東に向かって全速力で廊下を走る間にも、不安の種が育っていくのを感じる。3人がライオスたちの部屋に行ってから、1時間が経っても帰ってこないのは可笑しい。何もなくて「心配かけてみたかった」と笑顔で出てきてくれるだろうと信じている。
でも…。
「最初からティーゼたちが狙いなら何故このような面倒なことを…まさか!」
最初から僕たちを狙っているなら、あの日ウンベールに苦戦していた僕に剣を振るっていれば良かったのだ。ウンベール1人に精一杯だった僕を、ライオスならそれほど力を込めなくても倒せたはずだ。なのにそれをしなかったのは、ウンベールとヒョールの性格を知っていたからだ。それに自分の欲を満たすという目的を重ねることで優越感に浸っていたのだ。
勝負して引き分けたことを率先して話すまでは想定していなかっただろうけど、自分の傍付きに話すことはわかっていたのかもしれない。
①自分の話題を持ち出させてそこから立ち合いの話を繋げる。②屈辱的なことを自分の傍付きに命令して、僕たちの傍付きに相談させる。③ティーゼたちがそのことを僕たちに話す。④それを聞いた僕たちが注意喚起しに行く。⑤僕たちがティーゼたちに報告する。⑥間隔を開けて僕たちを油断させる。⑦そしてもう一度自分たちの傍付きに屈辱的な命令をして、ティーゼたちに相談させる。⑧ティーゼたちに嘆願させに来る。⑨そして最後に捕縛する。
これがライオスたちの作戦だったんだ!
「ティーゼっ!」
大切な傍付きの名前を呼びながら走り続ける。
ライオスらの部屋に着いても息を整える時間が惜しい。ドアを乱暴に叩き出てくるように催促する。すると扉を開けたライオスがいつものにやけた顔で僕を迎え入れた。
「おやおや、予想より遅い到着だ。さあ入り給えユージオ上級修剣士」
まるで自分が来るのを待っていたかのような言い方に、納得感と同時に憤怒が沸き上がる。
「ここに僕たちの傍付きが来ているはずです。何処にいますか?」
「なるほど彼女たちはユージオ上級修剣士とご友人の傍付きであったか。件の傍付きは面会の許可もなく来ては、下級貴族の分際で我々には誇りがないとぬかしよったのだよ。さすがに心の広い我々でも、揺るせぬ振る舞いだったのだ」
「非礼は後日謝罪します。それより3人の居場所を教えてくださいご存じなのでしょう?」
「そう気を荒立てなくともよかろうユージオ上級修剣士。私と楽しい会話をしようではないか」
背後に目をやると、ウンベールとヒョールが下品な笑みを浮かべて舌なめずりまでしている。僕は自分の体に寒気が走るのを感じたが、それを悟られないように《青薔薇の剣》を強く強く握った。
「観客が来たのですから、今宵最高の演目を楽しんでもらいましょうライオス殿!」
「私としてはもう少しユージオ上級修剣士と話したかったのだがな。まあいいウンベール、私も待ちわびていた」
「ついにこの日が来たのですねライオス殿!」
「演目?待ちわびた?この日が来た?一体どういうことですライオス殿!」
言葉の意味がわからなかった。何をする気で今日まで過ごしていたのか。僕には理解できなかった。
「では移動しようかユージオ上級修剣士殿」
ライオスらは長衣を翻して奥の部屋へと入っていく。それをおぼつかない足取りで追い掛け、その光景を眼にして凍り付いた。眼に入ってきたのは、寝室のベッドに縄をくくりつけられ、猿轡のようなもので口を塞がれているティーゼたち。部屋に漂う芳香など気にはならないほどの怒りが、僕の内側を満たしていく。
「動くな平民!」
足を動かそうとするとライオスが僕を制止させる。
「何の真似ですかライオス殿!」
「これは致し方ない処置なのだよ。彼女たちはあろうことに甚だしい非礼を働いたばかりか、教官に告げ口すると言い出したのだ」
「ライオス殿の言う通り。ウンベール同様に私がそのようなことをさせると思うか?我々にそのことを言わなければ、今頃貴殿らの部屋にいたであろうに。まったく脳のない小娘は嫌いだ。だがここまで顔が整っているのであれば例外だろうな。ひょっひょっひょっひょっ!」
「たとえ逸脱した行為であっても、縄で縛る必要はありません!学院則で禁じられていることをしてもいいのですか!?」
修剣士懲罰権には、『著しく傍付きを追い込んではならない』という項目が存在する。今の状況は精神的にも肉体的にも苦痛を与えている。もはや修剣士懲罰権の範疇を大きく超えているのだ。
「修剣士懲罰権?我々がいつそのようなことを口にした?我々が今使用しているのは、修剣士懲罰権というくだらない法ではない。《
「なっ!?」
《貴族裁決権》。は四等爵家にまで与えられる権利であり、下級貴族である五等及び六等爵家はその裁決の対象となる。修剣士懲罰権などと比べることもできない権利だ。それを使用されれば何人たりとも抗うことはできない。
「我々が楽しむのをそこで見ているがいい!」
そう言うとライオスらは、長衣をはぎ取ってティーゼたちに飛び掛かった。悲鳴が上がるが猿轡をされていては出る声も出ない。今ここで声を出すことは、ライオスらの嗜虐心を煽る行動でしかない。だがそのことに縛られている少女たちが気付けるはずもなく、可能な限り離れようとベッドの奥へと逃げる。それもまたライオスらの興奮を高める結果になるとも知らずに。
「や、やめろ!」
「動くなと言ったはずだ平民!これは《禁忌目録》に則った正当で厳粛なる貴族の裁決である!邪魔をすれば貴様も大罪人となるぞ。我々はそれでも構わんがな。この程度で大罪人の肩書きを持つことにならぬのだから、彼女たちも喜ぶことだろう」
「ライオス殿、いざ参りましょう!」
「よかろう三等爵家の私が許可する」
「待てっ!」
僕はその先を口にすることができなかった。『法を破った大罪人』という単語が頭の中で何度も繰り返される。足が床に縫い付けられたかのように動かない。どれだけ力を込めて動かそうにも動こうとしない。
僕はまた護れないのか。
大切な幼馴染を護れなかったあの日のように。
2人が連行されてから、どれだけ泣いても懇願しても帰ってこなかった。夢だと何もかもが悪夢だったと願った。でも何度目覚めても2人はいなかった。帰ってこなかった。その日から2人と関わりがあった僕を村の人々は避けるようになった。まるで僕が禁忌を犯すかもしれないと危惧するかのように。でも僕はそれでよかった。2人がいない世界が、日常があるなんて想像もしていなかった僕にとって、これこそが世界の残酷さなのだと知った。
力なき者は何もできず、地に這いつくばって生きるしかないと僕はずっと思い込んでいた。〈ギガスシダー〉を刻む〈天職〉に選ばれた以上、僕には自由がなかった。11歳になって与えられてから死ぬ間際に譲るまでずっと続けると誓った。誰かと一緒になることはないと。自分にはそんな権利はないと。孤独で生きていくと。
でもある日、森に突然現れた1人の少年によって僕は変われた。〈ルーリッド〉で生まれて死ぬと思っていたのに、彼は底なし沼から僕を無理矢理引き上げて、前に進むきっかけと力を与えてくれた。「前を向かないと生きていけない」と口癖のように言う相棒が格好良かった。あんな風に人を奮い立たせれるような人間になりたい。誰かに力を与えられる人になりたい。出会ってからの2年間で何度思ったことか。今でもその思いは増すばかりだ。でも僕には力がない。キリトのように誰かの心を動かす力も。カイトのように誰かを魅せる能力も。
ライオスらがティーゼたちの服を脱がしていく様子が、思考のせいで狭くなった視界の端にに見える。動かなければ助けなきゃ。きっとティーゼたちは二度と立ち上がれなくなる。生きることに絶望してしまうかもしれない。それだけは絶対に起こしてはいけないことだ。
でも、でも足が動かないんだ。僕には人を助ける力はないんだ。
ライオスらの指がティーゼたちの頬や額を撫でている。唇に触れないのは、婚姻の誓いを立てる前の接触は禁止されているからだ。たとえ貴族裁決権でも《禁忌目録》に記されていることは貴族裁決権でも覆すことはできない。だが一つだけ抜け道はある。
それは互いが合意したときだけ唇への接触が許される。だがその合意は強制でも構わない。もしライオスらがそのことに気付いてしまえばかならず汚されるだろう。汚れを知らない少女を痛めつけてもいいという法とは一体何なのだろうか。その法とは完全な法と言えるのだろうか。
「ユージオ先輩は自分のことだけ考えてください!私はユージオ先輩が傷つく方が嫌です!」
いつの間にか猿轡を外されていたティーゼの声が聞こえてくる。
でも罪のない人を裁く法は法と呼ばない!
ス「ぐっ!」
突然、右眼に鋭い痛みが走った。
痛いはずなのに
『どんなときでも優先しなきゃ駄目なことってある?』
『ああ、もちろんあるさ』
いつも通りに生活している時、ふと思ったことを聞いてみたことがあった。寝転がっていた親友はソファーから起き上がって座り直し、真面目な顔をして僕に言ってくれた。
『人が苦しんでいるときは拒まれても助けないと駄目だ。たとえそれがその人が望んでいる結末じゃなくても』
言い終わったカイトは照れ笑いを浮かべていた。僕はカイトをからかったけど、今ならその言葉の意味がわかる気がする。何故あの時カイトがそんなことを言ったのか。何故そこまで人との関わりを気にするのか。
きっとカイトは、人が笑顔で誰もが苦しまない世界を作りたいんだと。作るために〈整合騎士〉になるんだと思えるんだ。もしかしたらその先にある何かを見据えているからなのかもしれない。
目の前でライオスらが決定的な行動に移った。3人に覆い被さって体を汚れた手で蹂躙していく。
「う…う…くそ!」
愛剣を振るおうにも、途中で腕が何かに引っかかったように止まってしまう。守れないのかまた。あの日のように暗い毎日を繰り返すのか?ティーゼたちが傷ついてもいいのか?無理に右腕を動かすと右眼が真っ赤に染まる。文字が浮かんでいるがそれを読み取る時間が惜しい。
『《禁忌目録》で禁止されていても、しなきゃいけないことがあるはずだ』
カイトが涙ながらに発した言葉が僕の体の呪縛を緩める。
「ユージオ先輩、助けてぇ!」
「うわあぁぁぁぁ!」
ティーゼの叫びが引き金になって僕は抜刀した。右眼から血が噴き出し、視界が半分狭まるがそれさえ気にせず奥義を発動する。
〈単発水平斬り《ホリゾンタル》〉
痛みも忘れて3人がいるベッドへ肉薄し剣を振るう。
雷閃にも似た一撃を視界の端で捉えていたのだろうか。ライオスは間一髪のところで躱したが、ウンベールは反射的に左腕を持ち上げていた。
僅かな手応えも感じずに振り抜かれた剣の先には、肘先から斬り落とされたウンベール、その血しぶきを浴びて何が起こっているのかを理解できていないヒョールがいる。
「…腕、が。俺の、腕がぁぁぁ!」
ウンベールの叫びは僕の耳には入らなかった。いや、入る余地もなかった。人を斬ってしまった。《禁忌目録》を破ってしまったという二重の苦しみが自分の体を駆け巡る。
人殺し。大罪人。人殺し。大罪人。
同じ言葉が何度もループする。呼吸が荒くなる。視界が揺らぐ。
「…よもやここまでの禁忌を犯す人間がいるとは…。素晴らしい!私は幸運だ!ステイシア神よ感謝いたしますぞ!」
「…君なんかに祈られても嬉しくないよ」
何故そのような皮肉が自分の口から出たのかわからなかった。自然と頭に浮かび上がった言葉を、口が勝手に言ったように感じられた。
「…怪我をしたウンベールでは君を罰することはできないだろう。よって首席の私自らが貴様を処断してやる。〈天命〉すべてを神に捧げ償うがいい!」
ライオスが僕に剣を振り下ろすのを眼を逸らさずに見ていた。反撃もせず、それを見ることで僕は僕の罪を受け入れる。
ごめんねアリス。君との約束は果たせなかったよ。
『諦めるにはまだ早いぞ』
何処からかそんな声が聞こえてきたと同時に、薄暗い部屋を横切って黒い何かがライオスの剣を防いでいた。何が起こっているのか僕には理解できていない。黒い何かがやってきた方向に眼を向けて声を出す。
「キリ…ト?」
「なんとか間に合ったな」
立っていたのは雨に濡れた前髪をかきあげて息を切らし、ライオスの剣をあの剣で拮抗させている相棒の姿だった。
「下がれライオス、お前にユージオは傷つけさせない」
「遅かったなキリト上級修剣士。さきほど後ろのご友人が大罪人になったばかりだ。貴様も仲良く法を犯すがいい!」
「
「…そこまで私を侮辱するか平民風情が!類は友を呼ぶとはこういうことよ。貴様も消してくれるわ!」
「こいライオス!積もりに積もった借り、まとめて返すぜ!」
キリトとライオスが剣を交わせているのを、僕は見上げることしかできなかった。高速で振り抜かれる剣。その余波が僕の髪と服を揺らしている。左腕を斬り落とされたウンベールはともかく、ヒョールは2人の高速戦闘に圧倒されて何も言えないみたいだ。
「〈ハイ・ノルキア流〉奥義《天山烈波》を受けてみよ!」
「返り討ちだライオス!」
最上段に構えられるライオスの剣と右腰に構えられたキリトの剣。その構えはキリトの指導生であるリーナ先輩が得意としていた〈セルルト流秘奥義《
「キエェェェェ!」
「セアァァァァ!」
上から抑え込むライオスと押し上げるキリトの体勢は、どう見てもキリトが不利だ。立ち上がる力より抑え込む方が、人間の体の構造上の問題で力を込めやすい。いずれはライオスの剣がキリトの体を討つ。そんなことになれば〈天命〉は大幅に減ってしまう。
「キリト!」
「っ安心しろユージオ。俺は負けない。どんな奴にも」
「今の状況でよく言えるものだなキリト上級修剣士!」
ライオスが語尾を高めることでキリトにかかる重さは倍になる。助けなきゃ今動かないとキリトが。
「俺は守る!間違ったことをしていない友人を守るために、俺はお前を倒すぜ!ハアァァァァア!」
気合いを迸らせたキリトの左薙ぎ払いが、ライオスの剣を真っ二つにへし折った。そして今度は反転して右薙ぎ払いがライオスの両腕を斬り落とす。
「手が、手がぁ!俺の手が手がぁ!〈天命〉が止まらない!助けてくれぇ!」
「ライオス殿!この大罪人がぁ!」
ヒョールがライオスを助けんがためにキリトに飛びかかる。いつの間に剣を拾っていたのかわからないが、全力で剣を振り抜いた状態のキリトでは防御が間に合わない。僕が立ち上がって守ろうにも、間に合うかどうかはわからない。それでも動くんだ。これ以上友人を傷つけさせないために。
「キリトぉ!」
「死ねぇ大罪人がぁ!」
あと少しで防げると剣を伸ばすがヒョールが斬りつける方が速い。
「やめろぉぉ!」
「ごはぁ!」
キリトに剣が刺さる10セン手前で、ヒョールが大きく吹き飛んだ。正確には吹き飛んできた扉に吹き飛ばされていた。扉があった場所は吹き抜けになり、その奥に破壊したであろう人物が俯いたまま立っている。それが誰なのかわかっていながら僕は声に出せなかった。その存在感と怒りに怯えていたから。
「舐めた真似してくれたなてめぇら」
その声は聞いたことのないほど低い声だった。その声音に縛られたかのようにウンベールとヒョールが硬直し、キリトは片膝をついて眼を見開いている。
「さあ始めようか俺たちの復讐を」
怒りに歪む形相で寝室に入ってくる存在に僕たちは恐怖した。萎縮して畏れた。
怒りに。悲しみに。愛に。
「貴様らの命は俺の掌だ。逃げ切れると思うなよクズどもが」
その正体は僕たちにとってかけがえのない人だった。
「カイト…」
ティーゼたちの描写は省かせていただきました。作者の語彙力では書けないのとアニメを見て引いてしまったからなのですみません。
さてライオスはこの先どうなるのでしょうか。まだ構想さえできていないので作者にもどうなるかわかりません。