新人アイドルは吸血鬼   作:水羊羹

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第六話

「……」

 

 無事に宣材写真を撮り終えた次の日。エミリアは、機嫌悪く街中を歩いていた。

 あの己の恥が詰め込まれた写真……プロデューサーが言うには、良い笑顔だったとのことだが。

 エミリア自身にとっては、あれは無様で滑稽な姿の写真にしか思えない。

 

 しかし、あの写真こそが、プロデューサー達が求めていたのだともわかっている。

 あれだけ嬉しそうに卯月とハイタッチをしていたのだ。エミリアでなくても、簡単に察せられるだろう。

 

「ぐぬぬ。しかして、この行き場のない怒りをどうするべきであるか」

 

 現代日本にある程度馴染んでいるエミリアは、八つ当たりは悪いことだと習った。

 元の世界なら、適当な魔物や人間を血祭りにあげるところだが、そうもいかないのが世知辛い。

 デザートやデザート、それとデザートなどこの世界は素晴らしいものが多い反面、エミリアにとってはとても窮屈な世界でもあった。

 

「それに……忌々しい」

 

 チラリと蒼天で輝く太陽に目を向け、小さく舌を打ったエミリア。

 

 日傘をささずに歩いている事からもわかる通り、エミリアは日光を克服している。

 流石に少しの気だるさはあるが、ほとんど誤差のレベルに収まっているため、こうして大手を振って日中活動ができるのだ。

 

 しかし、この世界の太陽からは、粘性のある光を感じている。

 澱んだ陽光とでも言うべきか。ラーメンで例えると、エミリアの世界の太陽はあっさり塩ラーメンで、この世界の太陽はこってり豚骨ラーメンぐらいの違いだ。

 

「日傘をさすか……む?」

 

 適当に服屋にでも行くか、とエミリアが踵を返そうとした時。

 前方で歩いている智絵里の姿を見つける。

 彼女はこれから向かうところでもあるのか、歩む姿勢にブレがない。

 

「ふむ」

 

 ちょうど、退屈していたところだ。

 智絵里とは交流が少ないが、ここらで親睦を深めるのもありだろう。

 といった好奇心が一割、小動物みたいな彼女をいじめたら楽しそうだ、といった悪魔的思考が九割。

 半ば……というより、ほとんどが酷い理由で、エミリアは智絵里の元に近づく。

 

 気配を殺しているからか、智絵里がエミリアに気がつく様子はない。

 獲物を見つけた獅子のように笑ったエミリアは、彼女の背後でそっと囁く。

 

「──其方の血は、美味そうだな」

「ひっ!?」

 

 過剰に肩を跳ねさせながら、慌てた素振りで振り返った智絵里。

 そこでニヤニヤしているエミリアに気がつき、胸に手を添えて大きいため息を零す。

 

「ククク、随分と可愛らしい悲鳴ではないか?」

「エ、エミリアちゃん。脅かすのはやめてくださいよっ」

「すまぬ、すまぬな。其方を見ていると、どうしてもからかいたくなるのだ」

「もう……それで、なにか御用ですか?」

「いや、特にないの。ただの暇つぶしだ。其方こそ、どこへ向かっておる? 新しい甘味処でも発見したか?」

 

 警戒心が残っているのか、身構えている智絵里にエミリアが尋ねると、首を横に振られた。

 

「ううん。私はこれから四つ葉のクローバーを探しにいくんです」

「四つ葉のくろーばー?」

「もしかして、知らないんですか?」

 

 キョトンとした智絵里の顔からは、かなり意外だといった感情が滲み出ている。

 当然、エミリアはプライドが人一倍無駄に高いので、鋭く眉尻を上げて睨みを返す。

 

「し、知っているに決まっているであろう!」

「ひぅっ!? そ、そうですね。エミリアちゃんが海外の人でも、知っていますよね」

「うむ、うむ。わかればいいのだ」

「……ちなみに、四つ葉のクローバーってどんなものですか?」

「ふんっ。そんなの聞かれるまでもない。四つある葉を組み合わせて、敵に投げつける投擲物であろう?」

 

 胸を張ってドヤ顔を浮かべるエミリアを、微妙な表情で見つめる智絵里。

 オロオロと胸の前で指を弄りながら、伏し目がちな様子で告げる。

 

「その……四つ葉のクローバーは、見つけると幸せを運んでくれるって言われている、葉っぱのことです」

 

 今、確実に二人の間に冷たい風が吹き流れた。

 エミリア達の頭上を飛び去ったカラスが、「アホー、アホー」と鳴いたような気がする。

 

 目を泳がせている智絵里に対し、エミリアは堂々と仁王立ちして再度言い放つ。

 

「…………知っておったぞ!」

「そ、そうですか」

「うむ」

「は、はい……」

「……」

 

 形容しがたい、気まずい空気。

 特に仲が良いとも言えない二人なので、落ちるべきところに落ちたと言うべきか。

 ともかく、目を瞑ってカツアゲ被害者のようにぷるぷる震える智絵里は、エミリアの感じた通り小動物らしい愛らしさと弱さが垣間見えていた。

 

 時折チラッと目を開けて、エミリアが見つめている事を知ると、慌てた様子で瞼を閉じる智絵里。

 モグラ叩きのように連続してやっているので、エミリアは鬱陶しく思い始める。

 言いたいことがあるならはっきりと言え……そう思い、髪をかきあげながら口を開く。

 

「おい、緒方智絵里」

「は、はい!」

「なにか妾に一言あるなら、聞いてやる。いくら妾とて、相手の発言を無下にすることはない。ほれ、言ってみろ」

「い、いえ、その……」

 

 ただ怖くて震えていると、エミリアはそう考えていた。

 少し見ただけでも、智絵里の性格は自分と合わないだろうと感じていたから。

 だから、彼女がなにかを伝えようと、瞳に強い意志を宿し始めたのを知って、大層驚いてしまう。

 

 しばらく逡巡する様子で言葉を詰まらせていた智絵里だったが、やがて覚悟を決めたのか。

 ギュッとスカートの裾を摘むと、掠れた声ながらも自分の思いをぶつけるのだった。

 

「──わ、私と一緒に、四つ葉のクローバーを探しませんか」

 

 

 ♦♦♦

 

 

「ほぅ……」

 

 土手に広がるクローバーの群れに、エミリアは感嘆の声を漏らした。

 隣にいる智絵里も嬉しそうに微笑んでおり、先ほどまでの怯えが少なくなっている。

 

 勇気を出した智絵里の提案は、エミリアが四つ葉のクローバーに興味を示したことにより、受け入れられる運びとなった。

 エミリアは智絵里に連れられて川の土手に来ていて、これからここで四つ葉のクローバーを探すのだ。

 

「じゃあ、早速探しましょうっ」

「ふむ。了解した」

 

 実はよくわかっていなかったが、先ほど見栄を張ってしまったため、とりあえず頷いておいたエミリアだった。

 

 まずは智絵里が土手に降りてしゃがみ込み、それを盗み見ていたエミリアが続く。

 彼女から少し離れた場所で座り、クローバーを一つ抜いて観察。

 

 そのクローバーは瑞々しい緑色をしていて、この場所が草花にとって良い場所なのがわかる。

 また、葉っぱは三つに分かれていることから、どうやらこれは三つ葉のクローバーのようだ。

 

「ふむ? これがくろーばーとやらか。つまり、この葉が四つのを探せば良いのだな」

 

 ようやく四つ葉のクローバーを知ったエミリアは、辺り一面に生い茂るクローバーを見回す。

 パッと見はどれも同じようにしか思えず、本当に四つ葉があるのか不明だ。

 

 とはいえ、エミリアは直ぐに見つけられるだろう、と根拠もなく確信していた。

 なぜならば、己はエミリアだからだ。

 

 智絵里の話ぶりから、これは人間がよく行っているのだろう。

 下賎な人間が見つけられて、吸血鬼の自分が見つけられない……そんなはずはない。

 つまり、自分なら智絵里より早く見つけられる、そう考えたのだ。

 

「ククッ。あやつには悪いが、ここで妾の偉大さを理解してもらわねばな」

 

 こっそりとニヤけたエミリアは、智絵里のように四つ葉のクローバー探しを始める。

 しかし、当然と言うべきか、順当な結果だとまとめるべきか、エミリアは一向に四つ葉のクローバーを見つけられない。

 

 探し始めてから五分、十分、十五分、と時が流れていく。

 ほとんどは三葉のクローバーで、たまに四つ葉のクローバーかと思えば、他のクローバーと重なっていたから勘違いしただけ。

 煩わしい陽光に監視されながら、ひたすらクローバーを探していく。

 

「ぐぬぬ!」

 

 もはや、エミリアは当初の目的を忘れていた。

 智絵里より早く見つける目標は眼中になく、ただただ己を嘲笑うかのように姿を隠す四つ葉のクローバーを、親の仇だと言わんばかりに血眼になって探す。

 そこからは吸血鬼の威厳など見当たらず、ムキになっている子供そのものの姿だった。

 

「あの、エミリアちゃん。四つ葉のクローバー、見つかった?」

「少し黙っておれ! 集中の邪魔をするのではない!」

「う、うん」

 

 智絵里の言葉にもおざなりに返し、四つん這いになってクローバーを見るエミリア。

 普段は気をつけている服の汚れも気にせず、顔に泥化粧を施しながら草をかきわける。

 

 そうしたエミリアの努力が実ったのだろう。遂に、四つ葉のクローバーを見つけることに成功した。

 思わず会心の笑みが零れ落ちたエミリアは、慎重に摘んで立ち上がる。

 そして、こちらを心配そうな顔で見つめている智絵里へと、盛大なドヤ顔と共に掲げる。

 

「刮目せよ、緒方智絵里! 妾にかかれば、四つ葉のくろーばーを見つけることなど、造作もないわ!」

「わわ、エミリアちゃん、顔中泥だらけ!」

「なぬ……なんだと!? なぜ、妾の格好が汚れておるのだ!?」

「き、気づいてなかったんだ」

 

 珍しく苦笑いを浮かべたあと、智絵里は懐からハンドタオルを取り出す。

 エミリアの元に近づき、甲斐甲斐しく泥を拭っていく。

 

「こ、これ、やめぬか。妾に触れて良いと言った覚えはないぞ」

「あ、ごめんなさい。エミリアちゃんがあまりにも汚れていたから、つい」

「……ま、まあ、其方が純然たる善意で動いたのはわかっておる。であるからして、今回の無礼な振る舞いは見逃そうではないか」

 

 そっぽを向いてそう告げたエミリアを見て、微かに驚いた表情を見せた智絵里。

 しかし直ぐに柔らかく微笑むと、頷いてエミリアの汚れ拭きを再開する。

 

「ありがとう、エミリアちゃん」

「ふ、ふんっ。妾に触れる名誉を噛み締めるのだな!」

「……実はね。私、最初はエミリアちゃんのことが怖かったんだ」

「む?」

 

 ハンドバッグから櫛を取り出して、エミリアの髪を梳かしながら、おもむろに語りはじめた智絵里。

 それに疑問の声を上げたエミリアを見つつ、かつての自分を恥じるように言葉を繋ぐ。

 

「エミリアちゃんって、子供なのに怖い話し方ばっかりしてたから、なんだか近づきづらい雰囲気だったんですよね。でも、四つ葉のクローバーを探すのにこんなに一生懸命で、ちゃんと私の気持ちも察してくれて。本当は、いい人なんだなって」

「妾が……いい人?」

「はいっ」

 

 心底、驚いた。

 世界中から恐れられ、誰もが己を恐怖の対象と見なし、化物だと遠ざけられた吸血鬼である自分が。

 少ししか話していない小動物のような小娘から、いい人なんて評されることを。

 

 思わず問い返すと、始めてエミリアへ向けて、智絵里は微笑む。

 その言葉が嘘ではない、本心からそう思っている、そういった気持ちが多分に含まれている笑顔で。

 

「…………く」

「エミリアちゃん?」

「くく、クハハハハハハハハッ!」

「ど、どうしたんですかいきなり?」

 

 腹を抱えて背筋を逸らし、憎たらしいほど青い空へ飛ばすように、エミリアは盛大な哄笑を響かせた。

 慌てた様子でハラハラする智絵里をよそに、ただただひたすら笑い声を鳴らす。

 

 面白い──面白い!

 前々からこの世界は面白いと思っていたが、まさか化物をいい人という狂人まで現れるとは。

 

 智絵里が見ているのが一側面だけなのはわかっているし、自分の本当の姿を知れば前言を撤回するであろう、という確信も抱いている。

 それでも、だとしても、否定しかされなかった自分を肯定してくれるのは、それが仮初の肯定だったとしても……とても、気分がいい。

 

 始めて覚える、感情。

 常に心に溜まっている濁った負の感情ではなく、胸が透き通るような爽やかな正の感情。

 これが、爽快感というものだろうか。感覚としては、ラムネ味のアイスを食べた時に似ている。

 

 こんな不思議で、理解不能で、しかしまったく嫌ではない感情を覚えられて。

 それも、智絵里のおかげ。新たな心を開拓してくれた、目の前で己の姿に慌てている小動物のような少女の力だ。

 下賎な人間……いや、緒方智絵里の存在は、エミリアの魂に刻み込まれた。

 

 逸らしていた背中を元に戻すと、エミリアはすっきりした笑みを浮かべる。

 

「緒方智絵里。妾は其方が、気に入った」

「へ?」

「妾のモノにならぬか? 宝石のごとく愛でてやるぞ?」

「ええええ!?」

 

 艶然とした笑顔で告げたエミリアの言葉に、智絵里は瞬く間に頬を赤らめていく。

 目はぐるぐると定まらず、口を金魚のように開閉している。

 そんな智絵里の慌て姿一つすら愛らしく、知らずエミリアは笑みを深めた。

 

「ククッ、冗談だ。其方は妾の手中にいるより、籠の外で自由の方が良いからの」

「は、はあ……?」

 

 本人からすれば、意味がわからないだろう。

 実際、智絵里は不思議そうに小首を傾げており、曖昧な表情を浮かべている。

 頬の赤らみは、まだ少し残っていたが。

 

「それで、だな。其方は先ほど妾に貢献をし、更に妾を楽しませた。その功労に報いるのは当然であり、であるからして、妾がこのような対応を取るのも間違ってはおらぬ」

「はい?」

 

 今度はエミリアが頬を熱くしながら、自分に言い聞かせるように呟く。

 しばらく口元で声にならない言葉を作ったあと、そっぽを向きながら右手を突きだす。

 そこには、先ほどエミリアが見つけた、四つ葉のクローバーが握られていた。

 

「こ、これは、礼だ。色々と、其方には苦労をかけたからな。それに応えるのも、高貴である妾の務めであろう。そも、本来は其方がこれを欲していたのであろう? ならばこそ、これは然るべき者に渡るという話なだけであり、妾の行動は何一つ間違っておらぬ」

 

 早口でまくし立てているエミリアは、傍から見たら素直になれない少女だ。

 まったくもってその通りで、エミリアは誰かにプレゼントしたことがない。

 

 自分に挑んでくる人間に、死を与えたことは数あれど、純粋に贈り物を送る行為はしたことがなかったのだ。

 向こうの世界では一人だったため、順当な結果だとも言えるが。

 

 ともかく、精一杯の勇気を振り絞って、智絵里にクローバーを渡すエミリア。

 そんな彼女の小さな一歩を理解したのか、はたまた単純に優しかったからか。

 目を見開いていた智絵里は、嬉しそうに破顔してクローバーを受け取る。

 

「ありがとう、エミリアちゃん」

「ふ、ふん! 礼を言われる筋合いはないの。しかして、其方がどうしても感謝を捧げたいと思うならば、それを受け取ってやるのもやぶさかでもない」

「それでね、私からもこれをエミリアちゃんに」

「む?」

 

 反射的に受け取ると、それは四つ葉のクローバーだった。

 まさか、自分があげたクローバーを返されたのか、と胸に原因不明な痛みが訪れたが、智絵里の手に四つ葉のクローバーがあるのを見て、エミリアは痛みが疑問に変身するのを感じる。

 

「それは、私が見つけた四つ葉のクローバー。エミリアちゃんに貰ったから、代わりに私のをあげようって思ったんです。ふふっ、お揃いですねっ」

「……お揃い?」

「その、嫌でした? ごめんなさい、私なんかと一緒じゃ嫌ですよね」

 

 悲しげに顔色を曇らせた智絵里に、エミリアは慌てて首を横に振る。

 

「嫌ではない。嫌ではないのだが……よくわからぬのだ。こうして、形に残るものを貰ったことが今までなくてな。胸が苦しくて、しかして辛くはなく、身体がわたあめのように軽く、なんと表現すればいいのか」

 

 上手く表せない感情を持て余すエミリアを見て、そっと表情に微笑みを添えた智絵里。

 珍しく大人っぽさが多分に含まれた笑顔で、新たに一つ覚えた幼き少女へと語りかける。

 

「それは、嬉しいって気持ちなんですよ、エミリアちゃん」

「嬉しい? これかが?」

「はい。人は、嬉しさを感じると、心が暖かくなるんです。エミリアちゃんはどうですか?」

「……妾も、陽だまりに包まれているような感覚を覚えておる」

 

 常にまとまりつく不快な陽光とは似ても似つかず、いつまでも抱きしめたい柔らかな光。

 これが嬉しいという感情ならば、エミリアはいつまでも嬉しくなりたい。

 

 吸血鬼としては間違っているのだろう。

 たかが人間の贈り物一つで心を惑わして、情けないにもほどがある。

 しかし、エミリアの心が、その呆れを否定していた。

 

「エミリアちゃん?」

「緒方智絵里よ、感謝する。妾は、また一つ学んだ」

「えっと、どういたしまして?」

「ククッ、其方はそれで良い。いつまでも、清らかな乙女でいろ」

「う、うん?」

 

 懐から取り出したシルク製のハンカチに四つ葉のクローバーを包んだエミリアは、疑問符を作っている智絵里の手を引いて土手を上がっていく。

 

「今日は気分がいい。緒方智絵里、其方にも妾秘蔵の甘味を馳走してやろう」

「わわ、待ってよエミリアちゃん」

「さあ、妾の住処へ帰還するぞ!」

 

 慌てた足取りで歩幅を合わせた智絵里を伴うエミリア。その顔は、年相応の可愛らしい笑みを浮かべていたのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 途中で軽く泥を叩き落としたあと、エミリア達は事務所へ向かっていた。

 その間も智絵里とは言葉を交わしていて、少しはお互いの距離が縮んだだろう。

 

「ほう。緒方智絵里も、あいどるをしているのが好きなのか」

「うん。アイドル活動をしていると、新しい自分になれる気がして。でも、まだまだだから、一歩ずつ頑張っていきたいなって」

「ククッ、そう自分を卑下するな。其方のあいどる姿を見ていなくとも、其方なら確実に大成するであろうよ」

「あ、ありがとう。私も、エミリアちゃんなら凄いアイドルになれると思いますっ」

「むふ、そうかそうか。緒方智絵里がそう言うのならば、妾も大成してしまうか。ま、まあ、それは最初からわかっていたことであり、もはや自明の理とでも言えるべき確定された未来なのだがな!」

 

 傍から見るならば、大好きな姉の気を引こうと奮闘する妹だろうか。

 身振り手振りを交えて話題を作り、姉から褒められれば満足そうに息を鳴らす。

 エミリアの姿が幼いこともあって、通行人からは微笑ましそうに見られていた。

 

 しかし、二人はアイドル──エミリアは新人だが──でもある。

 智絵里は軽く変装しているので、まだ気づかれていないが、エミリアは素のままだ。

 さらに、エミリアはともかく、智絵里の方からはアイドルが持つ、人を惹きつけるオーラが漂っている。

 それは変装をした程度で隠せるものではなく、結果として良からぬ人を呼び寄せる原因にもなってしまう。

 

 仲良く談笑していたエミリア達の前を、二人の男が遮った。

 見た目は今時の若者らしく、ラフな格好をしている。

 彼等は智絵里に用があるようで、これから遊びに行かないかと誘う。

 

「む、知り合いなのか?」

「う、ううん。その、すみません。私達、行くところがあるので」

 

 智絵里が真摯に断ったのだが、男達はしつこく言葉を重ねる。

 俺達と一緒だと楽しいぞ、そんな用事放っておこうぜ、早く行こうぜ。

 そういった、ナンパ特有の常套句を添えて。

 

 強く押してくる男達に、智絵里はタジタジだ。

 側にエミリアがいるからか、ある程度は毅然とした態度を崩してはいないが。

 エミリアは敏感に感じ取っていた、智絵里の瞳に微かな怯えがあることを。

 

 急速に、エミリアの心が冷めていく。

 先ほどまで漂っていた暖かみが消え去り、極寒の地にいるかのように心に吹雪が吹きすさぶ。

 自然と浮かべていた笑顔も抜け落ち、無表情となって男達の前に立ち塞がる。

 

「……おい」

 

 エミリアのことは眼中にないのか、適当にあしらおうとしていた男達だったが。

 剣呑に輝く彼女の深紅の瞳を見てからは、龍に呑まれたように硬直する。

 この場は人通りがそれなりにある道なのだが、エミリアの変化した雰囲気を察したのか、周囲の通行人達が触らぬ神に祟りなしと避けていく。

 

「妾の……妾の、妾の緒方智絵里が嫌がっているであろう。貴様ら、覚悟はできておろうな?」

「はえっ!?」

 

 突然所有物扱いされて変な声を上げる智絵里をよそに、エミリアは地面を蹴る。

 右側の男の懐に入り込み、飛び上がりながら回転蹴り。

 そのまま勢いで吹っ飛びそうになる男の襟を素早く掴むと、地面に引きずり倒す。

 

 男が倒れる音で、もう一人の男が我に返ったらしい。唖然とした表情で、エミリアと自分の仲間を見比べていた。

 倒した男の背中に足を踏みおき、ニヤリと悪魔的に嗤うエミリア。

 

「貴様も、こやつと同じ末路を辿るか?」

 

 返事は、脱兎のごとく逃げる足音だった。

 仲間を置いて逃げる薄情な人間を見送りながら、エミリアは自嘲のため息を漏らす。

 

 本来の力があれば、一瞬で八つ裂きにできた。

 無礼な人間を肉塊に変えて、その感触に酔いしれていただろう。

 しかし、今のエミリアは身体能力が人間レベルまで低下しており、そんな超人的な動きはできない。

 せいぜいできるのが、今までの経験を活かした、相手の死角を突く動きぐらいだ。

 

 自分も弱くなったものだ、と自分を嘲笑う気持ちがある反面、それでもいいと思う不確かな自分もいる。

 なぜならば、ここでそんなグロテスクなことをしてしまうと、慌てた様子で駆け寄る智絵里の顔を曇らせることになるだろうから。

 

「え、エミリアちゃん!」

「心配せずとも、妾は傷一つついておらん。そも、妾が傷つくということはないのだがな」

「え?」

「いや、こちらの話だ。……さて、この無礼者をどうするか。緒方智絵里、其方にこやつの処遇を決める権限を与えよう」

「わ、私? えっと、できれば、穏便に済ませてくれたら……」

「ふむ、穏便であるな。了解した」

 

 指を絡ませながら告げる智絵里に頷いたエミリアは、男の腹の下に足を入れて振り上げる。

 辺りに鈍い音が響き、男が腹を抱えてうずくまってしまう。

 

「ええ!?」

「む、どうした? 穏便にこやつを起こしてやったのだが」

「全然穏便じゃないよ!?」

「そうか? 骨の一つも折っていないのだが、穏便とは難しいのだな」

 

 そんな風に話していると、ようやく息を整えた男がエミリアを見つめる。

 そこに宿る瞳の色は、当然怯え──なんてことはなく、なぜかこちらを崇拝する色だった。

 

「な、なんだ?」

 

 男から得体の知れなさを感じたため、思わず後ずさるエミリア。

 智絵里を背後に隠しながら、引き攣った笑みで彼を睨みつける。

 

 そんなエミリアの姿を、陶酔した面立ちで見返していた男は、まくし立てていく。

 曰く、貴女の攻撃が心に響いた。初めは痛かっただけだが、段々と快感を伴ってきた。さらに、幼女に足蹴りにされる背徳感が凄まじく、一気に貴女のファンになりました。どうか、これからも自分をいじめて欲しい。

 

「な、なんだこやつはぁ!?」

「ひぅっ!」

 

 そんな怯える貴女も良いが、やはり貴女にはドSの笑顔が似合っている。だから、もっと自分に……そういえば、まだ名前を聞いていなかった。それによくよく見れば、先ほど声をかけたのは緒方智絵里ではないか。つまり、貴女もアイドルなのか。素晴らしい。自分が貴女のファンになったのは、間違いではなかった。それで、名前はなんて言うのだろうか。教えてくれたら、応援ができるから嬉しい。

 

 気持ち悪い笑みで言語の羅列を吐き出していく男に、エミリア達は心底恐怖を覚えていた。

 

 知らない、こんな生物は知らない。

 痛みを快感に変える人型の生物など、エミリアは初めて目にした。

 もはや、この男は人間ではない。人間の皮を被った、変態(悪魔)だ。

 

「に、逃げるぞ緒方智絵里!」

「う、うん!」

 

 智絵里の手を引いたエミリアは、追いすがる男から逃げるために駆けていく。

 こうして、エミリアは一つの感情を学び、同時に人間の恐ろしさを学習するのだった。

 

 

 

 

 

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