくれるのなら、これを勉強してみたい。この黒白模様の世界を旅してみたい。