足柄さんの運転で横須賀からお台場まで。
休日は家族連れやカップルで賑わうここも、平日は外資系に勤めるスーツを着たおじさんが多いです。これは野分の勝手なイメージかもしれませんが、他の場所よりもお洒落にスーツを着こなしている方が多いような気がします。
「……はぁ」
足柄さんは突然大きなため息をつきました。
「急にどうしたのよ? まさか、仕事で来たくはなかった、なんて言うんじゃないでしょうね?」
後部座席に座るお洒落とはほど遠い格好をした矢矧さんが茶化すように言いました。
「そういうんじゃないわよ。ただ会いたくないやつに会う気がしてね。それと、あなた強がってはいても声が震えているわよ。無理しないで、安全な場所にいた方がいいんじゃない?」
野分も矢矧さんが緊張しているのは知っていました。
ここまで来る道中、何度も深呼吸をして自分を落ち着かせていましたし。
「元艦娘よ。なめないで」
矢矧さんはそう言うと、また大きく深呼吸をしました。
「はぁ……もう、本当にめんどくさい……」
足柄さんは諦めきったようにため息をつくと、ガッとアクセルを踏み込みました。
急加速した足柄さんを、矢矧さんはどういう顔で見ているのでしょうか。
ーーーー
助手席から外を眺めていて気がつきましたが、いくら平日だとはいえ人が少なすぎます。というより、出歩いている人がいません。
「……そういえば、今回はどういった事件ですか? 積んであった装備を見る限り、相当危ないヤマだということはわかりますが」
野分は日向さんから詳しい内容は聞かされていません。
ただ、足柄さんと現場に行けとしか聞いていませんですから。
「日向から何も聞いてないの?」
足柄さんは何度目かわからないため息をつきました。
野分はそれに黙ってうなずくと、足柄さんではなく、矢矧さんのため息が聞こえてきました。
「元阿賀野型軽巡洋艦の能代が営む喫茶店を元艦娘と思われる容疑者一名が襲撃したのよ。幸いにも今のところ怪我人はなし。容疑者が店内に入った時、能代が危ない気配を察知してその場にいた客、従業員を外に出したの。いまのところ、店内には能代と容疑者の二人だけよ」
「それで日向さんは矢矧さんに知られる前に動けと言ったんですね」
少し薄情かもしれませんが、日向さんの言っていた意図がわかりました。
矢矧さんは動かない。これには少し語弊がありますね。
矢矧さんの性格からして、慎重に考え、行動に移すはずです。能代さんのことをよく知っている矢矧さんだからこそ、持てる時間はめいっぱい使うでしょうし、慎重に行動を起こすはずです。
「それで、うちのチームの長として、あなたは私たちになんと命令するのかしら?」
足柄さんはバックミラー越しに矢矧さんを見ました。
「能代の安全を確保した後、容疑者を拿捕するわ」
「確認するけど、能代の安全が最優先、ということでいいのかしら?」
足柄さんのバックミラーを見る目が鋭くなります。
「そう言ってるじゃない。日向は1から10まで説明していたのかしら?」
矢矧さんが不満そうな声を漏らしました。
まるでわかっていないと言わんばかりに。ですが、わかっていないのは矢矧さんの方です。 足柄さんの元上司である、陸奥さんが用意した装備は確実に相手を殺傷できる物であると考えられます。
能代さんの安全を最優先に確保する、ということは容疑者である元艦娘、昔の仲間を殺傷しても構わない、という意味合いも含まれています。
「ならいいけど」
足柄さんはそれ以上は言いませんでした。ただ小さくため息をつき、気が重いわ、と野分に聞こえるか聞こえないかぐらいの独り言を言いました。
ーーーー
こんな場所には似つかわしくない、地味な塗装を施されたバスの横を走ると、黒い戦闘服を着込んだ長身の女性に車を止めるように指示をされました。
「はぁ~~…………」
足柄さんはハンドルに突っ伏すようにため息をつくと、長身の女性が運転席側の窓を軽くノックしました。しかし、足柄さんは横目でその女性を見ると、再び突っ伏してしまいました。
「はやく開けないとこじ開けるわよ」
窓の外からくぐもった聞き覚えのある声が聞こえます。
足柄さんは観念したように窓を開け、その女性を睨みました。
「なんであんたがここにいいんのよ?」
「あら? いちゃ悪いかしら? 野分久しぶりね」
「陸奥さん。お久しぶりです」
黒い戦闘服を着た陸奥さんは野分にウィンクをすると、横目で矢矧さんを見ました。
矢矧さんは軽く会釈で返し、陸奥さんはつまらなそうな顔をしました。
「あら? あらあら? 矢矧さんじゃないの。そんな格好してどうしたのかしら?」
「今回の案件は私たち特捜が引き受けます。陸奥さん達、公安は一般人の安全の確保をお願いします」
「遅れてきたのに随分な言い方をするわね。私は足柄と野分に応援要請は出したけど、あなた達に出動要請はお願いしてないわよ?」
「正式な命令が私たち特捜に下りました。今回の件は私たち特捜預かりとなるはずです」
矢矧さんと陸奥さんはしばらく睨みあいました。
「まぁいいわ。行ってらっしゃい。足柄。私たちはいつでもあなた達をカバー出来るようにしておくわ。あなた達の捜査であれば、こっちが使った弾薬から燃料代、人件費まですべて請求するつもりでいるから」
「……その申請を通すの私の仕事になるんだけど。通らなかったら。私の少ないお給金からさっ引かれるんだけど」
「そうならないようにせいぜい頑張りなさい。装備も用意してあげたのだし、あなたと野分がいれば楽な仕事でしょ? まぁ……」
陸奥さんは面白い物を見る目で矢矧さんを見ました。
「期待しているわ」
「どうも」
陸奥さんが言わんとしていることは野分にもわかりました。
足柄さんは陸奥さんに軽く一礼し、車を発進させました。
「……見てなさい」
矢矧さんの独り言は野分にも聞こえましたし、足柄さんにも聞こえていたでしょう。
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能代さんが営む喫茶店はどこにでもある喫茶店のチェーン店でした。
そのせいか、野分が想像していたこじんまりとしているものではなく、道路に面し、大きな駐車場を備えた大きな店舗でした。シャッターがすべて降りているので中の様子を探ることはできません。
足柄さんは少し離れた路上に車を止めました。真横に駐停車禁止の標識が立っていましたが、封鎖されている今、その標識はなんの効力も持たないでしょう。
車を降り、野分が座っていた助手席を前に倒して矢矧さんが出られるようにすると、すでに準備が整っている矢矧さんはやる気に満ちた顔で車を降りました。
「それで、どうやって中に入るのよ?」
足柄さんはトランクを開け、防弾ベストを着込みながら矢矧さんに声をかけました。
「あの建物の構造はこれに入れておいたわ」
矢矧さんはそう言うと、タブレットを起動し図面を野分たちに見せてくれました。
「侵入できる箇所は表の入り口、テラスの窓、そして裏の勝手口ね」
「どこから入ってもすぐに気づかれますね」
野分があらかたの準備を終えると、矢矧さんはサングラスをかけろ、というジェスチャーをしました。その指示通り、サングラスをかけると、レンズ面に矢矧さんの持っているタブレットの画面と同じ物が映し出されていました。
「まずは中の様子を探るわ。この小型のドローンで……」
矢矧さんが手に持ったラジコンの様な機械からの映像でしょうか。野分と足柄さんの姿がレンズに映りました。サングラスをかけている野分の横に、サングラスを頭に乗せ、呆れた表情の足柄さんが見えます。
「却下。私たちは陸奥の部隊と違って強引に物事を推し進めて解決するんじゃないの。まずは馬鹿やってる子を叱る必要があるわ」
「野分も足柄さんの意見に賛成です。中に二人しかいないとなればきっとものすごく静かでしょうし、元艦娘であれば、そのドローンの音も察知出来るかと思います。いたずらに刺激するのであれば、最初から野分が中に入って説得します。お二人には万が一野分が失敗したときのバックアップをお願いします」
「部下を危険にさらすわけにはいかないわ。その作戦でいくなら私が最初に中に入るわ」
「あなたじゃ役不足よ。いいから私の後ろにつきなさい」
足柄さんがそう言うと、矢矧さんはムッとしたような表情になりました。
「帰ったら役不足って辞書で引いてみなさい。悪口を言っているわけじゃないわ」
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野分が提案したとおり、野分が正面から入り、野分のサングラスから送られる映像を元に足柄さんと矢矧さんが配置につく手筈になりました。
マサダさんを背中に背負い、ホルスターにシグを納め、両手を挙げて正面の出入り口に近づきました。
「能代さん! お久しぶりです! 野分です! お茶を飲みに来ました!」
外には監視カメラがあります。野分の姿もばっちり映っているでしょうし、中のお二人もこの映像を見ていることでしょう。
しばらくすると、能代さんの叫ぶような声が聞こえました。
「野分!久しぶり! せっかく来てもらって悪いけど、今日は早じまいなの! ごめんね! また今度来てもらえる?」
当然の反応ですよね。
けれど、野分は中に入らなくてはいけません。
「いえ、野分も忙しいので出来れば今日がいいです! 長居はしませんから! お邪魔しますね!」
「来ないで!」
陸奥さんが用意してくれた突入用の小型爆弾薬シャッターに貼り付けました。
「強引ですが入らせていただきます! ですが入ってどうこうしようとは思っていません! 何もしないで待っていてください!」
「ちょっと待ってもらえるかな? それ、剥がして」
野分のすぐ目の前。シャッターを挟んだ向こう側から聞き覚えのある声が聞こえました。
容疑者は元艦娘。これは間違いなさそうです。
「わかりました」
野分は言われたとおりに爆薬を剥がしました。少しすると、そのシャッターが開きました。中から野分をのぞき込むように見ているのは最上さんです。間違いありません。
最上さんは野分の襟首を掴み、強引に中に引きずり込むとすぐにシャッターを下ろしました。
「そんな格好でお茶を飲みにくるなんて、野分も変わってるね」
どこか危なげな雰囲気を醸しだす最上さんは厨房まで歩いて行きます。
両手をあげて、ゆっくりとその後に続きました。
お店の中央に近い場所の席に座らされると、向かいに能代さん、その横に最上さんが座りました。
「ほら。能代。野分に自慢のコーヒーを淹れてあげなよ」
「野分……どうして……」
「能代さんの淹れるコーヒーがおいしいと評判だったので。最上さんはどうしてここに?」
まるで偶然喫茶店で会ったように振る舞うと最上さんは笑い出しました。
少し相手を馬鹿にしているような演技に野分も失敗したかと思いましたが、今の野分が圧倒的不利なのは変わりません。
「さすがは日向の部下だね。この状況下で顔色一つ変えずにそんなとぼけたことが言えるなんて。どうせ足柄も後で来るんでしょ? それまで少しお話しようよ。能代。僕にもコーヒーを淹れてよ」
能代さんは野分の方を見ました。野分は黙って頷き、言われた様ににするよう促しました。
能代さんが厨房に立つ間、最上さんは手に何かを持ち、能代さんの後ろにずっと立っていました。
「それは……15.5センチ砲ですか?」
「そうだよ。懐かしいでしょ」
野分が訪ねると最上さんはうれしそうにそれを野分に見せてくれました。
けど、その目は常軌を逸しています。まるで子供が新しいおもちゃを買って貰ったような、そんな楽しそうな目をしていますが、どこを見ているのかわかりません。
「どうぞ」
能代さんは二人分のコーヒーを野分が座る座席においてくれました。
再び二人が席に着くと、最上さんは野分にコーヒーを飲むように勧めました。言われたとおり、一口飲むと、飲んだことがある味がしました。
「どう? おいしい?」
「はい。他のお店とは違いますね」
コーヒーにうるさい足柄さんなら違いがわかるのでしょうけど、野分にはよくわかりません。
「そんなに違う? 僕には同じ味に思えるんだけど」
「全然違いますよ」
目の前に作ってくれた人がいるのに、どうしてそんなことが平気で言えるのでしょうか。野分には今の最上さんが人として何か欠如しているようにしか見えません。
「そんなの背負ってて肩こらないの?」
「お構いなく」
「ふぅ~ん……それで、野分はそれ飲んだら帰るの?」
「いえ、せっかくですしお話でもしようかと」
だいたい最上さんがお話ししたいと言ったんじゃないですか。
あえて口には出しませんけど。
「そっか。日向は元気にやってるの?」
「えぇ。元気にしてますよ。もう野分の上司ではありませんけど」
「へぇ~……そうなんだ。むかつくなぁ~」
最上さんはそう言うと空いている方の手で頭をかきました。
「むかつく? なんかあったんですか?」
「あいつがやったことすべてにむかつく」
最上さんは睨むように野分を見ました。敵意むき出しのその目に思わずシグに手が伸びそうになります。
「あいつは正義のためだとか言って、僕たちから自由を取り上げたやつらに荷担して、僕たちをないがしろにしているんだ。ひどい話じゃないか」
「……野分は自由に暮らしてますよ?」
「野分はさ、艦娘の時の方がよかったって思わない?」
最上さんはそう言うと、ポケットからたばこを取り出し火をつけました。
このお店は全席禁煙のはずですが。それにこの頭の痛くなるような臭い。あの廃倉庫で嗅いだ臭いに似ています。
「思うときもありますが、野分は今の生活も気に入っています」
「そんな貧相な武装を振り回すだけの生活で満足なんだ。海上を疾走して、自慢の魚雷で的を粉砕してあの時よりも今の方がいいんだ?」
昔の最上さんはこんなに好戦的な方ではなかったはずです。
それに、どんどん目が充血していきます。呼吸も荒くなっていきます。
「ねぇ、野分」
最上さんは充血した目で野分を見据えると、にっこりといやらしく笑いました。
「僕は野分に仲間になってほしいんだ。だからここに入れてあげたの。この会話は足柄も聞いているんでしょ? 二人とも僕たちの仲間になって、あの時の栄光を取り戻そうよ」
「仰る意味がわかりませんが?」
「野分もこれを吸ってごらん? あの時の感覚を思い出すから。必要なものはこっちで調達するよ」
最上さんはそう言うと、吸っていたたばこを野分に強引に咥えさせようとしました。
反射的にシグに手が伸びます。
ですが、最上さんは野分の目の前に15.5センチ砲の砲門を構えました。砲門内の施条がはっきりと見えます。
『5』
「野分。今の野分に出来ることは二つに一つ。僕たちの仲間になるか、僕に頭を撃ち抜かれるか。どっちを選ぶ?」
『4』
「野分だって元艦娘です。そんな脅しには屈しませんよ」
『3』
「元、でしょ? 今の野分にこれの直撃に耐えられる力があると思う?」
ないですね。そもそも、艦娘の時でさえ、こんな至近距離で撃たれたことはありません。
『2』
「僕は本当に撃つよ」
『1』
「なら野分も撃ちます」
「いいよ。やってごらん」
「『ブリーチンッ!』」
足柄さんの叫び声が聞こえたと同時に、野分は瞬間的に机の下に潜り込みました。それと同時に背負っていたマサダさんを手に持ちました。
頭の上を大きな熱量をもった何かかが通り過ぎましたが気にしません。そのまま机越しに最上さんに数発発砲。机の下から飛びつくように能代さんに飛び込みそのまま倒れ込みました。
この時野分は冷静でした。
思いっきりぶつけた頭がじんじんしてものすごく痛かったです。