学年末制作を提出して間もない3月の中頃、この日、佐為とヒカルさんはわたしの部屋で対局した。まだ、ヒカルさんは佐為に勝てない。
「2目、1目の壁が厚いんだよなあ」
とヒカルさんは語る。わたしはできあがった棋譜を眺めている。佐為と対面して対局するようになって、ヒカルさんはネット碁で佐為と対局することはなくなったけど、ほかの相手とネット碁することはたまにあるし、ヒカルさんの周りにもネット碁している棋士はたくさんいて、無敵のF.saiはなにかにつけて話題になっているらしい。
「佐為は、ネット碁では超有名人だよ」
これまでも何度も聞いた言葉、わたしは素直にうれしい。碁に関心のない人たちまでとは言わないけど、多少なりとも碁に関心のある人はみんな佐為F.saiの存在を知ってほしい。佐為F.saiの存在を知らせたい。それはヒカルさんの願いでもあるはず。
「ヒカルさんも、佐為F.saiが有名になるのはうれしいでしょう?」
「もちろんさ。オレの周りでF.saiの噂を聞くと、自分のことみたいにうれしいぜ」
楽しそうにそう言って、ヒカルさんはちょっと考え込んだ。そして静かな口調で言葉を継いだ。
「そうだな、佐為がルミさんに憑いたのは正解だな。ルミさんだから、佐為が有名になるのを素直によろこべるんだ。オレの時は、オレが自分の碁を打ちながら、佐為の代わりに打ってた時は、佐為とオレのつながりがばれないかって心配してたもんな。だから、ネット碁で佐為が有名になると、怖くなってネット碁をやめたんだ。でも、ルミさんなら何の心配もない。精いっぱいネット碁やって、いくらでも佐為を有名にしてやれる」
ヒカルさんは静かに語るけど、こう話せるようになるまで、たくさん苦しんだんだろうな。ひょっとしたら、今も苦しんでいるのかもしれない。そうかもしれないけど、だからこそ、わたしは佐為が有名だということを素直に喜ぼう。
「うん、佐為がもっと有名になるといいね」
この言葉に佐為が遠慮がちに反論する。
《ルミ様、ヒカル、わたしは別に有名になりたいと思ってはいませんよ。ただ、より良い一手、最善の一手、神の一手を目指したいだけです》
そういう佐為の貴族らしい奥ゆかしさは理解できるけど、わたしはそれには納得できないというか、それだけでは満足できない。
《違う》
《えっ?》
《それは違う・・・・「違う」という言い方は強すぎるかもしれないけど、100点満点じゃない。80点くらい。より良い一手、最善の一手は、佐為だけが知っていればいいわけじゃない。それはみんなに知られるべきよ。それだけの価値があるんだから。佐為の碁はみんなに知られる価値がある。だから、佐為はもっともっと有名になるべきよ》
わたしは、ヒカルさんにも聞こえるよう声に出して話す。
「世の中には名作、傑作として知られるものがたくさんあるよね。文学なら源氏物語とかシェークスピアとか。美術ならモナリザとかモネの睡蓮とか。でも、わたし、たまに思うの。そういう作品はたまたま人々に注目される機会があった。だから有名になり、みんなに知られ、歴史にも残った。その背後に、同じくらい素晴らしいのにたまたま注目を浴びる機会がないまま忘れられ消え去った名作がたくさんあるんじゃないかって。それは作者にとっても残念だけど、読者、愛好家にとっても残念だと思うの。機会があれば知ることのできた名作を知らないままで終わるんだから。だとしたら、そんな『知られざる名作』の存在を知っている人は、それを世に知らせるためにできる範囲でいいから協力すべきだと思うの」
「で、ルミさんは佐為の碁もそういう名作だと思うんだ」
「ヒカルさんは、思わないの?」
「もちろん、オレだってそう思ってるさ」
佐為は、ヒカルさんとわたしの会話を静かに聞いている。
「佐為は、ネット碁の世界では超有名よね。でも、ネット碁しない人たちには、あまり知られてないんじゃない?」
「まあ、ネット碁しない碁打ちもたくさんいるから、そんな連中は佐為F.saiを知らないだろうな」
「その人たちにも佐為の存在を知らせて、佐為のみごとな手筋を教えたいと思わない?」
ヒカルさんはちょっと考え込む。
「思うけど、どうすればいいんだろう・・・・」
わたしも考え込む。わたしは碁の世界のことは何も知らないから、わたしが考えても名案が浮かぶはずもないけど・・・・。
「ネット碁しない碁打ちにも佐為の存在を知らせるには、やっぱりリアルの世界で打つしかないんじゃないかなあ」
とつぶやくヒカルさんに、わたしが
「リアルの世界で打つ? つまり本因坊戦とか名人戦に出るってこと?」
と反応すると、ヒカルさんはおかしそうに笑う。
「あっ、ごめん。笑ったりして、悪かった。ルミさんは碁の世界をぜんぜん知らないから、そんなこと言うのも仕方ないか。でもね、本因坊とか名人に挑戦するのは簡単じゃないんだ。ポッと出てきて挑戦できるものではないんだ。まず、プロ試験を受けてプロの棋士にならないといけない。それから何段階もの予選を勝ち抜いて、やっと挑戦者になれる。今から始めたとして3年か4年くらいかかるだろう」
そうなんだ・・・・わたしはちょっと落ち込んだけど、ふと思いついた。
「ねえ、碁にはオープントーナメントはないの?」
「オープントーナメント?」
「つまり、プロでもアマでも、誰でも参加できて、予選をずっと勝ち抜けば、準決勝、決勝に進めて、それに勝てば優勝できるような碁の試合」
「さあ、おれはずっとプロで打ってきたから、アマのことはあまり知らないんだ」
それを聞いてわたしは自分でインターネットで調べた。意外なほどあっさりと見つかった。「日本オープン碁トーナメント」。全国を16の地区に分け、地区大会を行ない、その優勝者16人とプロなどのシード棋士16人あわせて32人で全国大会を行なう。1回戦、2回戦、準々決勝、準決勝、決勝を勝ち抜けば優勝。地区大会は5月から7月にかけて行なわれ、全国大会は9月から10月にかけて行なわれる。参加申込み締め切りは、3月末。
「まだ間に合うじゃない!」
《ルミ様、本気ですか?》
《だめ?》
「ルミさん、ほんとうに参加するつもり?」
「だめ?」
「ルミさんが打つんだよね」
「佐為が打つの。わたしは佐為の代理人」
「そんなこと言ったって、周りはみんなルミさんが打ってると思うよ。オレの時もそうだった」
「わたしは佐為の、藤原佐為F.saiの代理人だって言い張るの。言い張り続けるの。そうすれば、佐為の名前がみんなに知れ渡るじゃない」
《ルミ様!》
《佐為、どうして止めるの? 佐為のためなのよ。そして碁を打つすべての人のためなのよ。佐為の碁はみんなが知る価値があるんだから、みんなに知らせてあげるのよ》
「ルミさん、そんなことしたら、ルミさんが佐為の名を背負うことになるよ」
「かまわないわ。どうせわたしは自分の碁を打ちたいなんて思っていない。わたしは佐為の代理人。わたしの碁は佐為の碁、それでいいの。それに、ヒカルさんがわたしを止める理由はないはずよ。ヒカルさんだって、佐為に有名になってほしいんでしょう。佐為の碁をみんなに知ってほしいんでしょう。なのに、どうして止めるの?」
参加申込みはインターネットでもできる。翌日、わたしはトーナメントのサイトから申込みフォーマットを開き、必要事項を書き込み、送信ボタンを押した。佐為は何も言わず、わたしがパソコン作業するのを見ていた。
《佐為、怒ってる?》
《怒ってはいません。ただ・・・・》
《ただ?》
《ただ、ルミ様が痛ましい》
《痛ましくなんか、ないよ。わたしは佐為の代理人として優勝するの。ただそれだけよ》
《ただそれだけでは済みませんよ》
わたしは笑顔を見せる。明るい笑顔。
《それなら、それでいいの》
《・・・・質問が殺到しますよ。「佐為の代理人」とはどういう意味か?とか、佐為はどこにいるのか?とか》
《そんなの、みんな無視すればいい》
《無視したら、ありとあらゆる噂がささやかれますよ。いろんな記事が書き立てられますよ》
《いいじゃない。思いたい人には、思いたいように、思わせておけばいいの。言いたい人には、言いたいように、言わせておけばいいのよ》
《ルミ様・・・・》
佐為は、もうそれ以上何も言わない。
《佐為・・・・打ってくれるよね?》
佐為は静かにゆっくりうなずく。重大な覚悟を決めるように。
5月。佐為と出会って1年が過ぎた。わたしは3年生、学校の最終学年。そして、トーナメントの地区大会が始まる。南関東地区は参加者が一番多く、一番の激戦区、決勝戦まで10回以上の予選があるけど、要するに勝ち進むだけのこと。1回戦が始まる前、佐為に念を押した。
《佐為は弱い相手をいたぶるような碁は嫌いだけど、この大会では、どんな相手にも全力出して圧倒的な強さを見せつけて勝ってちょうだい。棋譜が残るわけじゃないけど、評判は少しずつでも広がるはずだから》
《ルミ様、分かっております。それに、弱者をいたぶることと、圧倒的な強さを見せることは、別物です。いたぶらず、しかも強さを印象づけるような勝ち方をしますから、ご心配なく》
《うん。何も心配してないわ》
地区大会を気持ちよく勝ち進む。準決勝の前、地元の新聞の記者からインタビューを申し込まれたけど、断った。ただ「全国大会で優勝したら、お話しします」とだけ答えた。相手はびっくりしたような顔でわたしを見た。7月の決勝戦も勝って、順当に優勝。激戦区、南関東地区の優勝者が、碁歴が謎の女子だということは、碁の世界ではちょっとした話題になったようだけど、一般メディアの注目を集めるほどではなかった。
9月に始まった全国大会。1回戦、2回戦を勝ち進み、準々決勝入りを決めた頃から一般メディアも注目するようになった。インタビューの申込みにはすべて「優勝したら話します」とだけ答え、それ以上の話は一切拒否。中には、わたしの周りから情報を集めるメディアもある。わたしの通学先が特定された。美術系の専門学校の3年生、コンピューターグラフィックスデザインを専攻していることも記事になった。
「謎の女流棋士はデザイナーの卵」
いや、女流「棋士」じゃないよ。これからも棋士になるつもりは針の頭ほどもないし。
「化粧っ気のない知的美人」
笑ってしまう。化粧しないのは事実だけど、言うに事欠いて知的「美人」とはね。わたしより何倍も何十倍も美しい人がすぐそばにいるのに。
「前代未聞の成り行きに、日本棋院は大騒ぎ」
まあ、それはそうかも知れないけど、ヒカルさんがメールで伝えてくれた限りでは、そんな大騒動というほどではない。ただ、わたしが注目を浴びているからしばらく対局できないのがとても残念とのこと。この点に関しては、ヒカルさん、ごめんね。でも、人の噂も七十五日よ。
この頃から、優勝インタビューの想定問答集を作り始めた。ネット碁をしない人たちにもしっかり佐為を印象づけ、しかも余計なことは言わない、言質を与えないような応答。それと、自分のことをどこまで語るか。佐為を背負ったわたしが優勝すれば、当然わたしが注目を浴びる。そうすれば、デザイナー(の卵)高藤ルミも有名になる。というか、すでに有名になっている。来年卒業を控え、経済的に自活しないといけないわたしにとって、それはとても誘惑的なんだけど・・・・知られる機会がないままに名作が埋もれるのを残念に思う一方で、駄作が作者の知名度だけで世に知られることには嫌悪と反感をいだいていた。そんな状況がわたしに降りかかってくるかもしれない。「どんなことをしてでも有名になった方が勝ちよ」という悪魔のささやきをなんとか撃退したい・・・・。
〔あーあ、佐為のことならいくらでも思い切りよくなれるのに、自分のことになると・・・・〕
準々決勝、準決勝、決勝を予定どおり勝って、優勝。対局が終わってから、お決まりの記者会見。
「優勝、おめでとうございます」
というお決まりの文句。ふつうなら
「ありがとうございます」とか「運に恵まれたんです」
みたいなお決まりの返事をするところだけど、わたしはそんな無駄口たたかず、最初から本題を話す。
「地区大会の1回戦から今日の全国大会の決勝戦まで、わたしは碁を打ってません。碁を打ったのは、F.saiこと藤原佐為です。わたしは藤原佐為の代理として打っただけです」
記者会見場がどよめいた。
「それは、どういう意味でしょうか?」
「どういう意味って、その通りの意味です。わたしは藤原佐為の代理として碁盤に石を置いただけです。F.saiこと藤原佐為は自分で石を置けないから、わたしが代わって石を置いたんです」
「何を話されているのか、まったく分かりません」
「分からないなら、分からないでけっこうです」
この辺で、会場は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
「きちんと質問に答えてください」
こう言い張る記者を見据えて、わたしは準備万端ととのえた口上を述べる。
「刑法犯の被疑者でさえ黙秘権を認められています。わたしだって、答えたくない質問に答えない権利はあります」
一瞬、会場が静まった。それから、別の記者が問う。
「つまり、いっさいの説明を拒否されるのですか?」
「そんなことは言ってません。答えてもいい質問にはよろこんでお答えします。答えたくない質問には答えないということです」
「どんな質問が答えてもいい質問で、どんな質問が答えられない質問でしょうか?」
「それは、みなさんが自由に質問してくださればいいんです。わたしの判断で、答えられる質問には答えます。答えられない質問には答えません。それだけのことです」
佐為は、何も言わず、扇で口元を隠して笑みを浮かべているだけ。まあ、笑うしかないよね、この状況。
ざわつく記者席から1人が立ち上がって質問を投げる。
「先ほどから話に出ているF.saiこと藤原佐為とは、誰のことでしょうか?」
わたしはその記者をにらむように見据える。
「いやしくも碁の取材をする記者で、ネット碁のF.sai、これまで不敗を誇る無敵のF.saiを知らないとは、言語道断です。顔を洗って出直してください」
会場からブーイングと、一部の喝采が起きた。佐為は声を立てて(と言ってもわたししか聞こえないけど)笑い出した。
《ルミ様、それはなんとも手厳しい》
《当然よ。F.saiを知らない人間が碁の取材をする資格なんかないわ》
喝采が起きたところから1人の記者が立ち上がって質問する。
「わたしはF.saiをよく存じておりますから、顔を洗う必要はないと思いますが・・・・」
ここで記者席から笑い声
「つまり、あなた、高藤ルミさんがF.saiなのですね?」
「違います。先ほどから申し上げているとおり、わたしはF.saiこと藤原佐為の代理人です。本人ではありません」
「では、ご本人はどこにおられるのでしょうか?」
「その質問にはお答えできません」
別の記者が質問に立つ。
「では、ともかくF.saiがどこかにいるとしましょう。どこかにいるF.saiから高藤ルミさんは指示を受けて碁盤に石を置いたのですね。いったいどうやって指示を受け取るのでしょうか? テレパシーですか?」
皮肉っぽい笑いが起きる。まあ、放っておけばいい。
「その質問にもお答えできません」
《何だか、みんな想定問答集の範囲内だなあ。新聞・雑誌の記者たちは、20歳の女の子が想定できるくらいの質問しかできないのかなあ》
《ルミ様が賢すぎ、大胆不敵すぎるのです。とても20歳の女人とは思えません》
《ない知恵を絞ってるのよ。ない勇気をかき集めてるのよ》
〔佐為のためよ。佐為の碁のためよ。佐為の碁がみんなに知れ渡るよう、全力の2割増し、5割増し、10割増しでがんばってるの〕
F.sai佐為について一通りの質問が出尽くした後、わたしについての質問が寄せられた。
「高藤ルミさんは、来年ご卒業の予定ですね。プロの棋士を目指すのですか? それともプロのデザイナーを目指すのですが?」
「棋士になるつもりはありません。わたしがこのトーナメントに参加したのは、F.saiこと藤原佐為の碁をネット碁をしない囲碁ファンにも広く知ってほしかったからです。この目的は今回で十分達成したと思いますので、今後はリアルの碁の世界に立ち入るつもりはありません」
「では、デザイナーを目指されるということですね?」
「プロのデザイナーとして通用する作品を作れるようになりたいと願っています」
「今回のことで一躍注目を集めたから、デザイナーとしても引っ張りだこになるでしょう」
〔さあ、ここが正念場!〕
「今回、F.saiこと藤原佐為の碁を知っていただくために、どうしてもわたしが表に出ざるを得ませんでした。これから、なるべく早く忘れられたいと願っています。『人の噂も七十五日』ということわざが真実であってほしいと思っています。今回のトーナメントでの知名度が消えたところで、わたしの作品を作品として評価していただきたいと思っています。評価に値する作品を作れないなら、それはそれで仕方ないと思っています」
《ルミ様、それはまさに、かつてヒカルがわたしの力でなく自分の力で勝ちたいと願ったのと同じ心根です》
《うん、ヒカルさんの気持ち、よく分る》
「たいへん殊勝なお心掛けだと思いますが、期待に反して人の噂が七十五日で終わらず、それ以後も有名人であり続けていたら、どうなさるおつもりですか?」
〔仮定の質問にはお答えできません、と突っぱねてもいいんだけど・・・・〕
「不確定な未来について、確定的なことは言えません。ただ、駄作が作者の虚名のためにもてはやされるのは嫌いです。なるべくそうならないよう、わたしとしてできることはしたいと思っています。たとえば・・・・」
ここでわたしは一息ついた。記者席は静かになっている。佐為もじっとわたしを見ている。
「もしわたしにお仕事のオファーがあれば、作者および作品の紹介に、『2013年度日本オープン碁トーナメント優勝』およびこれに類する文言は決して入れないでくださいと申し出るつもりです」
「その条件を認めてもらえないならオファーを蹴る、と理解してよろしいのですか?」
「はい、そのように理解していただいてけっこうです」
この後もいくつかわたしについての質問が出されたけど、さほど際どいものではなかった。やがて記者会見の予定時間も終わりになる。記者会見場のざわつきは続いているけど、
「では、今日は何とも波乱に富んだ優勝者記者会見となりましたが、この辺で終了させていただいてよろしいでしょうか」
と司会者が発言した。わたしは自分から発言を求めた。これを言わないで記者会見を終わらせるわけにはいかない。これを言うために、トーナメントに参加し、優勝したんだ。そして、わたしに向きかけている記者たちの関心をもう一度しっかり佐為の方に戻さないと。
「先ほども話しましたがネット碁のF.saiこと藤原佐為はこれまで誰にも負けていません。不敗無敵の棋士です。日本一、世界一強いと信じています。F.saiこと藤原佐為はいつでもネット碁で対局に応じます。F.saiこと藤原佐為に勝てない棋士が『日本一』とか『世界一』と名乗るのは、わたしが許しません」
一部で失笑が起こった。
「何様と思ってるんだ・・・・」
笑わせておけばいい。誰が笑おうと、佐為の強さは揺るがないんだから。そして、目的は果たしたわ。今この時から、日本で碁を打つ人なら誰でもF.saiこと藤原佐為を知ってる。
《佐為、覚悟しておく方がいいかも。明日から、いや今日から、腕に覚えのある棋士たちが名誉挽回とばかりにF.saiに挑んでくるかも》
《望むところです》
佐為はにこやかに笑う。
翌日、学校に行くと、ユカが駆け寄ってきた。
「ルミ、すごいね、昨日のニュースずっと見てたよ」
「ユカ・・・・」
わたしは彼女をしっかり見つめる。
「悪いけど、その話はしないで」
「えっ?」
「わたしのいないところでなら、何を話してもいいけど、わたしの前では、その話はしないで。忘れたいの」
わたしは彼女をしっかり見つめる。彼女もしっかりわたしを見返す。そして、うなずいてくれた。
「うん、ルミがそう言うんなら」
「ユカ、ありがとう」
わたしは彼女をハグした。
そのまた翌日の新聞にヒカルさんが自分とF.saiの対局棋譜を公開し、コメントを寄せた。
「今年の日本オープン碁トーナメントの優勝者、高藤ルミさんはネット碁のF.saiを『日本一』、『世界一』と形容しました。日本一、世界一かどうか、わたしは断定できませんが、わたしは昨年10月にF.saiとネット碁対局し敗れました。F.saiは現役本因坊より強いとは断言できます」
《ヒカルさん、援護射撃してくれてるんだ》
その新聞を佐為に見せると、
《ヒカル・・・・》
と言うだけで、ほかは何も言葉が出ない。言葉にできない気持ちって、あるよね。でも、わたしはきちんとお礼のメールを送った。これもまた、当然の礼儀。
夕方、返事が来た。
「別にお礼なんか、いいよ。オレとしてできることをしたまでだ。それより、ルミさんがこんなに有名になると、対局するのが難しくなるな」
「いっそ、おおっぴらに打てば? 場所は、棋院の一般対局場でもいいし、どこかの碁会所でもいいけど」
「そんなことしたら、『オレもぜひF.saiと直接対局したい』って言い出す連中がたくさんいるぜ」
「そんなの、無視すればいい」
「そしたら、『なんで進藤だけ?』って怪しまれるだろう」
「そんなの、簡単よ。『進藤ヒカル本因坊はわたしを援護してくれた唯一のタイトルホルダーだから、海より深く山より高い恩義があるんです』って言えばいいの」
「ルミさん、頭いいね。よくそんなこと思いつくね」
こんなメールをやりとり。
〔佐為のためにはいくらでも知恵を絞るわ・・・・あっ、ヒカルさんのためにもね〕
結局、次からは毎回ヒカルさんの家で対局することに決めた。わたしも、その方が楽しいし、考えてみれば、棋院の一般対局場や碁会所に比べれば騒がれずに済むかも。
新聞や雑誌やネット上には、いろんなことが書かれているらしい。読まなきゃいいの。書きたい者には、書きたいように、書かせておけばいいの。
F.saiへの対局申込みには、明らかにタイトルホルダーかそれに準じる実力を持つと思われる強者からの申込みが増えた。それこそ佐為の望むところ。そんな相手にも佐為は勝ち続ける。当然よね。佐為だもの。
日本オープン碁トーナメントはフィクションです。
アマチュアも参加できる棋戦トーナメントはいくつかあるのですが,へたに実在の棋戦の名前を出すより,フィクションの方が良いだろうと思って,このように設定しました。