「ん……」
半覚醒した意識で最初に感じたのは心地良さだった。
体を包むフワフワとした柔らかく温かな布らしきもの。強すぎず弱すぎない絶妙な弾力で背中を押し返してくるスプリングの存在を感じ取り、そこがベッドの中だということを悟る。しかし、なぜ自分がベッドの中にいるのかは頭に靄がかかったように思い出せない。
微睡から脱しようとする意識すら湧き起らない心地良さに、惰眠を貪ろうと手触りの良い毛布を深く被る。
「……い……きろ」
途切れ途切れの聞き慣れた声が聞こえる。声は吐息と共に優しく耳を撫でた。ふわりと甘い香りが漂い、鼻腔を通り抜ける香りが更なる眠気を誘う。
幾度か同じように耳元で囁かれ、ゆさゆさと体を揺すらると徐々に意識が覚醒させられて行く。
「おい、起きろ。何時まで寝ている、フォーマルハウト」
「……んぁ?」
目を開くと、目の前には青い瞳と闇に浮かぶ金の瞳のオッドアイ。自らの理想を詰め込んだヴェルフェニアの顔がそこにあった。
顔だけ動かして横へと視線を向けると見覚えのある光景が見えて、そこが自分の寝室であることを理解する。
リビングルームへと続く扉の横にはシズが直立不動の姿勢で立ち、視線だけをフォーマルハウトへと向けていた。
「おぉう……寝てたのか、俺?」
「寝てたというか、気を失っていたな。まったく、勝ったと思ったらそのまま倒れたから流石に驚いたぞ」
そう言って安堵の表情を浮かべるヴェルフェニアを可愛らしく思ったフォーマルハウトは、自然と手を伸ばす。長い金髪を梳くように優しく撫でると、ヴェルフェニアは驚いたような表情を浮かべた。
「な、何だ、急に」
「可愛いなと思って」
「……そ、そうか、いや……そうか……」
ヴェルフェニアはか細い声で答え、頬を赤く染めて嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「それで、どのくらい寝てた?」
「ほぼ丸一日だな。お前が気を失った後はそのまま解散した。今は警備体制も元に戻して、偵察結果待ちの状態だな。治癒はペストーニャがやってくれた」
「一日か……看病ありがとな。ペストーニャには後で礼を言わないといけないな」
そう言って、フォーマルハウトはゆっくりと体を起こした。
ベッドに座った体勢のまま腰を捻り、肩を回し、体の動きに支障が無いかを確かめる。
問題が無い事を確認すると今度はベッドから降りて立ち上がる。ここでようやくフォーマルハウトは自分が寝間着姿であることに気付いた。
「……誰が着替えさせてくれたんだ?」
「私と」
「……私です。頑張りました」
そう言ったシズの頬はほんのりと紅潮していた。
着替えさせる過程でフォーマルハウトのフォーマルハウトをばっちりと目にしてしまったのだから仕方が無い。
年頃の少女の反応としては、むしろ平然としているヴェルフェニアの方がおかしい。
「ごほん……そうか、ありがとう。さて、俺は何をすればいいんだ? モモンガさんから何か聞いてないか?」
「いや、私は何も聞いていないな」
「……私も、聞いてないです」
ナザリックは現在警戒態勢に入っている。
異世界という未知の状況に突然放り込まれ、現在周辺の偵察を行っている段階だ。どのような生物が生息しているか分からない以上、人員を遊ばせている余裕はないはずだった。そんな中でも警備スケジュールを調整し、模擬戦にあれだけの観客を集めることを可能にしてしまったアルベドとデミウルゴスの頭脳は驚愕の一言に尽きる。
ともあれナザリックにおける最大戦力の一角を担う百レベルプレイヤーを遊ばせておく余裕などないとフォーマルハウトは考えているのだが、現実にはなんの指示も与えられていなかった。
「ふむ……まぁ、何も言われてないなら別にいいか」
考えることを放棄する。もはやお家芸のような行為となっているが、考えても答えが出ないであろう問題のことを考えるのはフォーマルハウトにとっては無意味なことに思えている。自分以外に考えてくれる者がいるならば猶更だ。
何も指示が無いのならば好きに過ごしていればいい。勝手にナザリック外に出たりしなければ咎められることもないだろうと判断するが、唐突に出来た暇な時間を潰す妙案は思いつかなかった。
ユグドラシルではログインからログアウトまでの時間のほぼ全てをキャラクター育成かPK行為に費やしていたし、アインズ・ウール・ゴウンに加入してからはギルド活動や気の置けない仲間たちとの交流を楽しんだ。休日には食事も忘れて朝から晩まで遊び続けたことだって珍しくはない。
(……食事?)
思いついた疑問は食事に関する疑問だった。
ナザリックには凝り性のギルドメンバーたちが創った様々な施設がある。その一つが食堂だ。料理関係のキャラクターに特化して生み出され、ナザリックの料理長と設定されたNPCが副料理長や料理スキルを持つ男性使用人らと共に切り盛りする施設だ。
食堂は基本的に第九、第十階層で働くシモベたちが利用するという設定を持つ場所で、食事時には一般メイドたちで賑わうとされている。
ここでフォーマルハウトが気になったのは、料理の味だ。
ユグドラシルでは食材や料理がアイテムとして存在した。料理スキルを使用して作られた料理を食べると様々なバフ効果を得ることが出来るため、モンスター狩りの前などによく使われた。しかし、電脳法によって制限されたユグドラシルには味覚と嗅覚が遮断されていたのだ。
まともな食材などは裕福な上流階級くらいしか食べられない高級品なのだ。
ユグドラシルで見られる料理アイテムに何度憧れたか分からない。何度味覚と嗅覚が制限されていなければと考えたか分からない。
しかし、今は違う。味覚があるのは第八階層で飲んだヴェルフェニアの紅茶で確認済みだ。
フォーマルハウトは口の中から涎が溢れて来るのを感じる。食べたこともない料理の味を想像し、生唾を飲んだ。
「食事だ」
「食事? 精霊であるお前は肉体を持たないから、食事の必要はないだろう?」
ヴェルフェニアの言う通り、精霊は肉体を持たないため食事を必要としない。種族由来の能力として飲食のみならず、睡眠無効や疲労無効の能力も持っている。しかし、権利であって義務ではなく、飲食不要のスキルを持っていても飲食自体は可能なはずだ。少なくとも紅茶は飲めることが確認出来ている。
「必要はない。が、出来ないわけじゃない、はず。シズ、食堂まで案内してくれるか?」
「はい。でも、こちらまでお持ち出来ます」
「いや、せっかくだから食堂で食べよう。一般メイドたちもいるんだろ? 仲良くなりたいしな。フェニアも来い」
「当然だ、頼まれずとも行くぞ」
「畏まりました」
ぺこりと頭を下げたシズに案内を頼み、フォーマルハウトはまだ見ぬ料理へと思いを馳せながら三人で食堂に向かった。
◆ ◆ ◆
ナザリック地下大墳墓には膨大な数のシモベが存在している。NPCだけでなく召喚モンスターや
これはナザリックの維持費用を安く抑えるためだ。飲食が必要なシモベを配置すればそれだけ維持費用も膨れ上がるため、各階層に配置されているシモベたちの殆どが飲食を不要とする種族とされている。
しかし、第九、第十階層は数少ない例外だ。
第九、第十階層は至高の四十一人のうちの三人が協力して生み出した一般メイド四十一人が業務に携わっている。これら一般メイドは人間のように見えるが、その実人間ではなく、
このペナルティは食事不要のアイテムを装備しても無効に出来ず、
まして異世界へと転移した今は緊急事態として各階層から警備のためのシモベたちが送られて来ており、僅かながら食事を必要としているシモベたちも増えていた。
そんな第九、第十階層で働くシモベたちの食事事情を一手に引き受けるのが、フォーマルハウトたちが訪れた食堂だ。
白を基調とした無味乾燥な広々とした食堂には女たちの騒がしくも明るい声が広がる。マナーを弁えているようで、一人一人の声量はそれほどでもなかったが会話の数が多く、それに食器の音が加われば中々に騒がしい。
しかし、その姦しさもフォーマルハウトが食堂へ足を踏み入れた途端に鳴りを潜める。
最初にフォーマルハウトの存在に気付いたのは、入り口に最も近い位置で食事をしていたメイドたちだ。至高の存在の姿を認めると、それまで浮かべていた笑顔は大層驚いたような顔に変わり、食事を中断して椅子を蹴倒す勢いで立ち上がりフォーマルハウトへと勢い良く、しかし上品さを損なわないように頭を下げる。
その騒がしさに何事かと視線を向けたメイドたちも驚き飛び上がり、次々と立ち上がって頭を下げる様子は波か何かのようにも見えた。騒ぎに気付いた厨房で働く料理長らも手を止めて、慌てた様子でコック帽を外して頭を下げている。
その慌ただしさを目にしたフォーマルハウトの胸中に、居心地の悪さと悪い事をしたかなという小さな罪悪感が湧き上がる。
「あぁ、頭を下げる必要はない。気にせず食事を楽しむと良い」
罪悪感を感じても、頭を下げればメイドたちはもっと恐縮するだろう。むしろ自分たちが悪いと謝り始めるかもしれない。それが分かっていたフォーマルハウトは頭を下げず、苦笑を浮かべながらメイドたちへと食事を続けるように促す。
メイドたちは少しだけ困ったような表情を浮かべながら顔を見合わせてから食事へと戻った。程なくして元の喧噪が戻り始める。
目の前に広がる
専ら料理らしき味が付いた固形と液体の中間と言える食感をした合成食糧で済まされていた
食堂の入り口に立っているだけで食欲をそそられる料理の匂いに何とも言えない感動を覚えていると、厨房の方からコック帽を脇に抱えた料理長が小走りで姿を現した。
「これはこれはフォーマルハウト様、態々食堂までお越しとは。ようこそおいで下さいました。それに領域守護者のヴェルフェニア殿とプレアデスのシズ殿も。一体如何なさいましたか」
「食堂へ来たらすることは一つだろう、料理長?」
その言葉に、料理長の目が光る。
「おぉ! もしやお食事を? しかし、料理を御所望であれば部屋までお持ち致しますが……」
「部屋で一人二人で食うってのもな。精霊だから今まで気にしたことはないが、食事は大勢で食べたほうが美味いんだろう?」
「はっ! まさしく仰る通りかと。して、どのような料理にいたしましょうか。和洋中全て揃ってお出し出来ますが……」
どんな料理と言われても、自分には縁のない物だからと知識すら殆ど集めなかったフォーマルハウトは何を頼めばいいのかすら分からなかった。
ならば分からないものは分かるものに任せればいい。
「ふむ……任せる。お前のおすすめで頼むよ。フェニアとシズはどうする?」
「私はフォーマルハウトと同じもので良い」
「私は、専用のドリンク、あります」
「だそうだ」
「ははぁ! 畏まりました! お好きな席に座って今しばらくお待ち下さいますようお願いいたします! ナザリックの厨房を預かる料理長として、必ずや皆様方が満足するに足る料理をお出しすることを誓います!」
やたらと気合の入った声で宣言し、料理長は瞳を爛々と輝かせながら厨房へと戻って行った。
料理長に気合が入るのは当然のことだった。彼が忠誠を誓い、今もこの地に残る二人の支配者はどちらも生存に食事を必要としない。ユグドラシルではバフ効果を得るために料理アイテムを使用することもあったが、それらのアイテムは料理スキルを持つギルドメンバーによって供給されるものが殆どであり、料理長がその忠義を捧げる機会は無かった。
だが、ついにその機会が訪れた。
出来ることなら入念に準備し、コース料理の内容を吟味して最高の料理を提供したかったが、もはや是非も無い。
主が食事を所望とあらば、態々自分の元へと赴いてくれた慈悲に報いねばならないのだ。
料理長は使命感に燃え、歓喜に満ちている。ようやく、崇敬の念を抱く主の一人にその忠義を捧ぐ事が出来るのだから。
「さて、座って待つか」
「どこへ座るんだ?」
「そうだな……どこでもいいな。メイドたちと話が出来ればいい」
フォーマルハウトの言葉を聞いたメイドたちの肩が僅かに揺れる。
至高の御方とテーブルを囲み、食事をする。それだけで夢のような状況であるのに、そこに一般メイドにとってはアイドル的存在である戦闘メイドプレアデスの中でも、さらに一番人気であるシズまで付いてくるのだ。
誰もが手を挙げて自分の近くへと誘いたい衝動に駆られるが、メイドでありながら主を気安く誘うなどという不敬な真似は出来ないと思い留まる。
降って湧いた幸運と、それに手を伸ばすことが許さない自分たちの矜持に苦悩する。
「フォーマルハウト様、あそこ、空いてます」
そんなメイドたちの苦悩を断ち切ったのはシズだ。
シズが指を向けた先にはいくつかの空席があった。テーブルを挟んで一人と二人に別れて座れば一人の方が左右をメイドたちに挟まれるような位置で、フォーマルハウトの一般メイドたちとコミュニケーションが取りたいという要望を叶えるには持ってこいの席だ。
シズの出来た気遣いに感心する。
だが、実際はシズの気遣いだけではない。
フォーマルハウトが食堂を訪れるまでは、その席にはメイドたちが座っていた。しかし、フォーマルハウトがメイドたちと話が出来ればいいと言った瞬間にそこに座っていたメイドたちは一計を案じたのだ。
至高の主人を気安く誘うことなど出来ない。しかし、主人の方から選んでもらえればどうか。そう考えたメイドたちはさり気無く席を移動して態々自分たちの間に空席を作り、三人が気付いてくれることを祈った。
そしてシズが空席に気付いてフォーマルハウトを促し、メイドたちの計画は見事に成功を収めた。
ある意味で自らの主人を誑かしたと言えなくもない行為だったが、微かな罪悪感よりも敬愛するフォーマルハウトとその妻とされるヴェルフェニア、そしてアイドル的存在のシズと食事を楽しめるという幸福感が圧倒的に勝っていた。
「……私とシズはこちらに座ろう。お前はそちらだ、フォーマルハウト」
「あぁ。隣、座らせてもらうぞ」
「は、はい!」
返事と共にメイドはサッと立ち上がり、頭を下げながらごく自然な動作で椅子を引いてフォーマルハウトが座りやすい位置へと動かした。その動きは非常に洗練されており、ナザリックのメイドの一人として恥じることのない完璧な技能を所持していることを物語っていた。
淑やかな微笑みを浮かべながら頭を下げているのは一般メイドの一人、ルミナリスだ。
天井の照明を反射して煌めく色素が薄いプラチナブロンドの髪は腰より下まで伸びており、毛先から十センチほどが軽いウェーブを描いている。スレンダーな体型は細身でありながらも女性らしい柔らかさを感じさせ、慎ましやかな胸の左上にはフォーマルハウトの紋章が刺繍されていた。
サクラメントと並び、フォーマルハウトが名付け親となった一般メイド三人のうちの一人である。
「ルミナリス……だったな、ありがとう」
「いえ、感謝など私如きには勿体ない!」
「そうか? まぁいい、座ってくれ。そして普段お前たちがしているように雑談でもして欲しいな」
「はい!」
元気良く返事をしてフォーマルハウトの隣に座ったルミナリスの前には、美味そうな料理が山のようにこんもりと盛られていた。
トレイの中央に据えられたメインとなる大皿には断面からこぼれるチーズや海老がたっぷりと入ったフワフワトロトロの大きなオムレツが三つ、カリカリのベーコンが二枚にソーセージが三本載せられている。別のお椀状の皿にはレタスやトマトなど彩り豊かな野菜の上からシーザードレッシングが掛けられたサラダが盛られ、スープはコーンポタージュだ。また別皿には山盛りのフライドポテトとクロワッサンやバターロールなど彼女の好みのパンが幾つか載っている。
その食事量に驚いたフォーマルハウトは他のメイドたちの方へも視線を向けるが、食事を楽しんでいる一般メイドの全員が料理の内容は違えど量は似たようなものだった。おかわりをしに立ち上がっている者までいる。
「お前たちは随分と食べるんだな」
「えっ? あ、はい、私たちは人造人間で御座いますので」
「そう……だな、うん。知ってはいたんだが、想像以上だったというか」
きょとんとした表情のルミナリスを見やる。
低レベル
この細い体の一体どこにこれほどの量が収まるのか、色々と考えてみても答えは出なかった。
「そういえば料理長に頼んでしまったが、ビュッフェスタイル……っていうやつだったのか。悪い事をしたな」
「いいえ、料理長もフォーマルハウト様のお役に立てて嬉しそうでしたし、構わないかと。それに至高の御方であられるフォーマルハウト様が御自分で料理を皿に盛ると言うのは……」
苦笑しながらそう告げたのは、ルミナリスとは反対側に座るメイドのフォスだ。
「あー……はは、そうか。そうだな。しかし美味そうだ、料理が来るのが楽しみになる」
「あの料理長の気合の入りようからしてコース料理だろうな」
ヴェルフェニアの予測を聞いたフォーマルハウトの動きが固まる。
「それは……楽しみだけど、マズいな。食事のマナーなんぞ分からんぞ」
「自分が任せると言ったんだろう? 格好いいところを見せてくれよ、旦那様」
「無茶を言わないでくれ……」
当然だが、フォーマルハウトはテーブルマナーなどは全くと言っていいほど知らない。
強いて言うならばフォークとナイフは外側から使う、スープを飲むときは音を立ててはいけないなど誰でも知っているような知識くらいだ。
「……大丈夫です。私も分からない」
「シズはいい子だなぁ!」
「いや、シズは専用ドリンクだから今は関係ないだろう。マナーも何もあるものか」
実のところシズはテーブルマナーを完璧に身に付けている。
彼女は戦闘要員として生み出されてはいるが、ナザリックのメイドとして完璧な作法を身に付けてもいる。にも関わらずマナーが分からないと言ったのは、フォーマルハウトだけに恥を掻かせないためだ。これもまたメイドとしての作法と言える。
ヴェルフェニアの突っ込みで台無しではあったが。
「ん? シズ、それが専用ドリンクか?」
「はい」
いつの間にかシズの手には大きなグラスが握られていた。
蓋が付いた透明な容器の中にはピンク色のドロドロとした液体が入っている。中の液体は傾けても動きが非常にゆっくりしており、刺してあるストローでは吸い上げるのに随分な力が必要そうなほどに粘液質だ。しかし、シズはそれを特に苦労する様子も無く吸い上げていく。
「美味いのか?」
「……美味しいです。ストロベリー味。カロリーたっぷり」
「どのくらいなんだ?」
「二千キロカロリーです」
内包された驚きのカロリー量に女性陣が顔を顰める。
体を動かす大人の男が一日他に何も食べなくても済むカロリー量は、流石に思うところがあったらしい。尤も、一般メイドたちはそれ以上の量を三食規則正しく食べているのだが。
「味は気になるが、私が食べると太りそうだな」
「え、フェニアお前太るのか? というかお前たちって体型変わったりするのか?」
フォーマルハウトの質問に、ヴェルフェニアもメイドたちも顔を見合わせ、可愛らしく首を傾げた。
だがそれも当然だ。元々はユグドラシルのデータであって生物では無かったのだから、彼女たちがいくら記憶の中を探ろうとも自然に体型が変化した記憶は無いはずだ。
(太るのなら成長するってことだよな? その逆もしかり……身体計測とか健康診断もした方がいい、のか? 今度モモンガさんに相談してみよう)
ゲームであれば変化するはずもないが、現実となった今では何がどんな影響を与えるか分からない。特に一般メイドたちは明らかに見た目の許容量以上の食事を摂取しているため、少しばかり心配だった。
そんな心配を余所に、ルミナリスを始めとするメイドたちは談笑しながらも美しい所作で行儀良く食事を楽しんでいる。異常なのは食べる量と速度だけだ。
まるで掃除機が吸い込んでいるかの如き速さで次から次へと料理を口へと運んでいるが、決してハムスターのように頬が膨らむことはない。では咀嚼が早いのかと言われれば口の動きは至って普通であり、噛まずに飲み込んでいる様子は無い。
メイドたちは腹の中も口の中も謎だらけだった。
「フォーマルハウト様」
「ん?」
背後から声を掛けられて振り返ると、そこには副料理長と共に黒い目出し帽を被った男性使用人の姿があった。同じ料理を頼んだヴェルフェニアの方には男性使用人が二人だ。
男性使用人は銀色のワゴンを押しており、その上にはナイフやフォークなどの食器と共にクープ型のシャンパングラス、そして銀色のクロッシュが被せられた皿が一つ載っていた。
副料理長はゆっくりと人間で言えば腰に当たる部分を折ってお辞儀をする。
副料理長は
頭部は茸の傘のようになっており、そこには弾力のある赤紫色をした大きな水滴のようなものが無数に付いている。顔を歪めたりして感情表現をすることが出来るが、茸なので目や鼻、口が無く、その顔から感情を読み取るのは難しい。
ワイシャツにベストを着用したダンディな服装に包まれた体は、茸ゆえに寸胴体型であり腰が無い。しかし、茸らしからぬ人間のような肩や手があり、その歪な形をした両手でシャンパンの瓶を抱えていた。
「大変お待たせ致しました。給仕は私が勤めさせて頂きたく思います」
「あ、あぁ、頼もう」
「はっ、有難う御座います」
その言葉と共に男性使用人がキビキビとした動作でフォーマルハウトたちの前に食器やナプキンを綺麗に並べ、食事の準備を済ませる。
「それではまずはこちら、食前酒としてスヴァルトアールヴヘイム産の葡萄を使用して製造致しましたシャンパンで御座います」
副料理長の手でシャンパンの瓶からキュポンと小気味良い音を立てて栓が抜かれる。続いて二人のグラスにシャンパンが注がれると炭酸が弾ける音と共にふわりと芳醇な香りが立ち込めた。
生まれて初めて嗅ぐシャンパンの香りに、フォーマルハウトはまだ料理が見えていないというのに食欲が湧き立つのを感じる。
「それと一皿目オードブルとしましてヴァナヘイム産ペネトレイトクラブとアルフヘイム産エッセンスプラムのサラダで御座います」
次にクロッシュが被せられた大皿が目の前に置かれた。
クロッシュが取り去られて目に飛び込んで来たのは、良い意味で食べ物とは思えないような料理だ。
量に対して不釣り合いなほどに大きい皿は料理長の手による盛り付けにより見事な調和を生み出し、まるで初めからこの料理のために作られた皿であるかのような錯覚を受ける。フォーマルハウトの知識に無い白いソースで描かれた美しい模様は芸術品の如きものであり、食べて壊してしまうのが躊躇われるほどだ。
目の前に並べられた料理を自分などが食べても良いのかという考えがフォーマルハウトの脳裏を過ぎったが、意を決してまずはシャンパンを口に含む。
シュワシュワとした炭酸が口の中で弾けるたびにシャンパンの豊かな香りにフォーマルハウトは感動する。もうこれだけでもいいかなと思えてしまうほどの満足感だ。しかし、シャンパンの香りは食欲を刺激し、満足感はいつの間にか食欲へと姿を変えていた。
食欲に背を押されるままにナイフとフォークを手に取って、映画か何かで見た記憶を頼りにナイフとフォークを操る。大きくぷりっとしたペネトレイトクラブの身を一口大の大きさに切り分けて、エッセンスプラムと共に口へと運ぶ。
瞬間、フォーマルハウトの体を電流が走り回るような衝撃が襲った。
美味い。それ以上の言葉が見つからない。フォーマルハウトはこの美味しさを形容する言葉を持ち合わせていなかった。
口に含んだ蟹の身は柔らかではあるがしっかりとした弾力で歯を押し返し、共に口に含んだエッセンスプラムの瑞々しい食感がアクセントとなって蟹の弾力と旨味がさらに際立たせられる。噛む度に染み出してくるずっと味わっていたくなるような旨味が掛けられていた白いソースと混ざり合い、完璧だと思われていた味をさらに一段階上へと押し上げていた。
(あぁ……食べ物ってこんなに美味かったんだな……)
口の中の料理を味わい噛み締めながら、心の中でしみじみと呟く。
「ど、どうした、フォーマルハウト?」
「……え?」
感動に身を震わせていたところに声を掛けられたフォーマルハウトが我に返ると、食事の手を止めたヴェルフェニアやルミナリスたちがぎょっとしたような顔をしていた。殆ど表情を動かすことが無いシズですら、誰の目からも分かるほど驚いたように目を見開いていた。
「い、如何なさいましたか? もしや何かお嫌いなものでも……」
「な、何? いや、そんなことは――」
ない、そう言おうとしてようやく気付く。自分の頬を涙が伝っていることを。
本物の食べ物を食べた感動。その味の美味さ。自分が今まで食べていた合成食糧など食べ物ではなかったんだという悲しみ。それら以外にも色々な感情が綯交ぜになってフォーマルハウトの心の許容量を超え、涙を流させた。
瞳から零れて頬を伝い、顎からテーブルの上へと落ちた涙の雫がテーブルクロスを湿らせる。
「あ、あぁ、これは……そう、あんまり美味くてな」
今まで碌なものを食べてこなかったから、などとは言えなかった。
ユグドラシルでは味覚も嗅覚も制限されていたため味も匂いも分からなかったが、バフ効果を得るために料理アイテム自体は何度も使ってきた。それは見た目だけなら高級料理であり、それで碌なものを食べて来なかったとはどういうことなのかと訝しまれてしまうからだ。
感動に声を震わせながら紡がれた言葉に、ヴェルフェニアたちは安堵したように胸を撫で下ろす。
「まったく、人騒がせな男だな」
「あー、それはすまないな」
フォーマルハウトは苦笑しながら軽く頭を下げて謝罪したが、その後も新しい料理が運ばれてくる度に涙を流すことになった。
一通りのコース料理を拙いマナーで楽しんだフォーマルハウトは食後に運ばれてきたコーヒーを味わい、未だ感動に打ち震える心を落ち着かせる。
(はぁ……美味かったなぁ……)
ほぅと息を吐いて背もたれに体を預けながら、転移した幸運を噛み締める。
正面には理想の嫁。左右には可愛らしく美しいメイドたち。住まう家には忠誠を誓い、慕ってくれる部下たち。そして親友とも呼べる友人、モモンガ。
最後を除き、どれもフォーマルハウトが
「次は何を食べようか……」
異世界転移という異常事態に巻き込まれているとは思えないほどに暢気な発言だった。
作中のどこ産の何とかとかエッセンスプラムとか完全に捏造です。
ピアーシングロブスターがあるならペネトレイトクラブだって居てもいいよね。
ペネトレイトクラブはヴァナヘイムにある川に生息する七十レベルの蟹型モンスターです。
体の大きさは手の平サイズですが、鋏はとても細長くて鋏の長さだけで一メートル以上あります。切断よりも突き刺すことに長けた形状をしています。
そんな感じの無駄な軽い設定があったりもしますが、割愛。
余り料理に関しては詳しくないしコース料理も食べたことがないので、色んなサイトから情報を引っ張って書きました。詳しい方が見ると粗が目立つと思いますがスルーで、スルーでお願いします……!
あと書き溜めが大分少なくなってきました。
遅筆なので書くのに時間がかかる……。