紲星あかり「(モノローグ。以下M)ゆかりさんと初めて会った夏の日。あの人は空から降ってきた」
○ゆかりのマンションの中庭。(昼)
あかり、中庭を不安げに進む。
そのあかりに陰が掛かる。
紲星あかり「?」
あかり、見上げる。
昼の青空。半月。上弦の月。
それを背景にして、何かが地面へ飛び降りてきた。
あかりが何か反応する間もなく、地面に激突する。
衝撃音、なし。
結月ゆかり「失礼。驚かせましたか」
激突音の代わりに、その落下してきたものが喋る。
少女。
あかりよりずっと年上。手を付いて綺麗に着地している。
結月ゆかり「屋上からあなたが見えたので、少しショートカットをして参上した次第です」
ゆかり、パンパンッと軽く服と手を払いながら立ち上がる。
あかり、自分より年齢も背丈も上のゆかりを見上げる。
紲星あかり「…屋上?」
結月ゆかり「昔はよく飛び降りたものですが、最近だと久しぶりです」
紲星あかり「あそこから…?」
あかり、指をさしながらマンションの屋上を見やる。10階建てのマンション。
結月ゆかり「屋上に入ることも飛び降りることも、このゆかりさんには何の問題もないのですが、どうも何か問題になるようです」
紲星あかり「…ゆかりさん?」
結月ゆかり「はい、結月ゆかりです。こうしてお会いするのは初めてですね、紲星あかりさん」
ゆかり、ほんの僅かに唇を笑ませる。
結月ゆかり「父と母が待っています。ひと夏だけですが、ごゆるりお過ごし下さい」
紲星あかり「(M)誰とも触れ合えない私は、その年の夏休みを従姉妹であるゆかりさんの家で過ごすことになった。
私の両親は、私のことで疲れていた。私が家の中にいると、それだけで傷ついてしまうくらいに。
これはひと夏の思い出。私にだけ見えるものをみんなに教え、そしてみんなが私から離れてしまったあの年の夏のこと」
○(回想)あかりの小学校の教室(昼)
あかり、自分の机に突っ伏している。
同級生たち、教室の端で群れ、遠巻きにあかりを見やる。
同級生「――……」
同級生たち、あかりを見ながら眉根を寄せ、ひそひそと囁き合う。表情はみな暗い。
小声なので話の中身は分からない。
そのひそひそ声が教室に染み渡る。
紲星あかり「(うつむき、表情を硬くする)……」
誰もあかりに近づかない。
ひそひそ声がいつまでも続く。
○ゆかりのマンション(外廊下・昼)
ゆかり、廊下を進む。
あかり、うつむきながら付いていく。
結月ゆかり「あかりさん、ご気分は大丈夫ですか?」
紲星あかり「あ、大丈夫。少し暑かっただけだから」
結月ゆかり「そうですか……(ふと思い出したように)そう言えば、この辺りのことで、少し注意していただきたいことがありました」
紲星あかり「え、なに?」
結月ゆかり「大したことではありません。我が家の近所に、それなりに名の知れた神社がありまして。その神社の裏手に小さな池があります」
ゆかり、一拍だけ間を置き、目をあかりに合わせる。
あかり、僅かに身構える。
結月ゆかり「そこには決して近付かないようお願いします」
紲星あかり「……危ないの?」
結月ゆかり「あかりさんは、あれが見えますか?」
紲星あかり「え?」
結月ゆかり「あの緑のアパート」
ゆかり、足を止め、廊下から外を指さす。
結月ゆかり「アパートの壁に、何か見えますか?」
紲星あかり「ゆかりさん?」
結月ゆかり「見えますか? アパートではなく、アパートの壁にいるそれが、見えますか?」
あかり、驚きで息を呑む。ゆかりは何も反応しない。
紲星あかり「……」
あかり、アパートの方を向き、目を眇める。
少しの無言を挟み、告げる。
紲星あかり「……黒くて細長いのが、ヤモリみたいに壁に張り付いてる。でもヤモリとかトカゲよりずっと細長くて、手足からムカデみたいなウネウネしたのがたくさん生えてて、それがアパートの壁を全部覆ってる」
結月ゆかり「なるほど。では、そのアパートの右に見える車両用信号には?」
紲星あかり「……小さなのがたくさん群がってる。サワガニみたいなのがうじゃうじゃ。いっぱい集まって信号機からカーテンみたいに垂れ下がってる」
結月ゆかり「信号の奥に見える鉄柱は?」
紲星あかり「ワタアメみたいにふわふわしたのが、鉄柱を全部包んでる。表面の一部が風に煽られて千切れちゃってるけど、千切れた方が触手みたいなのを伸ばして戻ってきてる」
結月ゆかり「あれはわざと千切られて遊んでいるのです。風が好きなので高いところに棲んでいます」
紲星あかり「……ゆかりさんにも、あれが見えるの? 私だけじゃないの?」
あかり、驚きと興奮を隠さないまま振り向く。
ゆかり、無機質な表情で向き直り、頷く。
結月ゆかり「私も、祖母以外では初めてです。あれらを視ることのできる人間と会うのは」
ゆかり、一礼する。
結月ゆかり「改めまして、よろしくお願いしますね、あかりさん」
○結月家の居間(昼)
あかり、ゆかりに連れられて部屋に入る。
ゆかりの両親、部屋に入ったあかりを見て、微笑みながら迎え入れる。
ゆかり母「いらっしゃい、あかりちゃん」
ゆかり父「お昼まだだろう? そば作っておいたよ。アレルギーとかは特にないって聞いてるけど大丈夫?」
紲星あかり「あ、はい。平気です。なんでも食べられます」
ゆかり母「じゃあすぐ準備するから、先に部屋をゆかりに案内してもらってて。あ、うちに着いたこと、姉さんには私から連絡しておくから」
ゆかり父「クーラー大丈夫かい? 寒かったら教えてくれると助かるよ」
紲星あかり「大丈夫です。全然、ちょうどいいです」
結月ゆかり「ではあかりさん、部屋をご案内します」
ゆかりの両親、ゆかりが声を発すると、若干体を強張らせる。
ゆかり、それを見て少しだけ目を細める。表情は変わらない。
ゆかりとあかり、居間を出て行く。
○結月家のダイニングルーム(昼)
食卓を囲う四人。
食卓には茹でたそばを並べた大皿と、天ぷらと揚げナスが並ぶ小皿。
ゆかり母「じゃあ、頂きましょうか」
紲星あかり「……これ、おばさん達が作ったの?」
ゆかり父「そうだよ。麺から打った」
紲星あかり「麺から!?」
ゆかり母「麺を打ったのはお父さん。天ぷらとか揚げナスとかの具は私」
ゆかり父「加減が分からなくて少し作りすぎたかもしれないから、食べられる分だけでいいよ」
あかり、食卓に並んだ料理の量を見る(紲星家の食事量と比べながら)
紲星あかり「(不思議そうな顔で)作りすぎたんですか?」
ゆかり母「うちは少食だから……」
ゆかり母、ちらりとゆかりを見る。
ゆかり、置物のように微動だにしない。無言。
ゆかり父「じゃ、頂きます」
ゆかり母「頂きます」
紲星あかり「い、頂きます」
結月ゆかり「……」
ゆかりを除いた全員が箸を伸ばす。
ゆかりは箸に触れさえしない。
あかり、それを不思議そうに見ながら、そばを口に入れる。
紲星あかり「……美味しい!」
あかり、勢いよく具と麺を箸で取り、食べる。
ゆかりの両親、その勢いを見て驚きの顔を浮かべる。
紲星あかり「すごい美味しい! お店みたい!」
ゆかり母「(おそるおそる)本当…?」
紲星あかり「ほんとに! おつゆも美味しい!」
ゆかり父「つゆも自作なんだ」
紲星あかり「作ったの!? つゆって作れるの!?」
あかり、嬉々とそばを平らげていく。
結月家の三人、じっとそれを見詰める。
あかり、その視線に気付く。
紲星あかり「(少し申し訳なさそうに)……あの、ごめんなさい。食べ過ぎだった?」
ゆかり母「(涙声で)ううん、違うの。違うの」
ゆかり母、目元を抑える。
ゆかり父、ゆかり母の肩を撫でる。
ゆかり、そんな両親を無表情に眺める。
ゆかり父「ごめんね、気にせずどんどん食べて。なんだったら乾麺も茹でるから」
紲星あかり「あ、いえ、ええっと」
結月ゆかり「あかりさん」
ゆかり、口を開く。
ゆかりの両親、びくりと体を震わせ、娘へ目を瞠る。
結月ゆかり「もっと食べたいですか?」
紲星あかり「(はっきり頷きながら)……食べたい」
結月ゆかり「では私が麺を茹でてきます。引き続きお食事をお楽しみ下さい」
ゆかり、おもむろに立ち上がり、迷いのない動きで台所に消えていく。
あかり、それをぽかんと眺める。
紲星あかり「(不安げに)何か、怒らせちゃった?」
ゆかり父「(憂いを含む優しい声で)いや、大丈夫。私達に気を遣っただけだから」
ゆかり母「(涙を拭い、泣くのをやめながら)うん、気にしなくていいの。ごめんなさい。あの子の言う通り、食事を続けましょう」
ゆかりの両親、箸を進めていく。
あかり、得心のいかない顔を浮かべながら、食事を続ける。