駆逐艦響戦闘詳報 作:Вер提督
第五報告
昭和一九年 七月二七日
日本/呉海軍基地
想定と違う海域での決戦、アウトレンジ戦法の失敗。
他にも様々な要素が絡み合い、六月中旬に発生した後にマリアナ沖海戦と呼ばれるその海戦は大敗北を喫した。
この決戦による大日本帝国海軍の喪失艦艇は航空母艦三隻、潜水艦八隻、油槽船二隻。あ号作戦準備段階での轟沈を含めればさらに膨れあがる。
虎の子である空母を失った事に加え、450機以上の航空機の損失は戦争継続を危うくするほどの被害であった。破損した艦も多いのに対し米国側の被害は僅か。
これにより日本は制空及び制海権を大きく失い、日本列島近海を敵潜水艦が闊歩する状態になってしまった。マリアナやビアクの失陥を許したため、フィリピンや台湾、沖縄への侵攻は時間の問題と思われる。
軍部だけではなく内政も揺らぎ、東条英機内閣の総辞職など日本そのものが大きく軋んでいた。
25mm単装機銃一二基一二門、そして一三号対空電探。
防空性能の強化として響に施された増備工事の内訳である。
響だけではなく他の様々な艦にもこのような対空性能の強化が計られているようだった。
航空隊が壊滅した今、基地隊は勿論、空母所属隊にすら満足に機体が配備されない。
貴重な空母はただの置物と化したわけだ。
防空性能に特化した設計の秋月型も数多くが失われ、改秋月型の計画は中止された。残存する駆逐艦に機銃を増設しても焼け石に水。
一応悪いニュースばかりではなく、日振型海防艦の量産体制が整ったようだが、それも最早遅い。
戦況は完全に傾いてしまった。
そうならないためのあ号作戦だった筈なのだが、その
上はこれをどう挽回するつもりなのか。
陸海軍合同の元帥会議が開催されたらしいが、その内容は下には伝わってこない。
ただ、劣勢を打破できる新兵器の開発を奮進すると聞いた。
聯合艦隊全体に暗い雰囲気が漂っている。その新兵器によってこれが解決されればよいのだが。
暗い雰囲気を発生させている一人である自分が言うのも烏滸がましいかと微苦笑したが、響だけでなく皆がそれを望んでいた。
マリアナ沖海戦で、響たちは一度空襲を受けた。
敵空母部隊の艦載機と思われるそれによって、乗員が四名戦死した。
乗員が死亡するのは久しぶりの事で一瞬放心してしまったが、五体満足でマニラまで撤退する事ができた。声を掛けてくれた
だが敵の襲来はそれだけで、響は本格的な砲雷撃戦に巻き込まれなかった。後方支援である補給部隊所属であったため当然と言える。
しかし響は不満であった。
船団護衛ばかりではその目的を達せないと響は考えていた。
これは決して船団護衛を軽視しているという訳ではない。戦う力を持たない油槽船を護衛するのも小型艦である駆逐の役目であると、響は正しく認識していた。
だがそれとこれとは別問題。水雷屋として一度は艦隊決戦を経験したい。華と謳われた二水戦のように、
しかし、機を失してしまった。
もう艦隊決戦なんて起こらないだろう。サイパン島の陥落を受けてどう作戦立案するかによるが、しても一度。
海戦の時代は変わった。艦載航空機を失った聯合艦隊に未来は無い。空母から敵機が飛来し、瞬く間に味方が爆沈してゆく様子が容易に想像できる。
響の望みが叶う事はない。響も空から襲われ海の底へと墜ちる事になるだろう。
暁型駆逐艦を含む特型駆逐艦は軍縮条約下で設計された。
当時は革新極まりない高性能だったがそれは過去の話であり、太平洋で繰り広げられる緒戦では既に旧型と化していたのだ。性能不足、それ故に専ら油槽船の護衛として用いられていた。
艦艇として生を授かった身は規格を超えて強くなる事はできない。
今日までやっていた機銃増備といった小改装を繰り返すしかないのだ。
練度は十分、しかし根底にある性能が向上しないのなら、もうどうしようもない。
ソロモン海戦に参加できなかったのも、電の死を目前に何も出来なかったのも、全て響のせいではないのではないのか。
否、否、否。
そんなわけがない。
努力する事が無為であっていい筈がない。無為である筈がない。
アッツ近海で空襲を回避できなかった事も、電へ魚雷を放った潜水艦に気づけなかった事も。
それらは全て響の実力が不足している所為だ。
響が弱いから起こった事だ。
だから、もっと私に力があればと歯噛みしてきたのだ。
決して、響にはどうしようもなかった事ではない。
姉妹の、仲間の死がそんなものであっていい筈がない。
当然だ。
でないと。響の、いや生き残っている艦たちの想いはどうなる。
あの時力が足りなかったから、もう仲間を失わない為に、必死に前を向き足掻いているのに。
嗚呼、世界は残酷だ。
響はそっと瞼を閉ざした。
その思考を頭から追い出し、目前の任務に備える。
昨日、支那方面艦隊への転勤を命じられた。
あと数日もしたら、再び輸送船団を護衛し出撃する事になるだろう。
門司から
護衛対象のモ05船団には輸送船五隻が所属していると聞く。
それを護衛する駆逐艦は響だけだ。哨戒艇や敷設艦が援護につくというが、どこまで頼れるか。
聯合艦隊が人手不足に陥っている事が如実に顕れているなと苦笑した。
これが最期の任務になるかもしれない、ぼうっとそう考えた。
望んでいた事が漸く近づいているが、何となく実感がない。
そういえば、船団の中でも対馬丸と和浦丸、暁空丸の三隻は途中で分離し沖縄の民間人を長崎へと輸送するそうだ。
沖縄という日本最後の防衛ラインも脅かされている。
戦火が着々と本土へ近づいている事を実感できる。
そうなっても終戦はしないだろう。
既に後戻りできない段階にまで、日本は追い込まれていた。
悲劇の船と名高い対馬丸。彼女は同年八月二十二日、学童疎開輸送任務の途中、米駆逐艦により撃沈されました。