新人アイドルは吸血鬼   作:水羊羹

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第四話

 無事に初レッスンを終えたエミリアは、休憩がてら事務所内を探索していた。

 現在は一人なので、もしかしたら迷子になるかもしれない。

 

「ふむ。施設内は清潔になっているようだな」

 

 もっとも、エミリア本人は、その懸念を全く考慮していなかったが。

 後先考えないでいるとも言う。幼女化した影響からか、目先の好奇心を優先してしまうのだ。

 

 鍵がかかっていない部屋に勝手に入り、室内を適当に眺めたり。

 廊下に置いてあった自動販売機のスイッチを押すも、反応しない事に腹を立てたり。

 男性トイレに入り込み、小便器の用途がわからず首を傾げたり。

 やりたい放題に事務所を探索していると、廊下の前方から一人の女性がやってくる。

 

「あ、こんにちは。プロデューサーさんから聞きましたよ。貴女がエミリア・ヴァレンティヌスちゃんですね」

「む、我が眷属(ぷろでゅーさー)を知っておるのか。いかにも、妾は偉大な吸血鬼、エミリア・ヴァレンティヌスである!」

「……吸血鬼?」

 

 不思議そうに瞬きした女性に、エミリアは腕を組んでそっぽを向いた。

 エミリアの出自については、プロデューサーから秘密にするよう言われていた。

 それは頭に入っていたが、どうしても癖で吸血鬼という言葉が出てしまう。

 

 そもそも、エミリアは人間に配慮する必要性があるとは思えない。

 プロデューサーと人間を殺さない等といった契約を交わしているため、ある程度は大目に見てやろうとは考えている。

 しかし、エミリアは本質的には吸血鬼であり、下賎と思っている人間に対し、己のプライドを曲げるほど慮る気はさらさらない。

 

 今は好奇心が刺激されるこの世界と、己を打ち負かした──と言っても、遊戯でだが──美嘉達がいるので、暇つぶし程度にアイドルに興じている。

 いつ辞めてもいいと考えているし、相手が自分をどう思うがどうでもいい。

 

 だから、失言をしてしまったとはいえ、エミリアは訂正する気はなかった。

 

「して、妾になんの用だ?」

「いえ、せっかくですし自己紹介をしようと思いまして。私、事務員としてプロデューサーさんのサポートをしている千川ちひろと言います。よろしくお願いしますね」

「ふむ、千川ちひろか……む?」

 

 両手を合わせて笑顔を向けてきた女性──ちひろを見て、エミリアはあるものを感じ取った。

 顎に手を添えながら、まじまじとちひろを観察していく。

 

「どうしましたか?」

「……其方、千川ちひろと言ったか」

「そうですけど?」

「其方、妾と同類か?」

「はい?」

 

 先ほどから、ちひろの全身から魔の気配が漂っているように感じるのだ。

 エミリアの吸血鬼特有の気配とは違い、この人間の絶望を味わいそうな色は──

 

「ほほう、其方は悪魔であったか」

「あ、悪魔!?」

「ククク、我が眷属(ぷろでゅーさー)も人が悪い。この世界には幻想的な要素はないと言っておったが、目の前にとびきりの幻想種がいるではないか。いや、我が眷属(ぷろでゅーさー)もこやつの正体を知らんのか?」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「む、どうした? 其方の人間共を欺く擬態には感心しておるぞ。なに、案ずるな。あやつらには、其方のことはなにも言わんよ」

 

 この世界で初めての同類だからか、エミリアは目の前のちひろに親近感が湧いていた。

 己にしては珍しく、相手に配慮する言葉を発していたぐらいだ。

 しかし、ちひろ自身は納得していないようで、何故か酷く傷ついた様子で手を振る。

 

「そもそも、私は悪魔じゃありませんっ!」

「なにを言っておる? 其方からは、人間共の負の感情が滲みでておるぞ。よほど上手く飼い殺したのであろうな。極小の希望を見せつけながら、底なし沼に沈ませるようにゆっくりとしゃぶっていると見た。ククク、中々して極悪なやり口であるな」

「ひ、酷い……私、もしかして呪われているのかな」

 

 あまりにもあんまりな言葉に、ちひろは涙目で肩を落としていた。

 実際、エミリアがどう感じたかはさておき、ちひろは正真正銘人間だ。

 決して、悪魔といった恐ろしい存在ではない。

 

 プロデューサーをはじめ、数々のアイドルを陰ながら支えている、縁の下の力持ちだ。

 ちひろに助けられている人はとても多く、様々な人達から慕われている素敵な女性である。

 

 恐らく、エミリアはどこからかやってきた怨念を拾って、ちひろを悪魔だと間違えてしまったのだろう。

 不幸にも、その事を指摘する人はいなかったが。

 

「あ、見つけたー!」

 

 落ち込んでいる様子のちひろを不審に見ていたエミリアは、背後から聞こえた声に振り向く。

 案の定、アタシ怒ってます、と頬を膨らませた莉嘉が近づいてきていた。

 

「城ヶ崎莉嘉か」

「城ヶ崎莉嘉か、じゃないよっ。いきなりどこかにいなくなって、アタシ達すっごく心配したんだからね!」

「どこにおろうと妾の勝手であろう。なにゆえ、妾が糾弾されなければならぬ」

「もー、エミリアちゃんは困った子なんだから。まあ、そんなところも可愛いけど☆」

「やめぬか! 妾に触れることを許した覚えはないぞ!」

 

 エミリアに手を振り払われ、残念そうに口を尖らせた莉嘉。

 そこで、ようやく気落ちした様子のちひろに気がつき、小首を傾げながら声をかける。

 

「ちひろさん、どうしたの?」

「あ、莉嘉ちゃん。お疲れ様です」

「お疲れ様じゃないよっ。ちひろさんなんか悲しそうだし、なにか嫌なことでもあったの? アタシで良かったら話聞くよ?」

 

 心配そうに手を握ってくれた莉嘉に、ちひろは儚い笑みを浮かべる。

 

「私、悪魔だったみたいなんです」

「え? 悪魔?」

「エミリアちゃんが、私は悪魔だって」

「……エーミーリーアーちゃーん?」

 

 エミリアの方を向くと、咎める目付きで睨みつける莉嘉。

 当然、エミリアとしては睨まれる理由がわからないので、不快げに眉を潜める。

 

「なんだ? 妾に対して一言ある顔だな」

「あるに決まってるじゃんっ! どうして、ちひろさんを悪魔なんて酷いことを言うの?」

「酷いもなにも、妾は事実を言ったまでだが?」

「っ! エミリアちゃんのバカ! 見損なったよ!」

「なに!? 妾を愚弄するのか! 下賎な人間の分際で、調子に乗りおって!」

「調子に乗ってるのはそっちでしょ! 言っていいことと悪いことがあるって、教えてもらわなかったの?」

「あの、喧嘩はやめて仲良くしましょうよ」

 

 ガルルとメンチを切り合う二人に、ちひろが宥めようとするのだが。

 

「ちひろさんは黙ってて!」

「うむ。今は妾がこやつにお灸を据える時間である。悪魔である其方が入る余地はない!」

 

 と、両者共に聞く耳を持たず。

 発端はエミリアの言葉だったが、当事者のちひろを置いてヒートアップしている。

 

 ちひろさんに謝れ、と真っ当な事を言う莉嘉と、なぜ妾が頭を下げねばならぬ、と怒りを露にするエミリア。

 どちらも主観では正しいのが、この喧嘩のややこしさを物語っていた。

 特に、エミリアは一際プライドが高いため、無駄に拗れてしまっている。

 

 このままでは、まずい事になるかもしれない。

 エミリアの真紅の瞳が、剣呑に輝きはじめている。

 いつプロデューサーの言葉を無視して、実力行使に出てしまうか。

 

 身体能力が落ちているので最悪の事態にはならないだろうが、このままでは両者の仲が修復不可能になっていく可能性すらある。

 どうにかして、二人の喧嘩を止めなければ。

 

 再びちひろが声をかけようとした時、前方からプロデューサーがやってくる。

 

「プロデューサーさん! 助かりました!」

 

 プロデューサーとしては、迎えにいった莉嘉が帰ってこないので、探しにきただけなのだが。

 心底安堵した表情のちひろに呼ばれて、慌てて駆け寄っていく。

 

「あ、Pくん! 聞いてよ、エミリアちゃんが酷いことを言ったんだよっ!」

我が眷属(ぷろでゅーさー)なら理解しておるな? 妾の言葉が正しいと」

 

 出会い頭の質問に、プロデューサーは助けを求めてちひろに尋ねる。

 苦笑いした彼女から話を聞き、思わず額に手を置いてため息を一つ。

 

 なにがどうなって、ちひろを悪魔と見なしたのだろうか。

 エミリアの目が節穴過ぎて、本当に実年齢が千年以上なのか不思議になってくる。

 

 もう一度ため息を漏らしたプロデューサーは、胸を張ってドヤ顔をするエミリアに首を横に振る。

 

「なぬ? 貴様、その顔はなんだ?」

 

 ちひろさんは悪魔じゃなくて、とっても素敵な女性だ。

 もちろん、人間でもある。

 

「だよねだよね。やっぱり、Pくんはわかってるじゃん☆」

「そんな、素敵だなんて。プロデューサーさんったらお上手なんですから!」

 

 頬に手を添えて照れているちひろに対し、エミリアは納得がいかないようだ。

 口をへの字に曲げて、不服そうにプロデューサーを睨みつけている。

 

「……覚悟はできておろうな?」

 

 その前に、本当にちひろさんが悪魔に見えたのか。

 

「無論だ。妾が見間違えるはずなかろう」

 

 では、もう一度ちひろさんをよく見てほしい。

 

「貴様、よもや妾の目を疑っておるのか? そこまで妾を下に見るならば、いくら寛大な妾とてしかるべき処置をせざるを得んぞ」

 

 お願いだ、ちゃんと見てほしい。

 真面目な顔でそう頼むと、むぅと唸り声を上げてため息をつくエミリア。

 

「仕方あるまい。貴様は我が眷属(ぷろでゅーさー)であるゆえ、一度のみ無礼な振る舞いを許そう。して、そこな悪魔を見ろであったな……なに!?」

 

 ちひろに視線を転じたエミリアは、目を大きく見開いた。

 眉間を揉んでほぐして、再度彼女をまじまじと観察。

 

「どうだったの?」

「……う、うむ。こやつから、悪魔の気配が跡形もなく消え失せておる」

「ほらー! やっぱり、エミリアちゃんが間違ってたんじゃん。良かったね、ちひろさん☆ エミリアちゃんが、悪魔じゃないって」

「はい、呪われていなくて良かったです……本当に」

 

 心底安堵した表情で胸をなで下ろすちひろを、エミリアは不可解そうな面持ちで見つめていた。

 まるで幽霊と出会ったはいいものの、目の前で消え失せたせいで、幻覚に陥っていたのではないか。

 そんな摩訶不思議な事象を体験した様子で、組んだ腕の指を立ててリズムを刻んでいる。

 

「この短期間で、妾すらをも欺く技量に達したか? 妾の想像以上に、其方は優秀な悪魔であるのか」

「もー、まだちひろさんを悪魔って言うの? エミリアちゃんって頑固だよね」

「しかして、城ヶ崎莉嘉よ。たしかに妾は、こやつから魔の気配を感じたのだ」

「……変わった女の子だと思ってたけど、アタシの想像以上にエミリアちゃんって変」

「ま、また妾を愚弄するか! そう何度も侮蔑をするのならば、いくら度量が広い妾とて見過ごすことはできぬぞ」

 

 そこまでだ。

 

「止めるな、我が眷属(ぷろでゅーさー)よ。今から妾は城ヶ崎莉嘉に、己が唾を吐いた相手の強大さに恐れおののいて貰わねばならぬのだ」

 

 そんな事より、エミリアにはとある話を持ってきた。

 

「そんなこと……だと」

「あ、そうだった。Pくんから、この後ミニライブの見学に行くから、エミリアちゃんも一緒にどうかって言うように言われてたんだった」

「それはいい考えですね! エミリアちゃんに、我がプロダクションのアイドルを見てもらいましょう」

 

 なぜか愕然とするエミリアをよそに、笑顔で手を合わせたちひろ。

 莉嘉もそれがいいと頷いており、どうやらエミリアが行かないと言ったとしても、無理矢理ミニライブに連れていかれそうだ。

 プロデューサーとしても同じ気持ちで、これでエミリアがアイドルを見直してくれれば、と密かに期待をしている。

 

 そんなこんなで、ぷんすかしているエミリアを宥めながら、プロデューサー達は事務所をあとにするのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 プロデューサーの車でたどり着いたのは、とある小さなライブ会場だ。

 急遽ここでライブをする事になり、既にファン達が楽しげな様子で待機していた。

 

 あらかじめ用意していた後ろの方の席へと、プロデューサーはエミリア達を案内する。

 そのあと、自分はアイドルの激励に行ってくるから、エミリアはそこで待っていて欲しいと告げる。

 

「それは構わんが、前方にいる人間共はなんだ? 先ほどから、やけに熱気が伝わって暑苦しくて叶わんのだが」

「あの人達は、アタシ達を応援してくれるファンのみんなだよ。ファンが応援してくれるから、アタシ達ももっと頑張ろう、みんなを笑顔にしよう、って力が出るんだ☆」

「理解に苦しむな。所詮、人間の寄せ集めであろうに」

「うーん、エミリアちゃんもそのうちわかると思うよ。だよね、ちひろさん?」

「そうですね。きっと、エミリアちゃんにも素敵なファンができますよ」

 

 両脇にいる莉嘉とちひろの言葉を聞いても、エミリアは気だるげなまま。

 退屈そうに壁に寄りかかり、胡乱な眼差しでステージを見やっている。

 

我が眷属(ぷろでゅーさー)の願いゆえ来てやったが、どうやら期待外れになりそうだ」

「エミリアちゃんはまたそんなことを言って……そういえば、ちひろさん。このミニライブでライブをするのは、卯月ちゃんだっけ?」

「そうですよ。そろそろライブが始まると思いますが──」

 

 ちひろの言葉が合図だったかのように、ライブステージに卯月が現れた。

 可愛らしいアイドル衣装に身を包んでおり、その弾ける笑顔と相まって、地上に舞い降りた天使のように輝いている。

 

「ほう……」

 

 歓声を上げるファン達に答えている卯月に、エミリアは興味深そうな目を向けた。

 この目でしっかりとしたアイドルを見るのが始めてだからか、好奇心が刺激されているらしい。

 

「ちひろさん、ちひろさん。エミリアちゃんが」

「あら……ふふっ。これは、連れてきて正解だったみたいですね」

 

 そんな彼女の変化に目を止めた莉嘉達は、揃って微笑ましい笑みを浮かべる。

 その笑顔には、エミリアの心の変化を歓迎する色があった。

 

 最初のトークが終わり、卯月が歌い始める。

 歌は彼女の持ち曲で、それに呼応してファン達が陶酔した雰囲気で声を上げていく。

 このライブ会場は、瞬く間に卯月一色で染め上げられた。

 

 いつの間にか、エミリアは壁から身体を離していた。

 前にある手すりの上に乗り、鋭い目付きで卯月のライブを見ている。

 無意識からか指はリズムを刻み、全身から真面目な雰囲気を醸し出していた。

 

「エミリアちゃん?」

「……おい、城ヶ崎莉嘉。あやつは、何者だ?」

「何者って、アタシ達と同じアイドルの卯月ちゃんだよ?」

「あれが、あいどる……」

 

 エミリアの脳裏を過ぎるのは、甘い歌に抱きしめられる己の幻覚。

 魔法を行使している気配はなく、卯月はただの人間にしか見えず、どこからどう見ても平凡なライブにしか思えない。

 

 それなのに、なんだこれは。

 誘蛾灯に誘われる虫のように、甘い香りに釣られるように、人間が吸血鬼(エミリア)と出会った時のように。

 目を離したくても、興味がないと思考から外そうとしても、まるで金縛りにあったかのように心が捕えられてしまう。

 

 現に、会場にいるファン達も、誰もが卯月に見惚れている。

 彼女の歌詞一つで湧き、振り付けの動きを見て胸を撃たれている。

 卯月が笑顔を零した時では、失神するのではないかというほど盛り上がっていた。

 

「その様子だと、エミリアちゃんの心にも響いたみたいだね」

「……わからぬ。妾にはわからぬ。なぜ、こうも目が離せぬのだ。もっと見ていたいと思ってしまうのだ。この時が永遠に続けば良いと考えてしまうのだ」

「それがアイドルなんですよ、エミリアちゃん」

 

 両脇の二人の声も、耳に入らない。今のエミリアの五感は、卯月一人に支配されていた。

 ライブが終盤に近づくにつれ、目の前の偶像(アイドル)への渇望が増していく。

 

 もっと、もっと、貴女を見ていたい、聞いていたい、感じていたい。

 その感情はまさしく、魅了。

 抗いたいとすら思わなくなってしまう、心の奥底へと染み込む魔性の存在。

 今のエミリアは、卯月に魅入ってしまっていた。

 

 それからライブが終わっても、エミリアはこの場を動く事ができないのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「──あ。お疲れ様です、プロデューサーさん!」

 

 プロデューサーに連れられたエミリアが楽屋室に入ると、笑顔の卯月に出迎えられた。

 ライブは大成功と言っても良く、彼女の笑顔は達成感に満ち溢れている。

 

「お疲れ様、卯月ちゃん! 後ろから見てたけど、ちょー良かったよ☆」

「私も卯月ちゃんのライブを見て、感動しちゃいました!」

「莉嘉ちゃんに、ちひろさん! ライブを見てくれたんですね。なんだか、照れちゃいます」

 

 二人の賛辞に、頬を赤らめて照れ臭そうになる卯月。

 そこで隣にいるエミリアに気がついたようで、小首を傾げつつつも微笑む。

 

「もしかして、プロデューサーさんがスカウトしたアイドルですか?」

「そうだよー。この子はエミリアちゃん。最近アイドルになった新人アイドルなんだ☆ せっかくだから、卯月ちゃんのライブを見てもらうかと思ったんだよね。ね、Pくん?」

「そうなんですね。プロデューサーさん達から聞いていると思いますが、島村卯月です。エミリアちゃんと同じアイドルです。これから、一緒に頑張りましょうねっ」

 

 駆け寄ってしゃがみ込み、エミリアと視線を合わせてそう告げた卯月。

 そのまま差し出した彼女の手を、エミリアは無言でじっと見つめる。

 しばし微妙な空気が流れ、卯月の笑顔は徐々に困ったように泳いでいく。

 

「ほら、エミリアちゃん。握手だよ、あくしゅ。手を握り合わせてよろしくってするの」

「……其方は島村卯月といったか」

「そうですよ。気軽に名前で呼んでくださいね」

「其方にとって、あいどるとはなんだ?」

 

 唐突なエミリアの問いかけに、大層驚いたようだ。目を大きく見開いた卯月は、言葉を理解するとキラキラと眩しい表情で破顔した。

 

「私にとって、アイドルとは──」

 

 

 ♦♦♦

 

 

 卯月と別れたエミリアは、プロデューサーの車で頬杖をつきながら、窓の外をぼーっと眺めていた。

 莉嘉とちひろは車を降りており、車内にいるのはプロデューサーとエミリアの二人だけだ。

 

 プロデューサーも話さないので、辺りでは沈黙が幅を利かせていた。

 しかし、その空間が重いわけではない。程よい緊張感に包まれた、肩肘の張らない空気になっている。

 

「……のう、我が眷属(ぷろでゅーさー)

 

 エミリアの言葉に、プロデューサーはどうしたのと尋ね返す。

 

「以前、妾は言ったな。あいどるとは腑抜けた職だと」

 

 そうだったね、と微笑む。

 

「あの言葉は訂正する。あやつ──島村卯月の心魂を……気高き意志を見てしまえば、侮ることは決してできぬ」

 

 じゃあもう一度聞くけど、アイドルについてどう思う?

 

「下賎な人間が生涯をかけて挑む、くだらぬ……いや、愚かな職といったところか」

 

 蔑んだ口調とは裏腹に、エミリアの顔は楽しげに笑っていた。

 ある程度認めてはいても、プライドから素直になり切れないのだろう。

 

「そのような者になってしまった妾も、今では立派な愚者であるな。誇り高き吸血鬼の妾が、下賎な人間の立場まで堕ちるとは、なにが起きるかわからぬものよ」

 

 後悔しているのだろうか。

 普段から見下している人間と同じ職について、本当は怒りを抱いているのではないか。

 そんな疑問を抱いていると、横目でこちらを捉えていたエミリアが鼻を鳴らす。

 

「あいどるになると決めたのは、妾の意思だ。其方が気に病む必要はない。そも、これはこれで暇つぶしにはなるであろうからな。なに、妾の我が眷属(ぷろでゅーさー)となったのだ。後悔はさせぬよ」

 

 そう告げたエミリアは、背もたれに寄りかかって目を瞑った。

 どうやら、再び思考の海を泳いでくるらしい。

 

 車を走らせながら、プロデューサーはチラリとルームミラー越しにエミリアを見つめる。

 俯き気味で表情はよく窺えないが、微かに上がっている口角から、そう悪い気分ではないようだ。

 

 今回の判断は、エミリアにとっても良い影響を与えただろう。願わくば、更に彼女がアイドルの良さを理解してくれるように。

 胸中で祈りを捧げたプロデューサーは、今後のプロデュース方針を考えるのだった。

 

 

 

 

 

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