串刺し公は勘違いされる様です(是非もないよネ!) 【完結】   作:カリーシュ

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第十四小節 英雄の帰還

 

 

 

 

 

 ……誰かが、蹲っている。

 そんな状況を自覚して、漸く『自己』というものが存在することに気がついた。

 見回すと、どこかの教室だろうか。夕暮れ時の日光が差し込む全体的に古びた部屋の中、一人ぼっちで机に突っ伏している男子生徒がいた。

 ――あー、大丈夫か?

 ホームルーム中に居眠りして、そのまま置いて行かれたのだろう。心配になって起こそうと手を伸ばすも、口に出す前にふらふらと立ち上がった。

 そのまま此方に一瞥もくれずに、俯いたまま歩く生徒。なんとなく彼を放っておけない、放っておいてはいけない気がしてついていく。敷地を後にする頃には夕陽は沈み切り、人気の無い暗い道路は夜闇に沈んでいた。

 小さな足音だけが、規則的に響く。

 怪物の口の中同然の暗闇を淡々と歩いていると、ふと足音が変わる。アスファルトの硬い音から、草と砂利を踏む軽い音になっていた。

 目の前の少年も異変に気付いたのか、ずっと下を向いていた顔を上げる。薄らと景色が明るくなり、辺りに生えている木々を照らす。

 生えている、と言っても、道路傍にあるのとは比べ物にならない数であり、そこは何処かも分からない様な深い森だった。

 いつの間にか生徒の服も学生服から変わっていて、まだなってから日の浅い冒険者といった具合の装備に、背中には一本の剣。

 その装備に、群生する現実では有りそうで無さそうな捻れた枝を伸ばす古木に、漸く記憶に思い当たるものがあった。

 ――アインクラッド第一層、ホルンカの村近くにある森の中だ。

 一体いつの間にログインしたのか、という疑問もあれど、それは後でいいだろう。こんな初期装備のお手本みたいな格好で、こんな今にも倒れそうな人間が彷徨っていていい場所ではない。早く村まで行こう。

 葉の隙間から差し込む月明かりだけが漂う森をひたすらに歩く。

 ふと、行手から、か細い叫び声が聞こえた気がした。

 慌ててそちらに進むと、右側に道が分かれていた。再び悲鳴が、怪物の唸り声とセットで聞こえる。

 太い幹を遮蔽物に向こう側を、そっと覗き込む。円形の広場になっていたそこでは、月光に照らされて、植物型のモンスターが複数蠢いていた。

 何かを囲んで逃さないように動くモンスター。その中心にいるのは。そこにいたのは。

 

「……コペ、ル?」

 

 ――第一層で、クエストでパーティを組んでいた男がいた。

 助けなければ。その感情はあるのに、足が地面に縫い付いて動かない。

 腿を殴りつけて動かそうと四苦八苦している間にも、コペルは地面に倒れ込む。

 絶望を顔に貼り付けたコペルが、俺に向けて手を伸ばして。しかし、その姿はすぐにモンスターの群によって押し潰され、破砕音を遺して、この世から消滅した。

 ……俺は、ただ。その光景を見ていることだけしか出来なかった。

 ()()()()()()、見ていることだけしか出来なかった。

 

「ああ…………」

 

 ――漸く追いついた少年が/俺自身の口が、嗄れた声を溢す。

 これは。さっきまで一緒にいた少年は。

 あれは、俺だ。

 過去の、俺だ。

 

 一歩後退る。靴音は、また変わっていた。

 整備された、けれどアスファルトではない、大理石に似たブロックを敷き詰められた街。

 周囲には森の残滓すらなく、逆に屋内から人の気配が感じ取れる。

 ふと、微かな声が聞こえた気がした。

 懐かしい声の、悲鳴。釣鐘でも殴っているのかと思ってしまう程の轟音に掻き消されかけているが、間違いなく聞き覚えのある声だった。

 早歩きになりながら、音の源へと急ぐ。泥濘に足を取られたかのように重い足を懸命に動かし、辿り着いた時には。もう終わったあとだった。

 街の広場になっている場所。空高くから見下ろす紅い月に照らされている中、四人のプレイヤーが地に伏せていた。

 顔を見ずとも、彼らが誰なのかはすぐに分かる。

 両手棍を握りしめたまま壁に叩きつけられたのは、ケイタ。

 トレードマークの帽子を吹き飛ばされた槍使いは、ササマル。

 盾諸共持っていたメイスを体にめり込まされているのは、テツオ。

 ダガーは手を離れ、小柄な身体を街頭に引っ掛けているのは、ダッカー。

 皆、俺が所属しているギルドのメンバーだ。圏内だというのにフロアボスに襲われたかの様な惨状に呆然としてしまう。それでも仲間を助けないとと、一歩踏み出そうとして。それでも、足が動かない。声を発しようとも、出てくるのは掠れた悲鳴。

 ――ただ見ていることしか出来ない俺の前で、紅い月が、倒れている仲間を、俺を見下ろす。一度不気味に脈動した月。その鼓動は、空間を伝って街を揺らし。

 街の路地から、歯が剥き出しになった口が九十度ズレたモンスターが、無数にわらわらと飛び込んできた。生理的嫌悪感を催すモンスターは、倒れた人間にすぐさま気付く。

 

「やめろ……やめてくれ……」

 

 その景色を見ても、俺に出来たのは、自分の耳にすら届かない様なひび割れた懇願だけで。剣を握ることすら出来ないまま、仲間たちがモンスターの影の向こう側に消えていくのを、見送るだけだった。

 

「――――――っっ!!」

 

 声にならない絶叫を迸らせ、それでもまだ足りぬと、再び光景が変わる。

 鋼鉄の浮遊城での、二年弱にも渡る戦い。

 見覚えのある海沿いの街で巻き込まれた不可思議。

 硝煙漂う荒野を飛び交う真紅の銃弾。

 耳を塞ぎ、目を瞑り、それでも次々に無慈悲に流れ込む記憶が、俺を押し流していく。

 

 そして記憶は――――深い森に囲まれた空き地へと到達した。

 

「やめろ……やめろやめろやめろやめろやめろやめろ!もうやめてくれ!!」

 

 喉よ張り裂けよと。止まってくれるのならもう声などいらないと叫び、だが記憶の奔流はとどまることを知らなかった。

 斧の音に導かれた先で出会った彼。

 ゴブリンとの戦闘。切り倒された世界樹。

 世界の中央を目指した長い旅。学院で修練に明け暮れた二年。

 彼は、いつだって俺の隣にいてくれた。彼は、いつだって穏やかに笑っていた。

 彼と一緒なら、なんだってできた。

 肩を並べて白亜の塔を駆け上り、強敵を次々と打ち破った。

 そしてついに頂上に達し、

 世界の支配者と剣を交え、

 長く険しい戦いの果てに、

 彼は、その命、を、――

 

「ああ……あああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 その結末に。流れてはならない血が流れ、失われてはならない命が失われ。

 それでも意地汚く生き残ってしまった自分自身が、どうしようもなく恨めしい、愚かしい自分自身が。

 魂が叫ぶ。お前が死ぬべきだったと。罪が、傲慢が、強欲が、誰かの唯一を奪い侵し殺し拒絶し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し――

 

 ボコリ、と。アインクラッドの地下、忘れ去られた墓地に流れていたのと同じ泥が、悪意と殺意に満ちた呪いの泥が、俺の身体を呑み込もうと迫り上がる。

 もう指一本動かないこの体を終わらせてくれるのなら。それが、俺が彼の為に、そして俺が裏切り見捨ててきた人たちの為にできる、最後の贖罪――――

 

 

「キリトくん……」

 

 

 頭が泥に呑まれる寸前。誰かが、俺の名を呼んだ。

 虚な視線を上げれば、栗色の髪の少女。

 

「キリト……」

「お兄ちゃん……」

 

 新たな声と共に、左右に少女が現れる。メガネをかけた少女と、黒い髪を真っ直ぐに切り揃えた少女。

 そして、泥に呑まれかけた俺に膝をついて手を伸ばす、右目の下に泣き黒子のある少女が、現れた。

 

 

「キリト……」

 

 

 瞳を濡らした彼女たちの意思と感情が光となって、周囲に溢れる。辺りの空間は純白の暖かな輝きに包まれ、触れるだけで傷は癒、哀しみは溶けるのだろう。

 ――でも。

 

「……ごめん。俺には、その許しを受け取る権利なんか、あるはずないんだ」

 

 泥の溢れ出ている範囲には、光が届かない。一切の輝きを反射することのない泥は、一際大きな蠢動を最後に、俺の魂を呑み下そうと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ほう。あの魔術師め、よもや聖杯の泥まで用いるとは。よほど貴様の様な子羊が怖いとみえる」

 

 がっ、と、襟首が掴まれる。

 何を思う暇もなく泥中から引き摺り出され、そのまま投げ飛ばされた。

 頭と背中を強かに打ち据えて落ちる。痛みに反射的に目を瞑っていると、尻餅をついている場所に違和感を覚えた。

 柔らかな布。スプリングの感触もある。

 瞼を貫く光量に、呻きながら瞼を開けると、まず霞んだ視界が、大半を占める白い物を映す。

 何度か瞬きすると、徐々に焦点が合ってくる。

 ゆったりと揺れる白いカーテン。下敷きにしている白い毛布。窓からは黄昏時の白い夕日が差し込み、今自分の置かれている場所が照らし出されていた。

 

「……病、院?」

 

 そう掠れた声で口にしてみれば、不思議とぼんやりとしていた意識がはっきりとしてくる。そこはデスゲーム後、リハビリに勤しんだ病室にそっくりの場所だった。

 ただ、細部が違う。窓際に飾られている花はサチやジルの持ち込んだのとも違うし、はめ殺し窓だったはずなのにカーテンが風で棚引いている。ピトがゴリ押したお陰で俺も個室に居たが、それと比べてもこの部屋は異常に広く、光の加減もあって反対側に何があるのか、影になって殆ど見えない。

 唯一見て取れるのは、テレビ画面が付いていることのみ。砂嵐と不協和音を垂れ流すそれを漫然と眺めていると、突然画面が消えた。

 

「目は醒めたか?いや、愚問だったか」

 

 どうやら暗くなっていた部分に誰かいたのか、男の声と共に僅かにパイプ椅子を軋ませる音が聞こえた。

 聞き覚えのある、低い、大人の男の声。クラインの様に飄々としたものではなく、エギルの様に深いバリトンボイスでもない。菊岡の様な胡散臭さの塊でもない。近いものを挙げるのなら、ベルクーリやウォロの様な、落ち着きと威厳ある声。

 虚ろな視線を遅々と向ければ、銀髪青眼に黒い貴族服の男がグラス片手に寛いでいた。

 日の光に透かして見ているグラスの中身は、光から逃れようと蠢く黒い泥。

 ――返してくれと手を伸ばす。それは、俺が償う為の、

 

「それは違うぞ、少年。これは断じて然様な物ではない。

 しかし、ふむ。俄然貴様に興味が湧いた」

 

 グラスをローテーブルに、俺の手の届かない所に置いた男は、真っ直ぐに俺を見据える。

 

「先程貴様を取り込もうとしておったのは複製品だった故、余が手を出しても事なきを得られた。がしかし、貴様の魂にはほんの一滴にも満たぬ程度とはいえ、確かに複製元たる()()が染み付いておった。それでもただの人に耐え得る物ではなく、そも斯様な物に触れる機会もなかろう。

 答えよ、少年。何処で彼れに触れた?如何様にしてあの汚染に耐えた?」

 

 尊大な態度で聞いてくる男。けれど、俺には何も答えられない。

 そんな泥の正体も知らないし、いつ被ったかなんて覚えていない。それに、何より。

 いつまでも口を開かない俺に業を煮やしたのか、眉間に皺が寄り始めた男。苛立ちの混じった声で再び問い掛けるその言葉に、一言言い放ってやった。

 

「…………()()()()()()

「……ほう?貴様、その意味を理解して口にしておろうな?」

 

 室内に殺意が充満する。真っ当な精神状態の人間であればその空気を吸うことすら叶わないだろう重圧の中、表情筋はピクリとも動かない。

 

「どうでもいい、って言ったんだ。その泥がなんだっていうんだ。それに耐えられたからなんだっていうんだ」

 

 そう吐き捨てて、顔を伏せる。

 目の前の男はきっと激怒しているだろう。でも、それすらもどうでもいい。いっそ激情のままに嬲り殺しにされればいい。

 ……しかし、いつまで待っても期待する感覚は訪れず。

 それどころか、男は笑っていた。本心から愉快だと哄笑していた。

 

「――ハッ、フハハハハハハハ!どうでもいいと宣うか!

 あれを内包し、汚染されきる事なく自我を保つどころか、他愛無しと、些事であると言うか!成る程。道理は依然分からねど、あの魔術師が怖れる訳だ!

 ……それだけに惜しい。今の貴様は、ただ只管闇雲に自責の念で覆われている」

 

 視線がテレビへと逸れる。釣られてそちらへと向くと、それが合図だったかのように画面に光が灯った。

 今度は砂嵐と不協和音ではなく、ハッキリと意味のある映像が流れる。

 その画面には、男に似た巨大なヒトガタのカゲによって蹂躙される、満身創痍の仲間たち。嘗て立ち塞がった強敵たちが。

 アスナが、ピトが、ザザが、アリスが、ノーチラスが。

 ユウキが、イーディスが、アリシャが、ユージーンが、エリザが、エリスが。

 歴戦の彼らが、満足に抵抗することすら叶わず、一撃で打ち破られていく。

 ――そして、サチやユナを庇い、弾き飛ばされる、ユージオ。

 

「……ああぁ……」

 

 蒼い鎧は原型を留めていないほどボロボロで、亜麻色の癖っ毛は血と土でその輝きを失い、握る剣は中ほどで折れてしまっている。

 それでも、絶対に間違えない。その顔を、その瞳を。

 

「…………やめさせてくれ」

「ほう?」

 

 俺と彼の間を隔てる透明の、けれど決して越えられぬ壁を殴り付けながら、わななく唇で懇願する。

 一方的な撃滅の前に倒れた彼の側に行きたくて、何度も何度も拳を叩きつける。

 皮膚は擦り切れ、指の骨は砕けるが、痛みはない。手の骨の原形がなくなり、柔らかく水っぽい音しかならなくなる。

 それでもなお、叩き続ける。

 

「俺の命なんてどうでもいい。魂だってくれてやる。だから、あれを、やめさせてくれ」

 

 血と脂肪のこびりついた画面に額を当てながら、慟哭する。

 しかし、返答は否だった。

 

「なんで……」

「あの魔術師が、ただ一人の人間相手にしては異様なまでの術を労していたからな。貴様を拾い上げたのも好奇心、出来心というのが正直なところだ」

 

 外見からは想像出来ないほどの重量感を持って椅子を軋ませ、立ち上がる男。突き出された掌からは、見覚えのある、血が噴き出る前兆。

 奇しくも画面の内側のヒトガタも、掌から血を溢れ返していた。

 

「では、さらばだ。異教異国の少年よ。もし次があるならば……いや、忘れよ。下らぬ妄言だ。長らくアレらと触れ合ってきた所為かもしれぬな。

 せめてもの慈悲に、痛みなく終わらせよう」

 

 向けられる憐憫の眼差し。血と影は重力に逆らい掌に留まるが、ついに一滴、滴り落ちて。

 突き出た杭が、心臓に深く突き刺さった。

 

「……あぁ」

 

 やっと、これで終われる。

 宣言通り、痛みなく一撃で急所を貫いた男は、けれど俺を見下ろす位置に立ったまま立ち去る様子がない。それどころか、刻々と俺の心臓から漏れ出ていく血で汚れていくベットに腰掛けた。

 

「……あまり気分の良いものではないな。お前は我が領土を穢しておらず、アレの認める男たるお前は、此処でこうして燻っている」

 

 煤けた背中。背骨を意識した意匠の背中は、掠れた視界には一本の白い線に見える。

 

「言い残すことはあるか?機があれば伝えてやろう」

 

 初めて会う筈の、けれど懐かしさと安心感のある声。

 ずっとずっと前に。俺が『鳴坂』だった頃に聞いたことがある気のする声。

 フッと、視界がブレる。二重に見える背中の先に、鮮烈に輝く黄金の勝利と原初の試練が見えた気がして――

 

 

 

「……………………たす、けて。おうさま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ハ。余を王と呼ぶか。怪物でなく、王と、英雄と呼ぶか」

 

 気怠げに掌を翳す。たったそれだけで血が止まる。

 心臓から漏れ出る血が。

 画面の奥で、嘗ての仲間を切り捨てようとしている、決別の朱い楔が。

 堰き止められ、砕かれ。王の名の元、静けさを奏でる。

 シルエットすら追えないほど霞んだ視界から、黒い影が遠ざかる。

 

「不思議なものよ。これが聖杯の加護というものか、はたまた縁か。成る程、であれば泥の由来にも納得がいく。『卵が先か鶏が先か(因果のジレンマ)』とは、はて。何処の言葉だったか」

 

 足音が止まり、スライドドアを滑らせる音が広く響く。

 同時に扉の向こうから、今まで堰き止められていた白い光の波動が流れ込み、暖かな陽気が俺を包み込む。

 刺し跡のある胸は傷一つなくなり、形を失っていた手は修復される。

 そして、なにより。光から届く声が、俺を立ち上がらせる。

 

 ――大丈夫だよ、キリト。思い出はいつだって、ここにある。

 ――どんなに離れても。いつか、別れがきても。思い出と、気持ちは、永遠に繋がり続けるんだよ。

 

「…………サチ。ユージオ。俺、もう一度立ち上がって、いいのかな」

 

 頷いた彼らは、一足先にこの世界を後にする。そうだ、俺にはまだ此処で、言わなきゃいけない相手が残っている。

 この世界(病室)。誰かの心意に焼きついた風景を大量のエネルギーで実体化させた空間で、ずっと結末を待ち続けている男。ヴラドによく似た、けれどより『君主』として完成された男。

 

「なあ。あんたは、もしかして――」

 

 その真名を、怪物と貶され続けた、気高い覇者の名を口にしようとして、けれど遮られた。

 

「構わぬ。貴様にとっての王とは、あの異界を目指し空を進む浮遊城の王であろう。ならば行け。それこそが彼奴、そして余に捧げる敬意である」

「……そうか。わかった」

「そうだ。ならば疾く行くがいい。

 お前が友を守りきれなかった罪、その傲慢を余は既に裁いた。最早我が槍がお前の臓腑を喰らうことはなかろう」

 

 それだけ言い残すと、男はパイプ椅子に座り込み、口を閉ざす。言うべきことは全て言い、聞くべき事柄は全て聞き届けたと。

 そんな彼に背を向け、光の奔流溢れる扉の外へと歩き出す。

 さあ、行こう。一緒に、どこまでも――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 














 ――溢れんばかりの極光が収まり、元の静けさを取り戻した病室で。
 キリトを見送った男は、その身に似合わぬ安っぽい椅子に深く腰掛け、窓の外を眺めていた。ひたすら沈黙が続く中、けれど静寂を破ったのは男ではなかった。

「――ねえ。本当によかったの?」

 という少女の声が。男以外誰もいない筈の空間に突如として聞こえた声に、しかし当然のように男は応対した。

「無論」
「貴方の願いは叶えられないんだよ?キリトは必ずあいつを倒す。あたしが、あのキャスターが『白のアーチャー』って呼んでる()()()()()が付いているから、絶対に負けない。
 でもそうなれば、あいつから『無辜の怪物』は剥がされる。そうなれば一番困るのは貴方でしょ、ランサー」

 その問い掛けに、穏やかな表情を浮かべる男。男の脳裏に浮かぶのは、一度目にこの世界に召喚された、五十年以上前の記憶。
 サーヴァント召喚実験の成功例でありながら、英霊の維持にあたる問題点から僅か数時間で座に退去する羽目にこそ逢ったが、その間に立案された計画。
 ――名に纏わる『怪物』としての特徴を発現した、在り得たかもしれない子孫。アンダーワールドを生み出す過程の実験により魂が複製された彼らに、それぞれ『英雄』と『怪物』としての側面を強調して接続し、英雄は英雄のまま討ち倒し、怪物を怪物であるまま世界の『外』へと至らせることで、『吸血鬼』の真名をその子孫へと上書きする。
 この計画が完全に至れば、男の身から『鮮血の伝承』は無くなるないし薄まるだろう。
 しかし、その計画が潰えることが確定してなお、男の顔から微笑みは消えず、その痩躯に信念を漲らせていた。

「ならば再び歩むまで。なに、我らの身は歴史の影法師に過ぎず、ならば時は無限にある。それに、我が名を英雄と認める者は現れたのだ。きっとそう永くはかかるまい。
 ……そうだ。余は、余を英雄と認める者が現れるまで戦い続けるのだと誓ったのだ。贋作の聖杯に縋ってなお、その不名誉を払拭する為に呼び掛けに応じるのだ。
 ならば余が応えるは筋。我が身我が名を英雄と呼ぶ彼らの助けを求める手を取らずして、何が英雄か」

 己の掌に視線を落とした男。自傷気味に片頬を吊り上げ、独言を呟く。

「……何が英雄か、か。よもや、この余が何処ぞの騎兵染みた甘言を吐き、彼の剣兵の様な裁量を下すとは。なんとも因果なものよ」

 頭を振って、ふと思い浮かんだ顔を振り払う。
 病室――小聖杯によって形成された、キャスター曰く『道場』と呼んでいた待機場にて。『鮮血の伝承』を譲渡する為に用意された空間であり、現世、或いは小聖杯へ流れる道の途中に設けられた空間。
 その出口、足を踏み入れれば二度と後戻りの出来ない道に歩を進めた男は、事も投げに未だこの結末に思い悩む少女へと振り返った。

「それに、余とて人の子。子孫や領民が、余計な気苦労を背負い込もうとするのを止めんとするのは当然だ」
「よ、余計なって」
「余計だとも。それは貴様が最も理解していることだろう。人の身でありながら、『理』の領分に踏み込みし者らよ」

 遠い世界の裏側で、今尚その責任を全うしている少年の姿を思い返しながらも。その領域に至った少女の目を正面から見据える。

「貴様には、護国の鬼将と謳われ、主の教えの守護者としての英雄でなく、ただの人間としての言葉を伝えよう。
 ……非常に業腹だが、あの後裔に必要なのは穢れなき絶対の主ではない。共回り、人々の繋がりこそが真に奴が必要とするものだ。縋り縋られる『絶対』ではなく、互いに支え合う存在が必要だ。
 故に貴様に頼むのだ。サーヴァントの枠組みから外れようと顕現可能な概念的存在の一端よ。その魂を代償に奇跡の成就を担いし者よ。
 ――奴を頼む。知っての通り、王の猿真似か怪物の仮装をせねば到底頼りになどならぬ愚か者故にな」

 男は、穏やかな笑みでそう告げ。
 聖杯へと、その身を投げた。

「ランサー!?」

 慌てた少女が手を伸ばすが、男はあっさりとそれを拒絶する。
 血肉はエーテルへと還り、魂は聖杯へとストックされる。その魂すら、未完成の聖杯は何れ世界に孔を穿つまでも無く放出してしまうだろう。
 そして、住人を失った空間は。今度こそ、永遠の静寂に包まれた。




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