駆逐艦響戦闘詳報 作:Вер提督
第二報告
昭和一九年 四月一四日
日本/呉海軍基地
アッツ島沖海戦、そしてキスカ島撤退作戦を経て、長女を欠いた暁型三名が所属する第一一水雷戦隊は聯合艦隊直属になっていた。
これは第六駆逐隊を柔軟に運用するためであって、特に任務内容が変化するものではない。
しかし、遠くない未来において発生が予測される海戦に備え、六駆には活躍しうるだけの対空充実が求められていたのだ。
四日前の事である。
輸送任務に従事する千代田と彼女を対象とした護衛作戦に従事する響と電は、パラオ=バリクパパン間を更に往復。ダバオを経由し呉への帰投を完了した。
第二砲塔撤去。代替として25mm単装機銃二基二門を増備。また、電探などの調整。
呉工廠へ戻った響と電には直ちにこれらの修復・小改装作業が開始された。
前線基地とは違い、本土は心地よい。
ずっと気を張り詰めなくてよく最高に素晴らしいというのが、響を始めとした聯合艦隊の統一見解だ。
呉軍港での改装は疲労が溜まっていた響にとって良い薬となり、電はそれに安堵していた。
かつて。一年と少し前、軽巡洋艦
暁が沈み、響は今より荒れていた。電と雷が内南洋部隊所属で別行動だったため本当に酷かったと自身で認識している。しかし龍田は微笑んで迎え入れてくれた。彼女も最愛の
キスカ島撤退作戦への参加要請やら色々あったが、呉にほど近い柱島を拠点とする一一水戦は訓練部隊だ。それ故に次々と
旗艦龍田の文字に心躍らせながら帰投したら、除籍が済んでいないだけで先月の昨日に亡くなっていたと聞いた時の衝撃たるや。
もし彼女が帰投した響を変わらない微笑みで迎えてくれたなら、響の精神は完全にとは言わないまでも回復していた事は想像に難くない。
一一水戦に編入されてくる艦はどんな性格なのだろうかと、響は思考を廻らした。
三人の新鋭駆逐艦が入ってくるらしい。気が合うだろうか。
前に所属していた艦を思い出してみる。
八ヶ月ほど前に
龍田。暁が居なくなったばかりの響の面倒を見たのが龍田だ。今の響は荒れておらず穏やかだが、ただ単に凪いでいるだけ。まだ頭が現実に追いついていないのだ。彼女の死はまた響の心に嵐を起こすだろう。
そういえば、一一水戦の構成員ではないが、北方戦線へ向かう途中でちょっとだけ話す機会があった
いーい、響っ!私が長女なんだから、私より先に死ぬなんて許さないんだからね!
頭の中で姉の声が再生される。
あれは、撤退が行われるより半年くらい前のキスカ沖で掛けられた言葉だったろうか。
重傷を受けた響を曳航しながら、暁はずっと涙を堪えていた。
「暁…………」
艤装から取り外される12.7cm連装砲をぼうっと眺める。
慣れ親しんだ二番砲塔の行く末に思考が飛んだ。
要塞砲としてどこかの基地に配置されるのだろうか。他の艦が使うのだろうか。溶かされて誰かの一部になったり、砲弾になったりするのだろうか。
意味も、取り留めも無い思考。
暁や龍田の事を考えるのに疲れたからだろうか。最近、こういった思考の纏まりの無さが目立つ。
ふと、響の思考は現実に引き戻された。
幾ら気が緩んでいようとも、響も
目を開けると長髪の少女が近づいてくるのが見えた。
体の隅々から初々しさが感じ取れる。
少し青みを帯びた、紫にも見える黒い髪は暁を彷彿とさせた。髪型や長さは似ても似つかなかいが。
「夕雲型駆逐艦一八番艦、
ビシッと音が聞こえそうな教本通りの敬礼。
「……響でいいよ。よろしく、秋霜」
「いえ、私はまだ竣工から
「戦場じゃ同艦種での上下関係は殆ど無い。慣れた方がいいよ」
やけに秋霜の表情が硬い事が気がかりであったが、とりあえず先輩としての助言だ。
姉妹関係や先輩後輩関係は、心の拠り所には丁度良いが依存しすぎると今の
それに、軍艦は兵器だ。古い者より、新しい者の方が基本的に強い。その力関係の溝は、練度のみで覆せる程浅くないのだ。
「響、さん。……これで構いませんか?」
「まぁいいんじゃないか。電も軽巡以上にはさん付けだし」
そう言うと、少しだけほっとした表情になるがまだ硬い。
その硬さは先輩に顔見せする事への緊張からくるものではないようだと響は判断した。
「で、本題は何かな」
「えっいや、そのっ……あの、訃報です。あの……驚かないでください……」
訃報。そう聞いて響の顔が強ばる。
こういう事は今まで何度もあった。しかし、今だに慣れない。
誰だろうか。今度は誰が沈んだんだ。
今まで肩を並べて共に戦った誰かだろうか。護衛した油槽船だろうか。まさか島風?それとも霞だろうか?
「あ、あの……電先ぱ、電さんのところには姉が行っています……」
そう聞いた途端、響は意図的に目を背けていた最悪の可能性に思い至った。意識せざるをえなくなった。
いや、もしかしたら千代田かもしれない。なんせつい先日まで電と共に彼女の護衛をしていたのだ。響にわざわざ報せる可能性は、ある。
「先日、油槽船山陽丸を護衛しつつサイパンへ向かっていた――」
嫌だ。それ以上言うな。
響が心で叫ぶ。
「――雷さんが、敵潜水艦の雷撃により轟沈しました」
暁型三番艦、雷。響と電の間の姉妹艦だ。
「………………………………」
「……あ、あの?響さん?」
「……………………そうか」
予想外に、響は不思議と静かだった。
激昂する事無く冷静に、秋霜に問いを投げかけた。
「その時の状況は?乗員はどうなった?」
「いえ、その、すみません……詳細までは……。ただ、乗員は……全滅、との事です……」
「そうか。……そうか」
「あの…………、あ、すみません」
「君が謝る事じゃない、秋霜。それは雷の自己責任だ。……悪いけどもう戻ってくれ。一人にしてくれないか」
響は静かにそう言った。
秋霜を意識の外に追いやる。
そして意識を奥底へと沈めていった。
気づくと、秋霜は居らず電が心配そうに響の眼を覗き込んでいた。
「ああ……電か……」
「やっと気づいたのですか?三分くらい前から居るのです」
「そうか……すまない……」
響の声には覇気が無い。
電は響の隣に座り込み、響の手の甲に手を重ねた。
そして、優しく語りかける。
「雷ちゃんは、電と別れる前に言っていたのです。響をよろしく頼むわよって」
「そうか……暁もな、言っていたんだよ。私が死んだら、私の代わりに雷と電の面倒を見るのは次女の響よって。それなのに……」
「響ちゃん。電は思うのです」
「……何をだい?」
電の手を握り返して、響は電の言葉を待つ。
響のこんな顔を見るのは初めてだと電は思った。
「雷ちゃんは、響ちゃんがどんなに頑張ってもどうしようもできない遠くにいたのです。だから、電ちゃんが沈んじゃっても、それは響ちゃんの所為じゃないのです」
「だけど」
「響ちゃんは暁ちゃんの言葉を忠実に守っているのです。響ちゃんは真面目だし、優しいから。でも、必要以上に言葉に捕らわれすぎなのです」
忠実、それは愚直と言い換えられる。
「……暁は、死んだ。だったら、遺した願いは……叶えないと」
「電は……たぶん雷ちゃんもですけど、響ちゃんがアッツで大怪我を負って大湊に行った後、暁ちゃんに言われたのです」
「……なんて?」
「響が死ぬなんてダメよ、私より先に逝っちゃうだなんて、絶対許さないんだからっ!って」
似たような事を自分に言っていたと先ほどの思考を思い出した。さっき、自分はその言葉にどう思っていたのだったか。
「暁は……ズルいね」
「そうですね。……この苦しみを味わわないために、先に沈んじゃったんじゃないかって疑いたいくらいなのです」
それは無いだろうけれど。
そう思いつつ、脳天気に笑う姉の顔を思い描く。
同時に、やはり自分だけではなく電も辛いのだと気づいた。
電も辛いし、電も響を支えたいのだ。
響と、同じように。
「とうとう、六駆も半分になっちゃったな……」
「思えば、六駆が揃ったのは
「そうだね。私は修理でガダルカナル島方面には参戦できなかったから。……もしあそこで爆撃を避けれていたら、暁と同じ戦場に立てたのかな」
そして、暁を救えたのだろうか。
或いは、自分が身代わりに。
口には出さなかったが、その想いははっきりと電に伝わった。
暁と共に第三次ソロモン海戦に参加した電と雷は、同じ戦場の、しかもすぐ近くにいたにも関わらず、暁が沈むその瞬間を見届ける事ができなかったのだ。暗い闇を探照灯で切り裂き敵を照らした暁は、集中砲火を受けあっと言う間に小さな躯を散らした、らしい。
悔いる気持ちは電も同じ。
「響ちゃん、〈たられば〉は禁止なのです」
「……そうだったね。この話は止めよう」
もしああしていたら。
もしああする事ができれば。
そんな事を考えれば、切りが無い。かつて暁によって禁止されたそれは、今も六駆の共通認識であった。
「なぁ、電」
「何ですか、響ちゃん」
「雷のさ。乗員全滅だって、聞いた?」
「はい」
「雷はさ。電と一緒に敵もいっぱい救助したんだよな」
「はい」
「それを聞いたとき、私は感嘆の言葉しか無かったんだ。ああ、凄いなあって」
「はい」
「なのに、一人も助からなかったんだな」
「……そうなのです」
「ままならないな」
「はい、電もそう思うのです」
その一言に、無念の感情が凝縮されていた。
無念を吐き出した事で悲哀の感情が露出したのだろうか、響の声色が悼むものから変化する。
「暁も、龍田も……雷も。皆死んでく。なぁ、電」
「何ですか、響ちゃん」
「上も、私たちを分けて使おうとはしないだろう。……
「そうですね。でも響ちゃんも油断しなければそうそう怪我しないのです」
「……私なんて、所詮…………買いかぶりすぎさ」
響は自己評価が低い。
自分は弱いと思っている。思い込んでいる。
それはある種の自己防衛であり、暁と共に居れなかったという悔やみから解放されない原因でもあるのだ。
「だからさ、電。手の届くところに居れば、私は電を護れる」
「そうなのです。電も響ちゃんを護れるのです」
「電……私を、独りにしないでくれ……生き残りだなんて称号は、要らない……欲しくないんだ……!」
「響ちゃん……」
懇願する響、そして一瞬戸惑いを見せた電。
電の戸惑いの理由は簡単だ。
ここで自分は死なない、響と共に在ると言うのは簡単だ。
だが、絶対というものは戦場……否、全てにおいて存在しない。電が沈む事なんて、平気で起こるかもしれないのだ。
だから。もし、電が響を残して海の底へ旅だったならば、響は電を護れなかった自分を責め続け、暁を、そして暁との約束を守れなかった自らを責める今よりも酷い状態になってしまうだろう。しかも、その時響の隣にいるべき姉妹は、居ないのだ。
だから、電は、こうするしかなかった。
「響ちゃん、私は、自分が死なないと約束するのはできません。だけど、響と私が死なないよう全力で努力する事はできます」
「……ああ」
「だから、響も私と響自身を全力全霊で護ると約束してください。最善で、それでもどちらかだけが沈むのならば、それは敵が強大すぎたという事。私たちの所為じゃありません」
「……ああ、そうかもな」
「だから、響。約束してくれますか?」
「ああ。約束する。私は、電を絶対に死なせない」
「……それはよかったのです。これで、電は大丈夫なのです」
それは一時的な処方箋だ。
だが、死の淵を覗き込んだままそこに留まっている響を脱出させようとも、電にはこれしか思い浮かばなかったのである。
処置は成功している。電への依存度が高まった気がするが、そう、電が沈まなければいいのだ。
これで、響は大丈夫。
電は失念していたのだ。
否、失念していたのではない。目を背けていたのだ。
戦場を体験した軍人ならば、それを誰しもが理解している。
電は目を向けようとしなかった。
電も響と同じ。彼女もまた、度重なる戦闘行為に、仲間との別れに疲弊しているのだ。
電は響を支えようとしているだけ。電を支えようとしている響と同じなのだ。
電は自分と同じ事をしようとしている響の事を理解していたが、響と同じ状態である自分も響と同じように、或いは響以上に疲れているという事に。
約束を交わそうと、誓いを契ろうと。
戦場において、死はあらゆる者の前に等しく訪れる。
電も響も、それは例外では無いのだ。