特異点・カルデア 【世界を救えなかった少年の話】   作:トクサン

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無白

 そうだ、僕には救いたい人がいた。

 

 随分長い事旅をした、共に戦った仲間達。僕の隣には常に誰かが居た気がする、眼鏡の似合う――そう、穏やかで、優しくて、常に正しさを胸に抱いた、大切な誰か。

 僕を守ってくれたその人の背中を良く憶えている。

 彼女は大きな盾を持っていた、その盾で常に僕の前に立ち、どんな攻撃も、苦難も防いで守ってくれていた。

 

「大丈夫です、先輩」って。

 

 笑って、最期までそう言ったんだ。

 僕は――僕はその人を、忘れてはいけない気がするんだ。

 あれは――そう、あれは、確か。

 僕の。

 

 僕の大切な――大切な人。

 

 

 ☆

 

 

「アァァァアアぁぁああ―――あぁアアアアッ!!」

 

 心は鋼だ、決して折れる事のない鋼。

 幾多の傷をその身に刻みながら決して折れず、曲がらず、壊れる事を良しとしない鋼の心。それはあらゆる苦難と困難を乗り越え、この場所まで僕を運んできた。

 魔力も力もない僕が唯一誇れる武器、それがこの心。

 精神の在り方。

 

 それが無残にもボロボロに、ズタズタに。

 破壊されてしまった。

 

「あぁ、ァアアアッ! マシュっ、マシュッ! 嘘だ、あぁ嘘だ、嘘に決まってるッ! あぁ、クソ、クソッ! ロマニ、ロマニ居るんでしょう!? 何とか、何とかしてくれ、マシュがッ、マシュがぁアァアッ!」

 

 叫びながら地面を転がって喚いた。

 何でも出来る訳じゃない、僕は天才のレオナルドとは違う。ただの凡人で『たまたま最後のマスターになってしまった』というだけの男だ。唯一の武器だと豪語する鋼の精神だって――最初から持ち合わせていた天の才じゃない。そうする事でしか身を守れなかったから身に着いただけの急造品だ。

 

 場所は割り振られた自室、マスターの部屋。

 そこは暗く、明かりが無い。辛うじてベッド近くのライトスタンドが点滅を繰り返しているが、拉げて地面に転がったソレが放つ光は余りにも弱弱しい。恐らく僕の仲間がこの部屋の惨状を見たら驚くだろう。ベッドのシーツはズタズタで、飾ってあった花瓶やら植物やらは地面に散乱している。

 そこで皺くちゃの服を着た僕が暴れて、喚いて、扉を叩いていた。

 本来の主である僕の命令でも扉は開かない、殴っても、カードを翳しても同じ。何故なら此処を閉ざしているのが天才レオナルドダヴィンチだからだ。彼女――いや、彼の命令で今現在、この部屋の周辺には誰もいないし、ロックが解除される事も無い。

 

 レオナルドは言った、僕は今心が壊れてしまっているのだと。

 

 だからこうして閉じ込めて、僕が勝手に復活するのを待っている。最初は色んな人が色んなことを僕に言った。軒並み元気づけたり、奮起を促す言葉だった。けれど僕はその悉くを跳ね除け、同じ事を叫んだ。

 

 僕達は最後の戦いに勝った。

 けれど無傷じゃない、勝った代償に大切な――大切な人を失った。

 僕の鋼はその傷に耐えきれなかった。

 

 何度も扉を殴り付けたせいで手がボロボロになっていた。血も出ている、涙と鼻水でドロドロの顔面をそのままに、僕は力なく扉を叩く。誰も何も言わない、誰も何もしてくれない。受け入れろと、言外にそう言われている様な気がして。僕はもう枯れ果てた涙を零した。

 

「ぅ、ぅぅッ……マシュ、マシュッ……!」

 

 地面に這い蹲って震える。嗚咽を零して涙を流す、泣いても泣いても心の穴は埋まらない。彼女は帰って来ない、ロマニも帰ってこない。大切な人を二人欠いて、僕の心は押し潰された。何とかなると思っていたんだ、ここまで何とかしてきたんだ。だから、今回も大丈夫だって。

 

 嫌だ、僕は彼女を――二人を失いたくない。

 失っちゃ……失っちゃいけない人なんだ、彼女は。

 

『先輩!』

 

 脳裏を過る彼女の後姿。振り向き、自分に微笑む彼女。その情景を思い出す度に心が軋む。

 失った余りの寂しさに、悲しさに、その存在の大きさに。罪悪感と無力感と喪失感に苛まれる。這い蹲ったまま地面を何度も殴った。痛みなんてもう感じない、それよりも誰でも良い、この喪失感を――虚しさを消してくれ! そう強く願った。

 

 だからだろうか、もし神様という奴が居たのなら。

 神代ではない、現代の。

 何か宇宙全てを眺める様な神様が、僕にチャンスをくれたのだとしたら。

 

 カラン、と。

 目の前に何かが転がった。

 それはいつか特異点で回収した――聖杯だった。

 本来ならば厳重に保管すべきそれ、確か仲間の一人が『豪華な聖杯で酒を飲んでみたい』などと馬鹿な事を言い出し、ロマニからくすねたまま部屋に保管していた『願望成就』の器。

 僕の前にソレが転がっていた。

 

「……聖、杯」

 

 呆然と呟いた。

 血と汗に塗れた手を伸ばして、転がった聖杯を掴む。ひんやりとした感触、黄金のソレを眺めて思う。これはあらゆる願望を、願いを叶える万能の杯。

 どんな願いも――そう、どんな願いだって叶う器だ。

 

「僕は――僕は」

 

 聖杯の使用は仲間の霊基再臨、その限界突破を除いて禁止されていた。けれど僕の思考にそんな規範を思い出す余裕はなく、『あらゆる願望を叶える器』を前に。

 ただの人間である僕は想って――願ってしまった。

 

「やり直したい」

 

 彼女が消えてしまう前に。

 

「戻りたい」

 

 まだ生きていた彼女に会う為に。

 

「今度はもっと……」

 

 彼女を救うために。

 

「上手くやるから――!」

 

 そう告げると、聖杯が輝きだし世界を包んだ。自室に光が溢れ、その光は瞬く間に僕を覆っていく。それを見た僕は願いが聞き届けられたのだと理解した。もう一度、過去へ、前の世界へ。

 彼女の死なない未来を掴むために。

 今度は――今度こそ。

 大切な人を救うために。

 

 光が消え去った時、部屋の主の姿は何処にもなく。

 ただ真っ白な花びらが一枚、地面に残されただけだった。

 

 

 ☆

 

 

 繰り返す、繰り返す。

 同じ世界を救う旅程を、同じように歩いて、同じように戦って。いや、同じではない。今度は上手くやると言った様に、今度こそ彼女を救わなければならない。その決意を抱き、世界を回った僕は今まで以上に努力し、必死で戦い、成長しようと足掻いた。

 一度目よりも上手くやれたと確信していた。より多くの仲間を集め、自分自身を鍛え、来たる最後の戦いに備えた。やれることは全てやったと言って良い、文字通り最善を尽くした。

 

 それでも彼女は死んだ。

 

 これでも駄目なのかと絶望した。また涙が枯れる程に泣き喚いた。そしてもう一度、次こそはと願い、聖杯を握った。三度目の世界、今度こそ、今度こそはと。少しだけ強くなった魔力を携えて再び挑んだ。

 

 三度は四度に、四度は五度に、五度は六度に。

 

 焦燥感だけが募っていた、何度やっても駄目だった。繰り返し繰り返し、馬鹿の一つ覚えの様に自分を追い詰め戦い続けた。カルデアの仲間達が僕を心配するほどの訓練と実践を積んだ。これ以上は無理だと言う程に努力した。周回を重ねる毎に僕の体は僅かずつ変化し――強くなっていく。

 

 けれど、それでも。

 何度挑んでも、彼女は死に絶えてしまう。

 

 同じ事を繰り返す。同じ出会いを、同じ戦いを、同じ食事を、同じイベントを、同じ風景を、同じ言葉を、同じ時間を。

 心が死んでくのが分かった、どれだけ頑張っても。どれだけ努力しても、彼女の死を止める事が出来ない。圧倒的に力が足りていないのだ、相手の力は膨大で力量差は歴然。それでも『彼女が死なない未来』を掴むために、必死になって頑張った。

 駄目だった、もう一度。

 失敗した、もう一度。

 死んでしまった、もう一度。

 救えなかった、もう一度。

 そうやって何度も何度も繰り返し、失敗し、絶望する度に心に罅が入って。ある時思うんだ。

 

「あれ、何で僕はこんな事をしているんだろう」って。

 

 何回も何回も、同じ世界、同じ事を繰り返していく内に僕は何でこんな事を繰り返しているのか分からなくなった。何で同じ事を繰り返しているのか、何でこんな辛い思いをしなくてはいけないのか。けれどその理由さえ定かじゃなくて、僕は世界を救う度に聖杯に向かって願う。「やり直したい」と。

 

 けれどある日を境に少しずつ、本当に少しずつ――仲間が減って行った。

 

 召喚に応じる英霊が少なくなっていったのだ。まるで僕自身を嫌う様に、いつも見ていた顔ぶれが少なくなっていく。何度も絆を結んだ彼、彼女達の姿が見えなくなる。それでも止める事は出来なくて、僕はすっかり寂しくなったカルデアで今日も戦う。例え英霊に見捨てられたとしても足を止める事は出来なかった。

 そして、その弊害は遂に他の世界にまで。

 神代の世界にて、彼の英雄王は僕を見て言った。

 

「つまらん男だ」と。

 

 まるで吐き捨てる様に、心底侮蔑の瞳を携えて言った。僕はそれを何の感情も灯らない、無機質な瞳で聞いていた。あれ、何だかいつもと台詞が違う気がする、なんて思いながら。

 

 そして僕らのカルデアはいつの間にか――ほんとうにいつの間にか、数名のサーヴァントを除いて誰も居なくなってしまった。あれ程賑やかで、戦力的に充実していた筈の天文台は静寂に満ちていた。最後の特異点を前にして途方に暮れる、こんな事は今までなかったのに。数多の魔神柱を前にして、手元の戦力は余りに心許なかった。

 呼んでも誰も来ない、来てくれない、応じない、召喚されない。

 だから当然、僕らは敗北する。僕の手元に残ったサーヴァントはたったの三人、彼等は最後まで勇敢に戦い、笑って、或は罵って、呆れて――最期に寂しそうに僕を見て消えて行く。僕はそんな彼らの最期を無機質な目で眺め、それから呟いた。

 

「またやり直しかな」

 

 いつも肌身離さず持っている一つの聖杯、それを握り締めながら呟く。聳え立つ魔神柱、負ける度に、失う度にやり直して来た。けれどゲーティアまで辿り着けなかったのは初めてだった。

 

「また最初からだ――ねぇ、マ」

 

 誰かの名前を呼ぼうとして振り向いた。

 誰かの名前を呼ぼうとして――その誰かが誰だったのか、僕自身分からなくなって、名前が詰まった。振り向いた先には誰も居ない、僕の手元に居たサーヴァントは皆消えてしまった。だからもう、戦力として英霊は存在しないハズなのに。僕の口からは誰かの名前が零れそうになっていた、誰かも分からない、けれど確かに存在していた。

 僕の大切な。

 

 聖杯が光を帯びる、僕の願望を感知した聖杯が時間を巻き戻す。もう何度も何度も繰り返した世界に、時間の中に。その【誰か】を救うために巻き戻していたのに、その【誰か】を救うために強くなったのに。その大切な【誰か】はとっくの昔に、僕の記憶と世界の記憶から消え去られていた。

 

「あれ……」

 

 手元の聖杯からドロリと、光が滴る。

 もう誰かも分からない人の名前を呟き、けれど頭の中に浮かんだ【誰か】の顔は――真っ黒に塗りつぶされて良く分からなかった。

 

「マシュ――?」

 

 

 ☆

 

 

 何回世界をやり直したのだろうか、もう全ての記憶が朧げだった。擦り切れた世界は酷く断片的で、古びたフィルムのよう。酷い冗談だ、今はもう全て。誰かを救うためにやり直したというのに、その誰かの事も憶えていない。やり直す度に、少しずつ、少しずつ、僕の中に在った大切な何かが消えていく。そして中身が空っぽになって、残ったのが今の僕。

 

 世界は暗闇が支配していた。世界は恐らく滅んでしまったのだろう、カルデアを中心に虚空が広がっており、今や僅かばかりの空間が残っているだけ。局員は誰も居ない、レオナルドも、この世界に残っているのは僕と――三人の英霊だけ。

 もう召喚に応じてくれるのは彼等だけになってしまった。もう少し前まではルーラーが召喚に応じる事もあったのだけれど、彼等、彼女達は僕を見ると顔を蒼褪めさせ、それから鬼の様な形相で襲い掛かって来るのだ。

 

「貴方はッ……世界を歪めている!」

 

 召喚されたサーヴァントがマスターに歯向かう何て余程の事だ。残念ながらカルデアの令呪は零基回復・魔力装填・再起にしか使用出来ない。だからこそ渋々残った三人のサーヴァントと協力し、召喚したばかりのルーラーを殺害する。

 そこからはもう、僕は追加で誰かを呼ぼうとは思わなくなった。味方ではなく、敵を増やしてどうするのだと。けれどルーラーの襲撃は予想以上に僕の心にダメージを与えた。

 手元には聖杯が一つ残っている、けれど僕はこれを使わず、ただ無為に時間を過ごしていた。毎日寂れ、埃に塗れたマイルームのベッドに腰かけ俯く。自身の体を見下ろすと随分と変わってしまったなと思った。白かった肌は浅黒く、体には無数の傷が刻まれている。数えるのも億劫な修羅場を潜って来た、錬鉄の英雄に劣らぬ――いや、それ以上の脅威と天災を幾度も退け、生還して来た。

 人類の歴史、その保障。その旅を何度も何度も繰り返し人としての域を超える。恐らく過去のあらゆる英霊であってもこれ程の世界を味わう事はなかっただろう。

 そう言えば救いたかった誰かの名前も忘れただ惰性で世界を繰り返していた時、局員が自分を見る目は人間ではなく――もっと恐ろしい何かを見る様な目で見ていたのを思い出した。サーヴァントが召喚できず、その分の戦力を己が補完しようとしたのが間違いだったのか。恐らく半分どころか殆ど英霊の領域にどっぷり浸かってしまっている。最初からこの力があればと僕は思わず笑みを零した。

 

 世界を歪めたと、ルーラーは言った。

 僕は世界を歪めてしまったのだろうか? 天井を見上げながら思った。多分そうなのだろう、誰も召喚されない運命システム、居る筈なのに居ない誰か、ルーラーに襲われる人類最後のマスター。最初の僕はどんな人間だった? そんな事はもう、憶えてはいない。

 

「あの人が今の僕を見たらどう思うかな」

 

 呟き、軽薄に笑う。

 もう記憶の中にある【誰か】の名前すら、僕は想い出せなかった。

 

「マスター」

 

 部屋に誰かの声が響く。聞き慣れた声だった、声のした方に顔を向ければ深緑のマントを纏った彼が部屋の扉に凭れ掛かっていた。いつの間に、独り言を聞かれてしまっただろうかと思わず頬を掻いた。

 

「侵入者だ、どこの誰だかは知らないが英霊を率いている、魔術師の様だ」

「へぇ、魔術師、それにマスターか、驚いた、この世界は終わったものだとばかり思っていたけれど……なんだ、人類最後のマスターだなんて、まだまだ大丈夫そうじゃないか」

「……取り敢えずは他の連中と迎撃に当たるぞ」

「戦うのかい?」

「当然だ、連中の狙いはお前だろう」

 

 彼の言葉に僕は面食らって、それから「そっか」と寂しそうに笑った。何となく、その侵入者とやらの正体が分かった様な気がしたのだ。いつか来るのではないかと思っていたから。そっとベッドから立ち上がると最後まで僕の味方をしてくれた英霊――巌窟王に笑って告げた。

 

「皆を集めよう――カルデアスの所へ、戦うのなら、あの場所が良い」

 

 

 ☆

 

 

「ここは――カルデア?」

 

 突如出現した特異点、そこに乗り込んだ藤丸率いるレイシフトチームは周囲の見慣れた景色に驚きの声を上げた。随分と寂れ、埃を被っているが間違いない。自分達の良く知る天文台、その施設そのものだ。けれど白く清潔に保たれている筈のそこは、まるで廃墟の様な有様だった。何年も放置されている――いや何年どころではない、十年、二十年放置されたかの如き荒廃具合。これにはマシュを含め、他の面々も戸惑いを隠せない。

 

「カルデアに特異点? いえ、でも……此処は私達の知っているカルデアじゃない」

「……反応はこの先です、先輩」

「うん、行こう、マシュ」

 

 見知った場所だ、道は全て知っているし迷いはない。ただレオナルドの指示通り、反応が強い方へ足を向ける。そして辿り着いたのはカルデアスの存在する一室、広々としたその部屋を前にして一度息を呑み、それから全員で一斉に突撃した。

 

「―――えっ」

 

 そして飛び込んで来た光景に、藤丸とマシュ、そして他の英霊の面々も足を止める。部屋の有様は予想した通り、廃れたその様子は驚きに値しない。問題は光を失ったカルデアス、その下に佇む一人の少年、そして三人の英霊の存在だった。

 少年は黒い髪を腰の辺りまで伸ばし、光を失った蒼い瞳で此方を射抜いていた。鍛え抜かれた肉体、剥き出しの上半身に魔術礼装の名残である黒いズボン。その体には無数の傷跡、火傷、切り傷、矢傷、打撲痕、それらが散りばめられている。

 少年――いや、青年と呼ぶべき彼は部屋に飛び込んで来た藤丸たちを一瞥すると、ふっと口元を緩めて笑った。それはおかしいものを見たというより、自分の予想が当たった事による歓喜からくる笑みだった。

 

「……そっか、うん、そうなるのか――まぁ、何となくそんな気はしていたんだ」

「ふん、来るのが分かっているなら対策の一つや二つ、立てておきなさいよね」

「おー? お? 何だ、コイツ等と戦うのかよ? 最弱英霊の俺にはちっと荷が重いぜマスター?」

 

 カルデアスの元、マスターの傍に侍る三人の英霊。

 ジャンヌダルク・オルタ、アンリマユ、巌窟王。

 彼等はそれぞれ反応を見せ、それから全員がマスターの為に戦う意志を見せた。藤丸は目の前の少年に目を向けながら、パクパクと口を開閉させる。マシュは困惑していた、目の前の少年から感じる雰囲気――いや、懐かしさと言うべきか。それが隣にいる自身のマスターと一緒だったから。

 けれど絶望的に違う点が存在する。目の前の男からは凡そ【前に進む意思】が微塵も感じられない。それは藤丸というマスターが持つ唯一無二の特性だった、だからこそ差異は浮き彫りになり違和感だけが増す。藤丸は恐る恐ると言った風に手を伸ばし、問いかける。

 

「貴方は――誰?」

「うん、僕かい? 僕は……『藤丸立香』って呼ばれていたよ」

「!」

 

 衝撃が藤丸たちの間に走った。名前まで同じ。そして雰囲気も、目の色も。違うのは精神的な在り方と性別だけ。

 この時、マシュを含む英霊達、そして通信越しに会話を聞いていたロマニやレオナルドはこの特異点の正体を見破った。全員が汗を流し、目の前の少年と英霊を見据える。寂れたカルデア、同じ雰囲気、名前を持つマスターの存在、そして彼を守る英霊。

 

 

 そう、この場所は――【世界を救えなかったカルデア】、その成れの果てだ。

 

 

 彼はもうひとりの自分を目の前にして微塵も揺らがず、ただ飄々とした態度で手にした聖杯を振りながら言った。

 

「さて、君達の目的は分かっているつもりだ、欲しいのはこの聖杯だろう? けれど悪いね、これはあげられない、この聖杯は僕が『世界をやり直す』のに必要なんだ」

「世界を、やり直す?」

「うん、僕にはどうしても救いたい人がいるんだよ、もう名前も、顔も思い出せない誰か――その人を救う為だけに、僕は気が遠くなるような巻き戻しをして来たんだ」

 

 そう言って彼は空っぽの笑みを浮かべた。その救いたい人の名前も、顔も忘れてしまったけれど、それだけを支えにして此処までやって来た。今は少し心を立て直す時間が必要なだけ。だから時が来ればまた、聖杯を使って世界をやり直す。何度でも、また『あの人』に出会えるまで、救えるまで。

 

「その人を救うまで僕は止まらない、止まれない――だから申し訳無いのだけれど諦めて帰ってくれないかな?」

「……貴方は、世界を救う事を諦めていないの?」

 

 藤丸がそう問いかけると、少年はきょとんとした顔で目を見開き、それから思わずと言った風に笑って答えた。

 

「世界? 世界か……いやぁ、そんなスケールの大きい事は考えた事が無いなぁ、ただ僕はその人を救いたいだけだったから、世界を救おうとか、そんな大それた事を考えた日は無いよ、君には悪いけれどね」

「ッ」

 

 どこまでも空っぽな瞳、笑み。藤丸は目の前に立つ少年の存在に肌が粟立った。一体どれだけの時間を巻き戻したのだろう、凡そ真っ当な旅路ではなかった筈だ。たった一度の旅、藤丸はその旅程であらゆる経験を積み、成長した。それを何度も何度も――目の前の少年が持つ魔力の質、感じる威圧感、雰囲気、どれをとっても強者のソレ。下手をすると英霊よりも上等だ、魔術師として自分と比較するならば正に天と地の差が存在した。

 目の前の藤丸立香は『英雄』として完成している。

 けれどそれはあくまで【器】だけだった。その精神は既に汚染し尽くされ、壊れてしまっていると思った。そしてその見立ては正しい筈だ。

 

「コイツに何を言っても無駄よ、何をするにしても『あの人』、『あの人』、たった一人を救うために何度も世界を繰り返して、挙句の果てに世界そのものを歪めちゃう程の馬鹿ですもの」

 

 竜の魔女は顔を顰め、呆れたように吐き捨てる。それを聞いた藤丸は申し訳無さそうに口を緩め、「相変わらず厳しいなぁ」と笑った。それは元の人格、その名残。彼の笑みは別の世界の藤丸と全く同じ、見る者を安心させるような温かさを孕んでいる。けれど一度目を見開けば、深い奈落の様な無機質が此方を捉える。そのギャップが余りにも恐ろしい。マシュは思わず自身のマスターである彼女を見た。彼は彼女のIF、あり得たかもしれない未来だから。

 

「けど俺は嫌いじゃないぜぇ、そういう馬鹿? 成し遂げられるのなら成し遂げるべきだ、最初は何も持たない平凡な人間だったってのに、その想いだけで此処まで血反吐はきながら這って来たんだ、その努力、想い、根性だけは誰にも否定できねぇだろう? 英雄になれない俺からすれば大躍進だ、そりゃ応援もしたくなるってもんよ!」

 

 けらけらと笑ってそう言うアンリマユ、巌窟王だけは独り何も言わず佇むだけだが、その戦意が己に向けられている事を他世界の藤丸は知っている。「他に、英霊はいないの?」と彼女は問いかけた。彼女のカルデアには百を超える英霊たちが集っているから。けれど此処には目の前の三人を除いて他に英霊の姿はない。無論、反応も。

 すると彼は寂しそうに肩を落とし、呟いた。

 

「最初はね、沢山いたよ、多分君と同じ様に、沢山の英霊達と旅をした――けれど段々と召喚に応じる英霊が居なくなって、今はもうこの三人だけさ」

 

 そこには英霊達に対する恨みつらみはなく、ただ居なくなってしまって寂しいというシンプルな感情だけが見え隠れしていた。藤丸にはその感情が良く理解出来る、彼女も同じ立場なら『寂しい』とは思うだろうけれど、消えてしまった英霊に対して恨み言は口にしないだろう。そしてそれは彼も同じ様だった。

 しかし他の英霊の事を口にしたからか、アンリとジャンヌが拗ねた様に口を尖らせる。

 

「なによ、私達だけじゃ不満だって言うの?」

「そりゃあヒデェぜ、手前で呼んだ癖によぉマスター」

「まさか、不満なんてないよ、寧ろこんな僕に付き合ってくれている皆には感謝しているんだ、本当さ、こんな僕は英霊に見捨てられて当然……だと言うのに君達だけはずっと僕と一緒に戦ってくれるのだから」

「――マスター、お喋りはその辺りにしよう」

 

 盛り上がる藤丸、アンリマユ、ジャンヌを他所に巌窟王が告げる。咥えていた煙草の火を指先で押し消し、それから足元に吸い殻を放って踏みつけた。鋭い眼光が異なる世界の藤丸を射抜く。瞬間、凄まじい圧力を感じ思わず喉が引き攣った。ただのサーヴァントではない、聖杯のバックアップを受けているのだろうか? 背後に立っていた英霊達がすぐさま飛び出し、マシュが目前で盾を構えた。それを前に巌窟王は恐れず前に足を進め、告げる。

 

「退かぬと言うのなら撃退するしかない、我がマスターの歩みを阻む者、その悉く打ち払い、その鋼の意思を貫き通す道を創るが召喚された英霊の役目――その上で問おう、貴様等はどうする? 戦うか、否か」

「ッ……先輩」

 

 マシュが唇を噛んで藤丸を見る。彼女はその視線を受け一度肩を揺らし、それから盾越しにもう一人の自分を見た。

 傷付き、疲れ果て、それでも尚終わりの見えない戦いに挑もうとするこの世界の藤丸。その在り方は自分に良く似ている、それはそうだろう、別世界とは言えもう一人の自分なのだ。けれど彼女には確信があった――【彼は永遠に世界を救えない】という確信が。

 実力は伴っている、精神力もある、仲間もいる、けれど悲しいかな、繰り返す時間の中で彼の願望と想いは根底から捻じ曲がってしまっていた。故にその願いを正しく聖杯が叶える事は無いだろう。きっとそんな事は彼自身、ずっと前から気付いているのだ。そして彼に従う英霊達も。だからこそ思った、『終わらせるべきだ』と。それが彼に対する最初で最後の慈悲、そして与えられる結末だった。

 

「――貴方を倒します」

 

 言葉は思ったよりもすんなり口に出せた。両手を胸の前で組み、強く握り締める。

 

「きっと此処で放っておけば、貴方はずっと苦しむ事になる、それだけは駄目だ――もう十二分に頑張った、私はそう思うの、だから……此処で終わらせる、貴方の旅は此処が終着点だ」

「……そうか」

 

 少年の藤丸は寂しそうに呟き、頷いた。そして徐に聖杯を自身の背後に投げ捨てると、そのまま魔力を放出した。その余波で周囲の空気が軋み、マシュが盾を構えながら呻き声を上げる。凄まじい圧だ、一体どれほどの魔力をその身に宿しているのか想像も出来ない。

 

「なら戦おう――戦って、君達を乗り越え、僕の戦いが、全てが無駄ではなかった事を証明しよう」

 

 一歩、また一歩踏み出す。そして彼に続く形で巌窟王、アンリマユ、ジャンヌも進み出る。藤丸に味方する英霊達もまた、魔力の圧を物ともせずに進み出る。マシュは藤丸を守りつつ、鋭く前を見据える。

 

「君達は世界を救ったんだろう? 凄いよ、僕には出来なかった事だ――けれど僕だって数多の死線を潜り抜けた自負がある、誰も助けてはくれなかった、だから自分で切り抜ける必要があった、何十もの英霊が担う役割を己の身ひとつでこなして来たこの力、例え【世界を救った僕】が相手でも、負ける気はしない」

「アンタたちみたいに戦力一杯で余裕綽綽なんて状況は一度も無かったわ――甘ちゃんの貴方達が楽々人理を修復している間、私達は血反吐を吐いて戦っていたの、ひとりでサーヴァント複数相手はザラ……格の違いっていうものを教えてあげる」

「ンンッ、さぁーて、いっちょ死んできますかァ! 一応言っておくけどさ、手加減してくれても良いんだぜ? 俺はマスター含めてそこの三人と比べると常識的だからな!」

「この程度の絶望、とうに味わい尽くした――そうだろう、マスター?」

 

「先輩ッ、指示を!」

「うん――行こうッ、皆!」

 

 

 ☆

 

 

 この世界の藤丸は恐ろしく強かった。サーヴァントが居ない状況で人理を修復してきたという言葉は嘘でも何でもない。ただの人間が、魔術師が、英霊を越える力を手にするには修羅に落ちるしかなかった。正攻法を極めた、外法にも手を出した、禁術にも邪道にも、兎に角力が手に入るのなら何だってやった。その結果生まれたのは、ただ戦う事だけに特化した現代の英雄。即ち怪物だ、世界を歪めてしまう程の怪物。

 率いる英霊よりも使役するマスターの方が強いというのは稀だろう。後方で魔術的支援を行うのが基本的なマスターの在り方。しかし彼の場合、寧ろ率先して英霊達と激突し合う程だった。

 

 最初に沈んだのは自称・最弱のサーヴァントであるアンリマユ。

 彼は女性藤丸率いる英霊の一太刀をその身に受け、最後に宝具を発動して――消滅した。

 

「あぁ、まぁこうなるよなァ、クッソ、分かっていちゃいたが堪えるぜ……! マスター、アンタの傍は居心地が良かった、アンタの隣に立っている時は自分がまるで英雄みたいな、主役の一人になった様な気分になれたからなァ……! けれど、俺は此処までだ、元々力不足だったし、なにより結局どこまで行っても俺は物語の背景、モブのひとり、良い夢を見せて貰った、ありがとうよ、マスター!」

 

 僅かな後悔すら見せず消えて行く仲間。その顔を眺めながら悲しそうに俯く少年は何を想うか。そして次に落ちたのは竜の魔女であるジャンヌ、彼女は複数体のサーヴァントを相手に大立ち回りを演じたが、藤丸の的確なサポートと数の差に押され致命的な一撃をその身に受けた。それでも尚しぶとく食い下がった彼女だが、いずれ限界が来ると膝を折り恨みが籠った目で敵である藤丸を射抜き、それから背後に立つ少年を見た。

 

「ふん、つくづく腹が立つわね、アナタ達……まぁ良いわ、私は此処までの様だし、後はマスター達に任せましょう、もし次があるなら仕方ないから召喚されてあげる、アナタが挫けたり諦めた時は私の炎で焼いてあげるわ――救ってあげる、それが私の最後の仕事よ、だからまぁ精々頑張って足掻きなさい」

 

 指先まで消滅したジャンヌは炎をひと切れ、少年の肌に押し付けて逝った。手のひらに残った火傷痕、それをぐっと握り締めた少年は再び戦闘に身を投じる。

 そして最後に残った巌窟王と二人、鬼の様な活躍を見せ藤丸率いるレイシフトチームの殆どを消滅させた。それでも尚全滅には届かず、全身から魔力と血液を吹き出しながら巌窟王は消滅する。しかし彼は最後まで膝を着く事を良しとせず、消滅する一秒前まで戦い続けた。

 

「慈悲など要らぬ、俺も、お前も――故に、貫き通せ、俺は常にお前の傍に居るぞ」

 

 最後まで抗ったが故に、短い言葉。

 残った英雄――藤丸は既に瀕死だった。彼は強い、恐らく特異点の中でも特別、元が人間である事を考えれば破格の強さだ。けれどそれでも、ビーストやゲーティアには届かない。彼が世界を救えない、その障害の最たる存在には勝てない。

 その怪物に勝利した存在が目の前の少女、即ち藤丸立香。幾人ものサーヴァントを失いつつも、彼女は英雄藤丸を相手に勝利を掴んだ。ボタボタと全身から血を流し、少年は地面を這う。けれど目だけはいつまでも藤丸を捉えて離さない。

 最期の瞬間まで彼は、【世界を救った自分】をじっと見つめていた。

 

「……先輩」

「マシュ」

 

 死にゆくマスター、その姿を見続ける事に耐えられないとばかりにマシュが顔を伏せる。藤丸はそんな彼女の肩に手を乗せ、ぐっと唇を噛んだ。

 マシュ、そう呼ばれた少女を見る。その名前を聞いた時、少年の頭の中で誰かの声が響いた。それは酷く懐かしくて、聞いていると泣きたくなるような声だった。

 

『先輩!』

「――」

 

 脳裏に過る誰かの笑顔。眼鏡の似合う、盾を構えた小柄な少女。常に自分の傍に居て、常に自分を守ってくれて、「大丈夫だ」と励まし、共に辛い旅路を進んだ後輩。大切な大切な誰かの筈だった。その笑顔を憶えている、その声を憶えている、その言葉を――憶えている。

 

『将来的にはアイコンタクトだけで戦闘、炊飯、掃除、雑談が出来る……そんな関係を目指しています!』

「あぁ……君、は」

 

 声が出た。もう喉はその役割を果たしていないと言うのに。地面に倒れ伏し、血の池に沈みながら手を伸ばす。無論、その手は彼女に届かない。けれど再び目を上げた彼女が自分を見た時、その感情は確信に変わった。そうだ、僕が求めていた人、それは。

 

『好きな物? 空の色とか、地面の匂いとか……好きです』

「そっか」

 

 彼女は救われていたのだ。もう一人の自分によって、違う世界で。

 僕が彼女を救う事が出来なかったのは悔しく、悲しい事だけれど、そんな事はもうどうでも良かった。自分が救えなかった彼女がこうして別の可能性の世界で生きて、救われている。それだけで少年には十分だった。

 

『いきましょう、マスター――全ての命は終わるべきだと彼は言いました、私はそれを理解していますが認める事はしたくない、私は……先輩のサーヴァントですから』

 

 僕が最期まで誰を求め、何の為に世界を繰り返したのか。

 全ては彼女を――救う為に。

 

 少年は顔を伏せ、ぐっと唇を噛み締めた。今にも泣き出しそうだ、涙が零れそうだ。漸く思い出せた彼女の存在は、けれど知るには余りに遅かった。悲しい、悔しい、辛い。それを懸命に我慢して伏せていた顔を上げる。少年は彼女の笑った顔が好きだった、だから自分も精一杯笑おうと努力して。痛みに喘ぐ事もなく、ただ自然に、純粋に、心から安堵を表現したくて。未だ此方に目を向け続ける愛しい人に笑いかけた。

 表情は不格好だった筈だ、けれど精一杯、太陽の様に笑った彼の顔はマシュの知るマスターの笑顔そのもので。思わず目を見開き、見つめてしまった。

 彼女の瞳に自分が映っている、その事実に自分を奮い立たせ、藤丸は生涯最後の幸福を噛み締めた。幸福だろう? だって。

 

 

「――そこにいたんだ、マシュ」

 

 

 彼女は確かに、救われていたのだから。

 その言葉を最後に、彼は静かに息を引き取った。

 力なく落ちた手、マシュはそれを咄嗟に取ろうとして――けれど滑り落ちた指先は、血の中に沈む。

 

「先、輩……」

「………」

 

 マシュも藤丸も、他の英霊達も、何も言わなかった。ただひとりの人間を救おうと足掻き、世界を救えなかった少年の亡骸を前にして言うべき言葉が見当たらなかった。彼は世界を歪めてしまった、けれどそれが悪に依るものかと問われれば――それは違う。

 

「……この【先輩】には私がついていませんでした、それは、何故なのでしょうか」

 

 座り込み、血に染まった少年の手をそっと握りながらマシュは問いかける。藤丸は彼女の背を見つめながら拳を握り込み、「多分、その【私】が救いたかった人って言うのは――」と口にして、けれど結局最後まで言わずに呑み込んだ。

 マシュは握った手を頬に当て、血が付着するのも構わずにその体温を撫でた。彼の手は暖かかった。自分の好きなマスターと同じ、暖かい手だった。目から涙が零れ落ちそうだったけれど必死に堪えた。代わりに言葉を贈る、『在り得たかもしれない、もう一人の先輩』に向けて。

 

 

「おやすみなさい、先輩――どうか良い夢を」

 

 

 マシュの瞼に、少年の様に笑うマスターの顔が浮かんだ。

 

 

 




 吸血姫の方が滞っていたので、謝罪も兼ねたPC小説放出です。
 パソコンに死蔵されていた小説です。本当はプロットだけ書いて放置しておく予定でした……しかし当時FGOをクリアしたばかりの頃の熱に負けて筆が迸り……その場の勢いって凄い。
 二次創作は本当に書けない人間なので設定、キャラの言動等、粗があると思いますが素人の自慰作品という事で目を瞑って頂けると幸いです。尚続編はありません。

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