オラーシャの赤い兎   作:八志 牛男

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休暇を取る話(導入)

 

 

 「お休み、お休み、お休みですよ」

 

 あれから3週間後の私はそう言ってまだ暗い中ベットから起き上がりました。

 

 あれからというもの小演習に次ぐ小演習、おまけに演習を週ごとに開催したのでその為に相次ぐ調整と毎日夜遅くまで続く会議という消耗の果てに何とか形は見えてきてあとは上にその結果を叩きつけて実戦での審判を待つのみです。

 

 ですからお休みがようやっとまわりまわって私の所までたどり着いたのです。

 

 基地の自室から見えるキエフ湖の眺めは雨に彩られていますが、私の心は完全に晴れ渡っています。ですのでやるべきことをやります。私に憑いている兎の両耳を思いっきり引っ張ってやります。

 

「今日何かしやがったら、火あぶりの刑で」

 

 感覚を共有している以上こいつだけを罰する手段がないので共に苦しみを味わいつつの脅迫をかけます。私は本気ですよ。今日を壊されるくらいならお前と共に苦しみを背負ってでも復讐を遂行する覚悟があります。……しばらくやっても何の反応も返してこないこいつを前にして諦観と共に引っ張るのをやめる結果となりました。痛いですし。

 

 

 不本意な結果ではありましたが、目は覚めてしまったので食堂でお茶を一杯ひっかける

ことにします。陸戦ウィッチは結構な数がいるので中隊ごとに分散した宿舎に住んでいますが給食機能は私達の本舎に集約されているので基本使える演習場の数が限られていることによる活動時間差から食堂はいつでもある程度の活気が保証されています。

 

 

 

 食堂でキャロットケーキとお茶を調達してぼぉっと一息つきましたがそれにしてもこんな時間にしては人が多すぎるしざわついているような気がします。意識を戻して周りの音を拾ってみましょう。

 

「こんな朝早くたたき起こさないでよ~~」

「しょうがないじゃん。あんたこの前私が誘わなかったら怒ったでしょ?確定情報じゃなかったから呼ばなかっただけなのに。だから今回は呼んであげたことにむしろ感謝してよ。今回はこの人の流れ的に絶対何かあるから。」

「そだっけ。ありがとう、ごめん。で何があるのかなぁ?」

「そだっけ、じゃないでしょ。……今回は事前告知なしの突発型だけど最初っから食堂に人が集まるってことは盤上遊戯系かな。料理大会とかするにはもうちょっと遅いし」

「私そういうのなら得意だから優勝狙ってみようか~~」

「あんたはほんとこんなバカっぽいのにそういうの強いのは納得できない」

「その言い方は私、酷いと思う」

「日頃の行いがねぇ……」

 

 

 背筋に冷たいものが走って正気に叩き戻されました。幸福追求会の活動は一般には事前告知なしであっても私には調整や管理の関係で告知が来ているので知っています。ですが本当に私にも告知なしでやることもあります。まさか今それがきてしまうとは……。そもそも彼女たちが私に告知するのは憲兵さんたちに見とがめられたりせずにイベントの実行委員が長時間準備活動を遂行できるように活動を公式の慰安扱いにするためです。

 

 幸福追求会のそもそもの始まりは厨房の私的利用権の要求からでした。私たちの1つの食堂には2つの厨房があって12時間交代制で三々五々と現れる私たちの食事のニーズに応えてくれています。ですがそれはほんとに語義通りの意味の必要性を満たしているだけなのが玉に瑕なんですが……。毎日毎日具沢山シチーを3食食べされるのは栄養学的ニーズを満たしても精神的ニーズは壊滅的状態へと移行するための恐らく最も迅速な方法です。

 

 “実の父よりもシチーは飽きることがない”“”善人はシチーから逃げない“……ことわざがただただ虚しく響いていく中で彼女たちが立ち上がったことが部隊全体の為の福音となりました。使ってない方の厨房では当然に掃除や点検などの管理が行われるのですが、9時間ほどは封印状態でただ放って置かれているだけだったのです。彼女たちはそこを突きました。そしてあれよあれよという内に使ってない厨房を使用する権利を独占的に獲得し、それをイベントという形で部隊全体に還元したのです。

 

 イベントに勝てば自分の食べたいものが食べれる。そんな単純なことに誰も抗うことが出来ずに彼女たちは普遍的な支持を獲得していきました。独占させた私が言うことではないことではないかも知れませんけど……厨房の使用交渉過程で使用後の清掃の徹底を求められて個々人の自由使用に任せておけなかった以上は必然であり、私としては最善の選択だったと確信するものではあるのです。その後の拡大はただ彼女たちの頑張りとクセニアの手腕の表れですし、不満を誰も表明してないのでそれでいいんです。

 

 今私が食べてるキャロットケーキは何なのかというツッコミが届く前に弁明させていただけると幸いなのですが、これは彼女たちに作ってもらったものではなくて倉庫から引っ張り出して貰ってきたものです。食堂横には憲兵さんが管理する食料倉庫があってそこから缶詰やらパンやらを買ってくることが出来ます。……それがあってなお幸福追求会が蜂起したという事実からその質の方は察してください。温かさと出来立てこそが正義です。

 

 今となっては幸福追求会が素材として使ったり、イベントに勝てないから仕方なく買って食べる扱いをされてしまっている缶詰に我が国の後進性を感じざるを得ません。温め直せば美味しいんでしょうけど、厨房が使えるならもっとちゃんとした料理を作るので素材の自由入手可能性がないというただそれだけの理由で使われているという悲しさです。我が国の擁護をしておくと食料生産国としてちゃんと美味しい食べ物はありますし、そういう高級缶詰もあるんですけど安全性の為の検閲がかかって私たちの口に届かないだけなんです。……その言い訳はどうなんでしょうと私も思ってますよ。絶対高級缶詰って安全にも気を使ってるでしょう?

 ちなみにこのキャロットケーキはぬか喜びのキャロットケーキなる別名を部隊内で獲得する名誉を得た品です。倉庫の目録の中にある唯一のケーキだと思って注文すると全然甘くないという罠が仕掛けられています。甘味を求める若い女子の純情をもてあそぶ酷い処置です。私はこれには味は求めずに少しでも兎を満足させてくれないかという一縷の望みで食べ続けてるだけです。一事が万事こんな感じですので束の間の自由を得られるキエフ市街への休暇が人気を博するのも納得というものですよね。私も今日の午後から行く予定でした。

 

 しかし事は一刻を争います。もう何か不思議なことがあったというだけで、犯人扱いされる不名誉な立場に私は追い込まれてるのにこの兎のせいで確信を持った反論を行えずに結局解決まで責任を取らせるんですよ。

 今日は何としても責任から逃れるという強い決意と共に私はその場を離れていきました。

 

 

 

 基地からキエフ市街までは40kmぐらいですのでその気になれば歩いてでも抜け出せますが私はちゃんと休暇申請書にキエフ市街へと外出することを書いておいてあるので、憲兵さんを恐れる理由もなく汽車に乗っていくことにします。この行けなくもないけどという絶妙な距離感なので基地からの脱走者を抑止するのに駅だけを見張るというわけにもいかずに基地を出るには休暇申請時に申告しさえすれば認可は下りるという緩い規律で運用がなされています。

 そのかわりに入退出時の手荷物検査が厳しいのでお土産はだいたい没収されて憲兵さんの懐に入ります。もはや”憲兵さんにお土産を買っていく“という言い回しが部隊に定着していますが、部隊を預かっているものとしてはこれが賄賂の温床になるんじゃないかとちょっと不安だけれども、何かできるわけでもないので放置です。キエフ軍管区出動集団はキエフ軍管区の直轄部隊ですが、この基地を管理しているのはキエフ軍管区治安維持局で向こうもキエフ軍管区の直轄部門ですから。

 

 

「第一中隊付空中軽偵察指導ウィッチ殿、おはようございます。お早いお出かけですね」

「せっかくの休日ですから、市街を楽しもうと思いましてね」

 

 駅の入場口で憲兵さんに挨拶します。憲兵さんたちは全員女性です。この基地に限った話というわけではなくてです。治安維持局の実働部隊は女性に限るという差別的規定の起源は大戦後に端を発しているものです。大戦時のお義父様の1派による救国統一戦線革命によってこの国は反革命と革命の2つの色が支配する世界へと変貌して形を何とか保つことに成功しました。そして戦後の問題は発展でした。まさにこの問題こそが2派の運命を決するものだったので、反革命保守派はその為にありとあらゆる譲歩を重ねて生産戦争を戦い抜きました。戦争……そう、戦争です。私たちは大戦から今日に至るまでずっと戦時体制を続けてきています。どちらかが滅びるまで終わらない戦争を。それが実戦ではなかったことだけがただただ幸福です。女性憲兵はその為の処方の一つです。

 生産戦争に可能な限りの男性労働力を振り向けるために保守派は妥協を重ねて女性を家から出すことにも同意しました。女性の解放を謡う革命勢力を打倒するための非常措置としての不承不承だったのですけれども……。そしてその表象は女性憲兵としても表現されたのです。共産主義に勝つためなら法の執行を女性に売り渡しさえしました。私有財産制と神への信仰を守るためにありとあらゆる譲歩を重ねた結果かどうかは分かりませんがまだ保守派はこの国の多数派としての自己を保全しています。ペテルブルク管区とモスクワ管区での敗北を経ても、なおです。

 

「次の出発はいつですか?」

「ご存知の通り私にはお答えいたしかねます」

 

 

 この駅は軍事的必要性により設置された駅ですので、乗客の見込みはほとんどありませんが運営されています。ですので私たちはこの路線が運輸局の新人研修場になってることも受け入れなければなりません。確かにそのおかげで頻繁に汽車が通っているので文句を言える立場ではないです。そのかわりとしていつ汽車が通るかどうかは利用者側にはさっぱりわからないんですけれども……。

 

「ご実家に帰れるなんて羨ましいですね。私、ヴィリニュスの出身なんで中々家に帰るのが手間取るんで、足が遠のいちゃってるんですよね」

「カールスラントですものねぇ。でも何でオラーシャで働いているんです?リエトゥヴァ人ならそっちで働いた方がお給料も高くて親孝行できたでしょうに。……え!?」

「私の家系はポルスカ系ユークラインでして、ユークラインに貢献しろって親に言われてなんとかここに潜りこんだんです。まぁ、お給料はともかく楽しい職場ですよ。食費も安いですし」

「書類は何時付けの承認になってます?」

「え~とっ、……今日の0時からの承認になってますけど、1時に効力差し止めの上でご実家への出頭命令が出てますけど、どうかしました?」

「私、それ聞いてないんです」

「そうなんですか、……まぁ、ご実家に帰れるんですから細かいことはいいじゃないですか。外出許可印は押しておきましたのでもう出てもらっても大丈夫です。それではいい旅を……」

「特大の土産でも期待しといてください……」

 最悪、部隊が消えますので。

「いえいえ、ただただ旅の安全をお祈りしておきます」

 そんな会話の後に駅を後にした私は加減速の下手な新人の操る外れ汽車で接続駅へと向かい念願のキエフ市街をただただ汽車の窓から眺めてキエフの郊外の実家へと流されていきました。

 




この話のユークラインはユダヤ人+ウクライナ人の設定です。
ユダヤ人に民族的悪口が集中しているのは皆さまご存知だと思うのですが、ウクライナ人にも狡賢いという偏見がありました。(赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941‐45)


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