目が開く。数瞬前に寝ていたとは思えないほどに意識がはっきりとする。暗い中手を後ろに伸ばし、アラームとして置いているスマホを手元に寄せる。
4:30
普段よりも1時間早く目が覚めてしまった。思った以上に体は正直だと改めて感じる。
11月6日
『ソードアート・オンライン』正式サービースの日であると同時に、この物語の全ての始まりの日である。
「あれ、お兄ちゃんもういたんだ」
背後から直葉の声が聞こえてくる。
「ってもう汗だくじゃん。いつからやってたの?」
すでに汗まみれの姿を見て驚いた様子。
一息つき、手に持った木刀を下げて汗を拭う。
「ああ、いつもより早く目が覚めちゃってな。二度寝も出来なさそうだったから、暇をつぶすがてら早めに振ってたんだ」
「いつも朝起きる時間が決まってるお兄ちゃんが早めに目が醒めるだなんて珍しいね」
と、意外といった表情を見せる。だが、何を思ったか一転してニヤニヤとした顔になった。
「もしかして、今日リリースされるっていうゲームが楽しみだったの?」
「まあ、な」
とこぼす。
やっぱり〜、と直葉は明るい声を出す。
「べーたてすと?に当たってからずっと、学校から帰ってきたらすぐやってたもんねー?稽古するのも朝以外やらなくなって、お母さんも心配してたんだよ?..........私もだけど」
そう、直葉の言ったように、俺は原作通りβテストに当選することができた。
これに参加できるかできないかではかなり差がつくと確信していたので、選ばれたときはもちろん嬉しかったが、それよりも安心が強かった。そして予てより計画していたように朝以外鍛錬の時間を削り、その分を全てβテストに費やした。さらに睡眠時間を4時間半に縮め、深夜一時まで攻略に没頭した。
体がまだまだ若いのもあって無理がきき、時にエナドリを飲みつつβテスト期間を走りきった。その甲斐もあってテスターの中では一番上の階まで行けたと思う。いや、
そうしてβテストを終え、生活サイクルを元に戻し、正式リリースの日まで変わらない形で過ごすつもりだったのだが、日が近づくにつれて心にかかる圧は増していった。なにせ、結末を知っているのに公表もせず、全てを己にのみ使ったのだから。 言ったところで誰も信じやしないと分かっていても、自分の利己的な精神を恨む。だが、その感情を喰らってでも成し遂げなければならないのだ。
「また難しい顔してる。ここの所ずっとそんな顔してるよ?大丈夫......?」
自分では表情に出していないつもりでも、どうやら気づかれていたようだ。
息を吐き、顔の強張りを緩める。
「心配かけてごめんな。今日から正式にプレイできる、ってずっと思ってたから最近眠れてないんだ」
はははっ、っと恥ずかしそうな笑みを浮かべる。
この反応に安心したのか直葉は頬を緩め、そして呆れたような視線を向けたのだった。
「やっほー兄ちゃん!」
そう言って元気な少女、木綿季が腹めがけて突っ込んでくる。
もう慣れたもので、体をわずかに動かしエネルギーを分散させながら優しく受け止める。
えへへ、と木綿季は腹に埋めた顔を上げ笑顔をこちらに見せてくる。頭をゴシゴシと撫で付けるとキャー!っと言いながらはしゃぐ。
こうして元気な姿を見ると安心する。両親の死をどこまで乗り越えているのかは本人たちしか分らないが、雰囲気は日が経つにつれて良くなっていると感じる。
「こら、木綿季。毎回毎回兄さんに突進しないの」
木綿季から視線を外し、顔を上げると目の前には木綿季を追いかけてきたであろう藍子もいた。同年齢でありながらも、もう姉妹関係は板についているらしい。少し怒った顔をしながらも、雰囲気は柔らかい。
そんな2人の姿に心が落ち着くと同時に、数時間後になれば数年顔を見られなくなると思うと後ろめたさが己を襲った。
2人を引き連れ未だ入院している両親の病室に向かう。聞く話によればそろそろリハビリに入れるほどには回復したようだ。
「あら、和人いらっしゃい。藍子と木綿季もね」
部屋に入ると母が出迎えてくれる。
「父さん、母さんおはよう。これ桐ヶ谷家族からの差し入れだから後で食べてね」
そう言ってベットのそばの机に果物などが入った袋を置く。
「いつも悪いな和人。桐ヶ谷さんにありがとうと伝えておいてくれ」
「分かった、伝えておく」
そう言うと母が手を一つ叩き、「そうだ。藍子と木綿季も後で一緒に食べましょう」
その言葉に藍子は慌てて首を振る。
「いえ、その、2人への物なので、2人で食べてください」
と遠慮する。
「いいえ、食べましょう。それにそんな遠慮しないの。みんなで一緒に食べた方が楽しいでしょう?」
「でも...」
まだためらう藍子。
そんな姉の袖を木綿季が引く。
「姉ちゃん食べよ...?」
そう言われてようやく藍子は折れた。
そんな光景を見て、まだまだぎこちない部分はあるものの、少しづつだが家族になろうとしていると両親や姉妹から感じ取れ、少し憂いが和らいだ。
もうこれで迷いは無くなった。そう呟いた。
早めの昼食をとるために帰宅する。家には日曜日でも忙しい峰嵩さん(直葉の父親)以外の翠さんと直葉がいる。
「おかえりなさい。姉さん元気だったかしら?」
リビングに入ると母の妹である翠さんが聞いてきた。
「話に聞いていた通り、もうそろそろリハビリができるみたいです」
そう言うとそう、なら良かったと笑みを浮かべる。
「ならご飯にしましょうか。今日の1時からだものね、始まるの」
よく知ってらっしゃる。
その後、道場から戻ってきた直葉を含めた3人で食卓を囲んだ。
これが最後の晩餐、いや午餐かと柄でもない例えを頭に浮かべながら、噛みしめた。
棚から鈍く光る球体を取り出す。まるでこれからのことを暗示させるかのように重さと冷たさが手に伝わる。
やることは全てやった。やってきた。ならばあとは全霊をかけてあの鋼鉄の城を駆け抜けるしかない。
恐らく脱出するには、すでに一般にも公示されている全百層全てを攻略するほかないのだろう。
正直なところ、このゲーム内だけでなく、今後に起こる出来事も結末に近ければ近いほど記憶が曖昧で、薄い。大事なことが抜け落ちたかのように。
だが、やるべきことは変わらない。
すべきことは変わらない。
ベッドに横たわり、ナーヴギアを被り、拘束具のようなハーネスを固定する。電子表示の時刻が目の前に映る。分数までしか読み取ることはできないがしかし、もう両手で数えられる程度の秒数しかないのだと分かる。すでに鼓動は静まった。
瞼が落ちる
音が消える
そして唇が僅かに揺れた
「リンクスタート」
甲高く、それでいて不快でない電子音が手に持つ剣から発する。刹那、体が決められたシステムに従って動き出す。
しかし、完全に身をまかせるのではいけない。己の考える形に持って行けるようシステムを誘導し、対象に向けて勢いを乗せる。
《
初歩的な技能でありながら、もっとも重要なシステム外スキル。これが出来なければ上層でも通用するソードスキルを放つことは出来ないと言っていいだろう。
体運びによって生み出された威力の乗った片手用直剣基本技《スラント》は対象であるフレンジーボアへ向けて一閃。
一瞬の硬直を迎えると、軽い破裂音とともにポリゴンが崩れ去り消え去った。その音はさながら死の断末魔、というべきものか。とても命が消えた音とは思えない。恐らく人、プレイヤーもHPが無くなればポリゴンの欠片となり散るのだろう。厳密には違うのだが、βテスト時はずっとソロで、なおかつ
そんな時、背後から声をかけられた。
「えーっと、ちょっといいか?」
考えに没頭していたためにその声に強く反応してしまい、勢いよく振り返る。その反応に驚いたのだろう。ギョッとした顔を浮かべた男性プレイヤーがそこには立っていた。
「あーわりいわりぃ。もうちっと考えて声かければよかったな」
申し訳なさそうにボリボリと頭をかいている。
その反応に慌てて弁明する。
「ああいや、こっちこそ過剰に反応したのが悪かった。ちょっと考え事をしててな」
こちらの火を詫びつつ話を続ける。
「それでどうしたんだ?何か用か?」
そう聞くと、おおそうだったそうだったと用事を思い出したようで要望を口にした。
「えーっとよ。もし迷惑じゃなければなんだが、オレにレクチャーしてくれねぇか?」
その言葉に少し驚く。一体どうしてこんな所で一人でいるプレイヤーに声をかけたのか。
少し訝しそうに彼を見ると、その表情に気づいたのか慌てて訳を言い始めた。
「いやいや怪しいもんじゃねえって。ただ、おめぇさんがログイン開始早々真っ直ぐフィールドに出て行くのをみてよ、こいつ出来るやつだって思って咄嗟に追いかけてみたらきれぇにソードスキルで敵をぶっ倒してるのを見たわけよ」
観察眼がいいやつだと話を聞いて思う。また、偶然見かけたのだろうがすぐに行動に移せる決断力もある。リーダーとかやってるのだろうと漠然と感じる。
断る理由は特になかったので了承の意を伝えると、「本当か!?ありがとう!」と嬉しそうな顔を浮かべたが、改まって姿勢を整えた。
「名前、言ってなかったな。俺はクラインってんだ。よろしくな!」
ああそうか、とその名を聞いて納得する。
そうか、あなたがクラインか。
文字列から滲み出ていた人柄は間違いでなかったと、直接話して思う。そのことがどこか胸に沁みた。
「俺はキリト。よろしくクライン」
伸ばされていた手を取り、固く結んだ。
仮想世界の太陽が地に落ちてゆく。世界は橙に包まれ、幻想的な景色が広がる。これから起きることを予感させないその空は、大地は、不気味なほど静かだった。
そんな中に1人の男の声が混じる。草原に体を預けると、疲労をにじませた呻き声を上げた。
「あー疲れた......難しいもんだな、仮想世界ってのは。実際に体を動かさねえといけねえから余計疲れるぜ......生身の体じゃなくて仮の体だけどよ」
フルダイブ初経験者であるクラインは、体の動かし方からこの世界のアイデンティティとも言えるソードスキルを覚えるまで数時間を要した。現実の体の動かし方とは少し違うというのもあって、その”ズレ”に慣れるのに一番時間がかかるのだ。適応できなければまともにモンスターと相対するのもできない。
「キリトはよう、こんくれぇ時間かかったのか...?」
自分が苦労したのだから誰かと共有したいのだろう。だが、今までのクラインの努力見ているととても言いづらい。が、言わない訳にもいかない。意を決して口を割る。
「あー、俺は、うん、初めから
その言葉にクラインは口をあんぐりと開ける。
「マジかよ............もしかして、噂の
「............」
クラインはキャパオーバーか、絶句した。
《
通称: HCと称されるそれは、フルダイブにてある障害が発見されたことで提唱された体質のことである。
その障害とは「フルダイブ
そんな障害あるのならばその逆もあるのではないかと考えられたのがこの《
それゆえ実際に自分がその体質であるか正式には分からない。だが、明らかに体の動きが現実と同じか、
「と言っても確証はないけどな」
「どっちにしろズレが元々ないなんてすげぇな、おい。それにβテスターで何よりプレイングスキルも高え。......オレよくそんな奴見つけたな......」
頭で整理ができたようで落ち着いたらしい。
小言でブツブツと呟いたかと思えば、あ!って叫んで立ち上がった。
「そういやオレ、5時半にピザの宅配頼んでたのすっかり忘れてたわ」
その言葉に目線を右上にずらすと、時刻は17:25を指していた。胸がどきりとなる。残り5分で、本当の意味での”始まり”が訪れる。
目の前でヤベェと慌てているこの男も、クリアされるまで現実へと戻ることは出来ない。
知っている自分と知らない他人。
その間には見えない線が確かに引かれていた。
「って訳でよ、そろそろ一度落ちるわ。ホントありがとなキリト!おめぇのおかげですっげぇ助かったよ。この礼はそのうちちゃんとすっからな、精神的に!」
そう言ってぐいっと手を突き出される。その手を俺は、掴まなかった。
「......いや、もう遅いんだ......」
「えっ、なんか言ったかキリ......」
世界に鐘の音が響き渡る
同時に目の前が青い膜に包まれ、視界は光で潰される。
その光が収まると、目の前は草原ではなく、石畳が敷き詰められた広場になっていた。
《はじまりの街》
この世界の”はじまりの街”
そしてこの後、絶望に包まれる場所である。
3月から再開すると言ったな、あれは嘘だ
というのも嘘で、空いた時間に少しずつ書いていて一話分出来たので投稿しました。スマホからの投稿なので、パソコンの方は見づらいかもしれませんが、ご了承ください。
また、本話は場面展開が多く、そう言った面でも読みづらいかもしれませんが、様々なキャラクターとの会話を詰め込みたかったのでご理解ください。
活動報告にてオリジナル設定や現時点での原作との相違点などをまとめて載せたものを本話投稿とともに記載するので、興味があればご覧ください。
※先日wikiの登場人物のリンクを見ると、主人公である桐ヶ谷和人の実の両親の名前が電撃文庫MAGAZINEに掲載された新章『ユナイタル・リンク』にて登場していたようなので、プロローグでの表記を変更しました。せっかく一から色々考えたものがボツになり残念ですが、原作遵守を掲げているので致し方ないです。
12月にはその新章が始まる新刊が出るようで、とても楽しみですねぇ。