斬魄刀ガチャでSCP-444-jpみたいなの引いた 作:はなぼくろ
再び医務室のベッドで目を覚ます。今度は傍から見たら寝ていただけなので見舞いの京楽や浮竹はいなかった。
にしても喉が渇く。口を開けて気絶していたせいなのか、生きたまま喰われた体験をしたからなのかは判別つかないが。
置かれていた水差しからコップになみなみの水を注ぐと一気に煽って飲み干す。2杯も飲むと喉も癒え、僅かな動悸も収まったようだ。
私はまたあの烏に喰われた。精神世界での出来事なのにあの凄惨な捕食風景は、恐怖は、痛みはまるで現実の出来事だったように私の脳裏に鮮明に焼き付けられている。
死ぬのはもう二度目だが、恐らくあの感覚は慣れるものではないだろう。
そう二度目だ。あの烏は二度も私を拒絶した。この二階堂朱玄を、二度もだ。
私は基本的に寛大だ。どんな過ちも一度は赦す。セクハラされようが後ろからどつかれようが赦してやる。
何故なら人は間違いを犯す生き物だからだ。人生で一度も失敗しない人間なんていない。間違いを犯し、二度と同じ轍を踏まないために反省し次に活かすのが回顧を重んじる人の美徳だ。
だが、二度も犯すのは、それはもう故意だろう。反省の余地も交渉の余地もない。じゃあどうするか?
眼には眼を、歯には歯を。痛みには痛みをだ。
あの烏畜生が高尚な知的生命体としての資格があるかは分からんが。無かったとしても躾をしてやることに変わらん。
というか主人を刺す斬魄刀など要らん。しかしそんな危険な因子が私に根付いているのを看過できん。
手折ってやる。ぶっ殺してやる。二度と再起出来ぬよう木っ端微塵に粉砕してやる。
人という字はなぁ、人と人が寄り添って出来てるんじゃあないんだよ。一人の人間が仁王立ちする象形文字なんだ!
人は独りで生きて独りで死ぬ!
人生において必要なのは生涯の友でも信ずるに足る恩師でも、背中を預けられる斬魄刀でもない。あらゆる艱難辛苦を踏破する屈強な己が精神と肉体のみよぉ!
貴様の存在は私の人生に一切不要。ここで削ぎ落として禊としてやる。
覚悟しやがれ糞烏ッ!
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報復日記 壱日目
啖呵きったもののあの烏め、なかなか手強い。
先ず距離感が掴めない。これは不味い。間合いをどの程度取れば良いのかも、どれだけ深く踏み込めば良いのかもさっぱり分からん。
その癖、奴はどれだけ離れていてもいつの間にか懐に潜り込んでいる。まるでジジイを相手取った時に感じる機の先を取られるような感覚。こちらの空隙を読み取り動くことで時間をすっぱ抜かれたように感じさせる武術の高等技能に近しい能力をアレは持っていた。
おかげで1日で5度死ぬ羽目になってしまった。精進が足りないなぁ。
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報復日記 弐日目
趣向を変えて鬼道で挑んだが敵わない。
先ず、普段できている鬼道を練るための霊子操作がヤツの前ではてんでダメになっている。
戦闘による緊張や恐怖で上手くいかないわけではない。別に死ぬのが怖くない訳では無いが、そんなんではジジイ相手に稽古できないので、普段から恐怖だとかの感情の支配はお手の物だ。
原因はヤツを前にすると何故か思考に靄がかかったように鈍化してしまう現象。距離感を狂わせる芸に通ずるものなのかもしれない。兎も角そんな状態では精密な霊子コントロールが効かず、鬼道など逆立ちしても練れない。
剣では分が悪いと見ての鬼道への転向だったが、見事に逃げ道を塞がれた結果になった。
次はどんな手を練ろうか。
因みにこれに気付くまで10は死んだ。
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報復日記 漆日目
奴の能力は思考を乱し、正常な判断能力を削ぐことでそこに付け入るタイプのものだと思ったがどうにも違うらしい。
というのも瞬歩で確実に距離を取りながら間合いを取っていたのにも関わらず、そんな現実的な距離も関係ないと言わんばかりに相変わらず懐に潜り込んでくる。
ヤツには距離の概念がないのか、それとも私の思考が誘導され離れていると思っているのに実際には自分で近付いているのか。なにが正しいのかの判断の糸口すら掴めない。
対面しているのに霧中で戦っている気分だ。
ヤツを相手に、目に見えているものも自分の思考すらも信用ならない。
何度死んだか最早数える余裕はない。
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報復日記 拾伍日目
最近いいことに気付いた。
実は基本的にヤツと戦うのは夜で眠っている時なんだが、この時の戦闘による疲れは目覚めても引き継がない。そして昼間の鍛錬の疲労も精神世界には引き摺らない。
つまりだ。昼に鍛錬して夜に実践するというサイクルを休憩挟まず無限に繰り返せるのだ。
やったね。これで始解身に付けてイキってる京楽に技量面で圧倒的な差をつけられること間違いなしだ!
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報復日記 伍拾陸日目
偶に無性に一筆執りたくなる時がある。書きたいものも頭に浮かんでくる。
あかしけ やなげ.........。
しかし、そんな下らんものに割く時間も惜しい。まだ今日のノルマも達成していないのだ。
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報復日記 佰弐拾捌日目
いい加減4ケタも死んでいると、死の瞬間というのが感覚的に分かるようになってきた。
直感というよりは経験則に近い。今までの死のパターンと周囲の状況、自身の動き、思考、ヤツの見かけの動きとが無意識のうちに結びつく。
そこに刃を差し込むとヤツの嘴や鉤爪を防ぐことが叶うのだ。
その時の私の一挙一動はほぼ反射的な動作だ。昼間の鍛錬で延々と繰り返していた動作が身体に染み付いている。
余計な動きを一切排した無駄のない所作と、思考という雑念を一切排した反射に近しい瞬発力。
私は最早何も考えていない。ただあるがままに刃を差し込むだけ。
だがまだ足りない。無念無想には程遠い。
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報復日記 肆佰肆拾肆日目
その時の出来事を、私は正確には記憶していない。ただ刃を有るべき場所へ。それだけ、始終それだけに努めた。
寸分の狂いなく、間髪の間もなく、刃は滑り込む。それだけの技量が私にはあった。
ヤツは強かった。私が死ぬごとに、ヤツはより凶悪に、より巨大になる。
この頃になるとヤツの攻撃は熾烈を極めていた。息もつく間もないほどの膨大な死が私を幾度も掠める。私はそれをある時は身をよじり、ある時は刃を差し込み、ある時は諦めて腕を犠牲に避け続けた。
私は待ち続けた。あるがままの刃の切っ先が奴の喉元を指し示すその時を。
斯くしてその時が来た。それだけのことだろう。
余談だが、その時から私の浅打は少々の変化を見せた。
斬魄刀を殺したのだから始解など会得出来ないものだと思っていたのでちょいと意外だった。
もっとも、凡そのカタチは通常の始解ほどの変貌は遂げず浅打と大差はない。
ただ、刀身が心無しか赫い。日に照らすとそれは顕著だった。
私にはそれが、烏の喉笛を裂いた時に滴った赤より赤い血の滴が刀に染み込んだのだと思えてならない。
名を「緋烏」という。
✕和解
〇屈伏