Fate/Nilotpalagita Synopsis 【改訂版】 作:時雨
話を終えたアルジュナとシャストルラは、急いで広間に向かっていた。自分たちがいない間に、王族たちとの争いが悪化しているかもしれないと思ったからである。
しかし、二人の心配は広間に着いたとき、杞憂だったことを知る。何故ならば……。
「姫はあのバラモンが見事勝ち得たのだから、潔くそれを認めて、無益な争いは止めようじゃないか。このまま続けるのは、得策だと私は思えないからね」
浅黒い肌に、艶やかな黒髪を纏めているヤーダヴァ族の王、クリシュナが王たちを宥めていたからである。彼の言葉に
王たちが完全に去った広間は群衆たちの歓声が響き、人垣ができつつあった。人々が寄ってくる前に、カルナ、シャストルラ、ドゥリーヨダナの三人はサッと迅速に壁際に避難したのだが、アルジュナと他の兄弟と思われる二人のバラモンは避難をする前に、人波に呑まれてしまい、もみくちゃにされている。それを見たクリシュナは愉しそうに笑っており、ドゥルパダ王はアワアワと右往左往している。
「……人で、吐きそう」
ボソッと、そう呟いたシャストルラ。その顔は真っ青で、死人のような顔をしてる。元々、人混みに慣れていない彼女はあまりの人の多さに、気分が悪くなってしまったのだ。口に手を当てて、何とか耐えているが今にも吐きそうである。
「早くここから離れた方が良さそうだな」
「シャストルラ、耐えろ。ここで吐くなよ」
彼らにはすまないが、自分たちはさっさと退散しよう、とドゥリーヨダナは彼女の様子を見てそう判断した。心配したカルナが彼女の背中をさすり、「大丈夫か」と声を掛ける。それに対して横に首をふるシャストルラ。なるべく人がいない場所に二人は彼女を誘導し、出口を目指して歩きはじめた。歩いている間にも、人びとはアルジュナたちがいる広間の中央に押し寄せており、まるで津波のようだ。
シャストルラを気遣いながら人混みを避け、無事に出口に着いた二人だが、そこには、一人の炎の如く燃えるような赤髪と鋭い黄金の瞳をもった少年が仁王立ちしていた。その精悍な顔立ちは、どこか不機嫌そうである。
「友を迎えに来たのだが……。この騒ぎはなんだ」
「ラクタ……パク……シャ」
弱々しく、赤髪の少年の名前を呼ぶシャストルラ。名前を呼ばれた彼は、彼女の様子を見て一瞬、目を見開かせるがすぐに元の鋭い眼差しに戻った。
「無事か、と聞きたいところだが……。その様子では無事ではなさそうだな」
仕方がないなと溜め息をつきながら言った少年はドゥリーヨダナたちの方に歩みより、カルナの隣にいたシャストルラを
そんな彼らを暖かい目で見守っているカルナ。一方、カルナとは対照的に、俺たちは何を見せられているのだろうかと若干遠い目をしているドゥリーヨダナ。しかし、ふとシャストルラが呼んでいた少年の名前が
「ちょっと待て。“ラクタパクシャ”だと?」
ドゥリーヨダナは彼女を抱き抱えている少年をまじまじと見た。大空を掴む巨大な翼や、大地を抉る鋭い鉤爪も、目の前少年にあるはずもなく、どこを見てもただの人間にしか見えない。
その視線に気づいた少年もといラクタパクシャは、片眉を上げて意外だとでもいうように、ドゥリーヨダナの顔を見た。
「
「初耳だ。少なくとも、彼女はオレたちの前で神のことなど話さない」
「確かに、カルナの言うとおりだ。あいつからお前たちに関する話を聞いたことがない」
ほぅ、と興味深げに二人の話を聞くラクタパクシャ。なるほど。友が己たちのことを話していないとは、珍しいこともあるのだな。てっきり、話していると思っていたのだが……。疲れきって、いつのまにか寝てしまっているシャストルラの顔をチラッと見る。
もう少し、二人に話を聞こうと口を開くがピリッと彼の肌を刺す気配が近づいてくるのを察した。ヴィシュヌの
「己はシャストルラを連れていくが、御前たちはそのまま自分たちの足で帰ってくれ」
「何故そう急いでいる。何か火急の用でもできたのか?」
「いや、ちょっとな」
カルナの疑問にはっきりとは答えず、そのまま「じゃあな」と言って帰ってしまったラクタパクシャ。勿論、シャストルラも一緒だ。嵐のように去っていったラクタパクシャを見ながら、その場に取り残された二人はこんなことを思っていた。
(流石、神鳥というべきか。素早い速さで飛び去っていったな)
(そういや、あいつ。ラクタパクシャは来ないとか言ってしょげていたような……。気のせいか?)
遠く空に輝く、炎の煌めきを眺める。やけに長く感じた一日は、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。
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夕日が照らす黄昏色の空に輝く朱い神秘の翼が、一等星のように瞬き
そんななか、やっとのことで人垣から脱出することができたアルジュナ、ビーマ、ユディシュティラの三人はドラウパディーを連れて家路についていた。
一方、母親のクンティーは中々帰ってこない息子たちを心配して、気が気ではなかった。誰かに正体がばれ、それがドゥリーヨダナの耳に入り、彼の手にかかって殺されたのではないか。あるいはラークシャサに待ち伏せされて酷い目にあっているのではないか。そんな不吉なことが次々と彼女の頭のなかに浮かんでくる。
「こういうときにヴィヤーサがいてくれたら……」
彼らを守ってくれたのに。と呟くが、今ここにいない人物を頼ってもしょうがない。落ち着かなければと自分に言い聞かせるクンティーだが、心は乱れており、始終うろうろしていた。
それを見ていたナクラとサハデーヴァは心配して、早く兄たちが帰ってこないかと、しきりに外を眺める。
「母上、ただいま。遅くなってごめんね?素敵なお土産を持ってきたよ」
そこへ元気よく帰還してきた兄弟のうち、年長者のユディシュティラが入り口から声を掛けた。その声を聞いたナクラとサハデーヴァは飛び出すように彼らを迎えに逝くが、クンティーは人の気も知らないで、何を呑気なことを言っているのかと腹をたてて迎えに出もせずに……。
「あら、よかったわね。お前たちで
と、入り口から声を掛けてしまった。
それを聞いたビーマは「はっはっはっ」と豪快に笑い、ユディシュティラとアルジュナは苦笑いをしていた。ビーマの笑い声に何が可笑しいのかと門口に顔を出したクンティーは、目も醒めるような美しい姫を見て、口をあんぐりとさせ、大きな目を更に大きくした。
ユディシュティラは微笑みながら己の母親にその日の出来事を話して聞かせる。そして、アルジュナにくるりと体を向けて、こう言った。
「さぁ、アルジュナ。この姫は君が勝ち取ったものだ。母上の許しを得て結婚するといい。姫も、姫の父上も喜んで受け入れてくれるだろう」
「いや、それはなりません」
アルジュナは顔を強ばらせてユディシュティラに言う。もしや、一人の姫を分けれるはずがないと反論するのかと思いきや──
「順序として兄上がまず先に結婚するべきです。その次にビーマ、私、次いでナクラ、サハデーヴァというのが正しい在り方でしょう」
至極真面目な顔で、そう言いきった。ここは「着眼点はもっと別のところにあるだろう?!」というツッコミをするべきなのだろうが、悲しきかな。アルジュナ以外の兄弟は誰もそのことにツッコミを入れることはなかった。
「えー……。別に気にしなくてもいいのに、でも、アルジュナがそう言うのだったら、そうだね。」
ユディシュティラは暫く沈黙し、兄弟の顔を見たのち、決意したように、やおら口を開いた。
「僕らみんなの妻にしよう!」
そのとたん、全員の顔がぱっと明かるくなった。さすがは兄貴と笑ってユディシュティラの背を叩くビーマ。ナラクとサハデーヴァも喜んで兄様と言って、彼に向かって飛び付いている。
──その後、こっそりと後をつけていたクリシュナとバララーマ、そしてドリシュタドゥユムナによって、ドゥルパダ王が己の娘を勝ち取ったのがパーンドゥ兄弟と知り、王は喜んでドラウパディーを五人の兄弟の妻とすることを承諾した。
彼らの結婚式は盛大に行われ、それぞれ五人と五日にわたって結婚式取り行われた。その都度、ドラウパディーは花婿の周りを七度周り、妻となった。
ドゥルパダはパーンドゥ兄弟に十分な財宝、四頭立ての戦車、象百頭、美しく着飾った侍女たちを与えた。また、ヤーダヴァ族の王クリシュナより、様々な財宝、侍女、象、馬、戦車などが贈られ、ユディシュティラは喜んでそれらを受け取る。
こうして、パンチャーラの都で楽しい日々を送ったパーンドゥ兄弟とドゥルパダ王との盟約は固い基盤の上に築かれることとなったのだ。