黒と白のComposition   作:松村順

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10:番外編 - エピローグ

佐為が消えた年の5月、アルファ碁は中国のプロ棋士と対局し3連勝。その後、ディープマインド社はアルファ碁と人間の対局を今後一切行なわないと表明した。弱すぎる人間は相手にせず、神の一手の探求に邁進するということなのだろう。

 

わたしは深思考社の美意識プロジェクトへの協力を続けている。佐為と一緒にAI碁の成長を観察した体験から、これからもAIは飛躍的に発展すると信じている。知的作業の専門家はいずれAIに駆逐されるだろう。メディアでも、医師や弁護士や会計士、あるいは金融トレーダーやファイナンシャルプランナーなどは近い将来、AIに取って代わられるという記事が目に付くようになった。自動車や電車の自動運転も実現が近づき、AIを備えたロボットがいろんな分野で人間より巧みに作業をするようになるとも書かれている。

一方、感性の領域、芸術の分野は人間に残ると言われている。でも、それは希望的観測だとわたしは思っている。わたしが作っているような組合わせに基づくデザインはAIの方が能率的に作れることは、すぐに分かる。一般的な絵画も、すでにルーベンス風とかセザンヌ風といった指定をすればそれらしい作品が作れるようになっている。そうやってAIが作った作品が人間の美意識に訴えるかどうか、それもまた、人間の美意識をAIに分析させ学習させることによって、人間の美意識にかなう作品を選択して人間に提示できるようになる。そうなった時、わたしは身を引こう。AI碁を見届けた佐為がこの世を去ったように。

そんなわたしが美意識プロジェクトに協力するのは、自分の首を絞める行為、墓穴を掘る行為? かもしれないけど、わたしがやらなければ、他の誰かがやる。だったら、わたしが流れの中に身を置きたい。運命が避けられないのなら、それから目をそらすより、それを見据えていたい。それに、AIがわたしの能力を乗り越え、わたしがデザインの仕事を放棄しても、わたしは幸せでいられる。わたしには佐為と過ごした月日の思い出があるから。

「ほんとうの幸せは、それを思い出すだけでその後の人生を幸せにしてくれる」

誰の書いたものかは思い出せないけど、中学生か高校生の時に読んだ文章。きっと、そうなんだ。そして、佐為と過ごした日々はほんとうの幸せなんだから、「佐為のことを思い出すだけでその後のわたしの人生を幸せにしてくれる」はず。

 

佐為が消えて5年。

深思考社から送られるAIの作品は年を追うごとに質が高まり、一般向けの商業デザインとしては通用するレベルに達している。ただ、わたしの心をとらえるほどではない。担当者にこの話をすると、

「高藤さんは、こんなにAIやコンピューターに身近に接しているのに、SNSにもネットショッピングにもあまり足跡を残さないから、嗜好をさぐりにくいんですよね。たいていの人は、ネットに残された個人情報から個人的な嗜好をかなり探れるんですけど」

よく聞く話だけど、ほんとうらしい。だけど、わたしの美意識を探るにはそんな面倒なことをしなくても、わたしが作ったCompositionを見ればいい。佐為が消えた後に作ったものも含めCompositionのナンバリングは173に達している。それに、わたしのお気に入りのEtudeもいくつか含めてAIに読み込ませれば、わたしの美意識は探れるだろう。というか、CompositionやEtudeのデータは資料としてすでにAIに読み込まれているはずではないか。こんな話をしたら、担当者は乗ってきた。

「そうだった。なんで今まで気がつかなかったんだろう。AIを訓練する資料として読み込まれているけど、高藤さん個人の嗜好を探るために紐付けされていなかった」

こんな会話をして1週間もしないうちに、わたしのCompositionに似せた黒白模様のサンプルが3枚送られてきた。どれ1つとして、わたしの作品と同じではない、AIのオリジナル作品。そして、その質は・・・・わたしを越えている。唯一の例外はComposition001。さすがにAIもまだこの作品を越えることはできない。でも、Composition002から173のどれよりも、送られてきたAIのオリジナル作品の方が優れている。わたしの美意識にかなう。

〔なんだ、わたしはもうAIに乗り越えられていたんだ〕

自分で自分がおかしかった。AIは一般向けのデザインだけでなく、特定の個人の嗜好にあわせたデザインも作れるほどに進化している。わたしが気づかなかっただけ・・・・。この日を境に、わたしはCompositionの制作をやめた。そして、深思考社との契約も解除し、デザイン制作の仕事も断ることにした。何もそこまでしなくてもいいのかもしれない。アルファ碁が人間の棋士を圧倒しても、人間の棋士は仕事を続けている。同じように、AIに乗り越えられても人間のデザイナーが仕事を続けて悪いわけはない。ただ、わたしの気が済まない。Magisterに完敗した佐為が消え去ったように、AIに乗り越えられれば、わたしはデザインの仕事から消え去る。それは、佐為が消えた時、ごく自然にわたしの心に浮かんだこと。

佐為の夢が終わったように、わたしの夢も終わる。千年の夢ではない、十何年かの夢だけど、それでも夢を追えたのは幸せだった。まして、そのうちの5年は佐為と一緒だったんだから。

 

それからわたしは、Composition001から075までを入れたクリアファイルを1枚1枚たんねんに眺めるのが日課になった。どの1枚も、それを作った時の情景を思い出させる。佐為とともに過ごした時間。完璧な幸せの思い出。それを思い出すだけで幸せになれる。毎日これを繰り返す。

繰返しが退屈なんて、愚か者たちに言わせておけばいい。ほんとうに素晴らしいものは、何百回繰り返そうが、何千回繰り返そうが、何万回繰り返そうが、そのたびに人を幸せにする。

 

そんな日々が5年続いた後、ヒカルさんが飛行機事故で死んだ。享年40歳。早すぎる死を悼む声が多かったけど、その後の状況を考えると、良い時に死んだと思う。それからすぐ、プロの棋士という生き方が成り立たなくなる時代が到来したから。「坂道を転がり落ちるように」という表現がぴったりなほど。ヒカルさんは、この状況を予見して、そうなる前に死んだのかと思えるほど。

まず、初心者への教育や指導碁の仕事がAI碁に奪われた。人間よりAI碁の方がずっと分かりやすくていねいに筋道立てて説明できる。完璧なログが記録されているからどこまで手順をさかのぼっても、その時点で想定されるあらゆる打ち手を提示し、どの打ち手が最善かを説明できる。これだけでも、人間が太刀打ちできない。まして、人間と違って感情のムラがなくどんな時にも穏やかに条理を尽くして対応するから、習う側も人間でなくAIの指導を希望する。

続いて、企業であれ個人の資産家であれ、囲碁のスポンサーがいなくなり、タイトル賞金や対局料が大幅に減額された。半分とかいう生やさしいものではなく、1桁の違い。さらに、賞金を付けられないために、1つ2つとタイトルが消滅し始めた。これはAI碁のせいではないけど、広い意味でAIが原因。佐為が消え去る頃から予言されていたAIによる雇用破壊が現実となり、この頃には失業率が50%に迫っていた。個人も企業も、社会全体も、囲碁にお金を出す余裕を失った。

そう、ヒカルさん、あなたは良い時に死んだ。囲碁の最後の輝き、夕映えの残照をいっぱい浴びて、笑顔を見せているあなたの姿だけが思い出に残っているから・・・・。

いや、人のことを語る前に、まず自分のこと。

家は、住み続けることを許された。子供のないヒカルさん、遺産は両親が相続したけど、この家はそのままわたしに住まわせてくれた。この頃、駅から徒歩圏ならまだしも、バスを使わないといけないような地域の築70年くらいの木造住宅はほとんど資産価値を失っていて、売りたくても買い手がいないという事情もあるけど、老齢のご両親の親切心でもある。

ヒカルさんのカードは使えなくなる。だから食費は自分で支出する。それなりの蓄えはあるから10年くらいは生きていける。その後は、西行法師に倣って断食往生?・・・・それもいい。わたしは今まで十分幸せだったから。

庭の手入れにかけるお金はないから、庭は荒れていく。ヒカルさんが死んだ年、庭は放っておくとこんなに雑草が繁るものかと思った。さらに、2年、3年、4年と経つうちに、雑草は我が物顔ではびこり、庭の木も好き勝手に枝を伸ばす。門から玄関までの道はなんとか確保しているけど、それ以上のことはできない。

夜、風が吹くと、木の葉や草の葉がザワザワと音を立てる。それを聞きながら寝ていると、源氏物語に描かれた荒れ果てた屋敷に住む落魄の姫君の気分になる。夕顔? それとも末摘花?・・・・それも悪くない。

そんな部屋の中で、わたしはCompositionのファイルを見る。気が向くと、荒川の河原に行って、川の流れ、水面に反射する陽光を眺めながら、ファイルを見ることもある。ほかには何もすることがない、ほかに何かをする気もない。Compositionを眺め、佐為を思い出すより以上の意義のあることなんか、ないから。そして、Compositionを眺め、佐為を思い出せば、それだけでわたしは幸せだから。ああ、たまにはヒカルさんのことも思い出す。

 

わたしは、このあばら家が朽ちていくのにあわせて、静かに朽ちていく。佐為の幸せの思い出に包まれて、死ぬまでずっと幸せに。

〔佐為、あなたは最後の最後まで、わたしを幸せでいさせてくれる〕

 




2018年12月17日修正
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