串刺し公は勘違いされる様です(是非もないよネ!) 【完結】 作:カリーシュ
「――
台本から外れることが出来た少年の口から出た意外な問いを、鸚鵡返しに言う。
「ああ。エリザから、聞いたん、だが。あの人、バイオリンの天才、で、コンクールで、賞を取ったことも、あったんだろ。でも、」
「入賞の度に当時使用した楽器を破壊した、ですか?」
エリザが得られる情報の中で、最も言いそうな事を予測して言ってみれば、コクリと首肯する昌一。
……さて、どう答えたものだろうか。
答えないという選択肢は使えない。本人に直接訊かず、
――全く。あのトラブルメーカーにも困らされたものです。
溜息を隠しながら、伝えても問題無いポイントをピックアップすべく、遠い昔――ヴラド十五世が、
◆◇◆◇◆◇◆
――二十八年前 ルーマニア
ある日の昼過ぎの事。私は、表の駐車場に見知らぬ車が停まっているのを発見した。
当時従者見習いとしてシギショアラにあるヴラド家に住んでいた私は、一先ずそれを隣で掃除の監督をしていたメイド長に伝えた。
「あ、あれですか。確かに見たことないナンバーですけど……まあ大丈夫でしょう!」
腰まで伸びた赤いストレートヘアを靡かせながら、メイド長は一見呑気にそう言ってのけた。
……なお、その時私たちがいたのは二階で、
それは兎も角。「休憩にしましょうか」という彼女の言葉に、使っていた掃除道具一式を片付けてからブライアンの部屋に行こうとしていた私は、数歩駆けた所でメイド長に呼び止められた。
「今からブライアン様の所に行くんですか?」
「うん。そろそろオヤツの時間だし」
いつもなら
うーあーと言語を成していない呻きのあと、短く「刃傷沙汰は無しですよ」とだけ言った。
「う、うん。分かった」
数ヶ月前、私がブライアンを
キッチンに用意されていた簡単なティーセットが載ったトレイを手に、目に悪そうな赤い館を今度は慎重に歩く。紅茶で満たされたティーカップからの芳香と、クッキーから立ち昇る甘い香りを楽しみながらブライアンの部屋に向かった。
――紆余曲折ありながらも、かつて社会システムに擦り潰された『私』が得た幸せな日常。
しかしそれは、一時ながらも乱されることになった。彼の部屋から聞こえてきた怒声を切っ掛けに。
「……?」
最初は空耳かと疑った。今のヴラドの様に、鍛え上げられた身体に気品と自尊心を兼ね備えた人物ならばまだしも。この頃のブライアンは痩せぎす気味で、性格もどちらかと言えば陰気。言葉に皮肉と自虐も多く、あんな風に誰かを怒鳴る姿を見る機会など無いと思っていた。
扉の前で戸惑っていると、乱暴に開いた扉から身なりの良い男が飛び出した。罵声を吐き捨てながら鼻息荒く出て行った男に呆気に取られていると、部屋の中から破壊音が一つ、響く。
その音に気が付いて飛び込んだ私の目に入ったのは、テーブルの上に置かれたバイオリン。その中央、丁度
「ブライアン……」
「ジルか。悪いが間食は後に――お、おい?!」
バツが悪そうに、それでも手を引き上げないブライアン。掴み上げてみれば、僅かな抵抗こそあれ、木片や弦でズタズタになった左手があっさり顔を覗かせた。
「そんな顔すんな。どうせすぐ塞がるのは前に見せただろ」
私は悲痛な表情をしていたのだろう。私の手を振り解くと、ハンカチで表皮に付着した血を拭き取った。
右手で赤く汚れた布切を捨てると、続けて
「これでよし」と、侮蔑の笑みで粉々になったバイオリンを意識の外へ追いやったブライアンは――次の瞬間笑みが消え、代わりに後悔が顔に広がった。
「……取り敢えず、下ろしたらどうだ。ソレ。重いだろ」
私が持っていたトレイを受け取ると、出しっぱなしだった空のバイオリンケースを雑に片付けてからテーブルに乗せた。
……重い沈黙が空気を澱ませる。彼が、未だ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎だった頃に得た、得てしまった狂気が、普段の暗い顔の奥に存在すること自体は知っていた。しかしそれから二十八年に渡って、この世界の何処にもその憤怒を叩きつける相手は存在しなかった。
――自身の怒りを持て余し、たった一つの名残に依る自責と後悔に押し潰されかけている少年。それが、私が知るブライアンという少年の真実だった。
とはいえ、なぜこうしてその苛烈さが表面化しているのかまでは知らない。顕になった攻撃性に何と声を掛けていいのか分からず、でも彼にいつも通りのブライアンに戻って欲しかった私は何か言うべきだという意識の板挟みになり、
「えっと、えっと。今日はいい天気だね……?」
……などと意味不明なことを宣ってしまった。今思い出しても恥ずかしい。
しかし数年後以降の羞恥心と引き換えに出た言葉は、対価に相応しい結果をもたらした。同じようにどう言えば良いものかと悩んでいた彼は、そこで漸く、苦笑混じりでも破顔したのだ。
「ああ、そうだな。勿体無いくらいいい天気だ」
窓を隔てた先、雲一つ無いカラッとした晴天に目をやるブライアン。
釣られて同じ空を見上げていると、対面にある椅子から、呟くような――それとも、子供が言い訳をする時のような小さな声が聞こえた。
「……さっきのあの男は、ある音楽アカデミーの学長だ」
「へ?」
「俺を入会させたいんだと。既に実力がある生徒を引っ張り込む方が、わざわざ才能ある生徒を探すより確実に名前が売れるからな」
半ば吐き捨てる様にでた台詞は、確かに彼の地雷を踏んでいた。
彼が⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎だった時の話を聞いていた私は、彼が音楽、特にバイオリンを憎み、けれど音楽でしか自己を表現することができなかったのだと聞いた。
『あんな物に現を抜かして、抜かし続けて。挙句本当に大切なものが見えなかった』、と慟哭を滲ませていたのを知っていた。
だから「弾いたの?」と突けば、「去年、チャイコフスキー国際コンクールジュニア部門で一位」と短く返ってきたのには驚いた。
「それって凄いの?」
「どっちかで言えば凄いんじゃないか?」
聞き覚えのある長い名前に、
「じゃあ、なおさらなんで?」
「……次期当主選びに、なんか結果出せって言われてな。
「分かるだろ?」と、彼は温くなったティーカップに手を伸ばした。
「何にせよ。最低限貴族らしい結果を出し続けられるアテがあり、現状分家の方に候補がいない以上、将来的には俺が『ヴラド十五世』を襲名出来ると考えてもいいだろう。
……そうだ。俺には、前にはなかった力。前は使えなかった時間。その両方があるんだ」
気のせいか、カップの持ち手が軋む。香りを愉しんでいる風に細められた目の奥に、覚えのある
『――この世界が
――この世界が、
……俺には、やるべき事がある。
例えそれが、ほんの一時の慰めに過ぎなくても。
例え再び世界が滅ぼうと。
――例えそれが、
――数ヶ月前、彼と私以外誰も居ない病室。月明かりさえも差し込まない暗いそこで、私たちは、互いの在り方を、互いの過去を、互いの願いを告げた。
そして少年は少女に
少女は少年に、
……いや、与えられるものはある。ただしそれに価値を持たせようとするならば、前提として彼の願いを踏み躙る必要があるだけで。
「ねぇ。何か、聞かせてよ」
なら、私は。せめて、私は。
「……トロイメライでいいか?」
「うーん、違うのがいいなぁ。だってその曲はおかあさんの思い出の曲だもん」
「そうだったな」と渋々バイオリンケースに手を伸ばして――ついさっき中身を自分の手で破壊したのを思い出して、代わりに埃塗れのギターケースを引っ張り出した。
「こっちを触るのは、
手早く調律を済ませたアコースティックギターを膝の上に乗せて、ピックで軽く掻き鳴らしながら考える。
「リクエストは?」
「ブライアンのお任せで!」
「うーん演奏家泣かせの注文だなぁ!」
「とほほ」と、わざとらしい半泣きでいつもの調子を取り戻したブライアンは、やがて何を弾くか決めた。
「それじゃあ――」
――結局最後まで曲名を告げることなく。
演奏が、始まった。
◆◇◆◇◆◇◆
――……ルさん?ジル、さん?」
呼び掛ける声にハッとなる。どうやら過去を懐かしむあまり、目の前の少年の問いを忘却の彼方へ追いやりかけていたようだ。
「ジル、さん。大丈夫、か?」
「ええ。すいません、心配をかけさせてしまったようで。それで、あの人の音楽感についてでしたよね」
纏めるのに更に数秒。出た答えは、
「ヴラド十五世は、音楽を憎んでいる訳ではありません。彼のよく識る演奏家を憎んでいるあまり、連想してしまう楽器に当たることがままあるのでしょう。けれどなまじ才がある分、完全に拒絶する事が叶わないが故の矛盾。というのが正確でしょうか」
「……中々、面倒くさい、人、だな」
昌一のコメントに思わず吹き出しかける。確かに面倒臭い性格とも言えますね。何処となく赤のセイバーを思い起こします。
わざわざ表情を隠すつもりもなく、寧ろ第一印象を良くするべく若干オーバーにクスクスと笑っていると、タイミングよくエリザに引き摺りまわされていたヴラドが返ってきた。
GGOで何があったのか、即昌一に噛み付きにいったエリザとすれ違い、ヴラド十五世を出迎えに足を進める。あの山盛りの荷物を輸送するのにまた色々と必要な手続きを考えるだけで、今から頭が痛かった。
――後にして思えば。この時、無理にでも
今でも悪夢を見る、あの沢蟹の島。
業火に沈んだ、
……いや、だとしても無駄だっただろう。この後に持ち受けている絶望そのものは、この死銃事件に首を突っ込んだ時点で。或いはヴラド十五世がナーヴギアを被った時点で、確約されていたものなのだから。
この世界が、彼の元いた世界線とも、私が聖女によって消滅した世界線とも違う可能性に、淡い希望を持ってしまったことが、きっと全ての始まりなのだろう。
――けれど、想像することは止められない。
彼を傷付けてしまう事を是としてでも、私があの人の一番になりたいと口に出来たなら。
それならせめて、後悔などあるわけないと、言えたのだろうか――
それは、嵐のような刃だった。
命を絶たんと繰り出される鉈の刃。
躱そうという試みは無駄だろう。
力任せに振るわれたそれは、自分の貧弱な肢体では避けられない。
だが。
この身を潰そうとする嵐は。
この身を救おうとする月光に防がれた。
ぽたり、という澄んだ音。
否。目の前に零れ落ちた音は、命の滴る音。
およそ純粋さとは無縁であり、喰い込んだ刃も、それを受ける左手も、凍てついた夜気そのもの。
透き通った響きなど有る筈がない。
本来響いた音は肉と鉄。
ただ、それを曇りない水音と変えるだけの憂美さを、その少年が持っていただけ。
「――サーヴァント、バーサーカー。
聖杯を求め、今ここに現界した」
闇の中でなお鋭い声で、彼は言った。
「――問おう。お前が俺の、マスターか」
遽に吹き荒れた風が星明かりを連れ去り、真紅に輝く月のみが闇を照らし。
森は少年の姿に平伏すよう、かつての静けさを取り戻す。
時間は止まっていた。
おそらくは一秒すらなかった光景。
けれど。
その姿ならば、たとえ魂が穢れ切ろうと、鮮明に思い返す事ができるだろう。
僅かに振り向く横顔。
どこまでも不変的な薄青の瞳。
時間はこの瞬間のみ永遠となり、
彼を象徴する銀白の衣が風に揺れる。
差し込むのは鮮血の月光。
銀糸のような髪が、月の光に塗れていた。
――ここに契約は完了した。
彼がこの身を主と選んだように。
きっと私も、彼の助けになると誓ったのだ。