串刺し公は勘違いされる様です(是非もないよネ!) 【完結】 作:カリーシュ
――時は過ぎ、暦はあと数日で八月を指し示そうとしている夏。
「……ああ……平和だ……」
主人公の巻き込まれ事故に鉢合わせることなく。異界の騎士と一悶着が起こることもなく。ましてや魔術的事象との関わりなど一切なく。
いつも通り髭を整え、何時もの黒い正装を着、朝の一杯を味わいながら惰性で続けている世界規模でのニュースの確認をする。ジルはまだ食堂に来ていないが、まあこれもいつも通り。
まあ、どうせ今年も変わらんさ。というかそう何度も事件があってたまるか。探偵ものじゃあるまいに。
そう思ってざっくり目を通
「あ、ヴラド。おはよう、ございます」
「ティーポットは借りているぞ。主人がコーヒー派で期待はしていなかったが、中々いい葉を取り揃えているじゃないか」
「余、オヘヤ、カエル」
息を合わせたようにワラワラと食堂に集まる原作ラスボス共。どうやら俺にはロクに新聞に目を通す束の間の平和すら許されなかったようだ。ポッケに突っ込みっぱなしのオーグマーが本来存在しない筈のバイブ機能をフル活用して自己主張しているあたり、視認できないだけで余計なのが更に+α。
転生して三十八年。何故か周りにはヤベー連中ばっかり集まっている事実に、アラフォーの心臓は保ちそうにありません。まあ結局自分で認めたからこいつら俺の屋敷に住んでるんだけどなクソァ!
砂糖とミルクマシマシのコーヒーを
色々物申したくてキリキリしてきた胃をコーヒーの苦味で誤魔化しながら、ほんの三週間ほど前の記憶に意識を渡らせる。
――あの日、あの後の事。
エセSTLの前で出待ちしていたハイドリッヒの白蟻野郎御一行を丁寧丁寧丁寧に血祭りにあげてやり、さっさと屋敷へと戻った。
出来る事なら直ぐにでも日本へと渡りたかったが、一週間程寝たきりだった身では流石にそれ以上の無茶は出来ず、所要時間を考慮すれば行き違いになるという考えの元であった。
幸い予想は見事的中し、一晩待てばジルとザザは無事帰ってきた。
「――ガブリエル。私の名はガブリエル・ミラーだ、
……なんか、余計なのが付いて来たことには度肝を抜かれたが。
ガブリエルに、一緒にいたクリッター共々匿うことを要求されたが当然却下。尤も連中もそれは承知の上で、今度は交渉としてテーブルに着くことを要求された。此方への要求は、新たな戸籍と住居、及びラースとのパイプ。見せて来た手札は、奴の元鞘たるグロージェン・ディフェンス・システムズの全企業データ、つまり連中の主な雇い主たる
『ハーイ、バーサーカー。久しぶりね。それともヴラドって呼んだ方がいいかしら?』
――リアルワールドにただ一人しか存在していないことになっている、
『A.L.I.C.E.』としては未完でも、己が複製であると認識し、けれど安定している数少ない人物の魂。
クィネラ・アドミニストレータのライトキューブ。これらが、連中の手札だった。
……聞くところによれば、俺がPoHとやり合っている間、令呪一画でサチ、アスナ、アリス共々果ての祭壇まで跳んだクィネラとジルは、残る一画を以ってセントラル・カセドラルのコンソールへと転移。元より本国にアリスを届ける気などさらさら無かったガブリエルが、予め用意していた別の脱出艇を待つ間に接触。日本側がまだオーシャン・タートル襲撃でゴタついている隙に、さっさとルーマニアへと渡ったのだという。
以上の話を
なおザザは、ガブリエルらについてはジルの協力者という戯言を鵜呑みにしていた。
これからのアンダーワールドの情勢を考慮すれば、クィネラの存在は兎も角、アメリカ側への手札は多いに越したことはない。戦力としても、ガブリエル・ミラーは今こそPoHの裏切りによって手負だがリアル・VR問わず信頼に足る実力を有しているし、
結局、リアル・VRの両方で無許可での戦闘・殺傷行為を禁止した上で、アリス編ラスボス御一行を迎え入れた。既に頭が痛いが、本当の
ただでさえ
そんなしょうもない妄言を、白目を剥きそうになるのを気合で堪えながら噛み潰す。
出発は今日の昼。フライト中はひたすら惰眠を貪ってくれるわふはははは。
……結局ロクに眠れんかった。
何度も往復したお陰か時差に苦しむことこそないが、初めて飛行機に乗ったクィネラは終始やたらとテンションが高かった。
いやお前ルーマニア来るとき使ったんじゃ、というツッコミも、日本から脱出した時期に注目を集めるのは得策ではなく、またクィネラもアンダーワールドから脱出する際、それまでは物質化して切り離していた記憶も持って来た事でライトキューブ容量は文字通りの意味で爆発一歩手前。別途大型メモリがなければ起動すらままならない状況だったと返された。こいつウチに寄生する気満々である。
そんなこんな、ガブリエルに預けるのは色々不安だし、ザザに押し付けるのはザザが可哀想だしで泣く泣くオーグマー越しにずっとこの女の騒ぎ声を聞き続けるというプチ拷問にだいぶグロッキーである。ジル?のらりくらりと逃げやがった。フライト中は機内モードを義務付けられてた時代が懐かしい。
そんなこんな、いつもより五割り増しで目つきの悪い状態で会談に臨むハメになった。本音では一日休んでからがよかったのだが、明後日には六本木でアリスの記者会見もある。ガブリエルたちの新しい戸籍申請が思いの外手擦った所為でスケジュールはカツカツである。
菊岡のお気に入りか、はたまた連中の息が掛かっているのか。指定されたのは、死銃事件後に奴と話したのと同じ喫茶店。貴族服とスーツ姿の野郎二人に、紺碧のスーツの女性が到着したのは、約束の時間二分前だった。
ちなみにザザは自由行動である。暫く滞在する予定だし、国際電話の値段は四十年前からさほど変わらん。積もる話もあるだろう、
周囲を警戒しながら小洒落た扉を潜れば、ウェイターに話しかけられるまでもなく、目立つ窓際の席に座る菊岡の面が視界に入る。マーリンを彷彿とさせる胡散臭い微笑みに、皮肉の一つでも飛ばしてやろうと口を開いて――
「――ヴラド?」
――その隣には、キリトと、サチの姿があった。
……どうやら俺は、随分と菊岡に警戒されているらしい。
◇◆◇◆◇◆◇
「――おーいキリトくん、こっちこっち!」
またこのパターンか!?
銀座のど真ん中で、こちとら場違いな制服を着て来ているというのに無遠慮な大声を出している菊岡の元へ急ぐ。俺一人なら多少視線が集まったところで大して気にならないが、サチを連れている現状、あまり注目を集めたくない。
待ち合わせ時刻前だというのに既に一皿平らげた跡のあるテーブルをジロリと見下ろし、乱暴に椅子に腰掛ける。なるべく店内からのぶしつけな視線を遮ろうとサチを窓際に誘導したけど、どこまで効果があるのか。
菊岡は、メニューを適当に捲って注文を決めたのを見守っていたようだが、ウェイターが去り、ケーキと紅茶が届いたタイミングになっても温かい視線で静かに微笑んでいるまま。そろそろ不気味に思えてきたあたりで訪ねてみれば、「いやあ、元気そうでなにより」と返され、思わず押し黙ってしまった。
――あの日。限界加速フェーズに突入したのを直感的に察知し、取り残された事実を理解した俺は、せめてアンダーワールドの人々には涙を見せまいと強く目を瞑り――
『――キリトくん!!』
『ゲェ、アスナ!?』
――なぜか、次のシーンではアスナにタックルされていた。感動もなにもあったもんじゃない。
まさかアスナもアンダーワールドに取り残されてしまったのかと、鬼気迫る表情の『閃光』から這々の体で必死に逃げ回りながら周囲の状況を把握してみれば、やたらとSFチックな金属剥き出しの壁や天井に、三台のSTL。そして、唖然とした表情の神代博士に支えられて立つサチ。
どこからどう見てもリアルワールドにしか見えない光景に思考がフリーズしていると、ダッシュで戻ってきた菊岡と比嘉さんによって、強引にその場で緊急検査を受けることになった。彼ら曰く。
――たった今、俺とサチのログアウト処理が完了した所であり、フラクトライトが崩壊するどころか、すぐに意識が戻ったのは、奇跡としか言いようがないとのこと。
サチも取り残されてたのかよとか、限界加速フェーズ以降の記憶既に無いんですけど等、言いたいことも実際に口にしたことも多々あったが、本土に戻った後の検査の結果、一ヶ月寝たきりだった体以外、至って健康だという結果がでた。
『……いったいどうやったんだい?』と目が笑ってない菊岡に聞かれたが、心当たりが全くない。カレンダーを見て、『サチの誕生日に間に合わせるために、こう、気合で?』と茶化すほかなかった。
――そんなことがあったからだろう。公的にはオーシャン・タートル襲撃で死亡したことになっている菊岡は、こうして度々顔を見にきていた。
とはいえこちらは元気そのものだと言うほかないし、それも原因不明の『奇跡』によるものだとしても不思議と拒否感や不安感は湧かない以上、二分の一の確率で高めのスイーツで舌を肥していた。なお残り半分の確率で口直しに奉山麻婆が欲しくなるレベルのゲテモノが来る。今回は喫茶店にサチとセットで呼ばれたから、確定で通常(?)の甘味だと喜んで来たのだが。
「と、ところで、だ。いくらなんでも顔を見るためだけに銀座に呼び出し、なんてことはないよな?」
チラッとメニュー表から、注文した物の値段を計算する。いつもの『お高いスイーツ』の倍近いお値段に、今日のことは舞弥さんには内緒にすることを心に固く誓っていると、実は待ち人がいるとのことを聞かされた。
「待ち人?誰だよ」
「君たちもよく知っている人物さ」
その返事に、最近連絡の付かない銀髪コンビとエストック使いのダンピールの顔を思い浮かべる。それと同時に、丁度背を向けた方向にある押し扉が、涼しげなドアベルを鳴らしながら開かれた。
現れたのは、見覚えのない金髪碧眼の男と、予想通りの銀色人外コンビだった。
「ヴラド?」
一月振り、と続けようとして――
「息災か。ならばよい」
と、短い返事をしたあとは、気まずげに目を逸らし続けるヴラド。どうやら隠し事が満載らしい。
下手に取り繕っているアイツをつついてもあまり効果がないことは、SAOの頃からの経験で知っている。気不味げに瞳が彷徨っているヴラドは、なにやらゴツいジュラルミンケースを足元に置いてから、菊岡と対面の位置に着く。
残った二人が空いてる席に座るなり、眉を顰めて菊岡と何やら外国語で会話を始めた。どうやらよほど触れてほしくないらしい。
僅か一分の間に盛り上がり始めた女子組に割り込むだけの心意パワーのない俺に残された話相手は、何やら怪しげな男のみ。
「…………」
じっと此方を見つめる――いや、『観察』してくる男。負けじと俺も睨み返す。
――しかし、見れば見るほど不気味な男だ。顔も体格も、特徴といえる特徴がない。肌が白く、眼が青く、髪が金色だとしか言いようがない。瞳の奥にすら、何の色も浮かばない。立って歩き、呼吸しているのを見ていなければ、人形と言われても信じただろう。
「……お前は、誰だ」
自然と、いつでも立ち上がれるように膝に力が入る。答えは即座に返った。
「ガブリエル。私の名はガブリエル・ミラー。お前こそ何者だ」
その問いに一瞬、アバターネームを返しそうになったが、本名で名乗った相手にそれは失礼かと考え直す。
「……桐ヶ谷和人だ」
「……ほう。お前が――」
男の表情が、変わる。目つきが鋭くなり、唇が薄く引き締まる。削げた頬に浮かぶのは、笑みと呼ぶにはあまりにも冷たいものだった。
ここにきて、瞳の奥に色が灯る。浮かび上がってきたのは、深い深い
ザザや、ジョニーの様な憧憬とも違う。PoHの様な、怨讐とも違う。
――どうしようもなく空腹で。砂漠の真ん中で、嘗て飲んだ一滴の水を再び求めて徘徊する亡者。覗き込んだ者はおろか、近付いた者すら呑み込むブラックホール。そんなイメージが浮かび上がる。
気が付けば、ガブリエルの右手が緩やかに、俺の首へと、伸びて――
「――ストップよ、ガブリエル」
「和人、大丈夫!?」
――そんなジルの言葉に、意識は急速に現実へと引き戻された。
いつの間にか呼吸を忘れていたのだろうか、心配するサチを安心させながら痛む肺に新鮮な空気を取り込む。
横目でガブリエルの手元を確認する。両手とも行儀良くテーブルの上に乗っていた。
……今のは、一体……?
背中を冷や汗で濡らしながら息を整えていると、右手が再び挙げられる。反射的に身を引くも、その手は俺を絞殺せんと伸びることなく途中で止まる。
「君がSAO
「ど、どうも……」
握手を求められたことに強烈な違和感を懐きながらも応じる。力加減は常識的なものだった。
「……本当に信用できるのですか?」
「貴様が見張れ。暗躍するよりよほど適任よ。聞いたぞ、内通者をエルキュール・ポアロ宜しく言い当てたのだと」
「いつからオーシャン・タートルはオリエント急行になったんですかね」
丁度あちらも一区切りついたのだろう。菊岡がヴラドの持ってきたジュラルミケースの、ヴラドが菊岡の持ってきた角二封筒の中身を確認しながら口にしているジョークは日本語に戻っていた。ていうか
「ふむ……」
ここは自身とサチの身の安全の為にも、ピトに倣って推理してみようか。
けれど外見的特徴から欧州かアメリカの人だろうということしか判別できない。手がかりが皆無だ。
相変わらず眼に鰭が生えてるヴラドは白旗振っても見えていないふりをするし、両陣の情報を握っているだろうジルに助けを求めることにした。
戦場と台所とミシンの前以外、いまいちアテにならない主に仕える完全で瀟洒な従者は、「まだ思い悩んでいるのですか?」とでも言いたげな胡乱な視線で自分の主人をメッタ刺しにして轟沈させると、俺たちにオーグマーを装着するよう促した。
言われるがまま、帰還者学校で配布された新型ウェアラブル・マルチデバイスを左耳に引っ掛けていると、復活したヴラドが焦燥感を滲ませる声で呻いた。
「待て、ジル。流石にそれは早すぎないか?」
「いずれ説明することになるのなら、早い方がいいでしょう。ご心配無く、アリマゴの件が彼らにとって公然の秘密になった時点で貴方のカリスマはとっくにブレイクしてますよ」
「あのいや、そうじゃなくてですね……」
哀れ無情にもトドメを刺されたヴラド。思わず口の中で呟いた「南無」の一言は届かなかったようだ。
「で、なんてったってオーグマーなんか――」
苦笑いしながら、立ち上がった直後の仮想デスクトップ越しにジルを見て――その直前、テーブルの上にちょこんと腰掛けていた妖精サイズの人物に、表情が凍りついた。
「……クィネラ、か?」
「ええ。久し振りね、坊や」
――ユイと同じくらいのサイズに縮んでいたが、そこにいるのは間違いなく、アンダーワールドの人界を支配し、生と死すら超克してのけた半神半人の英霊、クィネラ=アドミニストレータだった。
……予想外の人物の登場に、どういう反応を示せばいいのか分からず、感情と表情筋がバグる。彼女は間違いなく親友の仇であり、だが再び会話する機会を得たその親友共々、赦すことを決めたのだ。しかし思う所がないのかと聞かれれば、恨みがないと言えば嘘になる。
複雑怪奇な心境を察してくれたのか、ふわりと浮遊したクィネラが微笑む。
「その感情は貴方にとって、当然の権利よ。そして私は貴方に恨まれる義務がある」
「……いや、大丈夫だ。続けてくれ」
――ステイ・クール。だろ?ユージオ。
深呼吸して、心のモヤモヤとしたものを肺の空気ごと吐き出す。
「それじゃあ、まずはそこの不審者の正体から明かしていきましょうか」
俺が平静を取り戻したのを確認したクィネラが、ガブリエルを指差しながら告げる。今更ながらセキュリティは大丈夫なのだろうか。オーグマーは最新のハードだけありまだ数は出回っていないとはいえ、近々『オーディナル・スケール』なるARタイトルが発表されるからか、急速に知名度が上昇しているのだ。
だがそんな心配事は、クィネラの次の台詞によって衛生軌道にまで吹っ飛んだ。
「そこの男は、元GDSのCTO。一言で言えば、オーシャン・タートル襲撃の指揮官よ」
「……――ッ!?」
その言葉に、息を呑んだサチを背に隠しながら今度こそ限界まで後退る。何しろ、アンダーワールドで勃発した『異界戦争』の引金を引いた張本人が目の前にいたのだ。これがVRワールドなら間違いなく斬りかかっている。
だが他の面々は平然としている。それどころか菊岡は「つまり僕とは被害者と加害者の関係というわけだ」などと口にする始末。取り押さえる様子は無い。
「落ち着いてください、キリト。彼が妙な真似をすれば斬り捨てます」
「……説明は、あるんだろうな?」
「勿論」
『ジャック・ザ・リッパー』としての過去を内包するジルが明確に安全を保障したことで、ひとまず胸を撫で下ろす。警戒は続けるにせよ、このままでは話が進まない。
ジルがガブリエルに続きを促している傍らで、確かにこれは話し相手を選ぶ必要のある話題だなと独り語ちる。ユイを連れてきていないことを喜ぶべきか悔やむべきかは、まだ分からない。
「……確かに私はアリスの確保を命じられ、襲撃を実行した。だが元より本国に届けるつもりはなく、第三国へと脱出したのち、自分だけの仮想世界を創造する予定だった。
私の目的は、魂の探求。人間のフラクトライトの究明と言い換えてもいいだろう。それを達成するのに必要な被験体はアリスだけでは足りないが、逆にいえば
……発言と発想が完全に狂人のそれなんだが。こいつはその為だけにアンダーワールドで不必要な流血を強要したのか?と毒を吐きたくなったが、それだけの人間であればとっくにヴラドが捻っているだろうし、気不味げながらにコイツを俺たちに引き合わせることはしないはずだ。
自衛隊に人工フラクトライト搭載型の国産戦闘機の配備を目指す菊岡と、手段はさておき魂の本質という知識欲が満ちる瞬間を望むガブリエル。この男の言葉を信用するのなら、目的を擦り合わせていけば落とし所は探れるだろう。
それに彼の経歴――襲撃者たちの企業の
……理解は、出来る。だがその考え方は、
「――そうだ。それは、我々の様な、目的の為なら手段を選ばない類の人間のやり口だ。故にお前たちは我々の思惑など気にせず、思うがままに進むが良い。なに、何かあれば直ぐに駆けつけよう」
くしゃくしゃと、俺とサチの頭を順に撫でる老兵。
……その手つきは、直接血の繋がった両親を喪った俺たちには縁のない、祖父の様な優しさを想起させるもので。
「……別に。狂人の扱いならSAOで慣れてるから大丈夫だって」
つい口調が拗ねた子供の様なものになってしまった。
微笑ましいものを見る眼の陰謀野郎二人から、今度は自分から目を逸らす。ジルも似た眼をしていた。に、逃げ場がない。
残った向きは正面のみ――ガブリエルと目があった。今ばかりはその何考えているのかさっぱりな生気を感じない硝子の眼がありがたい。
半分ヤケになって追加のデザートを注文し終わると、再びガブリエルから握手を求められた。
「改めてよろしく頼む。『黒の剣士』よ」
「……言っておくけど、サチにだけは絶対に手をだすなよ」
よく見れば節々にタコが出来ているその手を、俺は――――――
「――ところでヴラド、切嗣さんから伝言があるんだけど」
「ほう?彼奴が直接連絡を寄越さずに言伝とは珍しい」
ケースを受け取った菊岡がガブリエルを連れて退席した後。ジルとサチがお土産のケーキを追加で選んでいる間、切嗣さんから頼まれた言葉を伝えることにした。
内容は、たった一言。
「――『ありがとう』だってさ。ずっと、直接言葉には出来ていなかったって」
……その時のことは、よく覚えている。
まだ俺がリハビリの為に入院していた二週間前のこと。お見舞いに来てくれた彼に、アリマゴの生き残りであるヴァサゴとの顛末を全て話した。
そして、アリマゴの最後の一節を聞き届けた。
――その顔を覚えている。
目に涙を溜めて、生きている人間を見つけ出せたと、心の底から喜んでいる男の姿。
――それが、あまりにも嬉しそうだったから。
まるで、救われたのは自分ではなく、男の方ではないかと思ったほど。
死の直前にいた自分が羨ましく思えるほど、男は何かに感謝するように、ありがとうと、呟いていた。
見つけられて良かったと。
一人だけでも助けられて救われたと、誰かに感謝するように、これ以上ないという笑顔をこぼした、と。
……それだけなら到底意図を読み取れない、短い伝言だった。だがヴラドにはそれだけで伝わったようで、「そうか……そうか……」と、絞り出すように呟いていた。
その後、喫茶店を出て別れるまで、ヴラドが口を開くことはなかった。
「――俺は、間違えて、いなかったのだな」
――鼻声のその言葉は、聞こえなかったことにした。