ポケットモンスター虹 Butterfly Fragments 作:蝶丸蒾
突然の休暇命令により、事務室で他のメンバーに事情を説明したアルマは、あまりの反応の淡白さに呆気に取られた。カミーラに泣きついたリンカは喜ぶよりも先に、「やっとですか! ずっと言ってたんですからね!」とぷんすかしていた。フライツは興味がなさそうに「土産」とだけ言い、ネイヴュ副支部長レイドに至っては、業務の締め作業をする前に「早く帰れ」と急かした。たまたま顔を出していたネイヴュシティのジムリーダー兼PG職員、ユキナリはその情景を見てにこにこと笑っていたが、アルマが「追い出されるみたいで気分が良くない」と述べると、ユキナリは真顔で「日頃の休み不足だろうね」とだけ言った。挙句の果てにはレイドがアルマを廊下へつまみ出して容赦なく扉を閉めた。
「……おぼえていなさいよ」
「文句は戻ってから言え」
表情には全く出ていないがーーアルマは落胆していた。誰か止めてくれれば良かったのに、と視線を足元に落とす。こうなったらオレントタウンへ向かう準備をするほかない。踵をかえそうとしたとき、閉じた扉が再び開いてユキナリが顔を出した。
「お、よかったまだいた」
するりと扉から出てきたユキナリは、壁に寄りかかるとにこりと笑う。
「先ほど、追加でオレントに派遣される人員がいるって聞いたんだけど、支部長から何か聞いてるかい?」
「いいえ。……追加で派遣って。私ただの仕事じゃないですか」
「ふふ。それで、人員のひとりがダーク・サイトの人間らしくてね。なんでもバラル団との二重在籍しているらしい。知ってる?」
アルマは頷いた。ひとりだけ心当たりがある。
「そんなひとが二人も三人もいないのならおそらく」
「そう。なら良かった。その人物が情報を持っているらしいから現地で落ち合ってほしいらしい。でもそのまえに」
アルマは首を傾げた。そのまえに、なんだろう。
「アルマは休暇なんだから、遊びに行きたかったら行っていいんだよ」
「……行く場所がないので」
「そうかい。それならご友人に同行するといいさ。外を見ておいで。ゲートはちゃんと通ってね」
ユキナリはそう言うと、じゃ、とひらひらと手を振って、事務室へと戻っていった。気を取り直したアルマも己の住処へと歩み始めた。
事務室に戻ったユキナリは、安堵の笑みを浮かべた。レイドがそれを見て顔をしかめる。
「アルマ、この二年で変わったね。少しわかりやすくなった」
「……俺たちが寄ったんだろう。あとは支部長に似てきた」
「はは。違いないね。口調とか……」
二人は思い思いの表情を浮かべて、仕事に戻っていった。
アルマの住処はネイヴュの居住区の最もはずれにある、おんぼろなアパートの二階にある。あまりにもはずれた場所にあるためか、二年前のゴルーグ爆弾ですら影響を及ぼさなかったほどである。毎日階下に住む大家のほんわかしたおばあちゃんが箒で周りを掃いていて、それは今でも同様であった。
「あらアルマちゃん、今日は早いのねえ」
「ええ……これから来週の今日まで、オレントタウンへ行くことになりまして」
「そうなの。アルマちゃんが出かけるの、なんだか久しぶりねえ。気をつけていってらっしゃい」
大家のおばあちゃんは、ほわんと笑うと再び箒で掃き始めた。もっとも、箒は初めから同じ場所を行ったり来たりしているのであるが。そのかわり、箒の周りを楽しそうにニャビーが走り回っている。決して悪い人ではないのだ、と思う。いってらっしゃいの言葉が、アルマにはなんだかくすぐったかった。聞きなれない言葉ではないのに。
8畳の部屋と簡素なキッチン、風呂、トイレと最低限の家財道具が置かれただけの、言うなれば「巣」であった。アルマはおもむろにモンスターボールをすべて取り出して、片っ端から開けていった。ぽんぽんぽん、と軽快な音が響く。現れたのは物心つく前よりの相棒・ラプラスと養父から授かった四体、ガブリアス、ロズレイド、ブースター、そして雪解けの日でキセキシンカを発現させたルカリオ。五体のポケモンはここがアルマの部屋だとわかると自分たちのお気に入りの位置へと駆けていく。アルマは箪笥から適当に服を引っ張り出して着替えると、次は部屋の端に置かれた埃の積もったトランクを部屋の中央に置いた。開かれたトランクにいち早く気付いたブースターがトランクの中へ駆け込んで、期待に満ちたまなざしでアルマを見上げた。遅れて気づいた四体がトランクを取り囲んだ。
「あのね。休みなさいって言われたの」
アルマはどこかたどたどしく、そうポケモンたちに言った。ラプラスがきゅるると鳴き、ポケモン同士で各々顔を見合わせた。ブースターの瞳がさらに輝く。
「オレントに行くの。ルシアのいるところ。……もしかしたら、仕事になるかもしれないけれど」
ガブリアスとロズレイド、ルカリオが嬉しそうに鳴く。ラプラスはふふん、と得意げな表情でアルマを見た。任せなさい、とこの姉のような相棒は伝えているのだ。
「ありがと。すぐに出るつもりだから、準備しなくちゃ。手伝ってくれる?」
五体はそろって頷いた。アルマは正直驚いていた。自分は休まなくてもいいやと思っていたのに、ポケモンたちはそうではなかった。こういう場面で、アルマは自分がバラル団の出身であることをふと考えてしまうのだった。もうほとんど覚えていないはずなのに、記憶の奥底に染み付いた思考はなかなかうまく離れてくれない。もう少し休みをとってあげればよかったな、そう思ったとき、ラプラスの額がアルマの頬にちょん、と触れた。
陽が傾き始めてきたころ。アルマはトランクと小さなポシェットを持ち、傍らにガブリアスを連れてネイヴュシティのゲートにたどり着いた。ゲートには数時間前に顔を合わせたユキナリがアルマを見てにこりと笑った。
「やあ、ちゃんと来たね」
そう言われて、アルマはす、と目をそらした。アルマにはゲートを通過せずにネイヴュシティの外に出た前科がある。仕事に関しては言うことなしとされるアルマだが、日常生活においては生きているのが不思議なくらいと称される程度には、多方面に生活能力が備わっていないのである。
「昔のことを……少なくとも二年は前です」
「仕事絡みだからでも、ちゃんと通過してくれるだけでありがたいよ。帰りもよろしくね」
「……そこらへんの子供じゃないんですよ」
アルマはユキナリを軽くにらんだ後、小さくため息を吐いた。久々の外出ゆえか、少し緊張しているのがわかった。外出者名簿の名前が少し震えている。これではアンノーンにもなれないかもしれない。少しだけ肩を落とした。まあ、外出は何事もなく受理されたのだが。
ゲートから一歩出てポケットから携帯電話を取り出し、ひとこと『今からオレントに行く』と書き込んだメールをハルクに送る。返信を待たずに、唯一覚えている番号を打ち込んで耳にあてがう。3コール後に、久しい友人の声がした。
『アルマちゃん? 急にどうしたの?』
チリーンのような澄んだソプラノがアルマを浄化していくようだった。アルマはひと呼吸おいて、こう告げた。
「あと三十分後くらいにオレントに行くの。もしよければ、」
部屋を貸してほしい。そう述べる前に、電話の向こうで友人がおにいちゃーんと呼ぶ声がした。一緒になってどったんばったん。そういえば彼女はアンラッキーガールだったっけ、そんなことをふと思い出した。
『あいたたた……。アルマちゃん、お泊りなら任せてね! ちゃんと三食おやつと寝床付きよ! どれくらいいるの?』
「あ……一週間。何を落としたの」
『んへへへへ、今日いただいたお菓子! ふふ、一緒に食べようねえ』
危機感のない返事に、アルマは少し呆れた。ただ同時に懐かしくも感じて、ふ、という吐息だけが出ていく。
『待ってるわ! だから、気を付けていらっしゃい!』
じゃあね、と声がしてぷつりと電話が切れた。ふう、と息を吐いてユキナリに向き直り、敬礼する。遅れてユキナリも敬礼をした。
「少しの間ですが、行ってまいります」
「気を付けて、行ってらっしゃい」
やはり行ってらっしゃいは少しむずがゆかったので、アルマは微妙な表情をしてしまった。隣で敬礼の真似をしたガブリアスがぐるると唸り、飛行態勢にはいる。アルマは手を伸ばして、ガブリアスの首をとんとんと軽く叩いた。
「頼んだよ、ガブリアス」
流れるような動作でガブリアスの背に飛び乗りると、ユキナリの目の前でガブリアスが飛び立った。ぶわ、と風が生み出され、ゲートの張り紙がはためく。
アルマはただ空を見上げていた。真っ青な澄みきったものではなく、西が橙に染め上げられた空。かつてバラル団の少女であったアルマが、どうしても行きたかった場所、自由、それらを象徴するかのような、ただひろい空。
「行ってきます」
遥か遠く見えるようになったネイヴュを見下ろして、アルマはつぶやいた。