マスクの注文をしてから数日が経ち、絋輝があんていくに向かっていると目の前に車が止まった。
訝しげに車を見ていると降りてきたのは荒木達だった。
「よぉ、坊主」
「はぁ……また質問ですか?」
「そういうなよ。息子と歳が近いから気になるんだよ」
荒木は戯けたように言うがその眼は鋭いものだった。
絋輝はその視線を見逃さないが疑っているのが表情に出ないように話しかける。
「で、何かようですか?」
「いや、ここいらで調査をな。『あんていく』って喫茶店に向かうとこなんだが、この前の詫びも兼ねてそこでコーヒーでも奢るぞ」
あんていくに向かうと言った瞬間、絋輝の体がピクリと動いてしまう。
荒木は変わらず、笑みを浮かべて絋輝を誘うが断ろうとするが、思い留まった。
「そうなんですか?別に気にしてませんよ。気を遣わないでください」
「そう言うなって、大人の事情ってもんがあるんだよ」
2人は笑みを浮かべながら話すがその眼は探り合うものだった。
荒木は女狂いとの関係を探るために執念を燃やし、絋輝は自分の生活と董香達を守るために今にも押しつぶされそうな空気に耐え、心を必死に保つ。
ついには、絋輝が折れ荒木の車に乗り、あんていくに向かうことになった。
「ごめんなさい。荒木さんが勝手なことを……」
「いいえ。気にしないでください」
波島が申し訳なさそうに謝るなか、絋輝は董香に今から捜査官を連れてあんていくに向かうことを知らせる。
その時、荒木は運転しながらバックミラーで絋輝の様子を確認していた。
ーーーーー
あんていくに着き、絋輝が扉を開けようとするが手が止まってしまう。
それに荒木は目ざとく気づく。
「どうした?」
「……いえ」
絋輝は意を決して扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
店にいたのは何人かの客と芳村、入見、董香だった。
店に入ると董香は嬉しそうに顔を綻ばせたが、すぐ後ろから荒木達が入ってくると少し顔を強張らせた。
絋輝は3人に目を向けると気づかれないようにうなづく。
今日は董香もいるはずだが絋輝が事前に捜査官と一緒に行くと連絡したが仕事をしていたため気づかなかったのだろう。
3人は同じテーブルに着くと注文しようと店員を呼び出すと芳村が来た。
「コーヒーを3つ」
「かしこまりました」
芳村は注文を聞いて去ろうとするが荒木が呼び止めた。
「ちょっと待った。実は私、喰種捜査官でしてあることを聞きたいのですがよろしいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ」
荒木の質問に芳村は落ち着いた様子で了承すると荒木は懐からある写真を取り出した。
「この男に見覚えは?」
その写真にはあんていくに入っていく田中が写されていた。
(尾けられていたのかよ……)
絋輝は内心で悪態をついていると芳村は答えた。
「えぇ、知っていますよ。最近ウチに良く来てくれるお客様です」
「何か話したりとかは?」
「世間話をするくらいですね」
荒木はその後も芳村に質問していくが、当たり障りのないことを答え続けた。
やがて質問も終わり、出されたコーヒーを飲むが荒木は当てが外れたのか不服そうだった。
絋輝はふと気になったことを荒木に聞くことにした。
「何で俺を疑っているんですか?」
失礼なことを聞いているとわかっているが女狂いと関係があるからと言って、ここまで疑っていることに疑問を持った。
「それは……」
波島が弁明しようとするが荒木がそれを止める。
「別にお前が悪いから疑っているわけじゃない。ただ女狂いの狙いがお前なら守らなきゃいけないんだ。それに息子と歳が近いからかもな。余計心配なんだよ」
「……」
人の心を読めるわけではないがそれでも荒木は嘘をついていないと絋輝は思った。
その後、荒木達は店から去り、残ったのは絋輝とあんていくの店員だけになった。
「すいません。迷惑かけて」
「流石に捜査官が来たのは驚いたが何事もなくて良かったよ」
芳村の言葉に絋輝は申し訳なさそうに笑みを浮かべながら荒木の言葉を思い出す。
自分のために疑っている荒木にはどうしても悪感情を持つことはできなかった。
あの時見せた荒木の表情が自分を見る父親と重なってしまったからだ。
ーーーーー
後日から田中はあんていくに姿を現さなくなった。
喰種捜査官が自分のことを調べていると知れば、あまり目立ったことができない。
田中が訓練に参加できない代わりに董香が肉弾戦の訓練を手伝ってくれるようになった。
地下で組手なようなものを行なっているが亜人とはいえ力は並みの人間、喰種である董香に勝てるはずもなかった。
「ふっ……!」
「ぅおっ!?」
董香が繰り出す突きに絋輝はギリギリで躱すが、次の素早い回し蹴りを躱すことができずに当たってしまう。
「がっ……!?ぃってぇ……」
腹を抑えて蹲る絋輝に董香は苦笑いしながら背中をさする。
「情けないなぁ。そんくらい避けなよ」
「無茶言うなよ……ついこの間まで普通の高校生だったんだぞ」
痛みで顔を歪ませながら、小馬鹿にしてくる董香を睨む。
すると董香は絋輝の顔から血が流れていることに気づいた。
董香の突きが僅かに掠ったようだ。
「絋輝、血が出てる」
「え?どこ?」
「……私が拭いてあげる」
流れる血を指で拭ってやると、董香は指についた絋輝の血を見つめる。
「董香?」
董香の様子がおかしいことに気づいた絋輝が声をかけるが董香は熱に浮かされたように血を見つめ、突然その血を舐めた。
突然のことに驚く絋輝だが、董香はそんな絋輝が目に入ってないのか夢中になって血を舐める。
血が全て舐め取られても指に残った味を堪能しようと無我夢中で舐める。
恍惚とした表情で舐めとる仕草が扇情的に見えた絋輝は一瞬見惚れるが、すぐさま正気に戻り董香の肩を掴んで辞めさせる。
「董香!どうした!?」
「はぁ…はぁ……絋輝……こうきっ!!」
「うあっ!」
董香は恍惚とした表情のまま絋輝を押し倒し、馬乗りになる。
地面に頭を打った絋輝は痛みに悶絶しながら董香を見るが、彼女は完全に我を失っていた。
ゆっくりと体を絋輝に押し付けて、顔の傷付近を執拗に舐めていく。
「れろ……ちゅっ、じゃる……ちゅっ……んっ……」
血の味を確かめるように舐めていく董香に絋輝は戸惑う。
今までこういったことはしてきたが、こんなにも突然に襲われることはなかった。
絋輝が戸惑っていると董香の口は段々と首に移動していった。
すると、突然首に鋭い痛みが走った。
「痛っ!!?」
あまりの痛さに董香を押しのける。
押しのけた董香の口元には血がべったりと付いており、目は赫眼になっていた。
「董香……」
「……っ!ごめん……!」
絋輝が押し退けたことで正気に戻った董香は顔を青くさせて、顔を見られないように走り去ってしまった。
絋輝は董香を追うことが出来ず、その場に座り込んでしまい痛む首を抑えると手に血が付いてしまった。
ーーーーー
休憩室で首の応急処置を芳村にしてもらっていると話しかけてくる。
「絋輝君、どうか董香ちゃんを責めないで欲しい。彼女に悪気はなかったんだ」
「わかってますよ。あの時、董香はいつもの状態じゃなかった」
絋輝は熱に当てられたような董香を思い出す。
「田中君が言っていた『喰種にとって亜人は格別だ』と言うのは本当だ。君たちの血肉の匂いを間近で嗅ぐと我を忘れてしまいそうになる」
「それは芳村さんもですか?」
芳村は絋輝の問いに何も答えないが沈黙ということはそういうことなのだろう。
「私は彼女に言ったんだ。亜人と共に生きるということは人間と生きるより更に難しい、とね。だが、彼女は一切譲らずに君と一緒にいたいと強く言っていたよ」
それを聞いた絋輝は嬉しく思い、それと同時に申し訳無く思った。
亜人になって悩んでいるのは自分だけだと思っていたが董香も悩んでいた。
自分ばかりのことを考えて董香のことも考えていなかった。
「董香ちゃんには私から言っておこうかい?」
「いえ、自分で言います。これは俺と董香の問題ですから」
「……そうだね。とにかく今日はもう帰りなさい。暗くなってきたら危険だ」
絋輝のその言葉に芳村は昔の自分と重ねて嬉しく思った。
救急箱を持って出ようとした時、思い出したことを伝える。
「そう言えばウタ君がマスクができたと言っていたよ。時間の都合が合えば取りに行くといい」
「そうですか。じゃあ、明日取りに行きます」
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雨が降っていながらも多くの人が行き交う新宿の交差点には多くの悲鳴が上がっていた。
その中で絋輝はこれは現実なのか?と思考を止めてしまう。
そんな彼に死の手は迫った。