ポケットモンスター虹 Butterfly Fragments 作:蝶丸蒾
陽はとうに沈んでしまった。明るい星が空に浮かび始め、ちらちらと瞬いた。西空の端の橙が薄れていき、雲が金と紫に染まる。ネイヴュと違い、気候は穏やかで昼間は暖かいとはいえ、さすがに日が沈めば肌寒くなる。遠くの山でドンカラスが鳴くのが聞こえる。アルマの視界の端で、ゴーストタイプややみタイプのポケモンが姿を現し始めた。
ハルクがドアに拳を寄せた。手首のみで軽く二回ノックする。ドアの向こうから高く澄んだ声ではぁい、という返事が響く。すぐさまばたばたという足音がかなりのスピードで向かってくる。一緒になにかがぶつかったり、落ちた音がするのだが、足音の主はその程度では止まらないようで。やっとドアの前で足音が止まると、ハルクはドアから四歩後退した。アルマもつられて数歩下がる。ふたりとも彼女が起こす行動の大体の予想はついている。やがて、金髪の少女がポニーテールを揺らし、満面の笑みで飛び出してきた。ハルクの目前をドアと少女が通過していく。
「アルマちゃんいらっしゃ……あぁっ!」
あまりにも見事な流れに、アルマは感嘆の声を上げそうになった。今ちょうど飛び出してきた友人の頭が、自分の足元にある。綺麗な金髪の小さな頭の上で、金色の丸いそれが楽しそうに身体を鳴らした。リーシャン。屋根の上のリーシャンがちょうど頭に着地して、驚いた少女が転んだ、ただそれだけのこと。
アルマは片膝をついて、リーシャンを両手ですくいあげた。
「ひさしぶり、ルシア。相変わらず」
「うう。変わりたかったのだけど」
ルシアが土の上でぐっとこぶしを握る。アルマが立ち上がると、ルシアも服の汚れを払いながら立ち上がった。咳ばらいをひとつ。
「えへん、改めまして。ひさしぶり、アルマちゃん。いらっしゃい」
屈託のない笑みを浮かべる。空よりも海に近い、深いけれど澄んだ色の蒼が、すっと細められる。ふっくらとして血色の良い唇が綺麗に弧を描いた。アルマも少しだけ表情を緩めた。
「うん。お世話になります」
再会を分かち合う二人を眺めているハルクのそばに、一人の青年が並ぶ。ルシアの金とは反対の、ハルクの灰よりかは輝かしく、アルマの澄んだ銀よりは鈍い、灰とも銀ともつかぬ色の、ひとつに結ばれていても背まである髪がさらりと揺れた。妹と同じ深く澄んだ海の色が、端正な顔立ちのきりりとした目に埋まっている。腕を組んだ青年は、二人の少女を見ながら薄く笑みを浮かべた。
「随分と、嬉しそうだな」
「おまえもそう思うか、クレランス?」
名を呼ばれた青年――クレランスが首を横に振った。
「おまえのことだよ、ハルク。僕が言ったのは」
「そうかあ?」
ハルクは気にも留めず、けらけらと笑う。
「アルマ、遠いところおつかれさま、中へいらっしゃい。部屋は用意できているから。……ルシアも、客に外で話をさせるんじゃない」
「はあい、ごめんなさい」
「クレア。ひさしぶり」
クレランスは小さくうなずき、家の中へ戻っていく。ハルクがそれに続いた。
「俺の部屋は?」
「おまえはソファで十分だろうが」
「クレアのけちぃ」
「ハルク、どこでも寝られるからね……」
アルマは冷めた目で2人の青年を見送ると、ルシアは苦笑いをした。ルシアがリーシャンをアルマから受け取ると、玄関ポーチに向けてリーシャンを差し出す。リーシャンがぴょんと飛び乗ると、機嫌良さげに鈴の音を振りまいた。
「あのリーシャン、二年前にはいなかった」
「あそこに住み着いちゃったのよ。来客を告げてくれるし、好きにさせてるの。時々木の実もあげるのよ」
そう言うと、ルシアはアルマの手を取って家の中へ歩んでいく。アルマははたと、あることに気づいた。
「背、伸びたね」
「そうなの! ……でもアルマちゃんには届かないなあ」
残念そうにルシアが言うので、アルマは視線を足元に下ろした。
家の中は暖かった。玄関の目の前には手伝い屋を使うためのトレーナー用のカウンターがあり、その後方の事務室に続く扉が少し開いていた。アルマは左側に顔を向けた。玄関の対角に暖炉があり、ちろちろと火を抱えている。暖炉の前で、クレランスのウィンディとロコンが暖をとっている。アルマがブースターをモンスターボールからリリースすると、ブースターは一直線に暖炉の前へ混ざりに行った。離れたところにいたヘルガーが、遅れて混ざりに行く。
暖炉の前のテーブルを囲むように、ソファが壁に沿って並んでいる。そのひとつで、ハルクが己のもののように身体を投げだしていた。
「俺しばらく部屋借りてねえよォ」
「ほう。金がないのによく言う」
クレランスがぱちん、と指を鳴らす。のそりとウィンディが起き上がり、そのままハルクをソファから引きずり下ろした。アルマはそれを見て、ルシアを手招きで呼び、必要な分のお金を入れた封筒を手渡した。ルシアはびっくりして首を振る。
「もらっておいて。この二年、ろくにお金使ってないの。心配はいらない」
封筒を返そうとおろおろするルシアに、アルマは言い加えた。
「もしそれでも貰えないって言うなら、そのお金でハルクの部屋でも用意してあげて」
ハルクがぎょっとした顔でアルマを見た。クレランスが冷めた目でハルクを見下ろす。ルシアは少し悩んで、頷いた。
「わかった。ハルクの部屋を準備するわ」
「さすがに情けないな」
「いやいやいや待てよクレア。アルマおまえ、どういうつもりだよ」
アルマは真顔で、ネイヴュの雪のような冷たさで、ハルクを見つめ、こう告げた。
「前払い。仕事はしてもらうから」
「ヒエ……」
ハルクは負けた。
◇
「俺ガーディアンの仕事したくねぇよぉ」
アルマはソファに座り、うだうだと文句を言うハルクを眺めること10分ほど。背後のキッチンでは兄妹がせっせと夕食の準備をしていた。
「アルマはキッチンに入るな」
クレランスから綺麗な笑みでそう言われてしまったので、アルマもソファに沈むほかなかった。両腕で膝を抱えて、ぼうっとハルクを眺める。
「大体どうして俺なんだ。クレランスでもルシアでもいいだろう」
「戦える一般人より戦えるPGの身内の方が楽だから。ハルクはPGが何たるかを分かってるから、特に向いてるし」
ハルクがすっと顔を上げた。顔に苛立ちが表れている。暖炉からハルクの傍に戻ってきたヘルガーも、不快そうに唸った。数分前にリリースしたアルマのラプラスが、きりりとハルクとヘルガーを睨む。
「俺はガーディアンになる気はねぇよ。ガーディアンになるための親父の特訓も、いつのことだと思ってんだ?」
「悪かったとは、思っているよ」
珍しく、アルマが泣きそうな顔をした。ハルクはぎょっとしたのか怒気を引っ込める。慌てて身体を起こしてアルマに向き直る。
「悪い。アルマを責めたつもりじゃない」
あまりに焦っている表情をしいたので、アルマはかえってぽかんとした。無意識だった。
オレントタウンで2人が再開した時にも言っていた通り、ハルクの父イッシンはガーディアンのひとり。ポケット・ガーディアンズ教官長兼保安部第三課副課長という長ったらしい肩書きの持ち主だが、一言で言ってしまえば「少年少女を相手にする」PG。アルマと出会う前のハルク少年は、父に憧れ、いち早く立派なPGになるべく、父に特訓してもらっていたらしい。――アルマと出会った一件で、その夢は潰えてしまったが。
アルマは気を取り直して再度口を開く。
「ルシアとクレアにも勿論協力してもらう。でも正直なところふたりは……クレアはともかく、ルシアは戦闘向きじゃない。それに」
「それに?」
「私が1週間ここにいる間に、何か起こると決まっているわけじゃない。だからふたりはここから他所へは動かせない」
ここから他所へは動かせない。その言葉で、ハルクは今アルマが皆を駒として見ていることに気がついたのだろう。弄ぶ為のものでは無い。戦の為の。すっ、と血の気が引き、身震いをした。
アルマは静かに殺意を湛えていた。
パチパチと、暖炉の火の音が部屋に響いた。数秒の後、ハルクは肩をすくめてため息を吐く。
「おまえって時々、すごい方向に矛盾するよな。……それで? 俺は何をさせられるんだ?」
「万が一のときに先手を打ちたい。バトルに実力がある人をオレントに集めてほしい。アテはあるでしょ?」
ハルクが頷く。ハルクはラフエル地方だけでなく、他地方にも足を運ぶポケモントレーナーだ。かなり顔は広い。
「できればすぐに駆けつけてくれる人がいい。でも何人か常駐させて。ここを使わせたい」
「……客を入れて、稼ぎで返すつもりか」
「あたり」
ハルクがにい、と笑う。いつの間にかヘルガーとラプラスは大人しくなっていた。
「おう、やってやろうじゃねーか」
「PGも何人か人員をくれるらしいけど、用心するに越したことはないでしょ。バラル団の動向はこちらで確認するから」
アルマが携帯端末を確認して、おもむろに立ち上がった。ハルクが訝しげに見上げる。
「でもよ、そこまで用心する必要あるのか?」
「私がここに派遣されてるってことで、十分じゃない?」
アルマはネイヴュ支部のPGだ。通常ならば派遣業務などありえない。ましてや得意な出自と並々ならぬ正義への執着心を持つのがアルマだ。……ただネイヴュからの人員が必要ならば、リンカでもいい。バラル団に対してのみならば、復讐に燃えるフライツでもいい。戦力が必要ならば、それこそジムリーダーであるユキナリでもよかったのだ。わざわざネイヴュに引き篭ったままのアルマ以外でも良かったのだ。……ならば、きっと理由があるはずだと、アルマはそう考えている。
アルマは携帯端末を操作して、新着メールを開く。送り主の名ははジェイ。アルマが二、三度会ったことのある、PGのダークサイト、いわゆる暗部に所属する青年だ。宛先には他に数人のアドレスが記されている。
『明日十時、オレントタウンのポケモンセンター2階会議室に来られたし』
一文のメールの次に、再び新着メールが表示される。他の宛名のない、しかし同じような一文のメール。
『休暇であれど、努々油断することなかれ』
「どうした?」
「仕事の連絡。……困るな、休ませる気ないみたい」
「のわりに困ったようには見えないし、休む気にも見えないが……イテッ」
返事をしないアルマの代わりに、ヘルガーがハルクの腹を鼻先でつつく。アルマの背後でため息がひとつ。
「アルマは仕事人間だから仕方ないだろう。……さ、話は食後にしよう」
キッチンから、トレーを持ったクレランスが顔をのぞかせる。ふわりと漂う、美味しそうな香り。クレランスの脇から、そろりとスプーンを4本持ったルシアが出てきた。
「ルシアは配膳禁止だからな、アルマ、手伝ってくれるかい」
アルマが頷いて、携帯端末をテーブルに置いた。黙ってハルクも立ち上がる。ルシアはニコニコとそれを見ていた。
◇
食器の片付けられたリビングで、4人は向かい合わせでソファに座る。食後で眠気がきているのか、クレランスはあくびを噛み殺した。アルマによる事情聴取が彼の日課である食後の睡眠を妨害しているが、文句は言わない。早く終わらせようという気持ちが表情に出ているが。
「バラル団? 見ていないわ」
「僕もだ。……目撃があったのは聞いているが」
アルマは兄妹の答えを聞いて顎に手を当てた。目線をクレランスへと向ける。
「どこで? 誰が?」
「わからない。見た、と聞いただけだ。誰かもわからない。ここは人の流れるところだから」
アルマは唸りながら頭を働かせる。たしかに、オレントタウンはラジエスシティから北上してきた人々が、東のシャルムシティまたは西のルシエシティ、さらにはその先のポケモンリーグへと流れる地である。ゆえに住人はそれほど少なくても、よそ者に排他的ではない。――誰が見ても気にしないし、誰がいるかも気にしない。オレントタウン以外の人物からの通報であったなら、その人物を見つけるのは困難だろう。
ふと、あることに気づいて再度兄妹に問う。
「外のドードーはいつから?」
ルシアが、えっと、と考え込む。
「二日……いいえ、三日前かな。朝には既にいて」
「そんなに急に現れたの? 地鳴りはした?」
ドードーは時速百キロで走るという。あれだけ大量のドードーが急な移動をしたとしたならば、地鳴りがあってもおかしくはない。アルマはそう考えて疑問を追加したのだが、ルシアは首を横に振る。ハルクの眉間に皺が寄った。
「さっぱりわからん」
「もういい。考えてもわからないから、捕まえればいい」
お手上げとでも言う様にアルマが言い捨てた。元より、アルマは頭を使うのはそれほど得意ではない。ハルクが冷ややかな視線をアルマに送る。ルシアは困って眉尻を下げた。
「PGでも明日から一週間、警戒を強めるつもり。何かあったら協力を頼みたいの。……ルシア」
名を呼ばれたルシアがアルマに向き直る。アルマは少しだけ口の端を上げた。
「プレ任務、行けるよね?」
プレ任務。PGになりたいルシアにとって、その言葉は大きい。すぐに顔をほころばせて大きく頷く。
「もっちろん! まかせて!」
「お願い。……クレランス。貴方には後援をしてほしい。」
「……僕が後援向きに見えるかい?」
クレランスはそう問うた。アルマは黙って否定する。クレランスのバトルスタイルは一点への火力集中型だ。支援が得意なタイプではない。むしろルシアの方が後援向きなのだ。自覚している分、クレランスの疑問は最もだった。アルマもそれは理解している。
「その場のポケモンを動かすのなら貴方以上の適任はいない。……野放しのドードーを」
「操れと? あの数を?」
アルマが首肯する。ハルクが隣で大きくため息を吐いてがくりと肩を落とした。ルシアはぽかんと口を開く。
「無茶苦茶言いやがる」
「三割でもいい。動かせればそれで。……そういうことも考えておいてほしいの」
アルマが三人の顔を見回した。
「おそらくだけど。もし本当にバラル団が強襲を仕掛けてきたら、ここは防衛戦になる……オレントを制圧する理由はあっても、ここを最終目標にするメリットがないから」
「防衛戦!? どうして」
「驚くことではないさ、ルシア。オレントタウンは三つの街を繋ぐラフエル地方の北の要所だ。東のシャルム、西のルシエ、南のラジエス。そしてそれらの先のネイヴュ、ペガス、リザイナ、あとは」
クレランスの言葉を聞いて、ハルクが顔を上げた。
「ポケモンリーグか……!」
アルマが頷く。一気に緊張感の高まるなかで、クレランスが再度口を開いた。
「よそなら道の交わる場所は栄えやすいのだが、オレントでは例外だ。だからメインの狙いにはならないだろうと。……まあ、栄えさせるには簡単だろうが」
「ええとええと、それって、もしも襲われても、ここはバラル団にとって突破すべき地点になるってこと?」
ルシアが困った顔で疑問を口にすると、アルマは頷いて、賢いね、と呟いた。
「陽動か、制圧か、それ以外か。わからないけど、用心に越したことはないからね。……もっとも、支部長の勘はなかなか外れないから……」
沈黙が4人を包み込む。アルマは軽い頭痛を覚え、ハルクはアテを探し始めたのか指を折り数えだし、ルシアはこれから起こるかもしれないことへの不安と仕事への期待で複雑な表情を浮かべた。クレランスが何度目かのあくびをする。
「……まあ、なんだ。明日から考えよう。僕は眠い」
「……うん、まだ早いけど、そうね。明日にしましょう」
兄妹はそろって立ち上がり、休む準備をするために奥の部屋へと姿を消していく。リビングにアルマとハルクがぽつんと残された。ハルクが伸びをして、俺も行くかぁ、とつぶやく。
「ハルク」
不意に呼ばれて、隣の銀髪を見下ろす。膝の上に乗せられた拳が強く握られている。表情はうかがえない。ハルクは返事をしないまま、次の言葉を待つ。
「私は今回のこと、どの幹部が関わってるとか、そういうの、一切聞いてない。でも、もし。……もし、幹部が……ハリアーが現れたら……」
銀髪が、肩が、声が、小さく震えている。
「そのときはどうか、私を止めないで」
ハルクは頷いて、ただ黙ってリビングをあとにした。