黒と白のComposition   作:松村順

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4:再会

(ここからまたルミ視点)

 

夏休みが終わったばかりの9月上旬、わたしはいろんな黒白模様の形式を試し続けている。探求は佳境に入っていた。昼休みになっても学校のパソコンの前に座ったままのわたしにユカが呼びかける。

「ルミ、来てごらん。日本棋院のサイトよ」

ユカはわたしにWorldGoのサイトを教えてくれた同級生。ひょっとしたら佐為との出会いを取り持ってくれた恩人かもしれないけど、わたしがいくら言っても、わたしがほんとうは碁が好きなんだと信じている。それで、WorldGoのほかにも、囲碁に関する情報を時々教えてくれる。まあ、わたしにとっても迷惑ではないし、佐為はけっこう喜んでいる。それなら、敢えて誤解を解かず、時々囲碁情報をもらっておこうか。

「プロ棋士って、けっこう若い人が多いのね。おじさんばかりかと思ってたけど」

と言いながら、日本棋院に所属しているプロ棋士たちの顔写真を見ている。全員だと500人くらいいるらしいけど、このサイトに顔写真が載っているのは高段者とタイトルホルダーだけ。そうやってユカが画面をスクロールしている時、背後で佐為が《ヒカル!》と叫んだ。画面には本因坊のタイトルホルダーである進藤ヒカル氏の顔写真が掲示されている。後ろを振り向くと、佐為が涙を流している。わたしも思い出した。佐為が最初の日に語ってくれた物語。わたしの前に憑いていた少年の名前が確か進藤ヒカルだった。あれから10年、もう大人になっているけど、佐為は一目見てすぐに分かったらしい。

《佐為、ここは学校なの。気持ちは分かるけど、騒がないで。うちに帰ってゆっくり見せてあげるから》

佐為は気持ちを抑えるようにうなずいた。

 

部屋に戻って、パソコンを立ち上げる。日本棋院で検索するとすぐにそのサイトは見つかった。そして、進藤ヒカル氏の顔写真とプロフィールも。6年前に本因坊を獲得し、以来ずっとこのタイトルを守り続けている。ほかに棋聖のタイトルも保持している。同年の塔矢アキラと並んで若手の2枚看板とされている。そんな進藤ヒカル氏の顔写真を佐為はじっと見つめている。もはや涙を流したりはしない。ただ、その視線が熱い。わたしが言葉を掛けるのがためらわれるほど。

わたしよりずっと縁が深いんだろう。わたしは佐為に出会ってまだ4ヶ月。進藤ヒカルとは2年を過ごした。期間の長さだけじゃない。その密度も。わたしは佐為に代ってネット碁を打つだけだけど、進藤ヒカルには囲碁を一から教え込んだんだ。佐為の弟子、たった一人の弟子。思いが深いのは当たり前・・・・でも、ちょっとばかり嫉妬を感じる。これはこれで、仕方ないよね。

しばらくそうやって見つめていて、佐為はフッと息を漏らした。それまでの張り詰めた空気がちょっとばかり緩んだよう。

《懐かしい? もちろん、懐かしいよね》

わたしが語りかける。

《はい。ほんとうに懐かしい・・・・でも、ヒカルはすっかり大人になりました。わたしが別れた時は14歳か15歳くらいでしたから》

《でも、佐為のことはぜったい忘れていないはずよ》

《もちろん、そうだと思います》

《会いたい?》

佐為はうつむいて考え込む。どれくらいそうやっていただろう。しばらく考え込んでから、首を振った。そして、ゆっくりと言葉を探すように語る。まるで自分に語りかけるみたいに。

《いえ、会わない方がいいでしょう。あれから10年、ヒカルは自分の碁を作り上げたはずです。ヒカルは前を向いているはずです。後ろを振り向かせるようなことは、しない方がいいでしょう。振り返っても、あの時は戻ってこないのだから。気持ちは戻るかもしれません、でも時は戻らない・・・・》

こんな佐為の言葉にほっとするわたしがいる。

でも、佐為の気持ちとは別に、わたしの気持ちとも別に、進藤ヒカルとの再会は避けようがなかった。

 

ネット碁の対局申込み。この頃、佐為はほとんど自分から対局を申し込むことはなくなっている。WorldGoのサイトにアクセスすればすぐに対局が申し込まれるし、1局終わればすぐに別の誰かから対局が申し込まれる。そんなふうにして、この対局も始まった。最初の数手を打って、佐為はわたしに話しかける。

《この者は手強いです。これまで対局した相手の中でも一二を争う強さです》

佐為は強い相手と打つのを喜ぶ。それは碁打ちとして当然な気持ちなんだろう。最善の一手、佐為の言い方では「神の一手」の探求のためにも、強い相手と打ち合う方がいいだろう。だから相手がとても強いと分った時、佐為の指示に従ってマウスをクリックするわたしの背後から、強者と打ち合う喜びと緊張感、そして神の一手を目指す熱意が伝わってくる。今日はいつもにも増してそうだ。しばらく対局が進んで、佐為の手が止まった。振り向くと表情が固まっている。

《佐為、どうしたの?》

《ヒカル・・・・》

《えっ?・・・・》

佐為は、わたしが見つめているのに気づいた。そして我に返ったように、わたしに説明する。

《間違いありません。これはヒカルです。この手筋はヒカル以外に考えられません》

佐為の頬に涙が流れている。わたしは何も言えず、佐為を見つめる。佐為はディスプレイに向かって語りかける。

《ヒカル、強くなりましたね。ほんとうに強くなりました。10年ですからね。強くなりますよね・・・・》

ここで佐為の言葉が途切れる。わたしは待っている。

《・・・・でも、まだわたしにはかなわないはず・・・・》

しだいに佐為の表情が引き締まってくる。いつもの対局の時の佐為の表情に戻った。

《よろしい。受けますよ。今のヒカル、かかっておいで。存分に打ち合いましょう》

佐為は、ディスプレイの碁盤の一点を扇で指した。

・・・・結果は佐為の勝ち。でも僅差の勝利だったらしい。対局を終えて感慨にふける佐為。わたしはしばらく黙って待っていた。それから話しかけた。

《佐為、碁を打っていて、相手が誰だか分るものなの?》

《これまで何度も打ち合った相手であれば、その手筋から、誰だか分ります。ましてヒカルの手筋は、けっして忘れはしません》

《それならきっと、ヒカルさんもさっきの対局の相手が佐為だったって、気づいているよね》

《もちろん、そのはずです》

《それなら・・・・》

わたしは言葉を継ぐ。

《佐為はヒカルさんに会う方がいいよ。会うべきよ》

佐為はわたしを見つめる。

《だって、お互い分っていなかったのなら、会わないでいてもいいけど、もう分ってしまったんでしょう。ヒカルさんは佐為が戻ってきたことを分ったのよ。たぶん、今日じゃなくてもっと前から分っていたのよ。分っていて、F.saiが佐為だと知って対局を申し込んだのよ。そして、対局して間違いなくF.saiが佐為だと分ったはずよ。それなのに無視し続けるなんて、かわいそうよ。ヒカルさんの気持ちになってごらん・・・・》

佐為は黙ってうつむいている。

《それに、ヒカルさんからはわたしたちに連絡のしようがないのよ。だって、どこにいるか分んないもの》

《ルミ様は、ヒカルに連絡のしようがあるのですか?》

《そりゃあ、日本棋院気付 進藤ヒカル様で手紙を出せば確実に届くわ》

・・・・ああ、結局、佐為がヒカルと会う手助けをすることになった。でも、これでいいよね。前世(?)からの縁のある二人、邪魔しちゃいけないわ。それに、無理に会わないでいると佐為が辛い思いをするのは目に見えているし、佐為が辛い思いをするのを見ているのは、わたしも辛いから。

 

手紙にはごく簡単なことだけ書いた。今年の5月に佐為がわたしに憑いたこと。詳しいことは直接会って話したいこと。そのために、会える日時と場所を進藤ヒカルさんの方からいくつか提示してほしいということ。

手紙を出して、3日後には返事が来た。きっと、受け取ってすぐその場で返事を書いたんだ。そして、翌週の金曜日の夕方、わたしが学校を終えて、市ヶ谷の日本棋院に会いに行くことになった。地図で調べると、棋院のそばに個室(会議室)のある喫茶店がある。〔ここがいい〕と思った。

北千住から地下鉄で御茶ノ水に出て、JRに乗り換えて3つ目。駅から棋院まで歩いて5分もかからない。

進藤ヒカルさんは棋院の入り口で待っていた。あの特徴的な明るい色の前髪ですぐに見つけられた。

「進藤ヒカルさんですね。わたし、高藤ルミです」

「あっ、初めまして」

ヒカルさんは、突然声を掛けられてあわてたみたい。

「じゃあ、こっちへ」

とわたしは歩きだす。

「どこに行くの?」

「この近くに個室のある喫茶店があるんです。前もって調べておきました」

「そうなんだ・・・・しっかりしてるね」

ヒカルさんはわたしを見て話すけど、わたしの反対側を一緒に歩いている佐為には気がつかないみたい。見えていないんだ。

喫茶店に入り、予約していた個室に通される。ドアを閉めて、ヒカルさんと向き合う。ヒカルさんが先に話を始めた。

「佐為はいるの?」

「います。わたしの右隣に」

ヒカルさんの表情がみるみる暗くなる。

「見えない」

ヒカルさんがぽつりとつぶやく。右を見ると、佐為も悲しそうな表情。

《佐為、ヒカルさんに何か話しかけてみて》

佐為はヒカルさんの方を向いて話しかける。

《ヒカル、久しぶりです。10年ぶりですね》

ヒカルさんは反応しない。聞こえていないんだ。佐為はまた悲しそうな顔をする。

「ヒカルさんには、佐為の姿は見えないし、声も聞こえないんですね」

ヒカルさんは、がっかりしたようにうなずく。

「どうしてなんだ? どうして、オレじゃないんだ? オレに戻るはずじゃないのか? どうして、ほかの人なんだ?」

ヒカルさんと佐為がうなだれる。そして、わたしは意を決する。さあ、高藤ルミ、20歳。元文学少女、現美術女子の知識と意地と見栄を総動員して、精いっぱい背伸びして、ヒカルさんに相対するんだ。

「なぜ、ヒカルさんでなく、わたしなのか? それは、佐為のためよ」

ヒカルさんが顔を上げて、わたしを見る。激しい視線でわたしを見つめる。反発や怒りさえ秘めたその視線をわたしはしっかり受け止めて話し続ける。

「佐為は今、ネット碁を打ってます。ご存知ですよね。佐為にはそれが必要なんです。佐為がこの世に留まる目的は最善の一手、神の一手の探求です。そのためには佐為が打たないといけない。でも佐為は体を持っていない。だから佐為の代わりに、佐為の指示の通りに碁盤に石を置く人間が必要です。その役目には、ヒカルさん、あなたではなく、わたしの方がずっと適任なんです。なぜなら・・・・」

何か言おうとするヒカルさんの機先を制して、わたしは畳みかけるように語り続ける。

「わたしは碁に興味がないからです。わたしは碁を打ちたいという欲求がないからです。だから佐為が望むままに、佐為の言うとおりに碁盤に石を置くことができます。ヒカルさんはそうじゃない。ヒカルさんは人に言われるままに石を置くのではなく、自分の碁を打ちたがる。ヒカルさんは佐為の代理人にはなれないのです。なれないだけじゃない。なってはいけないのです。ヒカルさんは佐為の代理人になってはいけないのです。なぜなら・・・・」

ここでも、何か言おうとするヒカルさんの機先を制して、わたしは語り続ける。

「なぜなら、ヒカルさんは佐為の弟子だからです」

ここまで言い切った。ヒカルさんは、じっとわたしを見ている。何かを言おうとするのではなく、次にわたしが語る言葉を待っている。

「弟子の役目は、師のコピーになることではありません。師の技能、師の思想を受け継いで、自分のオリジナルを新たに作りだし、それを世に送り出すことです。ヒカルさんは佐為の弟子です。唯一の弟子です。佐為が語ってくれました。わたしの目の前に初めて現れた時、語ってくれました。佐為はヒカルさんを育てたんです。佐為は自分の持っているすべてをヒカルさんに注ぎ込んだんです。何のため? ヒカルさんを最良、最強の棋士に育てるためです。それがどれほど贅沢なことか、ヒカルさん、考えたことある? 無敵の佐為の教えをただ一人受けたのよ。無敵の佐為のすべてを受け取ったのよ。そんなヒカルさんは、佐為の唯一のそして最愛の弟子であるヒカルさんは、自分の碁を打たないといけないの。それが佐為のためなの。それが、ヒカルさんにすべてを注いだ佐為の思いに報いることなの。間違っても、自分を捨てて佐為の代理人になろうなんて、思っちゃいけないわ」

わたしは、この時のために何日も前から練り上げ用意しておいた口上を語りきった。高藤ルミ、一世一代の大口上。

ヒカルさんはじっとわたしを見ている。熱のこもった視線。でも反発や怒りは影を潜めた。そして佐為がわたしに語りかける。

《ルミ様。ありがとうございます。わたしがヒカルに言うべきことをすべて言ってくださいました。ほんとうならわたしが言うべきであったこと、でも、ヒカルへの情のために、そして・・・・そして、自分の碁を打ちたいというわたしの欲のために、言い出せないままだったことを、わたしに代わって言ってくださいました。ありがとうございます》

この言葉がヒカルさんに聞こえるはずはない。でも、ヒカルさんは何かを感じたのかもしれない。目の色から熱が去り、悲しみが差した。それまでわたしに向けていた視線を下に向け、ぽつりとつぶやいた。

「アンタの言うことは正しい。でも、オレは悲しいよ」

しばらく、沈黙が部屋を満たす。わたしはその場で思いついたことを口にした。

「成長するって、何かを失うことなの。人は、成長するためには、それと引き替えに何かを失わないといけないの」

わたしは、自分の幼年時代を思い起こしている。祖父の碁を無心に眺めていた幼年時代。成長と引き替えに失った静かで満たされた日々・・・・。ヒカルさんは黙ったまま何か考え込んでいる。しばらくして、フーッとため息をついた。

「分ったよ。悲しいのは悲しいけど、どうしようもないことだよな・・・・オレはオレの碁を打ち続ける。それが佐為のためにオレができることだよな」

佐為はヒカルさんを見つめている。そのまなざしには、愛情と悲しみ、そして安堵も混じっている?

「だけど、もしできるものなら・・・・これからネット碁だけじゃなくて、佐為とじかに対局させてくれないか? しょっちゅうでなくてもいい。たまにでいいから」

ヒカルさんは、静かな寂しげな視線をわたしに向けて、落ち着いた声で語った。ちょっとばかり悲しみが残っている口調だったけど。

 

帰りの電車の中で佐為がわたしに話しかける。

《ルミ様は、ほんとうに大人ですね。そして、びっくりするほど肝が据わっておられる》

わたしはちょっと笑いを漏らす。

《精いっぱい背伸びしたのよ。全力の2割増し、5割増し、10割増しくらい頑張ったの。だって、わたし、今の暮らし、佐為と一緒の今の暮らしを失いたくないもの。だから、ヒカルさんにも納得してほしかったの。ヒカルさんが今のわたしの暮らしを脅かさないように・・・・まあ、そういう打算だけじゃないとは思いたい。打算のほかに、ヒカルさんのことを純粋に気遣う気持ちも心の片隅にあるとは思いたいけど》

わたしは佐為を見つめる。佐為もわたしを見つめ返す。わたしはまた語り始める。

《わたしだって、ヒカルさんが不幸になればいいなんて思っていないわ。幸せになってほしい。佐為に縁深い人なんだから。不幸になってほしくない。でも、わたしたちもこのまま幸せでいたいの。だから、どちらかが犠牲になるような関係、ヒカルさんが幸せになるならわたしたちが不幸になるとか、わたしたちが幸せでいるためにはヒカルさんを不幸にしなきゃいけないとか、そんな関係になりたくないの。だから、ヒカルさんに納得してほしかったの。佐為がヒカルさんじゃなくて、わたしに憑いたことを。その方が、お互いのためだってことを。・・・・今日の口上、何日も前から必死で考えたのよ》

佐為はゆっくりうなずいた。その表情には、わたしへの感謝の気持ちと、わたしをいたわる気持ちがにじんでいる。

 

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