「本当にすみませんでした!!」
「お母さん。これで何度目ですか?彼への苦情が多く、学園側としても対応しきれません。ご家庭ではどのような教育をなさっているのです?」
相手の呆れと苛立ちの混ざった視線に肩身の狭い思いをしながらひたすらに謝罪の言葉を繰り返す。
アーシアが頭を下げている原因は横で面倒そうな表情を隠そうともしない息子、兵藤誠二だった。
見た目は父である一誠の子供時代と瓜二つだが、髪と目の色は母であるアーシアのモノを受け継いでいた。
そして似ているのは父の見た目だけでなくその性格もで、スケベだった。
幼い頃から女性の裸に興味のある傾向が強く、アーシアや一誠の他の妻である女性の胸を触るなど行動をしていた。
最初こそ身内だけの話であり、他の妻たちも間違いなく一誠の子供と苦笑しながら嗜める程度だった。
それが善くなかったのだと後に思い知る。
異性の裸を覗く、不用意に触れることを大して悪いことじゃないと思うようになった誠二は学校で度々女生徒や女教師にセクハラ行動を取るようになったのだ。
誠二の姉である愛理と何度も矯正しようと試みたが今のところ大きな成果はなく14という年齢を迎えていた。
そして今回呼び出されたのもプール後の着替えを友人と覗いた為である。
とにかく家でも厳重に注意してくれと念を押されて帰された。
「どうして何度も注意されて改めないんですか?」
帰り道に頭痛を押さえながら誠二に問うと胸を張って断言した。
「母さん!男だったら女の裸を見たいと思うのは自然なことなんだよ!悪いと分かっていてもやめられないとまらない!!」
どうしてこんな風に育ったのかと頭の痛みが増すばかりだった。
それにストレスを強く感じているのか最近何を口にしても味がしなくなってきている。
息子の言い分に手を強く握りしめた。
その数日後、夫である一誠から約二か月ぶりに連絡が来た。
一誠は冥界や人間界のみならずあらゆる神話体系の下を訪れていて二百年先まで予定が詰まっている。そんな一誠をフォローするためにリアスや朱乃、レイヴェルがサポートに付き添っているのだ。
最初は他愛のない挨拶から互いの現状報告を話していた。
その際にアーシアは息子である誠二の話題を出した
「その、イッセーさん誠二くんのことでちょっとお話したいことが……」
『誠二の悪さの報告は俺の方にも届いてるよ。ま、あの年頃なら多少のヤンチャは後々良い思い出になるだろ。それにもう少し大人になればそれなり落ち着くと思うぞ。アーシアには苦労を掛けるけど俺の方からもメールで言っておくぜ!』
「はい……ありがとうございます。そうしてくれると……」
昔ならこの言葉に励まされて自分を奮起できたかもしれないが、今は口にしたお礼とは裏腹に一誠の言葉が子供の問題から逃げているように感じるのはアーシアが疲れているからだろうか?
そこで次に一誠から少し言い辛そうに溜めを作った。
『あ~それでさ、アーシア。いま俺、ギリシャに居てさ。まだ本決まりじゃないんだけど、そこで仲良くなった女神さまを奥さんに迎え入れるかもしれないんだ!すごく善い子でリアスたちとも打ち解けてるんだ。アーシアはどう思う?』
どうしてだろう。学生時代ならここでヤキモキしただろうが、今は何の感情も湧かない。
「そうですか。イッセーさんがそうお決めになったのなら私からは何も」
言葉を吐き出す度に自分の中に有った筈の
『あぁ!アーシアとも絶対仲良くなれるからさ!!』
声を聴くたびに相手は本当に今も自分を想ってくれているのか疑ってしまう。
「えぇ。楽しみです」
どんどん自分の中にある家族への愛情が凍り付いていくのに向こうは気付いていたのだろうか?
「はい。治療はお終いです。いくら
「はい!お世話になりました、アーシア先生!」
十代半ばと言った少年が治療を終えて医務室から出て行く。
アーシアは現在、レーティングゲームの医療スタッフとして働いていた。
元より聖母の微笑みと言う神器を宿し、赤龍帝の妻のひとりとして名を上げていたアーシア。
夫の地位から家に居ても家事をする必要がなく、子供が大きくなってからは手持無沙汰な感があり、ある人の勧めで医療スタッフとして働くこととなった。
もちろんその際に医療の勉強もし、神器に頼らなくても優れた医者として働けるだけの技能を身に付けていた。
優しく温和で美人なアーシアの治療にあやかりたくわざとゲームで怪我をする
そして冥界の英雄である赤龍帝の妻という肩書もあり、手が出しにくい相手だ。
ちなみに今治療していた少年は高校時代からの同級生である匙元士郎の生徒のひとりである。
事務所で今日受け持った選手たちのカルテを纏め終えて一息吐くと横からコーヒーの入ったカップが置かれた。
「どうぞ。精が出ますね、アーシア先生」
「ありがとうございます、シオン先生」
貰ったコーヒーに砂糖とミルクを入れて混ぜて一口飲む。
「ここ最近、休みなく出勤しているようですが大丈夫ですか?」
「はい。お仕事、楽しいですから」
怪我をすることは喜ばしいことではないが、治療して礼を言われるのは嬉しい。
子供たちも付きっ切りで見ていなければいけない年齢でもない。
(仕事をしている時が1番充実していて、楽なんですよね)
息子のことで頭を悩ませなくていい。スタッフたちは良くしてくれる。だからか休日を作るよりもこうして仕事に没頭していたほうが精神的な疲労が少ない。もちろん、今はそれなりに責任のある立場であるために楽しいばかりではないが。
(家庭から逃げているのはイッセーさんだけじゃなくて私もですね。こういう時にお義父さまとお義母さまの凄さを思い知ります)
家庭の現状が良くないと自覚しながらもどうすればいいのか分からない。
同じような問題を引き起こしながら決して一誠から逃げなかった義理の両親の偉大さを尊敬しながら自分はどうするべきかと悩み―――――いや、悩むふりをしながら仕事に逃げている。
「シオン先生もずっと働いているようですけど」
「ハハハ。私は気楽な独り身ですから。打ち込むような趣味もありませんしね」
このシオンと言うレーティングゲームの医療スタッフは見た目三十前後の男性に見えるが実年齢はアーシアの義両親と同じか少し上くらいの年齢だ。悪魔からしたら若造もいいところだが、優れた医療技術を持つ。その人柄から憧れている女性悪魔も大勢いるという。
アーシア自身も目の前の男性に好意的だ。ライク的な意味で。
ただ、差し出してくれたコーヒーに久しぶりに味を感じた。
そして、家庭から逃げていたツケがこれだった。
パシンッ!と誠二の頬を張る音が鼓膜に届いた。
自分の子供に手を挙げたのは、初めてだったと思う。
何度目か分からない呼び出しに反省しない息子に何かがプッツリとキレた。
「別に裸見られることくらい大したことじゃねぇだろ!減るもんじゃあるまいし!」
その誠二の言葉に理性ではダメだと思いながら腕が上がり息子の頬を張っていた
アーシアが驚いたのは自分の子供の頬を張った事実よりも、唖然として自分を見る息子をどこかでどうでも良い存在に感じていることだった。
――――なら、もう勝手にしてください。
冷たい感情のままそう言おうとする口を何とか閉ざして逃げるように誠二から距離を取った。
その日から、家で誠二とは一切会話をしていない。
「あ~、だいじょうぶですか、アーシア先生……」
「はい~。わたし、よってませんよ~」
「ダメですね、これは」
今日、レーティングゲームで若手の試合ではあったが名勝負と言える戦いがあった。
接戦だったそれらは当然大きな怪我を負った選手が続出し、生死の境を彷徨う者も出た。
それらの治療をアーシアが神器で行い、死者が出なかったことに医療スタッフ全員が安堵する。
大仕事を終えたスタッフはシオンの提案により、店で飲もうという話になった。
その結果、アーシアがべろんべろんに酔っているわけだが。
他の女性に任せるべきなのだろうが家が正反対ということで、シオンがもっとも家に近いということで立案者ということもあり、責任を持って送り届けることとなった。
「車を呼んで家まで送りますから、寝てはダメですよ」
椅子に座っているアーシアに告げると彼女は背を向けているシオンの背中に軽く体重を預ける。
「……家に、かえりたくないです」
誠二の頬を張ったあの日から家に居て子供たちと過ごしても息が詰まりそうだった。
どうして、こうなってしまったのか。
どこで間違えたのか。
考えても意味がないと思いつつも息子とこれからどう向き合えばいいのか。アーシアには答えが出せずにいた。
ただ今は辛いことから逃げたいという感情が強く心に棲みついている。
「……」
アーシアの泣きそうな声にシオンは1つ提案した。
「ごめんなさい……いきなり……」
「いえいえ。提案したのはこちらですから」
申し訳なさそうにしているアーシアにシオンは笑顔で返す。
シオンが住んでいる独りで住むには広めの高級マンションだった。
タクシーに乗っている間に酔いも醒めて行き、思考も大分正常化してきた。そこで家まで案内されたところで自分がとても図々しいことを言ったと肩を小さくしている。
それを苦笑して中へと案内した。
「水を持ってきますね。それとそこの部屋のベッドを使ってください」
「あの……シオン先生は……?」
「私はリビングのソファーで寝ますのでお気になさらずに」
「だ、ダメですよ!?いきなり押し掛けたのにそんな!?」
「女性をソファーで寝かせるのは男としてちょっと……それにここは私の家ですよ。ここでは私がルールです」
冗談めかして言うシオンにアーシアは困惑した。
とりあえず、ソファーに座らせてコップに注いだ水を差しだされた。
一気に飲むとアルコールの毒が少しだけ和らぐのを感じた。
「それで、なにがあったのかお聞きしても良いですか?もちろん話したくないなら無理には聞きませんが。でも話して楽になることなら吐き出してみてはどうです?」
あまり溜め込むのは良くないですよ?と気遣うシオンに背中を押されて、アーシアは家のことをポツリポツリと話始めた。
「上手く、いかないんです……」
息子の教育もそうだが、もう随分と夫である一誠と直に会っていない。
それにより、どんどん自分の中で相手を想う感情が削られていった。
本当に今も夫に必要とされているのかと思ってしまう。
若い頃には確かにあった筈の繋がりは不確かモノへと変化し、本当に在ったのかとさえ思うようになった。
自分も相手も疑ってばかりで。
情けない。
ちゃんとしないと。
でもどうすれば?
考えれば考える度にこんがらがって結局何もできないでいる。
「自分が、こんなに薄情だとは思わなかったんです……」
心のどこかで、赤龍帝の妻のひとりとそれに連なるあらゆるしがらみを捨ててしまいたいと思っている。
「あはは……最低ですよね……こんな考え……」
俯いて自分を卑下するアーシアにシオンは少し考えてから答えた。
「それは、当たり前のことではないのですか?」
「え?」
「お恥ずかしながら、私はこの歳まで異性との関係を持ったことがありません。そんな私が言っても説得力は無い話だと思いますが。アーシア先生のお話を聞く限り、真剣に向かい合っていたのは貴女だけのような気がします。アーシア先生は相手に愛情を注ぐばかりで注いで貰っていないと感じました」
「注がれていない……?」
シオンの話に首を傾げて反芻すると彼は小さく頷いた。
「器に入れた水も放置し続ければ濁る。場所によっては蒸発して無くなってしまう。今のアーシア先生はそういう状態ではないのですか?」
「あ……」
アーシアの中で何かがストンと落ちる。
「どんなに大きな器でも注いで貰わなければいつかは尽きる。先生だって昨日今日でそうなった訳ではないでしょう?少なくとも私は、貴女が薄情だとは思いません。だから、え……と……」
話しているうちに恥ずかしくなったのか顔を赤くして言い淀む。
しかし、意を決したようにアーシアの頭に手を置いた。
「よく頑張りましたね。ずっとずっと独りで……」
そんな単純な言葉が胸に染み渡る。
気が付けばポロポロと涙が溢れてきた。
「みな、さん……イッセーさんにそっくりだから仕方ないって言うんです……わたしが叱っても、全然聞いてくれなくて……」
「えぇ」
「イッセー、さんも、たまに思い出したようにれんらくをしてくるだけで、このまえだって、あたらしい奥さんを迎えるってよろこんでで……忙しいのは、わかりますけど……もっと気にしてくれても……っ!」
「はい」
頭を撫で続けられて自分を肯定してくれる誰かが居る。
その事実に安堵して、アーシアは声を上げて泣いた。
『俺、絶対アーシアのこと幸せにするから。だから、俺について来てほしいんだ!』
いつか、あの人が言ってくれた
聞いた時はようやく思いが実ったことに涙が出るほどに嬉しかった。
でもどうしてだろう?
今はその言葉がとても空虚にしか感じられない。
「……アレ?」
目が覚めると私服のまま見知らぬ部屋で寝ていた。内装からどう見てもホテルではない。
(そっか……確かシオン先生の部屋に泊まって……)
段々とここに居る経緯を思い出して大慌てで飛び起きた。すると二日酔いの頭痛で顔をしかめた。
「シオン先生は……」
お礼と謝罪を言おうとベッドから降りて部屋の中を捜すが彼の姿はなく、リビングのテーブルには書き置きだけが残されていた。
内容は自分は出勤するので部屋を出る際に置いてある鍵で施錠し、ポストにでも入れておいてくれというもの。
今日は休んで明日また職場で会いましょうという内容だった。
随分迷惑をかけたことに恐縮しながらもあんな風に誰かに弱さをさらけ出して甘えたのはいつ以来だろうか?
何処かここを去ることに名残惜しさを感じながら書かれた通りに鍵をかけて、ポストに入れておく。
そこからタクシーを拾って家に帰った。
帰って娘の愛理に昨晩はどうしたのかと訊かれたがさすがに何もなかったとはいえ男性の家に泊まったとは言えず、ホテルに泊まったと言って誤魔化した。
少し遅れてやって来た誠二は気まずそうな表情で近づいてきた。
そして頭を下げる。
目を見開くアーシアに誠二は謝罪を口にした。
「その……今まで迷惑かけてゴメン。そんなに怒ってるとは思わなくて……」
誠二もここ数日実母のアーシアから無視されるという現状にかなり堪えた。そして自分が今までどれだけ迷惑をかけたか振り返り、昨晩は連絡も無かったことでもう家に帰って来ないのではと不安だった。
子供がこうして謝ってくれたことで今まであった憤りが流されていくのを感じた。
「いえ、私もごめんなさい。ずっと無視してて。でも、もうあんなことはしちゃダメですよ?」
「あぁ!!もうしない!約束する!」
分かってくれた。それだけのことがとても嬉しく、息子に対する関心が満ちていくのを感じた。
(注がれるというのはこういうことなんですね)
問題が本当に解決したのかは誠二のこれから次第だが、また頑張れそうな気がした。
すると端末から振動が起きた。
見てみるとシオンからのメールだった。
『家には着けましたか?何か困ったことがあったらいつでも相談に乗りますから。元気出してくださいね。その内、また飲みに行きましょう』
簡潔に書かれた文。
その何気ない気遣いが嬉しかった。
どう返事を返そうかとアーシアは自分でも気付かぬ程度に頬を赤くして次に彼に会った時を想像して心踊った。