○人理外領域"さんがむりや"次元
あかり、着底。
(底は黒い)
(地面というより、沈まない海面のような場所。あかりの踏みつける底面の下で、夜光虫のように何かが蒼く輝く)
(黒い底から幾つもの蛍火が舞い踊る)
(黒い地平線と碧い空。地上に近いほど空は明るく、天頂は暗い)
あかり、ゆかり(漂う無数の光点に囲まれている。ぐじゃぐじゃにへし折れていた手足もボロボロのパーカーも直っていた)へ目を向ける。
紲星あかり「ここは、どこ?」
結月ゆかり「人の理法の少しばかり外側。視える人々でさえ見通すことの出来ない、彼ら本来の領域―――"さんがむりや"の次元です」
紲星あかり「(辺りを見渡し)"よろうてつ"が張ってた結界とは違うの?」
結月ゆかり「あれは彼らが人間の領域内で遊びやすくするため、一時的な場所をこしらえたに過ぎません。ここはその逆です。私達が、彼らの領域に招かれたのです」
紲星あかり「じゃあここが、ゆかりさんが行こうとしてたとこ? 月のウサギの故郷? 私でも見つけられない深い場所?」
結月ゆかり「そうです」
紲星あかり「……私を置いてまで、行こうとしてる場所?」
結月ゆかり「そうです」
紲星あかり「(わなわなと身を震わせ)こんな、こんな何もないところ……こんなところがゆかりさんは良いんだ? 私といるより」
結月ゆかり「あかりさん」
紲星あかり「(熱に揺れる声)私と海を散歩したり、一緒に岩盤浴いったり、買い物したり映画見に行ったりするより、ここにいる方が楽しいの?」
結月ゆかり「あかりさん」
紲星あかり「私は負けたの?」
結月ゆかり「……」
紲星あかり「私は負けたの? こんな何もないところに? こんな場所に? "さんがむりや"に?」
結月ゆかり「……」
紲星あかり「ねえ、教えて? 応えて? こたえてよ、ゆかりさ―――」
結月ゆかり「(優しい声)あなたが好きです」
あかり、息を呑む。
ゆかり、微笑む。慈しむ眼差しで。
結月ゆかり「あなたと海辺を歩くのは楽しい。潮風があなたの髪を揺らすたびに、それを目で追ってしまいます。
あなたとお風呂に行くのは楽しい。熱気に煽られるあなたの火照りは、誰よりも眩しかった。
あなたと出かけるのは楽しい。私には買い物や映画の楽しさが分かりませんが、あなたが楽しんでいる姿は、私に歓びを与えてくれます。あかりさん」
ゆかり、手を胸に当てる。小さく顎を引き、あかりを見詰める。
結月ゆかり「あなたが好きです」
ゆかり、静やかな繊細さで告げる。
あかり、金の瞳が揺れる。
紲星あかり「(俯き)……私も好き。ゆかりさんが好き。大好き」
あかり、肩を震わせる。拳を握る。
紲星あかり「お互い好きなのに、じゃあなんで、どうして私達は争ってるの?」
結月ゆかり「―――私達が、"視える人"だから」
ゆかりの周囲に漂っていた光の欠片、無音で飛び散る。
あかり、顔を上げる。
あかりの瞳、ゆかりの眸と重なる。
結月ゆかり「あなたが視えない子であれば、私とは出会わなかったでしょう。逆もそう」
紲星あかり「お互いに視えなかったら?」
結月ゆかり「同じです。どちらか片方でも視えない人でしたら、こうして仲良くなることはなかったでしょう」
紲星あかり「(悲しみに擦り切れた声)……うそだ」
結月ゆかり「あかりさんは視えるがゆえに私を望みました。私は視えるがゆえにここを望みました。人の場所の外側の世界を。そして出会ってしまったのです、最初から食い違っていた私達が」
紲星あかり「私は……あなたのかなしさに敵わないの? 私じゃ、ゆかりさんがこっちにいる理由にならないの?」
ゆかり、目を伏す。
結月ゆかり「あなたが好きです。好きですから、こちらに連れていくわけにはいかない」
紲星あかり「そういうこと訊いてるんじゃないよ」
あかり、顔を怒りに歪める。
ゆかり、あかりへ指差し、笑む。
結月ゆかり「あなたはそっち。(自分を指さし)私はこっち」
あかり、目を瞠る。
(ゆかりの足元、黒い海面で蒼の波紋が光る)
(水平線が明るさを増し、空はさらに濃くなる)
ゆかり、完全に暗黒色となった天頂を仰ぐ。
結月ゆかり「もっと早くに出会っていれば、違ったかもしれません。でも14年が限界でした。同居人をもってしても魂魄の臓器は耐えられず、潜水不可能な時間が迫っています」
紲星あかり「無敵の"さんがむりや"でも?」
結月ゆかり「あれの触手は、私の心まで届いていないのです」
紲星あかり「くるしいの?」
結月ゆかり「くるしいのです」
あかり、ぎゅっと胸の前で手を包む。
紲星あかり「助けられるよ。わたしの"よろうてつ"なら、ゆかりさんを」
結月ゆかり「私から"さんがむりや"を追い出せば、私は程なく死ぬでしょう」
紲星あかり「"よろうてつ"が"さんがむりや"の代わりになる」
結月ゆかり「その生き物はあかりさんと遊んでいるのです。私とではありません」
紲星あかり「(顔を歪め)……どうして? どうして、ゆかりさんは私を拒むの? 私といてくれないの?」
結月ゆかり「あなたと出会う前に、もう決めていたのです。ここから去ることを」
紲星あかり「でも私と出会ったよ」
結月ゆかり「……(仰ぎ見るのをやめる。あかりへ再び視線を戻し、笑う。ゆるく、穏やかに)」
(清々とした笑顔)
(生き物が宿す熱の夾雑物など一切ない、高すぎる純度の清らかさ)
(死滅のかんばせ)
紲星あかり「(はっと息を呑む)」
結月ゆかり「(たおやかに笑み)彼らの住む場所から人間の住む場所へ行くことは、さしてエネルギーを使いません。屋上から身を投げるのと同じです」
紲星あかり「…?(訝しむ)」
結月ゆかり「逆に人間の住む場所から彼らの場所へ行くには、かなりのエネルギーが必要です。屋上へ登るのにエレベータを使わなければならないように」
紲星あかり「……ゆかりさんはもうここにいるじゃない。 私もいるよ?」
結月ゆかり「ここはまだ、普段の場所からさほど離れていません。同居人が人界で食べたものを貯蓄している階層であり、人間の住む場所の少しばかり外側でしかないのです」
紲星あかり「(細い声)ゆかりさんが行きたいのは、ここよりもっと、何もないところ…?」
ゆかり、頷く。
結月ゆかり「そこへ私をまるごと移動させるための力を、14年かけて集めました。そのエネルギーも、ここに貯め込まれています。ここが、私と"さんがむりや"の力の全てです」
黒い海面はさざめき、鉄紺の空がざわめく。
蒼い波紋が空に走る。
水平線の碧光、輝きを増す。
青い光が天へ伸びる。曖昧な光から、明確な輪郭を備えて。
(それは水平線から伸びる、光の木だった)
(葡萄めいたツル性の樹。何本も何本も、海と空が接する場所で生えている)
(青く光る木々は枝先を分裂させながら、天空へ生長する)
複雑で生物的な青い樹冠、黒い空一面を覆い尽くす。
(例外は、ゆかりらの真上、天頂部。そこだけは避けられ、何も掛かっていない。暗黒の領域が残っている)
結月ゆかり「あなたを征服します」
ゆかり、表情の全てを消す。完全に。
(空に這う枝から、異音)
("さんがむりや"の咆声)
(青の発光)
天を囲う無数の枝、カッ、と激光を照射。
空間が青蒼で染まる。
(暗室が強力な照明で照らされたように、青く照らし出される、ゆかりとあかり)
あかり、訝しく金の瞳を細める。
黒い靄の衣、ひとりでに伸長。あかりの周囲に広がる。
その伸びた黒い靄の部分、無音で切断される。
(細切れ)
(切断面を鮮やかな青が覆う)
切り刻まれた黒い破片、青く照らされながら溶融。
(熱湯の中に溶ける綿菓子めいていた)
紲星あかり「"よろうてつ"…!」
あかりの纏う靄の衣、表面が蒼く煙る。
靄の黒の所々、塗炭のように燻り始める。
(くゆる蒼煙があかりを包む)
蒼い煙を浴びた黒靄、火花と共に泡立ち、霧散し、消失する。
(青光が音もなく異物を燃やしていく)
(収束された明確な光線ではない。指向性のない輻射。殺菌灯。塩酸で雑菌を抹殺する胃に近い)
(空間そのものが、滅菌作用を備えた青い胃袋だった)
紲星あかり「ぅ、ぅ……」
あかり、呻きながら黒い海に膝をつく。
ゆかり、それを見下ろす。
結月ゆかり「あかりさんの肌、血管、筋肉、脂肪、血液、神経、五感、細胞のひとかけらまで、あなたのやわいそれら、余さず全て、私の"さんがむりや"で絡め取ります」
紲星あかり「……私を征服して、その後どうするの?」
結月ゆかり「身の程知らずにもあなたへ棲もうとする者共は、"さんがむりや"が粉砕します。あなたには何も取り憑かない。あかりさんに危険など一切ない」
紲星あかり「でも、ゆかりさんはいない」
結月ゆかり「"さんがむりや"が残ります」
紲星あかり「ゆかりさんがいない」
結月ゆかり「これが私に残せる唯一のものなのです」
紲星あかり「いやだ」
結月ゆかり「あかりさん」
紲星あかり「だって"さんがむりや"は、私の心の痛みをなおしてくれない。ゆかりさんも助けられなかった。無敵でもなんでもない。そんなの貰ったって嬉しくないよ!」
結月ゆかり「―――では、どうすればいいのですか?」
ジュギシャ、キリュチジ……!
(天の枝からの怪奇音、増大)
(枝の青光、輝度を強める)
(蒼い煙と燻り、勢いと量を増やしていく)
あかり、さらに苦しく呻く。
結月ゆかり「(冷ややかに)私は残り、そして苦しみ続け、苦しませ続けるのですか?
私を見放すことの出来ない両親を、私は見続けなければならないのですか?
自分達だけ食事をすることに後ろめたさを感じている、あの人達を?」
枝からの光量が増える。
黒靄は次々と切り刻まれ、火の手をあげて消えていく。
(露わになったあかりの皮膚や衣服、それさえ蒼く灼かれ始める)
あかり、苦痛に耐える表情で、ゆかりを見上げる。
紲星あかり「……ゆかりさんがいなくなったら、おばさん達はずっとずっと悲しみ続けるよ」
結月ゆかり「私がいても悲しみ続けます」
紲星あかり「でも、私がきたときは、楽しそうだった」
結月ゆかり「あなたがいましたから。あなたがいれば」
紲星あかり「そんなわけないじゃん!」
あかり、ぐぐっ、と膝に力を込めて立ち上がる。
黒い衣はその大部分が溶けている。
蒼い燻煙にいぶされながら、ゆかりを見上げ、睨む。
紲星あかり「ゆかりさん。いっしょにご飯、食べよう。おばさんとおじさんと、私と。少しで、一口でいいから」
結月ゆかり「私に味は分からない」
紲星あかり「おばさん達は、それだけで充分よろこぶ」
結月ゆかり「私はあの人達の努力を無駄にする」
紲星あかり「みんなが食べてるとき、ゆかりさんも席にいる。無駄なんかじゃない」
結月ゆかり「私はあの人達を苦しめる」
紲星あかり「なら、私がみんなのそばにいるよ。やわらぐでしょ? 私がいれば」
結月ゆかり「……あなたはずいぶん、思ってたよりずっと、ずるい子だったんですね」
ゆかり、さっと手を翳す。
(青い木の枝、生長)
(葉を茂らせ、実を付ける。青い実)
(無数の果実が淡く灯る)
(それと呼応する、黒い海)
海面、震動。
水面を突き破り、飛沫を上げて姿を現したのは、真っ黒な羽枝。
(ビルのように長大な触腕が何本も何本も現れ、鎌首をもたげている)
「そんなことでは、私を
あかりの周囲に、掌大の青い実が半透明になって現れる。
楕円形の果実は瞬時に形状を変化。
(Y字状へ変形)
果実、霰弾のような鋭さであかりに来襲。
(薄青の物体があかりのあちこちへ付着する)
(青い光に炙られているあかりは回避も抵抗も出来ない)
羽枝、どっと勢いよくあかりへ襲い掛かる。
紲星あかり「!」
あかり、逃げようとしてもろくに動けない。
(灼かれる痛みの他、半透明の果実の付いた部分、そこの動きが極端に鈍い)
羽枝、Y字の果実に羽先を絡ませる。
羽枝、引き千切る。
果実ごと、あかりの肉を。
紲星あかり「―――ァッ!」
(血は出ない)
(その代わり、抉り取られた部分から黒い煙が間欠泉のように吹き出る)
(肉も黒い。抉られたのは、生身の血肉ではない)
あかり、転倒。
海面に仰向けになる。
(殺到する羽枝)
(杭のように半透明物体を掴み、力任せに振り上げる)
(浮かび上がろうとするあかりの身体を、別の羽枝が押さえ付ける)
(黒い欠片が大小いくつも飛び散る)
(さらに吹き出る黒煙)
(青光の効果は終わっていない。蒼い燻煙と絡んで混ざる)
(羽枝たちは貪る)
(あかりの手足を押さえ付けて)
(その手足もこそぐ)
(肩口から指先まで)
(太もも内側から足先まで)
(削いで抉ってさんざん千切る)
(びたんびたんと跳ねるあかり)
(貪られる)
黒い靄が抗おうと、あかりの体から現れる。
(Y字状の果実が靄に刺さる)
(羽枝が果実を掴んで振り回す)
(それだけで黒靄は雲散霧消)
(蒼い火の手を挙げて滅せられる)
羽枝、猛攻を続ける。
(黒い靄の巣くう胴体、そこへ重点的に群がる)
(あかりの腹に刺さる果実)
(羽枝、掴む)
(力任せに引く)
(食い込まれた皮膚が伸び、肉が千切れ、破片を撒き散らしながら弾け飛ぶ)
(あかりの躯、痙攣。跳ね上がる)
(一顧だにされない)
(黒い肉片を放り投げる羽枝)
(真っ黒な煙を血潮の代わりに浴び、傷口を乱雑に掻き回す。刺さるY字物体。絡み、引き千切る羽枝。えぐる)
(黒い血煙)
(何度も繰り返す)
紲星あかり「―――ぁ…、――ぁぁ……(真っ黒に染まった手が弱々しく震え、痙攣しながら天へ伸びる。青い枝に囲まれたか黒い空。天頂。見上げる)」
―――無明だった暗黒の中天に、輝く点がひとつ生まれる。
点は一瞬で円になり、真珠色の淡い光を放つ。
円の中心に、光度の異なる層が幾重も発生。
(月のような真円)
(眼球のような氷輪)
さんがむりや
結月ゆかり「……もうかないません。あなたの力も、あなたの願いも」
ゆかり、目を細めたまま見下ろす。
結月ゆかり「私の同居人がどんな原理でエネルギーを吸い取っているかは私にも分かりませんし、そこの性悪がどうやってそれの無効化に成功したのかも分かりません。
そして今、同居人がその無効化を無効にしている方法も、私は知りません」
海面が波打つ。
青い夜光虫の煌めき。
青と黒の煙に包まれるあかり。
群がる羽枝。
噴煙の先端が天頂の月へ届きそうになる。
結月ゆかり「その性悪を引き裂ける諸々を用意するのに、いたくエネルギーを使いました。しかもこれらを使う場所まであなた方を召喚するため、さらに大量のエネルギーを消費しなければなりません。これらの消費は、同居人の名を呼ばない状態では賄えなかったでしょう。その点では賞賛せざるを得ません。
―――而して結果はご覧の通り。私の同居人の勝ちです」
(舞い散る黒い欠片)
(呑み込まれる血煙)
(あかり)
結月ゆかり「……確かに、もっと、と夢を見ました。きっと、と」
(俯くゆかり。冷徹の表情に僅少ながら温度が宿る)
結月ゆかり「もっとあなたと早く出会っていたら。
屋上から身を投げる習慣が付く前に出会えていたら。
稲妻を食べに鉄塔の上へ登る前に出会えていたら。
……母が入院する前に、あなたと出会えていたら。
きっと、きっと。
(頭上を見上げる)
(さんがむりや。温度という概念を知らない光。それを浴びて)
きっと、私は。
あなたを置いていかなかったでしょう」
紲星あかり「―――――さ い せ ん れ い ... 」
(黒い噴煙、止まる)
(何も出なくなる)
(もぞもぞと漁っていた羽枝、震える)
羽枝の群れ、硬直。
一斉に動きが止まる。
くすり、くすり。
(童子の囀り)
(羽枝たちが群がる場所、黒い物体、かろうじて手足と分かる4つの部位、汚れきった顔と髪)
それ、こいねがう。
紲星あかり「さ い せ ん れ い を... よ ろ う て つ... 」
くすくす、くすくすくす……
風が舞う。
(汚れた髪が踊る)
(固まった羽枝がたじろぐ)
(風はあかりの胴体から流れていた。黒い体の奥深く)
紲星あかり「わ た し の な つ を
か な し さ で
お わ ら せ な い で... 」
風が舞う。
(色を纏う風だ)
(赤い橙)
(青い緑)
(黄色い藍)
(紫)
(七色)
風、くすくす笑う。
笑いながら、固まった羽枝を撫でる。
羽枝、びくびくと仰け反る。
(震え、固まり、渇き、萎れ、縮み、溶け、崩れる)
崩壊した羽枝、どぼん、どぼんと黒い海に落ちていく。
くすくす、くすくすくす……
あはは、はははははは……
風がはしゃぎ、笑う。
(笑いながら、黒い物体となった紲星あかりを包み込む)
(鮮やかな七色が空間に充ちていく)
(蒼の系統をなぶるように)
(虹色の疾風が駆け抜ける)
天に伸ばした黒い腕。
先端に、力を込める。
紲星あかり「わたしを再洗礼して。よろうてつ!!」
拳を握り、吼える。
(天へ向けて)
("さんがむりや"へ向けて)