ポケットモンスター虹 Butterfly Fragments   作:蝶丸蒾

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空旅と、再会

 茜に染まった光が、陽を浴びずにくすんでいたアルマの髪をきらきらと輝かせる。ガブリアスは久方ぶりの空を楽しむように、けれども主人を気遣うかのように穏やかに空を飛んでいた。ムックルの群れが近づいては離れてゆく。ヤミカラスが夜の訪れを告げるように鳴いている。アルマが光の方角に目を向けると、橙色の太陽が今まさに水平線と交わらんとしていた。

 空の世界は平和だ。アルマは思わず目を細めた。

 「ガブリアス」

 ふと呼ばれたガブリアスが小さく応える。アルマは太陽から目を離さずに続けた。

 「空は、こんなにも穏やかだった」

 ガブリアスは嬉しそうに目を細めて、おもむろに高度を上げた。アルマの見える世界が広がる。遠くには今向かっているオレントタウンが見える。眼下にはにはぽつぽつと明かりが灯り始めた、さまざまな文化の交わる街シャルムシティが見える。テルス山の山頂はネイヴュと同じ白をしているのがわかる。テルス山の向こうにはラフエル一の大都市ラジエスシティが輝いている。

 この空旅は、アルマにとって雪解けの日以降初めての空なのだ。久しぶりに見る景色の壮大さに、アルマは圧倒されていた。ガブリアスがどうだ、と言わんばかりに得意気に吠えた。

 

 ーーそういえば、この景色を見せて欲しかったんだ。

 

 アルマの心にぽつりと雫が落ちて、波紋が広がっていくような気がした。

 

 

 アルマが五歳になる一週間前、バラル団から離れるその直前まで、両親に外へ行きたいとよく喚いては困らせていた。周りの目も気にせず、時には当時の師であった幹部ハリアーや周りのバラル団やポケモンを巻き込んでまで、わんわんと喚き続けた。三歳の時に一度バラル団の外に出ただけのアルマは、外が恋しくて仕方がなかった。宥めるラプラスに八つ当たりをした時は、これ以上ないくらいに母に怒られた。

 「ラプラスと喧嘩したらダメじゃない。ポケモンは言う事を聞かせるモノじゃないの」

 母の口癖だったな、とアルマは反芻する。幼かったアルマはそのあとぎゃあぎゃあとさらに喚くのだ。いつだったか、落ち着いてからこう問うたことがある。

 「どうして外に出ちゃダメなの」

 両親の表情が強張ったのを覚えている。父は黙って首を振った。母は真剣な表情でこう言った。

 「あなたにとって外はまだ危ないわ。あなたが大きくなったら……そうしたらきっと行こう。そのときは空でも飛んでみようか。外を見て、それでも外に行きたいなら」

 「行きたいなら? パパとママも一緒に外に行ってくれる?」

 「いいえ。そのときはあなた一人でいきなさい。パパとママのことは忘れるの」

 そう言った母がとても寂しそうに笑ったので、アルマは驚いて喚くことも忘れてぽかんとしてしまったのだ。ーー今でも覚えている。両親の顔と声以外は。

 

 結局、両親はもう一度アルマを外に連れ出しただけで帰らぬ人になってしまったし、ひとりで生きることになってしまった。もう思い出とラプラスしかアルマには遺されていない。……呪いのようで、アルマはあまり考えないようにしていたのだが、ふいに思い出してしまった。深呼吸をひとつ。オレントタウンが間近に迫っている。高度を下げ、着陸準備をするガブリアスにしがみついた。ガブリアスが少し温かく感じて、アルマは目を瞬かせた。手が冷えていることに気づかなかった。

 

 

 オレントタウンの入口に、ガブリアスがゆっくりと降り立つ。アルマがトッ、と軽い音を立て着地し、飛ぶ前のようにガブリアスの首を軽く叩いた。

 「ありがとう。休んで」

 グウ、とひとつ鳴いてガブリアスをモンスターボールへと戻す。少し離れた場所から、ざり、という音がして顔を向けた。

 「お、まえ」

 肩で息をする青年がそこにいる。アルマよりも鈍い灰色に鮮やかな緑のヘッドバンドと、同じ色の目尻の下がった瞳。傍らにはヘルガー。

 「連絡するのが、遅すぎるんだ、よ」

 青年はがくりとその場に膝をついた。見間違えるはずもない。バラル団を離れたアルマに一番初めに手を差し伸べた、兄のような、それにしては少し頼りない人物。

 「ハルク」

 名を呼ばれてハルクはバッ、と顔を上げた。オコリザルのような表情だ。

 「なぁぁぁにがッ、『今からオレントへ行く』だよッ! ……2日前までに言えって前から言ってるだろうが」

 「……走ってきたの?」

 ヘルガーがアルマにゆっくりと近寄り、手の甲に鼻を擦り付けた。主人と代わってすました顔をしている。

 「ラジエスから帰る途中だったんだよ。道を曲がる前だったからな」

 ラジエスシティからオレントタウンは6ばんどうろという一本道が南北につないでいる。ハルクが住んでいるのはラジエスシティからテルス山を挟んだ東側に位置しているサンビエタウン。ラジエスシティからサンビエタウンへ行く道には、テルス山を南から迂回するルートと、6ばんどうろを途中で曲がり北から縦断するコースがある。そのコースに入る前からオレントまでは、男性の脚で向かうには走ってもたどり着くかが怪しいが。それ以前に、ハルクはアルマのガブリアスのような、空を飛べるポケモンは連れていない。……ハルクはテルス山を超えるつもりだったのだと気づいてアルマは呆れた。

 「……変わらないね」

 「ハッ! うるせ。おまえも……いや」

 ハルクは一度口を閉じてアルマをつま先からてっぺんまで見つめた。そしてヘルガーと目を合わせ、短く嘆息する。

 「 おまえは変わったな」

 真面目な顔でハルクがそう述べたので、アルマは狼狽えた。雪解けの日以前ーーアルマが15歳のとき以来2年ぶりの再会であり、変わらないわけがないのだが、アルマは自分が変わっただなんて思っていない。

 「身長はそんなに変わらないのだけど」

 「あー……えっと、そういうのじゃない。パッと見は……大人に、おまえのお袋さんに似てきたなって、あと」

 アルマは目を少し見開いた。アルマの母。まさかこの場面でこの言葉を聞くとは思わなかった。ハルクは『外』に出た後の知人のなかで、生前のアルマの母を知る唯一の人物である。まあそれも、彼女が息絶えるまでのたった数分の時間であるが。

 「なんか雰囲気が柔らかくなった? 前に戻ってきたっていうか」

 「……そんなつもりは、ないのだけど」

 アルマがふいと顔を逸らしたのを見て、ハルクはにかりと笑った。大股でアルマに歩み寄ってぐしゃぐしゃと輝く髪ををかき混ぜる。黙ってアルマがハルクの手を振り払った。

 「そんなことより。最近オレントでなにか変わったことはない?」

 アルマはハルクに向き直って問うた。ハルクは苦い顔でアルマを見下ろして、うへぇと声を漏らした。

 「おまえ休みじゃないのかよ……?」

 「休みだけど。色々あってオレントに派遣中かつ警備要員になった」

 「はぁ……ご苦労なこって。変わったことなあ」

 そう言うとハルクは顎に手を当てる。そしてあぁ、と呟くとオレントタウンの中の方を指指した。アルマが首を傾げる。

 「いくつかな。歩きながら話そう」

 

 「バラル団の目撃情報があったんだっけ? 俺は見てないが」

 「そう。だから警戒してる。もし何かあったらハルクにも手伝ってもらうから」

 さらりとそう言われてハルクが心底嫌そうな顔をした。アルマは知らぬ振りをしたまま歩みを進める。

 「おま……俺一般人だぞ……」

 「私だって非番。謝金くらい出すでしょう……イッシンおじさんが」

 「そこで親父を出すなよ……」

 「失礼。イッシン教官長兼保安部第三課副課長殿が」

 アルマが淡々と述べているのを横目にヘルガーが自慢げに吠える。ハルクが大きくため息をついて、……もうひとつ大きくため息をついて不意に前方を指さした。

 「もうひとつの異常だが」

 アルマがつられて前を向く。オレントタウンの中心となる広場の景色がそこに広がり、その向こうに目的地となるルシアの手伝い屋が見える。見える……のだが。

 「数日前からこの有様だ」

 アルマは呆然とそれらを見た。さすがにこの事態は想像していなかった。噛み締めるように、それらの名を呼ぶ。

 「ドードー」

 アルマとハルクの目前にあるもの。

 

 ドードーが、オレントタウンの広場に溢れていた。

 

 「どうして街中にドードーが大量発生してるの?」

 「やっぱ自然発生じゃないだろうなあ」

 「……だれも通報してないの? オレントのPGは何やってるの……」

 「バラル団の目撃情報でそれどころじゃないんだろうよ。行くぞ」

 ヘルガーが先導切って広場の向こうの目的地へと歩き始めた。周囲を睨みながら歩く彼女に近づこうとするドードーはいない。いや、それ以上に。

 「人馴れしてるんだよ」

 ぽつりとハルクが呟いた。アルマも頷く。どの個体もふたりと一体になど目もくれず、各々の足元をつついている。ご自慢の脚を使うものなどどこにもいない。

 「適当に『解放』されたか……」

 「この場合、『解放』じゃなくて放棄だな」

 「『解放』された場所から人が出ていけばポケモンの住処になる。順番なんて気にしない輩もいるの。腹立たしいことにね」

 ハルクはちらりとアルマを見下ろす。表情が読めない顔のアルマは、その場で立ち止まって目の前の建物を見上げた。黄色く塗られた壁に白いドア。二年ぶりのルシアの手伝い屋である。玄関ポーチの上のリーシャンが身体を揺らして来客を告げた。

 

 ◇

 

 「悪いことは言わないから、一週間、ここに来ないで」

 ルシアがそう言うと、彼女は悲しそうに顔を伏せた。切りそろえられた短髪が揺れる。

 「ごめんね。でもアルマちゃんに会って欲しくないの。あなたのこと、誰かに言うつもりもない」

 「どうして」

 「人とポケモンが分かり合えるのに、人と人が分かり合えないなんて悲しいこと、信じたくないもの」

 今度はルシアが顔を伏せる番だった。リーシャンが外で声を上げて、ハッ、とふたりは顔を上げた。ルシアが彼女の手を引いて、急ぎ足で裏口へと導く。音を立てないように扉を開けて、半ば強引に彼女を押し出した。

 「足が悪いのに引っ張ってしまってごめんなさい。でもお願い、今は早く、他のところへ」

 ルシアが彼女と目を合わせる。これから来る友人とさほど歳も変わらないだろう彼女は、悲しそうにルシアを見た。

 

 「またね。テアちゃん」

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