ポケットモンスター虹 Butterfly Fragments 作:蝶丸蒾
休暇命令
ネイヴュ支部の廊下を、不機嫌そうな顔で進む少女がひとり。彼女の名はアルマ、元バラル団構成員という特異な出で立ちをもつ、ネイヴュ支部刑事課のガーディアンである。書類を胸元で抱え込み、何度目ともわからないため息を吐くと、青緑がかった灰色が揺れた。アルマが普段から感情の起伏が表に出ないことは、ネイヴュ支部内では広く知られている。しかし、現在の彼女は明らかに不機嫌なのであった。
遡るはつい10分前。アルマはネイヴュ支部支部長であるカミーラに呼び出されていた。
「用件が、見えないのですが」
アルマが支部長席に座るカミーラを見下ろしてそう口にすると、カミーラは机上に一枚の書類を置いた。アルマは黙ってそれらを拾い上げ、わかりやすく顔をしかめた。アルマの休暇取得状況の記されたそれは、明らかに好くないものではないことはひと目でわかった。
「よくもまあ、こんなに溜めてくれたわね」
カミーラの呆れ返った声がアルマに刺さる。アルマの休暇取得は2年前ーー雪解けの日から週に一度あるかないかまで著しく低下していた。バラル団による未曾有の襲撃事件、さらにはバラル団幹部イズロードの脱獄を許したあの日から2年が経ち、ようやくネイヴュも元の落ち着きを取り戻しつつあるところである。
「こんなに休んでいないのあなただけよ、アルマ」
「……はい」
カミーラが諦めの混ざった表情でじとりとアルマを睨めつけた。ひとつため息を吐く。
「貴女にとっても雪解けの日はとてもショックだったでしょうけれど、」
アルマが居心地悪そうに視線を逸らしたのを見て、カミーラはす、と立ち上がった。
「端的に言うわ。1週間の謹慎を命じます。ネイヴュの土地以外で休養して頂戴」
「それは……困ります」
「謹慎といっても要は休暇命令よ。……リンカから泣きつかれたら仕方ないじゃない」
ふとカミーラの口から後輩の名前が出たので、アルマは目を見開いた。直後に表情が抜け落ちたように、いつもの鉄仮面に戻る。たしかにーーたしかにこの半年ほど、リンカが常に「休んでください!」と言っていたような覚えがある。アルマ自身は仕事が嫌いではないし、何も考えずにいるのにちょうどいいためにあまり気にしていなかった。そのうえ、雪解けの日の後に入ってきた新たな後輩を見ていたら俄然やる気が湧いてしまったのである。
「身に覚えがあるようね。このままじゃ先輩が死んじゃいます! って泣かれたこちらの身にも分かってくれるとありがたいわ」
「休養命令は分かりました。……ただ私、ネイヴュ以外に帰るところがありませんので」
「貴女、養父がいるでしょう?」
そう言われて、アルマは口を閉じた。バラル団出身の彼女には、帰る故郷も頼れる両親もいない。カミーラが言う通り、団を抜けてからPGに所属するまでの面倒を見ていた養父だけが、アルマにとって唯一の保護者である。現在連絡を取っていないという点を除けば、であるが。
「父の手を、煩わせたくはありません」
ただ一言そう述べた。アルマの純粋な本心である。カミーラもその答えを予想していたか、さして反応もなく、そう、と呟いただけであった。
「ではオレントに派遣するわ」
「は? ……派遣?」
突拍子の無い発言に、再度アルマの鉄仮面が崩れた。オレントタウン。ネイヴュからそれほど離れていない、ポケモンリーグに用のないものにとって縁遠い小さな町である。アルマにとっては数少ない友人のいるという縁がある。そのような地に、いったいなぜ、派遣なのか。
「あなた出不精なのにじっとしていられないでしょ。ここ数日でバラル団の目撃情報が相次いでるのよ。何もなければいいけれど、何かあったら手伝いに行って頂戴な」
カミーラがアルマを見てくすりと笑う。バラル団、その言葉を聞いた瞬間、明らかにアルマの殺意がその場に満ちた。アルマはこの世で一番といっても過言ではないほどに嫌悪している。それは「両親を殺された」からではなく、「己の正義と反している」という理由からである。しかし、これらを鑑みて「PGとして申し分ない」と侮蔑の意を込めて言う人間がいるのも両者ともに知っている。
「わかりました。私の目の前を荒らすことは絶対に、」
「休暇を忘れずにね。宿は任せるわ、手伝い屋のご友人によろしく」
今まで以上とは違う芯のこもった返事に、カミーラが笑顔を浮かべた。対して、アルマは苦い顔を浮かべた。嵌められた、と気づいたのである。カミーラがアルマの友人のことまで把握しているとは思っていなかった。素直に敵わないのだと悟り、諦めて首を振る。
「期間はいつからです?」
「明日」
アルマは頭が痛くなった。あまりにも急すぎる。もはや友人だけでなくバラル団ですらダシにした思い付きではなかろうか、そんな考えが頭をよぎる。もうカミーラの中では決定事項であるだろうと思い、抗議するのは諦めた。
「準備する時間が欲しいのですが」
「あーそうねえ、もう今日の業務締めていいわよ」
「急ぎすぎでは?」
「うふふふふ。あとはリンカとフライツに任せなさいな」
あまりにも適当な上司の笑みに、胡散臭いとしか感じなくなっていた。はい、と新たに手渡された書類を抱えてアルマはため息交じりに敬礼した。
「……失礼します」
そう告げてアルマはカミーラに背を向ける。観音開きのドアノブに手を触れた、その瞬間。
「その前に。一つだけ聞かせてくれるかしら」
声をかけられ、上半身だけでふり返る。逆光によりアルマからはカミーラの表情がうかがえないが、その瞳には興味の色が浮かんでいた。
「なぜバラル団は貴女の正義に反するの?」
「……ポケモンとヒト、両方が共存しなきゃ、意味がないの」
「……そう」
では、とつぶやいてアルマは部屋を出た。
ばたん、と音がして、カミーラが椅子に腰かけた。ファイルから一枚の書類を抜き出して机上に置き、今までで一番重いため息をついた。アルマの位置からは見えなかった、机の陰でキュウコンが丸くなり眠っている。
「だって側近クラスなんだもの。許してね、アルマ」
書類の中には写真が添えられている。明らかに隠し撮りされたその中に、バラル団の服を身にまとった少女がアブソルの背に座っている。写真の下には走り書きで少女の身の上が記されていた。
『幹部ワースの側近、テア』