骸骨の魔王と赫灼の焔王   作:エターナルフォースブリザード

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第一話 異常事態と嫁

「……ん?」

 

 初めに違和感を覚えたのはモモンガだった。

 隣から聞こえた小さな声に反応し、フォーマルハウトは閉じていた目を開いてモモンガへと問い掛ける。

 

「どうしました?」

「いや……もう、時間ですよね?」

「え?」

 

 そう言われて時間を確認すると、既に終了予定時刻は過ぎていた。

 思いつくのはサービス終了時刻の延期か、機材トラブルなどで強制ログアウトが遅れているかなどだ。

 そういった告知メールが運営から送られていないか確認するためにコンソールを開くが――

 

「あれ、開かん」

「コンソールですか? こっちもですよ。ログアウトも出来なければGMコールも利きません。一体どういうことなのか……」

 

 モモンガの声色には苛立ちが含まれていた。

 表情には出さないがフォーマルハウトも同じ気持ちだ。

 終わりの瞬間に特大の不具合を発生させて水を差すような不始末を仕出かすユグドラシル運営に対して、ジリジリと焼けつくような苛立ちが募る。

 

「どうかなさいましたか、モモンガ様、フォーマルハウト様?」

 

 聞こえるはずのない声に、二人の苛立ちは霧散する。

 それは鈴を転がすような美しい女性の声だったが、アインズ・ウール・ゴウンに所属する三人の女性プレイヤーのどれとも違うものだ。そもそもこの場にはモモンガとフォーマルハウトの二人しかいないのだから、第三者の声が聞こえること自体があり得ない。

 では誰の声なのか。その謎はすぐに解明された。

 

「失礼致します。どうかなさいましたか、モモンガ様、フォーマルハウト様?」

 

 声が聞こえた方へと二人が視線を向けると、そこには心配そうな表情を浮かべた女性が立っていた。

 艶やかな長い黒髪を持つ女性。優雅な白いドレスを纏う女性らしい豊満な体と傾国の美女と評するに相応しい天上の美貌は異性だけでなく同性をも魅了するだろう。

 しかし最も特筆すべきは、その人に非ざる特徴だ。左右の米神からは山羊を思わせる角が前方へと伸びており、腰からは漆黒の翼が生えている。

 二人はこの女性を知っていた。だからこそ、硬直し、言葉を失い、動揺する。

 

「アル……ベド……?」

「はっ! 守護者統括アルベド、御身の前に」

 

 モモンガの喘ぐような問いにアルベドは跪き、臣下の礼をもって答えた。

 それは本来有り得ないことだった。

 ユグドラシルではプレイヤーたちが都市や城、ダンジョンなどを制圧してギルドホームとして利用することが出来る。

 その際、課金アイテムやクリエイトツールなどを使用してダンジョン内を自由に改装したり、配置するNPCを作成したりする権利を得られるのだ。

 そして彼女――アルベドはかつてのギルドメンバー、タブラ・スマラグディナが心血を注いで創り上げたNPCである。

 十ある言葉の影のうち、この場にいるプレイヤーは二人。それ以外の八つの影はNPCたちであり、そのうちの一つが玉座の横で跪き臣下の礼を取るアルベドだ。

 彼女は守護者統括という地位を与えられ、玉座の間に正式に配置されたNPCだ。それゆえにこの場にいる違和感はない。

 他七人のNPCたちは玉座に配置されていたわけではないが、最後なのだからとモモンガとフォーマルハウトが玉座の間に連れて入った者たちなので、そこにいることには何の不都合も無い。

 ではなぜ、二人は今動揺しているのか。

 

(NPCが……会話を?)

 

 絶句するフォーマルハウトはユグドラシルのNPCに関する仕様を思い返す。

 基本的にユグドラシルのNPCたちは会話出来ない。マクロなどの事前設定によって特定条件下に決められた言葉を発することは出来るが、だたそれだけだ。

 今目の前で繰り広げられたように、自らの意思で会話などしない。出来ないのだ。

 だが、モモンガがアルベドと会話をしている様子を目の前で見せられては受け入れるしかない。

 

(は? え? いや、待って、何でモモンガさん普通に会話してるの? 俺がおかしいのか? そんなはず――)

 

 そのあり得ざる状況にフォーマルハウトの混乱は最高潮へと達した。

 その瞬間に彼はふと冷静な状態へと立ち返る。

 時化で荒れ狂っていた海が急に凪いだように、彼の焦りは急激に沈静化される。

 唐突に頭の中がクリアになったような感覚に違和感を覚えながらも、フォーマルハウトは未知の状況に対する答えを模索する。

 

(考えられるのは……大型アップデート? でもサービス終了の告知は確かにあったわけで……ならサービス終了と同時にアカウントや世界観を引き継いでユグドラシルⅡがサービス開始された? いや……あり得ない)

 

 ユグドラシルなどのDMMO-RPGにおいて、相手の同意無しに強制的にゲームへ参加させる行為は営利誘拐と認定される。

 ましてログアウトも出来ないともなれば、それは仮想世界への監禁行為ですらある。

 果たしてゲームの製作会社や運営会社がそんなリスクを冒すような真似をするだろうか。

 答は否だ。

 

(なら、この状況は何だ? まるでNPCたちが生きているかのように振る舞うこの状況は何だっていうんだ?)

 

 横目で様子を窺えば、モモンガが玉座の下に跪く者たちに口頭で命令を下している。

 鋭く力強い瞳を持ち、執事服に身を包んだ白髪初老の男性。彼はナザリック地下大墳墓の家令、セバス・チャンだ。

 その後ろに乱れぬ見事な整列をして跪いているのは、戦闘メイドプレアデス。それぞれが様々な特徴を持つ六人のメイド達であり、有事の際には戦力として機能する。

 セバス以下七名、全員がアルベド同様プレイヤーメイドのNPCだ。

 本来NPC達に指示をするにはコンソールなどのシステムを利用するか、事前設定したコマンドを口頭で告げるかの方法を取る必要がある。

 これらはいずれにせよ具体的な指示を与えることは出来ず、追従させる、待機、指定ルートの巡回などごく簡単な指示しか出来ない。

 だがモモンガがセバスへ下していた命令は、ナザリック地下大墳墓から外に出て、周囲一キロ圏内を偵察、知的生物がいた場合は交渉して連れてこいというものだった。

 ユグドラシルでは到底実現不可能な命令にもセバスは二つ返事で了解した。

 命令を受けて玉座の間を後にするセバスとプレアデスたちの背中を見送り、再びフォーマルハウトは思考の海に沈んでゆく。

 

(コマンドを用いない指示を受諾して行動した……自由度が高すぎるな。それに拠点防衛用NPCは拠点であるナザリックから出すことは出来なかったはずだ。どうなるんだ?)

 

 考えつくのはユグドラシルが現実になってしまったという可能性だった。

 突拍子もない考えだが既に陥っているこの状況こそが突拍子もない状況であるため、あり得ないと笑って否定するのは躊躇われる。

 確証があるわけでは無いが、仮にそうだとしたらこの自分の体こそが現実の体となる。ならば最優先は身を護ることだ。ゲームの時と同様に蘇生出来るとは限らないのだから。

 

「フォーマルハウトさん」

「うぇい?」

 

 名前を呼ばれたフォーマルハウトが思考の海から脱して周囲へ意識を戻すと、そこにはモモンガしかいなかった。

 

「あれ、アルベドは?」

「一時間後に第六階層の闘技場に他の階層守護者たちを集めるように指示したので、さっき出ていきましたよ。一応この場にいたNPCたちは忠誠を誓っているようです」

「なるほど……で、どうしましょうか、これ」

「どうしましょうか……」

 

 途方に暮れながら二人は考える。

 やがて諦めたようにモモンガが骨だけの頭を振りながら結論を出した。

 

「とにかく情報が不足しすぎてますから、情報集めからじゃないですか? ここが現実だと仮定すると、流石に何かの間違いで死んだりすると大分不味いので」

「そう、ですね。流石は我らがアインズ・ウール・ゴウンのギルマス、冷静ですね」

「いや、全然ですよ。アルベドに声かけられた時なんて滅茶苦茶焦ってたんですけど、何か急に冷静さが戻って来たというか、精神が沈静化したと言うか。そのお陰で今も冷静なんです」

「あぁ、モモンガさんもですか? 俺も凄く焦ってたんですけど似たような感じで妙に心が落ち着いたんですよね」

 

 フォーマルハウトもその現象には心当たりがあった。

 原因まではわからないが、そのお陰でひとまず冷静さを保つことが出来たのだ。

 

「多分ですけど、精神作用無効の効果じゃないでしょうか? 私の持つスキルにそういう効果のやつがあるので。フォーマルハウトさんの種族も持ってましたよね? 確か……く、クツガーでしたっけ?」

生ける炎(クトゥグァ)です。何ですか、履いてる靴に何かあったんですか」

 

 アインズ・ウール・ゴウンへ加入条件は社会人であり、アバターが異形種であることが条件だ。それをクリアして加入しているフォーマルハウトもまた、人間のような姿をしているが紛れもない異形種なのだ。

 生ける炎(クトゥグァ)はクトゥルフ神話における旧支配者と呼ばれる存在の一つだ。森一つを瞬時に焼き払うほどの炎を操る力を持ち、旧神と呼ばれる地球の古き神々によって封じられた邪神である。

 ユグドラシルにおいては精霊(エレメンタル)系列の隠し種族に当たる炎属性の扱いに特化した種族であり、炎以外の属性攻撃を扱う際に様々なペナルティを受けるが、その代わり自分が与える炎属性ダメージには凄まじいボーナスが発生する。フォーマルハウトはこれに加えて、職業構成も炎属性に特化しているため、炎属性攻撃を用いた際の攻撃能力は全プレイヤーの中でもトップクラスを誇っている。

 精霊(エレメンタル)を始めとする異形種には人間と違い、選択した種族由来のスキルを所有しているものが殆どであり、フォーマルハウトもモモンガ同様に精神作用無効のスキルを所有していた。

 

「あ、それです、それ。ともかく、そういうパッシブスキルの効果が表れてるんじゃないかなって」

「あぁー……なるほど。ということはユグドラシルで使えた魔法やスキルなんかは使えるんでしょうか? なら仮にNPCたちが敵対しても何とかなると思いますけど」

「その辺りも色々と試すために、第六階層に向かおうと思います。NPCたちの忠誠もそこで調べようと思っていますが……そちらはどうしますか?」

「うぅん……」

 

 フォーマルハウトは小さく唸りながら顎に手を当てて考える。

 精神作用無効のスキルが効果を発揮しているなら恐らく魔法や他のスキルも使えるだろう。それが出来るならばアイテムだって使えるだろうし、現にモモンガが手に持っているギルド武器たるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの赤黒いオーラエフェクトは健在なのだから。付与された機能が働いているのならば、問題なく使えなくてはおかしな話だ。

 そしてモモンガが心配しているNPCの忠誠心に関しても、フォーマルハウトはそれほど心配してはいなかった。

 可能性としてNPCたちが敵に回ることを考えていないわけではなかったが、先ほどまでモモンガの命令に対して当然のように従っていたセバスたちを見るに、その可能性は限りなく低いと判断する。

 

(なら……少し気になるやつがいるな)

 

 ある存在を思い浮かべ、フォーマルハウトは胸を躍らせる。

 

「ちょっと気になる子がいるので、第八階層に行こうかと」

 

 フォーマルハウトの言葉に、モモンガは呆れたような雰囲気――皮膚が無いので表情の変化は無い――を漂わせた。

 

「だろうとは思ってましたけど、あそこで何かあったら不味くないですか? ちゃんと考えてます?」

「まぁ、あったら不味いんですけど、多分無いと思うので大丈夫です」

「……はぁ」

 

 モモンガは額を抑えるようにして天井を仰いだ。

 フォーマルハウトは昔からこうなのだ。

 多分勝てるので大丈夫。そう言い残して敵対プレイヤーの集団にいの一番に飛び込んで暴れまわる独断専行の常習犯。

 考える頭が無いわけではなく、それほど悪いわけでもない。しかし、最終的に考えるのが面倒になって戦ってみてから考えるスタイル。

 ギルド内では、とりあえず殴ってから考える脳筋プレイヤーやまいこの教えと魂を体現する者と言われることもあった。

 

「フォーマルハウトさんはそう言うだろうなって思ってましたよ……」

「流石はギルマス。俺のことわかってるじゃないですか。以心伝心ですね!」

「嫌な以心伝心ですね……とりあえず、わかりました。ただし少しでも異変があれば撤退して下さい。こちらは闘技場で魔法やアイテムが使えるか、NPCは味方なのかとか調べますので、結果が分かれば<伝言(メッセージ)>の魔法で連絡します。魔法が使えない場合は用事が済み次第ここで落ち合いましょう」

「ういうい。守護者たちが集まるのは一時間後でしたよね? たぶんこっちの用事の方が早く終わるんで、終わったらそちらに合流します。万が一の時にモモンガさんだけだと危険かもですから。もし時間近いのに来なそうならそちらから<伝言>お願いします」

「はい、お願いします」

 

 了解の言葉を残し、モモンガの姿が掻き消える。

 

「指輪で転移したのか。アイテムは問題無さそうだな」

 

 装着している真っ白な手袋に覆われた手の右薬指に嵌められた指輪を眺める。

 赤色の大きな宝玉がついた綺麗な金色の指輪だ。宝玉の中にはギルド、アインズ・ウール・ゴウンを示す紋章が刻まれている。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。ギルドメンバー全員に配られたギルド拠点内での転移能力を持つ指輪だ。

 ナザリックは外部から内部や階層間の魔法やアイテムなどによる転移を封じられている。階層間の移動は専用に設置された転移門を利用する以外に方法は無い。

 しかし広大なナザリックでそれは移動に難がありすぎる。全十階層存在するナザリックで目的の階層まで移動するために、わざわざ用の無い階層を経由しなければならないというのは効率が悪すぎた。

 そこで利用されるのがこの指輪だ。この指輪の効果はナザリック全体に展開された転移阻害を無視した転移が可能となるのだ。好きなタイミングで好きな階層へと転移することが出来る便利アイテムだ。

 

「お?」

 

 フォーマルハウトの頭の中で電子音が鳴り、同時に聞き慣れた声が脳内に響く。

 

《フォーマルハウトさんですか? モモンガです》

「はいはい、フォーマルハウトです。聞こえますよ、モモンガさん。アイテムも魔法も大丈夫そうですね」

 

 声の主はその場に居ないはずのモモンガだ。

 モモンガが使ったのは<伝言(メッセージ)>の魔法だ。

 遠く離れた場所にいる者にも自分の声を届けることが出来る情報系魔法の一つで、便利な連絡手段の一つとして利用されている。

 

《えぇ、でも攻撃系の魔法はまだなのでそちらもこれから試してみます。では》

「うい」

 

 短く返事を返すと、プツンと通信が終了する。

 

「さて……」

 

 天井――目的地である第八階層があるであろう方向を見つめて決心する。

 

「行くか!」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 身を隠せるような大きな岩も存在せず、罅割れた大地に今にも折れてしまいそうな枯れ果てた細い木がまばらに生えているだけの世界。

 生命の息吹が全く感じられないこの場所こそが、ナザリック地下大墳墓第八階層、荒野だ。

 

「さて、来たわけだけど……」

 

 まずは周囲を見渡す。

 ここはかつて千五百人のプレイヤーをたった四十一人で撃退したという伝説を生み出した戦いにおける最後の決戦場だ。

 様々なNPCやモンスター、そしてトラップが配置された第一から第七階層全てを突破してここまで辿り着いたプレイヤーは千人とも千二百人とも言われており、どうやっても四十一人で返り討ちに出来る数ではない。

 しかし、この階層での戦いはそれを可能にした。

 その時の様子を見たプレイヤーたちからはチート扱いされ、運営への問い合わせが殺到するほどの戦いが行われたのがここなのだ。

 ゆえにフォーマルハウトは警戒する。

 大丈夫だと高を括ってはいたが、実際問題ここに配置されているものの内の一つでも敵対状態となっていた場合は撤退するしかなくなる。

 万が一不意打ちでもされようものならば、そのまま即死まであり得るのだから。

 ここにはそれだけのものら……ナザリック地下大墳墓における最強の存在たちが配置されている。

 

ひとにゅうはくあおみどり(これは)ひとにゅうはくあおみどり(これは)アオクリアオムラサキハクジ(フォーマル)アオミドリシンシャクワゾメ(ハウト)にあおむらさき(さま)くりみずあさぎにだいだい(おひさし)あおうのはなたまご(ぶりで)ひとにひあおむらさきたいしゃ(ございます)

 

 唐突に聞こえて来た無意味な音の羅列に、フォーマルハウトはびくりと身を震わせた。

 しかし、フォーマルハウトはその音の羅列を意味のある言葉であり、声であると認識する。述べられた言葉の内容は敵意を示さず、敬意すら感じられる挨拶だった。

 声の主を確認しようと振り返ったフォーマルハウトが見たのは、空中に浮かぶピンク色の肉塊だ。

 体長一メートルほどで毛も皮膚もないつるんとした胚子の姿。にょろりと尻尾が生えた体はやけに明るいピンク色をしており、頭の上には天使の輪っかが浮いている。背中からはとても飛べそうにない枯れた木の枝のような翼が生えており、羽ばたくでもなく空中に浮いている。

 

(どうする、何て返事をすればいいんだ? モモンガさんはアルベドとどんな風に話してた? 確か――あぁ、沈静化した。もういいや普通に話せば。たぶん大丈夫だろ)

 

 焦りながら考え始めて数秒で沈静化され、急激に思考が普段の楽観的なものへと立ち戻る。これによってフォーマルハウトは真剣に考える必要性が感じられなくなり、考えることが面倒になった。

 必要に迫られなければ考えない。必要でないのならば自然体で居る。それがフォーマルハウトという男だった。

 

「ヴィクティムか? 久しぶりだな」

あおみどりひ(はい)アオクリアオムラサキハクジ(フォーマル)アオミドリシンシャクワゾメ(ハウト)にあおむらさき(さま)ねりこくたんしんしゃあおみどり(きょうは)くわぞめしんしゃににゅうはく(どうされ)あおむらさきだいだいやまぶきぞうげ(ましたか)?」

「あぁ、あの子に会いに来たんだが……何も異常は無かったか?」

 

 聞きながらフォーマルハウトは心の中で首を傾げた。

 聞こえてくる言葉の内容とヴィクティムから発せられる音が剥離しているような感覚がするのだ。

 しかし結局考えるのを諦めた。

 難しいことを考えるのは自分の領分ではないし、今は必要ない。そう言わんばかりに考えることを放棄して、とりあえずそういうものなんだと受け入れることにする。

 

あおみどりひ(はい)くわぞめはだもえぎ(とくに)ひだいだいこくたんしんしゃあおみどり(いじょうは)ひとにひあおむらさきちゃはい(ございません)

「そうか、ならいいんだ。念のため第八階層の巡回にあれらとルベドに問題が無いか確認してくれるか?」

ぞうげだいだいひとあおむらさきうのはな(かしこまり)あおむらさきだいだいやまぶき(ました)アオクリアオムラサキハクジ(フォーマル)アオミドリシンシャクワゾメ(ハウト)にあおむらさき(さま)

「俺はあの子のところにいるから、<伝言>でも直接でも構わないから確認が終わったら結果を教えてくれ」

あおみどりひ(はい)だいだいぞうげだいだい(しかし)きみどりもえぎぞうげ(なにか)ぼたんおうどやまぶきときわ(あったの)たまごたいしゃぞうげ(ですか)?」

 

 ヴィクティムの質問には流石に悩んだ。

 素直に答えて良いものか。

 これまで見たNPCたちは、今発生している異常事態をNPCたちは認識していないような反応をしている。

 もし異常事態――自らが意思を持ち、自分で考え行動する力と権利を手に入れたと知ったらどうなるだろうか。

 自由を求めて突然牙を剥いてくるのではないだろうか。先ほどは低いと考えて切り捨てていた可能性が、フォーマルハウトの脳裏を過ぎる。

 

「ん? ちょっと待ってくれ」

 

 脳裏に響いた電子音によって考えが遮断される。

 

「モモンガさんですか?」

《はい、攻撃魔法もアイテムも問題なく使えました。それと、<伝言(メッセージ)>がセバスに繋がったのでNPCとも連絡が取れるみたいですね。あとこれが一番重要なんですけど……フレンドリィ・ファイアが解禁されているようです》

「は? マジですか?」

 

 モモンガの言葉が信じられずに思わず聞き返す。

 ユグドラシルでは同じパーティやギルドに所属する者同士で攻撃が通らないように設定されていた。

 広範囲に対する攻撃魔法や状態異常付与などが飛び交う以上当たり前ではあるのだが、今はそれを抑制するためのシステムが存在しない。

 仮に範囲内に即死効果を与える魔法を放てば、範囲内にいる味方も纏めて即死させてしまうことになるのだ。

 

《現状では攻撃する時に気を付けるしかないですね。そちらはどうですか?》

「今ヴィクティムと話していました。ヴィクティムが言うには第八階層に異常は発生していないらしいですけど、一応階層内の巡回とあれらとルベドの確認を頼みました」

《わかりました。では第八階層のことは任せてもいいですか?》

「了解です。ふぅ」

 

 その言葉を最後に通信を終えて一息つくと、ヴィクティムが心配そうに様子を窺っていた。

 尤も、この胚子には表情というものが存在しないのでそういう雰囲気を漂わせているというだけではあるが。

 

「あぁ、ヴィクティム。今は結構深刻な状況なんだ」

こげちゃしんしゃきみどりときわ(そうなの)たまごたいしゃぞうげ(ですか)! うすいろだいだいくろ(もしや)だいだいはいもえぎぬればしんしゃ(しんにゅう)だいだいくろ(しゃ)ぞうげ()?」

「いや、そういうのじゃないんだが……まだ俺もモモンガさんも詳しくは分からないんだ。だから巡回と確認の方は頼む。何か少しでも異常があればすぐに知らせて欲しい」

ぞうげだいだいひとあおむらさきうのはな(かしこまり)あおむらさきだいだいやまぶき(ました)こげちゃにゅうはくたまごあおみどり(それでは)だいだいおうどにゅうはくひ(しつれい)ひやまぶきだいだいあおむらさきたいしゃ(いたします)アオクリアオムラサキハクジ(フォーマル)アオミドリシンシャクワゾメ(ハウト)にあおむらさき(さま)

 

 そう言い残してヴィクティムはふよふよとゆっくりとした速度で――フォーマルハウトの徒歩よりも遅い速度で去って行く。

 

(あれじゃ俺が見た方が早いんじゃないか……? いや、とりあえず目的を果たしてから色々考えよう)

 

 フォーマルハウトは意識を切り替えて、目的地へと歩く。

 ナザリック地下大墳墓は全部で十ある階層ごとに区切られている。そして、その階層ごとに特別な領域が存在する。

 例えば第二階層の黒棺(ブラック・カプセル)。第五階層の氷結牢獄。

 そして今向かっている場所もまた、これらに連なる特別な領域のうちの一つ、ナザリック地下大墳墓第八階層、虚無の湖岸。

 そこはフォーマルハウトが創り上げた特殊領域であり、彼があの子と称する者が守護する領域だ。

 

(あぁ、緊張するな)

 

 目的地に近付くにつれて、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 魔法で飛ぶなりして一気に移動すればいいのだが、この湧き上がる緊張感がそれを許さない。

 ユグドラシルでその領域とあの子を創り上げた時からそうであった。

 訪れる度に緊張し、去る時には後ろ髪を引かれる思いをする。フォーマルハウトにとって虚無の湖岸とはそんな場所だ。

 やがて遠くに見える嘘のような光景に安堵する。

 

(よかった、とりあえず見た目の変化は無いみたいだ)

 

 そこはこの荒野の只中にあって、別世界のような光景をしていた。

 まずこれまでは灰や茶が主であったにも関わらず、スポットライトに照らされているかのように上空から柔らかな光が降り注ぐその領域は鮮やかな色合いをしていた。

 緑、赤、白、橙、桃、黄、青、紫……それ以外にも無数の色を持つ様々な植物たちが群生している。

 それは花だ。

 色彩豊かな花畑。それは荒野のど真ん中に広がっている。ある場所を境にそれまで踏み締めていた罅割れた大地が、突然花畑へと変わるのだ。

 次に目を引くのは湖だった。

 池と称する方が正しいと言えるかもしれない小さな湖だったが、湖面は凪ぎ、水は美しく透き通っている。

 そして最後に小屋だ。

 小さな湖の湖岸には、花畑に囲まれた小さな小屋が建っていた。

 森の奥に棲む妖精たちが住んでいそうな、お伽噺にでも登場しそうな雰囲気を漂わせる二階建ての木造建築。都会の喧騒に疲れた者が見れば間違いなく憧れるだろう、そんな癒しを思わせる小屋。

 

「……あぁ、こんな家に憧れてたんだよなぁ。第九階層の豪華絢爛って感じもいいんだけど、こういう感じも捨てがたい」

 

 立ち止まっていた足を動かして小屋のドアの前に立つ。

 フォーマルハウトはもうこれ以上ないほどに緊張していた。

 

「……はぁ……行くぞ」

 

 ドアノブに手をかけたまま一息、気合を入れてドアを開く。

 小屋の中は何の変哲もない普通の小屋だ。

 豪華な装飾が施された煌びやかなものでもなく、玉座の間のように荘厳な雰囲気を醸すものでもない。

 入口には使い古された小さな絨毯が敷かれ、すぐ目の前には二階へと続く階段があった。階段を上らずに左へ進むとリビングだ。入って右側の壁には暖炉が付けられており、中央には木を削って作ったと思われる少し歪な木製の四角いテーブルと椅子が四つ、テーブルを挟むように二つずつ向かい合って置かれている。

 正面奥には十分な広さを持つキッチンスペースが広がり、そこではお湯が沸かされていた。

 その光景に懐かしさを覚え、フォーマルハウトは立ち尽くしていた。

 キィ……と軋むような音が静かに響き、階段の下に繋がるような位置に付けられていた扉がゆっくりと開くと、小さな影が姿を現した。

 

「……」

 

 ここでフォーマルハウトの緊張は最高潮となり、すぐさま沈静化される。

 それでも胸を締め付けられるような小さな緊張を感じ、極めて大きく感情が動いた時にしか沈静化が発生しないことを知った。

 新たな発見ではあったが、目の前に現れた存在を見て、そんな些末なことは遥か彼方へと吹き飛んだ。

 

(あぁ、やっぱり綺麗だ。こいつが動いているところを見れるなんて……)

 

 現れたのは、黒くみすぼらしいマントに身を包む、柔らかな微笑みを浮かべた小さな白い肌の少女だった。

 床に着くほど長く艶やかで、窓から入る光を反射して煌めく金髪。神が手ずから造形したとしか思えないような美貌。

 柔らかな視線を生み出す瞳は左右で色が違うオッドアイだ。左の瞳は美しい宝石をそのまま嵌め込んだかのようなサファイアブルー。右は本来白いはずの眼球が漆黒の闇色をしており、瞳は黄金。アンバランスで非現実的な左右の瞳は神々しさと悍ましさという相反した二つの雰囲気を同時に醸し出す。

 裾がボロボロに解れた美貌に不釣り合いな黒いマントから覗く足は裸足で何も履いておらず、右足首には黒と紫の中間色をした水晶の帯が捻じれ合って一つの輪となったような奇妙な形状をした足輪が着けられている。

 

「……フェニア、だよな?」

 

 喘ぐように、しかし確信を持ってフォーマルハウトは目の前に立つ少女の呼び名を紡ぐ。

 そんなフォーマルハウトが滑稽に映ったのか、少女は微笑みを深くする。

 

「他に誰がいる? そうだ。私だよ、フォーマルハウト。お前のヴェルフェニア・セレンルーナだ」

 

 ヴェルフェニアは嬉しそうにそう答え、ふわりとフォーマルハウトの胸に飛び込んだ。

 突然のことにバランスを崩しそうになりながら受け止めたフォーマルハウトは、腕の中にいる少女の体温と甘い香りに思わず理性を失いかける。

 比類ない美貌を持つ少女にこうして抱き着かれれば、男ならば誰でもそうなるだろう。

 

(うぉおおおおっ! 小さい! 柔らかい! 温かい! 良い匂い! あぁ、待て、すりすりしないでくれ!)

 

 心の中で悶えながらも鋼の精神でそれを表に出さないように必死に我慢し続ける。

 沈静化が発生するも、首にぶら下がるように抱き着くヴェルフェニアの体温と匂いに再び興奮が湧き上がる。

 十数秒の間に都合十回の沈静化が発生し、十一回目の沈静化の発動と共にようやく慣れたのか、何とか沈静化が発動しない程度には冷静さを取り戻した。

 

「あ、あの、フェニア?」

「うん? どうした?」

 

 胸元に顔を擦りつけていたヴェルフェニアが顔を上げると、それまで角度的にフォーマルハウトからは見えなかった部分が見えるようになる。

 それはヴェルフェニアの胸元だ。

 天上の美を持つ少女の胸元。視線が向かないわけも無い。

 そしてフォーマルハウトは絶句する。

 

「……」

「? なんだ?」

 

 ヴェルフェニアが纏ったマントから覗く面積は決して広くは無かった。広くは無かったが、そのマントの下がどのような状態なのかを把握するには十分な面積だった。

 

「なんで……服を着てないんだ?」

 

 沈静化が起こる間もなく一瞬で興奮が振り切れて逆に冷静になったフォーマルハウトは固い声で問い掛けた。

 ヴェルフェニアが纏う漆黒のマントは、彼女が腕をフォーマルハウトの首へと伸ばしているために大きく前面が開けた状態になっていた。

 そこから見えるのは白い肌だ。

 陶磁器のように肌理細やかな肌は雪よりも白く、白より白い。これを純白と呼ばなければ何と呼べばよいのかわからない、シミ一つ無い神聖さすら感じさせる肌。

 マントが開けて露わになった体躯は病的なまでの痩身で、腕も脚も不用意に触れれば砕け散ってしまいそうなくらい華奢だ。

 その身に女性らしい膨らみは皆無であるが、ヴェルフェニアは恥じらう様子も無く全てをフォーマルハウトの前へと曝け出していた。

 

「なぜ、とは? お前がそういう風に私を創造したのだろうに」

 

 当然のことのように告げられたフォーマルハウトは、止まっていた思考を動かして、自らが生み出した目の前の少女のことを思い出す。

 ナザリック地下大墳墓第八階層、虚無の湖岸の領域を守護する者――領域守護者たるヴェルフェニア・セレンルーナは、フォーマルハウトが創り出したNPCだ。

 ナザリック地下大墳墓を制圧し、それぞれで改造を施す際に全てのギルドメンバーがNPCを作成する権利を手にした。

 拠点ごとに存在する作成可能NPCのレベル合計値上限という制限があったため、全員が最高レベルである百レベルNPCを作れたわけでは無かったが、フォーマルハウトは百レベルNPCを生み出す権利を手に入れることが出来た。ギルドメンバーに土下座までして拝み倒して、第八階層の一角を自由に改造する権利と一緒に。

 その日からフォーマルハウトは没頭したのだ。

 彼女と、この領域を生み出すことに。

 ヴェルフェニア・セレンルーナはフォーマルハウトの理想だ。好みの容姿や性癖と、膨大な課金と、己の持つ想像力(妄想力)と、技術と、労力を詰め込んで生み出した最高傑作。

 その中でも特に苦労したのが性癖の一つであるこの裸マントだ。

 十八禁どころか十五歳制限に引っ掛かるだけでもBANが危ういユグドラシルにおいて、このNPCの存在は運営に喧嘩を売っていると思われても可笑しくない。

 だが、どこまで出来るかという挑戦心と理想を表現するのならば妥協を許さないという気迫が彼を動かした。

 膨大な量の利用規約を三度読み返し、出来上がった外装データを運営へと送って使用して問題無いかの確認を取っては調整する毎日。

 その末にこうして裸マントの美少女が出来上がったのだ。

 詰まるところ、マントの下が全裸である理由はフォーマルハウト自身にあった。

 

「……あぁ、うん。そうだったな」

 

 そんな苦難を乗り越えて創り出したヴェルフェニアだったが、この設定までは流石に忘れていた。

 彼女を創って数年経つが、内部パラメータの調整や戦闘時AI、あるいはフレーバーテキスト上の設定変更などは行ったが、見た目だけは弄ったことがなかった。

 さらにユグドラシルではどう足掻いてもマントの下は見れないのだ。

 例え心血を注いで作成した外装データであっても、マントの下に広がる楽園を覗き込むことは出来ない。

 やがてその部分には興味を向けることが無くなり、いつしか全裸であるという設定すらも忘却してしまった。

 

「ふふ、おかしな男だ」

 

 再び気持ち良さそうに顔を擦りつけるヴェルフェニアの頭を撫でながら、遠い目をして懐かしさに浸りつつ設定を一つずつ思い出してゆく。

 そうして思い至った。思い至ってしまった。

 彼女に施した設定の中で、最も最初に設定した言葉を。

 

「……なぁ、フェニア。お前は俺の何だ?」

 

 恐る恐るといった感じの問い掛けに、ヴェルフェニアはゆっくりと顔を上げ、微笑みを浮かべながらフォーマルハウトを見つめて口を開く。

 

「先ほどからおかしなことを聞くな? しかし、答えよう。私はお前の嫁だ」

 

 心の中でフォーマルハウトは羞恥に染まる。

 ユグドラシルでフォーマルハウトがヴェルフェニアを作成する時、フォーマルハウトは決して妥協を許さなかった。

 その理由は、自分の理想を詰め込んだ嫁を創造しようと考えていたためだ。

 現実の女との関わり合いが少なすぎた結果、フォーマルハウトは色々と拗らせてしまったのだ。

 そして加入したアインズ・ウール・ゴウンにてエロゲーイズマイライフを豪語するギルドメンバー、ペロロンチーノと出会い、二次元の世界にどっぷりとハマり込んでしまった。

 元々ライトノベルやゲームの世界へと強い憧れを抱いていたこともあって、自分の理想を表現する権利を手に入れたフォーマルハウトはこれでもかと言うほどヴェルフェニアの作成に心血を注いだ。

 そうして生まれたNPC、ヴェルフェニア・セレンルーナの設定に躊躇無く『フォーマルハウトの嫁』と書き込んだのだ。

 

(後悔は無い。こんなに可愛いんだから。後悔は無いんだが……)

 

 自分の趣味嗜好のストライクゾーンど真ん中のヴェルフェニアだ。愛し合うことに不服も後悔もあろうはずが無く、むしろそうなったらいいなと心のどこかでずっと思っていた。

 しかし、だ。

 

(これがモモンガさんに知られたら流石に恥ずかしいなぁ……)

 

 フォーマルハウトは過去に俺の嫁ですとギルド内で幾度も公言していたので、ヴェルフェニアのことをとても気に入っているというのはモモンガも承知している。

 だがまさか設定にまでそう書き込んでいるとは思うまい。

 

「ふふ、さて。質問は終わりか? ではお茶にしよう」

「あ、あぁ、そうだな。頼むよ」

 

 ヴェルフェニアはぴょんと少し跳ねるようにフォーマルハウトから離れ、マントを翻してキッチンへと向かう。

 その後ろ姿を見ながら、これもそういう設定だったな、とフォーマルハウトは思い出す。

 フォーマルハウトが虚無の湖岸を訪れたらお湯を沸かし、二人で紅茶を楽しむ。フォーマルハウトが施したその設定はユグドラシルにおいては何の意味も持たないフレーバーテキストであったが、今はどうやら違うらしい。

 

(しかし、出来るのか?)

 

 ユグドラシルはゲームだ。

 プレイヤーが何か行動を起こすにはそれに応じたスキルを取得していない限り、その行動が成功することはなかった。

 料理スキルを持っていないプレイヤーが料理することは出来ないし、ポーション作成スキルを持っていないプレイヤーがポーション作成することは出来ない。

 ユグドラシルの魔法やアイテム、NPCの設定が有効である以上、デメリットや制限も有効であると考えるのが当然だ。

 そしてヴェルフェニアは紅茶を淹れるために必要な料理スキルを所持していない。フレーバーテキストには『料理は出来ないが紅茶を淹れる腕は一級品』と書き込んだが、どうなるのかはフォーマルハウトにはさっぱり見当が付かなかった。

 

(爆発とかしないよな?)

 

 結局のところ、そんなフォーマルハウトの心配は杞憂に終わった。

 少ししてキッチンスペースから戻って来たヴェルフェニアが持つトレイの上にはティーポットが一つとティーカップは二つ、きちんと乗っていた。

 紅茶の知識が無いフォーマルハウトにはきちんと淹れられているのかわからないが、ティーポットから注がれた紅茶も見た目は美しく、香り豊かでもあった。

 

「紅茶のことは詳しくないが、良い香りだ」

「香りだけではなく味も良いぞ」

 

 促されるように紅茶を口に含むと、芳醇な香りが鼻腔を通り抜ける。舌の上で踊る紅茶の美味しさを正しく表現する言葉をフォーマルハウトは持っていなかった。

 ただ、言葉に出来ないほどの美味しさに思わず瞳が潤む。

 深刻な環境汚染によって荒れに荒れた現実では紅茶など一般庶民であるフォーマルハウトでは殆ど口にすることが出来ないほどの高級品だ。

 口に出来る食料と言えば専ら合成食糧やサプリメントであり、それらは言うまでも無く味など二の次で最低限の栄養素を摂取するための物だ。

 生まれてこの方初めて口にした『食料』の素晴らしさに、フォーマルハウトの体は喜びに打ち震える。

 

「ところで、第八階層に来るのは随分と久しぶりではないか? 何かあったのか?」

「あぁー……」

 

 ヴェルフェニアを作成した当初、フォーマルハウトは毎日のようにこの場所へ来て至福の時を過ごしていた。時にはギルドメンバーを連れて自らの嫁のお披露目会を行うこともあった。

 今のように紅茶を飲んでいたわけでも何をするわけでもなく、ただ椅子に座っているヴェルフェニアを眺めたり、追従させて共に花畑を散歩したりしていただけなのだが、現実で荒んだ心を癒すにはそれだけで十分だったのだ。

 だがギルドメンバーが次々とこの地を去り、そうしてのんびりと過ごしているわけにはいかなかった。

 ギルド維持のための運営資金を稼ぐために残ったメンバーたちと金策に勤しむ間、当然この場所へ来ることは出来ない。

 徐々にギルドメンバーたちも減っていき、それに比例するように自然と足は遠のいてゆく。

 やがてログインするメンバーがモモンガと自分だけとなり、フォーマルハウトはログインした時間の殆どをモモンガと共に金策に費やさなければならなくなったのだ。

 そこまで来るともはや顔を見に来るだけの余裕も無く、この場所へ来たのは本当に久しぶりのことなのだ。

 ギルドメンバーたちがこの地を去り、ギルド維持のために狩場をモモンガと共に駆け回る日々を語ると、ヴェルフェニアは悲しそうな表情を浮かべた。

 

「そう……か。あれらはこの地を去ってしまったのか……」

「あぁ、だからしばらく来られなくて悪かった。許してくれ」

「許すも何もない。お前たちがいなければこのナザリックは今頃崩壊していただろう。むしろ、他の者らが去った後もこの地に残ってくれた礼を言わなければならない。私たちを捨てないでくれて、感謝する」

 

 ヴェルフェニアは心の底から感謝を告げる。

 次々と創造主たちがこの地を去って行く中で、この地とこの地に住まう者たちを守るために奔走した自らの創造主には感謝の言葉しかない。

 もしも他のNPCたちが同じ言葉を聞いていたとしたら、感涙に咽び泣き、跪いて礼を述べていただろう。

 フォーマルハウトに対等であれと創造されたためにそのような振る舞いは決してしないが、心の中ではヴェルフェニアも同様であった。

 そしてヴェルフェニアは改めて誓う。

 この創造主に生涯仕えようと。隣に立ち、いつまでも共にあろうと。

 

「ん? ヴィクティムか?」

あおみどりひ(はい)アオクリアオムラサキハクジ(フォーマル)アオミドリシンシャクワゾメ(ハウト)にあおむらさき(さま)だいだいぬればはいぞうげひぞうげ(じゅんかいが)くりそしょくうのはな(おわり)あおむらさきだいだいやまぶきときわたまご(ましたので)にゅうはくはいしろはだにちゃたまご(れんらくさせて)ひやまぶきやまぶきねり(いただき)あおむらさきだいだいたいしゃ(ました)

 

 電子音が響き、次いでヴィクティム独特の意味を持つ奇妙な音の羅列が頭の中に流れる。

 

「それで、どうだった?」

あおみどりひ(はい)くろあおみどりうのはな(やはり)くわぞめはだもえぎ(とくに)ひだいだいこくたんしんしゃあおみどり(いじょうは)ひとにひあおむらさきちゃはい(ございません)たまごだいだいやまぶき(でした)

「そうか、異常は無いか。それならいいんだ、ご苦労だったな。生命樹(セフィロト)に戻って休むといい」

うすいろおうどやまぶきひきみどりひ(もったいない)くりひとくわぞめあおみどり(おことば)こげちゃにゅうはくたまごあおみどり(それでは)だいだいおうどにゅうはくひ(しつれい)ひやまぶきだいだいあおむらさきたいしゃ(いたします)アオクリアオムラサキハクジ(フォーマル)アオミドリシンシャクワゾメ(ハウト)にあおむらさき(さま)

「あぁ」

 

 妙に聞き取り辛いがなぜか意味ははっきりと理解出来る言語に内心首を傾げつつ、ヴィクティムとの<伝言(メッセージ)>を終了する。

 ともあれこれで当面の危機は去ったと言えるだろう。

 第八階層に異常が無いのならば、あとは配置したあれらを起動出来るかどうか確認すればひとまずナザリック内での安全は保たれる。

 

(仮に他のNPCたち全員が敵対しても、ヴェルフェニアとヴィクティムに加えてルベドだけでも起動出来るならそれだけで簡単に殲滅出来るしなぁ)

 

 ナザリックにおける最強の存在の一つ、ルベド。

 それはナザリック地下大墳墓における最強の個であり、タブラ・スマラグディナの手で通常とは違う方法によって生み出されたNPCだ。

 近接戦闘において右に出る者はおらず、公式チート職業と揶揄されるワールドチャンピオンでありアインズ・ウール・ゴウン最強と言われたギルドメンバーのたっち・みーですらも勝つことは出来ない。

 そこに自らの最高傑作である百レベルNPCヴェルフェニアと強力なスキルを保有するヴィクティム、モモンガとフォーマルハウトが加われば、問題無く敵対者を殲滅出来るだろう。

 勿論フォーマルハウトもそんな未来が来ないことを祈ってはいるが、ナザリックを半壊させてでも生き残らなければならない。

 フォーマルハウトの眉間に皺が寄り、自然とその表情が険しいものとなる。

 

「何だ、どうかしたのか?」

 

 訝し気な表情を浮かべたヴェルフェニアに問い掛けられて、慌てて不穏な考えを頭の片隅へと追いやる。

 

「あ、あぁ、話してなかったけど、ちょっと異常があってな。何か異変とかを感じなかったか?」

「ふむ……」

 

 ヴェルフェニアは考え込る素振りを見せたが、心当たりが無かったのか首を振った。

 

「いや、私は特に何も感じてはいないな」

「そうか。とりあえずモモンガさんに連絡するからちょっと待ってくれ」

 

 ヴェルフェニアが頷いたのを確認して魔法を発動させようとする。しかし、ここでフォーマルハウトは異変が起きてからまだ魔法を使ったことがないことに気付いた。

 モモンガから魔法を問題無く行使出来るという報告を聞いて自分も使える気になっていたが、これで自分は魔法が使えなかったらどうしようという漠然とした不安が募る。

 しかし、その直後にフォーマルハウトが感じていた不安は霧散した。

 分かるのだ。まるでそれが当然のことであるかのように魔法の発動方法や自らが保有するMPの量までもが。

 

「<伝言(メッセージ)>……モモンガさんですか?」

 

 魔法は無事に発動した。

 何かが繋がるような感覚と共に短い電子音が鳴り、モモンガと通話が繋がる。

 

《あぁフォーマルハウトさん、ちょうど良かった》

「ちょうど良かった?」

《そろそろ時間なので連絡しようと思ってたんです。合流してもらえませんか?》

「えっ、もうそんな時間でした? わかりました、すぐ向かいます。あとフェニアも連れて行っていいですか?」

 

 そうフォーマルハウトが告げた瞬間、ヴェルフェニアの目が驚きに見開かれた。

 

《構いませんよ。第八階層に問題は無かったんですよね?》

「はい。ヴィクティムも巡回して特に異常はなかったと言ってました。それと、二人とも何も異常は感じなかったそうですよ」

《そうですか……まぁ第八階層に問題が無いってことがわかっただけマシですね。予断を許さない状況ではありますが、とりあえず合流しましょう。待ってます》

「うぃうぃー」

「おい」

 

 モモンガとの通信を終えたフォーマルハウトが見ると、妙にソワソワした様子のヴェルフェニアが期待のこもった視線を向けていた。

 

「私も行っていいのか?」

「あぁ、構わないだろ? 嫌ならいいけど……」

「そうではない。愛する旦那と一緒に居られるのだから嫌なわけがない。しかし、この領域の守護はどうする? 私は領域守護者。この地を守護する者だ」

 

 バカップルや新婚が口にするような甘い言葉に、フォーマルハウトは頬を染めて胸を高鳴らせる。

 一方でヴェルフェニアは砂糖をぶちまけたような甘い言葉を吐いたとは思えぬほど大真面目な顔をしていた。

 これは全裸マントであっても平然としているというキャラクター設定への理由付けとして羞恥心が皆無だとフォーマルハウト自身が設定したことも関係しているが、それ以上に心の底からそう思っているからだ。そんな設定にしたことを完全に忘れていたフォーマルハウトは自分がおかしいのかと羞恥と嬉しさに悶えながら錯覚し、沈静化を受ける。

 もはやこの領域に来てからフォーマルハウトが受けた沈静化の回数は二十を超えようとしていた。

 

「まぁ、モモンガさんもいいって言ってたし大丈夫だろ、たぶん。それに守護しなければならないような敵が侵入してる状況でも無いしな」

「ふむ……まぁ、お前がそう言うならば構わないが」

 

 そう言って立ち上がったヴェルフェニアはぺたぺたと裸足特有の足音をたてながら、フォーマルハウトの隣に立った。

 そして徐にフォーマルハウトの腕を取り、抱き締める。

 

「フェ、フェニア?」

「何だ、恥ずかしいのか? ふふ、私の旦那は初心なのだな」

「……このままいくつもりなのか?」

「当然だ。お前の指輪で一緒に転移するには触れていなければならないんだからな。さぁ、さっさと行くぞ。余りモモンガや階層守護者たちを待たせては申し訳ない」

 

 男として間違いなく嬉しい状況なのだが、この光景をモモンガが見たら何と言うだろうか。遠い目をしながらそんなことを考えていた。

 腕に伝わる痩身ながらもしっかりと女性らしい柔らかさを持つヴェルフェニアの体の感触は素晴らしいの一言に尽きるものであり、現実でそんな機会がなかったフォーマルハウトにとってはずっと堪能していたいものであった。

 しかし、余り時間もないようだし、モモンガを待たせるわけにもいかない。

 ヴェルフェニアのスキンシップにも慣れて来たフォーマルハウトは落ち着いたら存分にイチャイチャしようと密かに決意し、指輪を起動した。




えのぐ語で台詞を書くのがひたすら辛かった……全部ヴィクティムのせい
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