思い返してみればそれは夢の一環だったのかもしれない。
目覚めた時からその日は運の良い一日のように感じていたのだ。
彼、赤須家の長男坊である
呼び出しの手紙が届いたのは正午を過ぎてから。集合時間は深夜零時という話だった。欧奈東区は交通網の整った綺麗な地方都市だ。集合地点に指定されている教会堂までは山間を進むとはいえ片道二時間といった所、午後の仕事を片付ける時間はあった。
とはいえ不穏な手紙が届いたからといっても、朝から続いた心持の妙な晴れやかさは続いていた。だからこそ、その深夜の一悶着は少々心にこたえるものが大きかったのかもしれない。
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電灯が仄かにでも山道を照らしてくれたのは山の中腹の何とも微妙な地点までだった。卵は仕方なく従者を連れずに一人でその先の山道を進んだ。とても暗い山道で、秋の暮れということもあって非常に寒い。
手紙に記されてあった「独りで来られたし」という言葉はどこか脳裏に不穏なものを感じさせていた。この世界の至る所で先日から不穏な動きがあることなど、秋風と同じように宙からそよいでくるというもの。そんな不穏な世界の中に置かれた自分の立ち位置など正直考えることも億劫になった。
手紙に申し訳程度に書いてあった地図だが、教会堂の目星はすぐに付いた。夜の森林には相応しくないほどの光量を巻き散らす奇妙な建造物が太く長い木々の合間から光を零している。しばらく歩けばその建物が教会堂であることは見慣れていなくとも判別が付き、一度腕の時計に視線をやった。
指定されている時刻より数分遅れていた。山道を少なからず歩いただけに多少の誤差はやむなしといったところだろう。
古い木製の大扉を開けたところ教会堂の内部は外部の不自然な光量とは裏腹に蝋燭が連なった落ち着いた雰囲気だった。中には拝廊からでもよく見える内陣の聖母像が目立っていた。一見しただけでは参拝者と呼べる人間は自分だけのようにも思えたが、聖母像の裏手のアプスから一人の前期高齢期あたりの人物が姿を現した。どこで仕入れられるかもわからないような真っ赤なスーツを身に纏い、丸眼鏡と整えられた白い髭が目立つ印象的な男だった。
「
「ハイ、ランちゃんお久。すまないねぇ、急な呼び出ししちゃってさ」
見た目に沿っているのかそぐわないのかもよくわからなくなるねっとりとした喋り方は相変わらずだった。卵は羽織ってきたコートを近くの席に置くと、少し丸みを帯びた眼鏡を掛けなおしてゆっくりと手を組んだ。
儀礼的なものだが、教会堂でまっさきに祈りを捧げるのは褒められたことだろう。
「随分と急な呼び出しで驚きました」
「そうね、こちらもあまり気持ちの良くなかったけど仕方なしだねぇ」
「一体、何が起こったんですか?」
琴海は聖母像と卵の間を通り抜けて、静かな教会堂の翼郭に背を付けた男に目を向けた。正直卵はその青年の存在に今の今まで気が付かなかっただけに、少し無意識に後退るような反応をとってしまった。
「遅刻を悪びれないとは不謹慎な男だな、まったく」
それは相手を居竦ませるような、なんというか、鷹のような瞳の青年だった。
歳はそう卵とは離れていない二十代中盤といったところだろうが、少し年上と見える。その姿は一般人の装いとは少し趣の違った、戦闘服染みた召し物であり、全体的に黒地で動きやすそうな恰好に見えた。まるで誰かと闘いに来ている、そう言わんばかりの闘志も十分に感じ取れる。
「そちらは…?」
「椿ヶ丘君、ランちゃんと同じ『ナクサトロズ』と言われる一家の一つだよ」
「そう、ですか」
ナクサトロズ。
それは知る者ぞ知る、知らぬ者は知らぬが特に問題もないような存在。
一般人の領域には存在すら知覚されにくい国家の影。とまでは言わなくとも、少なくとも国家からの承認が一応とて下っている法外組織として機能している。広義に捉えれば‘常ならざる力を提供する集団,狭義には‘国家貢献のための狗,といった所の集団だ。
魔術然り、芸術でもそうだが、ある種の特殊技能はその本質が秘匿に集約する。常ならざる力を持っているならばそれなりに結社を組織して技術の昇華を測ることはあれど、好んで国家やそれに準じる機関と結託してその力を扱おうとは思わない。それそのものが自由な生き方を束縛する自己選択であることに加え、神秘の秘匿を嫌う無数の異能力者から悪印象を受けることは避けられず、敵を増やす行為になり得るからだ。
しかしナクサトロズは太古からこの日本における政府従属の家計の変形体として知られている。その呼称は‘蛾閥,‘三本剣,‘国狗,と様々だが、主に魔術関連における大派閥では彷徨海を除いては『時計塔』『アトラス院』『聖堂協会』から共通してナクサトロズという蔑称が適用されている。
とはいえ当のナクサトロズたちにはそもそも集団意識というものがない。つまるところ奉公のベクトルが同じ当代の政府に向けられた活動成果だとしても、技術も能力も異なる彼らはその恩恵の受け方も異なり、基本構造が家ごとで区分されているために同じナクサトロズでも家同士で結託して行動を起こすことはない。
そもそもナクサトロズにおいても、その魔術的技術を以てしての貢献など不可抗力という面も大きく、総括してしまえば嫌々やっているという捉え方も出来なくない。慣例化しているわけではないとはいえ、太古から存続しているいわば日本という概念との契約。それを断ち切る術は日本国家そのものが瓦解して政府としての概念が消失することに他はない。それがないからには彼らナクサトロズの家は代々必要とあらば国家の狗としてその秘匿すべき異能を貢献し、力を奮う。数あったナクサトロズの家柄も次第にそんな宗教的な国家との契約から逃れようと遠方へ移り住む家もあったが、それを処理するのがつまるところ魔術協会と聖同協会なのだ。彼らからすればナクサトロズは大変迂闊に魔術を乱用している愚か者にすぎず、それが日本の庇護を受けた存在でなくなった途端その処理を即座に行う。それによってナクサトロズはいよいよ今日まで逃げ場を失ってしまったのだ。
(椿ヶ丘。確か身体強化系の魔術に磨きをかけた超人の家柄。解除不能の呪いにも似た強化を何代にもかけて行うことで末恐ろしい身体能力を自在に制御できるようになったとか、ならないとか…)
「赤須の家か。なんとも、ナクサトロズの中で最も名の売れているうちと最も得体のしれないお前の家が呼び出されるとはな……」
面白い。と言わんばかりの表情で椿ヶ丘は口の端を緩めていた。なんとも印象の悪い人物だった。
「今はナクサトロズがどーとか、家柄がどーとかはどぉーでもいいわけ」
琴海は卵から呼び出しの際に送ってきた手紙を受け取り、それを蝋燭の火にかけて抹消した。
「夜が明けないうちにやることがあるの。明日にはNYまで飛んでもらわなきゃならないわけだからね」
「「!?」」
その発言に卵と椿ヶ丘は同様に目を剥く。
「な、」
「話が見えてこない。どういうことだ聖堂協会ッ」椿ヶ丘の糾弾が空気を揺らす。
琴海は曲りなりにも聖堂協会の人間。いわばナクサトロズが海外に出た際には彼らを抹殺する側の立場にある人間だ。彼は普段から神出鬼没でたびたび赤須家との交流をもっていたために卵は彼に対して敵対感情は持っていないが、椿ヶ丘の家ではそうでもないらしい。聖堂協会の人間にこうも堂々と呼びつけられれば戦闘を意識した服を着てくることも無理はないだろうし、ましてや政府からの庇護がない海外へ行ってもらうとなればその態度も当然とさえ言える。
「とても一言では説明できない緊急事態なの。……君たち、『聖杯戦争』って知ってる?」
サングラスを外した琴海の瞳はどこか虚ろに見えた。
「魔術礼装である聖杯を巡った魔術師同士の殺し合い、ということくらいは……」椿ヶ丘は応える。
「同じ国で起きていることとはいえ、大原則的にこちらからは手出ししないようにとの教訓がありましたからね。聖杯戦争の一環として冬木市が炎に包まれた時、流石に意識はそちらに向きました。……聖杯戦争が由来する魔術師の在り方というものにも興味が沸き、一時期調べていた時期はありましたが詳しいところとなると…」
戦闘集団として、実際の武装勢力やら、時には鬼や魑魅魍魎の討伐といった陰陽師じみたことをしている椿ヶ丘家ではそんなことを調べている余裕はないのだろうが、赤須家は基本的に魔術を用いた兵器の生産と販売を軸にした一族。多少の余暇から聖杯戦争についての興味を辿っていた時期が卵にはあった。
「うん、そう。その聖杯戦争は四次、五次と冬木市で繰り広げられたわけだけど、実際の所、イレギュラーな亜種聖杯戦争は世界中でそれなりに勃発してた。多くの場合はその対処に魔術協会が追われ、水際の所で騒ぎや問題が回避・秘匿されてきたわけだけど、今度のはその性質が異なる」
「つまりはその亜種聖杯戦争は今起こっていると?」
「そう。何しろ私も専門外だからね、そこまで詳しい聖杯戦争のルールを熟知しているかと言われればそうでもないんだけど、これまでに勃発した聖杯戦争というのは聖杯が『自主的』に戦争を発生させた一種の災害のようなもの。聖杯とは何か、の概念はいくらでもあるが、その都度多くの魔術師がその戦争の中で力を証明することで戦争を終わらせ、結果的に事件の収束と名誉を得ることに繋がっている。多くの場合が聖杯戦争を望む存在に令呪が与えられたことから、その聖杯の本質が魔術師の闘争意識の関与しているとの意見も多かったし、正直私もそんな風に考えていた」
聖杯戦争の中での力の証明ともなれば、つまるところ多くの命を奪ったという証明にもなる。魔術師を殺すことで魔術師が事件を終わらせるなど、いわば聖杯に繰られた操り人間とでも考えられるだろう。
「今度のは何が違うっていうんだ。要は聖杯戦争ならただ一人の勝者を選別するだけの機械的な儀式、そんな愚かな儀式に異変が現れたからといって、どうしてナクサトロズである俺が呼び出されることに繋がるんだ」
「言いたい事は重々理解できるとも。だがね、今度の亜種聖杯戦争の異質さってのは『明確な主催者』が存在するという所にあるのさ。というのも、今回ばかりは異質も異質……なんたって、まさかの『高位存在』が絡んできているのさ」
琴海のその物言いに卵は実感というか、彼が言うほどの強い印象を受けなかった。眉を潜めた椿ヶ丘は少し考えるようにぶつぶつと言葉を漏らしていたが、考えの整理がついたのか、言葉を向ける。
「高位存在というと、あの…?」
「ああ、多分それであってる。何分啓蒙結社のトップクラスでしかコンタクトすら取れないこの世界の奥底にいる奴だ。今まで眠ってたのか、散歩でもしてたのか…なんにせよ今になってアメリカに彼が『特異点』を齎した」
そこで琴海が少し微笑む。
「齎した、というよりは創造した、の方が正しいかな」
「なんでまた、奴がそんな……」
そこで卵は二人の顔色を伺いながら問いかける。
「正直、僕は名前についてしかその存在を知りません。…いったいその高位存在というのは何者なのですか?」
「はっ、半隠居人が何してようと知らないが、魔術世界退いては裏社会全体の共通認識みたいなもんだぞ、アレは」
「そうだね、言ってしまえば魔法の上を行く存在。地球基盤に根付いた人ならざる何かが顕現した存在。アレが自己主張することなんてそうあることではないけど、その都度人間社会ではなんらかの変化が生じているのさ。聖堂教会では高位存在のことを『管理者』と呼んでいる。読んで字が如く、社会の管理を行っている万物の頂上にいる存在さ」
「それは、宇宙人か何かですか?」
「いいや、少なくとも地球と同時発生した何かが昇華したのが高位存在と言われている。だから奴は地球であり、魔法であり、人間なんだ。これは哲学とも宗教とも言えない問題だがね、人理以前のメカニズムで動いている存在という認識で間違いないから宇宙人やエイリアンの類ではない。……むしろ、奴が通常に存在を確立させている以上は宇宙からの侵略者なんて到底許さないだろうね。いわば地球が高位存在の体そのものであり、地球環境や人類の社会というのは傍観するに丁度良い箱庭のようなものだろうからね」
卵はそこまで話を聞いてもうまく考えが繋がらなかった。
それほどイレギュラーかつ規格外な存在がいるのと聖杯戦争が起こることが繋がっていても、それに自分らナクサトロズが呼び寄せられることに関連性が見いだせない。
「では、その高位存在が亜種聖杯戦争を主催することになったとして、それが我々にどういう関係があるのでしょうか?その特異点の解決の後方支援という形での参戦ならば、それはナクサトロズの仕事ではありません。聖杯戦争である以上は魔術協会と聖堂教会がどうにかするべき問題だと考えます…」
「だろうね。私だって同意見さ。だから言っただろう、今回は異常だってさ」
「……まだよくわかりません」
そこで椿ヶ丘が苛立って卵に詰め寄った。魔術は行使していないが、途轍もない殺気と気迫で彼に掴みかかって睨みつける。
「お前はなんだ?」
「は…?」
「どうして理解できない。お前も俺も被害者のようなものだろう?」
「だから……何を」
そこで椿ヶ丘は卵を突き飛ばして苛立ちながら髪をかきあげる。唾棄すべき害虫でも見下すような視線を卵に注ぎ、吐き捨てるように言う。
「教えてやれよ神父。この能天気な愚か者に現実ってやつをな!」
気のせいか、蝋燭の火がきまって揺らいだ気がする。
嫌な気分だった。
今日は清々しい目覚めの朝だったというのに。
庭は朝露に彩られ美しかったといいうのに。
「残念だが卵ちゃんはその高位存在に選ばれたよ」
気が遠くなりそうになった。
「椿ヶ丘君と共に、六番目と七番目の『マスター』に」