骸骨の魔王と赫灼の焔王   作:エターナルフォースブリザード

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第九話 偵察、そして出撃

 ナザリック地下大墳墓第九階層にあるモモンガの執務室は豪華ではあるが、フォーマルハウトの私室と比べるとシンプルな造りだ。

 白基調の壁に囲まれた部屋に飾られた調度品の数々には細やかな意匠と装飾が施されており、その高価さと希少性を感じさせる。床には真紅の毛足が長いふわふわとした絨毯が敷き詰められており、余程激しく歩かない限り足音が響くようなことは無い。

 しかし、それだけだ。

 フォーマルハウトのように壁紙の色を変えたり、自分好みの装飾品で部屋を飾っているわけでもない。あくまでロイヤルスイートと呼ばれる第九階層の雰囲気に相応しい内装の部屋だ。

 これはかつてのギルドメンバーの一人が準備したデフォルト内装のまま弄り回すことをせず、他のギルドメンバーのように趣味全開の魔改造を施さなかったことが原因だ。

 そんな執務室にある黒檀の執務机。そして総黒革の椅子にはこの部屋の主であるモモンガが座していた。モモンガの斜め後ろには執事であるセバスが立ったまま控えている。

 さらにはモモンガの隣、セバスとは反対側には新たな椅子が用意され、フォーマルハウトが座っていた。その後ろから甘えるように覆い被さって密着しているのはヴェルフェニアで、大きく開かれたマントからは白磁の肌がちらちらと見え隠れしていた。さらにその後ろにはセバスのように直立不動の姿勢でシズが控える。

 モモンガの前には直径一メートルほどの大きさをした楕円形の鏡が宙に固定されるように置かれており、それを三人で覗き込むような体勢だ。

 鏡に映るのは覗き込む三人の顔ではなく、森林だ。空から見下ろすような視点で、鬱蒼と生い茂る緑の木々が映し出されている。

 これは静止画ではなく、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)によって映し出されている中継映像だ。その証拠に、映し出されている木々の葉が風にそよいでゆらゆらと揺れている。

 映し出されているのはナザリックのある山岳地帯から南下した場所に広がっている森林地帯だ。

 偵察に出した影の悪魔(シャドウ・デーモン)たちからの報告では、北部、西部、東部には代わり映えのしない山岳が延々と広がっており、南部に広がる山の麓には森林が広がり、森を抜けた先にはいくつかの農村らしき集落が発見出来たらしい。さらに村の中には人間種と思われる生物が生活しているとのことだった。

 そこで、潜入による無用なリスクを避けるために影の悪魔(シャドウ・デーモン)たちを撤退させ、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)による偵察行動に切り替えたのだ。

 だが、ここで問題が発生した。

 ユグドラシルでは遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)の操作を行うにはコンソールを弄り回せばいいだけだった。しかし、転移してからはコンソールなど存在せず、モモンガには操作方法が全く分からなかった。

 そこで急遽フォーマルハウトが呼び出され、付いて来たヴェルフェニアを含めた三人で操作方法を模索することになったのだ。

 

「ダメだ、全く分からないな」

 

 試行錯誤を始めてから二時間。フォーマルハウトたちを呼び出してからさらに二時間。アンデッドであるため肉体の疲労は無いが、モモンガは精神的疲労から溜息を吐く。

 

「腕振り回して謎の動きをしてる骸骨の絵面は結構シュールですよ、モモンガさん」

「仕方ないでしょうが! だったらフォーマルハウトさんがやって下さいよ、ホラ!」

 

 モモンガの手によって鏡がフォーマルハウトの正面に移動する。

 大きな鏡ではあるが宙にふわふわと浮いているので移動させるのは容易だ。

 余計な発言をしたことを後悔しながら適当に手を動かしてみる。知りたいのは視点の拡大、縮小なのだが、鏡の中で起きる変化は視点の移動や九十度回転などで望んだ変化は生じなかった。

 

「ほら、フォーマルハウトさん、奥さんも見てるんですから頑張って下さい」

「くっくっく、フォーマルハウト、格好良いところを見せてくれよ」

「他人事だと思って……」

 

 背中からヴェルフェニアの応援を受けながら鏡の前で腕を動かし続ける。それから一時間もしないうちに精神の限界が訪れる。

 忠誠心に厚く、至高の四十一人の役に立てるのならば己の死すら喜んで受け入れるようなシモベたちならば何十時間だろうと調査を続けるだろうが、生憎とフォーマルハウトは元人間の一般人だ。彼の精神はそんなに強靭ではない。

 むしろこれに関してはモモンガの根気が強すぎる。流石に都合四時間も望む結果が得られない調査を休息も無しに続ける気にはなれない。

 

「……ダメだ」

 

 呟いて、お手上げ状態を体現するように両手を大きく広げる。

 それと同時に画面が拡大される。

 

「えっ」

 

 呟きと共にモモンガの顎骨がカクンと落ち、唖然としたように口が開かれる。

 広げていた手を鏡の中心へ寄せるように動かすと画面が縮小され、広げると再び拡大される。どうやら両手を翳して中央から広げるか中央に寄せるかで拡大、縮小が行われているようだ。

 

「……ドヤァ」

「うわっ、この赤毛野郎腹立つなぁ!」

「どうした骸骨君、嫉妬かな?」

「……流石は私の創造主だ、フォーマルハウト」

 

 ヴェルフェニアが微妙な顔でフォーマルハウトを称賛していた。

 

「ともかくモモンガさん、俺は村の詳しい座標とか分からないんでお願いします」

「はぁ、分かりました」

 

 モモンガが鏡を操り始める。

 視点の移動、回転、拡大、縮小。基本的な操作の全てが判明したことで、モモンガの手の動きは加速する。

 操作に合わせて目まぐるしく変わる景色を眺めていると、ようやく目的の農村が映った。かなり高い位置から見ていたため動き回る村人と思しき影は豆粒のようだったが、モモンガが手を広げるように動かすと人影や家屋が拡大されて鮮明に映し出される。

 映し出された村はとても小さな村だった。村全体が小さな柵で囲まれ、みすぼらしい木造のボロ屋と表現するのが最も正しい家屋が二十軒ほど疎らに建てらている。家と家の間には大きな畑がいくつも見られた。

 村の中心らしい広場では鬼ごっこでもしているのか、子供たちが走り回っている。広場の真ん中辺りには井戸があり、その周辺では水汲みに来たであろう主婦たちが歓談している様子も見られた。

 少し離れた場所にある広々とした畑には麦と思われる黄金色の植物が植えられ、それを手入れする農夫たちが忙しなく動き回っている。

 フォーマルハウトは牧歌的な雰囲気を見せる村を眺めながら、様々な場所へと目を向ける。

 建物の造りや村人が来ている衣服、生活様式。

 そこからいくつかの答えが導き出される。

 

「何と言うか、中世って言うんですか? そんな感じの生活ですね。水の確保に井戸ですよ?」

 

 フォーマルハウトは現実世界(リアル)で目にした百年ほど前に流行っていたらしいライトノベルを思い出す。

 そこで描かれていた生活様式はまさしく目の前に映る映像のような生活であり、大気汚染が進んだ現実世界(リアル)ではまさしくフィクションとしか思えないようなものだった。それが今目の前で繰り広げられていて興味をそそられる。

 

「文明レベルはそれほど高くないみたいですね」

「どころか畑仕事に牛使ってるみたいですよ。村全体で二頭は家畜にしては数が少なすぎます」

「村で共用なんですかね……」

 

 その後も視点を動かしながら村の中を見て回ったが、映るのは走り回る子供たちや畑仕事をする農夫ばかりだ。

 ひとまず文明レベルはフィクションの中でよく見る中世レベルだということは分かった。また、魔法の使用が確認されなかったため、魔法が存在するのかは分からない。

 

(と言っても、俺たちが魔法を使える以上あってもおかしくはないと思うんだけどな)

 

 さらに偵察段階では森の中にゴブリンなど低レベルのモンスターも確認出来ている。

 村には剣や弓、或いは銃のような武装が一切見受けられないため、一般人と呼べるような村人でも魔法かそれに準ずる能力が使えると見てもいい。でなければ村の防衛が成り立たない。

 まさかモンスターが棲息している森の近くに村を構えて、何の防衛能力も無いなどということもないだろう。

 

「しかし、どうみても低レベルにしか見えないな……」

「確かに……フェニアはどう思う?」

「ふむ」

 

 フォーマルハウトの肩越しに鏡を覗くヴェルフェニアの瞳に映るのは、畑の手入れを行っている農夫だ。

 長年の畑仕事で丸まった背中をさらに丸くして屈み、錆が目立つ鎌で畑に生えた雑草を刈っている。

 その所作は熟練の農夫のそれだったが、それ以外に目立った点は無い。魔法やこの世界特有の能力などを使っている様子も見られず、高レベル特有の身体能力を有している様子もない。

 どこからどうみてもただの農夫だ。

 

「……私には探知系能力は殆どないから何とも言えないが、レベル一桁ではないか? これではゴブリンにも対抗できまい」

「だよなぁ」

「ではこの世界特有の何かがあると考えるべきか……」

 

 フォーマルハウトはぶつぶつと呟きながら考え始めたモモンガを無視して、鏡を自分の前へと動かす。

 考えることはモモンガに任せ、資料やフィクションでしか見たことがない農村の暮らしとやらを観察することにした。

 

「お前も考えなくていいのか?」

「頭脳労働は俺の担当じゃないからな」

 

 適当に鏡を操って村の中を上空から見て回る。

 殆どの自然が死に絶えたと言ってもいい現実世界(リアル)において、自然に囲まれた暮らしなどは皆無だ。

 深刻な大気汚染の中で生存するには人工心肺が不可欠。それでも尚外出にはガスマスクが必要。その汚染は土壌までもを汚染し、植物などは当然殆ど育たず、農作業や畜産業は一部のアーコロジー内で細々と行われていた。

 ゆえにフォーマルハウトは農作業など資料やフィクションの中でしか見たことが無い。そもそも生まれてから転移するまで土に触れたことすらないのだ。

 自然を愛したブルー・プラネットほどではないが、大なり小なりみんなが自然への憧れを持っている。それはフォーマルハウトも同じで、鏡に映し出されている光景には興味が尽きない。

 出来ることならあの場へ行って農業体験でもしてみたいくらいだった。

 

(農業か……第六階層でも出来るか?)

 

 第六階層はジャングルだが、全域がそうというわけでは無い。もちろん大半は鬱蒼と生い茂る密林だ。しかし、闘技場や遺跡を模した建築物、小さな湖、大穴など多彩な地形で構成されており、小さな集落程度なら作れそうな広場もある。

 小さな畑くらいなら問題無く作れるだろう。

 加えて第六階層守護者のマーレは森祭司(ドルイド)だ。植物の扱いに長ける森祭司(ドルイド)の魔法や助言を受けることも出来る。

 

(……うん、そういう生活も中々いいんじゃないか?)

 

 自給自足。既に現実世界(リアル)では使われなくなって久しい言葉だが、憧れる言葉だ。

 ヴェルフェニアと二人きり、田舎の農村で農作業をしながら牧歌的な暮らしをする風景を夢想し、自然と口元がにやける。

 その様子を間近で見ていたヴェルフェニアが怪訝そうな表情で口を開く。

 

「どうした、急ににやけて。……あぁ、こういう娘も好みなのか?」

「は?」

 

 娘『が』ではなく『も』と言うのは自分がフォーマルハウトの好みと合致しているという自負からだ。

 妄想の世界から戻ったフォーマルハウトの目に飛び込んで来たのは、他の子供たちと共に楽しそうに走り回っている、恋愛対象として見るには少し幼すぎる少女の姿だ。

 妄想しながら適当に操作をしていたら、妙なところで視点が固定されてしまったらしい。

 

「いや、違――」

「ふむ、少々田舎臭い気もするが……お前が好みだと言うのならいいのではないか?」

『は?』

 

 今度はモモンガも一緒に間抜けな声を漏らす。

 

「? モモンガ様まで、どうしたのですか?」

「いや、どうしたじゃなくて……ごほん! ヴェルフェニア、お前はフォーマルハウトさんが、あー……他の女性を気に掛けていても何とも思わないのか?」

「はい、特には何も。むしろフォーマルハウトはハーレムを作るべきだと思っています」

『ハーレム!?』

 

 再び二人の声が重なる。

 

「優れた男の周りに女が集まるのは当然のこと。であれば、私のフォーマルハウトの周りに女が集まるのも当然です」

「そ、そう……なのか?」

「それに、夫を慕う者が多いのは妻として誇らしくもあります」

 

 とんでもないことを言い始めたヴェルフェニアに二人は困惑する。

 モモンガから『何て設定をしたんだ』という抗議の視線が送られてくるが、フォーマルハウトからすれば知ったことではない。こんな設定は施していないのだ。

 

「だからフォーマルハウト、ハーレムを作ると良い。あぁ、もちろん正妻は私だぞ、そこは譲らん」

 

 笑みすら浮かべながらそう宣うヴェルフェニアを見て微妙な表情を浮かべる。

 ただ、予想外の振る舞いに混乱の極みに到達して沈静化された精神で冷静に考えると、困惑とは別の感情が生まれてくる。

 

(……あれ、アリなんじゃないか? ハーレム)

 

 まずナザリックにいる女性陣はほぼ全員が可愛らしい。それぞれタイプは違えど、守備範囲が広くて悪く言えば節操の無いフォーマルハウトには全員がストライクゾーンと言ってもいい。

 もちろん本人の同意無しで手を出すなどはしないが、ヴェルフェニアという正妻の存在も後から側室が増えることも全てひっくるめて同意してくれるのなら、男としてとても素晴らしいことなのではないだろうか。

 正妻もそうしろと言っている。何を躊躇うことがある。

 結局のところ、ハーレムという男のロマンの誘惑に抗えていないだけなのだが。

 

「……うん、アリだな」

「だろう」

「いやいやいやいや! 何納得してるんですかフォーマルハウトさん!」

 

 モモンガが掴み掛らん勢いでフォーマルハウトへと詰め寄る。

 

「落ち着いて下さいモモンガさん。俺、思ったんですよ、ハーレムは男のロマンだって」

「何でそんなこと思ってしまったんですか……」

「安心して下さいモモンガさん、全員必ず幸せにしますから」

「そういう問題じゃないですからね!? そもそも女性と付き合ったことあるんですか?」

「モモンガさんと同じですが」

「経験ゼロじゃねーか! ハッ!?」

 

 叫び、モモンガは周囲にセバスたちが控えていることを思い出す。

 恐る恐るとセバスの方を見やるが、当のセバスは何の感情も表に出していない。主の恥を聞かなかったことにしてくれたのだろう。そう判断し、モモンガは出ない息を大きく吐いて心を落ち着かせる。

 セバスもまた、モモンガの期待に応えるかのようにこの場での話は全て聞かなかったことにするつもりだ。まさしくナザリックの執事に相応しい心意気だと言える。そしてシズも同様に、メイドとしての矜持があった。

 なお、二人の気遣い虚しく、後日この時の会話はヴェルフェニアによってアルベドとシャルティアへと渡り、ナザリック全体へと広まることになった。

 そんな未来を知る由もないモモンガは一度咳払いをして、真剣な目でフォーマルハウトを見つめながら口を開く。

 

「ごほん……本気ですか?」

「本気です。半分ほどは」

「……はぁー」

 

 モモンガがこれ見よがしに大きな溜息を吐く。

 肺の無い体で吐き出した息は一体どこから出ているのか。

 

「条件があります」

「……お裾分けはしませんよ?」

「いりませんよ!」

 

 モモンガが出した条件は三つだ。

 一つはナザリック内の者には同意無しで手を出さないこと。無いということは分かっているが、親友が親友の子供たちを強引に手を掛けることはモモンガには受け入れ難いことだからだ。

 もちろんフォーマルハウトもそうするつもりはない。

 二つ目はナザリック外の者を迎える場合、ナザリック内へは入れずに外で養うことだ。ナザリックには人間種を見下し、嫌悪する者たちが大半を占める。そのシモベたちに無用なストレスを与えないようにするための措置だ。

 また、フォーマルハウトが自分の感性で引き入れただけの存在をナザリックの者として迎えることは出来ないという考えもあった。

 この養うための費用などは全てフォーマルハウト本人が自費で支払う。自分のペットは自分で世話をしろということだ。

 そして最後が処分について。

 裏切った場合やフォーマルハウトが飽きた場合、何らかの失態によってナザリックに対して多大な不利益を見舞った場合には、フォーマルハウト自身が責任を持って処分するという決まりだ。

 

「うん、おけおけ」

「そんな軽く……まぁいいです。ヴェルフェニアもそれで良いな? ナザリックの者たちにはくれぐれも迷惑を掛けないように」

「はい、畏まりました。ご安心下さい、私が責任を持ってフォーマルハウトに相応しいハーレムを築きます」

 

 女としては妙に間違っているよう思えるヴェルフェニアの言葉を聞き流しながら、フォーマルハウトは未来へと思いを馳せる。

 ナザリックのNPCたちは美人だ。NPCだけでなくシャルティア配下の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)もそうだし、デミウルゴス配下の嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)も色気があって良い。

 流石にギルドの活動としてエロモンスター狩りに行こうと言い始めるペロロンチーノほどではないが、フォーマルハウトもそれなりにエロモンスターが好きだ。ペロロンチーノや一部のギルドメンバーと共に、女性陣には内緒でエロモンスターのスクリーンショットコレクションを集めていた時期もあった。

 ナザリック外に期待出来るかは分からないが、フォーマルハウトはそれほど悲観していなかった。

 モモンガが気付いているかは分からないが、村の中を見て回る過程で映った女は大体が整った容姿をしていた。シワやたるみが目立ち始める壮年期の女ですら、そういう対象に見ることは出来ないまでも嫌悪感や忌避感を抱くようなことはない。

 整った容姿であるのは男たちも同じであり、現実世界(リアル)で散々自分の顔を見て来たフォーマルハウトからすれば腹立たしいことこの上ない。ユグドラシルで作った、美形のアバターの姿をしていなければ理不尽さに嘆いていただろう。

 この村だけが特別美男美女が多いということは無いだろうから、世界全体における容姿の水準が高いのかもしれない。単なる予想ではあるが、確信に近い予感を持っていたために自然と顔がにやける。

 

(まったく、現実世界(リアル)とは大違いだな。まぁ見た目だけで選ぶつもりはないけど……いや、まず俺がモテるのかどうかからか。ナザリックだとモモンガさん以外みんなちやほやしてくれるからな……ん?)

 

 視界の端に収めていた鏡の映像に妙な動きがあった。

 既に少女のアップ映像から通常の俯瞰視点に切り替わっていた鏡の中では、村人たちが慌ただしく動き始めた。手に持っていた農具を打ち捨て、自らで手入れをしていた麦畑を踏み荒らすことも厭わずに走り出す。

 

「……何だ?」

「どうした、フォーマルハウト」

 

 背中に感じるヴェルフェニアの感触を意識の外へ追いやって、食い入るように鏡の映像を見る。先ほどまでハーレムがどうこう言っていた者と同一人物とは思えない表情だ。その雰囲気の変化を感じ取ったモモンガも鏡の中へと目を向ける。

 鏡の中では村人たちが一目散に東側へと走っていく様子が映し出されていた。その後少しして、村の西側から多数の何かが映り込む。

 それは人のような二足歩行の生物であったが、人間ではない。かといって森妖精(エルフ)のような近親種の姿でもない。

 擦り切れた腰布しか身に付けていないその体は大の大人よりも一回り大きいが、決して贅肉に塗れているわけではない。無駄な贅肉が削ぎ落とされた引き締まった筋肉質の肉体は剛毛とも呼ぶべき毛むくじゃらの毛皮で覆われ、頭部は獅子や虎のような肉食獣を思わせる。

 強靭な手足の指先には太く鋭い鉤爪が備わっていて、脆弱な人間程度の肉体ならば簡単に引き裂いてしまえそうだ。

 そんな存在が十体ほど、村を囲んでいた小さな柵を破壊し、次々と村の中へと雪崩れ込んで行く。

 

「ビーストマン……? ユグドラシルの種族もいるのか」

「団体旅行って感じでもないですね。祭りか?」

 

 怪訝な表情で鏡を見つめていた二人の目に飛び込んで来たのは、虐殺だった。

 ビーストマンは逃げ惑う村人に、その肉体から生じられる瞬発力で瞬時に追いついて飛び掛かるように牙を突き立てる。苦痛と重さにバランスを崩した村人が倒れ込んで地面を転がるが、その男が解放されることはない。

 涙を流して何とかビーストマンから逃れようともがく男に、ビーストマンは爪を突き立てる。殺すのではなく痛めつけるのが目的らしく、確実に急所を外して腕や肩などを突き刺し、潰し、抉る。

 溢れ出た血の匂いに呼応するかのように他のビーストマンたちも次々と獲物へと飛び掛かる。

 瞬時に追いついて殺す者。わざと時間をかけてゆっくりと追い回し、絶望と恐怖を煽る者。捕まえた人間を力尽くで持ち上げて壁や地面に叩き付け、玩具のように遊ぶ者。それら方法は様々であったが、最後にビーストマンたちが行ったのは同じ行為だった。

 食事だ。

 彼らは村人たちを食らったのだ。

 人型であるのに、獣のように事切れた村人たちを押さえつけ、その腹や腕に顔を突っ込むようにして食らう。鋭い牙で噛み千切り、時に爪や強靭な腕で一口サイズに解体してから腹の中へと収めてゆく。中にはまだ生きている村人から臓物を引きずり出して、その悲鳴と絶叫を聞いて愉悦に顔を歪めながら食事を行う者もいた。

 そうして他の村人を犠牲にして何とか村から出た村人たちを待っていたのは更なる絶望だ。

 別動隊らしきビーストマン十体ほどが目の前に現れ、村人たちの退路を塞ぐ。前方にはビーストマンという自らを上回る暴力、後方にはかつての隣人や家族たちの悲鳴やすすり泣く声が響く地獄絵図。逃げられるという僅かな希望から一転、絶望へと追い落とされた村人たちはついに恐慌状態に陥る。

 打ち捨てられた農具を広い直し、武器として構える者。手近な家の中に逃げ込み、戸や窓を閉め切って震える者。狂気に身を落とし、笑い始める者もいた。

 

「ちっ!」

 

 不快さを隠すことも無く舌打ちし、画面を別の場所へと切り替えようとしたフォーマルハウトは気付く。

 自分が余りにも冷静すぎるということに。

 虐殺を見せられて感じたのは不快さと苛立ちだ。それは虐殺に対してのものではなく、自分とヴェルフェニアの二時間に渡る鏡との悪戦苦闘の成果を邪魔されたような感覚を受けたからだ。

 長い時間をかけて成し遂げたことに対して、最後の最後で取るに足らないケチがついた。

 それだけしか感じなかった自分に対して、フォーマルハウトは僅かな恐怖を抱く。

 精霊である自分は、既に人間を同族として認識していない。そんなはずはないと頭の中で否定しても、冷静な別の自分がそれは当たり前だと囁いてくる。

 誰よりも良く知っているはずの自分が、まったく別の何かに変質してしまっている感覚。だがそれすらも受け入れ始めている自分が恐ろしい。その恐ろしさも、どんどん薄まってゆくのを感じる。一体どうすればいいのか。

 ふわりと、柔らかくて温かな何かがフォーマルハウトの頬に触れた。

 

「大丈夫だ。お前が何を恐れているのかは知らないが、ここには私がいるのだから。何も恐れることなどない」

 

 フォーマルハウトにだけ聞こえるように小さく、そして優しく諭すように囁かれた声は、フォーマルハウトの心を恐怖から救い上げた。感じていた恐怖は安らぎへと変わり、気付かないうちに荒くなっていた息が自然に整う。

 

「……格好悪いとこを見せたな」

「ふふ、気にするな」

 

 慈愛に満ちた笑みを浮かべるヴェルフェニアを見て、確信する。

 きっと自分がまた自分を見失いかけてしまっても、ヴェルフェニアさえいれば大丈夫だと。

 隣に座り頭を抑えるようにして険しい視線を鏡へと向けているモモンガを見やる。

 恐らく自分と同じように悩んでいるのだろう。長年の付き合いからモモンガの胸中を読み取ったフォーマルハウトは、モモンガの肩へ手を置いて立ち上がる。

 

「行きますよ、モモンガさん」

「え?」

 

 驚いた様子のモモンガを見て笑い、そしてセバスへと視線を向ける。

 

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前。なぁ、セバス?」

「! はっ!」

 

 それはセバスの創造主であるたっち・みーの口癖だ。

 フォーマルハウトもモモンガも、その言葉と共にたっち・みーに助けられたことは数え切れないほどある。

 だから、その言葉でモモンガもまた決意する。

 

(……どちらにせよ、この世界で自分たちの力がどれだけ通じるのか、試さなければならないわけだしな)

 

 妙な気恥ずかしさを打算的な考えで振り払い、モモンガは立ち上がる。

 

「セバス、お前とフォーマルハウトさんが前衛。私とヴェルフェニアが後衛だ。シズはナザリックの警備レベルを最大限引き上げるよう各所へ通達。それとアルベドには完全武装で来るように伝えろ。次に後詰の準備だ。この村に隠密能力に長けるか透明化能力を持つシモベを複数送り込め」

「畏まりました」

「モモンガさん、急いで。間に合わなくなります」

 

 急かすフォーマルハウトの視界に映る鏡の中では場面が代わり、先ほどフォーマルハウトが映していた少女が村の外に広がる草原へと逃げ込む様子が映されていた。その背後を三体のビーストマンがゆっくりと追いかける。

 モモンガはすぐさまアイテムボックスを開き、そこからスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを取り出す。

 その間に転んだ少女へとビーストマンの手が伸びる。もはや時間が無い。モモンガの口から言葉が滑り落ちる。

 

「<転移門(ゲート)>」




 書き溜めが切れました。
 これまで毎日更新していましたが、これからは更新頻度が落ちますがご了承下さい。
 毎日投稿してる人ほんと尊敬する。

 察しの良い方……というかオバロ知識のある方なら大体ナザリックがどの国に転移したのか分かると思います。

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