PHANTASY STAR ONLINE2~星霜ヲ蝕ス三重奏~   作:無銘数打

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Episode32『星霜ヲ紡グ交響曲①小さな私が握る手』

 人が本当に絶望した時の顔を見たのは、これが初めてかもしれない。

 喜怒哀楽と言葉にする事が出来る感情とは違う、顔から表情が滑り落ちた虚無の顔。

感情を表に出す機能が巧く作動していないのだろう、ただ一点を見つめ続けるだけの人形の様だった。

 こんな顔にならない様に皆が動いているのだろうと思う。何かをしていないと自分もあんな顔、あんな色に染まってしまうのが恐ろしくて動いているのだと思う。思考を巡らし感情を動かす。動かし続ける事で拒否する。しかし、拒否をした所で何が変わるというのかと尋ねれば、きっと答えてくれる者がそう多くはない。

 すぐ後ろまで迫ってきている恐怖は、あまりにも巨大。その巨大な影を見ただけで人々は脅え、混乱し、逃げ惑う以外の道が残されてはないと錯覚する。錯覚した所で逃げ場などなく、錯覚する事で現実から逃げようとする。逃げようとして、捕まる。絶望に捕まる。そして顔を奪われる。

 奪われたくない誰かが叫ぶ。

 奪われそうな誰かが縋り付く。

 多くの人々が集う場所は、救いの場所にはなれない。此処は地獄から逃げ出し、楽園から追放された人々が身を寄せ合う掃溜め。

 ナオビで起きた異変から数時間、魔笛が鳴り響いた頃に比べれば、何も起きない静かなものだろう。だが、仮初の静寂など、所詮すぐに崩壊する。

 各地区で逃げ場を失い、救いの手を求めて皆が訪れる場所はたった1つしかなかった。アークス達が集う臨戦地区。

 市街がどんな惨状になろうとも、そこだけはきっと安全だと皆は思い込む。各地区の避難所に逃げ込もうとしても、防壁によって封鎖されて辿り着く事は困難な者は、皆がそこを目指すしかなかった。目指し、進んで、辿り着いて―――悲惨な状況を目にして崩れ落ちる。

 誰もが安全だと思って逃げ込んだ場所は、ナオビにおいてもっとも被害が大きい場所だった。外から見ても一目瞭然。あちらこちらから炎や煙が昇り、爆発による振動が心臓を締め付ける。

 助けを求めようにも手を伸ばす相手がいない。そこらに転がっているのは自分達以上に傷つき、動く事も出来ない死人ばかり。

 そんな中でもなんとか動ける者は居た。動ける者は集まった避難者達を見て、すぐさま動き出す。破壊された臨戦地区の中でも被害の少ないエリアを避難場所として、そこに人々を誘導する。決して安全とは言えないが、救いの手を差し伸べる事で何とか自分自身を保とうとしていたのか、救う事で救われようとしたのか、どちらにせよ、その行為は必ずしも幸運を呼ぶことになるとは限らない。

 僅かな安心を得た者達は、次第に苛立ちを覚えていく。奪われた日常は、あって当たり前のモノだった。

それが急に奪われたからこそ、助けを求めた。

 助けを求めれば、救われる―――身勝手な想いが爆発するのは、簡単だった。

 何とかしてくれ、助けてくれと叫んだ所で変わらない現状があれば、生まれる感情など良いモノではない。望んだ結果を得られない人々は、助ける側に牙を向く。

 言葉は感情。

 苛立ちは怒り。

 避難所で響くのは罵詈雑言ばかり。救おうとする者の心を蝕む、救われようとする者の感情。

 痛いから助けてくれ。医療品が足りない。すぐに身内を助けてくれ。動ける者がいない。この状況を何とかしてくれ。何とか出来るだけの準備が出来ていない。お前達が何とかしろ。何とかしようと頑張っている。頑張っているだけじゃ意味がない。何とかする。何とかしろ。何とかしてくれ。何とかするのがお前達の仕事だろ。何も出来ないじゃないか。何もしてくれないじゃないか。何も出来ない役立たずじゃないか。助けてくれ。助けろ。助けろ。助けてくれ。助けろ。助けろ助けろ。助けろ助けろ助けろ。助けろ助けろ助けろ助けろ。助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ助けろ―――呪詛の様に響き渡る言葉に、モニカを耳を塞ぐ。

 毛布で体を包み、世界から身を守るように縮こまる。

 人はこんなにも身勝手な生き物だったのだろうか。

 助けてくれたら、感謝する生き物だったのではないか。

 救おうとする者に対して、救われている事に気づかず、ここまで傲慢となって刃を振り下ろすような生き物だったのだろうか。

 そして自分も、そんな生き物なのだろうか。

 ナオビで何が起きたのかは理解している。此処に逃げて来た人々の言葉から察するに、ナオビの住人の殆どは人形病となり、動かなくなった。それによって起きた混乱の中で統合軍が機甲種を率いて現れ、ナオビを占拠。更にナオビのシステムは何者かによって乗っ取られ、各地区は分断され、逃げ場が殆どない。外とも連絡が取れない。他のアークスシップからの救援もこない。

 そして、誰よりもモニカが知っている事実。このナオビにいるアークスの殆どは動けない状態になっている。自身を英雄と呼ぶ男によって蹂躙され、まともに動ける者は僅か。その僅かな人数で、この状況をひっくり返す事など出来はしないだろう。

 この事実を知っているからこそ、皆は我を忘れる。もしくは、本性を現すのかもしれない。追い詰められた極限状態の中で、生存本能が理性を凌駕したからこそ、この惨状を生んでいるのかもしれない。

 ダーカー、ダークファルスという脅威がこの宇宙に存在している。そんな存在がいるから人々は脅えて生活していかねばならない―――否、そんな事は無かった。そんな存在がいるとしても自分達は当たり前の様に生活していた。当たり前の様に日常が続くと思って生活していたいはずだ。

 それは何故か。

 どうしてそんな能天気な事が出来ていたのか。

 答えは単純だ。

 脅かす者がいたとしても、すぐ傍に守ってくれる者がいたからだ。

 自分達は守られている。自分達の生命を守り、生活を守ってくれる存在が居たからだ。アークスという存在。アークスという、居る事が当たり前の存在。アークスという、守ってくれて当然の存在。

 安心は与えられるモノではあるが、確実という言葉はそこにはない。

 当たり前という言葉も、其処にはありはしない。

 それなのに、当たり前だと思い込んでいた。守ってくれるのが当たり前で、守るのが当たり前だと思い込んでいた。その結果がこれだ。守る者がいなければ、どんな事になるかなど誰でも予想する事が出来たというのに、この状況だ。

 信頼は簡単に崩れる。

 信頼は願望の波に呑まれて、崩れ去る。

 この場において、アークスという絶対の防壁は存在しない。

 それを皆が知ってしまった。

 知ってしまったからこそ、

 『―――ナオビの諸君、元気かな?』

 悪魔は楽しそうにやってくるのだ。

 

■■■

 

 『こちらはナオビ全域に絶賛放送中の臨時番組。その名も『ナオビ24時間耐久生放送』だよ~』

 そのあまりにもふざけた放送を前に、皆が言葉を失う。

 『この放送は今から定期的に放送する大切な、とっても大切な放送です。どうしてかって?それはリスナーの皆にとって、とても重要な内容を放送する特別番組だからだよ』

 誰が喋っているのかはわからないが、こちらの神経を逆なでするような不愉快な声だった。向こうもそれを承知しているのか、精神をすり減らしている者達を煽るような言葉を選択している。

 『ところで皆はご飯をちゃんと食べているかな?怪我とかしていないかな?イライラして他の人に迷惑とかかけてないかな?そんな事ばっかりしていると、悪い大人になっちゃうから、すぐに止めるように。大人がやってるなら、すぐに大人を辞めるように―――なんちゃって』

 ふざけるな、という声があちらこちらから洩れている。怒りに油を注ぎ、混乱を煽る様な声の主に対しての怒りが膨れ上がっている。だが、そんな事など知った事かと放送は続く。

 『うんうん、良い感じに皆のアドレナリンが漏れているみたいだから、本番組で皆が知るべき重要なマップをドンっ!』

 避難所に置かれている端末から、映像が流れ出す。

 『現在、お客様が乗車しておりますナオビは、オラクル船団よりわずかに離れて航行中です。どうですか?周りに星しか映らない光景も、中々意気なものですよね?え?意気じゃない?それはお客様の心が寂しいだけですよ~』

 映し出された映像は、声の主が言うようにオラクル船団から離れるナオビの姿。その映像の脇にワイプの様に映し出されるレーダーの画面。

 『まぁ、それはさておき……ナオビはこれより数時間後、ぐるっとUターンをするんだけど、そうなるとナオビはどうなるでしょうか?別にどうにもならないけどね。ただオラクル船団の中にまっすぐ進むだけ』

 レーダーに映し出されるナオビの予定航路。

 それを見るだけでは、何を言いたいのか理解は出来ないだろう。

 一部の者を除いては。

 『おやおや?勘の良い人はもう気づいているみたいだね』

 不幸にも気づいた者は、言葉を失う。

 幸運にも気づかない者は、

 『その通り!これよりナオビはオラクル船団、もといマザーシップに向けて突っ込んでいきます!』

 そこで言葉を失う事になる。

 『これはドキドキですよ。果たして、ナオビは無事にマザーシップまで辿り着く事が出来るのでしょうか?ほら、途中で他のアークスシップとかに激突して、最後まで行けなくなっちゃうかもしれないじゃない?そしたらきっとナオビは爆発しちゃうかもしれないし、他のアークスシップの爆発に巻き込まれてドッカンな可能性も捨てきれない。まぁ、どっちにしてもゲームオーバーなわけ。だから、巧い感じにスルスルと通り抜けて、マザーシップに見事命中したら、ゲームクリアなんだけど……』

 言葉の意味が理解できない。

 この声の主は何を言っているのだろうか。

 ナオビはマザーシップに激突させる―――意味が分からない。

 現実味の無い言葉に、あり得ないと苦笑する者もいる。苦笑する顔が引きつっている事に気づかぬまま。

 『……ん~、なんかリアクションが薄いね。MCとしても盛り上がりに欠けるのは、ちょっと嬉しくないんだけど』

 そうだ、と声の主は言う。

 『もうちょっと盛り上がる様に、良い事を教えてあげようじゃ、あ~りませんか』

 楽しそうに囀る声が、自分達の体に群がる蟲の様に思えた。

 『実はこの状況、既に他のアークスシップは知っています。ナオビの状況は残念ながら教えてあげられなかったけど、皆が見ている航路図はちゃんと見せてあげたんだよ』

 蟲は足元に集まり、蠢く。

 『だからアークスもちゃんと理解しているんだ。このままじゃ、ナオビはオラクル船団に突っ込んできて、マザーシップに激突してちゃうよ。大変だぁ、何とかしないとなぁってね』

 ゆっくり、確実に足から這い上がってくる。

 『さて、問題です。アークスは皆を助けてくれるのか否か』

 カサカサを不快な音を響かせ、その肌に無数の足を突き刺し、昇ってくる。

 『ここは皆が一番知りたい所だよね。皆の味方、アークス。宇宙の味方、アークス。ダークファルスから皆と宇宙を守る、正義の味方アークス!!―――でもさ、』

 蟲の蠢く音が、

 『―――皆の中に、ナオビの皆は入っているのかな?』

 下劣な笑い声となって響き渡る。

 『だってさ、よく考えてごらんよ。皆は今、危機的状況に居るわけじゃん?でも、それ以上に危機的状況なのはオラクル船団じゃん?となると、此処で重要となるのは大か小。多いか少ないか。これが重要なわけなんだけど……皆の命ってさ、ちっちゃくない?』

 計算するまでもない、計算する必要などない。

 命は数ではない。多かろうと、少なかろうと、命は命。救うべき命。重い命。それが当たり前で、当たり前の道徳。

 そう思っている。

 そう思っている―――が、心の何処かで別の事を思っている。

 『単純な計算として、アークスシップの人口は平均100万人。それが100隻あるとするじゃない。すると答えは1億人って事になる。これは誰でも出来る計算だよ。なら、仮にナオビの皆が運悪く死んじゃった場合は、被害者100万人。これを多いと考えるのは良いけど、別の考え方をすると、たった100万人じゃない?』

 100万の命を乗せた船は、

 『だったらさ……その100万人を犠牲にして、残りを助けた方がお得だよねぇ』

 それを堕とすだけで、より多くの命を助ける事が可能となる。

 『あれ?だったら、アークスはどっちを取るかな?勿論、皆を助ける為に色々と動くだろうけど、どうしようもなくなったらどっちを取るかな?』

 単純な答え。

 『ナオビの皆を取る?』

 単純すぎる答え。

 『オラクル船団を取る?』

 単純すぎるが故に、絶望的な答え。

 『どっちを取るか楽しみだねぇ』

 そして声の主は、イプシロンは言う。

 『というわけで、今回の放送は此処まで。この映像はずっと流し続けるから、皆はアークスが助けに来ていると信じて、希望を捨てちゃダメだよ?信じる者は救われるのさ』

 

■■■

 

 もう何も見たくない。

 瞳に写る人々は、人に見えないおぞましい者に思えてならないのなら。

 もう何も聞きたくない。

 生きたいという願いが、こんなにも醜い言葉として響き渡るのなら。

 毛布を頭からかぶり、目と耳を塞いで世界の全てから切り離してしまいたい。心を支配する想いはそれだけ。生を願う事が、この場にいる人々を見るだけで薄汚れたモノと思えてしまうならば、もう目も耳も必要ない。

 助けを求める声を出したい。だが、それは罵詈雑言と同じではないか。

 救いを求めて手を伸ばしたい。だが、伸ばした手は握り拳となってしまうのではないか。

 そして何より、この状況を救える者が現れたとしても、英雄と呼ばれる救世主だとするのならば、それがあの英雄と同じ人種ではないのか―――そんな想いが過る。

 人を救う者が英雄だと思っていた。お伽噺に出てくるような都合の良い存在が、もしかしたら居るのではないかと思っていた。だが、現実に彼女の前に現れた英雄は、そんな都合の良い舞台装置ではなく、英雄とかけ離れた殺戮者だった。

 あんな者は英雄などではない。

 ただ殺して奪うだけの英雄など、英雄のはずがない。

 本当の英雄はいるはずだ。

 あんな英雄もどきではない、本物の英雄が。

 だが、こうも思ってしまう。

 救いを求める人々の願いが英雄を生み出すとしても、その英雄は本当に人々を救う英雄となってくれるのだろうか。この現状を見て、こんな人々を見て、助ける価値を見出してくれるのだろうか。

 誰であろうとも救う英雄など、存在するのだろうか。いや、そもそも誰であろうと救う英雄というのは、こちらが勝手に思い描く想像上の存在ではなかろうか。

 それはきっと、英雄という名のシステムでしかない。

 意思など存在しない。他者が想いだけをぶつけられる。こちらの意思など関係なく、意思の存在など関係なく、他者の求める救い以外は無視され、動き出す。

求めれば手を伸ばし、救い上げる無機質な機械。

 願望機。

 一番しっくりくる言葉だ。

 英雄なんかじゃない―――その言葉は、正解かもしれない。

 英雄という存在がそんなシステムであるとするならば、英雄など存在しない。

 英雄は救う者ではない。

 救う者は英雄ではない。

 なら、やはり英雄など存在しないではないか。少なくとも、救われたいと願う者だけなら、救おうとする者など存在するはずがない。

 助けて、助けろという言葉が木霊する世界において、それだけが真実の様に思える。

 だったら自分だって口にして良いはずだ。

 皆と同じ様に救いを求めて叫ぶべきだろう。

 醜悪な言葉を吐き捨てても―――その時、不意に聞き慣れた声が聞こえてきた。

 「随分と酷い光景じゃないか」

 その小馬鹿にするような声に、思わずかぶっていた毛布を取る。

 「ドゥドゥさん?」

 「君も無事だったようだな、モニカ君」

 そこに小綺麗な姿で立っている男は、まるでこの状況と完全に切り離された存在の様に思えた。だが、数時間ぶりに再会した同僚を見て、今まで塞き止めていた感情が一気には触れだす。

 他者の目など関係ない。ただ嬉しくて、そして縋りたくて、モニカはドゥドゥに抱き着いた。普段なら呆れられるような行動だが、ドゥドゥは何も言わずにモニカを受け入れる。まるで赤子をあやす様に、背中を軽く叩く。何度も何度も、モニカが落ち着くまで。

 「……無事だったんですね」

 「そうでもないさ。警報が鳴ったと思ったら、ショップエリアでも突然爆発が起こってね」

 小奇麗な恰好をしているが、良く見れば服の下に包帯が巻かれている。大怪我を免れたとはいえ、決して無傷というわけでもなかったようだ。

 「避難しようにも転送装置は動かない上に、防壁もあちこち降りている。怪我人を連れて此処まで来るまで随分と時間がかかってしまったよ」

 流石に疲れたと、モニカの隣に座り込む。

 「君も色々と大変だったのでは?」

 「私は……はい、大変でした」

 強がる気力も失せている今、話すだけで心が僅かな平穏を取り戻せるような気がした。自然と漏れる言葉は、今まで起きた全て。モニカ自身が見た、英雄の殺戮と、人々の混乱、そして絶望にも等しい状況。

 「私達は、どうなるんでしょうか……」

 「さぁね、どうなるかなど私が知るべき事ではないよ」

 他人事の様に言う。テレビの向こうで起きている出来事を、傍観する視聴者の様に言うドゥドゥに、モニカは少しだけ苛立ちを覚える。

 「……もしかして、こんな状況で落ち着いている方がカッコいいとか思ってます?」

 「どうしてそうなる?落ち着ているように見えるなら、それは私の性分だ。それとも私のあの輪に入って一緒に喚き散らせば満足なのか?」

 「そうじゃないですけど」

 「ならば余計な事を考えるだけ無駄な労力だ。それなら、ひと眠りして体力を温存しておいた方がよっぽど理想的だ」

 もしかしたら、外の人々はこんな考えをしているのかもしれない。この状況は非常事態である事には変わりはない。だが、内の人々と外の人々では置かれている状況が違い過ぎる。

 大変な事が起きている―――その程度の感想しか抱かない、他人事の感想を抱くだけ。テレビの向こうで起きている事件は、安全な場所から見る風景の1つとしか思われないのだろう。

 「なんか……すごく腹が立ちます」

 如何に他者の事を想おうとも、決して自分の事ではない。置かれている状況が最悪だとしても、他人と自分では決して置かれている状況が一緒とは限らない。

 あまりにも不平等ではないか、そんな想いが思考を埋め尽くす。

 「モニカ君、君に必要なのは休息の様だ。少し眠る事をお勧めするよ」

 こんな状況で眠る事など出来ない。

 一度眠ってしまえば、二度と目を覚ます事が出来ないような気がするからだ。

 膝を抱え、ただ見つめる人々の姿。

 じっと見つめる瞳に宿る、微かな暗い想い。

 そんなモニカを見て、ドゥドゥは言う。

「―――君は、私に落ち着いている方がカッコいいと思っているのかと尋ねるが……それはむしろ君が自分に向けて言うべき言葉ではないのかな?」

 何故か、顔が熱くなるのを感じた。

 「ああして喚き散らす人々を見て、自分はああはなるまい。あんな醜態を晒すよりも、こうして遠くから黙って観察する方がカッコいい―――そう思っているように見える」

 酷い侮辱の言葉に、暗い想いは徐々に深くなっていく。

 「なんですかそれ……なんで、そんな酷い事を言うんですか……」

 「客観的に見た事を口にしただけだが?」

 「私はそんな風に思ってなんかいません。勝手な事を言わないでください」

 「そうか、それは失礼した。仮にそんな事を考えているとすれば、今の君はなんとも無様で滑稽だと思ってね」

 火に油を注ぐ様な言い方は、何時もの彼と同じ。

 こんな時でも変わらない、上から目線の言葉だった。

 普段はもっと言い方はないのかと思っている程度だったが、今はそれ以上に腹立たしい。何か言い返そうかと思ったが、こちらが何を言っても口喧嘩で彼に勝てるとは思えない。だったら、そんな時間も体力も無駄なだけではないか。

 モニカはもう沢山だと、毛布を頭から被る。

 もう彼と話したくない、どっか行ってしまえという意思表示なのだが、

 「―――生きたいという想いは、綺麗である必要があるのかね?」

 ドゥドゥの言葉だけは、聞こえてくる。

 「彼等を擁護する気など全くないし、助かりたいという願いをあんな形でしか表せないのは、不憫とも思える……しかし、私は彼等の姿は君が想うよりも醜く悍ましいとも思えんな」

 当たり前の姿を見せているだけ。

 「こんな状況だ。形振り構っていられないのもしょうがないのだろう。生きたいという願いがあっても、自分ではどうする事も出来ない想いがあり、それを他者に求めるのも自然な形だ。我々には、人にはそれぞれで出来る事と出来ない事がある」

 命を持つ者として、当然の機能とも言える。

 「ただ喚くだけ。ただ縋るだけ。ただ願うだけ。自身の無力を知って喚く者もいれば、目を反らして縋る者もいる。他人にどう思われようとも、助かりたいという願いが強いと自然とそうなってしまう。まぁ、中にはそんな状況であっても、他人の為に動ける者達もいるが、それは意外と少ない。そして、少ないからこそ、そんな者に対して希望を持ってしまう」

 助かりたい、生きたいという願いを他者に願う。

 「だが現実はそう思うように事は進まない。縋り付いた相手が、単に強がっているだけかもしれないからね……それは時には裏切りに見えてしまうかもしれない」

 「……勝手ですね」

 「まったくだ。実に勝手な思い込みだ。そして、その思い込みを生み出すのは、その者が生きようと足掻いているからこそだ。諦めた者は何もしない。何もせずに黙って口を閉ざし、黙って身を任せるだけ」

 「それが私だって言いたいんですか?」

 「そう思うかどうかは、君が決めるべき事だ」

 毛布が捲られ、ドゥドゥの顔が見える。

 自分を見つめる、何時もの彼の顔。

 「どんな生物とて死ぬ。人であろうと、何だろうと。そしてどんな生き物も生存しようとする意思がある。思考せず、本能だけで生きる者もそうだ。そうしなければ先は失われる。何もせずに助かる事など出来はしない」

 きっと気のせいだとモニカは思った。

 何時も見ている彼の顔が、

 「ならば、生きたいと願う事が、綺麗である必要が何処にある?惨めに足掻いて、醜く縋って、そうやって少しでも生きようと願う人々を滑稽だと思うのは勝手だ。勝手だが、それ以上に滑稽なのは……勝手に諦めた者が、諦めない者を笑う事だ」

 何時もよりも厳しく、何時もより少しだけ、

 「それじゃ……どうすればいいんですか?」

 少しだけ優しく見えてしまったからこそ、縋りたくなってしまう。

 「私はどうすればいいんですか?」

 「残念だが、それを決めるのは私ではない。君が選ばなければならない。それとも、君はそれを選ぶ事が後ろめたいのかな?」

 周りばかりを見て、目を反らそうとした想いに気づく。

 「……もしも、もしもあの時、私があの人に手を貸さなければ……貸さなかったら」

 結局はずっとそれだけだった。

 非情な行為を働いた者を、どれだけ非難した所で変わらない事実が1つ。あの場でスパルタンに、何も知らずにしてしまったお節介が、この事態を招いてしまったのかもしれないという後悔。

 いや、それ以上にあるのは恐怖。

 「誰も君を責めてはしないよ」

 「でも…でも、私は!」

 自分勝手な恐怖が生まれていた。行ってしまった愚行を誰かが知り、この場の誰かが知り、怒りの矛先がこちらに向くかもしれない。そうなれば糾弾されるのは間違いなく自分だ。

 「私が、わ、私が……悪いのに……」

 それが怖くて、身を隠していたと自覚してしまえば、漏れ出す想いを止める事が出来ない。知られたくないという願いが強ければ、その反対にある想いも大きくなっていく。

 「死んじゃった、人も……いるのに、私のせ、いで……沢山、沢山の、人達が……」

 「……まったく、君はどうしてそうも不器用なのか。この状況を生み出したのは君ではない事など、誰もがわかってくれるというのに、そうやって自分自身を責め続ける。もう少し、自分勝手に考えても罰は当たらないよ」

 「そんな事は出来ません!」

 逃げ道を探して飛び込む様な行為は、あまりにも卑怯ではないか。

 「出来るわけ、ないじゃないですか……」

 「……やれやれ、普段の君もそれだけ強情なら幾分か楽に生きていけるのにね」

 混乱する思考に苦しめられ、視界が徐々に霞んでくる。情けなくて、悔しくて、それ以上に怖くて苦しくて、逃げようにも逃げ場がなくて。逃げようとしても足が動かなくて。助けを求めたくても、心苦しくて。

 どうしようもないから流れる涙が、止まらない―――その瞳が、ドゥドゥの背後に写る小さな姿を見た。

 小さな子供が立っている。

 茫然と周囲を見回す少女と、その少女の手を握る少年。兄弟だろうか、それとも友達だろうか。少年は喚き散らす大人達を見ながら、何か言いたそうにしているが何も言えずにいたが、思い切って大人達に何か言った。しかし、大人達の視界に少年の言葉は届かず、2人の存在にすら気づきもしない。

 少年は悔しそうに唇を噛む。届かない自分の声に悔しさを覚えたのだろう。だが、それでも少年の小さな手は、少女の手を握り続けている。

 ドゥドゥはモニカの視線を追い、同じ様に2人を見る。少年はその視線に気づくが、たった今、自分の声が届かない事に怖気づいてしまったのか、躊躇する様な顔をする。躊躇するが少年は少女の手を引いて2人に向かって歩き出す。

 ドゥドゥは立ち上がり、子供達を見下ろす。

 あまり子供受けの宜しくない彼の顔に、少年は僅かにたじろぐ。

「何用かね?」

相手が子供でも関係ないドゥドゥの問いに、少年の顔が一瞬だけ泣きそうな顔になるが、またぐっと堪えた。何かを伝えようと口を開くが、すぐに口を閉ざしてしまう。それを見た彼はしゃがんで少年の目線と同じになり、

 「何用かね?」

 もう一度、同じように尋ねた。

 少年は口を開かない。

開かない少年の代わりに、少女の口がゆっくりと言葉を紡ぐ。

 「おかあさん……いないの」

 幼い瞳がドゥドゥを、モニカを見つめる。

 「おかあさん、どっかにいっちゃった……」

 今まで耐えていたのだろう、言葉にすれば壊れてしまう何かは、すぐに決壊してしまう。瞳から涙が漏れ出し、止める事が出来なくなる。

 混乱の中で母と逸れてしまったのか、それとも母も皆と同じように人形と化してしまったのか。それとも、もっと最悪な事が起きてしまったのか、どれが事実かはわからないが、少女は残されてしまったのだろう。

 少女の言葉に、少年も耐えていた想いが溢れそうになったのか、少女を握る手が震えだす。不安じゃないはずがない。怖くないはずがない。大人達が恐れている状況で、小さな 子供達が脅えないわけがなかった。

 「おかさん、どこ?おかあさん、おかあさん……」

心が締め付けられる。

 どんな言葉をかければいいかも、モニカにはわからない。大丈夫と言えばいいのだろうか。事実もわからず、ただの同情で優しい言葉を掛ける事が正しいのか。事実を告げて諦めさせれば正しいのか。

 正しさなど、何の救いになるかもわからないというのに。

 泣きじゃくる少女に救いの手を差し伸べる様な力もないのに、何かをしようとするのは正しい事ではない、そんな思考が逆に正しく思えてくる。

 全てが反転してしまったかのような思考に、言葉を紡ぐ事すら出来ないモニカは、目を閉じてしまいそうになる。

 「―――心配すんなよ。俺が見つけてやる」

 少年は笑う。

 「約束しただろ?」

 我慢して、我慢して、少女を不安にさせないように、我慢したような不格好な顔で微笑みかける。

 「でも……」

 「大丈夫だって。俺が何とかしてやるから、泣くなよ」

 何の根拠もない言葉で、説得力もない言葉なのはずなのに、少年の言葉を受けた少女は頷く。不安を抱きながらも、その言葉を信じて頷いた。

 「少年。君はこの子の兄かな?」

 ドゥドゥが訪ねると、少年は首を横に振る。

 「違うよ、知らない子。でも、父ちゃんに言われてるんだ。男は困ってる女の子を助けてやるもんだって!」

 「……そうか」

 この少年の親は何処にいるのだろうか、それを訪ねるような言葉は口にはしなかった。

「ならば、その手をしっかり握っていたまえ。今、この子を守っているのは間違いなく君だ……出来るだろう?」

少年は力強く頷き、ドゥドゥは2人の頭にそっと手を添える。

 「避難所は此処だけではない。此処にいなければ、他の場所にいるかもしれない」

 「ほんと?」

 少女の問いにドゥドゥは力強く頷いた。

 根拠もなく、ただ母に会いたい少女の為に。その少女を守ろうとしている少年の為に。

 「君の母親はそこに避難しているだろう」

 「それじゃ、その場所に行けばきっと―――」

 「いや、外は危険だ。だから此処にいるべきだ。もしも外に出て君達が怪我でもしたら、どうする?」

 「でも、おかあさんにあいたいよ」

 「君の母親も同じ想いだ。その想いに応える為にも、自分の身を守るべきではないか?」

 わかるだろう、とドゥドゥは少年を見る。少年は少しだけ迷ったが、

 「わかった。おじさんの言う通りにするよ」

 「それでいい」

 少年は少女の手を引いて、去っていく。

 その後ろ姿を見つめながら、

 「モニカ君、君は私の行為が卑怯な行いだと思うか?」

 ドゥドゥはモニカに問う。

 「今、嘘だらけの言葉で幼子らに希望を与えても、真実はもっと残酷かもしれない。あの少女の母親は、もう亡くなっているかもしれない。それを知った時、あの娘はどんな顔をするか、どれだけ絶望するか……そして、私はその責任を取れるのか」

 仮初の希望がどれだけ残酷なのか、言葉にした己が理解しているのだろう。あの場で何も言えなくとも、言葉を濁して伝える事だって出来たはずだった。

 「それでも私は、ああ答える事を選択した。それを卑怯な行いだと思うか?」

 「……わかりません。でも、もしもあの子のお母さんが―――」

 死んでいたら、どうなってしまうのか。

 「私は、そんな事は……言えません」

 「いいや、君も同じことを言うさ」

 少年と話した時と同じ様に、ドゥドゥはモニカと同じ目線になる。

 「間違いなく、君も私と同じ事を言うだろう」

 「言えませんよ……そんな事、言えるわけない。だって、だって私には何も出来ないんです。今、あの子のお母さんを見つける事も出来ませんし、助けてあげる事だって……」

 ドゥドゥは頭を振る。

 「そんな事は重要ではない。少なくとも、あの少年はそうだった。あの時、私も君もあの娘に何も言わなかった時、少年だけは真っ先に口を開いた。大丈夫とね。それが正しい行いでなく、何の根拠もない言葉だったとしても、あの場で少年の言葉だけあの娘の救いになった」

 「それは、そうかもしれませんけど……」

 「けど、なんだね?事実もわからず、曖昧に希望を伝える事が卑怯だというなら、あの少年も卑怯な行いをした。しかし、あの少年はそれでも選択した。いや、選択などという思考ですらないかもしれない。あれは、あの娘の為に少年が出来た事だ」

 その行為が卑怯、その行為が無意味などとは言わせないと、ドゥドゥはモニカを見つめる。

 「我々には英雄の様に、何事をもどうにか出来る力量などはない。出来る事だけしか出来ない。そして此処で必要とされるのは、そういうものではないのかな?」

 少女の母親を見つける事は出来ずとも、見つけようとする事は出来る。

 助けてやる事は出来なくとも、助けようとする事は出来る。

 道に迷い、何処に行けばいいかもわからない者に、道を示す事が出来れば苦労はしない。それが出来ないから目を反らすのか―――目を反らして、少しだけ考えて口を開けばいい。たった一言だけ。

 どうかしましたか、と。

 それだけで十分とは言えなくとも、それだけの僅かに何かが変わるかもしれない。

 それだけで少しだけ救われた気になるかもしれない。

 解決せずとも、少しだけ、本当に少しだけ。

 「誰かにしか出来ない事よりも、誰にでも出来る事が、此処で必要とされている事だ」

 ほんの少しで良い。

 傷ついた者がいれば、治療は出来なくとも大丈夫かと声を掛ける事は出来る。その者の治療をする事が出来る者を探す事も出来る。寒いと震える者がいれば、自分がその者よりも少しだけ余裕があれば、自分の毛布を渡してやればいい。余裕がなければ毛布を探してやればいい。空腹に飢える者がいれば、自分の食べている分の半分でも分けてやればいい。

 出来ない事は沢山あっても、出来る事が何もないわけではない。

 僅かな余裕しかなくても、その余裕を分けてやればいい。

 「モニカ君、君の苦しみを救う事など、私には出来ない。一緒に苦しんでやる事も出来ないだろう。それは君にしかわからない事だからだ。だから、私に出来る事は、」

 モニカに差し出す、手。

 「少しだけ君が縋り付ける様に、こうして手を差し出す事だけだ。そして君には、その手を握る権利がある。私が君に許す権利だ……それが誰にでもある、救われたいという想いだ」

 例え、その行為が卑怯でも。

 例え、その行為が卑劣でも。

 例え、その行為が醜悪でも、

 例え、その行為が許されない罪だとしても。

 「そうやって君の肩の荷が僅かでも軽くなったのなら……その分を誰かに分けてやればいい。少しだけ、出来る事をすればいい」

 この場所では沢山の救いを求める声が響く。綺麗とは言えないが、醜くとも救いを求める、生きようとする者達の声が無数に存在する。

 「……ドゥドゥさん」

 ドゥドゥを見るモニカは、

 「なんか、ドゥドゥさんのキャラじゃないですよ、それ」

 ぎこちなく、不格好ではあるが、僅かな笑みが生まれていた。

 「ドゥドゥさんは、もっとこう……そんなの知った事かッ!って感じで不敵なキャラですから……ちょっと気味が悪いです」

 「私のキャラを君にどうこう言われる筋合いはない」

 「まぁ、確かにそうですよね……はぁ、なんか私ってダメダメですね」

 「自覚していなかったのならば、良い機会じゃないか。これを機に何とかしたまえ」

 「そうですね……はい、わかりました」

 伸ばされた手を握る。握る程度の余裕が生まれた。僅かな余裕が生まれ、その余裕の分だけ何かが出来るような気がしてきた。

 たいした事は出来ないが、誰にでも出来る様な何かを。

 ドゥドゥの手を握り、モニカは立ち上がる。座っていた時間が長かったせいか、少しだけふらついてしまったが、何とか立っていられる。

 「―――ドゥドゥさん」

 「何かね?」

 「私、生きたいです。カッコ悪くて、情けないけど、生きていたいです―――みんなと」

 「そうか、なら精々頑張りたまえ」

 さて、何をしようか。

 出来そうな事は色々あるが、まずやるべき事はすぐ近くにあった。

 自分にかけていた毛布を手に持ち、それを誰かに渡す事だ。

 その最初の人は誰か―――決まっている。

 男らしく女の子を守っている少年と、彼を信じて手を握る少女に渡すという仕事。

 そこから始めよう。

 そこから始めて、頑張ろう。

 此処にはまだ、生きる事を諦めない、諦めの悪い人々が沢山いるのだから。

 

 これは『あなた』がいない物語

 

 星霜を紡ぐ、人々の物語

 


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