アリシゼーション~アリスの恋人   作:ジーザス

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セントラル・カセドラル決戦編最終話です!


惜別

美しくて可憐でそして儚い。

 

木々の枝を伸ばしたかのように広がる両翼をはためかせて、宙を舞い在り方を探しているようだった。剣が放つ圧倒的存在感と安らぎが、2体の《ソードゴーレム》を怖気づかせていた。

 

「余計な真似をしてくれたわね」

「これが2人の決意だ。それを理解できないお前には、一生知ることはないだろうさ!」

「ならその決意とやらを粉砕してあげるわ!」

 

アドミニストレータが、カーディナルに致命傷を与えた雷撃を放つ細剣を振る。すると、2体の《ソードゴーレム》が飛翔している2人の命。《星薔薇の剣》を破壊せんとばかりに、その巨体を高速移動させて向かってきた。

 

一つ一つの〈優先度〉が〈神器〉に迫るほどのものが300本も集まった敵に、2人の命が果たして勝てるのだろうか。いや、勝てる。勝たなければならないのだ。たとえ〈優先度〉で勝てなくても勝つ方法はある。この世界における特徴的なものであり、すべてを決定づける最強のものがあるではないか。それに関していえば、2人は決して負けることはない。誰よりも強く願う心の強さが、2人には根強く息づいているから信じるんだ。

 

《星薔薇の剣》がわずかばかりホバリングしたかと思うと、翼を一度力強く羽ばたかせた。するととてつもない速度で宙を駆けて、《ソードゴーレム》へと直進していく。《星薔薇の剣》の脅威に怯んだのか、前方を走っていた《ソードゴーレム》が急停止した。その後ろで追従していたもう一体が、不意な行動に反応出来ず背中へと衝突してしまう。

 

2体が接触した状態であるところを狙って、《星薔薇の剣》がさらに直進速度を上げた。接近するごくわずかな時間の間に、前に立つ《ソードゴーレム》が両手の剣と肋骨の小剣をいっぱいに広げる。まるで肉食動物のあぎとであるかのように凶悪な印象を放っている。

 

だが2人の魂と〈神器〉が合わさった武器は、それをものともせずに自身の刀身を衝突させた。黄金と群青が身を削り合って命をすり減らしながら互いに押し合う。《星薔薇の剣》が照準しているのは、3本の剣によって構成される背骨の中心部分。剣と剣の隙間からこぼれる紫色の光。

 

《敬神モジュール》である。

 

わずかな拮抗の後に交差させた両手の巨大な剣の隙間をぬって、爆音を振りまきながら《星薔薇の剣》が深々と刺し貫いていた。それは後方で衝突させて体勢を崩していた2体目の《ソードゴーレム》をも巻き込んでいた。貫かれた部分から白い光がこぼれるように漂いだし、周囲へ散って俺たちを優しく包み込んでから空へと上っていく。

 

〈記憶の雨〉とでも呼べるような光が身体の周囲を回ると、脳裏にいろいろな映像が流れ込んできた。愛の結晶である子供と楽しそうに遊んでいる妻の笑顔。初めての交際で緊張している様子の彼氏。誕生日祝いの玩具を渡すと飛び上がって喜んでくれている弟。結婚相手の家に向かう笑顔で手を振る娘。

 

幸せそうで暖かくて微笑ましくて。胸に熱いものが広がっていく。そしてどれもが本人の視点からの記憶だった。剣となった彼ら彼女らのもっとも大切な思い出。いつになってもどんなことがあっても、残り続けるかけがえのない記憶。すべての光が空へと上ってくと、殺戮兵器であった存在は不自然な角度で停止してその躰を空間リソースへと変換していった。あれほどの攻撃力を誇った存在の呆気ない最後に、嘆かわしさや哀れみよりも悲しみの念が大きかった。

 

浮遊し続けている《星薔薇の剣》がゆっくりと旋回して、切っ先を最終最強の敵へと向けた。刀身が怒りを示すかのように点滅を繰り返している。1本の剣が纏う輝きが増すと同時に、キィンキィンという振動音と周波数を高めていく。

 

「…駄目だ2人とも」

 

伸ばしても届かない左手を、柄を握るかのように何もない空中へと伸ばしていく。

 

「勝手に行くなよ。俺も一緒に行くから待ってくれ」

 

焦燥に突き動かされるように、動かない両足を賢明に動かして床を移動していく。もう少しで握ることができるという瞬間、《星薔薇の剣》を包んでいる輝きが指先に触れて弾けて消えた。その直後、大剣の柄部分から枝を伸ばしたかのような両翼を、さらに大きくさせて力強く羽ばたかせた。一直線にアドミニストレータへと突撃する。

 

「粉々にしてあげるわ!」

 

支配者の真珠色の唇に凶悪な笑みが浮かんだ。触れたものすべてを破壊すると思わせる圧を放つ細剣を振り下ろし、カーディナルを焼き殺したものと同じ雷光が迸った。剣の切っ先が稲妻に触れた瞬間。《ソードゴーレム》を破壊した時を上回る衝撃波が広がり、離れたところにいた俺の全身を波打たせた。

 

剣と衝突した影響かまたは最初からそうなる設定だったのか。アドミニストレータが放った稲妻が無数の細線へと変わるのを見た。轟音とともに無数のスパークが100階の各所に飛び散って、小規模な爆発を何度も引き起こしている。

 

とてつもないエネルギーの激流を正面から受け止めながら、《星薔薇の剣》は飛翔の勢いを衰えさせることなく輝きを空中に振りまきながら進軍し続ける。まるで命を散らしながらそれを輝かせているようだ。…いや、命そのものを削ってその美しさが錯覚させている。刀身の表面が微細にひび割れ、欠片を散らしながらアドミニストレータへと駆け抜ける。それはキリトとユージオの命そのものだというのに。

 

「キリト!ユージオ!」

「こしゃくな!」

 

俺の叫びはすさまじさを増していく衝突音にかき消されて届くことはない。自身の強力な技をダメージを受けながらも抜けて、自身へと迫ってくる恐怖からだろうか。笑みを浮かべていたアドミニストレータの顔から余裕が消え失せ、必死の形相を浮かべ始める。

 

ついに雷撃の発生源まで到達した群青色の剣が、アドミニストレータが持つ細剣の切っ先に正確に衝突させた。すると耳を塞いでも、隙間という隙間から流れ込んでくる超高周波が俺に吹き付けた。神の力そのものであるアドミニストレータの細剣と、2人の命そのものである大剣。微動だにせず静止しているようにも見える状況であるが、それは見かけ上でのことである。実際は双方の強大な力が一点に集中してせめぎ合っているに過ぎない。だがそれは次なる破壊の前兆であるには違いなかった。次の瞬間に起こった現象を俺は鮮明に記憶させられた。

 

アドミニストレータが持っていた銀の細剣が粉々に砕け、群青色の大剣が光を散らしながら刀身が真っ二つに折れる。回転しながら吹き飛んだ刀身の前半分が、アドミニストレータの右腕を肩口から音もなく断ち切った。砕けた細剣から溢れ出した膨大なリソースが、行き場を失って虹色の大爆発を引き起こす。

 

爆風と煙が晴れると、視界に映ったのは右肩を左手で押さえるアドミニストレータと床に横たわっている2つの破片。視線を向けていると、剣が点滅を繰り返してその姿を溶かしていく。形をなくした光が今度は人型へと変質していく。切っ先から刀身の半ばまでが下半身に。そして十字の鍔を含んだ破片が上半身へと。瞼を閉じた2人の手には水晶のプリズムが握られ、心臓の上辺りに乗せられていた。2人の面影を残す髪色と肌が人間らしさを取り戻した直後、これでもかと思うほどの鮮血が分断された傷口から迸った。

 

その血から逃げるように、しかしダメージをさほど負っていないような滑らかな動きで移動したアドミニストレータには目もくれず。横たわったままの2人の両手を握りしめる。コン、と刀身の半分を失った《青薔薇の剣》が俺の目の前の床に突き刺さった。偶然なのか必然なのか突き刺さった部分から霜が広がり、2人の傷口を簡易的ではあるが止血を行った。キリトの左手付近には、《青薔薇の剣》と同じように刀身の大部分を失った《黒い奴》が突き刺さっている。

 

「…あ…あ…あぁぁ」

 

自分の喉から絞り出されるしゃがれた声が、自分のだと気付かないほど色を失った声音が零れる。色彩を失ったかのように白黒の世界となっているのに、2人の血だけが鮮やかに鮮明に視界に映りこんでくる。終わりたい。2人と共にこの身体へ《翡翠鬼》を突き立て〈天命〉を消し去りたい。だがそんなことをすればアリスはどうなる?カーディナルは?騎士長は?デュソルバートさんは?リセットしたい。今からでもすべてを白紙に戻して何もなかったことにしたい。

 

だがそんなことしたら2人はどうなる?危険を承知で自身を武器へと変質させた決意は無駄になってしまう。諦めるな。2人が覚悟を決めたとき俺だって誓ったはずだ。後悔しないと。2人の決意を鈍らせないと無碍にはしないと。

 

「さて…まさかカイトが最後まで残るなんてね。〈向こう側の世界〉から来たあの子が残るならなんとなくわかるけど。まあいいわ、これで終わりにしましょう。さようなら私の可愛いお人形さん!」

 

眼を声がした方へ向けると、いつの間にか右肩の治療を終わらせていたアドミニストレータが、どこから用意したのか先程の剣に似た銀色の長剣を振りかぶっていた。振り下ろされるのを望むかのように眼を閉じて、首を差し出し下りてくるのを待つ。しかし俺の諦めは予想外の事態で中途半端に終わってしまう。

 

「諦、らめん…な!てめぇ…がい、な、くなっ…たら、誰が終わらせるんだ!?」

「カイ…ト、気を…確か、に…持って!2人が残した希望を捨てないで!」

 

視線を上げれば血反吐を地面にしたたらせながら、アドミニストレータの剣を、それぞれの〈神器〉で受け止めている騎士長とアリスがいた。

 

「……騎士長・アリス、後は任せてほしい。すべての憎しみを今ここで絶つ。俺自身の手で!」

「頼んだ、ぜ…」

「願っています…カイ、ト…」

 

崩れ落ちる2人を抱えてキリトの横にそっと寝かせる。そして左腰につるしている鞘から愛剣を抜刀し、切っ先をアドミニストレータへ微動だにせず向ける。すると勝利の笑みを浮かべていたアドミニストレータの顔が厳しく歪んだ。

 

「…さすがにここまでくると不愉快ね」

 

冷え切った極低温で憎しみを孕んだ声音が俺の耳へ侵入してくる。それと共に俺を射貫く視線は無機物を見るように冷徹だった。

 

「一体何なの?お前たちは。何故そんなに醜く無為に足掻くの?苦しみを感じ、己の無力さを思い知らされるだけだというのに」

「それが人間だからだ。1人で勝てない相手であっても、力を貸してくれる誰かがいれば勝てるんだ!」

 

いつだってそうだった。人間は愚かで貪欲で醜悪な生き物で、他者の犠牲なくして生を謳歌できない。生き物を殺し何よりも無駄な行いしかできない害悪だ。でもそれでも人間は生き抜かなければならない。〈人工フラクトライト〉だろうとそうでなかろうと関係ない。

 

俺は深く強くイメージする。誰よりも強くて優しくて朗らかで頼りたくて。誰にも負けないぐらいの俺を信じてくれている友人を。憧れて夢見ていつかはそうなりたいと思った英雄。本人は枷や呪縛だと言うかも知れない。

 

でもそれでも俺は好きだった。

 

さみしがり屋なくせに周囲に壁を作って浮くような存在の彼が。

 

でもそれでも好きだった。

 

気弱で泣き虫なくせにやるべきことだとわかれば走り続ける彼が。

 

瞼を閉じて深く深く強く強くイメージしてみる。俺が誰よりも信じて、そして俺を信じてくれた友の姿を自分に投影するんだ。いつだって側にいて、笑わせて楽しませてくれた友の生きた証を魂に刻むように。

 

眼を開けて歩く俺の服装は剣術院で着ていた制服ではなく、《記憶解放 翡翠鬼》で纏っていたフード付コートでもない。黒布に星を散りばめたように見える、薄い蒼い薔薇の装いのロングコートを身に纏い、歩みを進めてアドミニストレータとの距離を詰める。

 

「…複雑な印象ね。〈ダークテリトリー〉の〈暗黒騎士〉を思わせる黒色に、〈人界〉の〈整合騎士〉を思わせる薄い蒼色。まあいいでしょう。私に楯突くということは、苦痛を望んでいるということに他ならないということを。お前には殺してくれと懇願されるまで苦痛を与えてあげるわ」

「…懇願か。別にするつもりはないさ。いつもそう願っていたからな!」

 

〈ソードスキル〉を使うことなく、自身の〈イメージ力〉と技量で立ち向かう。すべての〈神聖術〉が載っているコマンドリストを、自身の〈フラクトライト〉に焼き付けたほどの存在だ。おそらくこの世界で使用できる〈ソードスキル〉を把握していることだろう。モーションから攻撃の軌道や種類などすべてを網羅しているはずだ。そんな奴に〈ソードスキル〉を使うのは、自殺行為意外の何物でもない。今までの俺ならば最短時間で終わらせるために、四連擊の大技を発動させていた。

 

だが今の俺は死など望んでなどいない。生きる意味を知ったからこそ戦いの意味合いが変わってくる。勝たなければならない。今この瞬間の戦いは俺だけの勝利じゃない。〈人界〉を守りたい、平和に生きたいと願っている民であるみんなが勝ち取った勝利になる。

 

なのになのになのに!何故アドミニストレータに俺の剣は届かないんだ!あいつの剣は確かに俺を捉え、〈天命〉を少しずつ奪って行っているというのに!

 

「くそっ!」

 

自棄になった俺は、使用してはならないとあれほど自身に言い聞かせていた〈ソードスキル〉を発動させてしまった。俺を見るアドミニストレータの顔に驚喜の笑みが浮かんだのが見えた。しかし一度発動させてしまえば、終わるまでキャンセルすることはできない。ならば俺たちしか知らない方法で切り抜けるしかない。

 

「セアぁぁぁぁ!」

 

〈片手剣四連擊業《バーチカル・スクエア》〉を渾身の腕のしなりと腰の捻転力、脚の瞬発力による3段ブーストで放った。斬り下ろしから斬り上げ、2連撃の斬り払いを繰り出す。最後の斬り払いを放ったその瞬間に2歩前に脚を移動させると、左腰に溜めて引くというあのモーションが出来上がる。

 

《秘奥義連携》。

 

練習した回数はいざ知らず、成功した回数など片手の数でしかない。だが、今だけは何度繰り返しても発動出来そうな気がした。奥義を放った後の技後硬直で止まる瞬間を狙って、アドミニストレータがおそらく〈単発重攻撃技《ヴォーパルストライク》〉であろう構えをした。逆に俺がそのタイミングを狙って〈片手剣下段突進技《レイジスパイク》〉を発動させる。

 

決まったと思いきや。よく見ればアドミニストレータの持つ剣が、幅と厚みを増して刃が緩やかに反っている。

 

「シッ!」

 

アドミニストレータの口から抑制のある鋭い気合いが放たれ、俺が伸ばした剣の脇をすり抜けて《ヴォーパルストライク》より美しい曲線を描いた一閃が、俺のスキだらけの胸を切り裂いた。

 

「がはっ!」

 

少し遅れて巨大な手に突き飛ばされたかのような衝撃が俺を襲う。軽々10m以上も空中へ吹き飛ばされ、偶然にもキリトとユージオの間に落下した。

 

「ふふふ、どう?〈カタナ単発技《ゼックウ》〉の威力は」

 

見たこともない〈ソードスキル〉に俺は為す術がなかった。俺が知っているのは訓練でキリトとユージオが使ってくれたものだけ。〈アインクラッド〉で生き抜いていない俺にはどうしようもない。知らないから仕方ないと終わらせることがどれだけ簡単なことか。

 

覚悟が足りなかったんだ。2人のように自身の身体を剣に変えるぐらいの覚悟がないんじゃ無理だ。騎士長とアリスに意地張って言ったのになぁ。やっぱり俺には成し遂げることのできない重すぎる役目だったんだ。

 

「らしく…ないぞ。諦め、る…なんて。それ、に...憎し、みは...憎し、みで絶、っちゃ...いけ、...ない、よ」

「お前…は、そん…なに、弱、虫じゃな…いだろ…」

 

腕を床に付けて這いつくばり諦めを口にしかけていた時。かすれた今にもかき消えそうな声が左右から聞こえてきた。聞き違えるはずもない。泣きたくなるぐらい懐かしい緑色と黒の瞳が、僅かに持ち上げられた瞼の奥に見える。

 

「ユージオ・キリト…」

 

名前を呼ぶと、嬉しそうに笑みを浮かべてくれる。《ソードゴーレム》によって受けた背中から貫通した剣による痛みでさえ、俺の意識の大半を奪い去るのに十分だったというのに。今2人が受けている傷や痛みは俺の比ではない。骨や内臓が完全に分断され、〈フラクトライト〉が崩壊しても可笑しくないのに…。

 

「あの日、僕は…連れ、て行…か、れる…君た、ちを、助け…る、こと…ができ、な…かった。力、のな…い僕、は…何、もで、きな…かった…」

「それがなんだよユージオ!」

「だ…から、今度は僕…が君を、助け…る。…何、度地、面に這…い、つく…ばされて、も君…は立ち、上がれる」

「…前を、見る…んだカイ、ト。後…ろばか、り見て…ても、何も始…まらな、い」

 

2人が各々の〈神器〉の柄を握って重ね合わせる。2人が眼を閉じると、緋色の光が俺たちの足下から発せられ包まれた。アドミニストレータは光を恐れるように顔を覆いながら、じりじりと後退していく。床で輝いていた光が無数の光子へと分れて浮かび上がる。

 

浮かんだ光子は2つの剣が重なっている部分へと凝集していき、すべてが1つになり一拍おいてから凄まじい光量を発しながらはじけ飛んだ。だがその光が眼に入ってもまぶしさは感じない。むしろ眼の疲れや痛みを癒やすかのようにも感じられた。術を唱えていないというのに、半ばから折れた剣の先に、新しい刀身が出来上がった深紅の剣が、俺の左手に吸い込まれるように握られる。

 

〈物質組成変換〉。

 

世界に2人の管理者にしか引き起こすことのできない奇跡を目の当たりにして、俺は息を詰まらせてしまう。いや、2人は奇跡を起こしたのではない。実力で詠唱もせずに実現させてみたのだ。言葉にし難い感情が胸の奥から溢れてきたが、どうにか押さえ込んで左手に握られた剣を強く握る。

 

《星薔薇の剣》はキリトの《黒い奴》が基本だったが、今回の剣はユージオの《青薔薇の剣》をモチーフにした剣のようだ。刀身も鍔も柄も光沢のある黒が混ぜ込まれたダークブラッドとでも形容できる色合いである。

 

「俺の…剣の、名…前は、《夜空の剣》…だっ、た。…で、も今…はそん、な名前…じゃ、ない」

 

キリトが強い意志を持った視線を俺に向けてくる。天命が3桁をきるのではないかというぐらいしか〈天命〉がないだろうに。でもそれを感じさせないキリトの意思力が伝わってくる。

 

『さあ、立ってカイト。僕の親友…僕の…英雄…』

『さあ、終わらせようカイト。俺の親友…俺の…英雄…』

 

耳にではなく魂に2人の声ではなく想いが響いた。その瞬間、身体中に走っていた痛みが突如として消え失せる。瞼を閉じて、穏やかな笑みを浮かべる2人の頬を撫でながら囁いた。

 

「あぁ、何度でも立つよユージオ。お前のためなら何度だって。終わらせようキリト、君の強いその想いで」

 

先程までの虚無感が嘘のように消え去った身体を持ち上げる。鉛のように重くて思い通りに動かない。でも俺は動かし続ける。すべてを託してくれた2人の想いを糧にして。脚を引きずりながらもよろけながら進む俺に、燃える火の赤色を越えた白い炎を、瞳に宿したアドミニストレータが俺を見据えた。

 

「…何故だ。何故そうまでして運命に抗うのだ」

「それが今の俺にできる唯一のことだからだ。あんたの言う通り、人間は他の生き物より自我が強く欲望が果てしない。でも守るべきものがあるとその力は何倍にもなるんだ。神だと公言するあんたにはわからないだろうが、人間だったことに俺は感謝してるぜ!」

 

俺が脚を踏み出す度に、アドミニストレータが少しずつ上体を反らして俺から距離をとる。

 

「…許さぬ」

 

鬼神の如き憤怒の炎がアドミニストレータの口か零れる。だが耳に届く声は俺を恐れさせず、歩む力を与える結果にしかならない。

 

「此処は私の世界だ。招かれざる反逆者によるそのような行いは断じて許さぬ。首を差し出せ。〈天命〉をよこせ。恭順せよ!」

「…違う」

 

どす黒いオーラがアドミニストレータの怒りと比例するように足許から沸き上がる。髪を揺らす自然的な風ではない。アドミニストレータの本質を教えるようなそんな様子だった。

 

「あんたは唯の偽善者だ。偽りの玉座に座り、民に崇められていると思い込んでいた哀れな道化でしかない。本当の愛を知らず、己の愛という鎖で縛っていた大馬鹿野郎だ!」

 

右手に握った《翡翠鬼》と左手に握った《黄昏の剣》を構える。

 

「愛は支配なり!愛は世界を救う!」

「あんたの愛は願望ではなく単なる欲望だ!終わらせてやるアドミニストレータ、地獄に落ちて自身の罪を思い知れぇ!」

「貴ぃ様ぁぁぁ!」

 

最上段に構えたアドミニストレータに向かって俺は突撃した。さっきまで思い通りに動かないでいた身体が、自由に思い通りに動くようになっている。左手から流れ込んでくる暖かな熱が俺の身体を癒やしてくれてるんだ。

 

「おおおぉぉぉぉ!」

 

振り下ろされた凶悪極まりない一振りを、2本の剣を交差させて完璧に防御する。〈二刀流武器防御スキル(・・・・・・・・・・)《クロス・ブロック》〉。

 

「てりゃぁぁぁ!」

 

全身の力を振り絞って、剣を弾き飛ばす。忘れるものか。いつかは背を預けあって目の当たりにしたいと思っていたものが、今は俺が握っているのだから使わない手はない。奴に勝てる見込みがあるとすればこれしかない。渾身の攻撃を弾き返されたアドミニストレータの上体がわずかに浮いた。その最初で最後の機会を逃すわけにはいかない。失敗は許されない。一度でも眼にすれば対抗措置を作られるのは簡単に予測がつく。

 

「…《スターバースト・ストリーム》!」

 

上体が浮いたアドミニストレータに〈二刀流上位16連擊〉を繰り出した。1撃目から5擊目までは完全にパリィされてしまうが、6擊目から徐々にアドミニストレータの反応が遅れていく。10擊目になればもう弾くという概念さえ消えたように、来る軌道に剣を置くということしかできていない。

 

15擊目がアドミニストレータの繰り出した《ヴォーパルストライク》と衝突した。わずかな拮抗の後、アドミニストレータの持つ細剣が切っ先から柄部分まで微細な亀裂が走る。緋い光がその亀裂から零れ始めるのが見えた。まるで人間が怪我をして血を流しているのにそっくりだった。

 

そのまま細剣は砕け散り、行き場を失った《翡翠鬼》がアドミニストレータの左腕を肩から斬り落とした。真っ赤に染まっていく床と傷口を見据えたまま、左手に握られた《黄昏の剣》が16擊目を繰り出す。

 

殺す殺す殺す!俺はこいつを殺すんだ!

 

『憎しみは憎しみで絶ってはならないよ』

 

殺意に目がくらんだ俺の頭に、太陽の日だまりのような声音が響いて正気に返してくれた。先程の二の舞を演じかけた俺を正してくれた。

 

俺たちの愛(・・・・・)を思い知れぇ!」

 

《黄昏の剣》が肉体を貫く瞬間、アドミニストレータの顔に穏やかな微笑が浮かんだように見えた。まるで死ねることに安堵するかのように。左手に伝わったのは、重くそして決定的な生々しい手応えだった。剣先がアドミニストレータの汚れを知らない肌を引き裂き、胸骨を砕きいて心臓を吹き飛ばしたのを。〈人工フラクトライト〉であったとしても、人間1人を確実に殺したのだと痛いほど自覚した。

 

アドミニストレータを貫いたままの《黄昏の剣》に視線を落とす。

 

これでいいか?2人とも。

 

そう問いかけると、剣が2回点滅して返事をしたように見えた。ユージオが朗らかに、キリトが無邪気な悪戯っ子のような笑みを浮かべる。幼い2人が俺を褒めてくれたと深く安堵した。

 

刺し穿ったアドミニストレータの傷口が大爆発を引き起こし、付近のあらゆるものを彼方へと吹き飛ばした。衝撃波によってめくれ上がった床の大理石。爆発によって瓦礫と化した柱。俺も吹き飛ばされ、またしてもユージオとキリトの中間に俯せに落下した。

 

どうにかして膝立ちの姿に態勢を変えると、アドミニストレータがいつの間にか目前にまで移動してきていた。本能的な恐怖を覚え、左手に持つ剣を持ち上げようとした。だが。

 

「なっ!」

「ふふふ、もうその剣は使えないわね。貴方に残ったのは右手に残った〈神器〉だけ。でもその剣の〈天命〉は私と一戦交えた瞬間に尽きてしまう。では言わせてもらうわ、チェックメイトよ」

 

致命傷を与えた剣が、《黄昏の剣》が二振りの剣に変化し元の姿へと戻ってしまう。《黄昏の剣》が消えた瞬間、身体に尋常ではない痛みと疲労が押し寄せてきた。右手の《翡翠鬼》は普段の輝きを失わせ、〈天命〉を尽きさせようとしているのは目に見えている。

 

だがそれはアドミニストレータも同じだ。胸の中心を穿れて背中まで貫通しているというのに、一向に死ぬ様子がない。皮膚のすべてに亀裂が走り〈天命〉が消えているのに何故動ける。今の俺では絶対に全員を助けることなどできない。

 

「さようならカイト」

「っ!」

 

訪れるであろう痛みから少しでも意識を消そうと眼をつぶった。だが俺の身体にきた衝撃は、剣などではなくふわりとした柔らかな甘い香りが鼻腔に流れ込んできた。

 

「…えっ?」

 

瞼を上げれば薄い紫色の髪が右側から流れている。何が起こっている?

 

「…こうして誰かを抱きしめられる日が来ようとはね。ごめんなさいカイト。どう謝罪しようと、涙を流そうと、後悔しようと償うことはできない。…わかっていたわかっていたのよ!いつかは自分が誰かに憎まれ口をたたかれ殺されると。でももう戻れなかった。世界を破壊し時間を戻すことのできない以上、罪を増やしてくことが唯一の生き甲斐だった」

「…わかっていたのか。自分が過ちを犯し人外の存在になっていると」

「ええ。許しを請おうと誰からも相手にされない。神として存在すると口にしてしまってから、誰にも相談することができなかった。だから誰かを殺すのではなく、誰かに殺してほしかった」

 

そういえば、アドミニストレータは直接的に俺たちを殺そうとはしなかった。やろうと思えばできたはずなのにしなかった。《ソードゴーレム》ならば、一太刀で俺たちの〈天命〉を吹き飛ばすことなど容易だったはずだ。なのにしなかった。

 

「貴女の望みは死ぬことだったのか?」

「この世に生を受けてから200年を生きても、私を満たしてくれるものは何もなかった。乾きはどんなものを見ようと、口にしようと満たされなかった。…でも今は十二分に癒やされた。何もいらないの。…でも1つだけある…わ」

「アドミニストレータ!」

 

髪で俺を抱きしめていたアドミニストレータが崩れていく。倒れる背中を抱き寄せ名前を叫ぶ。

 

「アドミニストレータ、勝手に死ぬな!お前にはまだやるべきことがあるはずだ!世界を壊したお前には、蘇った先の世界を見る義務がある!」

「…ねぇ、何処、なの?カイト…見えない感じない。寒い。寒いわ」

「アドミニストレータ!」

 

光の失せた瞳は何も見ていない。虚空を眺め何かを探すように先のない両肩を動かす。

 

「いるんでしょ?カイト。呼んで、もう一度私の名前を」

「アドミニストレータ!」

「ううん、違う…の。私、の本…当の名、前を」

「クィネラ!正気に戻れクィネラ!」

 

あぁ、なんて優しい声なの。初めて心を振るわせてくれたあの人と同じ声(・・・・・・・)同じ性格(・・・・)同じ名前(・・・・)

 

「カイト…世界、を守、って…」

 

名前を呼びながら願いを残してアドミニストレータ。いや、クィネラはその身体を空間リソースに代えていく。

 

『さあ、行こうクィネラ』

『えぇ!』

 

顔は逆光で見えなかったが、優しい声でアドミニストレータを呼ぶ。すると幼いアドミニストレータが満面の笑みを浮かべてその少年の腕に抱きつく。その光景が泡となって世界を覆う空へと旅立っていった。旅だったアドミニストレータを見上げてから、2人が倒れている傍に移動して傷口に手を添えて〈神聖術〉を施す。だが傷口は塞がるどころか広がっていく。

 

「止まれよ!クソが何で止まらないんだよ!」

 

イメージを強くすれば奇跡だって起こった。アドミニストレータと戦ったときと同等か、それ以上の想いを念じているのに。

 

「「カイト…」」

 

視線を向けると、2人が俺の手首を優しく握ってくれていた。しかしその力は弱い。赤ん坊が指を握るぐらいの非力さで。

 

「待ってろ2人とも。必ず助ける!だから!」

「ステイ・クール…だ、カイト」

「いい…んだ、よカイ…ト。僕、の役、目…は終、わった…んだ。僕は…この、先生き…る理由、はな…い。生きる…のは、カイトとアリスだ」

 

そんなわけない。ユージオは俺より生きなきゃダメなんだ。こんなところで終わって良いはずがない。

 

「なら戦え!剣を取って俺と勝負しろよ!お前の方が剣も術も上じゃないか!」

「ほら、泣かないでカイト。…ねぇ何処なの?カイト、見えないよ何にも」

「ユージオ!」

 

輝きが消えた瞳を目まぐるしく彷徨わせ、俺の名前を呼ぶ。身を乗り出してユージオの頭をかき抱くように抱きしめる。昔のような暖かみは薄れ、消え入るような死にかけているのが肉体を通して伝わってくる。

 

「あぁ、いいなぁ。4人で…暮らせ、てい…たら…どれ、だけ…幸…せだった、ろう、ね。何不自…由なく、笑顔で笑…いが、溢れる…時間、だっ…た、ん…だろ、うね。今、カイト、の心…臓...が生、きた、いって...叫んで、るよ。この...暖か、さ、この...温もり…をみ、んな…にも...知って、ほしい…んだ」

「ユージオ…セルカは君を待ってる。俺たちみんなが帰ってくることを」

 

嗚咽が涙が止まらない。もう叶わない願いだとわかっていながらどうしてもすがりつきたくなる。でも、ユージオが本当に望んでいるから看取ろう。それが今の俺にできる唯一のこと。

 

「ねぇカイト、僕は…君が大、好きだ…ったんだ。人として…家族として、友達として。そんな…君、が作った…世界、は…きっとみ、んなが…心の底…から、笑い…合える場、所な…んだ、ろうね。…カイト、最後…の僕の、願い…聞いて…ほしい…んだ」

「あぁ、聞くよ。お前の願い俺が叶えてみせる」

 

徐々に軽くなっていくユージオの身体を抱きしめて、涙を浮かべながら微笑んでみる。

 

「カイト、笑って?...アリスを、キリトを...守っ...て...」

 

睫毛に残っていた光の粒が零れる。ささやかな重みを残して、ユージオは緩やかに両瞼を閉じた。

 

 

 

 

光の粒となって消えていくユージオを見送って、キリトの傍に座り傷口に両手を添える。

 

「先に行く、だな…んて…馬、鹿野郎!っへ、HPが…多、いこと…を恨、んだ…の、は初…めてだ」

「んなこと言えるなら、案外余裕ありそうだなキリト」

「んな、わけ…ある、かよ…。〈ステイシアの窓〉…見た、ら残…り2桁だ、っての」

 

学院時代と変わらない無駄口を交えながらキリトに治療を施す。さっきまでは上手くいかなかったのに、今は驚くぐらいに自然と行使できている。もっと早くに使えてほしかったよなぁ。ユージオ、君は空から俺を見守ってくれるんだろ?

 

「あとはキリトを〈現実世界〉に戻すだけだが…」

 

何処かにあるはずの外部との連絡用のパソコンらしきものを探してみる。アドミニストレータは「原作」で、自ら操作していたから何処にあるのかわからない。

 

「探してくるからここで…」

 

キリトにそう告げようとした瞬間、得体の知れない何かが空から振ってくるのを感じた。〈神聖術〉でもましてや《武装完全支配術》や《記憶解放》でもない。白い何かが天井を突き抜けて横たわっているキリトに直撃した。

 

「キリトぉぉぉぉ!」

 

衝撃で浮き上がったキリトが再び地面に落下して眼を閉じている。何度名前を呼びかけて揺すっても、キリトは二度と眼を覚まさなかった。




連載50話達成と、重要な話を終えることができて感慨深い思いです!

これからも頑張りますのでよろしくお願いします!

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