駆逐艦響戦闘詳報 作:Вер提督
第四報告
昭和一九年 六月一五日
フィリピン/ミンダナオ島沖北東方面
三隻の油槽船と五隻の駆逐艦が輪形陣を組み航行している。
「私が先頭に立ちます。清祥丸、日栄丸、国洋丸はその後に。白露と響はその両翼に。時雨と秋霜が殿をお願いします。時雨は秋霜の補助もお願いしますね」
浜風がそう言ったため、そのように陣を組んでいた。
既に正午は過ぎ、之字運動も滞りなく保てている。
本隊の出撃準備として対潜哨戒をしていた駆逐が数隻、逆に潜水艦にやられたと聞いていたため強く警戒していたものの、今まで異常無し。
しかし誰も気は緩めていなかった。
疲労の色濃い響と白露には心配があったが、時雨と秋霜がカバーできる位置にいる。実に合理的な配置と言えた。
それでも。
いくら努力しようと、工夫を廻らそうと。
天命には敵わない。
小さな悲劇は、容赦なく起こった。
「魚雷!?っ、いつの間に!回避行動!」
驚愕する白露。
「白露さん之字運動を保ってください!」
焦る日栄丸。
先頭の浜風はスコールに気を取られ気づかない。
浜風だけではない。
時雨も。秋霜も。勿論、響も。気づいていなかった。
潜水艦による雷撃を躱そうとした白露。
面舵を取ったが故に之字運動を保っていた部隊の真ん中を横切る形になってしまう。
結果、白露が清祥丸に衝突した。
一瞬の出来事。
そして白露は、あっけなく海の中へと消えていった。
スコールを抜けて直ぐ異常に気づいた浜風は救助活動を開始した。
日栄丸は清祥丸に大丈夫かと聞いている。
不幸中の幸いと言うべきか、清祥丸の被害は若干の浸水のみであった。
白露乗員を掬い上げていく浜風を横目に見ながら、響は周囲を警戒する。潜水艦の気配は感じなかった。
混乱している秋霜にも対潜対空警戒を強めるよう頼み、時雨に声をかけるかどうか迷い、そしてやめた。
電が轟沈した時の自分もこんな感じだったと思ったからだ。
時雨の分も自分が警戒すればいいだけ。
響は己を時雨に重ねていた。
電が沈んだ日の事だ。
いつも通り輸送船の護衛任務だった。
あの時。電と位置の交代を済ませた直後。
電の腹部と後部に一本ずつ魚雷が突き刺さった。
死にゆく妹を視界に捕らえながら、響は呆然とその様子を眺める事しかできなかった。頭が白く塗りつぶされる感覚がした。
電が謝罪の言葉を口にしてようやく動き始める事ができた。
せめて、もう少し早く動けていたら。電は救えずとも、電の乗員たちをもっと救助できていた筈なのに。
救えたのは121名。失われた命は169名。
多い、少ない。そういう問題ではないのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
もしあの時、交代をせずにいたら、或いは遅らせれば。
ここに立っていたのは響ではなく電だっただろう。
そして、彼女は持ち前の明るさと優しさで以て、無愛想な響とは違い時雨に親身になって相談に乗るはずだ。
ここに居ていいのは、生き残っていいのは自分なんかでは無いはずなのだ。
なのに。
「何が起こったんだ!」
血相を変える時雨に、全てを目撃したらしい日栄丸が説明している。
そういえば、電が沈んだ時の護衛対象の一隻がこの日栄丸だった。
ただの油槽船にしておくには勿体ないくらい気を使えるいい子だ。
あの日も響が一人で居たかったのを見抜いていたように思える。
動揺していた時雨も日栄丸の静かな声色に冷静さを取り戻していったのだった。
救助活動を終えた浜風が海域離脱を提案する事によって、一人を失った第一補給部隊は目的地へ向け航行を再開した。
その後は何事も無く泊地に到着できた。
しかし時雨はずっと自失しており、響は時雨が白露と同じ末路を辿らぬよう注意を払っていた。
埠頭に立ちながら、白露に黙祷を捧げる。
彼女もまた日帝の誇り在る艦艇だ。いくら彼女の最期が精彩を欠いたものであったとしても、その勲功が色褪せる訳ではない。
そして、彼女は妹の死に心を痛める一人の少女だった。
その死は決して穢されてよいものではない。
何人目かすぐには数えられない同僚の死への追悼を終え、響は立ち上がった。
彼女の無念は時雨が継ぐだろう。そこに響が入り込む余地は無い。
だから、ここからは二七駆たち白露型の問題だ。
夜の軍港は風が心地よい。
色素の薄い響の髪が闇中に
そろそろ寝ようか、そう思った時、後ろから忍び寄る気配を察知した。
「……時雨?」
「あ、あぁ響か。こんな時間に奇遇だね」
「……眠れないのか」
当然だ。
響も姉妹が沈んだ向こう三日は瞼を閉じても微睡みは訪れる事がなかった。
時雨もそうなのだろう。
「うん。風に当たろうと思って」
「そうか」
白露にも思ったが、今の時雨も響と似ている。
境遇、纏う雰囲気。そういったものが、だ。
響の相槌を最後に会話が途切れる。
「響は、さ」
「何だい?」
「解っていたのかな」
「……何を?」
「白露の事」
「……それは、死んでしまうって事?」
「そうだ」
響は改めて時雨に向き合う。
時雨の瞳からは詰責の感情が見え隠れした。
これを八つ当たりだと認識しているからだろう。
「私なんかが、人の生き死にを分かるなんてあるわけないだろ。……ただ、あの状態ではそう長くは保たないだろうと思っただけだ」
起こるべくして起こった事件だろう。
戦場は腑抜けが生き残れるほど
ただ、想定より早かったが。弱った得物を見逃す程、死神は優しくないらしい。
「……そうか」
「そうだ。あの事故はどう捉えても白露の過失だ。むしろ、清祥丸が海の底まで巻き込まれなくてよかったと思うべきだ」
昔の話だ。まだ
電が
響は何もできなかった。
衝突は致命傷を負った僚艦を
なまじ練度不足、注意不足など努力でどうにかできた、そう思えてしまうので
そして戦場で死なせられない事も辛い。戦士としての相手を侮辱するかのようだ。否、侮辱している。
最上は三隈を手に掛けた時を思い出しながら響に語ってくれた。
衝突事故を起こしてしまった艦を必要以上に責める者はいない。
それで沈んでしまった艦も、沈めてしまった艦を責めたりしないだろう。
白露を責める者はいない。被害も白露の轟沈を除けば軽微だ。
ただ、白露は誰かに衝突され沈んだのではなく、自分から衝突して自分だけ死んでいった。
「…………」
だからこそ、時雨はやりきれないのだろう。
白露がどんな片言隻語を遺したのかは知らないが、響には白露が耐えきれなくなり先に逝ったようにも思えた。白露の最期の表情を見たわけではないため断言はできないが。
響の言葉を受け時雨の瞳には様々な感情が弱々しく浮かんでは消えてゆく。
時雨は相当滅入っているようだ。
響は何か言葉を掛けようとして固まった。
自分は何を言おうとしたのだろう。
励ましだろうか。慰めだろうか、それとも。
響は時雨に親近感を抱いていた。
似たものであると思っていた白露が死んだ途端こう思い出した自分に失笑しながら、理由を探る。
一番に思い浮かんだのが、第三次ソロモン海戦。その第一夜戦。
あの日喪失した駆逐艦は暁型一番艦暁と白露型三番艦夕立だ。
大怪我で内地に留まっていた自分と、夜戦に参加していなかった時雨。
やはり、状況は似ている。
「僕はさ。白露が死ぬなんてこれっぽっちも思ってなかった」
続けて、と目配せする。
自分はいつも不安で不安で仕方なかったと響は思い返した。
暁。雷。電。
彼女たちが沈む
「
皆、それぞれの強さがあったし、実力もあった。白露型は戦争を潜り抜けるだけの力があると思っていた。死んでいった妹たちには運が無かったと自分を納得させた。だから、絶対に白露だけは沈まないと思っていた。根拠なんて、無いのに」
一気に言い切って、一息ついてまた喋り出す。
「妹たちがいなくなるたび、白露の顔は暗くなっていった。僕はそれが嫌だった。僕は白露に求めすぎていたんだ。僕は
時雨が吐露した悔恨は、響には贅沢に思えた。
決戦の場で支えようと思っても、隣に立つ事すらできなかったのが響だ。
妹たちから死んでいき、姉妹の核となる
同じ次女でも違う。
悲劇の対比ほど無意味なものはない、比べられない事だと解ってはいても、思考は止まらない。
「僕は白露に大きく依存していたのだとようやく自認できた。夕立が逝ってからかな、こうなったのは。夕立とは特に仲が良かったから。どうして目を離した途端に居なくなってしまうんだと思ったもの」
そこも、時雨と響の違うところだ。
雷と電は特に仲が良かったから、自然と響は暁と仲が良くなった。それだけ。
もともと人付き合いが得手ではない響にとって、自分の手を引いてくれる姉はとても有難かった。
「別に、それは君に限った話じゃない。今生きている艦は皆別れを経験しているんだ」
何様のつもりでこんな言葉を吐けるのかと、響は響を唾棄した。
「……そうだね」
悲劇は平等に降りかかる。
不平等な点は、遺された側の哀しみを遺していった側が味わわない事だろう。
仲間、そして姉妹の死を皆見てきたのだ。
例えば、浜風。
つい五日前だ。彼女の一個下の
浜風は何でもないように振る舞ってはいたが、押し殺した嗚咽を船渠で響は聞いてしまっていた。
「皆凄いよ。この哀しみを乗り越えて戦うなんて、僕には無理だ」
「乗り越えている人はほとんどいないんじゃないか。
これは戦争だ。他の姉妹を遺して逝けないから、必死で生きようとしているんだ」
響も、電が沈むまではそうだった。
あの約束は、それをはっきりとさせた。
「じゃあ、姉妹が居なくなってしまったら?五月雨が死んだら。……いや、僕が死んだら五月雨は独りだ。五月雨は強い。僕なんかよりずっと。でも、
その質問に、響は口を閉じる。
だが時雨はそれを許さなかった。
「無礼は承知だ、教えてくれ響。君はどうして生きていられるんだ?僕だったら命を絶っているかもしれない」
響は、答えようか答えまいか迷った挙句、本音を伝える事にした。
一人にくらい、自分を知っておいて欲しいと思ったからだ。
「私はさ。電と約束したんだ」
「……〈死なない〉って?」
「ああ。でも、私は長くは
誓約の内容は「響と電が死なないよう互いに尽力する」だ。
電は死に、響は響が死なないよう尽力しようとした。だが半月ほど経てば限界を迎えた。
既に電は亡く、誓約は崩壊しているからだ。
死はどうしても尾を引く。爪痕が癒える事は無い。
「だから、諦めたんだ」
「……?」
電との約束もあり、無為に死ぬつもりはない。
だけれども、何かを遺せるのなら。希望を紡げるのなら。未来を託せるのなら。
その為になら、死んでもいいと考えている。
「死に場所を探してるのさ。国の為に戦い続けるなんて、私には無理だ」
響は生きるために戦っているのではない。
軍人として、暁型駆逐艦として。国の為に戦ったと胸を張って姉妹に誇れるよう、響は戦っている。
極限まで戦い抜き、生に執着せず身を滅ぼす。
「私は死にたいんだ。けど、卑劣に臆病に沈むなんて暁たちに顔向けできない」
時雨が気圧されたように喉を鳴らした。
「だから殉職したいのさ。誇りある死、私はそれを求めている」
「でも、それは」
「解っているさ。これは真に戦って死んでいった戦士たちへの冒涜だ。だけど、私も戦士の端くれだから。戦士として死にたいのさ。これは〈駆逐艦響〉の、最後に残った誇りだ」
「……そうか」
参考には余りできないけど、この事は誰にも言わないようにするよ。
悲しげに、しかし満足げに時雨はそう言って去って行った。
響は今度こそ床につこうと、最後に頭を廻らし海とその表面を揺れる波を一瞥した。
白露や電を呆気なく飲み込んでしまう雄大な海と、跡形も無くしてしまう静かな波を。
翌々日、時雨と浜風、秋霜の三隻は響たち第一補給部隊から離れ、機動部隊本隊に合流。
それが、響と時雨の今世の別れであった。