「お前、赤龍帝の奥さんに手ぇ出してるんだって?」
久々に会った悪友の言葉にシオンは飲んでいたお茶を吹き出しかけた。
「なんでそうなる!?」
基本誰にでも敬語を使うシオンだが、同じ学び舎で医学を学んだこの悪友と他何名かはこうして態度を崩す。
ニヤニヤとしながら話を続ける。
「なんでも酔った相手を家に連れ込んだらしいじゃん。それからも度々2人一緒に居る姿が確認されてるんだぞ。で?どこまで行ったんだ?お兄さんに教えろよ~」
「何にもないよ!酔った相手に出を出せるわけないし。相手は旦那さんとお子さんがいるんだよ。それとお兄さんって……君、私と1つしか違わないじゃないか」
シオンの長い付き合いである悪友はそれが事実だと伝わり、つまらなそうに口を尖らせる。
「なんだ。せっかくお前にも春が来たと思ったのに。まぁそれが人妻とか業が深いな~と思ったが。でもいい加減彼女のひとりでも作ったらどうだ。そんなんだからその歳で童貞なんだよ」
「……色んな女性を手を出して高給取りなのにお金の残らない誰かさんよりはマシですがね」
「バッカ、お前!俺たちは悪魔だぞ!自分の欲に正直に生きないでどうする!お前の両親だってそろそろ孫の顔とか見たいんじゃないか?」
「……」
悪友の戯言を無視してお茶を啜る。
シオンの実家はあまり裕福とは言えない家であり、苦学生だった。
無理をして学費を工面してくれる両親に余計な負担はかけたくなく、ひたすら勉強とアルバイトに勤しんだのが学生時代の彼だった。
シオンは決して天才ではなく、真面目なことだけが取り柄な秀才であり、何度も同じところを反復して理解する。
その勤勉さが功を為して成績は上位をキープし、こうして競争の激しいレーティングゲームの医療スタッフに就職できたわけだが。
横でなにやら喚いていた悪友は飽きて話を切り始めた。
声のトーンが少しだけ真面目になる。
「でもま、もしそのアーシア先生?に手を出すなら忠告しておくけどさ。気をつけろよ。向こうの旦那さん結構嫉妬深いらしいぞ?十何年前だったかな。赤龍帝の奥さんのひとりに手を出そうとした男が半殺しにされた件とかあったろ?おぼえてねぇか?」
「あった?そんなの……」
あったあったと言い、腕を組んで事件の詳細を語る。
当時、赤龍帝の奥さんのひとり(アーシアではないらしい)が自分に気があると勘違いしたある男がしつこくその女性に詰め寄ったらしい。その結果、赤龍帝に見つかってぶん殴られたとのこと。
幸い大きな怪我ではあったが、死ぬこともなく、無理矢理言いよっていたのが向こう側だったこともあり、話し合いで決着が着き、一部のマスコミが記事にした程度の騒ぎで済んだらしい。
「自分はたくさん奥さんを迎えていて何ともまぁ……」
「今じゃ、十人以上居るらしいからな」
冥界では複数婚が認められているが、上手くいく例は多くない。
そもそも複婚自体愛人関係だった女性との子供が出来て仕方なくという事情が多く、そんな中で正妻との関係が上手く行くはずもなく、結局は離れてしまう。
もしくはずっと我慢して関係を保ち続けるか。
「俺もミンチになった親友なんて見たくないからな。手を出す女は選べよ」
言いたいことだけ言って去って行く悪友に嘆息しながら書類整理を切りの良いところで終えて席を立った。
少し遅くなったが外で食べようと歩いていると向かい側からアーシアを見かけた。
「これからお昼ですか、アーシア先生」
「はい。選手の検査でひとりだけ問題のある方が出まして。再検査で少し遅くなって食べそびれてしまいました」
ここ十数年でレーティングゲームも色々なルールが設けられた。
そのひとつが前日の選手検査である。
何か違法な薬物や術式を使用してないか。
選手の体調は試合が許可できるほど万全か。
これらに引っかかった選手は基本当日のレーティングゲームに出場が認められず。同チームメンバーの二割が引っかかると不戦敗になってしまう。
また、検査で引っかかったときに暴れる選手もおり、取り押さえの人員もいる。
「シオン先生は今お戻りに?」
「私もこれからお昼ですよ。書類を纏めていまして。切りの良いところまで進めたのでお昼に行こうかと」
悪友と話していて遅れたとは言えずに誤魔化して話をしているとふとこんな案が浮かんだ。
「もしよければ一緒に食べに行きませんか?外へ」
シオンの提案にアーシアは目をパチクリと動かした。
「この近くに美味しいパスタの店があるんですよ」
「そうなんですか」
車を運転しながら話しかけるシオンにアーシアは相槌を打つ。
酔ってシオンの家に泊まったあの日からこうして会話することが増えた。
あの時の、弱さを吐き出したからなのか。シオンという同僚と一緒にいると安心感を覚える。
そしてどこかでまた甘えることを望んでいる。
(私、そんなにも誰かに甘えたいのでしょうか?)
自問自答するが明確な答えはでない。
これまで、息子の問題に関して誰かに相談したことはなかった。
長い付き合いであり、同じく一誠の眷属であるゼノヴィアにもだ。
息子との仲を修復した後日、その件で学生時代から特に仲が良かったゼノヴィアから謝られてしまった。
「すまなかったね、アーシア」
「はい?え、と……なにがでしょうか?」
「誠二のことだ。まさかアーシアがあの子を叩くまで怒っていたとは気づかなかったよ」
「あはは。誠二くんの教育は私の役目ですから……」
「そうなのだが。若い頃のイッセーに似ているからと随分と甘やかしていたなと振り返ってみてね。アーシアがそこまで怒る前にもっとしっかりと叱っておくべきだったと思う。我ながら先生をしてる身として恥ずかしい失態だったよ」
ゼノヴィアもアーシアと同様に今は手に職を持っており、塾の先生をしていた。その関係で一誠の子供たちの勉強を見ていたりする。
ゼノヴィアの弁にアーシアは首を横に振った。
「いいえ。ゼノヴィアさんの所為じゃありません。今思えば、私も親として少し天狗になっていた面もあったと思います」
考えてみれば長女である愛理は手のかからない子供だった。
叱ったことはあるが怒鳴ったり手を挙げる必要がない程に聞き分けの良い子として育ってくれた。それは腹違いの子たちも同様だ。
だから問題を起こす誠二に対してどう接すればいいのか分からなくなってしまっていた。
今は問題を起こすことは無く、学園からも随分と落ち着いたと言われた。
思えば誠二から本当の意味で子育てに悩んだのかもしれない。
悩んでいた数日前までの自分に胸を痛めるが、良い経験だった思えるくらいに息子の変わりようが嬉しくある。
「だからゼノヴィアさんは何も悪くないです。気にしないでください」
「そうか、そう言ってくれるとこちらも気が楽になる」
肩の荷が下りたように安堵するゼノヴィア。そして次の話題に移った。
「イッセーの方からは何か連絡が来たのか?あいつも誠二のことは気にしていたのだろう?」
「……あぁ」
ゼノヴィアの質問にアーシアはピキリと微笑を強張らせる。
誠二と仲直りした次の日に一誠からメールが送られてきた。
内容はこんな感じだ。
『誠二と喧嘩したんだって?仲直りしたことも聞いたぜ。ま、アーシアにガツンと言われてアイツも懲りたろ。アーシアのおかげで誠二も落ち着いてた。心配することなかったろ?』
かなり簡潔にまとめているが大体こんな内容だ。
なんというか、息子に対する危機感の温度差を感じてイラっと来た。
これがずっと接してきた自分と遠くに居た夫との認識の違いなのかと嘆きたくなった。
そもそもその息子が問題を起こしている間に家に居なかった人がどうしてこうなることが分かっていたみたいな感想を抱けるのか。
アーシア自身が1番助けて欲しかった時に傍に居てもくれなかったくせに、という不貞腐れた感情が波打つ。
これはもう信頼と言うより私たちに対して興味が薄いのではないかと邪推してしまいそうだ。
その証拠みたいに他にはこれから新しく迎える奥さんについて語られていた。というかメールの内容の6割がそれについてだった。
息子に対しては関係は修復してきているが夫とは以前よりも隔たりを感じているアーシアだった。
「着きましたよ、アーシア先生」
近くに在る駐車場に車を止めて訪れたのは町の隅で営業している小さな個人経営と思われる料理店だった。
「店は小さいですけど味は保証します。さ、入りましょう」
店の扉を開けて潜ると中にはテーブル席が六つとカウンター席がある。客はカウンター席に2人ほどだ。
「いらっしゃい。てかおまえかよ。来るのが少し遅くないか?」
「お久しぶりです、先輩」
「おう。奥のテーブルに勝手に座れ」
この不愛想な店長とシオンは知り合いらしい。
「あの、お知合いですか?」
「えぇ。私が医大学に通っていた時の先輩でして。実家は大きな病院なのにご両親の跡を継がずに家を出て今ではここで店を開いてるんです」
もったいないですよねと話をしていると店長が水とコップの置かれたトレイを運んできた。
「うるせぇ余計なお世話だ。実家は弟が継いだし、俺は人の身体に関わるよりもこうして飯作ってた方が性に合うんだよ。それにしても、お前が女連れて来るなんて初めてじゃねぇか?いつもはひとりかあいつ一緒に来るくらいだろ」
あいつ、というのはさっきまで話していた悪友のことだ。
とうとう女でも出来たか?という視線を送る先輩にシオンは苦笑して首を振った。
「彼女は職場の同僚ですよ。お昼を食べ損ねてしまったので同行してもらったんです。それとアーシア先生は夫と子供もいますから」
夫と子供がいるというシオンの言葉にどういう訳かアーシアは胸が僅かに傷んだ気がした。
シオンと同じメニューを頼んだアーシアは談話をしていた。
「シオン先生はどうして今の御職業に?」
「私の父は故郷で小さな運送会社で働いてまして。貧困という訳ではないですが裕福とも言えない家庭でした。そのとき子供心に思ったんですよ。お医者さんならたくさんお金が貰えると考えたのが始まりでした。それで大人になったら両親に楽をさせてあげられる。後、家族が怪我や病気になったら真っ先に治してあげられると。そんなことを子供の頃から周りに吹聴していたら引くに引けなくなってしまって」
自分は将来絶対医者になるのだと子供の頃周りに言いふらしていた。周りもそれを真に受けてシオンは将来医者になるのだと思っていた。
医者になる大変さなど考えもせずに言っていたシオンは次第に引くに引けなくなり、医者の勉強を続けた。
夢を叶えてなったレーティングゲームの医療スタッフという立場も結局は給料がいいからという理由で就いたのだ。
「お恥ずかしい限りです。それでも故郷の両親に仕送りも出来て楽させてあげられているので自分としては不満もないのですが」
「いいえ。とても立派だと思います」
手持無沙汰で今の職に就いたアーシアからすれば尊敬できる話だった。
少なくとも彼は善意を持って夢を叶えたのだから。
頼んだ料理が来て食事をしながらも話を続けた。主な話題は互いの学生時代だった。
シオンには悪友が居り、彼に巻き込まれて何度か馬鹿をやったと懐かしそうに話している。
またアーシアも母校である駒王学園での日々を思い返して語った。
慣れない学生生活を支えてくれた人間の親友と夜は転生悪魔としての仕事のこと。
言葉にしてもそれらの想い出は色褪せることなくアーシアの中で息づいていた。
「あ、シオン先生。ソースが口元に」
食事ももうすぐ終わろうとしていた時に口についていたソースをアーシアがナプキンで拭きとった。
すると彼は頬を赤くして口元を手で隠す。
「す、すみません!わざわざ」
「いいえ。とても美味しいお店を紹介してもらったお礼です」
実際シオンの言ったように注文したパスタ料理は美味しかった。今度、プライベートで子供たちとかゼノヴィアと2人で来るのもいいかもしれない。
それに落ち着いた雰囲気のシオンが口元を拭きとっただけで初心な反応をする姿とのギャップがアーシアにはとても微笑ましく感じる。
食事を終えて会計を済ませ、帰りの車に乗ると横目で運転しているシオンを見る。
年上だからだろうか、身を預けられるような安堵を感じるのは。
一誠が自分を引っ張ってくれた人ならシオンは自分を包んでくれる人。
彼の家で吐き出した醜い自分を受け止めて肯定してくれた手の大きさと温かさは今も記憶に残っている。
今どちらが自分が求めているのかと考えれば―――――。
そこまで考えてその思考を振り払う。
まるで夫である一誠と同僚であるシオンを比べている自分に嫌悪したのだ。
自分は兵藤一誠をという男性を選んだ。
それなのに他の男性に心を許そうとするのはきっと良くない考えだと思う。
あの夜、泊めてくれたのもシオンがとても善い人だから。もし仮にそんな感情を抱いていると思われえば横に居る男性は軽蔑するだろうか。
若い頃から一緒に死線を潜り抜けてきた仲間や子供たちは?
何より、赤の他人を本当の娘同然に扱ってくれた尊敬する義理の両親はどんな顔をするだろう。
それが1番怖かった。
だけどこうしてシオンとも仲の良い同僚という関係で終わると考えるとどうしても胸の痛みが強くなる。
職場に戻るとシオンが笑みを浮かべる。
「それじゃあ、残りの仕事も、お互い頑張りましょう」
「はい。今日はありがとうございました!」
そうして別れようとすると意識したわけでもなく、アーシアはシオンの袖を掴んでいた。
「どうかしましたか?」
振り返って困った表情をするシオンに自分は何をしているのかとハッとなった。
あれこれぐるぐると考えて苦し紛れに言葉を吐き出す。
「あ、あの!また、あのお店で一緒に食事してくれますか」
一瞬キョトンとしたシオンだったがすぐにいつもの微笑を作る。
「えぇ。私とでよければ喜んで」
今はただ、こんな小さな約束だけで良い。
掴んだ裾を放して、笑みを作る。
その笑顔は長らく作ることのなかった『女』の顔だった。
う~ん。ちょっと急展開過ぎたかなぁと感じました。最初3話で終わらせようとしたのだからしょうがないですけど。
ちなみにシオン先生の戦闘力は低いです。1巻のレイナーレにボコボコにされた一誠でも完勝できます。意気込みの違いで。
もし今一誠にバレたら確実に骨も残らずに□されます。