PHANTASY STAR ONLINE2~星霜ヲ蝕ス三重奏~ 作:無銘数打
微かな微風を肌に受け、それが未だ風にもなっていないフォトンと気づく。
繋ぎ止めたのか、それとも引き摺り落されたのかはわからないが、薄れゆく視界は徐々に鮮明さを取り戻していく。
それが合図だと言わんばかりに―――突如、暴風が牙となって怪人へと襲い掛かる。
牙がイプシロンの腕を食い千切り、宙を舞い、解放された始末屋の体は床に落ちる。
「――――ん?」
落ちた自分の腕を見つめるイプシロンは、視線を横に移す。突如出現した室内での暴風発生という、不自然な現象に室内にいた者達が倒れている。そしてそれを起こしたであろう者を見据え、首を傾げる。
「なんだ、お前?」
入口から中に入るその者は、その小さな体に似合わぬ横暴な態度でそれが答える。
「キュートな天使ですよ。言わせないでください、恥ずかしい」
まったくもって、
「それで、随分と気持ちが悪い顔していますが……エステ無料券でも差し上げましょうか?」
まったくもって、
「……良いタイミングだよ、相棒」
「タイミングが良いのは自負していますので―――それで、随分とボロボロですが、生きてますか?生きてないと悲しくて泣いちゃいますよ?」
室内の状況はアンジュが出て行った時と様変わりしている。敵も違う、味方も違う、怪我人は多数で死者も居る。何より怪人が居て、俺と始末屋が重症な状態。そこまでくれば馬鹿でもわかるだろう。
なるほど、と頷くとアンジュは何食わぬ顔で言う。
「マスター、逆転の準備はOKですか?」
「出来るのかよ、この状況で……」
「出来ないわけがないでしょう。私がいるんですよ」
その自信が何処から出てくるのか、一度ちゃんと聞いてみたい。
「まぁ、それよりも―――」
自信満々の顔で、俺を押さえつけている連中を見据えると、俺の所まで小さな体躯を疾風の如く駆け抜ける。
「とりあえず、邪魔ですよ」
踏み込みと同時に、その手に握るウォンドで、殴りつけ―――っておい待てッ!?
鼓膜が吹き飛ぶと思うほどの爆音と閃光。強烈な光が俺を拘束する連中を、俺と一緒に吹き飛ばす。発生した法撃爆発は生身で受けると痛いなんてもんじゃない。何人かは窓から外に放り出され、俺も転がって頭から壁に激突。
「―――おい、殺す気かッ!?」
「すみません、張り切りすぎました。てへぺろ☆」
起き上がろうとする哀れな被害者の頭を掴み、床に叩きつけながら立ち上がる。
「お前は一度本気でバラすから、覚えておけ」
「マスターは覚えてますか?」
「生きてたら明日には忘れてやる」
何人か吹き飛ばされたが、未だに敵は複数。おまけに怪人イプシロン。はっきり言って今の状況では勝てそうな未来は見えそうにない。それでも抗う術は此処にいる。まずは全然動かない始末屋が生きているかの確認から入るとしよう。
「アンジュ、第3限定解除の許可はちゃんと取ったんだろうな」
先程まで持っていたアサルトライフルではなく、アンジュ本来の武装であるウォンドを握っているという事は、
「あの方はケチですね。第3までだそうです」
そいつは上々。
「治療は必要ですか?」
「俺には必要ない。気合で何とかする。それよりも補強してくれ」
ウォンドにフォトンが収束する。限定的ではあるが十分な量のフォトンが集まりだす。勿論、そんな事をすれば奴も黙ってはいないだろうが、余裕をかまして取れた腕を体から伸びたワイヤーで器用に繋げている。
むかつく野郎だが、その余裕のおかげで俺の爪先から頭までフォトンの熱を帯びる。
「準備は出来たのか?こっちは何時でも構わんぞ」
指示するようにイプシロンが腕を上げると、操られた連中が倒れた始末屋を奥に運んで行こうとする。
「マスター、彼女は私が」
「任せた。あとは適当で頼む」
「了解。適当にぶっ飛ばします」
野郎は「やってみろ」と言わんばかりに余裕を見せている。
こっちとしては大助かりだ。
「―――行くぞ」
「―――行きます」
同時に突っ込む。
まずは邪魔な連中を片付ける。
襲い掛かる奴等の力は当然、数の暴力によって俺よりも上だろう。おまけに痛みも関係なしに襲い掛かってくるのだから始末が悪い―――だが、問答無用に殴り掛かられようとも、今は関係ない。
顔面に突き刺さる拳は、
「もっと気合入れて殴れよ、ボケ」
体中に走る熱が力を与えてくれる。避けるまでもなく、軽く掌で払ってやっただけで簡単に拳が反れる。そこへ反撃の一撃をくれてやると、相手は簡単に宙を舞う。
人の体を殴るだけで浮かせるなんて、常人では出来ない。だが、今の状態ならば可能だ。見ての通り、相手は天井に当たり、床に落下。その体に有無を言わさず集団に向けて蹴り飛ばしてやると、固まっていた連中ごと吹き飛ばす。
アンジュは始末屋に群がっている奴等に向けて、テクニックを放つ。床を這うように青のフォトンが広がり、一瞬で凍る。突然凍った足元に僅かにバランスを崩すが、何とか踏み止まっている。そこへ滑り込んだアンジュが奴等の足元をウォンドで払うとあっさりと転倒させると、自分と始末屋の周囲に風を発生させ、吹き飛ばす。
とりあえず彼女の確保は完了した事は確認した。次は俺の体にしがみついて拘束しようとしている連中の対処だが、この程度では全然足りない。全身に力を込めて俺に掴んだ連中ごと振り回す。堪え切れず手を離した不幸な奴はイプシロンへと飛んでいくが、虫を払うように向かってくる者を片手で払う。
その瞬間に、奴の間合いに潜り込んだアンジュ。それでも動こうとしないイプシロン。ウォンドの打撃を受けてしまえば、普通の奴なら大層なダメージを受けるだろうが、果たして奴に効果があるのかは不明。だからアンジュが狙うは奴ではなく、その足元。
イプシロンの足元が爆発すると、床が抜けて奴の体勢が崩れる。
流石にこの状況で不動を貫く気はないのだろう、体から伸びた鏃が付いたワイヤーを天井に突き刺し、落下を阻止する。
そこへ、
「堕ちなさい」
イプシロンに向けてウォンドを叩きつける。2度目の爆発は奴の継ぎ接ぎ顔に叩きこまれ、その衝撃で下の階に落下する。
その間にアンジュが離れた事で、始末屋に群がろうとする連中に襲撃を仕掛ける。小細工など一切不要。首元を掴んで無理矢理引きはがし、殴って潰して、蹴って潰す。
「入口を潰せッ!!」
俺の命令を発した時には、既に入口に別の集団が集まりだしていたが、それよりも早く行動に出ていたアンジュは入口の壁に向けて火球を飛ばす。仮に奴等の足元に着弾しても連中は止まらないのはアンジュも理解している。だから、壊すのは入口そのもの。爆発と共に入口が崩壊し、完全に塞がる。
「……それで、逃げ道はどうするんですか、マスター?」
「一つしかないだろ―――ッと!!」
床下から無数のワイヤーが飛び出し、それに釣られるようにイプシロンが床を破って戻ってきた。
「流石に驚いたよ」
「頑丈な方ですね」
奴が操るワイヤーが一斉にアンジュへ向けられるが、アンジュに到達する前にワイヤーを掴み取る。
掴んだ手に僅かな痛みが走るが、今は無視する。
「よぅ、化け物。今度は俺と遊ぼうぜ」
「……お前には興味はないぞ」
「そう言うなよ、寂しいじゃないか」
ワイヤーを掴んだまま、奴を投げ飛ばそうとするが何の感触もない。イプシロンはワイヤーが繋がっている腕を切り離していた。力の行き先を無くした事で体勢が崩れるが、何とか踏みとどまる。その背後から襲い掛かるイプシロンの一撃を奴のワイヤーで防ぐ。重い一撃にワイヤーが手に食い込み、出血する。
「私と遊ぶには、君は役不足だよ。実力の差を感じ取る機能は、君達の方が優れていると認識しているのだが、違うのかい?」
「それでも抗うって機能が強くてね、生き物って奴はな」
「それは残念な生物だ」
至近距離で受けるイプシロンの攻撃は、今の俺には荷が重い。致命傷になりそうな一撃を避け、受ける事が出来る攻撃は手に食い込んだワイヤーで受け止める。圧倒的な実力差でないのは助かる。その証拠に奴が油断して腕を大振りした瞬間にワイヤーを奴の腕に絡ませる。
「その程度じゃ止まらないぞ」
「知ってる」
ワイヤーの先に付いた切り離された腕を、後ろに向かって蹴り飛ばし、転がった先でアンジュがウォンドを振り下ろす。炎でも風でもない。アンジュが腕に叩きつけた青いフォトンが冷気となり、冷気がワイヤーを伝達してイプシロンの腕へと到達する。伝達した冷気がイプシロンの腕の温度を一気に下げ、亀裂が走る程に脆くなる。その亀裂を目掛けて肘打ちを叩きこむと、凍った腕はあっさりと砕け散り、両手を失ったイプシロンは踏鞴を踏む。
「―――やるじゃないか」
「それも知ってるよ」
無防備なイプシロンの胴体に回し蹴りを叩きこみ、瓦礫に激突。そこに俺の後ろから飛んできた追撃の雷撃が叩き込まれる。
さて、ここで普通なら安堵の溜息でも漏らしても問題ないのだろうが、
「素晴らしい。片やサポートパートナー、片や何の装備も持たないヒューマン。そんな二人にこうもやられるとは……興味深い」
両手を失い、体を電撃で焼かれても平然と喋り続ける怪人に、溜息しか出ない。
「なるほど、君はどうやら彼と同じタイプらしい。追い込まれれば、追い込まれるほどにしぶとく、そして強靭になる。経験か、それとも才能か知らねぇが、テメェは非常に厄介な奴って事だけは学習しましたよ」
だから、とイプシロンは歪な笑み消し去る。
「もう学習した時点で、君には興味がわかない」
両腕を失っても奴のワイヤーは動きだす。体の中から無数に、無尽蔵に出現するワイヤーはアンジュが破壊した入口の瓦礫を砕いていく。
「今、この建物の住人は55名。加えて野次馬の連中を合わせて86人だ。わかるか?これがこちらの戦力だ」
「そいつは怖い」
「……この状況でもその悪態ぶり。お前の精神構造には、少しだけ興味があるかもしれないな」
お褒めに預かり光栄だよ。
「アンジュ、そっちはどうだ?」
「止血は済ませました。致命傷は避けていますが、医者は必要かと」
「だろうな」
なら、さっさと逃げるとしよう。部屋の隅に転がっている鞄の中身は非常に気になるが、興味よりも命を優先させる。俺と、彼女の命を。
「おい、イプシロン」
「なんだい?」
「今度会ったら、テメェを殺す」
踵を返し、全力で走る。背後でイプシロンが動く気配はあるが、前方から飛んでくる火球がそれを阻止してくると信じる……だが少し俺の髪を掠ったのは許さん。
走りながら両手にアンジュと始末屋を脇に抱え、窓から一気に外へ飛び出す。
無重力だったら気持ちが良いだろうが、此処はアークスシップ。しっかりと重力は働くので落下速度は中々のものだ。
「失敗したらバラすからなッ!!」
「それも快感……」
ゾっとするような事を呟きながら、アンジュがウォンドを振るう。緑のフォトンが風を生み出し、俺達の体を真下から吹き上げる。僅かに浮いた事で落下速度は落ちたが、重力に勝つ事は出来ない。だが、強化された体が下に流れている川に落ちた際の衝撃を僅かに殺してくれるだろう……多分。
あとは、この川が凄く浅いという最悪な結果を残さない事を祈るばかりだ。
■■■
「―――どのくらい流された?」
「3ブロック以上は流されたと思います」
予想以上に流されたのは、この際幸運だと思う事にしよう。
それにしても、想定した以上の流れには流石に焦った。強化した状態でなければ浄水場まで流されていたかもしれない。
「疲れた……」
結構良いお値段する自慢のコードは水を吸って非常に重いので、さっさと脱ぐ。
「もう帰って風呂入って寝たい」
「私はそれでも構いませんが、果たしてそれが許されるでしょうか?」
無理だろうな。
色々な事がありすぎて、頭の整理が追い付かない。これを報告書にまとめて……あぁ、もう面倒だ。考えるだけで面倒だ。クレアの死亡、人形病の住人、イプシロンとかいう謎の怪人。そして一番の面倒はアークスの始末屋ときたもんだ。
「どう報告しろってんだよ」
頭痛がしてきた。
「あぁ、でもその前に病院か。アンジュ、本部に連絡を」
「私の通信機は壊れてます。マスターのは?」
「川に流されたよ」
良い事が何にも無い。無性に腹が立ってきた。この怒りをぶつけるべき相手がいないのが腹立たしい。
「それはそうとマスター」
「なんだ?」
「この方なんですが……」
「あぁ、そいつか。なんでも、アークスの奴らしい。しかも始末屋ときたもんだ。笑えるよ、ほんと」
「いえ、そうではなく」
「まさか、そんな奴が実在するとはな……ん、そういえばアイツが創世器がどうとか言っていたが……」
「マスター、そうではなくてですね」
「なんだよ?」
「息してませんよ」
「そうかい」
「この方、息してません」
「そりゃ息してないだろうな。だからさっさと病院に―――あ?」
「呼吸、止まってます。ぶっちゃけ、マジヤバです」
「………」
「………」
早く言え!!
確認してみると、確かに息していない。てっきり気を失っているだけかと思ったら、死んでるだけとか、笑えない。脈拍は―――ある。どうやら気を失った状態で川に飛び込んだのが拙かったようだ。
頭の中で人工呼吸の方法を確認して、気道確保をして鼻を摘み、準備完了。
「あぁ、マスターが乙女の唇を……」
馬鹿を無視して息を吹き込む為に口元に顔を近づけ―――目が合った。
「………」
「………」
ばっちり、はっきり、しっかり、目が合った。
意識がはっきりしていないのか、とろんとした瞳で俺を見つめ、それが徐々にはっきりとしていくと―――拳が飛んできた。
いや、良い……良いんだ。全然良いんだ。生きてるって素晴らしい事だし、あの状況が医療行為だとしても目を覚ましてすぐにそれを認識しろってのは無理だともわかる。なんの非もない。俺にもお前にも非はないんだ。
「……あの、すみませんでした」
「いや、大丈夫。ちょっと疲れてるから心に響いたけど、大丈夫……」
戦闘中のダメージは我慢できるのに、何故か非戦闘時に受けるダメージは非常に効く。主にオッサンの心とかにな。
「マスター、残念でしたね。うら若き乙女の唇を奪えなくて」
「―――ッ!?」
そこ、何にもしないから自分の体を守る仕草は止めなさい、傷つくから。
「ほ、本当に医療行為……のつもり、だったのですか?」
「胡散臭いですよねぇ」
「黙れ、ちんちくりん。そんなガキに手を出す程、落ちぶれちゃいない」
「……ガキじゃありません。訂正してください」
あぁ、もう面倒臭い。
「はいはい、悪かった悪かった。ガキじゃないよ、ガキじゃ」
「……はあ、いえ、こちらも申し訳ありませんでした」
「え?それでも終わりですか?もっとやってもいいのですよ」
「五月蠅い、ちんちくりん」「五月蠅いよ、ちんりん」
思わずハモってしまった。
「……お互い、ボロボロだな」
「えぇ、まったくです。酷いやられ様です」
顔を見合わせ、苦笑し合う。
「怪我は大丈夫、なわけないか。応援を呼ぶから、それで病院まで―――」
「いえ、それは出来ません」
そう言って始末屋は立ち上がるが、すぐにふらついて膝をつく。
「無理するな。応急手当はしたが、しっかり治療しないといけない傷だぞ」
「私は、私の存在は……あまり公には出来ないんです」
まぁ、そうだろうな。
「それじゃ、頼れる場所はあるのか?」
「……支援は受けれますが、あくまで最低限です」
彼女の任務に関係するのか、始末屋としての存在か。
どちらにせよ、俺達と一緒にいるのはよろしくないだろう。
「あと、出来ればで構いませんが、私の事はなるべく口外しないように……」
「出来ると思うか?」
「出来ませんよね」
そんな困った微笑を俺に見せるな。こっちが申し訳ないと思ってしまうじゃないか。
「すみませんでした。色々と……それと、ありがとうございました」
それだけ言って、また武器を取り出す。イプシロンは創世器とかマイとか言っていたが、あの姿を、いや存在を消すような能力はとんでもない物だと実感できる。これがあれば俺が報告しても姿を暗まして、彼女を見つけるのは難しいだろう。だが、去ろうとする姿は小さく、弱々しく見える。姿を消すのではなく、本当に消えてしまうのではないか。記憶からも消えてしまうのではないか。
無言でアンジュを見ると、勝手にしろ言うように肩をすくめる。
盛大に溜息が漏れてしまう。
まったく、今日は本当に厄日だ。
ナオビに来て、一番酷い日だ。
だから、だからせめて……少しくらい後悔を減らして眠りたい。
ふらつき、辛そうに歩く彼女を横から支える。
驚いた顔で俺を見るが、反対側からアンジュも同じ様に彼女を支える。
「あの……」
「……俺には娘がいてな、お前さんと同じくらいのな」
「マリサと言います。とても可愛らしくてマスターと似てないお嬢さんです」
「これでも父親なんだよ、困った事にな。だから、ここでお前さんを見捨てる様な事をしたら、色々と堪えるんだよ」
それに比べれば、この程度は耐えられるだろう。
「病院がダメなら、しばらく家にいろ」
「マスターが変な事をしないように私が見張ってますので」
「少しくらいなら医療品もある。動けるようになったら、出て行ってくれも構わん。その間は、少しだけ物忘れをしてやれる」
「あ、でもタンスの3段目の裏側は決して見ないように」
「……代わりに、このチビを放り出しとくから心配するな」
面倒事を自分から拾っていくなんて馬鹿げているが、拾うと決めてしまった。
だから、拒否権はないと思って諦めてくれ。
「……わかりました。では、少しだけ休憩させていただきます」
「あぁ、そうしてくれ」
今度は苦笑ではなく、そこに存在すると実感できる普通の笑みが浮かんだ。
■■■
―――死を感じた。
「マスター?」
「あの……どうしました?」
不意に足を止めた俺に二人は怪訝な顔で見る。
ならば、これは俺だけ。俺だけが死んでいる。俺を見る何者かに殺されている。イプシロンではない。奴とは違う。奴に感じたのは不快感だが、これは違う。あまりにも違い過ぎる。
背後を見据え、すぐに見つけた。
灰色に近く、そして白い男。
二人も俺の視線をたどり、男を見た。
「動くな」
短く、俺が命令する。
「いいか、そのまま動くな」
始末屋をアンジュに任せ、俺は歩み寄る。
一歩進む度に、男に近づく度に鳥肌が立ち、冷たい汗が流れるのを感じる。心拍数が跳ね上がり、呼吸が苦しい。
「……勇敢だな、お前は」
冷たく、低く、男が俺に向ける言葉の一つ一つが、突き刺さる。
「見逃してくれ、と言ったら、見逃してくれるか?」
なんとか言葉を絞り出す。
「お前達をか?」
「あの二人をだ」
何時ぶりだろうか、こんなにも死を覚悟したのは。
「どうして俺がお前達に害すると思うんだ?」
「匂うんだよ。嫌って程、血の匂いがな」
「そうか。浴びすぎて、もう自分の匂いかどうかも分からなくなったからな……お前、名前は?」
「ヴァンだ」
「俺はスパルタンだ……安心しろ。今の所、俺はお前と戦う理由はない」
戦う、ね。
果たして、戦いになどなるのだろうか。
「今日の事は、既に終わっている。後始末も終わっている。これ以上、俺の仕事が増える事はない。少なくとも、今日はな」
「なら、今までの事はどうなんだ?」
「何処から何処までの事を言っているかは知らないが、お前の思う通りだろう。目的の物の回収は出来ただろうし、稼働テストも問題ない。あとは本番を待つだけ、という所だろうな」
「―――何をしようとしている?」
「―――それを見つけるのがお前達の仕事だろう?」
「ゲームでもしているつもりなら、後悔するぞ」
「ゲームではない。だが、奴は試したいとは思っているようだ」
「奴とは誰だ?イプシロンの事か?」
「アレは単なる舞台装置だ。そして、俺も別の舞台装置でもある。兎も角、既に事は動き出している。止めるか傍観するか、争うか諦めるか、選ぶのはお前達だ」
男は無感情に空を見上げた。
「作り物の空のくせに、妙に綺麗なものだ」
それだけ言って、スパルタンと名乗った男は俺に背を向ける。
「では、今日はこの辺で別れるとしよう」
「……あぁ、助かるよ」
仮に、本当に仮の話ではあるが、此処で奴の無防備な背中に奇襲を仕掛けたらどうなるか、と考えてしまう。だが、どんな方法を考えても俺が生き残る方法は皆無に等しい。ならば、俺がとるべき方法は一つだけ。去る男を見送るだけ。
「おい、スパルタン」
それでも聞きたい事はある。
聞きたい事は沢山あるが、この場で俺が選択する質問は、
「お前は、何だ?」
これだけ。
その返答は、
「英雄だよ」
これだけ。
これだけで十分、これが精一杯だ。