黒と白のComposition   作:松村順

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2:出会い

東京の美術系専門学校に入学して1年と1ヶ月が過ぎた。

わたしは、古い小さなワンルームマンションの小さな机を占領するデスクトップ・パソコンを満足げに眺めている。春休みのアルバイトの給料で買った、WindowsXpを搭載した中古パソコン。5年前に次世代のWindowsVistaが発売され、3年前にはWindows7も発売されたけど、今でも「使い勝手がいい」という評判のOS。少なくとも、これまで使っていた時代物のWindows98に比べればずっと使いやすい。コンピューターグラフィックスの操作も軽やかだ。今日、5月5日こどもの日に配送され、自分でセットアップし、インターネットにも接続した。さっそくWorldGoのサイトにアクセスする。自分で碁を打つのではない。参加者が碁を打つのを眺めている。パソコンディスプレイの碁盤に黒白模様ができあがっていく様子を見るのが楽しい。もっとも、わたしの美意識にかなう模様が作られることは少ない。だけど、1局をずっと見ていると1回くらい〔わあ、きれい〕と思える模様に出会える。それから次の石が打たれると、その模様は変化してしまう。はかない美であるけど、だからなおさら、いとおしい。

対局を眺めるだけでなく“Archive of sai”というサイトの中の部屋というのかセクションというのか、1区画を訪れることもある。そこには、かつて「最強、無敵」と謳われたsaiというネット碁の打ち手の棋譜が集められている。100枚あまりの棋譜はわたしの美意識をくすぐる。できることなら、最終的にこれらの棋譜ができあがる対局のプロセスも眺めていたかったと思う。不可能な願いだけども。

わたしがこのサイトを知ったのは今年の初め頃。同級生のユカに教えられた。ユカはわたしがこのサイトを知らないのを不思議がった。

「あんなに碁盤の黒白模様が好きなルミがこのサイトを知らなかったとは意外。碁が好きなんでしょう?」

「碁は別に好きじゃない。あの模様が好きなだけ」

「ふーん」

ユカは不思議そうな顔をしたけど、特に突っ込むことはなく、WorldGoのアドレスを教えてくれた。

Archive of saiを知ったのはほんの2~3週間前。以来、気に入って、対局を覗いた後に立ち寄っている。今日も、セットアップが終わり、サイトで対局を2局見た後、saiの棋譜を眺めているうちに、慣れないセットアップ作業に疲れたのか、座ったままうとうとした・・・・

 

・・・・目の前にきれいな人が立っている。昔風の衣装。直衣というのかしら、狩衣というのかしら、確か平安時代の衣装。それに烏帽子。そこから艶のある黒髪が肩の下まで垂れている。柔和で優雅で美しい顔立ち。でも、衣装からして男の人。その人がわたしに声をかける。

「わたしが見えるのですね?」

わたしはうなずく。

「わたしの声が聞こえるのですね?」

わたしはまたうなずく。

その人の表情に喜びの色が広がる。

「ああ、再び戻って来れました。感謝いたします。わたしはまた碁を打てる。神の一手を探求できる」

そう言って、その人はわたしを見つめる。その美しくキラキラした眼差しを、わたしは受け止める・・・・

 

〔・・・・あっ、うつらうつらしてた。いけない、いけない。初夏といっても夕方になれば冷えてくるから、こんなことしていると風邪を引くわ〕

そう思ってわたしはキッチンで熱いコーヒーでもいれようと思って椅子から立ち上がり、振り返って、びっくりした。さっき、まどろみの夢の中で見たのと同じ人が立っている。

〔わたし、まだ目が覚めてない〕

と思って頬をつねったり、額を叩いたりしていると、その人が話しかけた。

《お嬢さん、もう目覚めてらっしゃいますよ。わたしは夢ではありません》

《えっ!・・・・》

《驚かないでください、と言うのは無理でしょう。きっと驚きますね。でも、心配しないでください。怪しい者ではありません。危険な者ではありません》

そう語るその人の瞳はあくまで澄んでいる。

《なんてきれいな瞳・・・・この直感を信じよう。この人は悪い人ではない。それに、もし悪人なら、わたしが眠っている間に悪事を働いているはず・・・・》

わたしは、椅子に座り直した。

《あなたは誰?》

《わたしは藤原佐為ともうします》

《フジワラノサイ? どこから入ってきたの? 鍵は閉まっているはずよ。それに、その時代がかった衣装は、何なの?》

わたしの問いに答えてその人が語ったこと。ほとんど信じられない、いや、まったく信じられないような話。でも、わたしはなぜか信じる気になった。その瞳の澄んだ美しさのために?

 

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わたしは千年も昔、都で帝の碁の指南をしておりました。しかし、御前対局で罠に落ち、都を追い出されて、入水自殺いたしました。恨みと未練を残したわたしの霊は成仏することなく、それから何百年も碁盤に潜んでおりました。わたしは碁盤に近づく人に呼びかけるのですが、わたしの声は誰にも聞こえません。そんな虚しい数百年が過ぎたある日、虎次郎という幼い子供がわたしの声を聞いてくれたのです。その子供は碁を学んでおりました。そして、わたしの願いを聞き届け、以後はわたしに碁を打たせてくれました。・・・・ああ、わたしには体がありません。虎次郎だけはわたしの声を聞くことも姿を見ることもできるのですが、わたしは自分では碁石はおろか塵一つ動かすことさえできません。ですから、わたしが碁を打つためには、虎次郎がわたしの声を聞き、わたしの言うとおりに碁盤に碁石を置いてくれないといけないのです。それは、傍目には虎次郎の碁にしか見えません。

わたしの棋力を宿した虎次郎の碁の名声は高まり、城碁を打つようになり、ついには本因坊家の世嗣に迎えられました。本因坊秀策その人です。秀策の体を借りて、わたしは碁の最善の一手、神の一手を目指しました。ですが、虎次郎は・・・・虎次郎は、はやりやまいで34歳の若さで死んでしまいました。わたしは願いを遂げられぬまま、また碁盤に潜んで時を過ごすことになったのです。

それから百年以上を経て、進藤ヒカルという少年がわたしの声を聞きました。ヒカルは虎次郎と違って、碁にはまったく興味のない子供でした。でも、わたしの願いで碁会所に行き、そこにたまたま居合わせた同じ年頃の子供と対局してくれました。その子は塔矢アキラといって、すぐにでもプロの棋士として通用するほどの腕の持ち主でしたが、わたしは勝ちました。その時の塔矢アキラの真剣な眼差し。ヒカルはそれに感化されて碁に興味を持つようになりました。わたしはもちろん喜んでヒカルに教えました。わたしのすべてをつぎ込むように教えました。そしてヒカルはそれに応えてくれました。乾いた砂が水を吸い込むようにわたしの教えを吸収しました。しかも、ヒカルは塔矢アキラにも勝る素質、才能の持ち主でした。わたしから碁を学び始めて、たった2年でプロ試験に合格しプロの棋士になったのです。だけど、いや当然のことですが、ヒカルは自分の碁を打ちたがりました。

お分かりいただけますか?

さきほども申し上げたとおり、わたしは体を持ちません。自分では碁石を置くことができないのです。わたしが碁を打とうと思えば、ヒカルに打ってもらわないといけないのです。ヒカルが、自分の考えではなく、わたしの言うとおりの場所に碁石を置かないといけません。でも、それは傍目にはヒカルが打っていることになります。その頃、わたしとヒカルの棋力は圧倒的な差がありました。その状態でわたしが打てば、つまり、ヒカルにわたしの碁を打たせれば、ヒカルはあっというまに最強の棋士になってしまいます。そして、ヒカルが自分の碁を打とうとすれば、「手抜き」との非難を浴びることになるでしょう。ヒカルはそんなことを望みませんでした。当たり前です。碁打ちであれば誰しも、自分の碁を打ちたいのです。たとえ、自分で考えるよりわたしの言うままに打つ方が勝てるとしても、それでも、自分の碁を打ちたいと願うのです。それが碁打ちというものです。そして、ヒカルをそのような碁打ちに育てたのは、ほかでもないわたしなのです。こうして、ヒカルが自分の碁を打つためには、わたしに碁を打たせてはいけない、そんな状況になってしまったのです。

そんな中でも、ヒカルは、わたしが碁を打てるよう、できるだけのことをしてくれました。そして、日本棋界の最高峰と言うべき塔矢行洋名人とネット碁で対局する機会さえ作ってくれました。それはわたしにとって最高の対局、わたしの最良の思い出です。そして、ヒカルに最善の手を示すことができたと自負しています。この対局を終えて、わたしはまさにこのために、この最高の対局をヒカルに見せるために、ヒカルのもとによみがえったのだと悟りました。そこでわたしの役目は終わったはずでした。でも、わたしはまだずっとヒカルと一緒にいたかった。そして、わたし自身が碁を打つ機会を得て神の一手を極めたいと願っていました。だけど運命はこんなわたしの願いを聞くこともなく、役目を終えたわたしをヒカルから引き離しました。わたしは別れの言葉をかけることもできませんでした。ヒカルが眠っている時、わたしはヒカルの前から消えたのです。わたしにできたのは、何も知らずに眠っているヒカルに悲しい顔を向けないことだけでした。

ただ、それでも一つの救いが用意されていました。それから2ヶ月ほどして、わたしはヒカルの夢に現われることができたのです。わたしはできるかぎりの笑みを浮かべてヒカルに会いました。そうしたら、ヒカルは楽しそうにいろんなことを話してくれました。そして、わたしにこう問うたのです、

「消える時、どんな気持ちだった? 悲しかった? それとも今みたいに笑ってた?・・・・笑ってたら、いいな」

わたしが何も言わないまま消えてしまったことを悲しんだはずのヒカルは、自分の悲しみを語る代わりに、わたしの悲しみに気遣ってくれたのです。

わたしは、できるかぎりの笑みを見せました。

 

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その人は語り終えた。わたしはしばらく何も言えなかった。その人も何も話さなかった。しばしの沈黙の後、わたしが口を開いた。

《それで、どうして、また戻ってきたの? それも、進藤ヒカルさんでなく、何の縁もないわたしに?》

《戻ってきた理由は、もっと碁を打ちたいからです。わたしは結局、ヒカルのもとで神の一手を極めることができませんでした。この願いが叶えられないうちは、わたしの霊はこの地上に留まるのです。なぜ、ヒカルではなく、あなたのもとに戻ったのか、それはわたしにも分かりません》

《そう・・・・それで、あなたは何をしたいの?》

《碁を打ちたいです。より正確に言えば、あなたに碁を打ってほしい。わたしに代わって》

《あなたの言う碁盤の場所に石を置いてほしいということ?》

《そうです》

その人はわたしを見つめて、はっきりそう答える。その澄んだ視線をわたしは拒否できない。いや、拒否したくないという気持ちが湧いてくる。

《・・・・分かったわ。でも、一日中ってわけにはいかないの。わたしにはわたしの生活があるし、わたしがしたいこともあるから。時間を区切ってね。たとえば1日1時間とか》

《・・・・それは、いたしかたありません。あなた様の時間を使わせていただくのですから》

《それと、もう一つ。碁を打つには相手が要るわね。相手をどうやって見つけるの?》

《ああ、それは・・・・》

と言いながらその人は机の上のパソコンを指さす。

《この箱は「パソコン」と申すものですね?》

《そうよ。よく知ってるわね》

《この箱で碁が打てるはずです。ヒカルと一緒にいた時、1ヶ月ほど毎日のように打っておりました。ネット碁というものです》

《ああ、そうね。ネット碁ならいくらでも相手を見つけられる。と言うか、今わたしはネット碁を見てたのよ》

《えっ?》

パソコンはわたしが居眠りしている間に休止状態になっている。適当にキーを押して再起動させた。その画面を見て、その人は驚いた。

《これは、わたしの棋譜ではありませんか》

《えっ?》

今度はわたしが驚く番・・・・。

驚きから覚めて、わたしはその人に尋ねる。

《そういえば、あなたフジワラノサイという名前ね。藤原が姓でサイが名前?》

《そうです。にんべんに左で佐、行為の為、物事を為すの為。という説明で分かっていただけますか?》

わたしは頭の中で文字を思い浮かべる。

《・・・・ああ、佐為ね》

わたしはその人との間の空間に指で字を書く。

《はい、その佐為です》

《つまり、このsaiは佐為、あなただったの?》

ネット碁で、わたしの美意識に一番かなう棋譜を残してくれた人、その人が今、わたしの目の前にいる。こんな信じられないような幸運、信じよう。もちろん、佐為と名乗るこの人の話も、幽霊としての存在も、すべて信じよう。

 

《どうなさいました?》

しばらく呆然としていたわたしに佐為が声をかける。

《あっ、ごめんなさい。ちょっとボーッとしてた・・・・それよりも、せっかく今、WorldGoのサイトを開いているんだから、さっそく打つ?》

《やっていただけるんですか》

《いいわよ》

その人は、まさに飛び上がらんばかりによろこんだ。

《まず、ログインね。アカウント名はsai・・・・あっ、パスワードか・・・・ねえ、パスワードは?》

《パスワード? 何ですか、それは?》

《ネット碁やってて、パスワードを知らないの?》

《・・・・あの、つまり、そういうことはみなヒカルがやってくれていましたから・・・・》

《そうか・・・・パスワードが分らないとこのアカウントは使えないわね》

《それじゃあ、ネット碁ができないのでしょうか?》

その人は、さっきの喜びから一転して悲しげな顔になる。

《心配しないで。別に新しいアカウントを作ればいいだけのことよ》

《はあ・・・・》

どうも、この人は現代の技術に疎いようだ。平安時代の人であれば仕方ないか。

《アカウント名は何にする? 特にお気に入りの名前はある?》

《えっ、いえ、そのようなことを問われても》

〔じゃあ、姓も付けてfujiwaranosai・・・・だと長すぎるな・・・・では、姓はイニシャルにして、F.sai・・・・うん。これはいいな。デザイン的にも〕

《・・・・あのー、何をなさっているのですか?》

その人はちょっと心配げに声をかける。

《あっ、ごめんなさい。アカウント名を決めていたの。エフ・サイでいいでしょう? F.sai 見た目もなかなかきれいだし》

《はあ・・・・》

〔そうか、アルファベットには慣れていないんだ。ともかく、すぐに対局したがっているんだ、さっさとアカウント作成を終わらせよう。パスワードはrumi2012でいいだろう・・・・〕

わたしはサクサクと作業を進めたけど、「段位の自己申告」という項目で入力作業の手が止まった。注意書きを読むと、WorldGoには20級から8段までの段位があって、最初は自己申告とのこと。ただし、実際に対局を始めて、勝敗から推測される実力が自己申告を下回っていれば、容赦なく段位が下がり、上回っていれば段位が上がる。基本的に自分が対戦を申し込めるのは自分の段より4段上までとのこと。弱い参加者がむやみに強い参加者に対局を申し込むのは、申し込まれる側にとって迷惑だから作られた規定らしい。わたしはその人に事情を説明する。

《では、8段と申告してください》

〔・・・・すごい自信・・・・でも、saiなら当然か・・・・〕

ともかく、アカウント作成が終わり、晴れて対局。同じ8段を名乗っている参加者にさっそく対局を申し込む。最初の2名には拒否されたけど、3人目は受けてくれた。佐為が指示する場所をわたしがクリックするのだけど、「ホシ」とか「コスミ」とか「ツケ」とか「ケイマ」なんて囲碁用語を言われてもわからないし、3の十一とか8の六とか言われても、碁盤の目をいちいち数えないといけない。結局、佐為がディスプレイの碁盤の目を扇で指してくれることになった。

佐為はほとんど長考しない。だいたい1分以内に打つ。だから、ディスプレイ上にスピーディーに黒白模様が出来上がっていく。それを見ていて、わたしもうれしい。時おり、はっとする模様が出来上がる。その時は、打つ手をちょっと待ってもらって、その模様を眺めている。

《どうしたのですか?》

《あのね、持ち時間に余裕があるなら、ちょっとの間、これを眺めさせて。とてもきれいな模様だから》

《では、しばらくお待ちしましょう》

こんな会話がこの対局の間に3回あった。初戦は佐為があっさり勝った。あのsaiであれば、当然の結果ね。

《次は?》

《えっ、もう1局よろしいのですか? 先ほど、「1日1時間以内」というようなお話もありましたが》

《いいわ。あなたの作る黒白模様はとても美しいから、もっと見たいの》

《ありがとうございます》

結局、この日は3つ対局した。3局というのかな。3局打ち終えると、さすがに疲れた。別にわたしが考えているわけではないけど、扇で指された所をクリックするだけでも、けっこう疲れる。

《3回対局すれば、少しは満足した?》

《はい、もちろん。思いもよらぬ幸せです》

《それはよかった・・・・ああ、そうだ。遅ればせですけど、自己紹介しますね。高藤ルミ。19歳。今年の10月で20歳になる。現在、専門学校生。コンピューターグラフィックデザインを勉強してます。だから、あの黒白模様に興味があるの・・・・いや、逆ね。あの黒白模様に興味があったから、デザインを勉強しているんだわ》

こんな話をしながらわたしの心に、幼い頃の思い出がよみがえった。それを話したくなった。

《幼い頃、まだ小学校に上がる前の頃、こんなことがあったの・・・・》

わたしの話を聞いて、佐為は笑みを浮かべる。

《お気持ちも分からなくはないのですが、囲んだ石を取るのは碁の一番基本的な決まりですので・・・・》

《そうなのよね・・・・》

《それにしても、たった一度だけあったというあの経験、石を取った碁の模様の方がさらに美しかったという経験、また繰り返されるといいですね》

《うん、期待してるわ・・・・ところで、わたしはあなたを何と呼べばいいかしら。「佐為」と呼んでいいの?》

《もちろん、そう呼んでくださって構いません。以前、ヒカルもわたしをそう呼んでいました》

《じゃあ、佐為と呼ぶね。わたしのことはルミと呼んで》

《・・・・いえ、それはいけません。20歳といえば立派な大人。大人の女人(にょにん)を呼び捨てになどできません。ルミ様と呼ばせていただきます》

《それじゃあ、わたしも佐為様と呼ばないといけないじゃない》

《そんなことはありません。わたしは佐為と呼んでいただいてかまいません》

とまあ、こんなことでケンカするのも無駄だから、結局、わたしは佐為と呼び、佐為はわたしをルミ様と呼ぶことになった。ちょっと居心地が悪いけど、じきに慣れるでしょう。佐為は、わたしが声を出して話さなくても佐為には聞こえることを説明してくれた。といっても、心の中を覗かれているわけではなくて、わたしが佐為に話そうと思い浮かべたことは、言葉として口から出る前に佐為に伝わるということ。それなら、一緒に外に出てもいい。誰にも見えない幽霊相手に声に出して会話していたら、はたから見たらキチガイだもんね。

 

佐為はわたしの行くところ、どこにでもついてくる。学校にも。わたしに憑いた幽霊だから、当たり前だけど、最初のうちは佐為を背中に感じながら学校の授業を受けるのは変な感じだった。佐為は授業や実習を興味深げに見ている。知的好奇心が旺盛なたちなのかな。

いつだったか、コンピューターグラフィックスで、画面上の好きなところに点を打ち、直径を入力すれば一瞬で円が描けるのを見て、びっくりしていた。

《こんなの、基本の「き」よ》

《そうなんですか・・・・》

《もっとも、肉筆で正円を描かせるなんて課題を入試に出す学校もあるけどね。バカかと思うよ。コンピューターの方がずっと正確にできる作業をなんで入試に出題するんだろう。機械にできることは機械に任せて、人間にしかできない能力を判定すればいいのに》

《そういうものでしょうか?》

佐為は首をかしげていた。

 

ともかく、こうして毎日いつでも佐為がそばにいる。明眸白皙とはこの人のためにある表現かと思える美貌を見慣れてしまうと、身の周りにいる同級生の男子や街中ですれ違う男たちがみなブサイクに見えてしまうのは仕方ない。こんな男たちを好きになるなんて、金輪際あり得ない。もともと色恋話には縁が薄かったけど、決定的に縁がなくなってしまった。いつだったか、新聞か雑誌の人生相談の欄で、恋愛に悩み苦しんでいる相談者に、回答者の精神科医が「恋愛は人生の必需品ではありません」と書き、恋(恋人ではなく恋)からしばらく遠ざかるようアドバイスいていた。心から同意するわ。恋なんか、なくても人は生きていける。わたしは生きていける。でも、美はないとだめ。美のない世界では生きていけないと思う。そして、わたしのそばにはたぶん日本一美しい人がいる。

ただ、その類い希な美しさを佐為自身は見ることができない。佐為の姿は鏡に映らないから。ある時、たまたま気がついた。わたしの横か後ろに佐為がいることが当たり前に思えるようになった頃、顔を洗っていて、ふと、背後にいる佐為が鏡に映っていないことに気がついた。

《佐為は鏡に映らないの?》

と、振り返って尋ねるわたしに、佐為はうなずいた。心なしか悲しそう。

《実体のない、ルミ様にしか見えない幽霊ですから・・・・》

《・・・・佐為、こんなきれいな顔を自分で見ることができないのね》

わたしは思わず、佐為の髪を触った。佐為は、はにかむように視線を伏せた。

〔まあ、考えてみたら、美貌は自分で見るためじゃなくて、人に見てもらうためのものかもね。自分で自分の美貌をうっとり眺めるなんて、ナルシシズム、一種の精神病理よね・・・・でも、佐為の美しい顔は、わたしのほか誰も見ることができないのね〕

わたしが眠る時、佐為はベッドの脇にきちんと正座してわたしを見守っている。

《幽霊は眠らないの?》

と尋ねたら、わたしが寝入ると佐為も横になるらしい。

《こんな美しい人に見守られて眠るなんて、なんという幸せ、なんというぜいたく》

と心満たされて、わたしは安らかに眠りに落ちる。

 

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