鈍い銀色の光が蛇のようにうねりバルメに襲い掛かる。ピンヒールを履いた長髪の中華系の女は荒波で揺れる船の上であるにも関らず、バランスを崩すことなくバルメの首筋、太もも、手首を狙う。
ナイフよりも一回り大きいカタナをまともに食らえば、骨を断ち切られきられる。
ピンヒール女は二本の刀に特殊な紐をくくりつけ離れれば、投げないナイフのように投てきし。近づけばそのカタナを手元にもどし敵の急所を狙う。
さすがのバルメも変幻自在なピンヒール女の間合いと、その足場の悪さで攻め倦んでいた。
だけど、バルメは楽しげに歪んだ笑みを顔に貼り付けていた。
ピンヒール女もバルメと同じように口元に薄い笑みを浮かべている。
「あなた中々やりマスネ!」
ピンヒール女が懐から小刀を投げた。
牽制のための投擲だけど、当たればバルメの動きが鈍くなるのは確実だ。
「そちらも!」
バルメは上半身を折り曲げて、その小刀を避ける。
バルメはそのまま腕をついて身体を前転させながら、ピンヒール女の足に地面スレスレに薙ぐような蹴りを放つ。
ピンヒール女はその蹴りを後ろに宙返りしてかわし、その遠心力を利用してカタナをバルメの顔にめがけて投げた。
バルメの頬に赤い線が浮かぶ。
「次は首をモラウヨ」
空を切る音と共にバルメの頬をかすめた。カタナが意思を持っているかのような動きで、バルメの首筋をめがけ再び飛んでくる。「チッ!」バルメは舌打ちをして、飛んでくるカタナを自分のナイフで弾き返そうと構えた。
「そいつを待ッテタネ!」
ナイフを構えたバルメの手に刀についている紐が蛇のように絡みつく。ピンヒール女はその紐を自分の方へと引き、バルメの身体を引き寄せる。そして、自分も甲板を蹴り一気にバルメとの間合いをつめた。バルメの首筋に刀が吸い込まれる――その一瞬。
ピンヒール女の身体が地面へと投げ落とされる。
バルメがピンヒール女の身体の勢いをその筋力で強引に捻じ曲げ柔道の投げ技の要領でその身体を地面に強く叩きつけたのだ。
ピンヒール女は声を押し殺して、地面に叩きつけられた衝撃に耐えながらすばやく身体を起こし、バルメへと身構える。
「普通の相手ならナイフは投げるな。と、私は言いますがあなたは別ですね……」
バルメは頬から垂れる血を舌で舐めとりながら、片方の腕に絡み付いているカタナを海へと投げ捨てた。
一瞬の静寂の後、黒い水しぶきが舞う。
「これでお互い獲物は一つ」
僕たちは自分たちの貨物船に乗り込んでこようとする敵を銃弾で牽制しながら、二人の女の戦いをただ黙って見守っている。
もしも、バルメを援護することができたなら、二人の戦いはすでに終わっていたかも知れないけれど。めまぐるしくその位置を入れ替えながら戦うバルメへ援護のための銃弾が、当たる可能性が高いと判断した僕たちはこの戦いをバルメに任せることにした。
それはバルメが勝つ、という確信が僕らにあったからでもある。
「筋肉女ガ……」
ピンヒール女の顔から薄い笑みが消えた。冷たい研ぎ澄まされた刃のような視線がバルメに突き刺さる。
ピンヒール女は一本残されたカタナを身体の前へと突き出す。
バルメもそれに応えるようにナイフを構えた。
ピンヒール女とバルメの視線が交差する――。
先に動いたのはピンヒール女の方だった。
ピンヒール女は身体を低くしたまま一気にバルメとの間合いをつめると、下から上にカタナを斬りあげる。バルメはナイフでその刀を受け止めて、そのピンヒール女の動きを抑えこむように上から体重をかけてその動きを止める。
二人は刃を交差させたまま睨みあう。
ナイフとナイフを使った戦いはお互いの腕がいいほど、一手一手がチェスのように相手との「読みあい」に変わる。
相手が一歩踏み込めば、こちらは下がり相手の手を誘う。
相手がその隙をついてくるのなら、こちらはフェイントを入れる。或いはそれすら相手の誘いで、こちらの考えを上回るようなら、こちらの身を切らせ、敵の骨を絶つ。
もしも、自分と同じかそれ以上の腕を持つ相手なら、相手の想像を上回るような手を打つか、完全に相手の手を読む以外に勝つ方法はない。
しかも、勝ったところで自分が無傷とは限らない。それがナイフ使い同士の戦いというものだと、僕はバルメに教わった。
二人の身体が一瞬離れる。
距離を取ろうとするバルメに対し、ピンヒール女はその隙を狙って猫のように身体を跳躍させ間合いをつめた。
隙をつかれたバルメはピンヒール女の間合いから逃れるために後ろへと下がるが、その背中を船の手すりへとぶつける。
バルメの逃げ場が無くなった。
ピンヒール女はその手に持っていた刀をバルメの身体をめがけ投げる。逃げ場をなくしたバルメにはその刀をかわすことが出来ず叩き落すように腕を前に出すが、その腕にカタナが突き刺さる。
ピンヒール女は蛇を思わせる舌で唇を舐めた。
ピンヒール女は懐から小刀を取り出しバルメの首筋へとその刃を付きたてようとする。その刹那――バルメがピンヒール女の腕を掴み、腹の部分に足を当て巴投げの要領でピンヒール女の身体を放り投げた。
「なっ――!」
ピンヒール女の身体が宙へと飛ぶ、バルメの身体もそのバランスを崩し手すりから身体を滑らせその姿を消す。
「ドボン」という大きな音がして派手に黒い水しぶきが舞った。
僕は先ほどまでバルメがいたところへ走った。
さすがのバルメと言えどもこの暗い海の中へ放り出されたら無事でいられる保証はない。それに僕たちの船の速度から考えると、今のうちに助け出さなければバルメを一人置いていくことになる。
僕はバルメのことが心配になって、手すりから身を乗り出す。
「やあ、ヨナ。助けに来てくれたんですか?」
バルメの声がした。僕は声のほうへ視線を向けると苦しそうな顔をして片手でバルメが手すりにつかまっていた。
僕はバルメの手を掴んで力いっぱい引き上げる。バルメの身体は思った以上に重くなかなか持ち上がらなかった。
「筋肉女!」
どこからかアクセントのちぐはぐなピンヒール女の声がした。
「次にアッタラ、そのケツ四つに切刻ンデヤルデスよ!」
ピンヒール女の声がどんどんと遠のいていく。
バルメは僕の手を掴んでやっとのことで甲板まで登り「今回は引き分けですね……」と残念そうにつぶやいた。
「腕は大丈夫?」
僕はバルメの腕に深々と突き刺さったカタナを指差した。
「ココを守るほうが優先です」
バルメは大きく息を吐いて、痛みに耐えながら腕に突き刺さったカタナを勢いよく引き抜いた。僕は自分の服を裂いて即席の包帯を作ってバルメの腕を強くしばり血を止める。
即席の包帯はすぐに色を変えた。バルメは痛そうに目を細めながら「ヨナ、ありがとう」と無理矢理僕に笑った。
空の色が変わってきた。
黒いペンキをぶちまけたようだった空の色がほんのりと青ずんできていた。心なしか頬に当たる風もひんやりとした冷たさが抜けたような気がした。
僕は無茶をいうバルメを強引にココと一緒に医務室に運んだ。
バルメがピンヒール女に負わされた怪我は、きちんとした包帯を巻いてもすぐに赤くなるほど深いもので、手術が必要だとココが言っていた。
「私はまだ戦えます!」と子供みたいに駄々をこねるバルメをココがこめかみ辺りをぴくぴくさせると急にしゅんと大人しくなったのを見てから、僕は再び甲板に戻った。
「ヨナ、バルメの様子はどうだ?」
レームが休憩と言わんばかりにデッキの影に隠れながら新しいタバコの箱を開けているところだった。
「元気だったけど、手術しないといけないって」
僕がそう応えるとレームはアサルトライフルを敵に向けて撃ちながら「中々の手誰だな、あの中国女」と関心したようにタバコの煙を吐きながら言った。
「みんなは大丈夫?」
「ああ、なかなか奴さんたちも必死だが、そろそろ方がつくだろう」
レームが僕の頭に手をポンと置いた。
「それにほら、増援が来たしな」
「増援?」
僕が首をかしげると、レームが指をさして覗いてみろという合図をした。顔を半分だけだして壁からそっと覗き込む。
そこにはロアナプラであった目つきの悪いレヴィと名乗った二丁拳銃〈トゥーハンド〉の女がいた。
ちょうどレヴィが僕たちの船に体当たりをした仮面の男たちの船に曲芸師のように飛び移るところだった。
レヴィは僕たちを追う二隻の仮面の男たちの船に乗り移ると、コルトM79という銃でグレネード弾を船に撃ち込んだ。
小さな、というより小規模な爆発が起こると仮面の男たちの船は炎と煙を上げる。レヴィはその炎から逃げ出そうとしていた仮面の男に銃身の短い短機関銃を連射して銃弾を浴びせる。
男が踊るように小刻みに身体を揺らせてから、身体の動きを止めて後ろから海へと落ちていった。
レヴィがあらわれたことで、仮面の男たちの動きが変わった。
今、仮面の男たちからすれば敵に挟まれた形になっている。敵に奇襲をかけているときに他の敵から奇襲を受ければどうなるかは簡単だ。
防御力の弱い後方から銃弾を打ち込まれる恐怖は、歴戦の勇者だったとしてもその足をすくませるには充分だと思う。
僕たちはレヴィを援護するように仮面の男たちの動きを制限させるように銃弾を浴びせる。
どんな人間だろうと、身体のどこに銃弾を受ければ嫌でもその動きは鈍る。当たり所が悪ければ死ぬし、当たり所がよくても戦場で戦闘力を削がれればそれだけで致命傷になりかねない。だから当たりそうも無い銃弾だとしてもその身を隠す以外に方法は無い。
しかし、それは後ろから襲い掛かる敵がいない場合にのみ通用する。
レヴィのように銃弾を恐れず敵を「狩る」ことを楽しみにしているような奴には物陰で怯えるように隠れる彼らは恰好の獲物だ。
僕はやっとみんなの「ロアナプラは最悪だ」という言葉の意味を理解した。
ロアナプラにはレヴィやピンヒール女、目つきの悪いゴスロリ女みたいな「殺し」を楽しむ奴が多すぎる、と僕は思った。
◇
夜明けが近い。
黒ずんだ空は色が変わり、地平線の向こうはすでに朝を迎えているのだろう。
ココ・ヘクマティアルの貨物船に招かれた俺は海の見える客室でタバコに火をつけながら丸い窓から外の様子を伺う。
窓の外では船から船へと飛び移りながら、楽しげに殺しを楽しむレヴィの姿を垣間見ることが出来た。
「ミスター・ロック。わざわざ助けに来ていただき感謝します」
ココ・ヘクマティアルの声を聞いて俺は吸っていたタバコをすばやく灰皿へもみ消した。
俺たちの船、ラグーン号がココ・ヘクマティアルの貨物船に追いついたころにはココ・ヘクマティアルの船は二隻の仮面の男たちの船に襲われているところだった。
仮面の男たちの船の一隻は貨物船の下に潜り込み、ココ・ヘクマティアルの私兵の銃撃を防ぎながら、隙さえあれば船へ乗り込もうと虎視眈々と狙っている。もう一隻は銃撃をココ・ヘクマティアルの船へ浴びせながら私兵を牽制しているところだった。
それからもう一隻、貨物船にワイヤーをくくりつけていた空の船がまねけに貨物船がたてる波にその身をゆらしながらくっついていた。
そういえばラグーン号がココ・ヘクマティアルの貨物船へ向かう途中に黒いコートとチェーンソーとシェンホアの姿を見たような覚えがあった。
「ミスター・ロック。眠気覚ましにコーヒーでもいかがですか?」
「頂きます」俺はコレだけの襲撃にあいながらも疲れた顔を見せず、笑顔を絶やさない彼女の姿を見て、ただただ感心していた。
手誰の私兵を従えるには、それぐらいの胆力がなければ務まらないのだろう。
武器商人は大変だな、と俺は口の中でつぶやく。
「今回は出張手当の交渉でしょうか?」
ココ・ヘクマティアルは笑いながら、俺にコーヒーカップを手渡す。
「俺の給料がかかっていますからね……」
「おやおや」ココ・ヘクマティアルは銀色の髪をかきあげながら湯気の立つコーヒーカップに口をつける。
彼女のカップにはくっきりとした赤い唇の跡が付いていた。
「わざわざ化粧直しをさせたようで申し訳ないです」
「さすが、鋭いですね……」
ココ・ヘクマティアルの笑いが一瞬凍る。
俺は思わず、コーヒーを吹きこぼしそうになった。
さすがに女性に言うには無神経な言葉だったな。
ロアナプラに毒されてきたなと自分に蹴りを入れたい気分だった。
「それよりもどうして二人きりで?」
俺は黒々としたコーヒーに視線を向けて、刺すようなココ・ヘクマティアルの視線から逃げる。
「それはですね」
ココ・ヘクマティアルがワザとらしく咳払いをした。
「実はアナタを引き抜きたいと思いまして」
「冗談でしょう?」
俺はココ・ヘクマティアルと視線を合わせる。俺の目をまっすぐに見る彼女の視線は強い意志を感じさせる強い力を持っていた。
「ならば俺からも質問があります」
俺も彼女の目を見返す。
俺の視線に気づいて、ココ・ヘクマティアルは不思議そうな顔をした。
「給与の話ならかまいませんよ?」
本気とも冗談とも付かない口調でココ・ヘクマティアルは言う。
「武器がなくなっても世界は平和にはなりませんよ。少なくともロアナプラは」
俺の言葉に一瞬のココ・ヘクマティアルの笑みが消えた。しかし、すぐにいつもと変わらぬ笑顔を見せた。
俺はココ・ヘクマティアルの笑顔が消えた、その一瞬に深い闇の欠片を垣間見た気がした。
「なんのことでしょうか?」
「アナタがヨナ君を連れている理由はそれが関係しているんじゃないですか?」
俺の質問にココ・ヘクマティアルはその笑みを深いものへと変えた。
歪んだというよりも口の端をあげた彼女の笑顔は暗い、と表現したほうがしっくりくるような、そんな笑い方だった。
「ミスター、いえロック。世界は争いであふれています。きっと地獄も天国もそろそろ定員オーバーになるのは間違い無いでしょう」
「そうかも知れませんね」俺は愛想笑いをしながらコーヒーを口に含む。香ばしい豆の香りと少しの酸味、深い苦味が口内に広がった。
「私の予想ですが、水資源を争う第三次世界大戦は高い確率で起こるでしょう。いえ、すでに起こっている地域もあると考えるのが自然です」
俺はコーヒーカップを手に持ったまま彼女の言葉を受け止める。
確かに世界人口の増加や先進国を目指す国々がこのままその力をつければ、水だけではなく資源を求めた戦争は今まで以上に増えるだろう。
「そうなればアナタの仕事も忙しくなるでしょうね」
「ええ、人間は愚かですから」
俺の冗談を押さえ込むようにココ・ヘクマティアルは強く言う。
彼女の言葉に俺は深い憎しみが込められているような気がした。
「だからと言ってアナタがそれを止めることは出来ない、違いますか?」
「もし、それを止められるとしたらロック。アナタはどうしますか?」
彼女の言葉を俺は冗談だと思った。だが彼女の表情を見てその言葉が本気である事を知った。
なぜならココ・ヘクマティアルは笑っていなかったからだ。
「それが本当に可能だと……?」
「そのすべを私はもうすぐ手に入れる、としたらどうしますか?」
「どんな方法で?」俺には彼女が言う戦争を止める、と言うその方法が皆目検討がつかなかった。普通に考えればそれはすぐに無理な考えだと分かるはずだ。
「武器を売らなく――する?」
俺が搾り出すように出すことができる言葉はそれだけだった。少なくとも今の彼女ができることは武器を売らなくすることぐらいだ。
「惜しい!」
無邪気な子供のように楽しげにココ・ヘクマティアルが振り向いた。
「もしも、その方法に興味があるのなら」
ココ・ヘクマティアルが言葉を止め、大きく息を吸い込む。
「私の部下になれ」
強い意志を感じられる言葉で、俺には彼女が言っていることが真実のように思えた。
本当にココ・ヘクマティアルは世界の戦争を止めるすべを持っているような、そんな気分にさせる言葉だった。
俺は懐のポケットからタバコの箱を取り出す。
「失礼」俺は一言そうつげて首のネクタイを緩めながら取り出したタバコの箱からタバコを取り出してポケットから出したライターで火をつけた。
俺はタバコの煙を肺に染み込ませるように、大きく紫煙を吸い込む。
「ミス・ヘクマティアル。武器がなくなった世界だろうと争いは止まりません。残念ながら」
ココ・ヘクマティアルはタバコを吸う俺を腕を組んで、ただ黙って見つめている。
「ミスター・ロック。なぜそう思われるんですか?」
彼女の言葉は棘がある、きついものだった。
「銃がなければ、ナイフで。ナイフがなければ棒で。棒がなければ素手で。少なくともロアナプラなら今よりも愉快なことになるでしょう」
「そうでしょうか?」
俺を見つめるココ・ヘクマティアルの目には、強い軽蔑の色が浮かんでいるように俺には感じられた。それは自分の言葉を否定されたヒステリーではなく、確固たる意思を踏みにじられた怒りと、彼女の考えを否定した俺に対する不満だと、俺は思った。
「少なくともロアナプラでは何も変わらないでしょうね」
「ロアナプラだけではないかも知れませんよ?」
彼女の目に浮かんでいた軽蔑の色がすっと消え、いつも見せるにこやかな笑顔に戻った。
それは俺に「この話は終わりだ」と暗に告げていた。
「助けていただいた分の謝礼は弾みます」
ココ・ヘクマティアルがそう言うと同時に、どこからか大きな爆発音がして、船が揺れた。
「終わったようですよ」
ココ・ヘクマティアルはその揺れを気にすることもなく、淡々と言った。
俺はもとの作られた笑顔にもどった彼女の横顔を見ながら「そうですね」と頷いた。
◇
空が明るくなっていた。
もうすぐ夜の時間が終わり朝が来る。
白い煙を上げながら私たちが乗る船のほうへとHCLI社とマーキングされた貨物船と魚雷艇の二隻が向かってきていた。
私はココ・ヘクマティアルが乗る船があげる白い煙を見ながら、彼女らは無事に仮面の男たちを退けたのだと、確信をもった。
「どうやら無事取引は終わりそうだぞ?」
私は曹に気づかれないように安堵のため息を吐いた。
「いや、ジェイジェイ。取引は失敗するんだ……」
曹の言葉は感情を押し殺したような声に驚く。
それは私がまだ「裏切りの虎」と言われていたころの声に似ていた。
乾いた銃声が響く。
私は背中から腹を何かが抜きぬける衝撃で前に倒れた。
思わず腕を前に出そうとしたが、力が入らない。
燃え爛れるような熱を身体の奥から感じる。
突然、訳も分からず吐き気がこみ上げてきた。抑えが効かず口から溢れ出たそれは真っ赤な血だった。
「曹、お前……」
口の中が鉄の塊を食べたようにひどく、錆びくさい。
次から次へと口から溢れ出る血と、身体の中が焼けるように熱いのに震えが止まらない。
私は霞んでいく目の前の光景が急に怖くなった。
私が見上げる空はさっきまでみた夜明け前の空ではなくなっていた。
どんどんと目の前が真っ暗になっていく。
まぶたが急に開けられなくなった。
急激な眠気が私を襲う。
ああ、私は死ぬんだ――。
「さよならジェイジェイ」
私の耳に曹のやさしい声が響いたような気がした。