20区のある路地裏には捜査線が引かれていた。
捜査線の中には血が飛び散り、地面や壁は大きく抉れていた。
現在20区を担当している荒木はタバコを吹かしながら現場を見ていた。
酷い争った跡があるが、死体は一つも転がっていなかった。
真剣な表情で現場を見ている荒木にパートナーである波島が駆け寄ってきた。
「荒木さん!」
「んあ?」
「ダメです。目撃者はゼロでした」
「ダメか……なぁ、波島よぉ。オメェこの現場どう思うよ?」
荒木は顎で現場を指しながら問いかける。
「どうって……喰種同士の争いじゃないんですか?」
波島がそう呟くが荒木は煙を吐きながら、難しそうな顔になる。
「俺はそうは思えねぇんだよなぁ」
「そう思う理由は?」
「勘だよ」
荒木の答えに波島はため息を吐いた。
「はぁ、また真戸上等仕込みの勘ですか?あんまり勘ばかりで動いていると大変な目に合いますよ」
「今までこの勘で生き残ってきたんだ。これからも頼るしかねぇよ。」
「じゃあ、喰種同士の争いじゃなかったら何だって言うんですか?こんな惨状喰種以外にできると思います?」
波島が現場を指しながらそう言うと、荒木も考え混んでしまう。
「いや…まさかな………」
何かを呟く荒木を不思議に思いながら見ていると、話を変えてきた。
「波島、血痕を追っている奴らを引き上げさせろ。多分、女狂いだ。奴は下水に逃げて追えねぇよ」
「またそんな勝手なことを……」
呆れた様子の波島に通信が入り、追っていた喰種の血痕が下水で途切れていたことが報告された。
「荒木さんの勝ちです。下水で撒かれました」
「そうか、見回りを強化しろ。必ずまた争いが起こるからな」
「はい」
荒木は何年も女狂いを追ってきた。
奴が怪我をした時、その相手を執拗に追い詰めることはわかっていた。
必ず奴は傷を負わせた相手に復讐する。
そこを絶対に逃がさない。
「待ってろよ、女狂い……!」
荒木はタバコを握りつぶし、その眼に恨みを込めていた。
ーーーーー
女狂いに襲われた翌日、絋輝は何処かのソファーに寝かされていた。
カーテンから差し込む朝日が絋輝の顔に当たり、絋輝は目を覚ます。
「ん……ぁ………?」
意識がハッキリとしない絋輝は周りをボッーと見渡す。
「(俺は……)…ッハ!?」
昨夜の出来事を思い出し、絋輝は飛び起きた。
「昨日は襲われて……!俺……!?」
昨夜の光景が頭の中で思い出される。
化け物染みた狂気を浮かべる笑み、迫ってくる赫子。
その恐怖が全て襲ってくる。
ガタガタと体が震えて止まらない。
「んぅ……」
足元から声が聞こえ、初めてこの部屋に自分以外の人がいることに気づいた。
足元に目を向けると董香が絋輝の足元で寄り添うように座って寝ていた。
「董香……」
記憶では腕と脚を貫かれ、重傷だったはずだが包帯を巻いているだけで無事そうだ。
董香の寝顔を見て少し安心したのか、ゆっくりと董香を起こさないように頭を撫でる。
「ん……こうき……絋輝!?」
微睡みから起きた董香は跳ね起き、絋輝の無事そうな顔を見ると抱き着いてきた。
「良かった…!あの後、声をかけても起きなかったから……」
「心配かけたな、ゴメンな。それよりここは……?」
絋輝も董香を抱きしめ、安心する。
ここがどこか質問するとドアの方からノック音が響いた。
「邪魔するよ。良かった、目を覚ましたようだね」
入ってきたのは董香のバイト先の店長、芳村だ。
彼はいつもと変わらない優しい笑みを浮かべていた。
「芳村さん?じゃあここは……」
「あぁ、あんていくの休憩室だよ。倒れていた君を運ばせてもらった。水を飲みなさい。渇いているだろう?」
芳村は持ってきたピッチャーから水をグラスに移し、絋輝に渡す。
渡された水を一気に飲み、ずっと感じていた渇きを潤す。
「……ぷはっ。はぁ…はぁ……芳村さん、俺は……」
「君たちは喰種に襲われたんだ。最近、問題になっている女狂いにね」
「そっちじゃなくて!俺は……あの時、死んだんだ」
その時の痛み、苦しみを思い出したのか耐えるように拳を強く握る。
董香は絋輝のその様子に心配し、握った拳に手を添える。
「腹を貫かれたの頭を潰さらた時の感覚がまだ残ってる……!死んだ時の感覚も……!凄く痛くて、辛かった……!!なのに、俺はまだ生きている!いったい、これは何なんだよ!?」
感じてしまった死の感覚だが、自分はまだ生きている。
ありえない状況に絋輝は取り乱しそうになる。
「落ち着きなさい。君のような存在を私は知っている」
芳村が絋輝を落ち着かせるように努めて優しく語りかける。
芳村のその言葉に絋輝は顔を上げ、縋るように見る。
「な、何なんですか?」
「……人間でも、喰種でもない存在、『亜人』だ」
その言葉に絋輝と董香は聞き覚えがあった。
確か、依子が昼休みに話していた。
「でも、それって都市伝説じゃ……?」
董香は確認するように芳村に聞くが、芳村は首を横に振る。
「いや、実際に亜人は存在するよ。君以外にあと1人、亜人である人を知っている」
絋輝を見ながら、そう告げる。
絋輝は自分の手を見ながら、ぼそりと呟く。
「俺が……亜人?」
亜人のことはあまり知らないが話によると、不死身の存在だと言うことだけが分かっている。
しかし、あの時自分は実際に死んだ。
その時の感覚も実際にある。
いきなり自分が亜人だと告げられて、余計に頭が混乱する。
それを見兼ねた芳村は助け舟を出した。
「今日は一旦帰って、落ち着いてきなさい。ご家族も心配しているだろう。昨夜は私が君の携帯からメールで董香ちゃんの家に泊まると言っておいたから、口裏を合わせるようにね」
「な、何でですか?亜人だってことを父さんに言わなきゃ……」
「不死身の存在、亜人。それが世間が放っておくと思うかい?」
芳村にそう言われて、混乱する頭で考える。
不死身というのは普通の社会からしたら、異常な存在だ。
知られれば何が起こるかわからない。
黙っておくのが一番だろう。
「わかり、ました……」
「……すまない。亜人については私も知っていることが少ない。私の知人である亜人が明日会ってくれるらしい。明日、もう一度ここに来なさい」
「はい……」
絋輝は力なく立ち上がり、董香はそれを支える。
「大丈夫?立てる?」
「うん、少しフラつくけど……」
側で支えてくれる董香に微笑みながら、そう告げる絋輝は董香が無事でよかったと心の底から思った。
しかし、何かを忘れている気がする。
(昨日は確か董香が駆け寄ってくれて……)
昨日の最後の記憶を探る。
そしてあることを思い出してしまった。
「……ッ!!?」
絋輝は董香を腕から引き離し、緊張した表情になる。
「絋輝?どうかした?」
突然の行動に董香が困惑し、芳村は黙ってその様子を眺める。
絋輝はゆっくりと董香に目を合わせ、言葉を発する。
「董香……昨日の夜、目が赫くなかったか?」
「……ッ!」
「………」
絋輝にそう言われた董香は一瞬目を見開き、驚いた表情になりかけるが取り繕う。
しかし、絋輝はその瞬間を見逃さなかった。
「そんなわけないじゃん。何言ってんの?」
董香は呆れたように装うが、絋輝は恐怖か、または信じたくないと思っている目で見つめてくる。
董香は次第にその視線に耐えきれなくなり気まずそうに俯く。
その態度に絋輝は当たって欲しくない予想が当たってしまったとわかってしまった。
「………」
「………」
気まずい空気が流れる2人の間に芳村が割って入った。
「絋輝君、君が思い至っている通り董香ちゃんは喰種だ」
「店長!?」
芳村の突然の告発に董香は驚く。
「そして、それは私もだ」
芳村は普段は優し気な雰囲気を与える薄目から赫く怪しく輝く赫眼が覗く。
それを見た絋輝は背筋が冷たくなる。
しかし、それ以上に困惑が頭の中を占めていた。
愛する彼女とその恩師であり自分に優しくしてくれる人物が揃って喰種だった。
自分が亜人だという事とこの事が絋輝の中でグルグルと回り、気持ち悪くなってしまい、体を屈めてしまう。
「っ絋輝……!」
董香は咄嗟に絋輝に近づこうとするが、絋輝はそれに気づき尻餅をついて後退りをしてしまった。
その反応に董香はショックを受けてしまった。
それに気づいた絋輝は気まずそうにし、逃げるように部屋を出ようとドアノブに手をかける。
すると芳村が声をかけた。
「絋輝くん。恩着せがましいかもしれないが私は君の董香ちゃんへの想いは例え喰種であろうとなかろうと変わらないと思いたい」
「……くっ!」
その言葉に一瞬手が止まるが、絋輝は外に出て行ってしまった。
ーーーーー
絋輝が出て行った部屋には董香のすすり泣く音だけが聞こえていた。
芳村は一瞬だけ董香に目を向け、申し訳なさそうにしたが何も言わず部屋を出た。
そして、部屋の外で待機していた大柄な男、四方に指示を出す。
「彼を明日まで見張っておいてくれないかい?もし、ここに来なければ手荒な真似をしても構わないから連れてきて欲しい。今の彼には亜人について少しでも知っておく必要がある」
「……わかりました」
四方は口数少なく了承するが、ドアから聞こえる董香の泣く音に足を止めた。
「芳村さん」
「なんだい?」
「何故…….喰種だと明かしたんですか?」
誤魔化しようなら幾らでもあった。
更に自分たちを喰種だと明かせば『あんていく』が危険に晒される。
それはここの店長である芳村にも分かっていたことだ。
「………これは私の我儘なんだ」
「………」
「人間と喰種の間に愛は育めると信じたいんだ」
どこか悲しそうにする芳村を見て、四方は『あんていく』を後にした。