どこかの廃墟となったマンションの中で、家具のようなものは一切ない一室のガラスも嵌められていない窓に1人、腰掛けて月を眺める影があった。
全身に包帯を巻きその上からローブ纏って、首元に花柄のスカーフを巻いた小柄な喰種、エトだ。
月を眺めながら足をぶらぶらと揺らして、何かを考えている様子だ。
「エト」
「あっ、タタラさん」
顔の下半分を赤い鉄マスクで隠し白装束の男、タタラがエトに話しかけ、エトは包帯だらけの顔を向けた。
「『アオギリの樹』のメンバーは着実に増えている。しかし、まだ足りない。地道に増やすのもいいがどこか当て、ないか?」
「うーん……群れている喰種の当てか」
エトは首を傾げて考え込むと、思い当たったのか手を叩いた。
「うん!当てがあるよ、タタラさん。ちょっとヤバい奴だけどそいつの部下は使える奴らばかりだよ」
すると、包帯越しだがそれでもわかるほど、エトの口元が笑みで歪んでいく。
「ついでにある事も頼もうかな?」
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休日の昼間のあんていくで董香はアルバイトをしていたが、心ここに在らずといった様子で、何度もオーダーミスしたり、皿を割ってしまっていた。
芳村達は理由は知らないが焦燥している董香には気づいており、心配していた。
そして、また躓いてお冷やをこぼしてしまう、
「あっ……」
「申し訳ありません、お客様。董香ちゃん、大丈夫かい?」
「店長……すいません」
「ここは私に任せて、一旦奥で休んで来なさい」
芳村は優しい顔で董香に話しかける。
「え、でも……」
董香は平気だと言おうとしたが芳村は首を横に振って微笑みかけ、それを見た董香は申し訳なさそうにしながら奥の休憩室に向かった。
「董香ちゃん大丈夫でしょうか?」
心配そうに入見が芳村に話しかけ、休憩室に向かった董香を見る。
「どうだろうね。心の傷は癒えるのが長くかかるから」
「こんな時に絋輝君がいれば良かったのに最近は見かけませんしね。……まさか浮気とか?」
入見の声の音程が一段と下がり、凄みが出る。
顔馴染みの喰種常連客は、入見さんが怒ってる……と恐怖した。
入見のその姿に芳村は苦笑いしたが、先日起きた亜人研究所襲撃事件を思い出していた。
あの一件が何かしら関係あるに違いないと確信していた。
「どうしたものか……」
芳村はそう呟きながら仕事を続けていると新たに客がやって来た。
「いらっしゃ……あら?」
入見が客を見ると少し驚いた様子にで、珍しい客を見た。
「やぁ、久しぶりだね」
モデルのような容姿を持つ美麗な男性、そして20区で『美食家』として恐れられる喰種、月山 習だった。
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月山が来て、他の客達は関わりたくないと、さっさと帰ってしまった。
「月山君じゃないか。久しぶりだね」
「芳村さんもお久しぶりです。今日はコーヒーを飲みに来たついでにある事を伝えに来たのですよ。そういえば霧島さんは?」
「今日は少し調子が悪くてね。休んでもらってるよ」
芳村がそう言うと月山は少し困った表情になる。
「ふむ……できれば霧島さんにも聞いて貰いたかったのだけど仕方がない」
月山はコーヒーを飲み、一息つく。
「ふぅ……やっぱりここのコーヒーは美味しいね」
「それで月山君、伝えることとは何なんだい?」
月山は怪しい笑みを浮かべながら、口を開く。
「20区に他の区から厄介者が2人現れたらしくてね。注告に来たのさ」
「20区の厄介者である貴方が?珍しいわね」
入見が少し皮肉っぽく言うが月山は気にした様子はなく、話を続ける。
「その内の1人が僕も気に入らなくてね。できればあんていくに始末して欲しいと思って」
「私達はそんな野蛮な真似はしない。向こうが仕掛けてきたら話は別だが」
ふざけた言葉に芳村から威圧感が溢れ、月山は表情には出さないがあまり調子に乗らないようにと自分を戒める。
「ま、話だけでも聞いて欲しいね。まず1人目だが11区から来た神代 利世という女性さ。『大喰い』と呼ばれるほど喰い散らかして色々な区を渡り歩いていたらしい」
「ふむ……神代 利世か。注意しておこう」
「そしてもう1人が今回僕が注告しにきた理由なんだ。そのもう1人は『偏食家』。貴方達ならこの名前は知っているはずだ」
月山の偏食家という言葉に芳村と入見は苦い表情になる。
「『偏食家』か……」
「彼奴ね」
「アレと僕には因縁があってね。常に動きはマークしていたんだが、最近になってアレの部下が20区で何かを探るように動いているらしいから。お気に入りのこの店がアレのせいで荒されたりしてしまっては嫌だからね」
「わかった。気をつけておこう」
月山はコーヒーを飲み終わって立ち上がり、店を去ろうとする。
「霧島さんにも伝えておいてください。偏食家の趣向に合うのは彼女ですからね」
月山が店から去り、芳村達は考え込んだ。
「芳村さんどうします?とりあえずは見回りを強化するにしても今の董香ちゃんには……」
「董香ちゃんには四方君を付けさせよう。彼がいれば安全だ。後は絋輝君だがどうしたものか」
これからのことに芳村は少し悪い予感をしていた。
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絋輝から別れを告げられて数日が経っていたが、董香は未だに別れたことを信じることができないでいた。
悪い夢なら覚めて欲しいと思いながら、絋輝にメッセージを送るが既読にすらならない。
それを見る度に暗い奥底に落とされるような絶望感を味わうが、それに反して絋輝は望んで別れた訳ではないと思っていた。
訳もわからず、あんなふざけた別れを告げるような人物ではないと分かっている。
だから、一度ゆっくりと話したいと思いメッセージを送り続けているが返事が返ってこない。
「返事くらい返せよ、バカ………」
既読すら付かないメッセージ画面を見つめながら、力なく呟いた。
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董香に別れを告げてから数日が経ち、絋輝は何もやる気が起こらず自室で過ごしていた。
頭の中ではあの時別れを告げてよかったのか、高槻の言葉、救出した波島の状態など色々なことが頭の中で巡っていた。
「はぁ……」
色々と考えて疲れた絋輝はため息を一つ零すと携帯にメッセージが入った。
また董香か、思いながら一応確認するとメッセージを送って来たのは吉桐で、『来週の海の予定を計画しよう』と表示されていた。
「海か……」
ここ数日、家族以外とは話しておらず悪い考えばかりが浮かんでいた絋輝は誰かにこの不安を吐露したかった。
そこである程度、絋輝の秘密を知っており何度も董香との仲を取り持ってくれた吉桐に相談したくなり、『会えないか?』と返事をした。
すぐに返事が返ってきて絋輝は家を出た。
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待ち合わせしたのは例の自然公園でここなら人が少なく、どんな話をしても聞かれることはないと思い、待ち合わせ場所にした。
「やあ、久しぶり」
久しぶりに親友に会った絋輝はそれだけで心の不安が軽くなった気分だ。
他愛もない世間話をしていると吉桐が本題を切り出してきた。
「そうそう海に行く予定を立てないと。すっかり話し込んでしまったよ」
「………」
その話を切り出すと、絋輝はバツが悪そうにする。
それに気づいた吉桐は不思議そうに質問する。
「ん?どうしたんだい?」
「……実は」
絋輝は吉桐に事の詳細は伝えず、董香と別れたとだけ伝えた。
「そうか……董香と別れたんだ」
「………」
「それは君が何かに巻き込まれているから、別れを言った?」
絋輝は首を縦に振った。
吉桐はそれを見て、前に広がる庭園を見ながら絋輝に話す。
「絋輝はさ。危険に巻き込みたくないから董香から離れたんだろう?それはとても優しくて、勇気のある行動ことだと思うよ。だけどね、置いていかれた人達のことを思うとそれは残酷なことだ。君が危険なことに向かっていくのを止めることも出来ずにただ見てるだけなんだから」
吉桐の言葉を聞いて絋輝は目を伏せてしまう。
そんなことは理解しているつもりだったが、それよりも皆を危険に巻き込むのは嫌だった。
「君が巻き込みたくない気持ちもわかる。だけど、残された方は君と一緒にいたかったと思うはずだよ。例えどんな壁が立ちはだかったとしても。家族や董香、小坂さんに勿論僕もだ」
吉桐は絋輝を見つめながら、そう自信有り気に言った。
「突然だけど、持論でさ。『愛』って何よりも強いものだと信じてるんだ。董香と君の愛だったらどんな危機でも乗り越えていけるよ。……なんかとっても臭いこと言っちゃったな。恥ずかしい!」
ハッハッハッと笑う吉桐に対して絋輝は何かを思い悩み、立ち上がってその場から去っていく。
吉桐は去っていく絋輝に怒るのではなく、微笑んで話しかける。
「海に行く予定は絋輝と董香が仲直りしてからにしよう。それまで気長に待ってるよ」
今の言葉は絋輝に届いたかわからながこれで少しは楽になってくれれば良いと願う吉桐だった。